ひかえる
明日一日はデジタルとの接触を極力ひかえる日にしようと思う。
スマホ、パソコン、デレビは見ない。もちろんメールも見ないが、電話がかかってきたときだけは用事のはずだから出ることにしようと思う。当然ブログの更新は出来ないし、いつも拝見している多くの方のブログも明後日に拝見することになる。
何しろ朝から晩まで液晶の画面を見続けている気がする。ほとんど病気である。
どこまで我慢できるだろうか。試してみる。
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明日一日はデジタルとの接触を極力ひかえる日にしようと思う。
スマホ、パソコン、デレビは見ない。もちろんメールも見ないが、電話がかかってきたときだけは用事のはずだから出ることにしようと思う。当然ブログの更新は出来ないし、いつも拝見している多くの方のブログも明後日に拝見することになる。
何しろ朝から晩まで液晶の画面を見続けている気がする。ほとんど病気である。
どこまで我慢できるだろうか。試してみる。
シャンソン歌手のミレーユ・マチュー(1946年生まれ)が好きで、CD二枚組のアルバムを持っている。それをハイレゾ化してNASにいれてあって、久しぶりに少し大きな音量でじっくりと聴いた。
エディット・ピアフやシャルル・アズナブールのように、シャンソンというとどちらかというと語りかけるように静かに歌うものだというイメージだが、ミレーユ・マチューは声量もあり、高音で明るく元気な歌い方をする。とにかく歌詞が明晰なのである。明晰だけれど残念ながらフランス語だから何を歌っているのかは分からない。
意味は分からないのだけれど、その明るさと元気さの中にそこはかとないやさしさを感じさせるのだ。そのやさしさは人の哀しみを癒やすやさしさといおうか、明るさの中にもともと哀しみをふんわりとつつんでいるような気がする。ただ脳天気に明るいのではなく、哀しみを抑えた明るさだろうか。それは彼女の歌うシャンソンそのものに宿るものでもあるのだろう。意味は分からなくても感じることはできるのだ。たぶん彼女の伝えたいものとは違うのだろうが、たしかに私はメッセージを受け取っている。
アンニュイな日にはミレーユ・マチューが心に響く。
菅首相のぶら下がり会見(変な言い方!)での記者の質問が同じようなものを繰り返し、しかも菅首相が感情的になることを狙った質問の仕方をしているのを見て、この連中は何なのだろうなあ、と思った人も多かったと思う。もちろんよく頑張っていると思う人もいるだろうけれど。
これが記者の人間性によるものとも思えるし、そういう仕事なのだからとも思えるし、仕事だからという自分への言い訳がいつの間にか国民に成り代わってという尊大な気持ちを醸成し、いつの間にか人間性もゆがめているとも考えられるわけである。
私の想像だが、記者会見を終えて自社に帰ったとき、上司から「お前はちゃんと仕事をしたのか!」と厳しく問われ続けられるのが記者という仕事のような気がする。そうしてそのプレッシャーに耐え続けることで記者魂というものができあがるのだ、と上司は自分の経験から考えているに違いない。相手への斟酌などしていては仕事は出来ないぞ、と叱咤しているに違いない。
それなら記者は会見の場で金切り声を上げながらでも「私がこの質問をした」というアピールを必至でしているのであろう。それは上司に対してのアピールであり、自社に対してのアピールであり、他社の記者に対するアピールなのだろう。こうして記者は一人前になる。
私には国民のためなどと記者が思っているようには思えないし、国民も当然記者が国民のために質問しているなどとは毛筋ほども考えていないと思う。一部野党の無意味な繰り返しに終始する国会質問についても同様だから、支持が増えないのだろう。
私が高校生の頃(五十年以上前の大昔)、朝日新聞の日曜版の一面に大きく掲載されていたのは、沖縄の伝統的な衣装を着けて踊る若い女性だった。その写真に文章が寄せられていて、日本文化について書かれたその文章に感銘を受けた。書いたのは朝日新聞の文芸部の記者だった森本哲郎だった。
それから何年か経った正月に、テレビで沖縄が映されていた。新聞で見たのと同じような伝統衣装を着けた女性たちが、手に鳴子のようなものを持ちながら、ゆったりゆったりと踊るその足さばきに魅入られながら、思い出したのが森本哲郎の文章だった。踊りはゆっくりと踊る方がはるかに美しいものだとそのときに知ったし、いまもそう思っている。
就職してから偶然に本屋で森本哲郎の本を手にした。森本哲郎がすでに多くの本を書いていることを知らなかったけれど、その一冊を読んで人生観が変わった。その頃、少し気持ちの上でつらい仕事をしていて、営業という仕事は自分には向いていないのではないかと悩んでいたときであったけれど、自分を外側から眺めることが出来るようになって救われた。そのときのキーワードは、「人はそれぞれ違う」ということで、当たり前のことを本当に心の底から解るということの重要さを知った。
解る、ということのレベルには無数の階梯があるのだが、その階梯というものが厳然としてあるのだ、ということに気がつくかどうかで世界は変わる。
世界を旅し続けて、そこから古今のひとびとの思索のあとを訪ね、文化や文明というもの、つまり人間というものを根底から考えていく森本哲郎は、私の生涯の師である。
この本が出版されたのは1997年で、書かれているのは日本国内の旅である。過去に訪ねたところや、訪ねようと思いながら機会のなかったところを訪ね歩いている。思い立って出かけた先で、さらに連想ゲームのように次々に時代と空間を越えて思索が展開されていく。私も旅への気持ちをかき立てられた。あとでそのいくつかを個別に紹介することになるかも知れない。この本で旅しているときが、彼の70歳頃なので、まさにいまの私と同じ年代なのだ。
この本の素晴らしさを伝えたいけれど、そうすると全文を引用しなければならない。あまりにもさまざまなことが網の目のように関連して語られていて、切り取るのがむつかしいのだ。旅に誘う本であり、日本そのものについて、さまざまに考えさせてくれる。この本で語られた場所を順に訪ね歩きたいと、無性に思っている。
前から読もうと思いながら後回しにしていた『捜神記』という中国の古い志怪小説集を百目鬼恭三郎に勧められて読み始めた。本文をそのまま引用するのは著作権に関わるかも知れないが、この本が出版されたのは昭和39年と古いし、紹介して読もうと思う人がひょっとするといるかも知れないのだから、宣伝だと思ってこの東洋文庫の出版元の平凡社も見逃してくれるものと思う。
全部で464話が一冊に収められていることから分かるように一つ一つは短いし、現代語の口語訳なので読みやすい本である。怖い話と言うより不思議な話が多いようだ。とりあえずその中のひとつを取り上げる。
『乞食小僧』
漢の陰生は、長安の渭橋(いきょう)の下で乞食をしていた子供である。いつも町なかを物乞いして歩くと、町中の人々はいやがって糞を浴びせた。すると、やがてまたもどってきて物乞いをするのだが、着物はべつに汚れておらず、もとのようにきれいだった。
県の役人がそれを知り、逮捕して手かせ足かせをはめたが、やはり物乞いを続ける。そこで、また逮捕して殺そうとしたら、やっと立ち去った。
ところが糞を浴びせかけた者の家がひとりでにくずれて、十数人が死んだ。そこで長安には、こんな歌がはやった。
乞食小僧を見たら
うまい酒やりな
家をこわされずにすむように
こんな話がたくさん収められている。
このすぐあとに『左慈』という話があるが、多くの作家が引用しているので、知っている人もあるだろう。要望があれば引用しますが。
妻の介護施設候補を見に行った。見晴らしの良い場所にあって個室。ワンルームマンションのようなものか。ただし火は使えない。もちろん食事は提供される。介護度によってだいたい階が決められているのだが、長く暮らすうちに状態は変化するので混在しているようだ。風呂も広く、常に介護士が目を配っているので安心ですとのこと。
出来れば入居したいが、まず入居者本人が直接見学することを求められた。無理やり入居させたりするとあとでトラブルになることもあるらしい。それでおおむね合意したらさまざまな書類が必要になる。たくさんあるリストを見せられてうんざりする。これはケアハウスそのものの必要性もあるけれど、法律で定められているものがほとんどで、つまりお役人の嫌がらせなのだな、などと感じる。なぜ嫌がらせをするのか。予算の問題だけではなくて、役人根性の本質なのだろう。
私は面倒なことが嫌いだから、ついそんな風に感じてしまうし、たいていの人がそう思うだろう。直面して初めて知ることである。
見学がすみ、書類を揃えたら、もう一度入居者を交えて詳しい面談をする。そこで正式に契約が成立して入居の運びとなる。その時点で一時金(保証金)を収める。これが想定していたよりも高額でちょっとたじろぐ。しかし払えない金額ではないし、そこから毎月取り崩して月々の支払いの一部に充てるシステムになっているし、途中で打ち切りなら残金は返還される。月々の支払いの目安を詳しく教えてもらう。覚悟していたよりは低額(とはいえ楽ではない)なので、これならなんとかなりそうだ。
いま愛知県は緊急事態宣言中なので、入院している病院は特別な理由がない限り、患者が外部へ出ることが禁止されている。施設から電話して確認したところ、施設の見学はその特別な理由に該当しないのだという。だから病院が外出可能になるまで見学は先送りとなる。見学が可能になり次第病院から連絡をもらうよう依頼した。
病院ではなく、生活の場であるから全てを揃えなければならない。まずベッドを用意する必要がある。その他さまざまな生活用品を最低限揃えなければならないのだ。当面の予定として三月半ばに見学、そのあと十日以内くらいに面談打ち合わせ、契約完了し、4月早々に入居というのが最速のスケジュールになりそうである。
入居待ちの人が何人かあるらしいけれど、とりあえず問題なければ入居できそうだし、受け入れたい意向であるようにも感じた。たぶん経営もたいへんなのだろう。
娯楽室や食堂で、入居している老人たちとちょっとだけ話をした。みな気さくに話をしてくれる。こうしてみんなと積極的に触れ合う人と、部屋に籠もったままの人と、たぶんそれぞれなのだろう。
来月からいろいろと書類を揃えるために走り回ったり買い物したりと大忙しになりそうだ。そのあとは当分楽になるのだから、なんとか頑張らなくては。
このごろは、毎日一度お茶を点てる。お茶の量、お湯の量、茶筅の使い方などの加減が少しずつ分かってきた。事前に器を温めておくこと、抹茶をふるいにかけることなど、手抜きしないことも必要だ。力任せに茶筅でかき混ぜても上手く泡立たない。
京都や金沢で、点ててもらったお茶をいただくと美味しいのに、自分で点てたものはどうして美味くないのか、安い抹茶だからか、などと思っていたが、ようやく近頃になって同じ抹茶でも多少は味わうことが出来るようになってきた。まだまだだけれど自己流ならこんなものか。
水分を摂り過ぎてむくみが来ているので、抹茶のようにがぶ飲みしないお茶というのがいいと思う。コーヒーも、いつもたくさん煎れすぎるので、少し減らそうと思う。水分を多量に摂るのは泌尿器科の疾患の対処のためだが、摂るのを少し減らして身体の水分率を下げてみようかと思っている。
奥野健男(1926-1997)は文芸評論家で、化学技術者、そして多摩美術大学の名誉教授でもある。東芝に勤めて積層基板の研究などをしながら太宰治論などを発表していた。のち東芝を退社、評論を主な仕事とした。
名前だけは承知していたが、江藤淳の本を読んでいるうちに評論の面白さを教えられ、たまたま覗いた古本屋で奥野健男の全集が何冊かあったので購入した。全集は三回に分けて発行されていて、第一集がこの文学論集・全三巻、第二集が個別の作家論集で全五巻。手に入れたのは欠本のあるものだったので、あとで探し求めて一集と二集を揃えた。第三集は入手していない。
第一集はこの第三巻で終わりであり、ようやく一区切りついた。第二巻まで比較的にスムーズに読めたのに、第三巻に思いのほか時間がかかったのは、前半が戦後の日本文学についての概括を述べたもので、読みやすかったのに、後半の『文学における原風景』という、長めの論文三点の論旨がスムーズに頭に入らないために読み進めるのに苦労したからだ。
私は戦後文学の中の第三の新人のグループの作品になじみがある。安岡章太郎の作品を愛読しているのもそのひとつである。しかし奥野健男はもともと太宰治論から発出していて、太宰治をはじめとする無頼派と呼ばれる作家たちの評論が主であって、私はあまりなじみがない。だからこの本で戦後文学について概括してあるところは興味深かったし、とても勉強になった。この本には無頼派とはどんな作家たちなのか詳述されている。例えば織田作之助などは、昨年初めて『夫婦善哉』を読んで強烈な印象を持ったものだ。
後半が読みにくかったのは、彼の言う原風景というキーワードがあまりに広範にわたって網をかぶせているために、文学というよりもそもそもの日本人、および日本の文化論みたいになっていて、しかもそれがずいぶん生煮えの観念的なものに思えたからである。縄文的なものと弥生的なもの、という対比論は面白いと思うし理解できないことはないけれど、ここまで全てそれに則って説明されるとやや違和感が先に立つ。
隅っこ、とか、原っぱという言葉を手がかりに都会と田舎の情景、子供の感覚を説明されているのも、人それぞれにまるで違う故郷に対する思いを無理にひとくくりにしようとしているように思われて、なるほどと頷きにくい。これは私の読み取り方が根気が足らずにしかも浅いせいかもしれない。だから言及されているさまざまなものが統一したイメージとなりきれないのだ。
とはいえもう一度チャレンジするのはいささか躊躇する。それよりも作家論の第二集の前に太宰治を読もうかと思っている。作品を読んでからでないと評論を楽しめない。太宰治を読んでいないわけではないが、肝心の『人間失格』や『斜陽』を読んでいないのである。いまごろ読むのはどうかとも思うが、奥野健男の第一集を読み切ったので、準備は出来たと思っている。
少数者を優先的に取り上げることがリベラルであると見做される傾向があるからだろうか、マスコミを見ていると、私から見れば、ふつうの人ではない人が登場しているのを見ることがとても多い。少数者は常に多数者に虐げられてきた、という見立ては一面では事実であるけれど、全てがそれで説明されてその虐げられたことを錦の御旗に立てられると、へそ曲がりの私などはいささか面白くない。
