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2020年9月

2020年9月30日 (水)

困惑、そして不快

 しばらくぶりにe-onhkyで新しいハイレゾの曲を購入することにした。カーペンターズのロイヤルフィルハーモニックオーケストラとの共演のアルバム、これは192kHzの高音質だから少々お高いが、素晴らしい音である。そしてジャズの名曲集、こちらはさわりを集めたものだからとても安い。そしてアリス=沙羅・オットのピアノ曲のアルバムである。彼女によってもともと好きだったピアノ曲の魅力をより深く感じさせられて、さらに好きになった。サティの曲など、彼女を知らなければその素晴らしさを知ることはなかっただろう。

 

 それらを聞きながら今日は読書三昧の日にしようと、米澤穂信の『Iの悲劇』というミステリーを読み始めたところに電話がはいった。その電話によって私は困惑した。相手は感情的になりかかるところを危うく抑えて状況を私に伝えてくれている。その気持ちは痛いほど理解できたので、私は伝えられたある人の理不尽な、相手の気持ちを忖度することの出来ない身勝手な行動に不快を覚えたのである。電話の相手は、私が言いたいことを理解したのでしばらく話したあとにかなり冷静になった。

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 私はその人というか、その人たちに散々気持ちをかき乱された経験がある。そのことは電話してきた相手も知っているが、自分の思いをぶつけるのは私しかいないのである。いま私はそのような立場にいる。

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 電話を切ったあと、こころの波風の激しいざわめきはなかなかおさまらす、本はまったく読めなくなり、仕方がないから音楽だけをずっと聴いていた。詳しいことを書きたいところだが、差し障りもあって書けないので書かない。気持ちはどうしたら治まるだろう。今晩は飲み過ぎ注意の日である。
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幕末についての考察(1)

 近代日本を見直す、というテーマの読書の一環で、井上勝生『幕末・維新』(岩波新書)という本を読んでいる。並行して司馬遼太郎の本を読んだりしているので、少しずつしか読み進めていないのだが、それはこの本に書かれていることが、従来の幕末についての捉え方とは少し違うことが大きい。新しくイギリスやフランスの外交資料や、幕府の資料を読み解くことによって明らかになったことが記載されていて、とても興味深いのだ。

 

本文抜粋
「パークスらイギリス外交部は、日本の政争への不介入を本国外務省との間で確認し、日本にもそのことを繰り返し表明していた。このあと、慶喜との謁見によって、パークスは、幕府への信頼をますます確信する。慶喜は、イギリスへの警戒を緩めなかったが、外交の舞台ではイギリスとの関係を軽視しなかった」

 

「従来、フランスが幕府に近づいたといわれてきた。フランス本国外務省は、ベトナムの支配の方を重視しており、また、ヨーロッパ大陸で急速に大国化するプロシアとの対抗を強めており、イギリスと対立するロッシュ外交を決して支持しなかった」

 

「幕末後半期の日本の国際的環境を以上のように見ると、幕府と薩長、両陣営の対立が深刻化する中で、日本に最大の影響力を持つイギリス外交は、中立、不介入の路線を確定しており、それを明確に表明してもいた。イギリスの判断の基礎には、列強の勢力均衡という日本の地勢、日本の政治的統合の高さ、イギリス海軍の能力の限度、貿易のおおむね順調な発展、大名の攘夷運動の終息、西南雄藩の解明派の台頭などがあり、中立、不介入方針は確立されていた」

 

「日本に国際的な重大な軍事的危機が迫っていたわけではないのである。対外的危機からの脱却がなにを置いても必要だったという国際関係を前提に急進的な政治革新を必然的なものと描き出す見解が、従来有力なのだが、冷静に再考されるべきである。」

 

「日本に一般的な対外危機がなかったとはいえないが、列強、特に影響力の大きかったイギリスにしてすら、日本を植民地化するような侵略的可能性は、当時の政治的動向からいえば、じつは低いものであった」

 

 この危機が低いということを日本が認識していたかどうかについては意見が分かれるところだろうが、直接折衝した人たちはそれが分かっていた、と考えるのが自然な気がする。
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2020年9月29日 (火)

適量

 朝、テレビをつけっぱなしにして、みるともなく見ていたら、料理についての視聴者のコメントで「私は適量と言うのが分からないから、レシピに適量とあるとそのレシピは使わない」というのがあって最初あきれるとともに、そんなコメントをするというのはどういう人なのだろうと考えた。

 

 きっと正確に指示されないと料理が出来ない人なのだろう。臨機応変が出来ない人なのだろうなあ、などと想像する。家の中はきちんと片付いていて、他人の間違いなどに対して一言言わずには済まなかったりするのではないか、などと妄想が展開してしまう。だけどそういう人の料理というのは、食べる人のことよりレシピに忠実であることを優先するから、果たして美味しいかどうか、などと、食べる可能性がないのに心配してしまうのは考えすぎか。

 

 それに対して料理研究家の答えは、「適量、というのは、たいてい調味料についていうことであって、あなたのお好みの量で、ということです」とのことであった。それはそうだろうなあ、辛いものが好きな人は多めに香辛料を使うし、苦手な人は控えめに使うので、それはレシピで正確に指示するものではないから、適量ということになるのだろう。

 

 質問者は納得したのだろうか。自分で自分の、そして家族の適量を見つければいいことに気がついただろうか。

 

 料理には適宜というのもあるそうで、それは使うもよし、使わぬもよしの材料で、お好みで、という意味らしい。それもたぶんそういう人は許せないのだろうなあ。

 

 大体料理は目分量、適量、適宜あり合わせ、というのが私の料理で、自分が満足すればそれでいい。何しろ味に対しても人一倍許容範囲が広いから失敗することはほとんどない。高級料理店の料理はもちろん格別美味いと思うし、現役時代は営業職の役得で日本全国の美味いものをずいぶん食べてきたから多少は違いが分かるけれど、別にインスタントものでも美味しく食べられる。そういう自分に満足しているのだから私は幸せである。ただしその許容範囲すら逸脱したまずいものを食べさせられたときは(まれにないことはない)かなり内心に怒りを発することもある。

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仁義礼智信忠悌孝

 この言葉を覚えたのはこどものときである。どうしてこんな言葉を覚えたのかと言えば、こども向けに抄訳された滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』を読んだからである。伏姫を妻とした八房という犬の体から八つの玉が飛び散って、それが八人の出生に関わっていく。ちょうどその前にこども向けの『水滸伝』を読んだところだったので、それが下敷きになっていることはこどもの私にも分かった。共に興奮するほど面白い話だった。

 

 その飛び散った八つの玉に書かれていたのが、この仁義礼智信忠悌孝という文字だった。持ち主のキャラクターとこの文字の意味が相関している。

 

 先日読んだ山本夏彦の『「社交界」たいがい』に繰り返し書かれていたことは、孝というのは人間のもともと備わったものではなく、長い人間の歴史の中で教え伝えられたものである、ということだった。それを教えられなければたちまち雲散霧消してしまうのがこのような徳義である、という。現に孝などという観念はすでに失われてしまった。

 

 仁義礼智信忠悌孝というのはそれぞれ人間が長い歴史の中で洗練させていった徳義で、教えられなければ簡単に失われる。毛沢東はそのような徳義を否定することを文化大革命の目的として、それはほぼ成功した。いままた習近平は毛沢東を模範として、さらにそれを完璧にしようともくろんでいるように見える。

 

 日教組とマスコミは挙げて道徳教育を否定した。彼らは毛沢東を模範として久しい。私が中学生、高校生のときに朝日新聞の文化大革命についての報じ方に違和感を感じたのは、『里見八犬伝』で教えられたこの八つの徳義についての思い入れがあったからだといまなら分かる。それに大好きだった明治生まれの祖父母の影響も大きい。

 

 長い歴史で培われた徳義は簡単に失われるが、その再生には大変な手間がかかる。この徳義が戦争への道であるかのように日教組やマスコミが嫌悪するのは異常なことだと私は思うが、そう思う方がおかしい、というのが世の風潮である。すでにほとんどの日本人は日教組の教育を受けて育った。

 

 そのような徳義を否定する教育を受けた人間が親になったとき、そのこどもにそれを教え伝えるはずがない。何かがおかしいと思いながら、なにがおかしいのか分からない人ばかりの世の中にとって、正義と自由と平等が徳義である。それでなにが悪いのか、といわんばかりであるが悪いのである。

 

 その結果がいまの世界だ、といえば分かる人には分かるはずなのだが。
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2020年9月28日 (月)

オリンピックというビジネス

 先日読んだ日高義樹の『米中時代の終焉』という本で印象に残った部分がいくつかあった。その一つがオリンピックについて。

 

「オリンピックが平和の祭典でもスポーツのお祭りでもなく、企業の宣伝のためのビジネスに過ぎないということは、世界中の人々が強く感じているところである。ところが日本の場合は、これまでのオリンピックの大成功のイメージが強く残っているうえ、電通などが作り上げたイメージ、すなわちオリンピックと日本の繁栄とイメージが強く、オリンピックに対する期待が強い」

 

「オリンピックがこれまで経済の開発に大きな役割を果たしてきたことは紛れもない事実である。1964年の日本のオリンピックは日本経済を大きく飛躍させる基礎になった。2008年にはリーマンショック後の世界的な不況のなかで中国経済を大きく伸ばすのに役立った」

 

「2020年の東京オリンピックは、政府と電通が推進、協力し、賄賂を使ってまで招致しようと努力し実現に成功したわけだが、いまや世界的に見ると、オリンピックはそれほど人気があるイベントではなくなっている」

 

「オリンピックというビジネスは倒産してしまっている」

 

 この日高義樹の断言は果たして真実なのかどうか。

 

 少なくとも私にとってすでにスポーツに対する熱い関心は失われていて、オリンピックについてもリアルタイムで観るよりも結果を見るだけに終わるだろうという気がしている。そしてオリンピックにかかる経費がエスカレートしていくのを見ながらますますオリンピックに対する興味が冷えていった。そのうえに捕らぬ狸の皮算用で、経済効果が何兆円ねとか言われても、眉につばつけて聞くばかりである。

 

 コロナ禍によるオリンピックの開催不安は、だから私にとって人ごとであり、熱心に開催のために努力されている人々や、開催を心待ちにしている人々、もちろん選手たちにとって、私は慮外者なのであろう。そうしてそのような慮外者が増えていくほどオリンピックはますます衰退していくのではないか。一度打ち切って原点に戻る必要があると思うがそれは不可能なのだろうなあ。
 
 そうしてこんなことを書いたことでずいぶん反感を買うのだろうなあ。
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江藤淳『幼年時代』(文藝春秋)

 未読の本が山積みになって順番を待っているのに、つい本棚を探してしまう。なにを探すのかというと、「私を読んで!」と声をかけてくる本である。そうして手に取ったのがこの本だった。江藤淳が1999年7月に自裁して、その年の12月に出版されたこの本をすぐに購入して読んだ。文字通りの絶筆であり、未完である。

 

 単行本のこの本の三分の一が題名の本文、三分の一が福田和也、吉本隆明、石原慎太郎による追悼文、残りの三分の一が年譜である。前回は慌ただしく読んだためにきちんと読んだとは言えず、しかも本文は出だしだけで終わっているような感があり、彼が幼少期に死んだ実母と、前年末に死んだ妻の死とについての肝心の彼の思いがほとんど語り出される前のところで絶筆になっているので、なんとも受けとめようがなかったことを思い出す。

 

 彼の実母に対する思いは『成熟と喪失』という本に詳細に語られている。また彼の係累については『一族再会』に詳しい。私にはまるで自分自身のことのようにそれらが印象に残っている。

 

 彼の妻への愛が、ある意味で夭折した母親への憧憬に重なっていたことを彼自身が実感したのは、妻を病気で失ってからのことに違いない。かけがえのないものを失ったことの喪失感がいかばかりであったのか。それは当人でなければ解らないながら、自死したことの中に思いの深さを想像するばかりである。

 

 本人の文章にも追悼文にも記されていることだが、脳腫瘍の婦人の看病につきっきりで、心身の疲労は限界であった。争議その他を済ませたあと、彼は排尿困難の苦痛で入院し、生死の境をさまよう。病名は前立腺炎。吉本隆明も晩年その前立腺炎に長く苦しめられており、その苦痛と不快感を追悼文の中で詳しく述べている。私もその前立腺炎を持病にしてしまって、いま泌尿器科に通院しているので、よくよくそれには共感できるのである。

 

 江藤淳夫人慶子1998年死去64歳、江藤淳1999年死去66歳。あまりにも早いではないか。

 

江藤淳の遺書

 心身の不自由は進み、病苦は堪え難し。去る六月十日、脳梗塞の発作に逢いし以来の江藤淳は形骸に過ぎず。自ら処決して形骸を断ずる所以なり。乞う、諸君よ、これを諒とせられよ。

平成十一年七月二十一日

                                  江藤淳

                                
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2020年9月27日 (日)

地震

 午後一時過ぎの地震には驚いた。久しぶりの震度3だが、次第に大きくなりながら十秒あまり揺れ、マンションの五階だから震度3よりも少し大きく感じられた。niftyの天気情報をこまめに見る。週間天気を見ると地震や台風についての情報を見ることが出来て、近頃地震かずいぶん少なくなっていて、かえって大きな地震の来る前触れではないか、などと内心思っていた矢先なので、それが起こったかと驚いたのである。今回は、なにほどのこともなくおさまったのはさいわいである。さいわいであるが、遠からず大きな地震が来るだろう、という不安の方はおさまることはない。

 

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 千葉の、もともとの実家のある千葉県はこちらよりもはるかに地震が多く、震度3などは当たり前のように頻繁に起きている。あの東日本大震災のときには、私は用事で九十九里に近い妻の実家にいた。たぶん震度5くらいの揺れであっただろうと思うが、二階にいて、棚のものがバラバラと落ちた。階下に下りようと思っても立ち上がるのもままならない状態だった。千葉県は十年に一度以上の頻度で震度5以上の地震がある所なのだ。

