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2020年10月

2020年10月31日 (土)

恐怖

 とつぜん元号が思い出せなくなった。必死で頭の中を検索したが見つからない。見つけようと集中するほどぼんやりしてしまう。しばらくして思い出す努力に疲れたとたん、「令和」の文字が浮かび上がった。

 

 思い出したことの安心よりも、こんなことまでど忘れする自分に恐怖を感じた。まだ思い出せるからいいけれど、いまに忘れたままになるかも知れない。

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また千葉へ走る

 これからまた名古屋から妻の入院している房総の病院へ走る。時間的に、とんぼ返りも出来るが、状況によっては精神的な疲労から、不測の事態も起こりかねないので、今晩も弟のところへやっかいになる。弟は地域の用事で一日忙しいらしいから、時間を調整して夕方遅くにいくつもりである。

 

 今日はそんなわけでポチッとや、いいね!のお返しはほとんど出来ないと思うのでご容赦ください。

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2020年10月30日 (金)

打ち合わせ

 明日、妻の入院している病院から呼び出しがあって、打ち合わせすることになっている。どのような打ち合わせになるのか分からないが、先般わたしではない人間による病院とのトラブルで、病院側が不快感を持つ事態になっていて、前回の訪問で謝罪はしたけれど、改めて正式な打ち合わせの要請が来ていたのだ。

 

 正義と権利を主張する人間が、しばしば他人に対する忖度のないことは少なからず見てきたことだけれど、それによって迷惑を被る事態になっていて、気が重い。知識はあるが良識のない人間というのはいるものだ。最悪の場合、退院勧告でもされると、わたしとしては途方に暮れる。そうならないように冷静に、しかも謙虚に対応しなければならない。言い合いに論理的に勝つことで相手が感情的になれば、言い合いに負けるよりも悪い結果になってしまうことは少なからず経験してきたことである。

 

 案ずるよりも産むが易し、などと言うが、そうであることを願っている。

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東北学

 以前から民俗学に興味がある。ただし知識は幼児レベル。きっかけはやはり柳田国男の『遠野物語』だっただろうか。柳田国男を敬愛しながら、柳田国男に異を唱える赤坂憲雄の文章をしばしば目にしてきたが、まとまった本としてはまだ二冊しか読んでいない。その一冊である『東北学/もうひとつの東北』(講談社学術文庫)は大変面白い本で、新しい視野を与えてくれた。もともと東北の独自性を日本民俗学でひとくくりにしてしまう柳田国男にかすかに違和感を感じていたから、赤坂憲雄のその本は迷妄を払ってくれた気がする。

 じつは赤坂憲雄の東北学についてまとめた本は三部作となっていて、『東北学/もうひとつの東北』は第二部にあたる。今回『東北学/忘れられた東北』という第一部にあたる本を旅のお供の一冊として携行した。

彼の叫びのような以下の文章が心に響いてくる。私も最上郡に生まれた父を持つから東北がルーツであるといえる。東西の意識については先日言及したが、以下の文章をどう受け取るか、その違いと言ってもいいかもしれない。

「稲作以前、あるいは稲作の外部が祓い棄てられたとき、東北の歴史そのものが根底からの否定と抹殺の憂き目に遭っていたことを忘れてはならない。なぜならば、稲作以後に限定された東北は、自らの歴史的アイデンティティの大半を奪われてしまうからだ。東北はアイヌ文化から空間的に切断されると同時に、時間的にもまた、文化的な古層に横たわる縄文以来の歴史の連なりから切り離されることになった。『雪国の春』(柳田国男の著作)の柳田がめざしたものは、「いくつもの日本」の屍を縦糸・横糸として、あらたに「ひとつの日本」というテクストを織り上げることであった。その試みはみごとな成功を収め、柳田はそれ以降、「ひとつの日本」の精神史を「民俗学」の名において体系化してゆくこととなる。瑞穂の国の民俗学はそうして誕生したのだ、と言ってよい。」

「だからこそ、東北が戦いの舞台となる。『雪国の春』という懐かしい追憶の物語を、東北の地の内側から読み破らなければならない。「ひとつの日本」の呪縛をほどき、「いくつもの日本」を剥き出しに露出させてゆくとき、日本文化像それ自体が根底からの変容を強いられることだろう。東北はやがて、ある特権的な知の戦いの現場と化してゆくに違いない・・・・。そんな予感はしかし、いまだわたしだけのものだ。」

 いいなあ。こういう熱い宣言に感じるものがあるではないか。ぼちぼちと彼の東北でのフィールドワークの話を楽しむことにしよう。

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2020年10月29日 (木)

松本城

松本には学生時代からの友人がいて、何度も訪ねている。松本城も何度も見ているが、お城はいつ見ても美しいので飽きることはない。この日はビジネスホテルに泊まるが、まだ時間があるのでお城の周りで時間を潰す。

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山と松本城。よく見ると・・・。

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山の真ん中にとんがった頂が見える。槍ではないだろうか。

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ちょっと立つ位置を変えて撮ってみる。

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かろうじてお堀にお城の姿が映って見える。

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赤い橋を手前にして撮る。こうしてみると烏城といわれるのがよくわかる。

城内や近くの松本神社で見た紅葉の写真を以下に。

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このあとホテルに入り、一息入れてから友人に連絡を入れて、二人で学生時代みたいなバカ酒を飲んだ。何しろ友人は一升飲んでも平気な酒豪なのだ。

翌朝は二日酔い。酒が抜けるのを待ってゆっくり出発、どこにも立ち寄る元気はないのでまっすぐ我が家に帰った。

これで今回の旅の報告は終わり。

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旧開智学校

旧開智学校は松本市にある文明開化時代に建てられた洋館建築の学校で、国宝である。松本城に近い。

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入り口でマスクチェックと検温を受ける。素晴らしい青空。

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和洋折衷の建物。こういうものは残そうと思わなければ残らない。残るものがあり、破却されてしまうものがありというのがこの世の中か。そうして形が失われれば記憶も失われる。

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小学校低学年のときは、わたしたちもこんな机だった。団塊の世代の尻尾の生まれだから、生徒があふれてずっと大人数だったけれど。

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子守のこどもも積極的に受け入れた、と書かれていた。女の子用の人形なのだろう。

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戦争の時代もあった。

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昔の道具。教科書の展示もたくさんあったが、内容はけっこう難しい。試験も厳しくレベルは高かったようだ。そういえば長野県は教育県としても有名である。

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反対側から撮影。

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庭にこんな石標が立っていた。松本市は海抜約600メートルなのか。

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隣接していまの開智小学校がある。なんとなく旧開智学校のイメージを残しているようだ。

このあと松本城を散策する。

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2020年10月28日 (水)

新穂高ロープウエイ

26日(月)泊まっていた奥飛騨温泉から新穂高ロープウエイに向かう。天気は快晴。月曜だし朝だから少しは観光客が少ないと期待する。いつも一杯で停めるのに苦労する駐車場にはスムーズに停めることが出来た。

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その駐車場から山を眺める。手前の紅葉とコラボして絶景である。

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展望台へ行くには第一ロープウエイから第二ロープウエイに乗り継ぐ。第一はちょっと待っただけで乗れたが、第二ではこのように行列の後尾にならぶことになった。間隔が約10分で運行、三回待ちしてようやく乗ることが出来た。

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第二はこのように二階建て。上の方に乗る。コロナの影響で、一度に乗せる人数を限定しているそうだ。それでも臨時便を出してフル運転しているという。

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下の乗り場は約1100メートル、上の展望台の高さは2150メートルあまり。ロープウエイとしては日本一の高低差だという。

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ものすごくくっきりと見えている。尖っているのはもちろん槍ヶ岳。何度も来ているが、こんなにきれいに見えたのは初めてかも知れない。

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これは笠ヶ岳。形が好いからどこから見ても目立つ。わたしでもこの山は分かる。

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反対方向には焼岳が見える。ロープウエイで登っているときには、かすかに白い噴煙が上がっているのが見えた。

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まだ雪をかぶっていない低い山でもこの表情をしている。山ってすごいなあ。

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もう一度槍ヶ岳を撮って切り上げた。風もないし、あまり寒くない。似たような写真を何枚も撮ってしまった。シャッターを押したくなる絶景だった。

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上高地

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大正池から河童橋への道で一番好きな場所。梓川が大きくカーブして、向こうに唐松林がならび、その向こうに北アルプスの山々が望める。

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山の名前はこの看板でいちおう分かるが、すぐ忘れる。ずっと看板の前にいるわけにもいかない。

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奥穂高。カールはここでは隠れている。

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唐松はあまり役に立たない木らしいが、あまり周りが暗くならない。明るい木である。

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縦に撮ってみた。

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少しアップして横に撮った。

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少し進んでカールが見える場所から。上にかかる雲が邪魔だがなかなかどかない。

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雪渓が見えてきた。まさにむかし氷河がここを下っていたことが分かる。

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明神だけにも雪渓があったと思われるガレ場が見える。

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ようやく河童橋に到着。日が傾いてきたので陰になっている。この後バスセンターへ引き返し、行列の後ろにならんで、二台ほど見送ったあと、帰途についた。

この日の宿は奥飛騨の20部屋くらいの小さな民宿旅館。客は五組ほど。気さくなおばあさんが切り盛りしていて、座り込んで話しかけてくる。露天風呂は壊れかけの掘っ立て小屋のようだが、風呂そのものはなかなか好い。ただしわたしがはいったときはぬるかった。そう伝えると、すぐ調整します、と言っていた。

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2020年10月27日 (火)

大正池から歩く

上高地のバスセンター前から二つ前の停留所、大正池で下車する。ここから河童橋までは徒歩一時間。途中写真を撮ったり横道に入ったりするので、一時間半を予定して歩き出す。

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梓川の河原には写真を撮る人がたくさん。半数が中国人のようであった。まだ観光客がまとまって来ているとは思えないから、日本に住んでいる中国人なのだろうか。声が大きいし、人の通り道の真ん中で平気で写真を撮ったりするから歩きにくい。回りを気にするという神経に乏しいようだ。

向こうに見えるのは焼岳。活火山。大正時代、この焼岳の大噴火によって梓川がせき止められ、大正池が出来た。

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大正池の向こうにカールが見えた。ややかすんでいる。

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右端の明神岳などははっきり見える。

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こんな道を歩いて行く。

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焼岳をもう一度。

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ここは標高1500メートルくらいだそうだ。ほとんどアップダウンがないから普通の靴で歩ける。

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右手の樹林の間から、新雪をかぶった山が見えた。ふわふわの景色が不思議な光景に見えた。

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林の向こうに穂高の山々が見えた。

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雲が少し晴れてきた。帝国ホテルに近い辺りまで来た。これで行程の約半分か。

思い切って上高地に来てよかった。さらに絶景が続く。

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平湯からの眺め

25日(日)

白樺湖ほとりの宿から奥飛騨に向かう。快晴。

大門街道を南下し、松本を通過。本当はこの晩に学生時代からの友人と松本で会う予定だったが、彼の都合で一日延ばすことになり、奥飛騨に泊まることになったのだ。

このコースで走れば当然安房トンネルを通過する。日曜日であるし、まさに紅葉のシーズンだから上高地へ向かう人が多いはずであるから、渋滞を覚悟して走る。たしかにところどころ流れの悪いところがあったが、思ったよりもスムーズに走る。上高地はきれいだろうなあ、と想像する。沢渡(さわんど)の駐車場やバス乗り場はさすがに行列が出来ている。車を停めるまでが大変なのだ。

上高地を見に行くか、新穂高のロープウエイに乗るか迷う。安房トンネルを抜けて平湯側から上高地に行ってみることにする。正解であった。

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平湯から見た山の景色。前日までの雨が、山では雪だったのだ。

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新雪が木々に積もって美しい。

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紅葉と新雪のコラボはこの時期にしか見られない。

平湯側のアカンダナ駐車場に車を停める。大きな大きな駐車場の一番奥に停めるしかないほど満杯である。バス乗り場まで五分以上歩かなければならない。しかしもう一時半を過ぎているからこれから行く人よりも帰ってくる人の方が多いはずだ。バスはわたしが乗るのを待って出発した。待ち時間なし。

次回は上高地の絶景を。

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2020年10月26日 (月)

寒風・車山高原

24日(土)の午後、車山高原に立ち寄った。雲行きが怪しい。途中、小雨がぱらついたりしていたが、車山高原は雨は上がっていた。気温9℃。寒い。

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ロープウエイではなく、リフトで上へ登る。乗り継ぎがある。

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風が横から吹き抜ける。体感温度は氷点下。マスクをしているから眼鏡が曇る。

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おお、右手方向は雨が降っているようだ。こっちへ来なければいいのだが。