中国や韓国におもねる親中、親韓の学者やマスコミの一部の人間を見ていると、過剰な贖罪意識に自己陶酔して平衡感覚を欠いていると思えるのだが、それが中国や韓国にどう見えているのか、想像すると面白い。それを利用して「それ見たか」という人たちも含めて、相手からも馬鹿にされているように思えるけれど、どうなのだろうか。もともとおもねるこころのなかに「同情してやっている」という傲慢な気持ちが潜んでいないか。朝日新聞的な論説を見聞きすると、そのにおいを感じるのは私の偏見か。戦前戦中を通じ、もちろん現在でも、国民は愚かだからわれわれが正しいものの見方考え方を教えてやる、という意識が感じられてしようがない。
そうしてマイナーな人たちは優先的にマスコミに登場し、元気よく跳ね回っている。チャンスが与えられれば変な意地を張らずにそれを利用するのは当たり前で、そういう世界がいつガラリと変わるのかわからないことを、だれよりも承知しているのも彼らだろうと思う。
それを見て浮かれている人たちに背を向けて生きている人も少なからずいると信じているし、そういう人とならある程度話が通じるのかなあと思っている。いまのマスコミが、聖書のソドムとゴモラの世界だ、とまでは言わないけれど。こんなたとえを書けば一部の人の袋だたきに遭うかも知れないが、さいわい読む人は限られているから炎上の心配はない・・・はずである。もし気に触っても見逃してください、お代官様。
神の代わりに人間世界を滅ぼすのは中国か、アメリカか。
まだ読み直したい書評本が私の横に何冊が積んであるが、少し飽きてきたのでこれで一区切りとする。百目鬼恭三郎の薦める本を見て、紀行文や伝奇本の方へ食指が動き出しているし、読みかけたままだった東北学の赤坂憲雄の『東北学 忘れられた東北』や森本哲郎の『旅の半空』を読み進めていたら、東北への旅への思いがつのり、その旅のコースがさまざまに夢想されだしたところだ。
『読書人読むべし』の続編にあたるこの『乱読すれば良書に当たる』は、前作が分野別の推奨本、押さえておくべき本の案内だったのに対して、著者がいかにしてさまざまな分野の推薦書を推薦するに到ったのか、彼自身の読書遍歴も交えて、具体的な本について月刊誌などに書いたものをまとめたものである。書狂に見える百目鬼恭三郎も、歯が立たない本があり、食わず嫌いの本も山のようにあったことを正直に書いている。
畏友から薦められた良書を食わず嫌いのままでいて、ある日読む機会があってその素晴らしさに驚嘆し、早く読むべきだったと深く後悔したことが繰り返し書かれている。彼の足下にも及ばないお粗末な読書経歴の私もそんな経験を再三しているので、深く共感する。百目鬼恭三郎でも苦手だったり、読むためのきっかけが必要だったのが嬉しかったりする。
例によってたくさんの本が取り上げられているが、自分が読んだり、読みかけだったり、蔵書として持っていて読もうと思っているものの一部を以下に記しておく。
夏目漱石『坊っちゃん』
著者は漱石の中でこの作品を一番に挙げていて、人気のある『吾輩は猫である』についてはその多少屈折した衒学趣味の部分をあまり好まないとしている。私は繰り返し読んだ『三四郎』『それから』『門』の三部作が最も印象に残っていて、『吾輩は猫である』をもう一度読もうと思っているところだ。
萩原朔太郎『郷土望景詩』
私が初めて詩の素晴らしさを知ったのは萩原朔太郎の詩に出逢ったからである。数年前、朔太郎の生まれ故郷の前橋に立ち寄って記念館を訪ねたが、ちょうど移転のために閉鎖されていたのが残念であった。赤城の麓の前橋には多少個人的に思い入れがあって、もう一度読み直したい気持ちになっている。
川路聖謨『島根のすさみ』
川路聖謨が佐渡奉行として赴任して、帰国するまでの紀行文と佐渡での日記である。この本は棚にあって読まれるのを待っている。島根県の話ではない。
橘南谿『東西遊記』
『東遊記』と『西遊記』があって二巻本で東洋文庫に収められており、東遊記だけ読んだ。西遊記をいつか読もうと思っている。東遊記に記述されている東北地区の天明の大飢饉の描写には鬼気迫るものがある。そのことはこの本を読んだときにブログに書いた。もちろん百目鬼恭三郎もそのことを取り上げている。
清河八郎『西遊草』
母親とともにも庄内から新潟、長野、名古屋から伊勢、さらになら、京都、大阪、岡山、そこから海路で琴平、厳島、岩国まで行き、海路で大阪、宮津、京都、近江、東海道で江戸、そして奥州街道を通って帰郷するという大旅行である。私は厳島を見て海路で大阪に戻った辺りで読みかけになっている。早く読み切りたいとは思っているのだが。清河八郎には私の父の生まれた最上郡と近いところの出身なので、親近感がある。
鈴木牧之『秋山記行』、司馬江漢『江漢西遊日記』
鈴木牧之は『北越雪譜』という名著で有名な越後の人である。司馬江漢は画家。日本で最初に西洋式の絵を描いた。これらの本はまだページをめくった程度のままで棚にある。二冊ともは百目鬼恭三郎の本を読んで知って手に入れた。
青木正児(まさる)『江南春』
この本を読んで中国の江南地帯(杭州、西湖など)についての私の思い入れを形成した。大好きな本である。中国学者の青木正児が大正十一年に旅したときのことをまとめたものだから、書かれているのはむかしの中国であり、私の心の中国でもある。
干宝『捜神記』
百目鬼恭三郎が繰り返し絶賛している志怪小説集であって、私もその系統の本が大好きだから持っているのだが、まだ拾い読み程度にしか目を通していない。これから優先的に読むつもりで引っ張り出してきた。
まだまだたくさんあって、きりがないのでこの辺にする。さらに手に入れたくなった本が何冊かあり、思案中である。
私は保守的な人間だから、問題があれば少しずつ変えていけばいいと思っている。そして常にものごとにはグレーゾーンがあって、白黒がつきにくいものが存在するのが世の中だと思っている。それに無理やり線を引こうとすると、些細なことと歴然たる悪事が同列に論じられて、ときに悪が些細なことの話題でぼやけてしまう。
正義の味方は根掘り葉掘りして、わずかな瑕瑾を騒ぎ立てる。そのために何が本質的な問題なのか見えなくってしまう。餌をばらまいて逃げるものに惑わされる鬼を笑えない。とはいっても鵜の目鷹の目がときに世の中をひっくり返すこともないではない。
公的な立場の者のスキャンダルは非難されて当然であろう。しかし芸人芸能人の話題がこれでもかとばかりにマスコミで賑わっているのを見ると、情けない思いがする。この世の醜業の最たるものは芸能リポーターだと昔から思っている。それが証拠に彼らの顔は年を経るごとに醜く歪んでいくではないか。仕事のためだから、と張れない胸を家族に張ることで蓄積した歪みだろう。
かれらのみつけてきた話題に興味津々、この世の一大事であるかのように聞き取り、人に語るその嬉しそうな顔の人々。そしてそれがちっとも私の興味を引かないことに怪訝であるらしい様子。世の中には興味のありどころの違う人もいることに、こちらは多少は気がついているけれど、そうでない人もいる。朝日新聞が国民の啓蒙者を自ら任ずるのも宜なるかな。
F君と仕事で私の生まれ育った九十九里のT市に向かっている。車でなくて古い列車に乗っている。列車は昭和二十年代三十年代の濃いえび茶色の省線電車で、社内はひどく混雑している。ようやく乗換駅に着くのだが、どのホームへ行けば良いのか分からない。階段は暗くて人が多くて複雑怪奇に分岐し、ようやく探し当てたつもりでやってきた列車に乗り込むとそれはもと来た方へ行く列車で、快速だか特急でもう一度引き返すための駅まで大分あると乗客が言う。この列車も大混雑で車内は異様に暗い。
ようやく見知らぬ駅で降り立つと、つぎの列車は当分来ないのだという。F君が腹が減ったというので駅の近くの食堂に行った。妙な店で、とんでもなく安いしボリュームも多い。見ただけで食欲がなくなったのだが、F君はすさまじい勢いで食べている。もう列車で行くのはやめてタクシーで行こう、と提案したのだが、返事がない。
どんな用事で行くのか、自分が知らないことをそのときになってぼんやりと考えた。F君はもう死んだはずなのになぜ一緒にいるのだろう・・・・。
実際にはもっと長い夢を見ていたような気がするが、そこで目が覚めた。相変わらず体は重いが、特に体調が悪いと言うほどではない。寝床で横になったまま、省線電車があの線を走ったことなどないはずだ、などとどうでも良いことを考えた。私は本当はどこへ向かっていたのか。
定期検診に通う病院は総合病院なので、糖尿病も泌尿器疾患も眼科も全て診療してもらっている。カルテはそろっているはずだから、かかりつけと言っていいだろう。我が家から歩いて20分弱のところにあって、往復の体の重さで体調もはかれる。
今日はいつになく足取りが重くて、最悪だった。病院の入り口で体温を計ったら、35.6度。おかしい、といって看護師の人が再度計っても変わらず。死にかけているのかも知れない。
検尿して診察を待つ。検査結果が出たら呼ばれるから、少し早めに検尿をするようにしている。だから予約時間まで一時間ほどの待ち時間があって、ゆっくりと本が読めるのだ。いまは大声でしゃべる年寄りもいないから静かでよろしい。
検尿の結果は特に問題なし。発熱や排尿痛、排尿困難さえなければ、このまま様子を見ましょう、ということで今度は三ヶ月後に予約(いままでは二ヶ月)となった。朝一の排尿の色は信じられないほど濃い色をしている。「白く濁るようだったらすぐ診察します。濃いだけなら大丈夫でしよう」とのご託宣であるから、よしとする。
季節外れの暖かさで帰り道では汗をかいた。体は重いまま。運動不足だけなのだろうか。三月に入ったら、今度は糖尿病の定期検診だ。
この本には魔力がある。
一度ブログに書いたことがあるが、同僚や先輩が我が家に泊まって大酒を飲み、雑魚寝したことがあった。ずいぶんむかしの若い頃である。先輩のひとりがトイレに入ったきり出てこない。飲み過ぎて具合でも悪いのかとみなで心配していたのだが、ずいぶん経ったあと、爽やかな顔で出てきた先輩が「この本を読んでいたら止められなくなってしまった」と言った。トイレに置いてあったこの本だった。
そうなのである。一ページに一つの書評コラムで、読む可能性のない本が取り上げられていたとしても面白いのである。すぐ読み終わるからもうひとつだけ読もうと思う、そうしてまたつぎを、と読んでいるうちに止まらなくなるのだ。1969-1978年にかけてのコラムだからずいぶん古いのに、今回久しぶりに読んでもその魔力はまったく消えていなかった。
もともと持っていたのは文庫本だったのだが、読みたくなったのに見当たらない。そこで古書組合から検索したら、箱入りの、文庫になる前のものが安く手に入った。辛口の批評で定評のある谷沢永一が有名になったのもこのコラムからだった。毛嫌いするものがはっきりしていて痛快なのである。特に国文学の学会で、勉強もせず研究もせず名前だけの学者に対しては、自分が専攻の分野だけに手厳しい。また評価している人に対しても、緩んだことを書いたりするとぴしりと一撃している。こちらは愛の鞭である。
書評とはこんなに面白いものだ、ということを教えてくれたのもこの本だった。この人の読書量は人間業ではない。
百目鬼恭三郎の『読書人読むべし』の帯に「本当に面白い本とは 実際に役に立つ本とは」とある。面白いとか役に立つとかいうのは、人によって違うから、それは自分で読んでみなければ解らない。しかし世には気が遠くなるほどたくさんの本があって、手当たり次第に読むといったって、常人の読める本の数はたかが知れている。だから信頼の置ける案内人が必要なのだが、その信頼の置ける案内人を探すまでがまた一苦労でもある。しかし案内人の数は本の数よりもずっと少ないから、それをまず手当たり次第に試し読みすることなら出来ないことではない。
こちらの方は読んでみれば自分に合うかどうか、だいたい解るもので、取り上げられている本が興味のないものばかりなら最初から読まないし、読んでお説教か訓示ばかりが降ってくるような、勘違いしたことを書いたものなら、もしかしたらためになるかも知れないけれど、私には縁のない本だと察知される。本が好きで、同好の士になんとか自分の読んで面白かったもの、つまらなかったものを知って欲しいという気持ちにあふれている本が好い。
ためになる本は若いときにはときに必要で、自分の立つ位置を少しは高みに持ち上げるために、多少面白くなくても読むべき本を読む必要があるだろう。いまはもうためになる本は私には必要ない。多くの人はハウツー本や人生訓、成功者の書いたものなどをためになる本と思っているようで、それなら私にはまったく不要である。いまの自分でけっこうだし、もっと財をなしたいなどという気持ちもない。
最近は関連したものを次から次に読むという読み方をしている。その関連は他人には関連しているとはとても見えないと思う。ところがある本を読んで、そこから思い立って次の本を読むと、必ず関連があることが見えてきて、四冊五冊の本が不思議に呼応し合ったりしてくる。そうなると嬉しくなってしまう。私にとって役に立つというのはそういう関連を励起させてくれるような本であり、そのような本を教えてくれる案内人の本である。
いまは丸谷才一から百目鬼恭三郎、谷沢永一、森本哲郎の旅の本などが、切れそうで切れないつながりでネットワークを形成している。つながりは田山花袋や森銑三、芭蕉、森鴎外だ、などというと、何のことやらさっぱり解らないだろうが、それが私の妄想空間を形成してくれるのである。
高校のとき、古文が苦手で赤点すれすれの成績が続いた。ちゃんと優秀な成績の級友もいたから、私の不勉強が悪い成績の理由であることは間違いない。古文の教師は猫背で小声でモコモコ講義をする。文法にうるさい。本人だけ古典の世界にはまり込んで、私は置いていかれていた。
水先案内人であるべきその教師は、古文の世界へ私を連れて行ってくれなかった。日本の古典に知的好奇心を抱かせてくれなかった。当時芥川龍之介をきっかけにして東洋文庫版の『今昔物語集』を拾い読みしていたし、安楽庵策伝の『醒睡笑』を文庫本で愉しんでいたのだから、ちゃんと案内をしてくれれば古文の面白さが分からないはずはなかったのに、という思いはある。五十を過ぎて古典を拾い読みするようになった。もっと早く親しんでいればという恨みがある。もちろん理由は自分にあるのだけれど・・・。