 

 まことに身勝手で恥ずかしいことだが、本音を言えば、大きな地震が来るのが必然であるのなら、なるべく自分の住処とは離れたところで起きることを願ってしまう。自分の不幸より他人の不幸の方が耐えられるのは哀しい真実である。だから他人の不幸に同情することが出来るのだともいえる。同情は自分自身が不幸でないことの安心の裏返しのようなところがあって、後ろめたい気がするのはそういうことかと考えたりする。自分ながら嫌なことを考える。
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日高義樹『米中時代の終焉』(PHP新書)

 米中の確執、そしてコロナ禍によって世界はどうなっていくのか。もとNFKのワシントン支局特派員、ニューヨーク支局長、ワシントン支局長を務めたあと、現在はハドソン研究所の首席研究員をしている著者が、豊富な人脈と情報をもとに分析している。

 

 興味深いのは、著者の視点がアメリカにあることだ。アメリカが現状をどう考えているのか、今後どうしようとしているのか、そこからなにが起こるのか、日本はどうなるのか、どうしなければならないかを考えているのである。それは日本にいて考えるものとは似ているけれどよくよく考えるとずいぶん違うものであり、冷酷な世界の状況がよりリアルに分かる。

 

 アメリカの衰退は止めようがなく、アジアから少しずつ手を引くのは必然で、日本は今のまま平和ボケしていたのでは、とても厳しい状況に立つことになる。それに対する提言は、いまの日本人が受け入れがたいものかも知れない。普通に考えれば著者は当たり前のことを提言しているのだけれど・・・。

 

 戦後日本の平和が日米安保条約のおかげであることは、まともな知能の持ち主なら分かることだが、その安保条約が次第に空文化してしまうだろう、という予測は、日本がこれからどうしなければならないかの答えにつながるはずである。

 

 中国は野望をむき出しにし始めた。国内に矛盾を抱えて問題が山積するほど拡張主義へ走るという行動は、恐ろしいことにアメリカ以外には止めようがないのであるが、そのアメリカが衰退するということは、世界が、特に極東がどうなるかということに直結してくる。中国はアメリカの衰退をじっとうかがっている。そしてさらなる段階への膨張へのチャンスをうかがっている。ますますきな臭いことになった。
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2020年9月26日 (土)

フロントガラス

 先週の東北旅行の初日に東北道を走行中、フロントガラスに石が撥ねたらしく、左側面の下部から右に30センチほどの亀裂がはいった。日を追うごとに少しずつ亀裂は右手の方へ伸びた。車のディーラーに問い合わせたら、このまま旅行を続けても大丈夫でしょう、との確認をとったので旅行を続けたことはすでにこのブログに書いた。

 

 保険がきくとのことで保険会社に連絡した。車両保険に入っているので、全額保険がきくという。ただし、事故扱いになるので等級がちょっと下がるのが痛い。ディーラーに保険会社から連絡をしてもらい、ディーラーの担当者から確認の電話がはいった。なにを手配しなければならないか、車を見たいので一度来て欲しい、というので一昨日ディーラーに行く。フロントガラスにはETCのアンテナ、オートワイパーのためのセンサーその他がいろいろつけられていて、その品番の確認が必要であり、その手配が済んでフロントガラスの交換ということになるらしい。

 

 来週月曜日にはそろう予定なので交換に行く。フロントガラスの亀裂はほとんど真ん中辺りまで伸びている。
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紅衛兵の末裔

 毛沢東の扇動によって、中国で文化大革命の嵐が吹き荒れたのは私が高校生のときである。文化大革命は毛沢東の死によって終わりを告げた。文化大革命は中国のあらゆる世代にわたったが、その大きな特徴の一つに紅衛兵の存在がある。毛沢東語録を振りかざした小学生、中学生によるさまざまな活動は先鋭化し、多くの犠牲者を生むことになった。

 

 なにをいまさら言っているのかというと、いまの習近平以下の中国共産党の面々のある世代は、まさに紅衛兵の末裔なのではないか、といまさらのように私には感じられているからだ。彼らの正義は、仁義礼智信忠悌孝の全てを否定するものだったと私は考えている。あらゆる人の情を排して思想に殉じることを正義としたのだ。

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 中国の拝金主義は古代からの政治システムから民族に染みついてしまったもので、善悪を超えているところがある。しかし毛沢東思想はそのこととは少し違うような気がする。彼ら(習近平たち)は彼らなりに自らの行動論理があるのだろう。そしてそれが紅衛兵の末裔としての思想であるのなら、どれほど恐ろしいか、文化大革命をずっと興味を持ってみてきた私としては、それが過去の話ではなく現在に続いているらしいことに愕然としているところだ。

 

 このことは少し継続的に考えてみようと思っている。
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2020年9月25日 (金)

迷惑、そして違法行為

 迷惑をかけるつもりがないのに迷惑をかけてしまうことがある。迷惑をかけられるのは嫌なものである。かけられた方は忘れないし、恨まれることもある。なるべく迷惑をかけないよう心がけるのは、他人のためである以上に自分のためだと思っている。

 

 プラスチックゴミが捨てられて環境汚染が深刻になっている。しかし、普通の人はプラスチックゴミをそれ用のゴミ箱以外に捨てたりしない。ペットボトルをポイ捨てしたりするのはごく一部の人である。ひとりの人がときにポイ捨てしたり、ときにきちんとゴミ箱に捨てたりしているわけではないのであって、捨てる人はいつも捨てているし、捨てない人は決して捨てない。

 

 そのごく一部の人のおかげでレジ袋が規制され、有料にされ、プラスチック製品そのものが本質的な悪であるかのごとくに論じられたりする。そうして社会的なコストが増大してしまう。きちんと処理するのなら、プラスチック製品は有用なものである。こういうことがあるから、中国のように徹底的な管理社会にして、その一部の人間が違法な行為をしたらマイナス点をつけていくようなシステムが必要に見えてしまう。中国人が、なにも違法行為をしなければ管理社会でも何の問題もないと割り切るのも分からないことはない。

 

 だれでもプライバシーが侵されたくないと思う。だからといって個人情報がいまほど厳格に秘匿されるようになったのはつい最近のことのように思う。昔はいろいろな名簿にさまざまな情報が記載されて普通に閲覧できていたし、それで社会的な問題が起きたという話も聞いたことがない。全くなかったかどうかは別にして普通の人にとって個人情報にそんなに神経を使う必要はなかった。

 

 いま金切り声を上げて個人情報の開示を拒否する人が多くなっているけれど、そもそも個人情報を悪用するごく一部の人間がいるからこのような事態になったのであり、開示を求めた人に普通は悪意はない。ただその管理が不十分だと、悪用される機会を提供していることになることがあるのが問題なのである。

 

 昔は情報は個別的限定的に扱われていたけれど、いまは一元管理で膨大な情報が簡単に手に入ってしまう。悪い人間というのは悪知恵に長けていて、凡人には思いつかないような悪用を思いつく。

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 ここで私が念を押しておきたいのは、個人情報を秘匿することが正義ではなくて、悪用する人間からの防衛の問題なのだということだ。だから情報開示に対して神経質になりすぎるのはいささか見苦しいように思う。

 

 旅行に出れば宿帳に住所年齢電話番号職業の記載を求められる。断るわけにも行くまい。先日ある宿では、GoToトラベルの本人確認のためと称して免許証のコピーまでとられた。なんとなく不愉快だと思う自分がいて、そう思う理由は悪いやつがいるからなのだなあ、と感じた次第である。
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山本夏彦『「社交界」たいがい』(文藝春秋)

 私がさまざまなことに対してどう考えるか、その基準はこどもの頃から読んできたさまざまな本によるところが大きい。どんな人間も、全てがオリジナル、などということはないはずである。私にとってそのうちのかなり大きな影響を受けた人がこの本の著者である山本夏彦で、彼の文章は、彼が著書の中で書いているように、読んで一読その主意のわかる人と、まったく理解できないか嫌悪を感じてしまう人に分かれていて、自分がそのうちの分かる方の側であることをありがたいと思っている。

 

 私がブログで書いていることがどれほど山本夏彦の影響を受けているか、この本を読めば分かってしまう。なんだ、受け売りか、といわれてしまうかも知れない。

 

 引用したい部分が山のようにあって、引用し始めたらこの本の大半を引用したくなるほどである。私はだから山本夏彦の亜流である。真似である。真似はあくまで真似ながら、それなりに繰り返し読んで、ほとんど自分自身の考えになっている。ただし、山本夏彦そのものの奥深さ、該博な知識、素養、厭世観、奥底にある人間にたいする深い絶望感は、とても私の及ぶところではない。

 

 たぶんこの本を読む人はあまりないと思うから、私のネタ本であることのどの程度であるかはあまり知られないで済むだろう。山本夏彦の本は三十冊以上持っていてほとんどの本を三読四読五読している。すでに自分自身である。

 

と、ここまで昨晩書いたものを今朝読み返したら、これではこの本を読んだ人しか意味の通じないものになっているようであることに気がついた。久しぶりにおさらいのようになじみの文章を読んで、ついひとりよがりしてしまったけれど、いまさら書き直す気にならず、このまま掲載するのでご容赦ください。
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2020年9月24日 (木)

壊れかけ

 体重計が体重を測定したりしなかったりし始めた。測定しない体重計は体重計ではない。電源は自動的に切れるようになっていて、切れてしばらくおいておくとちゃんと体重が量れる。買ってたぶん二十年くらい経っている。五年くらい電池を交換していない。寿命だろうか、電池が弱っているのか。電池をエネループに替えてみたら、とりあえず問題なく量れるが、体重の値が定まるのにしばらくかかり、肥満度の数値計算がなかなか終わらない。やはりそろそろ替え時かも知れない。

 

 大分前からそろそろ寿命かと思えていたブルーレイレコーダーが、ときどきではあるが本格的に作動したりしなくなったりするようになった。だましだまし使い続けていたが、こちらもそろそろご臨終の気配である。こちらは安いものではないので明日買うというわけにも行かず、さりとて私にとっては必需品でもあるので悩んでいる。時間をおいたら解決することでもないから、買うしかないのだが・・・。

 

 エコノミー症候群によるらしい足のむくみは、ひどかった左足のむくみだけがなかなか完全に引かない。こちらは交換不能なので、メンテナンスを心がけるしかない。脚を壁にかけて少しは下に下りてこないか試したり、長風呂で汗をかいて水抜きしてみたりしているが、わずかしか効果がない。わずかの積み重ねで元に戻すしかないようだ。
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移動の自由

 九州の車椅子を使っている身障者たちが、「移動の自由の侵害で憲法違反である」としてJR九州を訴えたというニュースをみてびっくりした。採算の合わない駅を無人化することで不便になるからだそうだ。

 

 私が驚いたのは、こんな訴えを取り上げた弁護士たちのあまりの愚かさに対してである。もしかしたら訴えさせたのもそれらの弁護士たちであり、たぶん売名が目的であろう。弱者の立場に立てば何でも正義というところが弁護士にはあって、しかもそれが大いに賛同されたりする。

 

 JR九州は事前に必要ならばそのような無人駅に要員を派遣して乗降の補助を行うとしているらしいことも報じられている。

 

 いままでよりも不便になるから移動の自由の侵害であり、それは憲法違反であるという主張なのだが、憲法に移動の自由が明記されているのだろうか。調べる気にもならない。不便になることと移動の自由を妨げることとは意味がまるで違う。そんなことを言えば、不採算の路線を廃線にしたらそこの住民にとって不便である。それなら移動の自由を制限されたからと言って憲法違反で訴えたりすることが通用するのだろうか。

 

 これでは何でもかんでも不便になれば、自由の制限で憲法違反になってしまう。しかも面倒ではあるものの対応手段はあるのである。まるで牢屋に監禁して移動の自由を奪ったかのような訴えは愚かな行為でしかない。身障者だから何でも注文がつけられる、などと言うのはこれこそ差別そのもの、差別助長そのものではないのか。

 

 下手をすると、自分が健常者でないことそのことこそが憲法違反だ、と訴えているように見えてしまうではないか。
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2020年9月23日 (水)

目の前に大内宿

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大内宿で買ったのれんを、遊び部屋兼寝室に吊り下げた。パソコンは二十年以上使っていて、いまも囲碁ソフトや大戦略ゲームを楽しむことの出来る、現役のWindowsXPパソコン。もちろんセキュリティを考えてネットからは切り離してある。右にチラリと見えるのは五箇山で買った合掌造りの絵ののれん。この部屋はどん姫の部屋だったので、机はどん姫の使っていたもの。引き出しには彼女のものがまだ残っている。

目を上げるとそこに大内宿がある。

台所の排気ダクトから油がしみ出してきた。ずいぶん長い間クリーニングしていない。パネルなどを外してキッチンマジックリンで汚れを洗い出した。これは優れもので、ネトネトになってこびりついた油汚れをどんどん浮き上がらせ溶かしだしてくれる。二三度つけ置き洗いしてほぼきれいになった。

こういうのは苦手で、つい先送りにしているから、結果的に大掃除になってしまう。フードカバーフィルターも新しく付け替えて、さっぱりした。

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活き活きして見える

 菅首相に代わってから、自民党の議員たちが活き活きしているように見える。あくまで私の印象だから、根拠はない。長期政権による閉塞感が終わり、変化の時代が始まるということが期待されていることで活き活きしているのかと思う。そういう意味で長期政権は安定という長所と共に、沈滞という短所も併せ持っていたのだろう。

 