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山頂から下界を見下ろす。真ん中に見えるのが白樺湖。これを見たかったのだ。雲に隠れているのは霧ヶ峰。見えなくで残念。

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ややアップして白樺湖のほぼ全景。あまり大きな湖ではない。

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さらにアップして。今晩の宿はどの辺りだろうか。向こう岸のどこかのはずなのだが。

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写真を撮ったところから山頂方向を見上げる。暗いし寒い。手がかじかんでたまらない。

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向こうは八ヶ岳だろうか。まったく自信がない。雨の幕がときどき通り過ぎる。

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下りで、ついに雨中に突入。雨にときどき白いものが混じっているような・・・。震え上がって宿へ向かう。とにかく早く風呂に入って暖まらなければ。

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秋色

前橋から慢性渋滞の安中を抜け、松井田妙義インターに乗って上信越自動車道を走る。安中の渋滞を妙義山の不思議な形の山々が慰めてくれる。

碓氷峠を越え、佐久小諸ジャンクションから中部横断自動車道に移り、すぐ先の佐久南でインターを下りる。

国道142号線を西へ。ここは昔の中山道だ。

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浅間山の雄姿が見える。火口の様子が見て取れる。大昔にものすごい大噴火があった跡だ。こんなにきれいに見えたのは久しぶりだ。信号で止まったときに撮ったので、鉄塔をよけるわけにはいかなかった。

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里山に秋色が見て取れた。雲行きがあまり思わしくない気配。

国道152号線、通称大門街道ではなく、その手前の県道40号線を南下する。

これは女神湖の横を通って白樺湖に至る道だ。女神湖は名前は素敵だが、わたしにはあまり感興を催さなかった記憶があるのでパス。霧が出てきて、小雨がフロントガラスに当たり出した。

蓼科から白樺湖方向へ曲がり、白樺湖畔を通過して車山高原に向かう。霧ヶ峰に雲がかかっているけれど、景色は見られるだろうか。

次回は車山高原。

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2020年10月25日 (日)

榛名湖と榛名山寸景

24日、沼田から少しだけ関越道に乗り、伊香保温泉を抜けて榛名湖と榛名山を見に行く。

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榛名山。このあたりから見ると左右対称で形が好い。

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望遠で山頂を撮る。ロープウエイの駅がある。

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母が寝たきりになる二年くらい前に、二人でこのロープウエイに乗ったことを想いだした。

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湖岸が一周できるらしいので、周ってみる。

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紅葉を通して榛名湖を見る。

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湖面にはボートがたくさん浮かんでいた。

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湖岸の、特に赤みのあるところを。

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のんびり湖面に浮かぶのも気持ちがいいかもしれないが、少し寒い。

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逆光気味に撮ると湖面がキラキラと輝いて美しい。

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木立から秋の日が洩れる。

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車を停めた場所の上方にも紅葉があった。ひとまわりしてから前橋側に下り、安中を抜けてから上信越道に乗る。安中は何度通ってもいつも渋滞に遭うところだ。大都市や県庁所在地、それに準じた街が渋滞するのはある程度理解できるが、この安中がどうして春夏秋冬渋滞するのか不思議だ。

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白樺湖畔の宿

昨晩泊まった白樺湖畔の宿はそれほど大きくない三階建て。二階の端のとくに湖が目の前に見える、少し高い部屋を頼んであった。GoToトラベルのおかげで、それでもいつもより値打ちに泊まれるからいいのだ。

ところが作りが安普請で階上や隣の部屋の人の動きが振動で伝わるし、扉などの開け閉めの音がうるさい。バラックの中にいるみたいでガッカリした。そのうえ目の前に湖岸には電信柱が立っていて、無粋なことこの上ない。何なのだ。こうなるとフロンドのおじさんの無愛想なのにも腹が立ってくる。

ただし、食事だけは悪くなかった。これで食事もお粗末なら名前をここに書いているところだ。

そういえばナビはこの宿の場所として、山の上の別荘地の中を案内してうろうろする羽目になった。どうなっているのだ。昔すぐ近くに泊まって今回の宿をうろ覚えに思いだしたので、ようやくたどり着くことが出来た。こことは相性が悪そうだ。

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夜明けしてすぐに撮った写真。電信柱はよけている。

ガッカリする出来事もそれはそれで旅の思い出である、と思うことにしている。

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丸沼・環湖荘前

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丸沼は湖沼百選の一位になったことがあるようだ。いまは何位なのだろう。写真を撮っているわたしの後ろに環湖荘が立っている。

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環湖荘。昔の華族様やお金持ちが泊まるような雰囲気がある。一度だけ泊まってみた。思ったほどは高くなかった。

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この寒いのに水に入ってフライフィッシングをしている人がちらほらいる。好きだと冷たくないのだろうか。

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赤い色が混じった紅葉は見栄えがする。

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この少し奥の方に丸沼のほとりを散策する小さな道がある。ぬかるんでいるはずで、靴が汚れるから歩くのはやめておいた。

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この沼はとても静かで、気持ちが癒やされるところだから大好きだ。名残惜しいけれど、寒いから切り上げた。

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2020年10月24日 (土)

霧の中を巨人がぬっと

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今朝(24日朝)は快晴。今日は蓼科から霧ヶ峰の辺りを走る。泊まりは白樺湖の湖畔の宿。

さて写真は22日(木)のもので、三夜沢町の赤城神社から赤城街道の急坂を登り、1400メートルを超える峠辺りの展望台で撮ったもの。辺りは雲の中。像は等身大より一回りか二回り大きいだけだけれど、霧の中に突然現れた。

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こういう景色もそれなりにいいものだ。

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ときどき風が吹くと少し視界が開ける。

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こんな女性らしい女性の像もある。

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大沼湖畔へ下りて山を見上げる。

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こちらの赤城神社へわたる橋は修復中につき通行止め。もちろんもう一カ所神社へ行く道はある。

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湖畔の紅葉はもう大分進んでいる。外気温は9℃。

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神社を遠望する。今回は立ち寄らない。

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こういう景色がいい。駐車場の入り口を駐車場から撮っている。右から来て、左へ行けば沼田方面である。

ついでに覚満淵など散策したかったけれど、足下が悪そうだったのでパスした。

時間がたっぷりあるので、120号線まで行き、丸沼の環湖荘前までいって、丸沼の写真を撮ることにした。

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赤城神社(三夜沢町)

22日(木)の朝、駅前のビジネスホテルを出発。小雨が降っている。

赤城神社は赤城山を祀る神社で、小さなものを全て数えると300もあるという。この三夜沢のものと、赤城山の火口湖である大沼の湖畔のものが総本宮とされているらしい。

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縣社 赤城神社、入り口の鳥居。写真では分からないが、ここも小雨が降っている。カメラをタオルでくるみながら参拝に向かう。

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参道。奥に見えるのが拝殿。

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階段手前、左手奥に名水を汲めるところがある。

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拝殿。

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拝殿横手に回り、奥の本殿を望む。少し高台にある。

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鬱蒼とした杉林にかこまれている。たわら杉というらしい。ヒノキやあすなろもあると書かれている。

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珍しい形をした灯籠。雨に濡れて緑が美しい。

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これが古代文字の石碑なのだが、手で触ると何か彫られていることだけは分かるが、実際はもっと暗いのでまったく読めない。

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ここに神代文字について説明がある。国学者の平田篤胤の息子や篤胤の弟子たちが創作したのだ、という説がどうも真実らしく思われるが、ほかにもいろいろ神代文字は残されているらしくて、全てが創作かどうかは分からない。コミュニケーションの手段としてのシンボルのようなものは存在していたとしても不思議ではない。文字や言葉は、多くの人が共通に使用して始めて意味をなすもので、存在しても共用できなければ記録としての力を持ち得ない。

これを見たことで満足して神社をあとにし、赤城山へ登った。

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2020年10月23日 (金)

足利・鑁阿寺(ばんなじ)

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鑁阿寺楼門。ここは足利氏の氏寺。ここもお堀にかこまれている。

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本堂。大御堂だったかな。立派な建物である。境内には大木が多い。

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大銀杏。巨木である。

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大きな木が好きだ。生命力を感じる。

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緑に囲まれて吸う空気が体内をきれいにしていく気がする。

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鐘楼。ここはもみじも多いから、来月辺りは紅葉できれいだろう。

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楼門前から。こんな難しい漢字はなかなか覚えられない。ワープロというのは便利なものだ。

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本日の宿の窓外の景色。雨が降り続いている。

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切り取り方で、こんなそこそこいい景色が撮れた。紅葉は来月だろうか。ゴロゴロしていたらちょっとどこかへ出かけたくなったけれど、雨が降り止む気配はない。

お昼は宿の女将さんが特別に新そばを手打ちしたというので、打ち立てをいただいた。感激的に美味い。ゴロゴロしていてもこんな果報がある。蕎麦好きで自分でも蕎麦を打つ友人のU島にこの話をしたらうらやましがるだろうなあ。

なんとなく空が明るくなった。ちょっとだけでも出かけられないだろうか。

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足利学校

本日は沼田市の大場町、玉原高原(たんばら)に近い一軒宿に泊まっている。宿泊客は私ひとり。ちょっと寂しい。今日は一日雨らしいので、浴衣のままゴロゴロしているつもりである。少し疲れ気味なので休養にちょうどいいのだ。

写真が取り込めたので、21日の足利学校の写真を掲載する。

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足利学校のすぐ近くの駐車場に停めたのでお堀越しに建物が見える。茅葺きである。

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お堀を回り込んで門の前に向かう。

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駐車場のおじさんに言われたとおり、本日は休館。

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閉門中。残念だなあ。でも二度ほど訪ねているから中の様子は分かっている。ここは学校であり、孔子廟である。

以前来たときに、論語についての試験があったのでチャレンジした。全問正解であった、といって威張るほどのことはなく、ちゃんと教科書を読んだ中学生なら全問正解できる程度の問題であった。でも嬉しかった。このとき孔子と論語についての簡単な冊子を購入したので、我が家の棚にならんでいる。

付近を散策して鑁阿寺(ばんなじ)に向かう。

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征夷大将軍・足利尊氏の像が建っている。

その近くの味噌屋兼食事処の前で小さなカップに入った味噌汁を飲ませてもらった。豆味噌の美味しい味噌汁であった。打ち立ての新蕎麦が食べられるというので、鑁阿寺を見た帰りに立ち寄り、蕎麦を食べた。つけ汁が味噌の風味があった。味噌の上澄みを使っているのだろうか。そもそも醤油はそういう作り方だったかと思う。足利学校が休館であることもあるし、コロナ禍の影響もあるのか、客は少ない。

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2020年10月22日 (木)

赤城越え

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昨夜の酒の余韻を残して駅前のビジネスホテルを出立。小雨が降っている。迷ったけれど、赤城越えをすることにした。

赤城山の麓をぐるりと回り、途中赤城神社(三夜沢町)に立ち寄る。ここは県社だけれど、巨木にかこまれたいい姿をしたお気に入りの神社である。何よりここには古代文字の石碑がある。漢字が持ち込まれるまでは、日本には文字がなかったとされているが、じつは日本固有の文字があったという話があ。ここにはその古代文字が刻まれた石碑があるのだ。江戸時代にねつ造されたものだ、というのが定説で、その通りだと思うが、なんとなく面白いではないか。

そのあとそこから直登のルートもあるが、狭いし急坂の連続なので雨交じりの天気のときにそこを走るのはやめておき、三倍くらい遠回りの赤城道路で赤城山の火口湖である大沼に向かう。

標高700メートルの表示のあるところでは車外の温度は15℃くらいだったが、高度が上がるに従って気温が下がっていく。1400メートル辺りでは10℃だった。展望台で一休みする。

上の写真はその展望台での写真。

そこから下って大沼の写真を撮り、今度は北側の沼田方面に向かって山を一気に下っていく。

雨の紅葉はなんとなく暗く色も冴えないが、それはそれで風情でもある。

沼田の近くのケーズデンキでSDカードを取り込むリーダーを購入した。これで写真をアップできる。

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そのあと丸沼の環湖荘前に車を停めて、雨に煙る丸沼を眺める。なんと冷たい雨の中を湖に立ち入って釣りをしている人がいる。好きなのだなあ。

そこから引き返し、今晩の、玉原(たんばら)高原の小さな宿に向かう。

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途中のりんご園で弟宛にリンゴの発送を依頼した。いまは陽光という種類だそうで、もう少ししたら富士が出ますけれどどうしますか、と聞かれた。陽光を送った。