百目鬼今日三郎の『読書人読むべし』(新潮社)という本を読んだ(再再読)。この本にはずいぶん世話になった。この本は私にとって本の案内人である。さまざまな分野についての推奨本を列記してくれている。例えば日本の古典なら何をどういう順番で読んだらよいか、そしてそのためにはだれの注釈本がよいのか、そして読まない方がよい本まで理由をつけて案内してくれている。いきなり『源氏物語』や『万葉集』を読んだりするのは間違いだと教えてくれる。初心者が古典に興味を持ち、ステップを踏むための道筋を示してくれているのだ。
旅行記についての案内で、菅江眞澄の『菅江眞澄遊覧記』(全五巻・東洋文庫)を知り、それを読みながら東北を歩いたし、橘南谿の『東西遊記』(全二巻・東洋文庫)、鈴木牧之『秋山記行』(東洋文庫)、司馬江漢『江漢西遊日記』(東洋文庫)、清河八郎『西遊草』(岩波文庫)なども教えられた。
伝奇、怪異譚についての日本や中国の本の紹介でどれだけ新しい知識を得ることが出来たか挙げていったらきりがない。まさに『読書人読むべし』なのである。ときどき思い出して読み返し、自分がどこにいるのか教えてもらっている。
この続編のような形で『濫読すれば良書に当たる』(新潮社)という本もあり、私の本の水先案内として大いに助けられている。
知多半島道路(有料)では「不要不急の外出はひかえよう」という案内があちこちにあって、複雑な気持ちになった。とはいえ土曜日だから車は多い。
子供が小さいころ、ときどき防波堤釣りに連れて行った新師崎というところに立ち寄った。ヤンマーの小さな造船所(というより船の修繕が主のような小さな工場)の横で、あまり人のこない穴場だった。その横には魚を食べさせる料理割烹の店があったはずだが、そこは老人ホームのビルになっていた。ずいぶん変わった。
ここでよく休みの日に釣りをした。
いまは魚がよってくる時期ではないけれど、たぶん春になってもここで釣りをする人はいないかも知れない。左手奥の方にチッタランドという高層のリゾートマンションが見える。これが建てられたのはバブルがはじける直前の頃だった。お金があったらこんなところを一室買って休日には釣りをしたり、海を眺めながら本を読んだりしたら優雅で好いなあなどと夢想したものだ。目の前には日間賀島が見える。
左手がリゾートマンションのチッタランド。
右手が造船所。ここに浮桟橋があったはずだが、いまは見当たらない。
日間賀島。海上タクシーなら十五分で行ける。何度か島の民宿に泊まって魚を味わったことがある。タコ飯が絶品。
新師崎には去年亡くなったF君と沖釣りによく行った。昭徳丸やまとば屋などという釣り宿から、乗り合いの船で、鯵やカワハギ釣りに行ったものだ。土曜日なのにシャッターが降りていたのは冬だからだろうか。コロナ禍の最中だからだろうか。
豊浜漁港。
今日は漁は休みらしい。
海鳥が日向ぼっこをしていた。
知多半島の先端、羽豆岬のフェリー乗り場辺りを見たあと豊浜の魚ひろばに立ち寄る。市場と港を見てから魚を見に行く。人が多くてちょっとたじろぐ。ワタリガニに食指が動いたけれど、ゆでて冷凍したものが一杯千円もする。蟹は重さを見て買うものだから、当然さまざまな人が触っていそうで買う気が失せた。しらすとえびせん二袋だけ買った。
魚ひろば。たまたま人影がなくなった。中にはたくさん人がいる。
なんとなくアンニュイな気分になる風景。
なんとなくテンションが下がってしまい、そのまま引き上げた。潮風を浴びて運転も楽しめたのでそれで満足することにしよう。運転も不安なく出来たし、またどこかへ出かけたい気分になった。
今日は暖かい日ということなので、久しぶりに書を置いて出かけようと思う。
その前に昨日読了した本について
丸谷才一『遊び時間』(中公文庫・昭和56年)
あとがきによれば、求めに応じてあちこちに書いた短めの文章の中から、丸谷才一が選りすぐったものを集めたものだという。さまざまな種類のものが選ばれているが、短文だから本格的な評論はないし、そして身辺雑事を語る随筆もない。身辺雑事をだらだら書いてお茶を濁す作家もどきを批判する丸谷才一だから当然で、その代わり短い中に思いを詰め込んだ批評がたくさん収められており、また彼の文学論争の顛末があり、映画とテレビについての思いなども語られている。それぞれに彼の深い蘊蓄が籠められていて、中身は濃い。
一番多い書評は、多くが海外の小説についてのもので、残念ながらほとんど私の読んだことのないものだし、私が読みたくなるような本でもない。たまに読んだことのある本がまじっていると嬉しいのはいつもの通り。ほかは彼の書評を読んだことで読んだつもりにさせてもらう。今回六冊ほど彼の本を取り寄せたが、あと二冊残っている。残っているけれど、十分堪能したので、読み飽きないように別の本に移ることにする。
来週末にケアの会社の人と妻の長期入居候補の施設に行くことになった。詳しい説明や条件を聞き、受け入れてもらえるかどうかも確認する。場所が県内ではあるがいまの病院よりも少々離れているので、一度場所を確認しに行こうと思う。
今日はその場所の下見とアクセスの確認をして、その足で久しぶりに知多半島へ潮風を浴びに行こうと思っている。
間食を我慢し、食べる量も少なめにして、晩酌をするときは主食をなるべく食べない(以前はずっとそうしてきた)ようにしたら、体重が少し減りはじめた。体重が増えるとともに足がむくんでしまい、靴がきつくなっていたけれど、そのむくみも少しひきはじめて窮屈ではなくなった。
体の中の水の循環が停滞してむくむのだと思う。泌尿器系の慢性疾患を抱え、排尿が著しく汚れていたが、それも少し改善してきた。全て関係しているのだ。さいわい排尿困難や排尿痛、それに伴う発熱などはないのがありがたい。来週はその泌尿器科の定期検診がある。
体はバランスを崩すとあちこちにひずみをきたし、悪循環に陥る。それを止めて元に戻すには意志の力が必要だ。太り出すと食事をひかえることが困難なほど食欲が昂進する。これが糖尿病の恐ろしいところで、一度その蟻地獄にはまると転げ落ちるように悪化する。糖尿病で失明したり腎臓をやられたりした人を知っているが、その異常な食欲の昂進は狂気に近い。手遅れにならないうちに踏みとどまらなければならないのだ。
妻の病院に行って相談員と打ち合わせをした。相談員というのは患者と病院と家族との連絡や相談をしてくれる人で、いわゆるケアマネージャーのような存在である。自治体の補助制度などの知識もある。三月一杯くらいで病院を引き払う必要があるけれど、次々に転院するのではやりきれない。施設への入居を勧められていて、今回はその候補施設を調べてもらっていた。
その相談員が相談する窓口があって、今後はいわゆるケアプランをたてる民間の業者が窓口になることになった。候補の施設の見学と費用などの確認をする段取りをすることになる。業者から連絡が来るということで待つことになった。その話がある程度具体化してきたら、市役所の窓口にどのような補助が受けられるのか相談に行かなければならない。今のところ認定は要介護ではなくて要支援だからそれほどの補助は期待できないが、それでも補助はありがたい。
今回の候補施設は保証金として預けなければいけない金額が高いことを心配されたけれど、さいわい想定していたよりもずっとリーズナブルだった。それにこの施設は要支援から要介護に状態が進んでも対応できるそうで(出来ない施設も多いらしい)その点も安心だという。受け入れてもらえればありがたいのだが・・・。
その話が一段落しなければ、いくらコロナ禍がある程度収束しても遠出が出来ないのだ。出来ないとなるとますます出かけたくなる。
これは『日本語のために』という本から十年後に書かれた続編であり、国語教科書についてももう一度全てのものを集めて読み直し、実情を報告している。よくなっていることもないではないが、相変わらずの部分も多いようだ。何よりも教科書会社による質の差がさらに開いているらしい。
こんな文章を読むと、実際に現時点での小学校や中学校の教科書を覗いてみたくなる。たぶんもっとひどくなっているだろうなあと思う。孫でもいれば見せてもらうのだけれど。ただしもしいれば、うるさがれるだろうなあ。
この本の中の『言葉と文字と精神と』という長文の章は、国語改革がどういう経緯で行われたのか、だれが推進したのか、それによって日本語がどうなったのか、詳しく論じられている。この文章が書かれたのが昭和61年(1986年)、それから35年経って私が感じるのは、日本人の言葉に対するさらなるぞんざいさである。
言葉は誰かに何かを伝える道具であることはたしかだが、その点ではそれほど劣化しているとまではいえないと思う。しかし言葉は同時にものを考えるときの道具でもある。人間は言葉なしには考えることは出来ない。どうも国語教育はその考えるための言葉を鍛えるという点をあまり考慮していないように思う。
ネットの言葉のやりとりはほとんど絵文字と極端な短文で終始している。それで伝わるらしいが、伝えるための思考も短文では、ものの見方感じ方も上っ面をなでるだけになってしまう。それなら誰かの扇動やデマに振り回されるのもあたりまえか。
私は言葉を粗末にする国は衰退すると思うけどなあ。
中学二年生の途中から、事情があって田舎の学校から千葉市内の中学校に転校した。千葉市内の母方の祖父母の家からの通学である。田舎の学校の図書館には読みたくなるような本はわずかしかなかった。千葉の中学校には、読む本が山のようにあって、手当たり次第に借りまくって読んだ。
日本や海外の文学全集を片端から読んだ。もちろん読んで面白くなかったり、よくわからないものは目を通しただけである。卒業前に、図書館での貸し出し冊数が全校でトップになっていた。二年足らずの累計なのに、三年間在籍していただれよりも多かったのだ。しかしそのことがみなに知られたことは私を恥じ入らせた。読んだといえない読み方しかしていなかったことをだれよりも自分が承知していたからだ。
ただ、図書館の本とは別に、そのころにミステリー好きの祖母の蔵書(江戸川乱歩や横溝正史や高木彬光など)も同時に読んでいたし、本好きの義理の叔母の世界文学全集も借りて読んだし、叔父の『徳川家康』(山岡荘八・二十数巻あった)なども全部読んでいたのだから、少なくはない。
たぶん高校受験の勉強をしなければならなかったから、それから逃避するために読書にのめり込んでいたような気がする。その頃読んだものは私の頭をほとんど素通りしたけれど、本を読む習慣だけは身につき、高校になってからは前以上に小説を読むようになった。ほとんど文学づいていた。『オール読物』や『小説現代』などの月刊誌を親に隠れて読み始めた。井上ひさし、野坂昭如、五木寛之がまだ新人で、その作品を雑誌でリアルタイムで読んでいた。
1960年代の作家に思い入れがあって、いまその時代の評論が面白く読めているのは、たぶんそれを懐かしんでいるからだろう。
久しぶりに西島三重子の歌などを聴きながらぼんやりした(ぼんやりするのはいつものことなので久しぶりではない)。日本語の歌詞のある歌は、歌詞の意味やそこから連想されるイメージを愉しむので、本を読んだり数独パズルをしたりしない。そうすると歌が聞こえなくなってしまう。
西島三重子の歌は好きである。メジャーになりきれない、微妙に何かが足らないそこのところが好きなのである。白井貴子が好きなのもそんなところかも知れない。ひところは毎日聴いていたのに、いまはめったに聴かない。クラシック(特にピアノ曲)やジャズのスタンダードナンバーを聴くことが多い。こちらは本を読みながら聴くことが出来る。たいていあまり聞こえていない。不思議なことに無音よりも却って本に集中できたりする。ふっと我に返ったときに聞こえる音楽というのは好いものだ。変な聴き方だけれど。
抹茶のセットを買ってときどきお茶を点てる。飲むたびに味が違う。上手く泡立たないことが多い。力任せに過ぎるのか。お茶の量、お湯の量、それらの加減がまだつかめない。苦いばかりのときすらあってだんだん良くなってきた、というところまで到っていない。お茶のせいではなくて私自身の問題なのだろう。
旅に出かけられないので気持ちのざわめきがおさまらない。そのざわめきは自分の内部のエネルギーを放出できないために溜まった雑念のおこすものである。外的要因もある。
妻が入院している病院も三ヶ月の期限が切られているから来月には出なければならない。転院することになるか施設に入るか、その打ち合わせもしなければならない。月に一回病院に支払いに行かなければならない。そのついでに相談員と打ち合わせを行うように連絡した。それが全て片付くまで、緊急事態宣言による外出自粛を別にしても遠出は出来ない。全てが片付くのは早くても五月以降になるだろうか。なんだかずっと片付かないような不安がある。
高校時代、新聞部に頼まれて二年ほど校正の助っ人をした(別の部にいたので新聞部には所属していない)。地方新聞の会社に行って、専門の校正の人から簡単にレクチャーを受けた。いまはすっかり忘れたけれど、校正は何度もやったので当時はそこそこ出来たつもりだ。校正は二人で行う。一人ではどうしても見逃しが生ずる。
そのときに送り仮名のルールをはじめ、なんとなく釈然としないものを感じた。当時、ずいぶんいろいろな小説などを読んでいたので、その文章と決められた送り仮名などのルールの違いに疑問を感じた。もちろん国語審議会のルールを遵守している校正の方に不自然なものを感じたのだ。そんなことを思い出したのは、丸谷才一の日本語論や国語審議会批判についての本をいま読んでいるからだ。
戦後、進駐軍に日本語を全てローマ字化することを提言した日本人の専門家がいる。進駐軍はそれに賛同した。甚だしきは日本語そのものをやめてフランス語にしたらいい、などと言う作家もいた。私の敬愛する志賀直哉である。志賀直哉はフランス語は読めたらしいけれど、そこまでフランス語に堪能だったとは思えないから、どうしてこんなことを言ったのか理解に苦しむが、戦後はそんな暴論が飛び交う時代だったようだ。漢字をやめてハングルのみにした韓国のように、過去の自国の文書が専門家しか読めなくなることの意味を想像できなかったのだろう。それとも全否定するほど過去の日本に嫌気がさしていたのか。言葉を失うことはどういうことか、ドーテの『最後の授業』というフランスの短い小説(教科書で読んだ記憶がある)を思い出すではないか。