 菅首相が具体的な仕事を明示して各大臣に指示し、それを官僚に実行させる流れが動き出したようだ。菅氏はその辺の行動に怠惰な人間を許さないタイプらしいから、官僚もおちおちしてはいられない。官僚も同様に活き活きしてくれれば何よりである。良いリーダーとはチームの各員が活き活きと自分の役割を果たすように導くリーダーのことである。案外菅氏はそのようなリーダーなのかも知れない。

 

 なにも仕事が始まらないうちから批判をするような人間もいる。どんな人間も立場が変わればまずその言動を見て、その結果を以て批判するならわかるが、なにもしないうちから過去を持ちだして批判だけする人間は、そもそも活き活きとした仕事が出来ない人間かも知れない。当然リーダーの資質はない。あまり社会に有用な人間とはいいがたいと私は思う。

 

 もちろん菅政権は期待外れに終わるかも知れない。あとでそれ見たことか、と言いたいから今のうちに言っておく、というのなら、呪いの言葉を吐いているだけである。あまり科学的根拠もなしに火山噴火や地震を予言する輩とあまり違わない。たまたま当たったとしても畏れ入る必要はない。

 

 新生立憲民主党は政権奪還を目指すそうだが、そのために与党を打倒する必要があり、いままでのモリカケ問題や桜を見る会の問題を引き続き主要な武器として政権批判を続けるつもりのようだ。かたや具体的な仕事を始めようとしている政権と、古い話をいつまでも続ける野党と、どちらが国民から好意的に見られるか、明らかなことに見えるのだが。

 

 それほど批判するなら衆議院解散で国民の信を問うべし、と野党から言うのが筋だと思うのだが、それは困るらしい。さすがに勝てそうもないことがわかっているのだろう。勝てそうだから解散すべし、などと盛り上がる自民党の一部議員たちとほとんど同じ心性ではないか。選挙はゲームの一面があるが、コロナ禍の最中の今はそれをする時期ではないと私は思うけれどなあ。
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2020年9月22日 (火)

大内宿

イザベラ・バードの『日本奥地紀行』(東洋文庫)に大内宿のことが触れられている。

「この地方はまことに美しかった。日を経るごとに景色は良くなり、見晴らしは広々となった。山頂まで森林に覆われた尖った山々が遠くまで連なって見えた。山王峠の頂上から眺めると、連山は夕日の金色の霞につつまれて光り輝き、この世のものとも思えぬ美しさであった。私は大内村の農家に泊まった。この家は蚕部屋と郵便局、運送所と大名の宿所を一緒にした屋敷であった。村は山にかこまれた美しい谷間の中にあった。」

以前来たときに、美濃屋という店にイザベラ・バードが止まった家の別邸だったなどと書かれた看板を見た記憶があるが、今回は見当たらなかった。なぜ外したのかわからない。この文章からすると、本陣に泊まったらしく思われる。

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本陣だった邸宅。いまは歴史資料館になっている。

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囲炉裏に薪がくべられている。こういういろり端でゆっくり時間を過ごすのも好いのだけれど。

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けむりの煤とタールでドロドロになっている。これでは触る気にならない。

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天井隅の明かり取り。屋根の構造がわかる。

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こういう道具類を見るのが好きだ。民俗資料館のようなものがあるのに気がつけば、たいてい立ち寄るようにしている。

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連休初日ということもあり、大内宿も人出が多かった。

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この上の神社まで登る。階段は急なので、ここでは見えないけれど、左手の緩やかな坂道を登った。

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上へ登ったのは、この景色が撮りたかったから。人出が多いことがよくわかる。

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いくつかの店をひやかし、私は大内宿ののれんを買った。いま寝室兼遊び部屋にかかっている。

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ここの名物は一本ネギで食べる蕎麦。ここでは食べずに山王峠を越えて日光側の蕎麦街道の小さな蕎麦屋で普通の蕎麦を食べた。大変美味しくボリュームもあって大満足だった。

そのあとひたすら坂を下り続け、今市から日光街道、東北道、外環、東関道を通って弟の家に無事到着した。

これで今回の小旅行の報告はおしまい。

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マスク

旅もあっという間に最終日。猪苗代湖湖畔の宿を出発時には小雨が降っていた。猪苗代をもう一度見たあと、北側を回り込むようにして会津若松方向へ向かう。鶴ヶ城を車の中から眺め、飯盛山を遠望する。

そこから最後の立ち寄り地、大内宿に向かう。

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駐車場から大内宿に入る道の脇にはコスモスがたくさん咲いていた。足下の地面を見ればわかるように、直前まで雨だったが、車を停める少し前に雨は止んだ。

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大内宿の端っこに到着。ここでマスクをつけ忘れていたことに気がつく。取りに戻るのも面倒だ。すぐ先の店で、どこかマスクを売っているところはないか訊いてみた。たくさんありますよ、といわれてよく見ると会津織の布マスクが何種類も置かれていた。一つ購入して装着する。

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あまりお見せしたくないわが姿。自分が見苦しいのは承知しているので、写真を撮られるのはあまり好きではないのだが、マスク装着の様子をお見せするために弟に撮ってもらった。

大内宿の詳しい写真は次回に。

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2020年9月21日 (月)

桧原湖・五色沼・猪苗代湖

田沢湖高原の宿から一気に南下して、福島県に至る。今晩は猪苗代湖畔の宿に泊まる。

猪苗代湖畔まで行かずに桧原湖に行く。

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雨が降ったりやんだりしている。桧原湖の一番北側が目的地。

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この会津米沢街道桧原歴史館が目的地。磐梯山の堰止め湖である桧原湖の歴史を見ることが出来る。

堰止め湖になったのは明治21年の大噴火である。江戸時代には桧原湖はなかったのだ。そしてさらにここへ来た目的はじつは・・・。

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以前、ここの山塩ラーメンが美味しいと、あるブロガーの方に教えていただいたことがあったのだ。

教えていただいたとおり、三人とも満足する、美味しいラーメンだった。立ち寄ることをお勧めする。けっこう人が多かったから、有名なのかも知れない。

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五色沼にちょっとだけ立ち寄る。ここはついこの間来たばかりだ。

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もう一度今度は猪苗代湖畔まで下り、野口英世記念館に立ち寄る。本物(ウソです)の野口英世が質問に答えてくれる。弟の前のボタンに質問が書かれていて、それを押すと身振り混じりで答えるのだが、弟は全てのボタンを押してうなずいていた。修学旅行生などのこどもたちがいると独占されてしまう場所だが、ちょうど途切れたときだった。

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渡米して以来14年も帰国しない野口英世に、母親が書いた切々たる手紙。手紙はなかなか判読が難しいが朗読が流れているので大体わかる。母親の気持ちが伝わる。このあと野口英世は一度だけ帰国する。

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猪苗代湖。雲が垂れ込めているのは同じだが、先日と違って風がないので湖面は静かである。この長浜のすぐ近くのホテルに泊まった。どういうわけか満室でもなさそうなのに湖面が見える側の部屋ではなかったのでガッカリ。

野口英世ゆかりの宿、などとフロントの脇に看板があったので訊いてみると、帰国したときに、地元の人たちとここで宴会をしたのだそうだ。ホテルになったのはその大分あとだそうだ。このホテルのことを書くと悪口になりそうなのでやめておく。何しろこのあたりには一つしかホテルがないからその名前がすぐわかってしまう。夕食は珍しいことに中華料理。

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むくんで濁る

 予定を早めて昨日は昼前に千葉を出発。東京方面への道は普段以上にスムーズに流れていて、渋谷の手前までは特に渋滞はなし。ただし反対方向、下りは大分混んでいるようだった。東京から出かける人たちであろう。大橋ジャンクションが混むのはいつものことなで、それを通過して車が流れ始めたときにはこれで大丈夫、と安心したのは早かった。用賀を過ぎた辺りから渋滞が始まる。

 

 あとは断続的に御殿場までのろのろ運転となる。御殿場で高速を降りる車が多いのは箱根や伊豆方面に行く人たちか。御殿場ジャンクションから新東名へ入ると車は多いものの順調に走る。ただしサービスエリアはどこも混雑、乃至満車の表示である。

 

 いつもより約一時間余分にかかったが、無事名古屋の自宅に到着した。荷物をざっと整理し、近くのスーパーへ買い出しに行く。出かける前に片付けてしまったので、インスタントもの以外は食べるものがほとんどないのだ。

 

 帰って洗濯をしながら風呂に入る。足がむくんでいる。膝から下が膨張し、足の甲も盛り上がっている。エコノミー症候群そのものだ。特に左足がひどい。体重が三キロくらい増えているのは水分だろうか。

 

 小水はいつも以上にひどく濁っている。疲れが泌尿器系に現れているのだろう。水分をせっせと摂る。酒はやめておこうと頭で思っているのに、買ってきた缶ビールのプルタブを無意識のうちに開けていた。うまい!

 

 だめだこりゃ。

 

 今朝は少し尿の濁りは薄れ、多少むくみは引いた。長引くとあまりよくないので心配だ。思ったより疲れたのかも知れない。ひとり旅のときは連泊するのだけれど、弟夫婦の都合で今回は三泊四日で予定を立てた。だから少し強行軍になってしまった。

 

 ブログは田沢湖まで書いたけれど、そのあとは先日行ったばかりの裏磐梯と猪苗代へ行く。雨には降られなかったけれど、山に雲の覆い被さる天気だった。
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2020年9月20日 (日)

青の湖・田沢湖

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これが田沢湖ブルー。何度見ても神秘的で素晴らしい。

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御座石神社の鳥居は湖水に面している。いまにも降り出しそうな空。

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田沢湖。

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御座石神社にあるたつこ像。龍に化身したとあるが、蛇身に見える。

このあと田沢湖を一周する。

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こちらの、有名な方のたつこ像は蛇身ではない。

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キンキラキンな像だが、アップしてその表情を見ると、なんとなくもの哀しさを感じさせる。

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宿の田沢湖高原のホテルに向かう途中の黒森展望台から田沢湖を見下ろす。

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展望台横の白樺林。美しい。

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残照が湖面にかすかな光を投げる。

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とりあえず清算して

 小雨が降る中、一昨日泊まった猪苗代湖畔の宿を出発し、会津若松の鶴ヶ城を車中から眺めたあと、秋山郷へ向かう。弟夫婦と三人でじっくりと秋山郷を散策する。さいわい雨は止んでいる。人出がとても多い。ここの報告はあとでする予定。

 

 秋山郷から会津西街道を南下。深い緑のなかを走るのは気持ちがいい。芦ノ牧温泉、川治温泉、鬼怒川温泉を横目に見ながら日光市街にいたり、今市インターから日光道、東北道を経由して夕方無事弟の家に帰着。

 

 旅の経費の負担についてはおおまかに打ち合わせしてあったが、それをもとに弟夫婦が計算してくれて、清算を済ませた。ビールで喉を潤し、秋田で買った地酒を弟と二人で味わう。義妹にはくたびれているのに酒のつまみを作る面倒をかけて申し訳ないことである。

 

 今日午前中ゆっくりしてから名古屋へ帰る。それにしても連休初日の昨日の人出、車の多さは驚くほどであった。自分もその一員であるけれど・・・大丈夫か?

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2020年9月19日 (土)

角館武家屋敷・青柳家

武家屋敷には全て人がいまも暮らしている。その中でいくつか見学できる邸宅があり、その一つで私のお気に入りの青柳家へ入る。

展示品や庭で目についたものをいくつか写真で紹介する。

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台所用品がならんでいる。左手はへっつい。

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武器庫には鉄砲などをはじめ、さまざまな武具がたくさん展示されている。

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刀。これが展示されている倉の外に、刃型の槍や刀の実物を触ることが出来て、重さも実感できる。中学生くらいのこどもたちが触っていた。

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大きな石灯籠。

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手洗い場。

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幕末の写真がたくさん展示されているところもある。これは徳川慶喜。ナポレオンを気取っているのだろうか。

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日用品を展示してあるところをのぞき込む弟夫婦。

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数千枚ある皿のうちのごく一部の大皿のみを展示しているそうだ。

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熊の毛皮だろうか。大きい。

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時計や音響装置の展示。これらは寄贈された展示品も含まれている。

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出口近く。雨のあとの緑が美しい。

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見学を終えて稲庭うどんを食べた。大変美味しかった。このあと田沢湖へ向かう。

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角館に立ち寄る

田沢湖へ行く前に、角館の武家屋敷に立ち寄る。

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定番の構図。テレビで観たとおりだ、などと道幅が広いことなどに弟夫婦は感心する。ここはいつ来ても気持ちの好いところだ。日本の美しさ、文化の深み、歴史の厚み、懐の深さを感じるからだ。こういうところが残っていることは日本人の好いところであり、誇りとしていいところであるだろう。

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これは武家屋敷ではないが、わら屋根の具合がしっとりして美しく見えたので。

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弟夫婦は仲良く写真を撮りあっている。娘にそれをLINEで送るのだそうだ。

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側溝を流れる水は多くないけれど澄んでいる。左の黒板塀は武家屋敷の一つ、青柳家のもの。ここはなかが拝観できるので、中へ入る。

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青柳家内の庭園。ここはとても見所が多い。次回はその一部を紹介する。

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2020年9月18日 (金)

宮沢賢治のふるさと

花巻は宮沢賢治、新渡戸稲造のふるさとであり、高村光太郎が戦後、山荘に籠もったところである。

弟夫婦と宮沢賢治の記念館と童話村を訪ねた。私は先日訪ねたばかりなので、案内だけ。弟夫婦は熱心に記念館や童話館の展示品を眺め、童話館の、パノラマになった『注文の多い料理店』や『セロ弾きのゴーシュ』などを丁寧に眺めていた。特に弟の嫁さんは興味を持ったようだ。彼女はずっと幼稚園の先生をしていたから童話には詳しい。

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童話村入り口辺り。イーハトブの森、ビオトープがあるが時間も押していたので今回はパス。