到着した宿はこぢんまりしていて、今日明日泊まることにしているのだが、なんと客は私独りだそうだ。部屋は12畳、風呂もデカい。食事は部屋食。しかも普通の外食用の食堂が併設されているので、明日の昼もそこで頼めるから外へ出なくてもいい。どうせ明日は雨だから風呂に入って本読んでゴロゴロして、休息するつもりである。

写真の整理がまだなので二枚だけピックアップした。時間が前後するが、明日の朝以降にいままでの写真を順次掲載する予定。

酩酊ちょっと手前でセーブ

昨晩は酩酊寸前で切り上げた。いまはお店も夜遅くまで営業できないのだ。早めに始めて早めに終わる、それは習慣にしていいことかも知れない。

いつものように美人三姉妹(一人は母親だけれど見分けがつかない・・・ということになっている)を相手に、映画の話や食べ物の話など、あまりややこしくないことについてうんちくを傾けてしゃべり倒す。知ったかぶりをしてもちゃんとにこやかに聞いてくれるし、案外むかしの映画を知っていたりするから楽しい。

大事な友人のひとりが付き合ってくれている。かけがえのない友達だ。また相手をしてもらおう。

飲んでいる最中に兄貴分の人から電話があった。こちらは酔っているし、それを察知してうらやましそうにしていた。兄貴分の人は大病して退院したばかりだ。

一緒に長老とどこかへ旅行に行こう、ということなので、帰ったらまた段取りをしないとならない。

生きているって楽しいなあ。
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2020年10月21日 (水)

取り込めない

東関道から湾岸道、途中、市川から最近つながった外環道へはいって三郷、川口と抜けていく。今日は三郷から先がずっと渋滞していた。東北道はスムーズに走っていたけれど、全体に車が多くてスピードは出ない。

トラックだけではなくて乗用車が多いところを見ると、観光地に向かう人が明らかに増えている。

朝、NHKで日光の紅葉が始まったのを生中継していたから、そちらへ向かう車も多いに違いない。

早く出て日光回りで今晩の群馬の宿へ向かうことも考えたけれど、前日の疲れもあるし、混んでいそうなので久しぶりに足利学校へ行くことにした。10時頃出発したから、昼過ぎに足利に到着。ところがなんと、足利学校は本日は閉館である。月に一度の休館日だそうで、「運が悪いですねえ」と駐車場のおじさんに同情されてしまった。

仕方がないので近くの鑁阿寺(ばんなじ)を訪ねた。ここも好きなところだ。

写真を撮ったのだけれど、SDカードをパソコンに取り込むリーダーを忘れてきてしまった。だから写真は後日掲載します。

これから友人と酒盛りである。

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復活

昨日は盛りだくさんにいろいろなことがあり、長距離運転に疲れ、病院の待ち時間の長さにイライラし、疲労困憊したが、晩に弟夫婦と酒盛りをして洗い流した。

弟夫婦と、来月また小旅行に行くことになった。段取りをしなければならない。

気持ちよく熟睡できたので、今朝は元通りに復活している。

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2020年10月20日 (火)

トラブル

 最初に断っておくが、事故などの私のトラブルではないのでご安心をいただきたい。

 

 今日は長駆名古屋から千葉県房総半島の妻の長期入院している病院へ行き、さらに彼女を伴って、ほかの病院で診察を受け、送り届けてようやく弟の家にたどり着いたところである。いささか疲労した。

 

 すでに連絡をもらっていたのであるが、義兄夫婦が妻の病院へ行ってトラブルを起こし、病院側は激怒して感情的になっている。足かけ五年の裁判での係争はまさに実質的にこの義兄夫婦との係争で、おかげで睡眠障害になった。散々精神的に苦労したのだ。今回もそのトラブルの件で、正式な打ち合わせのために31日の土曜日に再度病院に行かなくてはならなくなった。気の重いことである。

 

 本人たちは自分が絶対的に正しいと信じて生きているから、なにも自覚がない。しかしその世間的に良識を欠いた振る舞いで周りが皆迷惑している。本来義兄夫婦側の立場の義姉夫婦も、私に同情して腹を立てているくらいである。病院が入院している妻に出て行くように勧告してくると、私としては途方に暮れることになる。まあ極力誠心誠意謝罪するしかないし、いざとなればなるようになるしかない。

 

 気を取り直して今夜は弟夫婦と楽しい酒を飲もうと思う。
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連絡

 先日、久しぶりに娘のどん姫がやってきて半日、話し相手をしてくれた。私がおしゃべりだからどん姫はこどものときからいつも聞く方に回る。もともと無口だしマイペースなのであるが、それなりに適度な相づちも打てるようになり、聞き上手になった。大人になったのである。

 

 どん姫に連絡したいことがあって、メールしたのに返事がなかったので電話したが、つながらない。返事が遅れるのはいつものことだが、あまり連絡がつかないので心配になってきた。ようやくに連絡がついて、父親が心配していることに気がついたらしくて、あわててやってきてくれたというわけだ。

 

 携帯の調子が悪いのだという。見ると、機械そのものが歪んでいる。買い換える金はないわけではないらしい。iPhoneに替えるかどうか迷っているそうだ。メールにはすぐ返事をするように言うと、「そうする」と頷いていたけれど、そういってもたいてい返事は遅い。せめて心配になる前には返事をくれるとありがたいのだが・・・。

 

 本日早朝から用事で遠出する。その足で千葉の弟のところへ行き、さらに友人を訪ねたり温泉に行ったりする予定。だから「ポチッと」や「いいね!」のお返しが遅れたり出来ないことがあるかもしれない。極力あとでお返しするつもりだが、ご容赦いただきたい。
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2020年10月19日 (月)

扇動

 日露戦争終戦後、アメリカのルーズベルト大統領の仲介により、ポーツマスで戦後交渉が行われたことは歴史書に書かれているとおりである。このときロシアにはまだ戦争を継続する余力があり、日本にはなかった。だから全権としてロシアのウィッテと交渉した小村寿太郎は、ロシアから賠償金を獲得することは不可能であることを承知していたし、賠償金が獲得できないことで国民の反発を買うことをよく理解していた。

 

 そのことは吉村昭の『ポーツマスの旗』に詳しい。日本人としても小柄な小村寿太郎が、どれほど精魂込めてこの交渉を行ったのか、とてもよくわかって感動する。

 

 案の定、戦争に勝ったといえないようなこの交渉結果に激昂した群衆がいた。そのことを司馬遼太郎はこう書いている。

 

「日比谷公園、あるいは神戸、大阪、その他で国民大会が次々に開かれた。講和条約でもっと金をとれとか、屈辱的だとかですね。日比谷公園に集まった群衆は方々に火をつけたりしました」

 

「江戸時代にも群衆はあります。たとえば一揆を起こします。ところが、これは統制されたものですね」

 

「ところが日比谷公園の群衆は違いました。日本の歴史の中で、一種の国家的なテーマで群衆が成立したのは、このときが初めてです」

 

「この群衆こそが日本を誤らせたのだと私は思っています。彼らが、ロシアからたくさん金を取れ、領地を取れというのは、つまり日露戦争というものを勝ったと思っているからですね。実際勝ったことは勝ったでしょう。勝利の見返りの領土と金をたっぷり取れるということが、そういう形で沸騰したわけであります」

 

「人民が集まって気勢を上げるということが正しい場合もありますが、日比谷公園に集まった群衆はやはり日本の近代を大きく曲げていくスタートになったと思います」

 

 この司馬遼太郎の見解に全面的に賛同する。彼が『坂の上の雲』で日露戦争を書いたとき、彼は日露戦争をある面で祖国防衛戦争だったという見方をしている。それは当時の極東情勢などから考えて、妥当だと私も思う。

 

 しかしそれがどう変貌したのか。司馬遼太郎は続ける。

 

「そして戦争に勝ったとたんに、郡部および政府は日比谷公園で沸騰している群衆と同じように---自分が戦争の状況を全部知っているくせにですよ---不正直に群衆の方にピントを合わす、そんな気分が出てきました。それがやがて大きく曲がっていく」

 

 こう書く前に、彼は

 

「もしそのときに勇気のあるジャーナリストがあって、日露戦争の実態を語っていればと思います」

 

と語っている。彼もジャーナリストから作家になった一人として自分の問題としてそう語っているのだろうが、日露戦争でも、群衆の暴動でも、多くのジャーナリストは扇動者側にいた。そしてその後第二次世界大戦が終結するまで、扇動者側にいた。いま政府批判を正義として群衆を扇動しているのがまさに彼らだ、と私には見えている。迎合と扇動は裏表なのだ。

 

 愚かとしかいいようのない、勝てるはずのない戦争に日本を追い込んだのは軍部だけではない、まさにジャーナリズムをになう彼らであり、扇動に乗せられた群衆であり、日本人そのものだったということなのだ。そのことをしっかり認識した上で歴史を見なければ、歴史を学ぶことにならないだろうと思う。
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面白がる人

 コロナ禍のせいで中断していたブラタモリが再開された。地形や地質、岩石については私も興味があるから楽しみにしていた番組で、再開は大変嬉しい。私よりも歳上のタモリが健脚であることにも感心する。

 

 この番組が楽しいのは、赴いた場所で、レアな知識を一生懸命に解説する人に対して、タモリが前のめりに乗り出して面白そうに耳を傾け、自分の知識も披瀝する姿に、解説の人も同好の士を見て嬉しくなって説明に熱が入っていく様子が好ましいからだ。

 

 面白がる人は好感を持たれるのだと思う。知らなかったことなら知っている人に敬意を払い、驚いて見せ、感心する。知っていることなら、知っているよ、というだけでなく、同じことを知っている人に出会ったことを喜ぶ。それを見て相手が好感を感じないはずはない。その全体がそれを見ている私にもいい光景に感じられる。番組に人気があるのは当然だと思う。

 

 俳優やタレントでも、そのような面白がる人に私は好感を感じる。たいていそういう人は年齢に関係なく茶目っ気があるし、目に輝きがある。生きてるいることを楽しんでいるように見える。好奇心を持って素直に眼前のものに歓声を上げることの出来る人は魅力的だ。

 

 ブラタモリのアシスタント役の女性アナウンサーは今回何人目になるのだろうか。歴代の人たちは皆それぞれそれなりのポジションに出世したようである。タモリの横で面白がることに共感して、次第に目に輝きが出てくる。それが次第に魅力的になり、好感度が上がり、人気が出てくるのただと思う。タモリに影響を受けて輝いてくるのだ。

 

 そういう意味で今回の新しい人はまだぎこちない感じである。それがタモリの影響でだんだんのめり込むようになればいいのだが、と思う。今のところのめり込みたくてもソーシャルディスタンスの確保のためにタモリとの距離があって、それがそのまま心の距離のようになってしまっているように見える。まだ面白がる人にはほど遠いようで、もし本質的に面白がる人の要素を持たない人だったなら、ミスキャストだ。タモリも面白くないだろう。番組の魅力が半減してしまう。
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2020年10月18日 (日)

伊集院静『イザベルに薔薇を』(双葉社)

 詩を愛する少年は、愛する故郷を出て東京でさまざまな人間に出逢い、成長していく。描かれているのは彼の目を通して見える世界、そしてギャンブルという非日常の世界。それらは渾然一体となって無垢な主人公には興味深い。

 

 やがて彼はある人に伴われて旅に出る。三年を経て少年から青年となり、男となった彼は日本に再び帰ってくる。懐かしい街は変貌して、関係のあった人たちの境遇も大きく変わっている。そこで出逢うはるかに辛辣な相手に対して、主人公はひるむことなく挑戦していく。

 

 これは不思議なファンタジーであり、ギャンブル小説であり、成長物語である。この物語になじみだしたのは後半に入ってからで、少し時間がかかった。麻雀をはじめとして、ギャンブルにある程度知識がないと読み進めるのは難しいところがある。シリアスでリアルな小説を期待すると裏切られるので、ご注意を。類書のない、変わった味わいの小説で、不思議な読後感だが、読んで後悔する本ではなかった。人に勧めていいかどうかについては迷う。
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映画『情婦』1957年アメリカ

監督ビリー・ワイルダー、出演タイロン・パワー、マレーネ・ディートリッヒ、チャールス・ロートンほか

 

 原作はアガサ・クリスティ。当然最後にどんでん返しがあって、さらに・・・という映画である。モノクロ。

 

 最初はチャールス・ロートン演じる老獪な弁護士の病院からの退院、帰宅の様子が延々と語られていく。その会話に絶妙なユーモアがあり、弁護士の体調、性格や能力、いままでの辣腕ぶりが観客に自ずから理解されていく。そこへ殺人事件の弁護の依頼が舞い込む。

 