その妥協的展開としての戦後の新漢字への転換や教育漢字や当用漢字による漢字制限などの政策であるし、新仮名遣いへの転換だったようだ。その後新仮名遣いや送り仮名についてはコロコロと変遷が続いて、校正の専門家を振り回してきた。私が小学校で習った送り仮名と現在とは違ってきている。私はどっちでもいいや、といういい加減派だけれど、御上(おかみ)にいつも刃向かうかに見えるマスコミも、この日本語の使用基準についてだけは、お役所に従順に従うことは借りてきた猫のよう(もともとそれが本質なのだろう)で、独自性のないことおびただしい。
そうしているうちに、日本語は次第に崩れつつあるなあ、と感じている。言葉から意味が引き剥がされつつある。そんな世の中がおかしいと感じていたところなので、丸谷才一に火がつけられて、日本語について、そして国語教育について考えさせられている。
もともとは『日本語のために』という本があって、その続刊として『桜もさよならも日本語』という本があった。それを合本したのがこの『完本 日本語のために』という本であるが、収録されたものとされなかったものがある。今回、知らずに『桜もさよならも日本語』も注文してしまって手元にある。三分の一が『完本 日本語のために』に重なる。いま残りの収録されなかったところを読んでいる。
日本がアメリカに戦争を仕掛けるなどという愚かなことをしたのは、一部の特権階級だけが知識階級として多くの日本国民を支配していたからだとアメリカは考えた(アジアというのはそういうところだと決めつけていたのだろう)。ほとんどの日本人は文盲で、新聞も読めず情報を知るすべもなく、考えることも出来ない愚民的状況に置かれていたと考えた。
当初そう思い込んでいた進駐軍は、その愚民の日本人を新聞が読めて、ものを考えることの出来るようにしてやりたいと考えた。そして、思いついたのは漢字のようにむつかしいものを言葉として使うことが特権階級の知識人を生んでいるのだから漢字を減らし、場合によって日本語そのものを根本的にやさしくしてやったら、愚民である日本人が読み書きできるようになって救えると考えた。それに迎合した日本人が日本語を変えようとして始まったのが国語審議会のようである。(これは私の受け取り方を誇張したもので、丸谷才一がそう書いているわけではないので念のため。)
ところが進駐軍が驚いたのは、日本の都市部だけではなく、地方の田舎に出かけても、ほとんどの日本人が読み書きが出来ることであった。当時の日本人の識字率はいまとほとんど同じように99%ほどで、西欧よりも高かったのだ。これを知った進駐軍は言葉、つまり国語教育についての介入は中止して日本人に任せることにした。
それからは、まかされたある特定の思想の人々(左派というだけではなく、愚かな日本人を救いたいという心優しい人たち)により、日本語はさまざまにいじり倒されてきた。その結果としての新漢字、新仮名遣いなのである。さらに国語教育そのものも子供に迎合するおかしなものになっていると批判しているのがこの本なのである。さらに入試の国語の問題についてもおかしなものを例に挙げて痛烈に批判している。
心優しい人々のおかげで日本人が、そして日本語がどうなったのか。もって瞑すべし、である。こんなことを感じるのは、たぶん私が時代錯誤だからなのだろう。
『続 風の書評』で、めったにほめることのない百目鬼恭三郎がほめた本がある。長谷川伸『相楽総三とその同志』という本だ。私も感激して読んだ本で、幕末の草莽の志士たちのことを知りたければ是非読むべき本だと確信している。中公文庫に収められていたが、いまは講談社学術文庫で読める。
長谷川伸は股旅物の時代劇をたくさん書いた人だが苦労人で、多くの弟子を育てた。私の好きな池波正太郎や平岩弓枝は彼の弟子である。長谷川伸の小説は読まれなくなるかも知れないが、この『相楽総三とその同志』だけは読み継がれて欲しいと願っている。明治維新を革命だと考えると、革命というものはどういうものか、そのことを考えさせてくれる名著だと思う。
百目鬼恭三郎がほかの本を批評したところに「子供に自主的な知的興味をおこさせることが、教育の中心にならねばならぬはずだが、知的興味を殺すだけの教科書と、知的興味のない教師とに囲まれている現状では、子供たちが知的興味をおこすはずもない」と書かれていた。丸谷才一の日本語についての本を読んでいるが、国語の教科書について批判していることはこのブログでも紹介したが、知的興味を持つためには、まず子供に本を読む習慣をつけてもらうことが肝要だろう。それとともに教師の資質として、その採用にあたり、知的興味の多寡を考査することを希望するが、尾木ママなどという、子供に迎合するだけの不可思議な人間がもてはやされている状況では、いまの教育界にあまり期待できないか。子供がかわいそうだ。
平成十四年の刊行だから、丸谷才一の本としては新しい方か。どうも私の意識下の現実は少し時代が古く、かなりずれているようだ。いま読んでいる本の中には奥野健男という文芸評論家の評論集があって、昭和から戦後にかけての作家論のところを、リアルタイムのものと受け取って読んでいるくらい古い。
この本では日本語についてさまざまに論じられているが、特に日本語教育、国語の教科書について、二人が問題点と考えることがさまざまに例を挙げて述べられている。これは大分前から二人が国語審議会のやってきたことを酷評し続けてきたことに関連しているから極めて熱い。おおむね私も共感する。というよりも、昔から読んできたこの人たちの意見が私に大きく影響しているのだから当然である。
少し前に姪だったか甥だったかの国語の授業の話しであるが、作文に習っていない漢字を書いたら×をもらったという。習わない漢字を使ってはいけないという教師に私は激しい怒りを感じた。こんなバカな話が横行しているのがいまの教育か、などと思ったが、これも教師によるのかも知れないと思い直した。ところがこれが文部省の方針らしいからあきれた。この本にもそれに類したバカな話が山のように語られている。
言葉にはその国の文化が張り付いている。国語を損なうのは文化を損なうことである。だから新疆ウイグル自治区で、ウイグル語を中国共産党が禁止していることに私は激しい怒りを覚えるし、朝鮮半島を日本に併合したときに皇民教育を行い、名前を日本名に改名させ、日本語を強制したことは間違っていたと考える。ただし、日本はハングルを禁止まではしていないようだし、ハングルをもとに朝鮮の人たちの文盲率を下げる(いまは識字率と言うらしいが、それなら識字率を上げる)教育をしたことは評価してもよいと思う。
国語の教科書の、特に小学校、中学校の教科書のお粗末ぶりがこれでもかとばかりに紹介されている。これは丸谷才一が十年おきくらいに多くの国語教科書をトレースしてきての報告でもある。こどもの書いたものを題材にするな、という主張は大いに賛成である。しばしば新聞などにこどもの詩が掲載されて絶賛されたりすると、私はそのどこがいいのか理解できないことが多い。みんなおためごかしでこどもに猫なで声を出しているようにしか感じられない。
それがまともな感覚なのだ、と丸谷才一に言われているような気がして安心する。こどもは大人がどこに感心するのか、ちゃんと分かっている。私がこどものときもそうだったから、よくわかる。猫なで声の大人はウソくさい。それが漢字制限につながり、ゆとり教育につながる。こどものため、といいながらこどもを馬鹿にしているし、こどもに馬鹿にされているのだ。
それはそのままマスコミ全般の、大衆の愚民視につながっている。進駐軍、文部省、日教組合作の日本国民の愚民化は大成功のようだ。裸の王様はだれだ。
私が最も愛用していた青磁の杯を落として割ってしまった。敦煌で買った夜光杯のぐい呑みを破損して以来の痛恨事である。息子も娘もこの杯のことはよく知っていて、美味しいお酒のときには必ずこの青磁の杯を使うことは言わなくても分かっている。
この青磁の杯はソウルで買った。迷うような微妙な値段だったので、買うのに躊躇した。しかし欲しい気持ちの方がまさった。一緒に行ったYさんが、私の決断をにっこり肯定してくれたので嬉しかった。
F君、Yさんなどと毎年海外旅行に行くようになった最初の旅が、このソウルへの韓国旅行だったのである。それまでは一人での中国旅行ばかりだったけれど、仲間で行く旅行がこれほど楽しいとは思わなかった。以来十数回を重ね、昨年のF君の死をもって次の見通しはない。
そんな記念すべき第一回の旅の、そして最も愛着していた青磁の杯を失った。
今回この本をハードカバーで読んだけれど、いまは文庫になっているようだ。どうでも良いけれど、丸谷才一(1925-2012)が私の母親と同年(大正十四年)生まれとは知らなかった。作家で文芸評論家の彼の小説を読んだのは『たったひとりの反乱』という長編だけだと思う。この本は実家にある。我が家の蔵書にあるのは『梨のつぶて 丸谷才一文芸評論集』(晶文社)のみ。書評対談の本が数冊とエッセイが何冊かあったはずだが、処分してしまったようだ。ペダンチック(衒学的)なにおいがして、もともと少しこの人とは肌合いがあわない気がしていたのに、よく考えたらずいぶんたくさん読んできた。
たまたま日本語や言葉についていろいろ考えることがあり、そうなると丸谷才一の本をいちから少し読み直したくなった。それで古書組合やアマゾンの中古本を検索したら山のようにあるではないか。その中から十冊ばかり発注し、最初に読んだのがこの本というわけである。すでに劇作家の山崎正和との対談『日本語の21世紀のために』(文春新書)も読了し、いまは『完本 日本語のために』(新潮文庫)という本を読み始めている。
この『男のポケット』は比較的に軽い読み物なので、読みやすい。ただし彼は独自の仮名遣いを貫いているので、慣れないとそこに引っかかるかも知れない。短い文章の中に得意の蘊蓄が散りばめられていて、けっこう中身が濃いし、ウイットも効いている。はまるとこの人の本を探して読むようになるだろう。私は肌合いが合わないのに好きな作家という、不思議な付き合い方を再開した。
キャリアーウーマンと呼ばれる人たちが、現在の地位を確保するためにさまざまな障害を乗り越えなければならなかったことを考えれば、男社会と呼ばれる従来の日本の社会に対して女性が厳しい目を向けるのは当然だと思う。それはまだまだあるべき姿とはほど遠いことを女性だけでなくて、多くの男性も認めるところだろう。
すでに多くの国や組織でそのような方向に変わりつつある。それなのに日本では大きく立ち後れていて、全体的にそれを問題とする意識が低いことを心ある女性たちは歯がゆいことだと感じてきたようだ。
むかし(四十年以上前)、中国の視察団を案内して私の得意先のいくつかの工場を回ったことがある。そのときに驚いたのは、二十人ほどのその視察団の団長が女性であり、半数以上が女性だったことだ。当時(いまもそうだと思う)の中国は共稼ぎが当たり前で、専業主婦などほとんどいなかったことは承知していたけれど、女性が男性と同等の地位にいることが珍しく感じた。日本とは違うなあと思ったからだ。そこから日本はどれほど変わったのだろうか。
どうしてそうなのか、そのとき考えた。
海外の映画やドラマを観ていると、家庭の金銭管理はほとんど男性が行っていて、女性は使い道を明らかにして亭主から金をもらうという形式がふつうのようだ。日本では給料は全て嫁さんがにぎって、旦那は小遣いをもらうという形式がまだずっと多いように聞く。どちらもそれが当たり前だという認識なのだろう。
それなら日本の女性は家庭で実権を握っているといえるのではないか。つまり日本の女性の地位は家庭では決して低くはないのではないか。それなら社会的に男性と互して荒浪にもまれる必要を感じる女性が少ないのも当然なのではないか。そうしてキャリアウーマンに対して冷たいのは、男性ばかりではないのが日本ではないだろうか。ぬくぬくと家庭で楽をする女性の後ろめたさがキャリアウーマンに対する冷たさにつながっている面がないか。それらが男性主体の社会を温存したのではないか。
今回のオリンピックパラリンピック組織委員会、森会長の女性蔑視発言が騒ぎになったことに関して、問題は二つに分かれるような気がしている。ひとつは森会長が社会での役割を担う立場にいる女性が少ないのは、女性に問題があるからであるような発言をしたことだろう。これが批判されるのは仕方がない。
もうひとつは、だから日本は時代錯誤的に女性を虐待している国だ、という世界的な批判を生んでしまったことだ。こちらについては前述したように誤解が大きいように私は思う。このことは日本の女性にこそ打ち消してもらいたいと思うのだが、どうもごっちゃにして被害者としての声を上げているのが気になる。
こんなことを書くと、だから日本の男は・・・とバッシングされるかも知れない。コワいなあ。
最近は早めに寝るのだが、夜中に目覚めることが多い。昨晩も一時過ぎに目覚めて眠れそうもないので枕もとのパソコンをつけたら、東北太平洋沖の海底を震源とする大きな地震があったことを知った。津波がなかったらしいのは不幸中の幸いだった。冬のしかも夜中のことでもあり、東北の人たちの驚きと不安はいかばかりかと思う。お見舞いを申し上げたい。
朝になってテレビでその被害の様子が少しずつ明らかになってきているのを見ている。これも東日本大震災の余震なのだろうか。場所から考えても無関係とは思えない。しばらく大きな地震がないと思っていたところでのこの地震であり、次にどこに大きな地震が起きてもおかしくないのが日本なのだなあと改めて感じた。
東日本大震災のときの地割れ(2013年に牡鹿半島で撮影)
そういえば『ジオジャパン』というNHKの番組で日本列島の成り立ちを見たけれど、あれを観れば日本に地震が起こるのは特別なことではないことがよくわかる。地震があることを前提にした心づもりが必要なのだろう。
久しぶりにビールを飲んだ。ひと月ぶりくらいか。冷蔵庫に缶ビールがなくなったまま、補充していなかった。酒を飲んでいなかったわけではない。正月用に白ワインをネットで取り寄せたら12本も入っていた。それもようやくあと一本になった。ふなぐち菊水の生原酒(日本酒19度・冬限定のようだ)が気に入って、気がついたらひと月で10本(四合瓶)くらい飲んでいた。どうも飲み過ぎていた。ふなぐち菊水の方は生原酒の新規入荷がなくなったということなので、今シーズンはこれで終わり。いつもの青木酒造の蔵開きは今年は案内もない。当然とはいえ残念である。
ひと月ぶりのビール(金麦だけど)は旨かった。