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左手奥が童話館。大人もこどもも宮沢賢治の世界に誘われ、楽しめる。この庭園周辺は夏の間、夜間ライトアップされているそうだ。童話村は童話館以外にもたくさん観る場所がある。

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童話村内での私のお気に入りのところ。この鐘は見た目以上に大きな音で響く。

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童話館に展示されている有名人の色紙。養老孟司、夢枕獏、高畑勲などの名前がある。

このあと高村光太郎記念館へ向かった。四時過ぎに着いて山荘と記念館を観ようとしたら、売店のおばさんに四時半で閉めるから時間的にこれから廻るのは無理だと言って断られた。これでは四時に閉めるのと同じではないか、と思ったがくたびれてもいるので、あきらめて宿に向かう。宿はここから近い。

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アクシデント

 アクシデントといっても事故を起こしたわけではない。弟の運転で高速を走行中に、ピシッと言う鋭い音がした。私は助手席にいたのだが、私の目の前、フロントガラスの左下の部分に、横に二十センチ以上の亀裂が走っている。小石が当たったのだろう。

 

 一日経った昨日みたら、その亀裂が三十センチあまりに伸びている。どんどん伸びてついには割れてしまうのではないかと心配になり、田沢湖のほとりのパーキングからディーラーに電話を入れた。

 

 フロントガラスは合わせガラスになっているので、ひびが入っても割れてしまうことはまずないとのこと。ゆっくり旅行を楽しんで大丈夫です、というから安心した。フロントガラスの交換は高いらしい。たぶん保険がきくはずだから、保険会社に連絡して、保険会社からディーラーに連絡してくれれば好いですよ、とのことであった。

 

 弟夫婦と三人でとりあえずほっとした。

 

 昨晩は田沢湖高原の温泉ホテルに泊まった。このままさらに山を登れば乳頭温泉だが、その少し下、スキー場の近くで、目の前に秋田駒ヶ岳の雄姿がそびえ立つ、景色のいいところだ。部屋はなんと最上階の特別室。十八畳敷きの部屋に、さらに広いリビング、四人がゆっくり座れるソファーが対面で置かれている。さらに六畳ほどの別室があり、トイレは二つもある。家族二組がゆったり泊まれるくらい広い。

 

 こんな広いところへ泊まったのは生まれて初めてだ。広すぎて尻の据わりが悪い気がする。われながら貧乏性だなあと思う。寝るときにはエアコンを三カ所消して、ライトもあちこちのを消して廻った。そんな部屋に独りで寝た。弟たちもレイアウトは違うが、同じような広い部屋だという。たぶん客が少ないからやけくそでこんな部屋をあてがってくれたのだろう。

 

 食事も上等、仲居さんも美人で、地元なまりの料理の説明もとても感じがよろしい。つい弟夫婦と話が盛り上がって地酒を飲み過ぎてしまった。いろんなことがある。
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2020年9月17日 (木)

毛越寺(もうつうじ)

奥州藤原氏の栄華を偲ぶものとして、中尊寺が有名だが、毛越寺にもその名残を感じることが出来る。

わたしはこの毛越寺の庭園が好きである。変に技巧的ではなくてのびのびしているように思う。

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駐車場から毛越寺の山門までの道には萩の花がたくさんある。幟には萩祭り、とあるが、盛りのときにはもっともっと一斉に咲いて見応えがある。

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入り口。

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手前はアヤメ、向こうが毛越寺の池。ここはむかし大河ドラマの源義経のときにタイトルバックに使われていた。この池に天に翔る白馬のイメージが被さっていたように記憶する。

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池の周辺には昔の塔頭の跡が残っている。たいそうな伽藍がならんでいたはずなのだ。藤原氏は四代目にして源頼朝に滅ぼされてしまった。私のお気に入りの地蔵菩薩の石像。顔がいかにも優しい気がする。

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すでにここは秋の気配が色濃く立ちこめはじめているような・・・。

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ここにも明白に秋が来ている。

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向こうに開山堂を眺めてお決まりの構図で一枚。

弟夫婦はまことに仲良く戯れながら写真を撮りあっていた。

このあと弟の調べた無量光院跡を見に行く。

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こんなポールが立っていた。

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私の記憶によれば、ここに宇治の平等院鳳凰堂のような建物が建っていたはずである。ここは藤原氏三代目の藤原秀衡が立てたもので、秀衡は落ち延びてきた義経をかばった父親代わりの人である。大昔の大河ドラマの『源義経』のときは尾上菊之助が義経、静御前が藤純子、そして藤原秀衡を滝沢修が演じていた。

このあと花巻に向かう。

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中尊寺

長駆して岩手県平泉の中尊寺を訪ねる。

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月見坂を登る。昔はなんということのなかったこの坂が、歳とともに次第に急になっていく。前を行くのはよその人。

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坂の途中、横手にある弁慶堂へ向かう弟夫婦。

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弁慶堂の彫り物。

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弁慶堂の中をのぞき込む。衣川で立ち往生した弁慶と、義経。天井の絵が見事である。あとで観たら撮影禁止であった。済まぬことである。ちょっと確信犯か。

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修学旅行生が何組か来ていた。たぶん県外ではなく、県内の生徒たちではないか、と義妹はいっていた。「修学旅行も遠方へ行くのが楽しみなのにね」と元先生だった義妹が、こどもの気持ちを説明する。

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本堂、そしてハイライトの金堂を観たあとに芭蕉翁にご挨拶。「五月雨を ふり残してや ひかり堂」

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鎮護神社にある能楽堂を案内する。私のお気に入りの場所。

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茅の輪の向こうでお祈りする義妹。今回はあちこちで持参した御朱印帳に書きこんでもらってご満悦であった。

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十月後半になればここは紅葉が素晴らしいのだ、といって二人をうらやましがらせる。

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西行歌碑。西行は青森辺りまで旅をしている。芭蕉の『奥の細道』は、その西行を慕っての、みちのく行であった。展望台で北上川を見晴らす景色を見ながら爽やかな風にあたり、疲れを癒やしたあと、わんこそばを食べに行った。けっこうでした。

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2020年9月16日 (水)

宿にWiFiがないので

本日の行程
 五時半前に千葉を出発。新しくできた高谷(こうや)インターから外環を走り、三郷から川口まで一時間もかからずに至る。福島辺りまでは空模様はどんよりとして、いまにも降りそうな気配だったが、気配だけ。

 

 千葉から最初の目的地の奥州平泉まで、ナビによれば約500キロ、それがちゃんと休憩を入れたのに11時前に平泉の中尊寺に到着していた。途中で運転を交代した弟がけっこう気持ちよく飛ばしていたから、心づもりよりちょっと早い。

 

 月見坂の急坂を弟夫婦と三人でえっちらおっちら登る。修学旅行生の集団がけっこう何組も来ていた。中尊寺は何度も来ているので私にはなじみの場所で、見所を一つずつ案内する。秋の紅葉のときがどれほど素晴らしいかを力説した。いっても詮無いことだが、来たかったらまた来ればいいのである。

 

 そのあと昼時間になっていたので、わんこそばを食べる。もちろんあの本格的なものではないが、小さな椀に盛られた一口分くらいの蕎麦を一人12枚で一人前、けっこうみなそれで多過ぎもせず満足した。

 

 そのあと毛越寺の池を一周、ここでもうんちくを語り、見所を案内する。そのあとおまけとして、藤原氏の三代目、秀衡の庭園跡である無量光院跡を訪ねる。ここも毛越寺同様立派な建物と庭園があったことをうかがわせる場所であった。池の跡だけがあることの無常観を感じる。

 

 それで平泉を切り上げ(本当は高館跡も観たかったが)て花巻に向かう。宮沢賢治記念館と童話村へ行く。弟夫婦は思ったよりも熱心に見学していたので、無理していけば行かれないことはなかったはずの遠野まで、足を伸ばすことはかなわなかった。

 

 そうしていまは花巻の台温泉に到着して湯を浴びたところだ。これから晩飯を楽しむことにする。思ったより居心地の良さそうな宿でよかった。ただ、WiFiがないので今日はスマホのテザリングでつないでいる。

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覚え書き

 幕末、攘夷が先鋭化し、過激化した原因はさまざまあろうけれど、孝明天皇の、世界情勢についての情報を聞こうとしない、理解しようとしない頑迷さがあって、一要因というより最大の要因だったのかも知れない。のし上がろうとした下級公家たちや長州の志士たちがそれに乗じて、さらに過激化が進み、ついにテロリズムに走るようになった。孝明天皇は長州の志士たちにそそのかされたのではなく、煽ったらしい。結果的に薩摩はそれに同調できず、蛤御門の変が起こり、長州は京都を追われ、七卿落ちという事態となる。

 

 孝明天皇は急死するが、それは暗殺されたという説もあって、状況からそれは否定しきれないようだ。孝明天皇の頑迷さが幕府を追い詰めてしまい、井伊直弼という怪物を産み、テロリズムの横行があり、そして新撰組がその対応集団として存在感を増していった。孝明天皇がバイプレイヤーばかりではなかった、という視点から見ると、歴史は少し違って見える。案外幕府はそれなりによくやっていたのではないか。

 

 五・一五事件、二・二六事件などの若い帝国軍人たちのテロリズム指向は、幕末に淵源がありはしないか。攘夷は終わっていなかったのかも知れない。
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2020年9月15日 (火)

明日は早い

 明日は平泉と、花巻と、出来れば遠野に行きたい。花巻の温泉泊まりである。そのためには朝早く出発しなければならない。弟は「五時に出よう!」という。出られるかなあ。

 

 本日午後、無事千葉に到着。東名高速の集中メンテナンスで、一部渋滞があったが、織り込み済みである。いささかくたびれたが、これから弟と酒盛り。今回はたいした内容のあるブログにならなくて申し訳ない。

 

 これから数日いただいたコメントやポチッとにお返しするのが遅れると思うけれど、ご容赦いただきたい。旅優先、弟夫婦との付き合い優先で行くつもりである。
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大事なこと

 筆の職人を目指す女弟子に、師匠がいう。
「訊かれれば教えるし、それですぐどうしたら良いか分かると思う。けれど、訊く前に自分で考えることが大事なのだ」。たぶん訊いて覚えたことは忘れる。考えて、工夫して覚えたことは身について忘れないということなのだろう。

 

「大事なことは、なにを考えればいいかを考えることだ」

 

 これは覚えておこう。普段さまざまなことに出逢ったり、見たり聞いたりしたことから、ぼんやりとそのことについて考える。しばらくすれば朝の霞のようにそれは雲散霧消する。四六時中考えてそれを突き詰めていては日常に差し支える。なにを考えればいいのか、そのことをもう少し意識する必要があるのだろう。そういう考えをは一つ次元の高い考えというらしい。

 

 さまざまに考えたことを関連させていく。そうすると不思議なことに、さらに関連しているものに次々に出逢う。バラバラにしか見えなかった世界が関係していることに気がついたりする。いまごろそんなことに気がついているのも遅すぎる気がするが、気がつかないより好いではないか、と自分を慰める。けっこう生きているのは面白い。

 今日はこれから千葉へ走る。晩は弟と酒盛りだ。ただし、明日は早めに岩手県まで走ろうと思うので、ほどほどにしなければならないけれど、楽しみだなあ。弟に偉そうに考えたことを話していると、さらに新しいことに気がついたりする。考えをブログに書いたり誰かに話すことも大事なことなのだと思う。
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2020年9月14日 (月)

伝わらない

「どうしたんですか」と受付の看護師さんが訊いている。
おばあさんになりかけの小柄なおばさんは
「トイレに何度も行くんです」
「日に何回くらい行くのですか」
「日によって違う」
「夜中に何度も起きたりするんですか」
「夜はたいてい大丈夫」
看護師さんは首をかしげて、
「何度も行くのは大ですか、小ですか」
恥ずかしそうに
「大です」
「下痢しているのですか」
「いえ、下痢ではありません」

 

 病院で血液検査待ちのときに聞こえてきたもので、そのあとが聞けなかったのは残念だ。これだけではいったいどうして病院に来たのかがわからない。看護師さんにもまだわからないだろうし、医師にどう伝えて良いのかも困るだろう。

 

 おばさんはたぶん何かがおかしいと思ってわざわざ病院に来ているのだろうけれど、診察してもらうためにはその具合の悪さ、不安の理由を伝えなければならない。病院ではしばしばこういうやりとりを見聞きする。看護師さんも大変だけれど、その後ろで受付を待つ人も大変だ。

 

 本日の検診結果は血糖値がいつも程度にしか基準値をオーバーしていなかったので、おおむね良好。美人の女医さんが眉をひそめることはなかった。よかった。病院の待合室も、薬局もいつもよりすいていたからスムーズに終了。今日の風は秋の風で、爽やかに感じた。おかげで病院への往復も汗みずくになることもなく、昼少し前に帰宅。朝は検査のために絶食したので、昼は少し余分に食卓に並べ、甘いものもデザートに添えてたいへん満足した。

 

 明日はまた千葉の弟のところへ行く。今度は弟夫婦を連れて東北へ小旅行である。まったく我ながら極楽とんぼだなあ。天気が心配だが、なんとかなるだろう。楽しみだなあ。さあ、支度をしなければ。
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雑感

 枝野氏と泉氏の党首選での印象が、枝野氏は学生運動のリーダーのアジ演説のように見えて、泉氏の方がまともに聞こえた。理由を考えてみると、枝野氏の掲げる党の目標が「政権奪還」であり、そのためには現与党である自民党政権を打倒する、ということに終始していたように聞こえたからである。誰か政治評論家のコメンテーターが同じような論評をして、「政権奪還した後のことについてなにも語らずに、奪還が目標というのはいかがなものか」と語っていて意を強くした。泉氏は国民民主党以来の「是々非々論」を掲げ、「反対や追及ばかりする党ではいけない」と明言していたのが当たり前と言えばあり前のことを言っていて、まともに聞こえた。投票した人たちはそれらを聞いて、ちゃんと考えて投票したのだろうか。