 濃厚な容疑者である男(タイロン・パワー)は状況証拠もそろっているために圧倒的に不利である。ただ一点、彼のドイツ人の妻(マレーネ・ディートリッヒ)の証言だけが彼のアリバイを証明するのだが、裁判では妻の証言は有力な証拠として取り上げられる可能性は低い。だから弁護側の証人として妻は召喚しないことに決める。

 

 弁護士は得意の弁舌を駆使して検察側の証拠や証人の証言を論破していき、次第に判決の行方が分からなくなっていく。

 

 やや状勢が弁護側優勢に傾いたとき、意外な目撃者の証言によって、被告は苦しい弁明に追い込まれる羽目に陥る。そんなとき、さらに検察側が重要証人として召喚したのは、なんとドイツ人の妻だった。彼女の爆弾証言によって裁判は一気に決着がつくかと思われた。どうして彼女はそんな証言をしたのか。

 

 弁護士があきらめかけたとき、見知らぬ女から弁護士のもとに電話がはいる。それは劣勢を一気に挽回する証拠の買い取りの申し出だった。

 

 裁判が終わったあとに、どうしてドイツ人の妻がそのような証言をしたのか、その真実が弁護士に明かされる。哄笑する容疑者の男。そして物語はそこで終わらない。さらに新たな悲劇が起こる。

 

 この映画は有名なのでいつか観ようと思っていた。期待通りの名作である。どうして『情婦』という邦題なのか、最後に明らかになる。
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2020年10月17日 (土)

葬儀費用

 テレビを観ていたら、バラエティ番組で、中曽根元首相の葬儀費用の半分、9600万円を国費でまかなうことの是非を論じていた。私は別に国費を出すことに問題があるとは思わないが、税金の無駄遣いを容認するかどうかという論点で論じているようで、日本人のさもしさもここまで来たかと哀しい気持ちになった。

 

 人間は生き物のうちで唯一死者を弔う生き物であって、それが獣と人間の違いだと言ってもいい。その弔意を表すべきかどうかは相手によるから、中曽根元首相の死に対して国民として弔意を表すかどうかは個人の勝手である。

 

 しかしある期間、国を代表して国務を担った人間に対して、国家として形の上の弔意を表すことについては反対するのはいかがなものか。どんな国だってそのような人が亡くなったときには国家は内外に形として弔意を示すのが常識であろうと思う。そのための費用について不必要に高額であるのは問題だろうが、無名の一個人の葬儀ではないのであるからそれなりの規模と費用もかかるだろう。9600万円といえば、国民ひとり当たり1円にも満たない出資である。先般もらった一人10万円の10万分の1以下である。

 

 それを目くじら立てて批判するのが正義であるかのようにわめいているから、さもしい、といったのだ。あたかも自分に入るべき9600万円が奪い取られるかのような騒ぎ方だ。嫌いな菅直人や鳩山由紀夫の葬儀にもし国費を出しても、私は反対などするつもりはない。私は国費を出しても出さなくてもどうでもいいが、出さないことに決めるようなら日本の国民には失望する。
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井上勝生『幕末・維新』岩波新書

 この本はシリーズ日本近現代史全10冊の第一巻。いままで幕末についての考察を何度かブログに書いたが、それはこの本をたたき台に、いくつかの本を読み比べて感じたものを書いたものである。繰り返し書いたように私の思い込んでいた幕末に対しての意識が少し変わった気がしている。

 

 この本の後半は維新以後で、その部分にも付箋が貼りまくってあって、それぞれについて一言書きたいところだが、いろいろ忙しくて細かく言及していられない。ほかの本を何冊も並行して読んでいて、頭がまだごった煮状態なのである。

 

 参考に開いている司馬遼太郎の『「明治」という国家』という本のなかに以下のような文章がある。

 

「外国はえびすだ。礼というものがない」
という中国の思想が幕府を毒していました。とくに朱子学が毒でした。その害は、日本は皮膚ぐらいを侵されている程度でしたが、清朝、あるいは李氏朝鮮は、骨髄まで侵されていました。自分の文化と他の文化という問題では、毒薬のような思想でした。破滅的なばかりに自己中心的な考え方で、当然ながら外国は蔑視すべきもの、あるいは異文化などは一切みとめぬ、さらに言えば民族を自己崇拝するという甘味な液体に浸らせるという思想で、要するに自分の文化以外の世界については思考まで停止しきっているといったものでした。

 

 まるでトランプは朱子学を信奉しているかのようで笑えるが、それはさておき、司馬遼太郎は「中国の思想が幕府を毒していました」と断じている。しかしこの攘夷思想を最も極端に抱いていたのは幕府ではなく、孝明天皇という人物であり、水戸や長州の志士たちであった。そのことを明快にこの『幕末・維新』という本では論じている。

 

 じつは外国との交渉に当たった幕府の役人たちは攘夷思想などに毒されておらず、当時の東アジア情勢をほぼ正確に認識した上で交渉に当たっていたことがこの本で明らかである。司馬遼太郎がこのように幕府に毒が回っていた、と論ずるのは昭和という時代の、戦争へ突入した淵源を朱子学的な自国中心思想に求めるからであろうと思うが、それはたしかにその通りなのだが、淵源を引きずり、日本を異常な国に暴走させたのは、まさに長州を中心としたそのような思想の持ち主たちの子孫だったのではないか。彼らはまさに神国日本という幻影を作り上げた。

 

私の粗雑な頭で乱暴に言うが、東国的思考様式と西国的思考様式というものがあるような気がする。「幕府が朱子学に侵されていた」と断ずる、まさに司馬遼太郎にそのような西国的匂いを感じているのである。いつかその辺をもう少し深く考えてまとめたいと思う。

 

 誤解しないでいただきたいが、私は司馬遼太郎を敬愛していて、著作もたくさん抱えてときに繰り返し読んでいる。その該博な知識から語られる歴史は大変興味深いし、勉強になっている。否定するつもりは全くない。違う見方を知ることで、さらに深く司馬遼太郎の本を楽しめるというものであろうと考えている。
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2020年10月16日 (金)

気をつけているけれど

 誤字脱字、「てにおは」の使い間違いは読んでいて気持ちが悪いから気をつけているけれど、書いているうちに頭の中に湧いてくる文章がコロコロ変わったりするためもあって、あとで読んでみて訂正することがよくある。

 

 言葉の意味を勘違いしていたり、書いてあることの内容に間違いがあるのはときに誰かに迷惑をかけることもある。しゃっべったことは消えていくけれど、書いたものは残るので注意が必要だ。

 

 同じ文章の中に同じ単語が繰り返し出てくるのは読んでいて見苦しい。どうしても繰り返したいときは言葉を違うものに置き換えるようにする。もちろん、ときに意識して同じ単語を使うこともないではない。分かってやっているつもりである。

 

 ブログに使う写真についても同様で、同じような写真がいくつもあるのはたいていちょっと見苦しく感じる。言葉も写真も削れるものを削って、伝えたいものを絞らないと伝えたいことが伝わらない気がする。そう思いながら冗句を繰り返している自分のブログを見て自分を嗤うしかないけれど。
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グレゴリー・ペック

 先般、『拳銃王』という映画を取り上げて、主演のグレゴリー・ペックが大好きだと書いた。私が初めて洋画のロードショーを千葉の映画館で観たのが、グレゴリー・ペック主演、ソフィア・ローレン共演の『アラベスク』という映画だった。いったいどれだけのグレゴリー・ペックの映画を観てきたのか、ウィキペディアでチェックしてみた。

 

『白い恐怖』1945年・ヒッチコック映画、これはビデオで観た。
『白昼の決闘』1946年・これもビデオで観た。
『拳銃王』1950年
『キリマンジャロの雪』1952年・同名のヘミングウエイ原作の映画化。これはLDを買って観た。
『ローマの休日』1953年・映画館で三回、ビデオでも二回観ている。
『白鯨』1956年・メルヴィル原作の映画。
『大いなる西部』1958年・長い。
『渚にて』1959年・ネビル・シュートの原作を読んでビデオを借りて観た。原爆戦争で人類が滅亡していく様子が南半球のオーストラリアを舞台に静かに描かれている。
『ナヴァロンの要塞』1961年・山形の名画座で観た。その後二度ほどビデオで観た。
『アラベスク』1966年
『レッド・ムーン』1968年・私にとって西部劇の傑作で、もういちど観たい。姿の見えないインディアンの理不尽な恐怖は最高。
『マッケンナの黄金』1969年・これももう一度観たい西部劇映画。
『宇宙からの脱出』1969年
『オーメン』1976年・シリーズ四作は全て観た。宗教がからんだホラー映画は怖くなくて面白い。信じてないから。
『ブラジルから来た少年』1978年

 

映画好きならなじみの映画がたくさんあるだろう。
グレゴリー・ペックは2003年に死んだ。知的な風貌の中に私はなぜか東洋的なものを見てしまう。それが好きな理由かも知れない。
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2020年10月15日 (木)

臨時収入

 海を見に行こうかと考えた。鳥羽・伊勢方面に久しぶりに行こうとしたら伊勢自動車道が集中工事中だと知り、たちまちその気が失せた。渋滞は大嫌いだ。

 

 じつは来週定期的な千葉県の病院へ行く予定がある。戸籍上だけの妻が入院している。もう退院は難しい状態だ。入院している病院からまた別の専門的な病院にも連れて行かなければならないので、一日仕事になる。その晩は弟のところにやっかいになるつもりだ。

 

 その足で群馬県の友人を訪ねたり、温泉に行ったり、最後には長野県の松本の友人を訪ねたりする予定を立てたところで、そんなにあちこち動かなくてもいいのだが、一度走り出すとじっとしていられない性分なのだ。

 

 動くつもりになったのはGoToトラベルのありがたさによるところが大きいが、それ以外にちょっとまとまった臨時収入があったからでもある。臨時収入といっても私の金ではない。妻の金である。しかし入院費用は妻の年金では足らないから、私からの持ち出しがあってそれが負担であった。

 

 別所帯としていた春までは医療補助がけっこうあって、妻の年金でほぼまかなえていたのに、形式上同居になったいまはその補助が半減してしまった。しかし今回の臨時収入で当分(少なくとも数年)は私からの持ち出しが必要なくなったのである。臨時収入というのは妻の親の遺産の配分である。そもそも当てにしていなかったからありがたいけれど、繰り返すが私の金ではない。

 

 私の金ではないが私の持ち出しがなくなればそれは私としてはゆとりとなる。ゆとりがあるなら元気なうちに、ましてや安く旅が出来るいまこそあちこち行きたい気持ちになるではないか。それに毎年秋に出かけていた海外旅行も、今年はまず無理だし、先日いつも一緒に行った友人が亡くなって、来年以降もどうなるか、たぶんもうこれで打ち止めかとあきらめている。そのために確保していた金も使えるのだ。

 

 一人での海外旅行といえば私にとって気楽にいけていたのは中国だけれど、いまの中国に行ってみたい気持ちは起こらない。せいぜい中国の紀行文を読むことで過去の中国の空を想いだすだけだ。
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映画『拳銃王』1950年アメリカ

監督ヘンリー・キング、出演グレゴリー・ペック、ヘレン・ウィスコット、ミラード・ミッチェルほか

 

 ガンマンとかガンファイターと呼ばれた連中は、当時の普通の人から見ても、ある意味でただの人殺しである。そのことがこの映画でもよくわかる。それは彼らが一面では悪に半歩踏み込んでいる存在でもあったからだろう。それは日本での任侠の渡世人と同じようなものではないか。彼らは正業を営む者とは見做されないのだ。西部劇と任侠映画は同じようなものだ、といえば腹を立てる人もいるだろうが、『シェーン』の最後のシーンと任侠映画のラストの共通点を感じないだろうか。

 

 実際に彼らは悪行をなし、ときに弱者のために命がけで戦ったりする。彼らに憧れる若者もいるし、彼らを撃ち倒して名を売ろうとするものもある。

 

 史上、早撃ちと言えばワイアット・アープが有名だが、ワイアット・アープに引けを取らない早撃ちと見做されていたリンゴ(グレゴリー・ペック)というガンファイターがいた。彼はある街の酒場で言いがかりをつけてきた若者を撃ち倒す。正当防衛であることをその場の皆が認めたものの、しかしその若者には兄弟がいて、どれも危険な男たちであるから街を出て行くように指示される。こうしてガンファイターにはさすらいが宿命づけられているのだ。

 

 その兄弟たちの追っ手がかかり、彼は反撃に出て、彼らを殺さずに馬を追って追撃できないようにする。リンゴが向かったのは彼に因縁のある街で、そこに向かう目的があった。その町に入るとたちまち彼の周りに人だかりが出来る。彼がリンゴであることが知れ渡ったのだ。そこへ保安官がやってきて、彼に街を出るように指示する。その保安官は昔一緒に悪事を働いたこともある旧友だった。そして保安官はリンゴの目的を承知していた。