ひと月近く車を動かしていない。車のためにも運転の感覚を失わないためにも、ときには動かさなければいけないと思い、ちょっとした所用のついでにドライブした。
運転しているときの死角は承知しているつもりであり、見えないけれどそこに車がいるかも知れないと常に意識していたつもりだった。ところがふっと無意識に車線変更をしたときに、うっかりそれを忘れていた。いるはずがないところから警笛を鳴らされてそれに気がついた。
それほどギリギリのことではなかったので、さいわいなにごともなかったけれど、もし何かあったら相手の車にたいへんな迷惑をかけるところであったし、事故は互いにたいへん不愉快なことである。自分で自分が怖くなって、早々に帰宅した。集中を途切れさせるようなこと、運転に迷いを生ずるようなことは厳に慎まなければならないと深く反省した。
運転する機会をもう少し増やして運転能力を低下させないようにした方が良いと思ったけれど、それでいいのだろうか。四月には免許更新のための初めての高齢者講習を受けることになっている。
なかなかよかった映画
『残された者 北の極地』2018年アイスランド
主演のマッツ・ミケルセンはデンマーク出身の俳優。少し前に観た『ポーラー 狙われた暗殺者』(2019年アメリカ・ドイツ)で主演をしていた。それ以前にもいろいろな映画の脇役をしていて、なんとなく気になっていた俳優だが、この映画で忘れられない俳優になった。
極寒の極地に不時着した飛行機のパイロット(マッツ・ミケルセン)は、助けを待つためにありったけの物を持ち出して生き延びる工夫をする。そのサバイバルの様子が延々と描かれていく。やがて一台のヘリコプターが近くを通り、彼に気がつく。ところがそこに突風が吹き、ヘリコプターは風に煽られて墜落してしまう。希望が絶望に変わる。そのヘリコプターには二人乗っていて、一人は死亡、もう一人の若い女性は重傷を負っており、治療するがなかなか意識はもうろうとしたままである。彼女を励ましながら、再びサバイバルの生活が始まる。
しかしそれきり救援の来る様子はない。このままでは彼女は衰弱してしまい、二人とも死ぬしかない。
数日後、彼はヘリコプターに残されていた地図を頼りに、人のいそうな基地まで向かう決心をする。かなりの距離、彼女を橇に乗せて運ばなければならないが、放置すれば死ぬだけである。こうして苦難の徒歩行が始まる。想定を超えた試練が行く手には待ち構えていた。飢えたシロクマの襲撃、越えられない岩の崖、迂回することで何倍もの距離を行かなければならないことが彼を打ちのめす。そして油断した瞬間、彼は氷穴にはまり込んで身動きできなくなってしまう。
不屈の男は降りかかる試練にどう立ち向かったのか、そして二人の運命は・・・。あきらめない男の素晴らしさに、すぐあきらめる私は感動する。ディカプリオ主演の『レヴェナント 蘇りし者』を思い出した。そういえば日本にも『學』という倉本聰原作、高杉真宙主演、仲代達矢共演の、カナダを舞台にした素晴らしいサバイバルドラマもあった。
アイスランド映画はたいてい出来が好い。
『アマンダと僕』2018年フランス
傑作というような作品ではないが、忘れられない佳品として記憶に残るだろう。24歳の若者デヴィッドはアパートの管理人をしながら、公園の管理の手伝いのアルバイトもしながら暮らしている。彼にはシングルマザーの姉がいて、姉にはアマンダという7歳の娘がいる。パリの街を自転車で疾走するデヴィッドの目を通して木漏れ日や街の様子が映し出されていくだけの映像に、どういうわけか胸が震える。
淡々と日常が描かれていくことで姉弟の関係やその両親のことが分かってくる。父親は数年前に死んでおり、英国人だった母親はそれよりずっと前、デヴィッドが物心がつくかつかないころにロンドンに去っている。母親からときどき姉弟に手紙が来るが、デヴィッドは全て読まずに棄てている。テニスの選手だったこともあるデヴィッドに、姉からウインブルドンの大会のチケットが示され、アマンダと三人でロンドンに行こうと誘われる。
それがかたくなに母親を拒否するデヴィッドを、母親に会わせるためのものであることは彼にも分かっているのだが・・・。
そんな淡々とした日々にとつぜん悲劇が起こる。テロの銃撃によって多くの人々が殺される。アマンダの母親、つまりデヴィッドの姉もその犠牲者だった。こうしてアマンダとデヴィッドの生活が始まる。彼にはアマンダの面倒を見ることなど考えられないのだが・・・。
アマンダ役の少女は可愛い女の子というのとは少し違うけれど、ごくふつうの、しかしそれなりに賢い、自分でものを考えることの出来る女の子を絶妙に演じていた。彼女はどのようにして母親の死を受け止めていくのか、彼女とデヴィッドとの関係はいったいどうなっていくのか。結局二人はウインブルドンに行くのだが。
素晴らしい映画だった。
目標にしている体重よりも五キロ以上オーバになっている。二キロくらいまでなら、ちょっと心がけて汗をかけばたちまち調整可能だが、五キロとなるとすぐには無理で、膝やその他にいろいろと不具合が生じてくる。階段を登ると息切れがする。静かにすればおさまるし、熱もないし、味覚異常もない。異常はないが太れば太るほど食欲が昂進し、食べる量が増え、間食が欲しくなる。悪循環に陥って抜け出すのがむつかしいのである。
ほとんど散歩に出かけなくなったし、ちょいと三十分歩いたら汗が出て、なんとなく体調がおかしくなった。かつてないことである。ドライブに出かけて気晴らしをしよう、などと思っていたのにそれも思うだけで実行していない。それほど面倒だと思っているわけではない。本を読むのが近年になく面白くてしようがないのである。
いくらでも読める。眼がつらくなるから休憩を入れるけれど、夜中に目が覚めてしまうとつい本を読みふけってしまい、生活のリズムが乱れている。
私はどこかへ遠出したとき以外は完全自炊だから、三食とも自分で作って食べる。その食事時間、支度と片付けにはそれなりに時間を食うし、ぼんやりする時間がないとなにごとも持続しないので、本が読める時間はあるようで残り時間の全部が使えるわけではない。いきおい出かけることが後回しになってしまう。
出かけるのもひとつのきっかけが必要で、出かけてみればそれなりに楽しいから、それが習慣になるのだけれど、ずっと出かけずにいるともう動けなくなる。本を読むことを優先するか、出かけるスイッチをそろそろ入れるか、悩ましい。何しろ本をこれほど読めるのは久しぶりで、今のところ楽しくて仕方がない。一度スイッチを切ると再び入りにくくなるのが心配なのだ。
観た映画の寸評
『極秘部隊シャドウ・ウルフ』2019年アメリカ・イギリス
イスラム国が入手した小型核兵器を極秘特殊部隊が奪還しようとするが果たせず、それがアメリカに持ち込まれてしまう。彼らのテロを阻止できるか、という話で、そこそこ面白かったけれど、実感につながらないから他人事に見えた。リアリティがいまいちというところか。
『ブラッド・ショット』2020年アメリカ
ヴィン・ディーゼル主演、射殺された男が最新技術でよみがえる。彼は自分が記憶している、妻を殺した男への復讐のために死地に赴き・・・。ところがそこに齟齬が生ずる。彼の記憶は本当に彼のものなのか?SF仕立ての堂々巡りが始まる。ちょっと二番煎じ的なところが玉に瑕か。
『アフガン・クライシス』2020年イギリス
痛い映画。人間は簡単に死ぬけれど、ときにはしぶとくて死ななかったりする。イギリス兵の主人公とそれを助けるクルド人の兵士は、傭兵集団の裏切りとタリバンにズタズタボロボロにされながら生き延びて反撃していく。傷つくけれど死なないというのは不死身というに近いけれど、痛さを実感させてくれた映画だった。
『キル・オア・ダイ 究極のデス・ゲーム』2016年ロシア
参加者11人による生死をかけたクイズゲームを全国の視聴者が固唾を吞んで見守る。私の頭が悪いせいで、ゲームのルールがなかなかすんなり飲み込めなくて、あれよあれよという間に次々に人が死んでいく。ルールがもう少し分かったらもっと楽しめたかも知れない。
『インビジブル・シングス 未知なる能力』2018年ドイツ・ルクセンブルグ
科学者の母親の発明した薬品を浴びて透明になる能力を身につけた少女とその仲間たちの活躍を描く。母親やその所属する組織が悪者だか正義なのかさっぱり要領を得ない。ご都合主義的展開で、ぼんやり眺めているうちに悪が倒されていた。
『ベルセルク 黄金時代篇Ⅲ』2013年日本アニメ
一度観たけれど、忘れていた部分も多かった。ここからがベルセルクの本当の始まりなのであり、原作のプロローグにつながるのだろう。大分間が開いたけれど、次回作は作られているのだろうか。
実はそれなりに面白かったり、是非おすすめという映画二本があるのだが、それは明日。
WHOが派遣した武漢への調査団の調査が終わったようだ。中国が協力的だった、という調査団のコメントがあったらしい。さらに集められたさまざまな情報の解析にはこれから二年とか三年の解析が必要だという話も伝えられている。こんな調査で何が分かるのかという批判や、中国に対して謝意ともいえる言い方をしたことでWHOの姿勢に疑問符をつける報道もある。感染発生が最初に判明してからの中国の対応について問題があったと考える人々は、WHOについて改めて失望を感じたかも知れない。
中国は当初発生元が武漢であることを認めていた。そして初期対応に問題があったことも認めていた。ところがそれに対して責任を問う声がアメリカなどから澎湃と起こりだしたとたん、全てを否定する方針に変更した。根拠などまったく呈示せずに、このウイルスは中国初ではない、つまり外部から持ち込まれたものだと言い出した。これは中国共産党の方針であるから、中国にとっては事実となる。そう決めたのだからそうなのである。
中国は、司法立法行政と同じように、科学も共産党の支配下にあるらしい。だから決めた方針に反する事実は存在してはならない。とことんそのような事実はクリーニングされ尽くした。念には念を入れていたのでWHOの調査団を受け入れるのに時間がかかったのだなあ、と世界中が理解している。しかし世界がどう考えようが、中国は歯牙にもかけない。事実は中国共産党が決めるのだから当然である。
それならWHOの調査団は何をしに行ったのか。何も検証に値するような証拠は得られないだろう、という批判はあるだろう。それに対してある人が(誰か失念したが)今回の調査団の主な目的は聞き取りだという。コロナ禍発生以来の医療に携わった人、治療を受けた人、亡くなった患者の遺族等々に面談して聞き取りをすることで、いったいなにがあったのか、隠蔽されたものの背後にあるものを見つけることが出来るのではないかと期待しているというのである。何しろそれらの人は、いくら箝口令が敷かれていても、内心では言いたいことが腹中にあふれているはずだからである。
たぶんそれらの結果について調査団がコメントをすることはひかえるだろう。だれに危害が及ぶか分からないからである。だから「中国の全面的な協力に感謝する」と中国国内にいるときにはリップサービスをするのは当然のことだろう。あり得ないことだが調査団そのものの身の安全のためにも必要かも知れないのだ。
中国国内から脱出したあとで、得られた断片的な情報を突き合わせ、解析するという作業をこれからしていくのだろう。二年三年かかるというのも、中国を安心させるための説明に違いない。いままでそうだったように、これからも繰り返し中国発のパンデミックが起こるだろう。WHOは中国に調査に入ることが出来るような状態を維持しておかなければならないのだ。ご苦労様である。
ちょっと調査団に対して好意的な見方過ぎるだろうか。
本ばかり読んでいたら頭が少し凝ったので、印刷物から眼を遠ざけて録りためた映画やドラマを観た。ドラマは観るものをなるべく限定している。手を広げるときりがなくて、時間を食いすぎてしまう。あまりできのよくない(あくまで私の印象)『明治開花 新十郎探偵帖』がようやく終わってくれてほっとした。次のシリーズはないと思うが、もし万一作られたら今度は観ないことにする。いまシリーズで観ているのは『ペンションメッツォ』(小林聡美はいつ見ても好いなあ)、『コールドケース』第三シリーズ(もとのアメリカ版も好いけれど、こちらの日本版も好い。ゲストが毎回ぜいたくで、見応えがある)、『プロディガル・サン』(大量殺人のサイコキラーの息子がプロファラーになって活躍するという異色ドラマ)、『立花登 青春手控え』第二シーズン(こちらは再放送で一度観ているのだが、原作もこのドラマも大好きなので、また観ている)というところか。
映画も録画するものを絞っているのに、しばらく観なかったら溜まってしまった。チャールズ・ブロンソンの『DEATH WISH』という映画は第一作から第五作まであって、第一作の日本題は『狼よさらば』、第二作は『ロサンゼルス』である。両方ともリアルタイム(1974年と1982年)に映画館で観ている。この二作は『DEATH WISH』の題名でブルース・ウィリスの主演でリメイクされていて、それを先月WOWOWで放映されたときに観たのだが、今回第三作の『スーパー・マグナム』、第四作『バトルガンM-16』、第五作『キング・オブ・リベンジ』を一気に観た。
このシリーズの悪役というのはただひたすら悪いばかりであり、その悪辣ぶりは目を覆いたくなるほどひどい。だからそれに鉄槌を下す主人公は法律を犯しているにもかかわらず観客から拍手喝采される。痛快なのである。大好きなチャールズ・ブロンソンが演じていることもあって私も好い気持ちになる。だからといって現実にこんなことが許されるなどと思っているわけではない。まかり間違うといまのSNSの正義の味方の暴走につながりかねない心性でもあるからだ。(すくなくとも日本では)警察もこんなに腐敗もしていないし、無力でもないと・・・いちおう信じている。
ついでに2018年に作られた、チャールズ・ブロンソンのそっくりさん俳優が演じた『野獣処刑人 ザ・ブロンソン』という映画も観た。超駄作、大根役者のオンパレード、会話もストーリーも最低という大愚作であった。眼も頭も汚れてしまった感じがする。
ほかにも観たので明日にでも続きを書く。
読書にも倦んで、昼時にたまたま『バイキング』というバラエティ番組を観た。司会をしている坂上という人の語り口があまり好きではないし、ほとんど芸能ニュースに終始するこの番組はじっくり見たことがない。ところが話題が花田優一という貴乃花の息子のことで、何のことだろうと見始めたらあまりの馬鹿馬鹿しさに呆れはてて、却って意地になって延々と続くその話題を見続けてしまった。