 

 BSフジのプライムニュースを毎日録画して、翌朝観ている。ときに早回ししたりCMを飛ばすためだ。そのMCの反町氏が八月の終わり頃から不在なので心配だ。代わりの松山氏もそこそこなのだが、反町氏の巧まざるユーモアと突っ込みの鋭さには及ばない。番組で体調不良らしいことが言及されていたが、今週あたりから復帰してくるのだろうか。

 

 テレビで論争らしきものをしばしば目にするが、その論拠とするのに個別の事例が取り上げられることが多い。しかし、どこそこの誰それがこんなふうに困っている、などというのを一般的なものとして語られると鼻白む。その誰それのために法律を変えたり状況を変える、というのは乱暴に思える。世の中には不遇な人がいるし、どんなに素晴らしい意見でも反対する人もいて、全員が幸せであることなどあり得ないし、全員が納得することもあり得ないことなのに、そういうものを主張や反論の根拠にされると腹が立つ。

 

 同じ状況でも幸せだと思う人と不幸せだと思う人がいるのがこの世の中だ。幸福だと思うか、平和だと思うか、安心だと思うか、の境目は曖昧で、截然と区切れない。石破さんに感じる違和感は、論理が明快でその境界を截然とさせることが出来ると信じている人のように見えることだろう。その違和感を感じる人は彼をあまり好まず、明快であることに好感を持つ人は彼を評価しているようだ。

 

 本日は糖尿病の定期検診日で朝から病院に行く。いつもは一週間くらい前から休酒し、ウエイトコントロールして備える(なにに備えるというのか)のだが、今回は休酒もウエイトコントロールもしていない。普段通りの生活のままで検査結果がどう出るのか、ときには確認しなければならないだろう、などと言い訳して、節制をサボったのだ。大丈夫かなあ。悪い数値だと、美人の女医さんがちょっと困った、哀しそうな顔をしそうだ。私は美人に弱いからそんな顔をされると堪える。すぐ忘れるけど。
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2020年9月13日 (日)

『鴎外にだけは気をつけよ』

 谷沢永一の蔵書量と読書量とその記憶力、博覧強記は常人の遠く及ぶところではない。晩年のその右翼的文章に辟易した人も多かろうと思うが、それをもって谷沢永一そのものをおとしめるというのは間違っている。好き嫌いを言うなら別だが、私はその巨大な山であることに呆然として、ただ、なるほど、と拝読するばかりであった。

 

 その谷沢永一の精髄を集めた二巻選集が言視舎という出版社から出ている。二段組で字がびっしり。一冊が二冊分も三冊分もあるけれど、そもそもの文章が凝縮を極めたもの(『紙つぶて』の凝縮を見よ!)だから、私には一冊で十冊分に感じられて、よだれが出る。上巻は文学論の精選で、巻頭が『近代文学の存立条件』という論文。これがマルクス主義と文学に関するものらしいけれど、思想的な言葉があふれていて、読めないことはないけれど、どうしてこんな文章を読まなければならないのだ、と途中で投げ出した。どうも最初に難解な障害物を置いてこんなものさえ乗り越えられないような輩はこの本を読むな、という編者の意図があるらしい。

 

 それなら私は壁を横からすり抜けて次へいくだけである。乗り越えるのが面倒くさければそれでいいではないか。次が『近代文学論争譜』、面白そうではないか。パラパラとめくれば、森鴎外がかみついたことで発した文学論争が詳細に博捜されている。その第一、が今回取り上げた『鴎外にだけは気をつけよ』という文章だ。

 

 もちろん谷沢永一といえども同時代に鴎外を承知しているわけではないから、この言葉は内田魯庵のもので、その内田魯庵も鴎外の文学論争について論じたのは大正時代以降である。内田魯庵も博捜を極めていて、それを一つ一つ確認検証しての谷沢永一の文章なのである。どれほどの本や新聞や雑誌を読んだことやら気の遠くなるほどの作業であったろう。

 

 読み終えたばかりの、宮本輝の『灯台からの響き』の、読書家の主人公の愛読書の一つが森鴎外の『渋江抽斎』であることは書いた。何度も読み返した、とあるが、当然宮本輝も読んでいるに違いない。私もじつは手をつけたが、半分ほどで読みかけである。その登場人物の多さとそれに関する記述の膨大さに音を上げてしばし休憩して、そのまま休憩中である。この本を読めば、森鴎外がどういう人だったか、どういう作家だったかわかる。粘着質で徹底している。調べ始めたらとことん調べ倒していくのだ。史伝小説というもののすごみを感じさせるのである。

 

 その森鴎外の逆鱗に触れたらどうなるのか。そのすさまじさが読めるのが『近代文学論争譜』で、まず最初が哀れにもターゲットにされた二人の人物との論争か詳細に記されているのが『鴎外には気をつけろ』という文章だ。

 

 その一人である山本忍月は山本健吉(文学評論家)の父で、明治の文芸評論家の草分けと言っていいような存在である。森鴎外よりも少し年下だが、鴎外がドイツ留学している間に文壇で健筆を振るい、帰国後の鴎外には目障りな存在として映ったようだ。鴎外にとことん噛みつかれた。最初は反論していたがその知識の量は鴎外が勝るし、粘着性、つまりしつこさではとても歯がたたなかった。忍月は白旗を揚げたが、それで許すような鴎外ではない。繰り返し片言隻句をとがめ立てして追及し続けた。

 

 論争の内容など全く念頭にない論争だったから、魯庵は『鴎外にだけは気をつけよ』と書いたのだ。標的にされたらおしまいである。ところが・・・この『近代文学論争譜』は、その鴎外が負かされてしまう話に展開していくらしいから続きを読むのが楽しみである。

 

 脚気の原因について、海軍はビタミン不足であるらしいことを受け入れ、対策したが、陸軍は軍医の鴎外森林太郎の意見でそれを受け入れず、ために日露戦争などで多くの病死者を出したことは有名である。それで鴎外を非難する人も多い。これは科学的本質とは別の森鴎外の意地による拒絶だった可能性が大きかったのかも知れない。細部にこだわると本質がどこかへ行ってしまう性格なのかも知れない。そういう人はいる。私は敬してよけてきたけれど、よけきれないこともあって・・・・。
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宮本輝『灯台からの響き』(集英社)

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 I miss you.という英語の言い回しを知って、それが頭に残った。あなたがいなくて寂しい、というほどの意味だ。そこから私はさらにその意識を演繹していく。あなたがいてくれて嬉しい、と思う気持ち、それはあなたの存在を言祝ぐことにほかならないのではないか。さらにそのあなたがかけがえのないものとして意識されるときこそ、あなたを愛している、ということになるのではないか。

 

 そうして私は、愛している、というのは相手が自分にとってかけがえのない人だ、ということかと思う。だから私にとって愛する人というのは、こどもたちであり、兄弟であり、友人たちのことである。だから、そのかけがえのない人を失うということの喪失感について、想像することが出来るつもりだ。

 

 この『灯台からの響き』という小説の主人公は二年前、妻をくも膜下出血で喪い、それ以来家業の中華蕎麦屋を休業して読書三昧の日々を送る62歳の男である。その彼が、開いた本の間から一通のはがきを見つける。彼の妻宛に送られたもので、そこには灯台らしきものが描かれた絵が添えられていた。このはがきには見覚えがある。まだ結婚して間のない頃のもので、差出人は大学生のようであった。「知らない人からのものだ」と妻は言い、わざわざ、あなたに心当たりはないから何かの間違いではないか、と書いた手紙を書いて、彼自身が代わりに投函した記憶がある。それがなぜこんなところに挟まれていたのか。

 

 それがきっかけで彼は灯台巡りを始める。もしかしたら絵に描かれた灯台がどの灯台かわかるかも知れない、という思いがあったことは確かだが、妻の残した謎について積極的に探求しようと言うほどの思いはなかった。

 

 灯台巡りをすることでのさまざまな出会いのなかで、人見知りで引っ込み思案で、常に結果を悲観的に捉えて引いてしまう自分自身が次第に変わっていく。彼の親友の突然の死、そこから新たな出来事が始まり、それらを経験するうちに、三人のこどもたちとの関係の見直しをしていく。さまざまの人にそれぞれの人生があることがあらためて理解されていく。知っていることと理解することは次元が違うものだ。それが解る、ということなのだろう。

 

 こうして彼は自分自身思いがけない積極的な行動へ転じていく。そこには新しい出会いがあり、そこから妻の残した謎かけの解明が一気に進んでいき、やがて知る妻の少女だった時代に起きた出来事の意味を知る。そして絵に描かれた灯台がどの灯台だったのかも明らかになる。その灯台を眺めながら深い感動が襲う。読んでいる私も感動する。その灯台は私にとっても思い出深い灯台であるからだ。その名前を明かして理由が書けない(この本を読む楽しみを奪ってしまうから)のは残念なのだが。

 

 思えば私も全国を走り回ってずいぶんたくさんの灯台を訪ねてきた。灯台があることを知れば、たいていそこまで見に行っているから、この本に出てくるたくさんの灯台も、ほとんど行ったことのあるところばかりだ。そうしてまた生きたくなった灯台も少なからずあって、旅心がうずいてしまう。この本を読んだおかげで同じ灯台が違って見えるかも知れない。

 

 ところでこの本の表紙カバーを剥がすと表紙にちょっとした遊びがあって、どうということないものながらとても微笑ましく感じた。今のところ新刊なので文庫本はないし、文庫本ではこの遊びは出来ないだろう。
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2020年9月12日 (土)

途中ですが

 高田みずえの歌が好きで、二枚組のCDのアルバムをカーナビのSDカードに読み込んでいるし、ハイレゾ化してネットオーディオで聴けるようにして、よく聴く。彼女のよいところは何より歌詞が明晰であることだ。歌詞が聞きやすければそのイメージも伝わりやすい。

 

 うろ覚えの歌だが、『秋冬』の一節が頭でリフレインしている。「あ~秋ですね」というフレーズで、それに「季節の変わり目を、あなたのこころで知るなんて」と続く。まだ名古屋は今日も最高気温が34℃とか言っていたからまだまだなのだが、なんとなく秋の気配を感じる。

 

 先日読んだ宮本輝の『星宿海への道』にとても感銘を受けたので、つい本屋で『灯台からの響き』という彼の最新刊を買ってしまって、いま読んでいる途中である。

 

 主人公の設定が、やや人見知りをする引っ込み思案の人間なので、物語の進行がゆったりしている。半分ほど読んだ時点までドラマチックな出来事があまりないから、淡々とした物語のように感じられる。

 

 プロの作家なら、読者を飽きさせないためにもう少し起伏を持たせるだろうが、それを敢えて押さえているのは、たぶん意図的だと思う。宮本輝ならいくらでも刺激的なエピソードを挿入できるはずなのだ。それを敢えて淡々とさせながら、進める仕掛けかと思う。

 

 主人公は高校を中退して父親の跡を継いだ中華蕎麦店(ラーメン屋といわれることを父譲りで嫌っている)の初老の店主で、二年前に妻を亡くして、それ以来店を再開できずにいる。その主人公が読書家で、しかも読んだ文章のお気に入りの部分を記憶していて暗唱できるという特技を持っている。

 

 森鴎外の『渋江抽斎』や島崎藤村の『夜明け前』が愛読書で、繰り返し読んでいるというから並みの読書家ではない。

 

 その彼をして

 

 だんだん物忘れが多くなってきたぞと思い、きのうの朝に買ったノートをテーブルに置いた。まだなにも書かれていない。
 今回の旅では、せめて一篇だけでも詩を書こうと思って買ったのだ。
 しかし自分には詩は書けないということを康平はよくわかっていた。
 これまでも、好きな詩人の詩を読んで、自分のなかから何か生まれてくるかもしれないと思い、詩を書こうと試みたが、一篇も生まれてはこなかったのだ。

 

なんていうところに妙に感銘を受けたり、

 

 平穏そうなのに、じつは危険が渦を巻いている場所もある。恐ろしそうなのに、いざそこに身を置けば、楽しみの多い場所もある。
 不幸だらけの人生でしたと嘆く人も、たくさんの幸福と巡り合ってきたはずだ。ただそれを幸福と感じなかっただけなのだ。
 康平はそう考えながら、灯台に別れを告げて、坂道へ戻って行った。
 いま自分が考えたようなことを、俺は何かの小説で読んだなと思った瞬間、康平はすぐにそれが『小公子』だと気がついた。アメリカの女性作家バーネットが書いた小説だ、と。

 

(中略)

 

 目を見張るほどの幸福になんか一度も出逢ったことがない、という人も、世界にはたくさんいる。
『小公子』を読んだのは二十七歳(妻が子供のときに愛読したと聞いて読んだのだ・引用者註)のときで、作者の言葉に反発してそう思ったが、、四十を過ぎた頃から、いや、この世には目をみはるほどの幸福が満ちていると納得するようになった。
 たとえば?と訊かれたら、説明に窮するほどに無数の幸福がある。
 寒い夜に風呂で温かい湯につかって、大きな欠伸をする瞬間。仕事を終えて、焼酎のぬるいお湯割りで気持ちよく酔いながら、妻と世間話をしている瞬間。迷い込んできた野良猫を飼おうかどうしようか妻と相談していると、探しに来た飼い主にしがみついて、こちらには一瞥もくれず、その猫が去って行った瞬間。
 そんなささやかなものが幸福だというのか。目をみはるほどの幸福とは、死の床から奇跡的に生還したとか、無一文から大富豪になったとか、何かの名誉ある賞や勲章を得たとか、つまりもっと劇的な幸福のことではないか。
 多くの人はそう言って笑うことであろう。
 そのような人たちは、おそらく、目をみはるほどの幸福には生涯出逢えないのだ。
 小さな鉢に植えた花の種が、きっともう枯れたのかもとあきらめかけていたら、鮮やかな緑色の芽を出した。これを幸福と言わずして、なにを幸福というのか。
 ぐれて、音信不通になっていた息子が、ある日、家の前に立っていて、ひとこと「ごめんね」と言って泣いた。これを幸福と言わずして、なにを幸福と言うのか。
 そのように考えれば、全ての人に目をみはるほどの幸福が準備されているではないか。