 

 追っ手が迫る、そして名を挙げようと彼を付け狙うはみ出し者、そして彼が街に来た目的は・・・。彼の昔の女に会うことで、彼には息子がいるはずなのだ。一目見たいというのが彼の願いだった。

 

 こうして追っ手の迫る時間の経過と、彼の過去のはなしが交錯していく。追っ手が彼の計算とは違って、早めにやってくることを観客は知っている。危機が迫り、緊張感が高まり、やがてクライマックスに至る。

 

 大好きなグレゴリー・ペックが、さすらいのガンマンの哀愁を淡々と演じる。彼の理知的な風貌が、悲しみと希望にさまざまに変化していくのが見ていて痛ましい。

 

まさに

 

ふるさとへ廻る六部は気の弱り

 

を思わせる。
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2020年10月14日 (水)

谷沢永一『近代文学論争譜』つづき

 しばらく前に『鴎外にだけは気をつけよ(by内田魯庵)』というブログを書いた。これは全七章の谷沢永一の『近代論争譜』の第一章(と第二章)である。それだけ読んでも満腹になる文章なのだが、久しぶりに残りの第三章から第七章を、今度は一気に読んだ。所々に読めない漢字があるが、それにこだわると読むリズムが乱れるので気にしない。老婆心ながら谷沢永一は「たにざわえいいち」と読む。

 

 第三章と第四章は坪内逍遙との美学論争。ここでは森鴎外の粘着気質ともいえるしつこさに坪内逍遙がうんざりしてしまって、ついに沈黙してしまう経緯が細かく解析されている。一語一語の細部にこだわり、本質はそっちのけで勝ち負けにこだわる森鴎外の面目躍如だが、谷沢永一は、後生の気鋭の研究者(限られている・その理由は後段から判断されたい)が本質の方を指摘している文章にも目配りを怠らず、その一部を引用して論点を見つめ直す。

 

 ここで谷沢永一が皮肉るのは、まさに学術的近代文学研究会における様相が、まさに森鴎外的な世界であることである。先見主義に基づき、誰かの説を金科玉条として、新しい視点に立つ評論を批判するが、では自分自身の独自の考え、オリジナルは何かと言えば空っぽ、というのを嗤うのである。それは谷沢永一自身がその世界で生き、体験した世界なのだ。そしてそのような論争のスタイルの淵源を形作ったのがこの森鴎外だ、と断じている。

 

 かわいそうに、オリジナルはまさに坪内逍遙にこそあって森鴎外になかったことが、次の髙山樗牛と森鴎外の論争に関して考察する中で明らかにされていく。坪内逍遙の『小説神髄』を森鴎外は評価せず、以て後生の文学研究者の多くは『小説神髄』をよく読みもせず評価もしないで来たことを谷沢永一は批判している。

 

 このあとの第五章、第六章は髙山樗牛との論争だが、ここで髙山樗牛は森鴎外の弱点を理解し抜いた上で罠を仕掛けた論争をふっかける。森鴎外はいつものペースを乱されて枝葉末節にこだわって反撃するのだが、その浅薄さがことごとく見抜かれて劣勢となる。ついに森鴎外は髙山樗牛との美学論争から敗走するのだが、もちろん決して負けは認めないし、そもそも負けを自覚すらしていなかっただろう。都合が悪くなったから沈黙したのだ。

 

 第七章でその後の多少のやりとりで森鴎外の負け惜しみともいえる文章が引用されるが、そこには満腔の自信に満ちていたそれまでの森鴎外の生彩はない。

 

 これを読んだからと言って森鴎外の文業の功績が失墜するというものではない。それは谷沢永一が一番分かっている。私も多少は森鴎外の作品を読んできたし、この文章を読んだからと言って彼を嫌いになったりしない。私が島根県の津和野という場所が好きなのは、森鴎外の生地であるという理由によるのだ。鴎外は少年時代に離郷してから一度も帰郷しなかったけれど。

 

 ただ、森鴎外のこの細部にこだわって本質を見失い、相手の言うことに耳を傾けることがなくなってしまうという性癖が、あの脚気についての陸軍と海軍との対処の仕方に及んで、多くの病者を生んだことにつながったことを思うばかりである。
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ヘブンズ園原・展望台

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リフトで展望台へ向かう。展望台は標高1602メートル。

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リフトの横には少し早めに黄葉した木が見える。この辺りが一斉に紅葉するのは最低気温が毎日10度以下になるころで、10日ほどあとか。その頃はもっと混むだろう。

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展望台からの眺め。

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展望台左手には白樺林があり、たぶんその向こうには南アルプスの山々が見えるはずである。

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雲上から下界を眺めている心地がする。

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山襞が美しい。

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木々がやさしくこちらを見ている。

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下りのロープウエイから。雲がどんどん湧き出してきた。

それほど歩いていないのに思いのほか足腰に疲労を感じる。帰りの中央道は集中工事で一部が対面交通だったりしていて所々渋滞。出かけるのは楽しいけれど、疲れる。年齢のせいで軟弱になった。

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2020年10月13日 (火)

ヘブンズ園原・ロープウエイ

妻籠宿から飯田方向に走る。清内路街道という道で、清内路峠、清内路トンネルを越えると昼神温泉を経由して飯田に至る。昼神温泉にはこどもが小さい頃はほとんど毎年泊まりに行った。朝市には、春には山菜、秋にはキノコなどがならべられ、それを買って帰るのも楽しみの一つだった。

その昼神温泉の手前を、中央道の園原インター方向にむかい、インターに行かずに案内に従ってさらに進むとヘブンズ園原のロープウエイ駅に行くことが出来る。着いたのは二時過ぎであった。

マスク、体温のチェック、手のアルコール洗浄をして入場。「帰りの最終ロープウエイは四時です」と係のおじさんに告げられる。ロープウエイは片道15分近くかかるし、上に登ってからさらにリフトに乗りついで展望台に行くので、ゆっくり出来ない。「現在展望台の気温は16度で、これから気温は下がっていきますよ」。大丈夫、着ているのは厚手の長袖だし、さらにウインドブレーカーも持ってきたのだ。

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ロープウエイで上へ登る。このロープウエイはとにかく長い。高いところが好きでロープウエイが好きな者には料金往復2300円はちっとも高くない。

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下界を見下ろす。いいなあ。山高ければ谷深しかあ。

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ゴンドラには座席がない。定員は最大9名となっているが、次がすぐ来るので、たいてい一人で乗ることが出来る。日が陰りだしている。

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上の駅に到着した。この辺りには遊歩道や植物園など、丁寧に見るとそこそこ楽しめる場所がある。ペアリフトで歩かずにつぎの展望台へ行くリフトに乗り継げるけれど、そこは徒歩で行くことにする。

雲が出てきた。上は大丈夫だろうか。

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斜めの光線が木々の梢を光らせて美しい。風はほとんどない。五分あまりで展望台へ上るリフトに到着。

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妻籠宿(2)

水車小屋や高札場のある場所とは反対の端から宿場を歩いている。

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日曜日だったから人出が多い。もうコロナはあまり気にしなくなりつつあるのか。

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宿場の絵のようなのはのれん。先日は大内宿のものを買ったところだ。欲しいけれどやめておいた。栗きんとんは中津川からこの辺り一帯の名物。栗の採れる時期である。

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ヘチマがぶら下がっている。おばさんたちが通りかかり、「これなあに?」などという人がいてびっくりしたが、「ヘチマよ、知らないの」などと言われていた。昔祖父がヘチマ水をとって香料を加えて化粧水を作り、祖母も母もそれを使っていた。もちろん皮と身を取り除いたヘチマをたわし代わりに使ってもいた。

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水車小屋。

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高札場。江戸時代でもこれが普通に読める人が当たり前だった。

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鯉岩。昔は本当に鯉に似た岩だったが、濃尾地震で崩落してしまい、名前だけが残っている。

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宿場をさらに進めば里山の景色が広がる。なんとなく寂れを感じる。

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帰り道。当たり前にあるようで、このように観光用でなければ残されることのない風景。

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秋を形にして見せてくれていた。

満足して妻籠宿をあとにした。炎天下を歩いたので汗をかいた。

2020年10月12日 (月)

妻籠宿(1)

昨日の日曜日、台風一過の好天が前日から予報されていたので、早朝から出かけようと思いながら前夜の晩眠れずに夜更かししてしまった。
あきらめて洗濯などをしてからコーヒーを飲みつつ音楽を聴いていたのだが、このままで時間が過ぎてしまうのがもったいない気がして、11時過ぎに慌てて支度をして出発した。向かう先は木曽街道・妻籠宿。時間が許せば清内路街道を越えてヘブンズ園原へいくつもりである。

 

小牧から高速に乗り、中央道を中津川まで走る。中津川から国道19号線を北上。標識に「馬籠宿へは右折」の文字を見て急に気が変わり、馬籠宿にも立ち寄る気になった。馬籠宿も妻籠宿も両方好きだが、私の好みは妻籠宿。別に馬籠が坂道だからと言うわけではない。ところがその馬籠宿は観光客であふれていて、駐車場もほぼ満杯である。無理に停められないことはないようだが、急に立ち寄る気が受けた。

 

そこでそこから馬籠峠を越えて妻籠へのちょっと急坂で狭い道を走る。これがまさに中山道そのもので、馬籠から妻籠への約八キロの木曽路ハイキングコースでもある。
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いつもと違う駐車場に停めて妻籠宿にはいる。

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妻籠宿は中山道の宿場の一つであり、この辺は木曽街道と呼ばれる。私が国道19号線から曲がった辺りは落合宿といい、そこから馬籠宿、妻籠宿と続く。さらにその先を北上すれば木曽福島の各宿場に至るのである。

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こういう店の木製品は魅力的だし丁寧に手入れして扱えば一生ものだというが、いつも眺めるだけ。

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庭先を掃くおじいさん。おじいさんと言ったって私と大して年は変わらないだろうが、そのことをつい忘れる。落ち葉の舞い散る時期になったのだ。日陰と強い日差しの場所のコントラストが強すぎて写真を撮るのが難しい。

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横道を流れる水路は澄んでいて気持ちがいい。こういう道はみな向こうへ抜けられる。

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時代をタイムスリップしたような気分になる。

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柿の葉は多くが落ちてしまい、残った赤い実がひとつ。今年は私の大好きな柿があまり店頭に並ばない。不作の年なのだろうか。

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軒下にこんな花(名前が分からないからこう呼ぶしかない)が咲いているのもゆかしい気がする。

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岩魚味噌

 先月の東北の旅で立ち寄った南会津の大内宿で、自分への土産に岩魚味噌という瓶詰めを購入した。岩魚を一匹まるごと加工して味噌にしたものである。そのままご飯のおともや酒の肴に出来るが、販売していた棚に調理法の一例として、熱したフライパンでオリーブオイルに刻みニンニクで香り付けして、そこにこの岩魚味噌を加えてなめ味噌にすると美味しい、と書かれていた。

 

 早速試してみた。ビールやハイボールのつまみに適する。日本酒にはなにも加工せずにそのままなめる方が美味しい。

 

 昨日はボリュームをつけるためにニンニクで香り付けしたオリーブオイルにタマネギとキャベツを刻んで放り込んで炒め、そこに岩魚味噌を加えて味付けにした。仕上げに、胡椒を振り、いまジャングルのように繁茂しているパセリをたっぷり刻んで混ぜてみた。

 

 適当で雑な料理だが、けっこう味のバランスも悪くなくて、いいつまみになった。これも日本酒にはあまり合わない。ハイボールにした。

 

 オリーブオイルもニンニクも使わず、野菜と岩魚味噌をサラダ油で炒めて白醤油で味付けしたら日本酒に合うかも知れない。野菜は長ネギだけにしたらいいかもしれないなあ。

 

 昨日は天気が良かったので、ちょっとドライブに出た。夕方のブログに写真付きで報告する予定。
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2020年10月11日 (日)

旭日旗様デザイン禁止法案可決

某通信社による速報

 

某月某日
 韓国国会は、大日本帝国の旭日旗に似せることを意図するか否かにかかわらず、全ての旭日旗様デザインを有するものを排除する法案を可決した。今後韓国内では旭日旗をわずかでも連想させるものは全て禁止される。一部反対する議員もいたが、「親日家!」と罵倒され、口をつぐんだ。

 

某月某日
 青瓦台(大統領府)はその法案に従い、「旭日旗様デザイン監視委員会」を設置し、実働部隊が全国に配備された。今後韓国内の全ての旭日旗様デザインを有するものは徹底的に排除され、それを所持していたものは厳罰に処せられることになった。

 