大真面目にこの人物を話題にしている体で、実は馬鹿にしながら笑い倒している。だれが考えても人間性に問題がある、ほとんど犯罪者にしか見えないこの花田優一という男をちやほやし続けて、ますます勘違い人間に仕立て上げた芸能界や芸能ルポライターが大真面目に「なんとか自立していつか父親(貴乃花)と仲直りして欲しい」などと、心にもないことをいいながら、腹の中で、「いまに落ちぶれ果てて世の中の苦労を味わったら良い、そのときにはざまあみろと言ってやりたい」と考えているのが聞こえるようだ。
口先だけで生きることが出来たのは親の名前があったからで、いまにドラッグにでも手を出して本当にあちらの世界へ転落しそうな気がする。それにしても収入があってこそ裏社会の人間は寄ってくるので、伝えられている様子では「靴職人」というのも名前だけで実際に靴をせっせと作っているようなことはなさそうだ。親が見放せばすぐに路頭に迷い、いまに誰かを恐喝でもするのが関の山か。
こんな話題を延々と流している現在のテレビというものの正体をよくよく味あわせてもらった。たいへん参考になって感謝している。
陳舜臣の本は、文庫本も含めて数えれば数十冊持っている。かなり持っているつもりでいたが、ネットで陳舜臣の著作リストを見ると、私の持っているのはそのほんの一部であるようだ。それだけ数が多い。しかし陳舜臣は決していい加減に書き飛ばすような作家ではない。それぞれにさまざまな資料を渉猟し、自分の知識をそれに重ねて深く考えた上で文章としていることは読めば分かる。だからこそ、この著作の多さは驚異的である。
その点では、今回読んだこの『六甲随筆』は、新聞に連載した紙数がごく限られたコラムなので、いつもの彼の蘊蓄の開示の余地があまりない恨みがある。とはいえそれを丁寧に読めば、氷山の水面上の部分が書かれていることが分かる。水面下にあるものの方がはるかに多いのだ。その部分を知りたければどうすればよいかも示唆されている。それについて多少の知識を持って読めば深く頷くことも多い。
豆知識的なエピソード集という体裁ではあるが、陳舜臣の世界を愉しむことが出来る。私も訪ねたことのあるウズベキスタンやトルコについての思い出も語られていて、ちょっと嬉しいし懐かしい。
『風の書評』で木山英雄『北京苦住庵記』という、日中戦争時代の周作人の伝記を取り上げて批評している。革命思想一辺倒の現代中国学会に気兼ねして回りくどい、といつものように辛口の批判をしているけれど、そのことよりも魯迅と周作人という兄弟の生き方についての百目鬼恭三郎の評価の方が主眼になっていて興味深かった。
中国はもちろん日本でも魯迅が高く評価され、弟の周作人はあまり取り上げられることがない。しかし百目鬼恭三郎は人間的にも芸術的な完成度の点でも周作人は魯迅に劣らない、むしろ上ではないかという。もちろん魯迅は共産党中国では高く評価され、日本びいきで日本に親しんだ周作人は漢奸裁判にかけられたので現代中国での評価は低いというより無視に近いだろうが、進歩的文化人だらけの日本でも、中国におもねって同様であることを嘆いているのである。
周作人については『日本談義集』(東洋文庫)という本(訳は木山英雄)を読んだので、日本との関係や彼の信念の硬骨であることなどを多少は承知している。こういう本を読了できたのは彼の文章がすぐれているからであろう。そのほかに『周作人読書雑記』というのが同じく東洋文庫から出版されていて、全五巻のうち私は第二巻まで持っている。全巻揃えていないのは第一巻の途中までしか読めていないことと、歯ごたえがありすぎて(中身が濃すぎるのである)全五巻揃えても読み切れる自信がないからである。
こころのなかでそれなりに勝手に評価していた人が、辛口の批評家にほめられると、自分のことではないのにちょっと嬉しい。
前巻に続き、ますます辛らつな批評を痛快に感じながら、しかしここまでやり込めてしまったら、ずいぶん罵倒した相手を怒らせてしまうだろうなあと心配になる。巻末にその辺のことが記されている。指摘した瑕瑾についての、相手からの反論に対し、どうしてそれを問題視したのか、しつこいほど詳細な論拠を挙げて徹底的に反論の反論をして、完膚なきまでに相手を追い込んでいる。これはもう尋常ではない。これでは恐れられていたのは当然か。
本についての問題点を指摘していたはずが、相手そのものの資質までおとしめてしまうことになっていくのは、心優しい私などには少しやり過ぎに見えてくる。著者が例に挙げているように、明治や大正時代の批評は百目鬼恭三郎以上に激しかったようだ(よく知らないけど)。しかし当時の人々はそれが当たり前だと思っていたから、そんなことではへこたれないし、気にするような軟弱な人間はたいてい消え去ってしまったらしい。
しかし戦後の御代は、やさしい批評がふつうになっているから、こんな人格否定にまで及びかねない辛らつな仕打ちを受けると耐えられないのであろう。それは批評というものがあまりにもなあなあの仲間うちのひいきの引き倒しに終始してしまって、本来の批評とはいえない、という事情もあるのだろう。それ以上に著者が指摘しているのが、出版社が売りたいという本の提灯持ちをする批評もどきが批評と称され、それを読んで出版部数を上げるという手法が横行していることだ。だから有名人の書いたものなら中身は何でもよくて、つまらない本がベストセラーになり、読む値打ちのある本が本屋の片隅に埋没して消滅していることに対する怒りである。
そのことは私もとみに感じていることで、この本は良さそうだ、と食指が動いた本ほど店頭から消え去るのが早く、なかなか手に入らなくなってしまう。今はそれをメモしておけばネットで手に入れることが出来るようになったことがとてもありがたい。もっと早くそういうことが出来ていれば、もう少しつまらない本ばかりではなくて、読み甲斐のある本が読めたのに、と思っている。
肝心のこの本の中身についてほとんど言及していないが、私が読んでそこそこ評価した本がなで斬りにされていて、悲しい思いをしたものもあったとはいえ、やはり良いと思った本の多くはそれなりに評価されていて、著者の主張におおむね賛同できている。面白すぎて、しかしその辛らつさが強烈すぎて、やがて少し哀しい気持ちになる本だった。
私が高校生時代から頭の中に掲げている文章がある。何度も書いているからまたか、と思う人もいるだろうけれど、そのあとの枕として「また」書く。
「人間は精神である。しかし精神とは何であるか?精神とは自己である。しかし自己とは何であるか?自己とは、ひとつの関係、その関係それ自身に関係する関係である。あるいは、その関係において、その関係がそれ自身に関係するということ、そのことである。自己とは関係そのものではなくして、関係がそれ自身に関係するということなのである。人間は無限性と有限性との、時間的なものと永遠なものとの、自由と必然との総合、要するにひとつの総合である。」(キルケゴール『死にいたる病』の冒頭部)
人間は自分自身とは何か知ろうとしても分からない。焦点を絞ろうとするほど拡散するのは、物理学の量子の運動のようだ。ものを認識するのは自分自身である。それはデカルトがいみじくも言っているように、「ものを思う、故に我あり」である。全ての存在に疑問を持ったとしても、その疑問を持ったという自分自身の存在は疑いようがない、ということらしい。たしかにそれを否定したら疑問そのものに意味がなくなってしまう。
だからその疑いようのない自分が何かを認識したとしたら、その何かと自分との関係が生じたわけである。そうしてさまざまなことへの認識を重ね、さらに何かと何かの関係に認識が及べば、それらは互いが網の目のような意識空間を作り出す。その意識空間の中心こそ自分自身の核であろう。それは知識を重ねることによって不確定から次第に収斂する、と考えることが出来ないか。または意識空間そのものが自分自身なのだろうか。
人間は精神であり、関係であるとはそういうことで、知識は多いほど、そして互いに関連してこそ意味を持つ。ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』や養老孟司の言葉、その他感銘を受けた本や言葉には、そのようなさまざまなことを関連させた生きた思考が感じられるから、深く頷くことになるのだと思う。
百目鬼恭三郎が、小手先で書いた本を激しく罵倒するのは、そのような精神の働きがないと見做すからで、読者の時間の無駄を省いてやろうという老婆心からなのだと思う。
表紙カバーが二つあるので並べてみた。本は一冊である。
人類黎明の時代から現代までのホモ・サピエンスの歴史を概説した本であるが、従来の歴史の本とはまったく違う。世界史といえば、ほとんどがヨーロッパの歴史観を基本にしてきた。日本でも学校で習う歴史は、全て西洋の歴史観である。だからコロンブスがアメリカ大陸を「発見」したりする。東洋史にしても多くが西洋史観から語られるものが多い。ただ、いくつかそういうくびきから逃れている名著もある。例えば宮崎市定の『アジア史概説』などはその一つだと思う。私はこの本で歴史について新しい視点を教えられた。
この『サピエンス全史』はそのような従来の歴史書とはまったく違うものである。人類そのものがどうしてこれほど世界にはびこるようになったのか、ほかの生物とどう違っていたのか、それをまず考える。意識革命、宗教、科学の発展、産業革命、エネルギー革命、AI化などをどう位置づけるのか、新しい視点を提示して見せてくれる。
人類の爆発的な増加が科学の発展、つまり自然科学的知識の増大が大きな要因であることは明らかだ。しかしそのときに人間の真の知性は増大しているのか。私は科学知識の増大とは裏腹にちっとも変わっていないと思っている。今の世界の情勢、特に中国やアメリカを見ていればそう思わざるを得ないではないか。しからば人類は持つべきではない強大な力を手にしてしまったことで自らを滅ぼす可能性が高くなっていると悲観することも出来る。
この本はそのときの人類の向かうであろう方向を予測して見せている。そもそもそのことを書くためにながながと人類の歴史を語ってきたといってもいい。人類そのものは科学知識をのぞけば進歩などしていないのかも知れない。それならその人間の限界を乗り越えるものは何か。人類がいま無意識に試みていることは何か。
小松左京の『神への長い道』というSFの中編小説がある。またE.E.スミスの『レンズマンシリーズ』のレンズ提供者であり集合生命体であるアリシア人を思う。人類は神になろうとする意志を持っているのである。その神へのステップとして遺伝子工学があり、AIがある。自分自身に限界があるならかわりに神を創造しようとするしかないのである。
このことはおおっぴらに書くと嗤われるから、とことん考え尽くした人々はそれとなく書いてきたことで、とことん考え尽くした人々などが書いた、さまざまな本をそのつもりで読むと、そうとしか読み取れないことが書かれていることに気がつく。人間が神を生み出し、しかしすでに神は死んだ(ニーチェ)。しかし実は人間は常に神を求め続けてきたのであり、ついにこれから創造されつつあるのだ。
そうなればそういう存在は身体性を離れざるを得ず、しかし身体性を離れた存在を神と見なせるのかどうか。そしてその神は人類の存在そのものを価値あるものと見なすかどうか。
ここで『サピエンス全史』は終わり、次に『ホモデウス』上下二巻に続いていくのである。すでに入手して手元にある。デウスとは神のことだ。
知識、教養、知性は互いに関係しているし、意味が重なる部分もある。私がそれらを人一倍大事なものだと考えていることは、このブログを読んでいる人なら分かると思う。
知識はデータであり、検索すればたちまち探し出せるのだから、わざわざ記憶して身につけなくてもよいではないかと思う人もいるだろう。ひところ、詰め込み教育否定、ゆとり教育推進、などと叫んでいた教育学者や文部官僚がもてはやされていた。私も詰め込み教育には反対だった。ただ記憶した量の競争がテストの順位を決めるがごときは無意味だと思ったからだ。
だが、詰め込み教育反対の声やゆとり教育賛美には、実は勉強したくない、しっかり勉強するのは面倒くさい、と考えるこどもたちへの迎合が背景にあることをちゃんと認識しなければならない。よほど頭が良いこどもでない限り、勉強は基礎が出来るまでは少しつらい時期がある。現在こどもである人たちや、こども時代の苦労がつらいことだったと思う大人たちがそれらの声が正義であるかのように迎合する。
もちろんだれも知識などまったく不要だ、などと思っていないはずだ。しかし正義の味方は常に極端に走る。詰め込み教育否定がそのまま知識を身につけることの全否定につながったり、学校教育そのものの否定につながったりするから恐ろしい。
百目鬼恭三郎がこんな文章を書いている。
「近代に入ってからの日本は、思想性、問題性を持つ本が教養書であり、事物の知識を授ける本は、無用のディレッタンティズム(趣味としての学問尊重)として軽視する風が続いてきた。
(中略)
つまり、現代日本の教養は、目標にだけしか目を向けない馬車馬的な教養なのであり、これでは創造性が養われるはずがない。本当の教養とは、一見バラバラで互いに無関係なような雑多な知識が、いつか網の目のように結び合って、頭の中で一つの体系を作り上げるに到ることなのだ。」
ここに知識の意味が語られていて、それらの総合的な頭の働きこそが知性というものだということが分かるではないか。知識が網の目のように張り巡らされて体系になるということは、常に知識を取り入れて体系は変化し続けることに他ならないことも承知しておくべきだろう。それが知性のメンテナンスとなる。
反知性主義とはその変化を否定する思考のことをいうのだと思う。つまり固定された体系(たいてい誰かに与えられたもの)の元に世界を把握して断罪する思考法だ。宗教によるものだったりイデオロギーによるものだったりする。それらがどれほど世界を狭くしているのか、それに気がつくためには知性の働きが必要で、そのためには基本の網の目の要素である知識は不可欠なのだ。
私は陰謀論をしばしばせせら笑うが、世界に陰謀などないと思っているわけではない。戦後アメリカは日本を愚民化するために心を砕き、それが日本の教育に大きく影を落としたけれど、それを陰謀と見做すことは可能だ。その結果が、教育、マスコミの劣化であり、無知を一つの才能のごとく馬鹿笑いを続けるテレビ番組に感じてしまう。
そう思いませんか?