 

 ちょっと引用が長くなってしまったが、これは主人公の考えであり、当然著者の宮本輝の考えていることでもある。

 

 ところで、バーネットの『小公子』は私のこどもの頃の愛読書で、分厚いその本がほとんどバラバラになるほど繰り返し読んだ。思い出すと胸が熱くなる。
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釣りの夢

 前の晩にほとんど寝られなかったので、昨夕は七時過ぎからまぶたが重くなり、ちょっと横になったらたちまち眠ってしまった。早く寝すぎたので夜中に目が覚め、しばらく遊んでいたが、再び眠気が来たのですかさず寝た。久しぶりに八時間以上寝て、頭が軽くなったような気がする。

 

 目覚める前に釣りをしている夢を見た。防波堤からの小魚釣りや、浅瀬で小魚を網ですくったりして、とても楽しい気分だった。何人かの人と一緒だったのだが、だれだったのか分からない。

 

 息子が最近嫁さんの実家の呉の辺りの防波堤で、夫婦で釣りを楽しんでいるという。今度帰省したら一緒に釣りにいこう、などと言われたからそのことから釣りを連想したのだろう。

 

 そういえばずいぶん釣りにも行っていない。まだ暑いけれど、その暑さもようやく峠を越えて、朝晩少し涼しくなった。日中もしのぎやすいような本格的な秋になったら、以前よく行った、奥伊勢辺りの堤防釣りにでも出かけてみようか。
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2020年9月11日 (金)

呑み込む

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 中国はいったいなにを目指しているのだろうか。

 

 中国はむかしの大地主みたいなもので、小作人をたくさん抱えて裕福だったが没落し、小作人たちは次々に独立して一家を構えた。チベットやモンゴルや東トルキスタン(現ウイグル自治区)は中国が暴力で強引に引き留めたので独立し損ねてしまった。没落するとき中国をひどい目に遭わせた国々は、それらの独立し損ねた国々の人々がひどい目に遭っていても見て見ぬふりをした。それをいいことに中国は民族浄化を強行している。

 

 いま中国は海洋進出を図り、南シナ海は全て自国の領海であると公言している。全ては内政問題であるから他の国は口出しするな、とうそぶいている。台湾、尖閣は彼らにとって内政問題である。現にそう言っているではないか。聞いていないのか。これはためにする中国非難ではない。現実に起きていることを見たら分かることだ。

 

 その延長線上から言えば、中国にとってすでに独立した小作人も、もともと我が家のものであるだろう。すなわち東南アジアの国々のことである。半島だって同じである。そうなれば沖縄など、もともと琉球国で、中国一家の版図である。内政問題でないはずがあろうか。

 

 海洋進出がどんどんエスカレートし、小さな島嶼国は次々に中国の金に支配されつつあるという。これも今に内政問題と化すだろう。

 

 習近平は没落から再び復活した成金一家の問題児か。金で友達を自分の手下に組み込むことに熱心なのは、小遣いが余って使い道に困ったどら息子のよくやる行動そのものだ。

 

 こうしてじわじわと中国は手当たり次第に自国に呑み込もうとしている。自国に呑み込んだものは他人にとやかく言われる筋合いはない。何しろ内政問題である。

 

 中国もどこかでやめるだろうと高をくくっていた世界は、ますますエスカレートする事態に、これはただ事ではないといまごろ気がついたかのようである。なに、そんなはずはないので、とっくに気がついていたけれど、成金の金を当てにして黙っていただけだ。

 

 アメリカはさすがに異を唱えて対抗策をとりだしたけれど、遅きに失したかも知れない。それにどこまで本気か分からないところもある。何しろ世界中が中国とズブズブの関係を持ってしまっている。中国を締め上げるためには、エネルギー源である金の流れを止めるしかないけれど、いまはじわじわと中国から手を引いていくしかないので、時間がかかるだろう。中国に深く関わってしまった日本の企業のトップは未だにその覚悟がないらしいのが情けない。企業の存続に関わるから仕方がないけれど、呑み込まれたらおしまいだ。

 

 中国は世界を呑み込もうとしている。まさか、の事態が明々白々に進行しつつある。中国14億人の国民はどう思っているか。彼らは呑み込む側であることに満足し、喝采を送るだろう。
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非才を嘆く

 ものを考えたり感じたりするためには基礎になる知識が必要で、なにもないところから何かを感じたり考えたりすることは出来ない。調べて分かることは記憶する必要がない、などとうそぶいていても、それはしばしば怠惰であるために、記憶にとどめる努力を怠っているからだけだったりする。

 

 いま、スマホが手放せなくなっている。スマホで何でも調べられるから、頭が外部にあるかのようである。先日の小旅行にスマホを持参することを忘れたためにずいぶん不安な思いをした。それは他人からの連絡手段を失っていることへの不安ばかりではないかも知れない。

 

 詩を楽しむためには詩を暗唱できるに如くはない。詩をそらんじるほどであれば、世界は一層輝きを増し、細部がクリアに見えてくるのではないかと思うのだが、私はほとんど詩を記憶することが出来ない。詩が好きな人はたくさんの詩を記憶していて、ことあるごとにそれを想起してイメージを膨らませているようだ。

 

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 私は非才にして詩をほとんど記憶できないので、当然想起することも少なく、自分の世界のイメージは貧困だと自らを哀しむ。決して記憶力が人並み以下というわけでもないし、詩が嫌いでもないが、詩をひとりでに記憶できるほど愛してはいないということかも知れない。

 

 わずかに記憶している詩を手がかりに、詩の本を読むことがないではない。好きな中国の随筆や紀行文を読むために漢詩の本などを何冊か持っていて、なんとかイメージを捉えようと努力はしているつもりだ。島崎藤村、萩原朔太郎、中原中也などの本も本棚の片隅にあって、ときどき「私を読め」と声をかけられたりもする。森本哲郎に感化されて、分からないなりに蕪村の俳句についてイメージしようと、もがいてもみたりもした。

 

 むかし、森繁久弥が次々に詩を暗唱しているのを見た。数千の詩を記憶している、と語っていた。特別な能力の人なのだと承知していても、それが強いコンプレックスとして私のこころに刻まれている。そうしてそのように頭の一部に詩を納めている人は、けっこうそこら中にいるのである。哀しまずにいられようか。世界がきっと違って見えているのだろうなあ。言葉とイメージがぴったりと張り付いているのだろうなあ。うらやましい限りである。
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2020年9月10日 (木)

内風呂と銭湯

 結婚したとき、父は友人たちと三人で小さな会社を経営していて、羽振りがよかったらしい。しかし戦後のそんなあぶくのような会社は世の中の激変で潰れてしまった。母によれば、会社が傾きだしたときに、一人が会社の金を持ち逃げして万事休したらしい。父は語学が得意だったから、進駐軍の非常勤などで食いつないでいたが、母方の祖父のつてで教師になることにした。

 

 父は横浜の語学学校で、基礎から勉強した。その間、収入がないから母は得意なそろばんを生かして千葉の競輪場に勤めたそうで、もしそれが知れたら明治生まれの祖父から激怒されるところだったと笑っていた。昔は計算機などないから、配当などはそろばんで計算していたのだ。ようやく父は教師の資格を取り、田舎の中学の教師になることが出来た。私がまだ小学校に上がる前のことで、昭和20年代終わりから30年代初めの頃のことである。

 

 新たに住んだのは、赴任した中学に近い田舎の借家で、神社の側の庭の広い平屋だった。便所は家の中にあったが、風呂は広い庭の井戸の側の小屋だった。水道がなかったのだろうか、側のつるべ井戸から水を汲んで、外から薪をくべて焚く風呂だった。脱衣場もなかった気がするのは、母が裸でその風呂まで走って行った姿が鮮明に記憶に残っているからだ。弟が出来たのはその時代だ。

 

 そのあと、父の勤め先は変わらなかったが、街中に引っ越した。引っ越した家には、家の中に風呂があった。家の中といっても台所と一緒の空間である。カーテンもなにもないから丸見えだが、それが当たり前で、私など炊事をする母に向かって、その日学校であったことをしゃべりかけながら風呂に入ったものだ。木の風呂桶で、焚き口もその近くにある。父は風呂を焚くのが趣味で、いつも幸せそうに焚き口の前に座っていた。今となれば煙突掃除なども懐かしい。父は薪割りも趣味で、私も小学校の高学年くらいから、まさかりで薪を割るのを手伝った。

 

 近所で内風呂の家は少なかった時代である。銭湯もすぐ近くにあったので、ときどき家族で入りに行った。あの銭湯特有の人肌の匂いがなんとも言えないほど強く記憶に残っている。低学年の時代までは母と一緒に女風呂に入った。大きな風呂にいろいろな人と一緒にはいるのがとても楽しかった。いまの温泉好きも、たぶんその思い出が強く残るからだろうと思う。

 

 なんとなく昔のことを思い出したので、ちょっと書いてみた。弟や妹はそんな時代を知らないと思う。
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宮本輝『星宿海への道』

 しばらく長編小説を読んでいなかった。いつか読もうと積んだままになっていたこの本を読み始めたら、たちまち引き込まれた。

 

 養子として引き取られて、血のつながらない兄が、観光旅行先のウイグル自治区の最西部、カシュガルの先で消息を絶つ。その兄の生い立ちの断片を弟は知っているが、それは家族の間では決して口にしてはならないものだった。

 

 兄の失踪の謎を追ううちに、「星宿海」という黄河の源流にあるという場所がキーワードとして浮かぶ。しかし兄の失踪した場所と、青海省にあるという星宿海は二千キロも離れていて、星宿海へ行くためにそんな西域で失踪するというのは説明がつかない。

 

 少しずつ兄についての意外な情報が明らかになっていく。そして兄が付き合っていて、その子を身ごもっていたという女性と出会うことになり、兄がなにをこころのなかに抱えて生き続けていたのか、弟にも推察が出来るようになっていく。その女性は父親の不在の女の子を産み、毅然と生きていく。その女性と兄とを結ぶある人物の存在が、弟の子供時代の記憶をよみがえらせていく。星宿海とは何か。その女性と共に、失踪した兄にとっての星宿海を目の当たりにすることになる。深い感動が訪れる。

 

 哀しいわけではないのにしばしば胸が熱くなって涙ぐんでしまう。宮本輝の小説を読むとしばしばそうなる。そうして人間というのはけなげだなあ、などと思う。その涙は自分の心の汚濁を洗い流す。人が生きるというのはときに並大抵ではない困難に立ち向かうことでもあることを知らされる。

 

 推理小説のような展開のなかに、ある男の、そしてそれにまつわるさまざまな人の人生というドラマを堪能できる。宮本輝を読んだことがない人は是非この本を手にして欲しい。好きな人ならなおさらだ。宮本輝節に酔わされるはずだ。幻冬舎文庫で読める。
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2020年9月 9日 (水)

猪苗代湖一周

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裏磐梯から山を下りて猪苗代湖畔の北岸に出た。強い風で波が立っている。

左回りで一周してみることにした。

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磐梯山の山頂は雲のなかである。

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北西から湖岸を走る道は狭い道になる。湖岸のキャンプ地に行く車しか通らない道だろうと思われる。すれ違うのは困難。ずいぶん走って西側の岸辺の砂浜に出て一息ついた。

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この方向は吾妻山の方角と思うが、私は方向感覚が鈍いし山もよく知らないのでよく分からない。

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ここから先は山道の狭路で、最近狭い道を走るのも度胸がついて平気になった私でさえ来なければよかったというような道だった。お勧めしない。

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ようやく一回りしかけた頃には一天にわかにかき曇り・・・フロントガラスに雨粒が。

まだ早いが、今夜の宿へ向かった。また下りてきた山道を引き返す。宿は猪苗代の高原にある。

この宿のことはすでにちょっとだけ書いた。翌朝も雨、磐越道に乗って会津、そして新潟、富山、そして東海北陸道で一路帰路を急いだ。私としては短い旅だったが、久しぶりにドライブを堪能した。

実は来週も弟夫婦と東北へ行く。今度は平泉や花巻、田沢湖、などをめぐってくるつもりだ。

一度出かけると癖になるし、GoToトラベルは宿代が大幅に安くなるので大変ありがたいのだ。

寝そびれる

 最近は早めに床につく。九時前に寝室で横になるのだが、そのままスムーズに寝られると翌朝も快調に迎えられて、生活にリズムが生ずる。しかし、しばしば寝そびれる。

 

 昨晩は寝付けなくて、久しぶりに宮本輝の本などを読んでいたが、集中できなくなったので打ち切り、枕元のスタンドを消して闇を見つめていた。とりとめのないことを考えながら寝床で輾転反側、次第にイライラしてきた。今度は中国についての特集が集められた雑誌を読み始めた。中国の問題点をさまざまに取り上げた本で、書いてあることはその通り、と思うものが多いが、そうやって中国を非難しても中国はなんとも思わないだろうし、ただの呪いをつぶやいているだけのように感じられる。

 

 中国は自分自身の毒で自分自身が損なわれるだろうと予想はつくものの、それがそれほどすぐに顕著になることは期待できない気がする。世界にばらまいている金がどこかで底をついたとき、だれも中国の味方などいなかったことを思い知る日が来るだろうが、中国の財布の底は想像以上に深いだろう。

 

 いまの中国の状況に、戦前、ブロック経済で締め付けられた日本の姿を見るのは幻影だろうか。追い詰められて日本は暴発した。中国は暴発するだろうか。

 