某月某日
「旭日旗様デザイン排除実働部隊」は全国の花卉店の放射状の花弁を有する花を全て接収した。ひまわり、ガーベラ、菊などをはじめそのデザインに該当するかどうか判明しがたいものも含めて全て没収された。花屋の店頭では一部市民が店内になだれ込み、花を踏みにじる姿が各地で見られた。

 

某月某日
 韓国は世界各国に向けて、「旭日旗様デザイン」を有するものを禁止するよう強く求め、国連に緊急提案がなされた。国連はそれを議題として取り上げるかどうか協議を開始した。いち早く中国がそれに賛同したもようで、当然アフリカ諸国も賛同するものと思われる。

 

 花の写真を眺めていたら、これが旭日旗のデザインに見えたので、他愛もないものを書いてみた。もちろん冗談です。旭日旗に似たデザインをことごとく非難して噛みつく連中を嗤っただけである。
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幕末についての考察(3)・汚点

 時代の変革時には権謀術数、そして陰謀、謀略がつきものであるようで、きれいごとだけでは世の中を変えることは出来ないらしい。

 

 幕末の京都でのテロリズムは大義のためという名目を超えている。どれほどの有為の人が犠牲になったことか。それを阻止しようとする新撰組の存在は、案外京都の市民たちには受け入れられていたのではないか。

 

 いまNHKの時代ドラマで大佛次郎原作の『鞍馬天狗』が放映されていて、楽しんでいる。むかし、原作を図書館で借りて読んだ。最初の二巻か三巻目くらいまでが幕末で、そのあとは延々と明治に入ってからの話になっていく。四巻目くらいまで読んだだろうか。この中で、鞍馬天狗が単純な勤王派ではないことがなんとなく不思議だった。勤王が正義で、佐幕が悪としてこども時代から刷り込まれていたからだ。彼は勤王派であってもテロリズムを憎んで、その妨害をするし、敵であるはずの新撰組の近藤勇とも心を通わせたりする。いまなら大佛次郎の言いたいことが多少分かる。今回のドラマでも、その辺はそこそこ原作通りに描かれているようだ。

 

 薩摩の大久保利通、西郷隆盛は、大政奉還以後、趨勢が徳川家存続に傾きかけたことを覆すため、益満休之助などを使って江戸薩摩藩邸を根城にして浪士たちによる関東一円の攪乱工作を進めた。豪商は軍資金調達のためと称する浪士たちに繰り返し襲われて金品を強奪され、辻斬りまがいの殺人が横行し、市中の治安は急激に悪化した。ほとんど公然たる挑発目的のテロ活動だったけれど、幕府は必死で耐え続けた。しかしついに耐えきれなかった庄内藩などの藩兵が薩摩藩邸を襲撃して焼き討ちしてしまう。

 

 ここに鳥羽伏見の戦いへの火蓋が切って落とされることになった。口実を得た勤王側は、幕府側を「朝敵」と断じ、自らを「官軍」とする名目を得て一気に攻勢に転じたのだ。

 

 もうひとつ、私の念頭から消えない官軍側の汚点は「赤報隊」の処断についてである。戊辰戦争には、浪士や豪農商が、草莽隊を組織して参戦した。十津川郷士隊、赤報隊、高野挙兵組、北辰隊、金華隊、応変隊など多数があったが、特筆すべきは相楽総三が率いた赤報隊の事例である。

 

 赤報隊は近江で結成された。相楽総三は赤報隊の関東進軍の「先鋒」の任命と民心を得るための「年貢軽減」を建白し、これが官軍(新政府)によって承認される。赤報隊は年貢半減を布告しながら進軍し、一気に中山道を東進する。新政府が「年貢半減」を撤回し、赤報隊に帰還を命じたとき、赤報隊は諏訪に至っていた。新政府は相楽総三以下の幹部を捕らえ、「偽官軍」として五十人あまりを鳩首(斬首してさらし首に)した。年貢減免を承認した事実をなかったことにしたのだ。

 

 池波正太郎の師匠である長谷川伸の労作、『相楽総三とその同志』(講談社学術文庫)には草莽の志士たちの生き様と赤報隊の経緯が詳細に書き記されている。相楽総三たちの汚名が雪がれたのは、はるか後年になってからである。この本に描かれた人数は膨大な数に及び、それぞれの志士たちの熱い思いに打たれる。
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2020年10月10日 (土)

学問の自由

 日本学術会議に批判的な立場からの発言であり、かなり限られた情報をもとにしていることを自覚しながらの発言であることをお断りしておく。

 

 日本学術会議が、首相の任命権限に基づく新規推薦会員一部拒否を「学問の自由」の侵害であるとして激しく抗議している。

 

 学問の自由を言うのなら、日本での軍事研究を日本学術会議の権威を持って禁止しているのは学問の自由の否定ではないのか。もちろん私だって軍事研究を自由にしていいとは思っていない。さりながら必要な研究はあり得ると思う者であり、その基準を示すのが日本学術会議の役割ではないか、と思う者である。それが全否定とは観念的に過ぎるのではないか。

 

 日本国内での軍事研究を全否定しているのに、海外で日本の研究者が共同研究していることについては沈黙していると報道されているが、それは学問の自由だからか。それではダブルステンダードではないのか。中国との共同研究すら現実に行われていることに沈黙しているならば、それは日本国の公的な組織としていかがなものか。

 

 いま日本学術会議の存在に日本国民の目が向けられるようになり、論争に関心を持つことになったのはけっこうなことであろう。日本学術会議は組織の面子を守るために、自らの存在の意味そのものを問われることになってびっくりしているのではないか。これから日本学術会議の問題点が次々に明らかになるような気がする。菅首相はまったく引く気はないようだから、たぶん次第に学術会議側は敗勢に追い込まれることになるだろう。これは私の願望ではなくて予測である。

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映画『ビッグ・ケーヒル』1973年アメリカ

監督アンドリュー・V・マクラグレン、出演ジョン・ウエイン、ジョージ・ケネディほか

 

 古い時代のテイストのある西部劇である。それは登場人物たちの死生観による。死を軽く見ているわけではないけれど、死に拘泥しすぎては生きていけない時代が描かれている。日本もそういう時代を経ている。というよりも、いまはあまりにも死から目をそらし続けることによって、かえって死にとらわれているということだろう。

 

 死を受け止めるためには、死を直視するしかないのだ。戦争を直視しないで真の平和が得られないのと同じであろう。

 

 誰かに頼り、ことごとく誰かの責任を問うことで自己正当化をするのが人間の常である。そんなことでは生きていけないのが社会というもので、大人になるということはその自己正当化を恥とし、そうなりがちな自分を自覚して自己を律することである。

 

 この映画ではそのような大人しか生きていけない過酷な社会の中で、毅然と生きる、ケーヒル(ジョン・ウエイン)という連邦保安官を主人公として描かれる。妻を喪い、二人の息子を男手で育てているが、仕事のために常に不在である。少年である二人の息子は、まさにこどもとして父親を頼り、慕い、それがかなえられないことで父親に強く反発している。

 

 父親は男の生き様を背中で見せつつ、息子をときに冷たく突き放しながら、彼らが自立するのを陰ながらじっとみつめていく。それは命の危険を伴うような突き放し方だけれど、息子たちが男になるためにはそこに甘さがあってはいけないことを、だれよりも承知している父親の愛情がある。助けることが出来ても、ときには助けないことも必要なのだ。

 

 この前に観た『ミルドレッド・ピアース』では、母親が娘のために才覚の限りを尽くして愛しんだことが、娘の自立を疎外して悲劇となる。愛情とは何か。同じことが違う結果に至ることもあるのがこの世の中で、究極的には運不運というしかないような気がする。不幸に至らなかったことを幸せと思えば好いのだ。
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2020年10月 9日 (金)

養老孟司『AIの壁』(PHP新書)

 帯には「人工知能の限界と日本の未来を4人の叡智と語り合う」とある。

 

 脳について考え続けている養老孟司が、AIと人間の脳とは同じなのか、違うのか、AIが人間を超えることが在り得るのか、AIは自らを問うことが可能なのか、それを対談の中で語り合う。互いの持論を語り合うことで新たな知見にいたり、さらに思考を深化させていくのを、この本を読みながら楽しむことが出来る。

 

 AIは情報をもとに推論するようにプログラムされている。その情報が多ければ多いほど正しい推論が導き出される、と思われたりもするが、それはいかがであろうか。さらにそこに不確定性、偶発的な事象を取り込むことで推論の正確性は増していくであろうか。AIは自然界の不確定性を受け入れることが可能なのだろうか。

 

 もしそれらの壁を全て乗り越えていって、AIが人間の脳と同じように自発的に思考することが可能になったとしたら、人間にとって、AIはいかなる存在となるだろうか。多くの仕事がAIの方が効率的に処理できるようになったとき、人間は社会的に必要な存在といえるだろうか。たぶん、かなり多くの人が仕事を失うことになるだろうことはすでに予測されているが、それなら人間にしか出来ない仕事を人間は生み出し続けることが可能なのか。

 

 人間が人間であることの原点が問われることになる。養老孟司がかねがね言っているが、都市とは人工物の世界、脳によって作り出された世界であり、人間はそれによって自然からどんどん疎遠になっている。自然と疎遠になることで、果たして人間は生物としての有り様を維持できるのだろうか。

 

 そこにはバーチャルという仮想空間と、現実との境界を見失った、生命エネルギーを喪失してしまった虚無的な未来が待ち受けているのではないか。

 

 このブログはこの本の内容の紹介ではなく、私が日頃感じていることと、この本から新たに考えたことを書いたものである。だれもがこの本を読んで、あらためて感じること、興味を持つこと、新たな視点を得ることが出来るだろうと思う。それは人それぞれでずいぶん違うだろうけれど、たぶんみなそれなりに、この先いったいどうなるのだろう、という問題意識は持っているはずだから。
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映画『ミルドレッド・ピアース』1945年アメリカ

監督マイケル・カーティス、出演ジョーン・クロフォードほか。

 

 ジョーン・クロフォード(1904-1977)はサイレント映画時代からの女優である。私にとって彼女は『なにがジェーンに起こったか?』(1962)というパティ・デイビスと共演した強烈な映画(怖い・怖いけれど傑作)で初めて出逢って以来、忘れられない女優のひとりになった。

 

 大好きなペギー・リーの『ジョニー・ギター』という歌が『大砂塵』(1954)という映画の主題歌であることは知っていたが、数年前にBSでようやくその映画を観ることが出来た。その映画のヒロインがジョーン・クロフォードだった。

 

 今回観た、この『ミルドレッド・ピアース』という映画は、ある殺人事件を発端にして、ジョーン・クロフォードが扮するミルドレッド・ピアースという女性の半生を描いている。彼女の特徴である大きく目を見張るいささか誇張された演技(これが強烈に印象に残る。いささか恐ろしい)は、この映画では控えめにされていて、強い女であるからこそ経験する悲しみというものを共感させてくれていた。

 

 向上心のある女、自立する女というものが、どういう辛酸をなめさせられるか、それを嫌というほど感じさせてくれる。この映画が作られたのは1945年であるから、まさに太平洋戦争が終わった年である。世はまさに男の時代だった。

 

 男の時代の男は、女を尊重しているように演じながら、決して女に主導権を渡すようなことはなかった。主導権を維持し続けるためには相手よりも上位を示し続けなければならないから、男にとっても大変なことである。女性が賢くその中で立ち回って力を持つためにどんな生き方があるのか、それをミルドレッド・ピアースは必死で模索していく。そして彼女の意のままにならなかったものによって、彼女はどんな報いを受けるのか。

 

 賢くて、強くて、意志を持った女性を演じるのにジョーン・クロフォードは最適であるとともに、その女性が勝ち得たものが瓦解したときの悲しみを演じるにも最適であった。
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2020年10月 8日 (木)

正しい人

 非の打ちどころのない生き方をしているけれど他人には斟酌しない人がいる。自分中心にものを考えているけれど間違ったことはしないし言わないから批難しようがない。

 

 そういう正しい人は敬して遠ざけるしかないのだけれど、縁があれば関わりが生じてしまうこともある。

 

 苦手だなあ、そういう人。

 相変わらずひたすら眠い。雨だから出かけることもないけれど、本を読み出すと少し読んだだけで寝落ちしている。それなのに夜は普通に寝られる。猫になったみたいだ。一日が短いなあ。
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独り芋煮会

 季節になったので、芋煮を作った。水を張った大きめの鍋にこんにゃくと糸こんにゃくをいれ、皮をむいた里芋をいれ、タマネギ、ネギ、キノコ各種(シメジ、ヒラタケ、舞茸、エリンギ)をいれ、火を入れて煮ていく。酒を入れ、砂糖を入れ、醤油を入れて煮えてきたらかつおだしを入れて最後に牛肉をいれる。