たとえば梅原猛の『塔』を取り上げて酷評している文章の出だし。
本業をそっちのけにしてある事に熱中する人を「何々バカ」という。その呼び方に従うなら、梅原猛や上山春平などはさしずめ、「古代バカ」というべきであろう。
断っておくと、本業でない分野に首を突っ込んでも、それなりに業績を上げている分には、バカとはいわれない。「何々バカ」という呼称には、のぼせてやっているくせにサマになっていない、という意味が含まれているのである。
それにしても梅原猛の『塔』はひどい本だ。
これだけ罵倒しておいて、その根拠を次々に挙げていくのである。痛快というか容赦がないというか。
その著者が開高健や向井敏、福田恆存の本には珍しく好意的な書評を書いている。本物であると認定しているのだ。嬉しくないことはない。
あとがきに、匿名書評について卑怯であると批判されていることに対し、人情利害にしばられてほめる批評が当たり前の現状に対し、それらから自由に書きたいことを書くためだ、と反論している。この本の続編である『続・風の批評』では連載が終了したからとして、自分の正体は百目鬼恭三郎であることを公表している。逃げ隠れするつもりが最初からなかったことは明らかである。
この本の辛らつきわまりない書評は痛快で、引用したいところに付箋を貼っていたら、付箋だらけになってしまった。取り上げられているのは辞書あり、歴史や古典の論文あり、詩論あり、文芸評論あり、純文学あり、SFあり、ミステリーあり、時代小説あり、児童文学あり、エッセイありで、およそ本屋の店頭に並んでいるさまざまなジャンルを広汎にカバーしてバッタバッタとあたるをさいわいなぎ倒している。それにしてもすごい読書量であるし、あらを探したらそれを検証するために別の本もたくさん調べているはずで、とんでもないパワーである。
ずいぶん恨まれただろうなあ。続巻を読むのが楽しみだ。
この一年ほどで梅原猛の古代史に関連する本を五、六冊読んできた。今も『塔』という本を読んでいる最中である。そこに書かれている古代の文献について読み取る力もないし、基礎知識もほとんどないから、定説を覆していく梅原猛の新説の展開の迫力に圧倒されて、ただ『そうなのか』と思わされ続けてきた。
珍説だ、妄説だ、という批判が専門家からたくさんあったことは承知していたが、それに対する梅原猛の反論も強烈で、沈黙させられたり、無視する専門家も多かった。批判する根拠、反論の根拠をそれぞれ自分なりに比較検証する力がないから、学会というものに対する偏見から、梅原猛の言い分もそれなりに学問的意味があると信じていた。
ところが『風の書評』を読み進めていたら、短い文章で、根拠を示した上でそれらの梅原猛の本を一刀両断にしている。そこには梅原猛が自説を強調するあまりに、都合の良いものばかりを拾い出したり、都合の悪いものは取り上げなかったりしていること、根拠として引用している文献にいささか価値が疑わしいものがあることなどが明快に示されていて、いささか鼻白んでいるところだ。
梅原猛の場合は直感による仮説を立て、その仮説をさまざまな文献を渉猟したうえで次第に補強し、従来の定説を覆すという手法を採っていることは何冊も読んできたからよく承知している。いわば自然科学的手法を人文科学に応用しているといっていい。ところが自然科学では、一つでも仮説に反する事実があればその仮説は訂正をしなければならない。都合の悪いものを採用しない、などという恣意的なデータの収集ではその仮説は砂上の楼閣になってしまう。
風(百目鬼恭三郎)子はそれを指摘しているのである。
直感による仮説の面白さと、その展開で得られるめくるめく世界を梅原猛は愉しませてくれた。そしてそのおかげで私は最も苦手だった日本の古代史の面白さを教えられた。だから梅原猛の本を読むのは無駄だったとは思わないし、これからも少しずつ読むつもりでいる。しかしもう少し勉強して丸呑みすることのないようにしなければならないと反省している。他人に梅原猛を受け売りして知ったかぶりするなどというのは注意しなければならない。さいわいだれも聞いてくれないからそういうことは今までもこれからもあまり心配ないけれど、ブログにおかしなことを書いていなかったかどうかだけが気になっている。
開高健が壽屋(現サントリー)の宣伝部でコピーライターをしていたことは有名である。ある時期のトリスのコマーシャルなどは彼の手になったものが多い。そのあとにその宣伝部に入ってきたのが山口瞳だった。
もともと同人仲間だった開高健、谷沢永一、向井敏が久しぶりに一堂に会して鼎談した本の話は繰り返し紹介してきたが、開高健は作家となり、谷沢永一は関西大学の教授(文学部のボスとして君臨した)になり、向井敏は電通に在職してテレビCMなどを手がけていた。
この本は『電通報』という電通の社内報に連載していたコラムなどを編集して本にしたものであり、主に1974年から1979年にかけてのCMを取り上げて批評したものである。懐かしいCMもたくさんあって、その時代を回想することが出来た。ただ、とても短いコラムなので、彼本来の辛口の批評は発揮し切れていない。仲間内の批判はひかえたのかも知れない。鼎談の三人組のなかでは向井敏は最も温厚で紳士なのだ。
軽い読み物なので、たちまち読み切ってしまった。この本もノートにメモしてあって、今回古本屋から取り寄せた本だが、どこで紹介されていたのか書いていないので分からない。
女性が入ると会議が長くなる、という森オリンピック・パラリンピック大会(長いなあ)会長の意見はウソではないと思う。別に森会長を擁護するつもりはない。どうしてこんな人が会長になったのだろうと最初から疑問に思っていた。時代錯誤を絵に描いたような人なのは、だれもが知っているだろうに。
森会長は実際に女性が入ると会議が長くなって迷惑だと実感していたからそのまま口にしたのであろう。だからウソではないのだ。ただ、どうして長くなるのかということを考えるだけの知性がないだけのことである。男の多くは会議では言いたいことも言わずにおくことになれている。いってもどうせ決まったとおりにしか進まない、とあきらめているか、いらぬことを言ってにらまれるのも面倒だ、と思うのか。
しかし女性はそんな風にあきらめたりしない。そもそもあきらめたりするような女性はそういう場に選ばれたりしない。疑問に対してはきちんと糾し、自分の提案も主張するのだろうと拝察する。たしかに女性の物言いはときにくどかったり感情的だったりするけれど、それは相手(たいてい男)が女性の言うことをまともに聞かないからであろう。たかが女のいうことだという、女性を一段下に見た気持ちを鋭く感じ取るからではないか。
まともな男なら、最近の女性の台頭を、女のくせに、などと考えたりしない。台頭してくる女性の賢さ強さしたたかさを恐怖を以て実感している。男たちがなあなあで済ませてきたことをそれではいけない、と気付かせてくれるのが女性なのである。
ところが森会長はそこのところに毛筋ほどの認識もないから、釈明会見で頭を下げておけば良いだろう、という程度のつもりだったようだ。どうして自分が頭を下げなければいけないのかまったく分かっていないことを再び世間に明らかにしてしまった。そろそろ老兵は退くべきだろう。日本の恥である。
蛇足でいえば、積年の女性蔑視の恨みを晴らすことにのみ情熱を注ぐかのような金切り声の女性は、私にはただ森会長の裏返しにしか見えていない。私が男だからであろう。
開高健、谷沢永一、向井敏の鼎談本『書斎のポ・ト・フ』で百目鬼(どうめき)恭三郎の書評本が取り上げられていた。蔵書には彼の本が四冊ほどあるが、それ以外の本を集めたくなって、四冊ほどを発注した。最初に配送されたのがこの『風の文庫談義』だった。
風、というのが百目鬼恭三郎の書評子としての匿名の名前で、『風の書評』という週刊文春の辛口のコラムは全ての文筆家に恐れられていた。その連載が終了したあとに自ら正体を明かしている。『書斎のポ・ト・フ』のなかでは、風の正体について三人は承知していないから、風の本も百目鬼恭三郎の本も別物として扱われていたのが面白かった。あとで知って、驚くよりもなるほど、と思ったに違いない。平成三年三月に肝硬変により死去、享年六十五歳。この『風の文庫談義』が出版されたのは平成三年五月だから、本人はこの本を手にしていない。巻末のあとがきに丸谷才一が追悼を兼ねた文章を寄せている。
この本で取り上げられた本がまた欲しくなったりした。ギリギリ我慢して、丸谷才一の本を六冊ほど発注した。
百目鬼恭三郎の本
すでに持っている本
『解体新著』(文藝春秋) 書評本
『濫読すれば良書に当たる』(新潮社) 書評本
『読書人読むべし』 (新潮社) 書評本
『奇談の時代』 (朝日新聞社)
この本は先輩からもらった。主に日本の奇談を集めたもので、『人異篇』『神怪篇』『異類篇』の三部からなる。ふつうの本の三倍から五倍の中身が凝縮して収めてあり、不思議な話に少しでも興味があるなら読み応えのある本である。お勧め。中国にはこの手の話が山ほどあって、私は大好きである。『唐宋伝奇集』『聊斎志異』『子不語』など挙げていけば枚挙にいとまがない。紀昀(きいん)の『閲微草堂筆記』(平凡社ライブラリー)などもおすすめの本だ。沢田瑞穂『鬼趣談義』(中公文庫)は膨大なそのような話をまとめた読みやすい本だ。この本もボリューム満点。
今回発注した本
『風の書評』(ダイヤモンド社) 未着
『続風の書評』(ダイヤモンド社) 既着
『風の文庫談義』(文藝春秋) 今回読んだ本
『日本文学の虚像と実像』(至文堂) 未着
これだけ読めば満足だと思う。蔵書を読みなおしたりしたら、また欲しい本が増えそうで怖い。
読み始めたばかりの陳舜臣『六甲随筆』(朝日新聞社)という本を読んでいたら、王昭君の悲話について、陳舜臣が考えた異説が面白かったので書き記しておく。
後宮の美女三千人という。前漢元帝の時代、匈奴の王・呼韓邪単于(こかんやぜんう)が入朝したときに、求められてその三千の美女の中から王昭君という女性が単于に下賜され、異国に嫁いで二度と祖国に帰れなかった。
このとき、後宮の女性の数が多いので、画家に似顔絵を描かせ、不美人を選ぶことにした。異国に嫁ぎたくない女性たちはこぞって画家に賄賂を渡してことさら美しく描いてもらった。しかし王昭君は賄賂を渡さなかったので、醜く描かれてしまったために選ばれたという。
この悲劇は詩にも歌われているし演劇にもなっていて、日本でもよく知られている。
陳舜臣はこの話は作られたものだろうと推察している。元帝の時代は漢王朝も衰微しかけていて、まもなく王莽による簒奪があって一度滅びた。そういう時代であり、入朝した賓客である呼韓邪単于に対して醜い女を選んで下賜しようなどとするはずがないと断ずる。そもそも実際に女性たちを並べて皇帝に謁見させる方が、絵描きにいちいち絵を描かせるよりもずっと手間が省けるはずだという。なるほど。不細工な女性を下賜すれば単于も腹を立てるか、漢の国には美人はいないとあざ笑うかするだろう。
政略結婚の犠牲となって望郷の念に身を焦がしたという見立てから、悲劇とされているが、実は王昭君は呼韓邪単于との間に男の子をもうけているし、呼韓邪単于がなくなったあと再婚して、さらに女の子を二人もうけている。さらに突厥と漢や王莽の新との間がきな臭くなったときには間に入って和親にはたらいているのだ。
北宋の政治家・王安石が詩の中で
「漢恩は自ずから浅く胡は自ずから深し 人生楽しきは相知の心に在り」
とうたってことを陳舜臣が紹介している。
漢の後宮にいたなら、皇帝の寵愛を受ける機会はほとんどなかっただろう。異国の突厥の王なら女性も少ないから王と親しむことがはるかに深いだろう。人生の楽しみは夫と仲睦まじくする心にこそある。というのである。まことにもっともだと思うけれど、その詩のせいで王安石は糾弾され、進退が危うくなった、というのは攘夷思想にからんだ別の話となる。
甲骨文や金文の研究の草分けであり、歴史家として名高い郭沫若は、作家でもあり、また新生中国の政治家としても著名である。この『歴史小品』は中国史に名高い偉人について、郭沫若が独特の人物解釈をした歴史小説集で、都合八人が取り上げられている。
老子について書かれた『函谷関に帰る』ではあまりに老子が俗物に描かれていて、訳者の平岡武夫が解説で書いているように、いささか書きすぎではないかという印象を受けるけれど、老子と関尹とのかけあいや情景描写は中国のほこりっぽい空気感まで伝えていてさすがである。全体に感じることであるが、新生中国の共産主義的思考に沿った人物や思想についての評価がその背景にあるのかも知れない。それなのに次の荘子に対しては老子と正反対に好意的なのはなぜなのだろうかと思ったが、解説を読んで多少は納得した。