 それよりも監視社会が極端に徹底され、いつどんな理由で拘束されるか分からないという恐ろしい国になってしまったことが残念である。中国を自由に旅して、裏道の市井の写真を撮ったりしてもなにも咎められなかった時代がもう当分のあいだ来ないだろうことが残念なのだ。中国は存在するけれど、訪問する対象ではない国になってしまった。

 

 豊かになるということの意味などを考えた。今回の新型コロナウイルス禍は、それを立ち止まって考える機会だと思う。

 

 さまざまなものがより安く簡単に手に入ることが豊かな社会だと思っていた。しかしときにはそのものの値打ちに見合うだけの価格で買うという選択が必要であることに気がつく必要があるのではないか。ブログを拝見していても、米作りの苦労が大変なものであるのが分かるが、そんな苦労をしてもそれに見合う収入は得られないようだ。それはより安く手に入るもの、競争相手があるからだが、米の値段が高いとばかり言う前に、安心安全で美味しいお米はそれなりの対価を払うという発想の転換が必要ではないか。

 

 グローバリズムというものが、常に安さの競争を伴って展開したことで生じた富が、中国という国の膨張強大化を生み出してしまったことにようやく世界は気がつき始めた。それにどう対処するのか。必要なものだけを買い、その代わり対価は国産としてのコストに見合うものとして承知をする、ということしかないような気がする。自国で作れるものはコストが高くてもなるべく国産化する、ということを進めることはそのまま地方再生にもつながるのではないだろうか。

 

 日本人にとって安心安全はそこにこそあって、それはコストがかかることをわれわれは引き受けなければならない。それを覚悟しなければならないが、そのことを国民の多くが理解するのは難しいだろうなあ、とも思う。

 

 現役時代は営業として繊維産業関係の得意先を回ることが多かった。日本の繊維産業が、それを支える産地がどのように衰退していったのか、目の当たりにしてきた。多くは中国とのコスト競争に負けたためである。せめて産業の存続のために二割か三割だけでも生き残れば、などと思ったが、壊滅した産地が累々としている。今回、米沢を歩いてそのことを改めて痛感した。街のどこを歩いても聞こえていた織機の音が全くなくなっていたのだ。それをまた再構築することが迂遠であるけれど絶対に必要なことだと思うけれど、それは夢だろうか。農業についても同様だろう。

 

 そんなふうに次から次に考えていたら、夜が明けていた。いまになって無性に眠い。
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2020年9月 8日 (火)

毘沙門沼(五色沼の一つ)

標高約1400メートルの白布峠から一気に桧原湖畔まで下る。急坂だ。この桧原湖はとても大きいのだが、磐梯山の噴火によって出来た堰止め湖だ。そしてその先にある五色沼もその噴火で出来た。その噴火による被害の話は湖北部にある会津米沢街道桧原歴史館に行くと見ることが出来る。今回は北上せずに南下する。

桧原湖の写真を撮りたくても停めるところがあまりない。だから桧原湖の湖畔の写真は今回なし。

今日のメインは猪苗代湖なのだが、通り道にある五色沼の一つ、毘沙門沼に立ち寄った。いつもは毘沙門沼のすぐ脇の五色パラダイスの駐車場に停めるのだが、今回は裏磐梯ビジターセンター前に停めて、林を抜けていく。

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こんな道を歩いて行くと風が吹き抜けて気持ちがいい。

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毘沙門沼へ到着。晴れて空が青いので、沼の色もきれいだ。

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騒がしい声がするのでよく見ると、ボートに乗った若者たちが向こう側にいてはしゃいでいる。風が強いなかで立ち上がろうとするものもいる。馬鹿者が・・・沼に落ちたらどうするのだ。

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沼の色は見る位置や角度で違う。ここら辺は神秘的な青さだ。

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ほとんど同じ方向、同じ構図でも、立ち位置を変えただけで色が違う。

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ここへ来て磐梯山がちゃんと見えたことはほとんどない。ほんの瞬間だけ木の間から山頂部が覗いた。

このあと猪苗代湖までさらに南下する。

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視界不良

 昨日のこと。朝まで雨が降り続いたようだが、しばらくして小止みになり、空が明るくなった。午後から泌尿器科の定期検診がある日なので、早めに行って眼科の検診も頼もうと思っていた。最近右目の視界が少しかすむように感じられているからだ。めがねが少し曇っている感じとでも言おうか。ピントは合っている。白内障だろうか。

 

 ところが朝食を摂っていたら風が再び強くなり、驟雨となった。これでは傘も差せない。早めに出かける気がしなくなった。まるでいま台風が通過しているかのようである。

 

 さいわい断続的に降っていた雨も昼頃に止んだ。今回はマスクを忘れなかった(前回忘れた)が、保険証と一緒に呈示しなければならない高齢者の受給者証(白い紙のカード・これで医療費が二割になる)を忘れた。全く嫌になる。来週糖尿病の定期検診があるのでそのときに出すことで了解をもらう。

 

 検尿を済ませて泌尿器科の検診を待つ間に眼科の検診依頼に行く。今日が無理なら別の日でも・・・と思っていたら、泌尿器科の診察が済んだら受診できるように手配してくれるという。泌尿器科の炎症は完治しているわけではないが、今のところ支障は生じていない。濁りが残っているのでいつまた発熱、排尿困難が生じないとも限らないので、異常があったらすぐ受診するように、と言われる。言われるまでもない。そういうときはかなりつらいのだ。

 

 眼科でいろいろな検査を受ける。視力が低下している。年齢によるもので、酷使している眼が劣化しているらしい。精密検査をするために瞳孔を開く麻酔点眼薬を垂らされる。しばらくしたら視界が白く濁ってきて、明かりがギラギラまぶしい。

 

 最終的な診断は、心配するような病的異常は見つからなかったそうだ。軽い白内障で、まだ手術を勧めるほどではないとのこと。それが光の加減で曇って見えていると思われる、という。糖尿病なので毎年受けていた眼科の検査を、二年も受けずにいたことを指摘され、必ず年に一度は受けるように注意された。目の酷使は視力低下を加速させるので適度に休めるように、とアドバイスを受ける。病的な眼の異常はなかったので安心した。

 

 帰り道、風がまた強くなって黒い雲がわいてきた。急ぎ足で帰り着くと雨が降り出した。滑り込みセーフであった。麻酔薬による眼の白いかすみは寝るまで治まらず視界不良のまま。本も読みにくいしテレビも観にくい。する事がないから喜多郎の「敦煌」や「糸綢の道」を聞きながら早めに寝た。

 

 朝には眼は元に戻っていた。
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2020年9月 7日 (月)

白布峠

山形県の米沢から南下して白布峠を越えると福島県に至る。急カーブ急傾斜の難所で、馬力のない車だとつらい。いまはスカイバレーと通称するが、昔はバレーラインと言った。英語が母国語の外国人に失笑されて慌てて名前を変えた。バレーラインは谷間の線、つまり女性のあそこの隠語だからだ。

学生時代、夜この峠を歩いて越えようと思い立った。二時間ほど、山道をたぶん六キロあまり歩いて急坂坂を登っていたら、うしろで、ハッ、ハッ、という息づかいが聞こえた。ほとんど真っ暗な道である。立ち止まって振り返ったら野犬がついてきていた(まさか狼ではあるまい)。気色が悪いなあ、と思いながら歩き続けたら、なんとその息づかいが増えていくではないか。私は臆病者だから、たぶん白布温泉までの半分ぐらいのところで怖じ気ついてしまい、峠越えを断念して引き上げた。野犬たちは「なんだあきらめるのか、せっかく見送ってやろうと思ったのに」というように立ち止まり、下りにはついてこなかった。恥ずかしい思い出である。

その急坂をわが愛車はすいすいと登る。白布温泉の西屋、東屋を過ぎた辺りから坂は狭く急になり、両側の木々が覆い被さってくる。途中の白布大滝に立ち寄るつもりで車を止めたのだが、滝への階段が急で滑りやすく、普通ならこの程度は平気なのに、足の踏ん張りがきかず、何かにつかまりながらてないと降りられない。かなりくだらなければならないらしいのであきらめた。滝の轟音が聞こえるのにあきらめたのは初めてである。しかしこんなところでよろけたら取り返しがつかない。足腰の老化を実感した。哀しい。

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代わりに道路脇からすぐ見える不動滝に立ち寄る。

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ようやく開けたところに出た。白布峠の少し手前の展望台のまえである。空は快晴だがすさまじく強い風が吹いている。

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その風にススキがなびいているのだが、写真が下手だから風の強さが分からない。この写真を撮っているときに、後ろから風が吹き付けてあやうく崖へ押し出されそうになった。

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はるか先には、かすかに桧原湖らしきものが見える。白布峠はもう少し先。

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白布峠の展望台にて。雲が信じられないほど早く吹き流されていく。白布峠は標高約1400メートル。これを一気に上り、一旗に下りる。

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ここは紅葉の時期に絶景となる。一度紅葉真っ盛りのときに両親を連れてきた。二人ともことあるごとにあの紅葉が一生で見たなかで一番素晴らしかった、といっていた。私もそう思う。

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強風の中で踏ん張っているこういう一本立ちの木を見るのが好きだ。

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桧原湖がはっきり見えるようになった。

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少しアップしてみる。これから一気に湖畔まで下るのだ。

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おまけ。こんなに赤いススキもあるのだ。

 

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米沢・上杉公園(2)

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堀がめぐっているが、もともと城郭はなかった。

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正面が上杉神社。木陰から写真を撮っているが、木陰を出れば青空で直射日光が射し、非常に暑い。

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この公園の私のお気に入りの場所、上杉謙信公祠堂跡。

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上杉景勝が米沢に移封されたとき、謙信公の亡骸も一緒に移ってきてここに納められた。後、御廟所に納められたのでここには石碑だけが残っている。向こうにちらりと見えるのは米沢の街。

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上杉鷹山公がよく言っていた言葉らしいが、私の父が口癖のように言っていた言葉でもあるので、私には父の言葉でもある。父は世に知られるようななにほどのことも残せなかったし、私も同様だ。ただ、やろうという意志がなければ何事も前へ進まないのだ、ということだけは忘れがたく耳に残っている。だから、やろうとしなかったことを悔いても、やろうとしないで出来なかったことを残念に思うことはない。

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おしょうしな、というのは米沢の言葉で、ありがとう、ということである。お店で買い物をするとそう言われたものだが、いまはあまり聞かない。しょうし、とは「笑止」のことかとおもう。おしょうしな、とは別に、しょうしいなあ、という言葉もあり、てれくさいなあ、はずかしいなあ、というイメージで私は聞いていた。

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伝国の杜・米沢上杉博物館。公園の北側にある。歩いていたら暑さで頭がクラクラしてきてきた。汗が噴き出しちょっと普通ではない状態なので、慌ててこの建物に逃げ込んだ。軽い熱中症のようだ。上杉鷹山公のビデオ(西村和彦主演、紺野美沙子共演)を見ているうちにようやく人心地がついた。もっと周辺に散策してみたいところもあったけれど、ここを出て冷たいものを飲みに行き、時間を潰してからチェックイン時間より前に宿(今回はビジネスホテル)に入って休んだ。

夜はホテルの近くの米沢の飲み屋で一杯。ホルモン焼き屋が見つからなかったので、普通の路地裏の居酒屋で出来るタン焼きやモツ煮、カド(ニシン)の塩焼きその他などで腹一杯食べ、そしてちょっと酩酊するくらい飲んだ。なかなかいい店だったが、カウンターの向かいのやや小太りのお姉さん(女将さんではなくお手伝いのようだ)があまりに恥ずかしがり屋で、話しかけたことにしか返答しないのでやりとりにならず、途中から純粋の独り吞みになった。私はカウンセラーではない。

明日は難所の白布峠を越える。 

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2020年9月 6日 (日)

身勝手ながら

 うっかりしたと明らかに分かる間違いを「間違っている」とわざわざ指摘するのはあまり好いことではない。私自身にそういうところがあって、相手をかなり不愉快にさせた経験が何度かある。そういう性格だから、他人に自分のうっかりミスを指摘されると身勝手ながら非常に腹が立つ。

 

 私は若い頃に相手が不愉快な顔をしたので失敗に気がついて、間違いを指摘する前に、待てよ、と我慢することが出来るようになった。正しいことを正しく言っても相手は怒ることもあるのだ。この歳になったいまは、明らかなうっかりミスをわざわざ相手に言うことはない。相手に恥をかかせないように、とまず考える。

 

 自分が認知症ではないかと思うようなミスをした。しかしそれは実に些細なこと(年号を令和と書くところを平成と書いた)で、笑って済ませる話なのに、重大なことのように手紙で指摘された。もちろん公文書ではなく、日付は不要な私信の話である。間違ったのは私であるから仕方がないが、わざわざ恥じ入らせるのは大人のすることではない。後で笑い話のついでに一言言えば済む。

 

それは私の送ったある連絡と要請についての、にべもない拒絶の返信である。断り方にも相手の気持ちを考えた断りようもあるのになんだか通話中にいきなりガチャリと電話を切られた心地のするものだった。

 

 別の人にも同様の依頼をして、すでに快諾をもらっているから困らないが、こんな断り方をされるほど憎まれているのだと改めて驚いた。私に問題があることは承知のことながら、私は相手の受け取り方くらいは多少は気にすることが出来るつもりだ。

 

 若い頃は相手の怒りを分かったうえで、相手以上にエスカレートした物言いをしてさらに怒らせた前科がある。私は嫌なやつである。だがそういうことは後を引いて、全くいいことはない。いま思うと慚愧に堪えない。後悔するのは嫌いだが、それらのことは本気で心から後悔している。
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米沢・上杉公園(松が岬公園)(1)