 

 不器用なので、里芋をむくのにいつも苦労する。以前皮がむけている里芋を買ったけれど、表面を薬品で処理しているのだろうか、ぬめりはないし煮えてもあまり柔らかくならず、しかもまずい。やはり自分で剥いた里芋でないとならぬ。

 

 牛肉はオージービーフの脂身の多い、安い切り落としをたっぷり使う。芋煮には上等の肉は必要ないのだ。砂糖は多すぎるくらいが美味い。味付けは大雑把でも失敗することはないから大丈夫。昆布だしは使わない。

 

 本来芋煮にはあまりキノコを入れないが、だしが出るから私はどんどん投入する。自己流である。

 

 学生時代、山形では馬見ヶ崎川の河原で、米沢では松川の河原で毎年何度も何度も芋煮会をして来たるべき冬に備えたものだ。とことんバカ酒を飲み、歌い、語り合うその楽しさは格別だ。

 

 独り芋煮会では歌うことも語ることもないけれど、冷や酒を飲みながら舌鼓を打ち、酩酊した。
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2020年10月 7日 (水)

池波正太郎『夜明けのブランデー』(文藝春秋)

 昭和六十年発行のこの本はしゃれた本で、もともとこどもの頃は画家になりたいと思っていた池波正太郎本人の素人離れした挿絵がふんだんに使われている。彼はこのとき六十二歳、体調の衰えを実感している。そしてこの五年後、平成二年に六十七歳でこの世を去ってしまった。

 

 この、コラムに近いような随筆集では、書いている作品のこと、こども時代のこと、食べ物のこと、大好きなフランス映画のこと、たびたび出かけているフランスの話、気学についてのうんちくなどが語られている。

 

 彼がなににこだわって生きてきたか、それを知ることで彼のものの見方、考え方を感じることが出来る。彼こそダンディな男だと思う。妥協しないで生きたことで、それなりに周囲と軋轢もあったようだが、彼がわがままを通しているとしか見ることが出来ない人は、彼の生きる美学については想像も出来ないことだろう。

 

 自分の生き方を貫くには強さが必要で、彼は強さと江戸っ子としての正義感と人を見る目の優しさを持っていた。かっこいいなあ、と思う。

 なんだか眠くてたまらない。読みかけの本がいろいろあるのに、この本のような、読み慣れた読みやすい本をつい取り出して開いて読んでしまう。
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変わり目

 季節の変わり目は体も変わり目らしい。

 

 早出するつもりで一昨日の夜は八時過ぎに就寝した。夜中の三時に目覚め、ごそごそ動き出し、暗いうちから朝食を摂った。夜明けを見て出発しようとしたらなんとなく胸騒ぎがする。

Dsc_4335昨日の夜明け

 七年前、このようにして伊勢から鳥羽、南紀に向かって走って、尾鷲から熊野に至る辺りで事故を起こし、廃車を余儀なくされた。ほんの少しの間だけれど気を失った。それなのに体のどこにも怪我がなかったのは体が人一倍頑丈に出来ているだけでなく、車の安全性も寄与したのだろう、不幸中の幸いだった。とはいえ事故というのは相手もあって嫌なものである。

 

 そうなると出かける気持ちが失せてしまった。

 

 ぼんやりしているうちにいつの間にか朝寝をしていた。なんだかいくらでも寝られる気がした。夏に蓄積した疲れのようなものが、季節の変わり目とともに一気に吹き出してきたようだ。こんな体調を無意識に感知して出かけるのを踏みとどまらせたのかも知れない。出かけたところでなにもなかったかも知れないが、こういうときはそういうお知らせに従うのが私の生き方である。

 

 話は替わって、学術会議の騒ぎについて。その是非はそれぞれの見方で変わることだろうが、私には政治家が学術会議側の推薦に口を出したことに対する怒りから発した反撃に見えている。その怒りは、もともと学者は政治家を見下していたのに、その愚かで無知な政治家が学者に逆らったから腹が立つ、という心底から発しているというように見えるのだ。

 

「学問の自由が侵された」などとわめいて見せて、これでまた政権側の攻撃の新しいネタが出来たとマスコミや野党を喜ばせている。その言い方を見ていると、政権に反対したから学者としての行動発言が全て封印されたかのような騒ぎである。日本が、現実に学者が封印されている中国や北朝鮮と同じような国になったかのようである。全然違うだろう。学者というのはどれほど世間離れしてるのだろう。全ての学者がそうではなくて、学会を牛耳っているのがそのような連中らしいことは以前から聞いていたけれど・・・。面倒だから一度学術会議を解散したらいいのだ。そもそもどんな役に立っているのだろうか。まずそれが知りたいところだ。
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2020年10月 6日 (火)

精神のマグマ

 NHKに『偉人たちの健康診断』という番組があって、取り上げられる人にときに気になる人があるけれど、めったに観ることはなかった。それが先日、宮沢賢治の話だったので録画しておいた。たまたま先般の旅で岩手県の花巻に行き、宮沢賢治記念館に行ったばかりである。

 

 もう二十年以上前のことだが、母が親友と東北巡りの旅に行き、この記念館を訪ねていたく感激して、「好かったよー」と言ったときの嬉しそうな顔が想いだされる。その親友はそのあとまもなく亡くなってしまい、母の落胆は大きかった。いまならその気持ちがいっそう分かる。そして母はともに旅に出る相手も失ったのだ。

 

 だからリタイアして早々に花巻に行き、宮沢賢治記念館を訪ねた。もともと好きだったから彼の童話や詩をそれまで以上に読んだ。

 

 番組の性格上、宮沢賢治の健康を語ることで彼を語っている。彼の最愛の妹のトシも、宮沢賢治自身も、結核で死んでいる。そのトシの臨終の場が描かれた『永訣の朝』は心を強く衝つ。「ゆきゆじゅとてちてけんじゃ(あのみぞれ雪をとってきてください)」というトシの願いの言葉が詩の中でリフレインする。その願いに従い、賢治はシャーベット状のみぞれ雪を熱でほてったトシの口に含ませてやる。聡明で明るく、だれよりも賢治を理解していた最愛の妹が死に瀕しているときの情景を切々と詩うこの詩に、胸が熱くならずにおられようか。

 

 私は鈍だから詩がなかなか理解できない。その詩に籠められた、詩人の熱いマグマのような熱量を感じることがなかなか出来ない。それでもときにはこの『永訣の朝』のようにそれを感じられることもある。だから上っ面をなでるだけになってしまうことが多いけれど、ときどき詩を読む。

 こんばん、WOWOWで『ラスト・オブ・モヒカン』が放映される。この映画のダニエル・デイ・ルイスは最高だ。この物語の原作『モヒカン族の最後』は、メルヴィルの『白鯨』とならんでアメリカ文学の傑作だと私は思っている。この映画を劇場で観て感激して、そのときはもう一度映画館に足を運んだ。いつかWOWOWで放映して欲しいと願っていたので大変嬉しい。もちろん録画してコレクションで残すつもりである。西部劇の傑作だと思う。
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足がほてる

 長距離ドライブ旅をして、エコノミー症候群となったらしく、足がむくんでなかなか引かなかった。もともと足がむくむ傾向があったけれど、泌尿器系の疾患や糖尿病と関連があるのかも知れない。

 

 足首を強く起こしてふくらはぎを緊張させたり弛緩させたり、膝裏やももの裏を伸ばしてストレッチしたりを繰り返し、さらにつま先立ちなどを続けているうちに、一週間ほどでようやくむくみは解消した。

 

 その後も下腿部のストレッチは続けている。おかげでむくみは治まったままである。昔から普段は冬でも靴下ははかない。現役中は営業職だったから黒い革靴を長時間はいていた。それが何より苦手だった。私はいつでも裸足でいるのが快適だ。それに足が冷えるということを知らなかった。真冬でも布団から足が出ても平気だった。

 

 それがときどき足がむくむようになった頃から足が冷えるということを知るようになった。いま、むくみが解消するとともに昔のように足がほてる状態になっている。体の中のいろいろなものの循環が少し良くなったような気がする。

 

 頭の方への循環も少しくらい良くなるともっとありがたいのだが、まだそちらへの効果は感じられない。そちらは別の回路なのかも知れない。
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2020年10月 5日 (月)

信用しているから信用できない

 世の中はデジタル化が必然であるとして、その方向に急速に進行しているようである。「ようである」、というのは、私がそれについて行く気があまりなくて、次第に置いていかれているところから眺めているからだ。

 

 個人情報保護については私はそれほど神経質ではない。本質は、デジタル情報を悪用する人間がいて、その人間がなかなか特定も出来ないし、法律の不備もあって処罰することも出来ていないということにあると思っている。個人のハッカーばかりではなく、国家が組織的に行っているらしいことも伝えられていて、果たしてデジタル化というのはその便利さと悪用による不都合を秤にかけたとき、有用なのかどうか疑問に思っている。

 

 もちろん計量的に言えば有用の方がはるかに大きいからデジタル化が推進されているのだろうけれど、悪用することのほとんどは将来的に阻止される、という希望がなければ不安は消えない。その秤が逆に傾くことは本当にないのか。セキュリティの攻防が「いたちごっこ」などと言われているうちは信用できるはずがないではないか。

 

 私は世の中のたいていのことは信用してかかっている。特に日本では悪意のある人間はいないことはないけれど、他国より少ないと思っている。しかしその信用している日本のシステムがしばしば不具合を起こし、先日の東京証券所の大トラブルなど、いざというときのバックアップ態勢までが機能しなかったという、信じられないお粗末な事態には唖然とした。銀行でも繰り返しシステムの不具合のニュースを聞いた記憶がある。最先端を行くはずの富士通がこのようなお粗末をしでかす、それも前科がありながら同じようなミスをする、というのは、どうしたことか。

 

 信用してかかっていたから、このようなミスを繰り返し聞かされて信用できなくなる。たぶん中国や韓国では公的機関のシステムなど、国民はもともと信用していないから、トラブルがあってもそれほどひどい信用失墜が起きないのかも知れない。完璧であることが常に求められる日本では、「不備があり得ます」、というシステムは信用されない。それは日本人がお人好しであるということでもある。完璧などこの世にあるはずがないのにそれがあると思っている。そのように日本人はお人好しで、だからこそミスが起きるということもあるのだろうか。日本でデジタル化が遅れている理由はこの辺にありはしないか。
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耳になじむとともに憶いだす

 私は鈍なので、好いと感じたものを繰り返し味わうことで、その本当の良さをようやく知ることが多い。平原綾香のアルバムCDを七、八枚持っているが、カーナビに取り込んで運転中に繰り返し聴いていて、たぶん数百回は聴いているだろう。いまは一曲終わると次のイントロがひとりでに頭の中で鳴り出すほどである。聴けば聴くほど平原綾香が好きになっている。だから繰り返し読んでいる本もたくさんある。読めば読むほど気がつかなかったことに気がつき、心に響くようになる。

 

 いま、e-onkyoから購入したハイレゾのアリス=沙羅・オットの『ショパン ワルツ名曲集』を繰り返し繰り返し聴いている。意識して聴いているときもあるし、本を読みながらほとんど聞こえていないこともあるが、ほとんど耳に障らない。聞き覚えのない曲もあるけれど、多くがじつは昔なじみの曲であることに気がついた。

 

 祖父母の家は私の住んでいた家からバスで一時間足らずの所にあって、私の家は九十九里浜のある太平洋側に近く、祖父母の家は千葉の海岸に歩いて行ける東京湾側にあった。小学校一年生くらいのときから、まとまった休みのときは一人で祖父母の家に泊まりに行った。以前にも書いたけれど、明治生まれの祖父母にしつけを受け、ものの考え方も刷り込まれた。

 

 その祖父母の家の前の、車が通れるか通れないくらいの狭い小路を挟んで向かい側にピアノの先生の家があった。毎日毎日、終日ピアノの音が聞こえていた。そのときに聞こえていたピアノ曲のいくつかがショパンのこのワルツ集に収められている曲らしいことを憶いだしたのだ。その前の小路は行き止まりの袋小路で、その頃は祖父母の家の奥は草原だった。バッタなどの虫がたくさんいた。そこでアブに刺されて痛かったこと、庭の草花に朝晩水やりをするのを手伝ったこと、日記を毎日書かされて祖父に添削されたことなどを、そのときに聞こえていたピアノの音とともに憶いだした。

 

