勘違い
いつもたくさんのポチッとをいただいて感謝している。ポチッとをくださる方がブログを更新していれば必ず拝見する。コメントを書くこともある。もっと書きたいが、時間も限られているし、きりがないので最小限にとどめている。この頃はブログの更新をまめにしている人が少ないのは残念だし、まめに書いていた人ほど他のココログ以外のブログに移ってしまったりしているのも残念だ。
ときどき、この人がこんなことを書いてどうしたのだろう、と思うことがある。そう思ってよく読み返すと、たいていこちらが勘違いした読み方をしている。人は昨日と今日、とつぜん違うことを書いたりしないものだ。あれっと思わせるようなレトリックを読み取れないのはこちらの能力の至らなさによるものだが、二度三度読ませるということではレトリックは成功したのだ。
以前のブログのアーカイブを見直していたら思い出したことがある。いつも同じ方のブログの記事にコメントをいれている縁(コメント仲間とでも言おうか)で、こちらのブログも訪問するようになった方がいた。コメントもいただく。政治的なスタンスが私とはずいぶん違うが、ずいぶん情報の多い方で、いろいろ教えられことが多かった。
ある日、その方からの私のブログへくれたコメントに驚いた。私の書いていることとはまるでかけ離れた受け取り方をしていたのだ。しかもそれを元にさまざまな引用をしながら持論を展開している。全体がきちんと構成されているから、原点を否定すると全体が瓦解する。しかし誤解にもほどがあるとそのときは感じたので、反論を行った。私の反論を元に読み返して間違いに気がついてくれればそれでいい。
ところが論点のすり替えによる再反論があり、こちらも感情的になってしまった。かなり強烈な再々反論をしたらそれきりとなった。どう読もうと読み手の勝手であってそれだけならこちらの表現力の不足ということで終わりである。ただ、読み違えを元にこちらに意見の変更まで求められるのはかなわない。
自分のあまり縁のない情報を教えてくれる人だったのに残念なことであった。いまならもう少しやりようがあったかな、と思ったりしている。
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おはようございます
私も自分のブログでそんな方を拝見したことがあります。その時私は某日蓮系信者団体の”学術的な”批評をしたのですが、その方は私の本当の意図をお分かりになっていないようで、どうでもいい部分を批評していました。まあ、宗教のフィルターが入っているでしょうから仕方がないのでしょうが(現にその方の別のブログを見たのですが、如何にもその宗教に”お若いのに”ハマっているらしく「信仰の凄さ」みたいなことをおっしゃっていました)
まあ、この方はその宗教にのめり込むことで精神の安定を得ているのでしょうから何も申し上げることはないのですが・・・。
では、
shinzei拝
投稿: shinzei | 2020年8月 9日 (日) 06時07分
shinzei様
自分の生き方を外部に委ねて生きるというのが私にはよく分かりません。
それで精神の安定が得られて楽になるのならご自由に、というだけです。
ただ、人に強要するのは迷惑です。
投稿: OKCHAN | 2020年8月 9日 (日) 06時51分