上杉公園のお堀の外側の、おまつり広場の駐車場に車を置いて公園内に入る。学生時代、ここは私の散策路だった。
目先を変えて私の散策したころにはなかった像の数々のうち、目についたものを紹介する。


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まず米沢の上杉藩中興の祖と言われる上杉鷹山公。


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これも上杉鷹山公。なにを指しているのだろうか。


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後ろから見ると向こうの二人を示しているようだ。


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上杉景勝と直江兼続であった。ふるさとである越後からこの米沢に移されて大変な苦労を重ねた二人である。石高が大幅に減らされたのに、家来は全員ついてきたのだから藩は貧窮にあえいだのだ。その苦労は代々続き、上杉鷹山も大変な苦労をした。殖産につとめ、一息つけたのは晩年だった。


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もちろん上杉謙信の像もある。


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知っている人も多いだろうが、この米沢は、伊達政宗の生誕の地なのである。

 

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2020年9月 5日 (土)

米沢・上杉家御廟所

上杉家の歴代藩主の墓所である、御廟所に行く。ここは初めて訪ねる。
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立派な杉木立を抜けて御廟所に入る。
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中央から見て左側。


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右側。


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中央奥手にあるのが初代の上杉謙信公の廟。
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配所の上にかかっている木札は実際は暗くてよく読めないが、露出を明るくして撮ってみた。
中央が初代(上杉謙信)、左手に二代目の上杉景勝、次に右手が三代目、四代目は左、というように交互に祀られている。
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上杉景勝の廟。彼の時代に越後の春日山からこの米沢に移封された。彼の遺骨は遺志によりほとんどが高野山にあり、ここには少しだけ分骨された。
炎天下はくらくらするほど暑かったが、ここは杉木立に囲まれて風も吹き抜けるので、涼しい。
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上杉景勝の廟の後ろから参道の方を望む。

この後、上杉公園(正式には松が岬公園)に向かう。
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帰路、そして帰ってから

 旅の報告はまだ米沢の途中であるが、すでに帰着しているので、昨日の話をさきに書いておく。

 

 猪苗代のホテルは好いところと悪いところが半ばして微妙だったが、それはそれとして、朝、本降りの雨の中を八時半頃出立した。ナビによれば、自宅まで約600キロ、八時間以上かかるという。ナビの指示したコースは磐越道で西へ向かい、会津から新潟周りである。それも面白いと思ってそれに従う。

 

 磐梯山は雲に覆われて下の方しか見えない。次第に雨は上がり、薄日が射してきた。ところが新潟を過ぎて柏崎を通過した辺りから前方を見ると、濃密な雨のカーテンが見えてきた。雨の幕に入ると大粒の激しい雨でワイパーがフル運転でも前がほとんど見えない状態になる。スピードを落とさざるを得ないが、車はきれいになる。

 

 ナビは当初、上越から長野道への道を示していたのだが、上越ジャンクションでそのまま富山方面へ向かえ、という。これは東海北陸道を行けということである。理由があっての変更であろう、なるほどそれもありか、と納得して指示に従う。東海北陸道は、むかし金沢に単身赴任していた時代は、毎週のように往復したなじみの道だ。子供たち二人は名古屋に暮らしていたから、週末はほとんど帰った。思えばよくやったものだ。子供たちもちゃんとそれなりに生活していた。

 

 雨は東海北陸道の松ノ木峠という分水嶺を超えた辺りで小止みになり、郡上に近くなったら晴れてきた。帰着したのは四時前。約七時間あまりで帰ることが出来た。それほど疲れていない。最近長距離を走ることが多いので馴れてきたようだ。

 

 帰って携帯を見たらメールが山ほど入っていたが、大事なものは二通だけ、どちらも今日のものだ。一通は娘のどん姫から。

 

 夜、娘夫婦がちょっとだけ我が家に来て、北海道土産を置いていった。北海道のお酒、登別の入浴剤各種、ハスカップのジャム、その他である。私の喜ぶものをよく知っている。天気が悪かっただろうと思ったら、一日だけで、ほとんど好天だったらしい。また行きたいなあ、などとうれしそうに言っていたから、よほど楽しかったのだろう。よかったよかった。

 

 次回は米沢に戻って、上杉家の御廟所の記事を書くつもりである。ところで昨晩はなかなか寝付けなくて困った。
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2020年9月 4日 (金)

消息不明

「当局のお達しによりGoToトラベルを利用するには本人確認が必要で、確認したことの控えを取るために免許証をコピーさせてください」とホテルのフロントのおじさんに言われた。いままで泊まったところではそんなことは言われなかったし、そんなルールも聞いたことがない。支配人らしきそのおじさんの考え出したルールなのか、この猪苗代町のお役人の出したルールなのか、金を出すのは国のはずだから、町がそんな指示を出すとも思えないが分からない。ちょっと不愉快になる。私は面倒くさいことや納得しにくいことがあると不愉快になるのだ。

 

 五色沼から猪苗代に降りてくる途中の高原にある裏磐梯の中ノ沢温泉にあるリゾートホテルに泊まった。部屋はとても広いし、窓は広いし、温泉もいい。食事も悪くない。問題は部屋ではWi-Fiがつながらず、ネットが使えないことだ。フロント前のロビーでは使える、と館内ガイドの最後の最後にちょろりと書いてある。スマホがあればスマホを使ってネットにつなげるのだが、スマホがない。パソコンを抱えてロビーまで降りるのも面倒だ。

 

 こうしてスマホはない、ネットもないからメールも受けられない、ブログも書き込めず、送れないという状態となった。私の行き先を知っているのは私だけなので、誰も私と連絡を取ることが出来ないわけだ。彼らにとって目下私は消息不明だ。もう一泊うろつこうかと考えていたが、本日長駆帰宅することにした。

 

 ここまでホテルで下書きしておいた。

 

 これをブログに書きこんで送れているということは、無事帰宅したということである。旅の報告は次回再開予定。それにしても電波に見張られているというわけではないにしても、電波に支配されているような気がする。離れると不安になるのがその証拠だ。
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2020年9月 3日 (木)

母校と林泉寺

私の母校である山形大学工学部の前身は米沢高等工業高校。米沢は繊維の街であり、繊維工業に関連した会社に就職した大先輩が多い。
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私の在学時代は校舎は半分ほど新しいきれいなビルに建て替えられていたが、古い校舎も残っていた。いまはその新しかった校舎すら建て替えられて様変わりだが、最も古い建物だけが旧跡として残さされている。
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なかなか風格のある建物で、これが刻印されたホルダー付きのメダルを記念にもらったので母にやった。母は自宅のキーにそれをつけていた。

 

この先に春日山城林泉寺がある。上杉家の女性たちや家来たちの墓がある。
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歩いて行けるほど近いのに在学時代には行ったことがない。日本の歴史にはあまり興味がなかったとしてもうかつなことである。
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上杉家の女性たちの墓がここにある。
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上杉家の家来と言えば筆頭で名前が挙がるのは直江兼続であろう。ここには兼続夫妻が眠っている。

 

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目を少し左手に転ずれば、そこには斜平山(なでらやま)がみえる。米沢は盆地でぐるりが山であるが、この斜平山は急傾斜の山で、学生時代にはこの尾根筋をよく歩いたものだ。そう、蕎麦屋の「なでら」は斜平山の麓にあってこの名前なのであろうと思う。

この後、上杉家の御廟所へ行く。

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2020年9月 2日 (水)

笹野観音

那須高原を9時頃出発。雨が本降りである。外気温は23℃。山を下りて東北自動車道に乗り北上する。福島飯坂インターから国道13号で今日の目的地の米沢に向かうつもりだったが、東北中央自動車道が開通しているのに気がついたので、福島ジャンクションからナビの知らない道を行く。トンネルの多い道を走ってあっという間に米沢に着いてしまった。栗子トンネルや栗子峠を走る必要がなくなったのだ。しかもまだ無料供用である。ありがたい。東北中央自動車道は間に約9キロの長いトンネルがあって、その途中に福島県と山形県の県境がある。トンネルを入るまでは本降りの雨だったが、山形側へ抜けたら所々青空の覗く天気である。外気温31℃。こりゃ暑そうだ。

 

まず笹野観音へ立ち寄ることにする。ゆっくり見た後に笹野観音の近くの美味いそば屋に立ち寄るつもりなのだ。ここは昔、得意先の人に教えてもらった。
Dsc_4037 笹野観音本堂。
Dsc_4025 笹野観音由緒。
Dsc_4027 山門内部。
Dsc_4032 優しいおばさんのようなお地蔵様。ここにはたくさんの石仏がある。
Dsc_4033 一つ一つにそれぞれの顔があり、何かを感じさせてくれる。見ているときりがない。
Dsc_4039 こんな大きな仏像(延命地蔵)もある。
Dsc_4041 本堂の彫り物は本当に素晴らしい。
Dsc_4047 こんなのもあった。
Dsc_4048 上を見上げると絵馬が架かっている。
本堂内の千手千眼観音は秘仏らしく、覗いても見えなかった。
Dsc_4051 本堂を横手から見る。
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早昼を食べた「なでら」という名の蕎麦屋。なでらについてはあとで紹介する。

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バイキングとリニューアル

 ホテルのバイキングでそのホテルの格が分かるような気がする。まず料理の質であることはもちろんだ。私は長老と一緒のとき以外はそれほど高級なところに泊まることはないし、そもそも美食家でもないから、まずくさえなければこんなものかと納得できる。しかしときにあまりにお粗末だったりすると、怒りに震える。そんな料理しか出せないほど経営が苦しいならやめてしまえ、と心のなかで言うこともないではない。食い物の恨みは恐ろしいのだ。

 

 そういう料金にすらそぐわないお粗末な料理を出すところは、従業員も必ず質が悪いのは不思議なほどである。たぶん給料も安いし働いていて面白くないのだろう。たまにそういうところに当たるけれど、もちろん二度と行かない。早晩潰れるだろう。

 

 比較的にそれなりの料理が出ているのに、雰囲気が悪いのでどうしてか周りを見回すと、客の質が気になることがある。やたらに大量にテーブルに持ってきて平気で食べ残したりしているのを見ると嫌な気がする。自分の食べる量が分からないのだろうか。

 

 昨晩は、隣の、私と年があまり変わらないくらいの夫婦が、テーブルにのりきれないほど二度も三度も往復して料理を並べていた。たぶん私の食べるだろう量の軽く三倍はある。あきれて、見るともなく眺めていたが、夫婦で嬉しそうに次々に平らげ、たちまちテーブルの料理は食べ尽くされた。さらに二人で次々に料理を運び込み、それを見ていた私は、自分が食べたように満腹になった。おおむね美味しい料理だったから、満足したし、こんなに嬉しそうに食べる夫婦に不快な気はしない。よかったね、と思うばかりである。ただ、夫婦ともテーブルに肘をついて食べていたのが気になっただけである。

 

 ココログの、リニューアルという名の改悪で、使い勝手がさらに悪くなり不愉快極まりない。どうしたらユーザーに使いにくくしてやろうか、と嫌がらせをしているように感じてしまうのは歳のせいか。それともただのバカなのか。またココログをやめる人が増えそうな気がする。そうしてユーザーを減らしてやめてしまうことがかくれた狙いなのかもしれないと勘ぐってしまう。本気で腹が立っている。

 今朝は雨。今日は懐かしの米沢に行く。学生時代に暮らしたところだ。立ち寄ることはあるけれど、仕事以外で泊まるのは初めてだ。夜は学生時代を思い出してホルモン焼きでも食べるつもりである。

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2020年9月 1日 (火)

涼しすぎる

 千葉を九時過ぎに出た。渋滞が終わった頃合いだからだ。いまは湾岸道と外環がつながったから湾岸市川から三郷まてでスムーズに走ることが出来る。三郷まで行けば東北道に乗るのはすぐだ。宇都宮を通過したのは11時過ぎ、そこから日光道へ移り、今市で地道に降りて鬼怒川方面に向かって北上する。国道121号線、いわゆる会津西街道、あの野岩鉄道と並行して走る道だ。

 

 カーブの多い山道だが狭くはないので走りにくいことはない。一昨年、鬼怒川温泉のさらに北、川治温泉に泊まった。ひなびた温泉で、なんと部屋にも壺型の温泉があった。ただせまい風呂だったから大浴場の方が私にはありがたかった。ときどき小雨がぱらつく。山には雲がかかっている。

 

 五十里ダムで休憩する。コンクリートの巨大な構造物の重量感にはいつも圧倒される。

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 さらに北、湯西川の道の駅でトイレ休憩。この天気では那須に行ってもなにも見えないとあきらめる。

Dsc_4017この辺はカッパが売りらしい。

Dsc_4018ダム湖に水陸両用バスで行くことが出来る。今日は運休。

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 この道路は3つの国道が重なっているという珍しい道路だ。ここから少し北上したところのトンネルを抜けたら福島県になった。

Dsc_4020野岩鉄道。

Dsc_4023野岩鉄道を撮ったところにこんな石碑があった。

天王峠を越えた辺りで雲が切れてきた。期待したが那須方面に回り込んだら再び霧雨が降り出す。外気温19℃。涼しすぎる。慌てて長袖に着替える。早めに宿に入り、風呂でさっぱりした。

弟夫婦と墓参りに行く

Dsc_4010

昨日は弟夫婦と墓参りに行った。弟たちは普段から墓をきれいにしてくれているのでありがたいことである。
墓石に水をかけ、線香を手向けて手を合わせた。

日差しが強くてクラクラする。
墓のある寺の住職が今年亡くなったそうだ。
父や母の葬儀のときには私が車で送り迎えをしたし、いろいろ話をする機会があって勉強させてもらった。
札幌と京都も掛け持ちしている仏教系の大学の教授でもあって、博識な坊さんだった。
もう会えないと思うと残念だ。

今日は少し涼しい那須高原へ行って泊まる。
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