 歩いて行ける登戸海岸に祖父に連れられていき、防波堤を下りて数百メートルの干潟を歩いて、その先の海で泳ぎを教えられたり、潮干狩りをした。アサリが面白いように採れた。その海も私が中学生になる頃に埋め立てが始まり、海は遙か向こうへ行ってしまった。たぶん今はあの海岸は海だった痕跡すらないだろう。音楽と記憶の連動を久しぶりに感じた。
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2020年10月 4日 (日)

気を取り直す

 友人の死でなにも手に着かなかったけれど、それでも腹が減るから飯を食い、眠れなかったけれどいつの間にか眠っている。諦観と無常観はまだこころのなかに居座っているけれど、まだ私はこちら側にいる。人生の残された時間でやりたいことをやる時間は多少は残っている。

 

 ようやくぽつりぽつりと本を読み始めた。集中力も持続力も回復していないので、たくさんの本をとっかえひっかえしながらもそれなりに書かれていることが深く心に響くようになってきたのはありがたい。

 

 録りためたテレビ番組も少しずつ観ては消去している。さすがに映画はまだ観る気力がないのでBDにダビングしている。

 

『岩合光昭の猫歩き』は好きな番組だが、今回は会津の猫の紹介だったので、録画しておいた。期待通り、最初にこのあいだ訪ねたばかりの大内宿の猫が映し出されて、なんだかその場に戻ったような気持ちになり、とても懐かしい気持ちになった。会津と猫はよく似合う。気持ちが大いに癒やされた。

 

 新しく始まったNHKのドラマのうち、土曜ドラマ『天使にリクエストを』というドラマは、あまり期待していなかったけれど、思いのほかよく出来ていて、楽しめている。それにひきかえ、期待していた『一億円のさようなら』は第一回を観てガッカリした。二回目以降はもう観ないことにして予約を消した。

 

 巨額の遺産相続を受けていたことを妻が隠していたことに、夫である主人公が怒りをぶつけるその姿にまったく感情移入できない。そのお金がありさえすれば・・・という夫の姿に、だからこそ隠していたのだ、と私は思うけれど、この辺で全てにリアリティが感じられなくなってしまった。そのうえ夫婦の若いときのシーンが延々と挿入されるのも煩わしい。しかも若いときと現在の見かけはもちろん、キャラクターも違いすぎるきがする。

 

 私は自分のものではない金がたくさんあろうとなかろうと関係ないと割り切れるから、妻の金のことで感情が激するこの主人公が嫌いだ。たぶん主人公がその間違いに次第に気がついていくというドラマだろうけれど、そんな人間が間違いに気がつくことがあるだろうか。私は懐疑的だ。上川隆也と安田成美という好きな俳優の共演だけれど、上川隆也が熱演するほど気持ちが冷めてしまった。
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幕末についての考察(2)

 王政復古の大号令について。

 

本文からの抜粋引用
「『王政復古の大号令』は、幕府廃絶の理由として、冒頭で『癸丑(きちゅう)1853年ペリー来航の年』以来の国難、先帝、孝明天皇の頻年(毎年)、宸襟(天皇の心)を悩まされ候御次第』と宣言した。孝明天皇の外交問題への積年の介入を正当と認め、これに対して、幕府の『失政』の第一に、『各国条約締結』をあげた」

 

「第1章で紹介したように、幕府外交は、現実的で、合理的でもあった。国際的環境と日本経済の成熟がベースになり、漸進的な幕府外交によって日本社会に開国が定着したのであった。一方、天皇の外交論は、『皇統綿々』、『万王一系』の非合理な神国思想と大国主義であり、『黒土』(焼け野原)となることも辞さないという冒険的に過ぎるものであった(ただし、畿内や京都は守護せよという要求は付け加わっていた)。山内豊信は、かつて条約承認問題で、天皇・朝廷の外交論を『書生同様の論』、『無謀の戦いを求めるもの』と、率直に批判していた」

 

「このように見直せば、西郷が『短刀一本』と言って小御所会議の議論を断ち切らせたのは、公武合体派の十分に根拠のある発言に対して、天皇の権威と自藩の武力を背景にして押しつぶす、恫喝以外のなにものでもなかった」

 

 引用した文章はつながりを考えて少し改変している。この文章から分かるのは、無能な幕府に対し、薩長が正義であるかのような認識は間違いであり、少なくとも外交については幕府はおおむねやるべきことをきちんと行ってきたことの確認であり、それがいろいろと齟齬を来すことになり、京都などで急進的な志士たちが跳梁跋扈してテロリズムが横行した原因は、孝明天皇を中心とした朝廷にあったということである。

 

 もちろん明治維新を推進した薩長土肥などのリーダーはそんなことは百も承知しながら徳川幕府を糾弾し、公武合体のための会議であるはずの小御所会議を専横した。攘夷を旗印にしながら、維新が成ればたちまち幕府の外交をそのまま継承したのはご承知の通り。しかも継承したはずの交渉に、幕府の交渉者と比べて国益についての意識が低かったとしか思えない失敗が少なからずあった。つまり素人的な交渉をしたのである。まるでいまのお隣の韓国の文在寅政権の外交みたいだといえば分かりやすいか。

 

 このこと(小御所会議の結果)が徳川慶喜の絶望につながって、そのあとの不可解ともいえる彼の行動の連続になったものではないか。結果的に慶喜が勝てる戦いを放棄したことで、日本は内戦を最小限にとどめることが出来たといえるかも知れない。
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2020年10月 3日 (土)

涙の落としどころ、悲しみの納めどころ

 私はしばしば感情的なくせに理が勝るところもあって、両親からはその冷たさを指摘されたこともある。父も母も私が嫌いであろうはずはなく、そのようなところを私のために心配したのだ。私は涙もろい。しかしそれは人にやさしいとか、思いやりがある、というのとは違う。ただ感情が激しやすいからのことである。

 

 私自身は悲しさや寂しさに対して人一倍鈍感だと思っている。だからその鈍感さが冷たさだと思われないために、意識した演技的反応をすることがある。それは嫌なことだが、嫌われないためには必要なことだった。

 

 それが友人を失ったことについて、自分が意識した反応がまったく出来ずにいる。ただただ呆然として、どうして良いか分からない。昨日は初秋の飛騨を走り回るつもりだったが、ほとんど眠れなかったから運転は自粛した。それに急ぎではないけれど、つまらない用事がないことはなかった。

 

 しかし家でぼんやりしているばかりでは、ますます落ち込むばかりである。来週は積極的にうごくことで精神的な負のスパイラルから脱出しなければ、自分自身が持たない。世界は変わってしまったけれど、変わった世界はいままで見えなかつたものを見せてくれるような気もする。いまのうちにそれを見に行かなければならない。私自身もいつまでもこちら側にいるわけではないのだ。
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手術

 私の敬愛する先輩、ブログではしばしば兄貴分の人、と書いているが、その先輩が入院して頸動脈の手術をした、と連絡があった。兄貴分の人がここの手術をするのは二回目である。前回は左側で今回は右側だとか。

 

 さいわい手術は支障なく終わり、早ければ一週間あまりで退院できるだろうとのこと。こういう時期だから見舞いに行くのは差し控えたいと思う。私も最近は自分の検診だけでなく、いろいろ病院へ行くことが多くなっている。手術で体力が落ちている人になにを持ち込んでしまうか分からないのだ。

 

 病気はすでに人ごとではなくなっている。なんとなく無常観が念頭に去来している。歳をとり、弱っていく、ということはこういうことかといまごろ感じている。
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2020年10月 2日 (金)

昨晩のこと

 昨晩は中秋の名月を何度もマンションのベランダから見た。冴え冴えとした素晴らしい月を久しぶりに見た気がする。何度もベランダへ出たのは眠れなかったからだ。昨晩のことは忘れないだろう。

 

 今朝ブログに書いたF君の訃報の件は昨晩飲みながら書いておいたものだ。そのあと風呂に入って眠ろうとしたら、F君のことを考えてまったく眠れなくなった。私にとってかけがえのない友人である彼の死がどうにも受け止めきれないのだ。

 

 トルコのカッパドキアの洞窟ホテルのテラスから二人で眺めた夕焼けや朝焼け、イスタンブールにまた二人で来ようね、と約束したこと、この十年以上、海外旅行に行くときは彼と常に同室だったけれど、彼と同室だとまったく気兼ねなしにいられることの幸せを、彼と互いに喜び合ったことなどを思い出したら眠れない。もう彼はいないのだ。

Img_20191003_205248-2イスタンブールにて

 海外旅行のときのさまざまなシーンが次々に脳裏に浮かんでくる。毎年の新酒の蔵開きにも彼は必ず参加する。今年も、こっそり、医師から今日だけはお許しをもらっているのだ、と嬉しそうに私に耳打ちした彼。海外でも現地の人に人なつこく話しかける彼がいてこそ楽しい旅行だったことを思う。

Dsc_6951キューバにて

 ビールを飲み、ハイボールを飲み、眠くなるのを待っても、ますます思い出が浮かぶから眠れるはずもない。そうしてその都度ベランダで月を眺めてため息をついた。友を失って本当に悲しい。月がいつもより遠くにあるような気がした。
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訃報

 昨夜、毎年海外旅行に一緒に行く友人のF君の訃報を聞いた。なんと九月に亡くなっていたことを娘さんから知らされたのだ。癌で闘病中だったことは知っていたけれど、抗癌剤もよく効いて、二月に最後に会ったときは元気だったから、にわかには信じられなかった。普通ならこんなに長い間会わないことはないが、コロナのせいで七月くらいにメールで連絡したのを最後に連絡を怠っていたのだ。いまは気持ちの整理がつかない。

 

 さまざまな思い出が走馬灯のように目に浮かぶ。定年後に夫婦で悠々自適に暮らすと言っていたのに、その夫人を定年前に癌に奪われてしまい落胆していた。その彼も数年前、癌に冒され闘病を続けていた。さいわい抗癌剤がよく効いて、その副作用があるとき以外は元気にしていたし、会食すればときに私よりもよく食べよく飲んでいたほどだったのに。

 

 彼は私の弟と同年の生まれで、私より四歳も若い。これから何度でも会えるし、一緒に飲めると思い込んでいたのになんたることだろうか。彼は奈良に住んでいたので飛鳥に行ったら会えないか、とメールで連絡したのに、いつもならすぐ来る返事がなかなか来ないので、まさか入院でもしたのかとは思っていたけれど、返事がないのがこんな理由だったとは・・・。
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2020年10月 1日 (木)

雑感

140920-67

 アメリカ大統領選挙前の討論という名の罵り合いをニュースが繰り返し報じているのを観て、こういうのを討論とは言わないはずなのになあ、と思った。トランプ氏の一方的な物言い、まったく相手の話に聞く耳を持たずに持論だけをわめく姿に、テレビでしばしば観る田嶋陽子女史の物言いにそっくりであることに思わず失笑した。しかし、こんな大統領でも、いまのアメリカの国威を維持するためには適しているかも知れないと、案外多くのアメリカ国民が考えたこともあり得ることである。

 

 真夏の猛暑が収まってきて、ますます出かけたい気持ちが高まっている。弟夫婦と東北を駆け足で旅したことで気持ちがますます昂進したようだ。とはいえ宿泊旅行にそう頻繁に出かけるのも懐に響く。

 

 いま考えている候補地。
 
郡上白鳥、髙山、白川郷周辺の初秋を見に行く。

 

ヘブンズ園原、昼神、妻籠、馬籠周遊。

 

伊勢から奥志摩南島町辺りの海を見に行く。

 

初秋の飛鳥を歩く。

 

ここまでは日帰りコース

 

南紀、熊野三山神社へ参拝する。

 

福井小浜・三方五湖辺り、出雲、津和野辺りを走り回る。

 

奥飛騨温泉に連泊してのんびりする。

 

群馬・老神温泉を拠点に奥日光などの紅葉を見に行く。

 

これらは泊まり込みだがそれほど日数が必要ないので、比較的に手頃な料金で済む。

 

 どこへ行こうか考えているだけでわくわくするほど楽しい。地図を開いてほかにないか検討しよう。
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ちょっと酩酊

 昨晩は心配した通り少々飲み過ぎてちょっと酩酊した。なにを肴に吞んだのかだけ記録しておく。

 

 サンマの切り身の唐揚げを買ったので、それを薄味のだし汁につけて少し煮込み、そこにカタクリでとろみをつけ、ゆず七味を振ったたもので一品。スナップエンドウとオクラを軽くゆでて、マヨネーズを添えたものが一品。醤油とショウガだけの冷や奴。さらに茹でピーナッツ(豆が大好き)。これだけでおなかいっぱいになった。

 

 これでビール、ワイン、ハイボール、それで足らずに日本酒。独りで普段飲んでいる量の三倍くらい吞んでしまった。とはいえ今朝二日酔いになるほどではなかったからそれなりに自制したようだ。
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