観念的で空想的に過ぎる老子を否定し、体系的で言行が一致していた荘子を郭沫若は評価していたという。それは魯迅が荘子について評価していることを受けているのかも知れない。
孔子について、そして孟子についての短編も、伝記の上の偉人というより、その時代に生きた生の人間として描いて見せているから、なんとなく違和感を感じるところがないではないが、読み物としてはとても面白い。繰り返すが、思想的な背景まで透かしてみえて来るのは読み過ぎか。
ほかに始皇帝、項羽、司馬遷、賈誼、などの話がそれぞれ一篇となっている。司馬遷では、任少卿(じんしょうけい)が『史記』をほぼ完成させつつある司馬遷を訪ねてきてのやりとりを描きながら、その二人の思いの食い違いが語られる。それこそ宮刑を受けた司馬遷自身の屈辱を根底にした苦悩そのものを描くことなのだ。
武田泰淳が、『司馬遷 史記の世界』という本で、『司馬遷伝』の書き出しを『任安(じんあん)に報ずるの書』をもとに詳しく書いている。友人である任安(任少卿)宛に書いたとされるこの手紙形式の書と『太史公自序』のみが司馬遷自身が自分に関することを書き残したものであるという。郭沫若ももちろんその二つをもとに、彼なりの解釈をして歴史小説にしたものだろう。任安がはたしてどういう人物だったのか、任安を司馬遷がどう見ていたのか、郭沫若と武田泰淳は違う捉え方をしていて面白い。
郭沫若が現代の中国を見たら、どんな感想を持つのか想像したりした。
茶色く変色したこの本をなんとか崩壊しないようにして最後まで読むことが出来た。
このひと月あまり、本を注文するのが止められない。本を買うのがストレス発散になっているのかも知れない。書評本を読めば、そこに取り上げられた本が読みたくなる。むかしは本屋や古本屋をはしごして探して購入したものだが、今はネットで検索すればたちどころに見つかるから即発注できる。
読みかけやこれから読むつもりの本の山の横に、あらたに発注したものが次々に到着して別の山が出来つつある。芥川龍之介の『芋粥』のように、欲しいものがあまりに大量に眼前すると、食べる前からゲップが出て食欲をなくすように本を読む気をなくす、という心配もあるけれど、今のところまだゲップが出るほど大量だという認識がないらしく、せっせと読み飛ばしている。
いつものように四、五冊を並行して読む。飽きるととっかえひっかえする読み方である。昔からそういう読み方をしているからなれていて、混乱することはない。しばらくは毎日読み終わった本の話が続けられるものと思う。ただ、残念ながら新刊は少なくて、読むのを是非お勧めしたいというような本があまりないかも知れない。
過去、旅で泊まった宿から次々に案内をいただく。客が減ってたいへんなのだろうと想像する。そういう宿に本を抱えて連泊し、読書と温泉三昧で過ごしたらどれほど楽しいかなあと思うけれど、不要不急の外出はひかえろ、と大村知事が繰り返しいうし、妻の病院関係での雑用や、自分の定期検診などがランダムにばらついてひかえていて、なかなか出かけることが出来ない。4月以降には病院を再度追い出されるから、施設を探しているところだけれど、こういう事態の中なので、なかなか片付かない。施設に入れば月々の経費はたいへんな負担になる。なんだかますます自粛しなければならなくなりそうで、それがストレスとなっているのだろう。本を読んで集中しているときだけ全てを忘れている。
四部に分かれていて、三部までは二つの随筆集(『蘭におもう』、『竹におもう』)からの編集になっているらしい。第四部は彼の西域紀行の断片だ。
陳舜臣の該博な知識と、それを縦横に関連させた発想、そして深い思索が文章にこめられている。彼の随筆集は本屋で目につくたびに購入してきて、たいていはすぐ読んだ。ところがこの『中国随想』と『六甲随筆』の二冊は読みそびれていた。彼の描く中国についての思いは私の強く共感するところで、その世界観に酔いしれることが出来た。
彼は日本生まれの日本育ちであるが、自分の本貫(簡単に言えばルーツ)が中国であることを強く自覚している。だから中国の現在(この文章が書かれた20世紀後半)についてとても好意的である。しかしその理想化した中国感で現在の習近平支配の中国を見たらなんというだろうか。この随筆の中で語られた中国の美点がことごとくひっくり返されていることを哀しむことだろう。
これはこの本にも陳舜臣にも関係のないことであるが、習近平は毛沢東のようになることを目指している、といわれる。しかしこの本に言及されているように、毛沢東は異民族を同化しようとするような暴挙はすべきではないと考えていたし、そんなことはしなかった。今のウイグル自治区で行っていることは、日本が併合した朝鮮半島で行った皇民化という暴挙とは比較にならないほどの徹底的なものであるように報道されている。習近平は毛沢東の歴史についての知識もなく、文化的素養もない。毛沢東には絶対になれない。
取り上げたい文章はたくさんあるけれど、ひとつ取り上げれば、日中の食べ物に関する話題で、刺身を取り上げていた。中国でも古い時代では生の肉や魚を食べていた。それがどうして生ものを一斉に食べなくなったのか。それについて想像を働かせている。それでも中国の海岸近くでは、今でも生の魚を刺身にして食べる場所は残っている。鮮度の良い魚介が手に入る場所でもあるし、また日本との関わり(倭寇など)も関係しているだろうという。面白い。
もうひとつに、銭塘江の河口近くに六和塔(りくわとう)という大きな塔が立っている。杭州の西湖からも遠くない。ここは『水滸伝』の花和尚魯智信の終焉の地である。彼はここで寂滅している。この党にまつわる話は当然水滸伝に関わるものであるし、また浙江潮(中国版のポロロッカ・大潮の逆流)が眼下に見られる場所である。私もそれを思いながらこの六和塔に登ったので、懐かしい。
内容を忘れたころにもう一度読み直したい本だ。
ワクチンの配布が不公平だとあちこちで物議を醸しているようだ。作り出していきなり世界中の人に打つことが可能なほど生産することなど無理だから、当然供給には順番が生ずることになる。欲しい人が後回しにされれば不平がでるのは当たり前のことで、それを取り上げてあれこれいっても仕方がない。いつかは回ってくるとあきらめるだけのことだ。それをマスコミや一部政治家がとやかく言って、ことさら煽るのはいかがなことかと思う。しばしば自助努力が足りないことを言い訳するためにいう向きもあるだろうし、なにごとも公平に、などと出来もしないことをしたり顔でいうだけの空論家に付き合う必要はない。
蓮舫氏が国会で菅首相に浴びせた言葉が失礼であるかどうかが話題になっていた。少し前の質疑に続いての蓮舫女史の言葉は、私が見た限り、たいへん失敬であるという印象だったが、そう思う人も思わない人もいることだろう。蓮舫氏が言った、菅首相は言葉が足らないから国民に真意が伝わらない、という指摘が正しいかどうかといえば、おおかたの人は「正しい」と内心で思っているだろう。言い方の問題である。正しいことならどんな言い方をしてもいい、という考えの人は人を怒らせるし人が離れていく。現に蓮舫氏は次第に周りから人がいなくなりつつあるように伝え聞いている。それとも周りから人が離れていくことで感情的になっていたので、言い方が激しくなったのだろうか。かわいそうに、この蓮舫女史という人は他人をリスペクトする、という人間として最低限必要なことを学んでいないようだ。菅首相以上に政治家にむいていない。
少し前のことだが、職場に新しく美人が配属されたら男性たちが皆そちらに関心を向けてしまってつらい、というニュースともいえないような女性のぼやきがネットで報じられていた。私だってその職場にいればたぶんその美人のおかげで出勤が楽しみになることだろう。だから男というものは・・・などといわないで欲しいものだ。もし爽やかでやさしくイケメンの新入社員が配属されれば女子はそちらに関心が向くだろう。ほかの男はつらい・・・?私はちっともつらくないけどなあ。そんなものうらやんでも仕方がない。どうしようもないのだ。どうしようもないことでつらがっていたら、人生はつらいことだらけで生きにくい。頭のできも美しさも若さも健康も、なかなか思い通りになどならないことくらい、いい年をして気がついたらどうだ。
多田富雄(1934-2010)は日本の免疫学の権威で、国際免疫学会の会長を務めていた。若いころ江藤淳たちと同人に参加していたことがあるというから、文章は本格的で、専門以外の随筆などの著作も数多い。能にも詳しく、能役者とも親交があり、能の原作もいくつかあって上演もされているからプロである。そのような著者が、脳梗塞で死の淵をさまよい、半身不随で言葉も発することが出来なくなり、車椅子での生活を余儀なくされた上、前立腺ガンでさらに塗炭の苦しみを味わう。
そういう状態でありながら著作を続け、2007年から2008年頃に発表された文章をまとめたものが前半で、後半は未発表のものなどをまとめたものが収められている。後書きは2010年2月となっていて、この本の出版を楽しみにしていたらしいが、この本が出版されたのはその年の5月であり、彼は惜しくも4月に亡くなっている。
本職が免疫学で、当然彼は医師であるのだが、闘病のなかで日本の医療制度の改悪に強い危機を抱くとともに厚労省に対してその問題点を強く指摘、受け入れられないと署名運動を開始して五十万近くの署名を集めて社会を動かした。その顛末と絶望感は私もいささかその矛盾を実感しているので身にしみて共感する。
日本の行政がどれほど命より金であるか、と繰り返し語ったのは、この本を読みながら共感したからである。それは教育にも見ることが出来る。機能主義は国を損なうものだ、と養老孟司が語っていたが、その通りである。「それは何の役に立つのですか?「何のためにあるのですか?」とだれもが二言目には問う。これが機能主義の発想である。
理由などないものがほとんどであるのが世の中で、そういう問いばかり立てて役に立たないものを棄てていくという発想が病者を、高齢者を切り捨てていくことにつながっていく。若く強いものだけが意味があるという考え方がアメリカや中国をおかしな国にしたし、今日本はそのようになりつつある(すでにそうなっている)。
そんなことをこの本で考えさせられた。しかしこの本はそういうことばかりが書かれているわけではなく、四季の自然に感じたことを美しく語った文章や、能の神髄についての彼の思いなどが綴られている。命の限りの淵にいることで見える世界があるということを、彼のこの本は教えてくれる。
文章は病のためか多少鋭さを欠くが、その気持ちは却ってよく伝わった。
電気釜の良いので炊くとご飯が美味しいらしい。美味しいご飯が食べられるなら、少し金をかけてもいいかなと思わないことはない。そう思いながら当たり前の古い電気釜を使い続けている。そんな電気釜でも炊き加減でそこそこ美味いときと残念なときがある。もちろんどんなお米を炊くのか、水加減や研ぎ方もあるし、研いですぐ炊くのと時間をおくのとでも違うようだ。
電気釜にはメニューがあって、かため、ふつう、やわらかめ、はや炊き、ふつう炊き等々が設定できる。またお米の種類によって、最適の設定も違うらしいからむつかしい。それを全て試した上でちゃんとご飯を炊いているのか、と自らに問えば、いい加減であった。
ほんの少し柔らかめのご飯が好みだけれど、水加減を少し多めにしてふつうに炊いたのと、ただ柔らかめに設定して炊いたのとでどう違うのか、くらべてみたことがない。意識していろいろ試してみたら、案外もう少し美味しいご飯が炊けるのかも知れないなあ、と思ったりしている。
月に十五冊読むのがやっとであり、蔵書を引っ張り出して読むことも多いので、新規に本を買うのは十冊以内と決めている。当然、本は増えていく。プライム会員なので、新刊はアマゾンで購入する。送料が無料でしかもたいてい翌日か翌々日には届けられるので便利であるが、最近はすでに書店に並んでいない本を探して買うことが増えている。中古の本もアマゾンで買えるが、こちらはアマゾンに在庫がなくて提携している書店の在庫から発送される場合が多く、送料がかかる。書店によってはけっこう時間がかかったりする。
ノートに欲しい本(読みたい本でもあるが、まず欲しい、という気持ちが先に立つ)をリストしてあるが、アマゾンで手に入らないものはあきらめていた。あきらめるくらいがちょうど良いのだが、リストの本が別の本で言及されていたりするとどうしても欲しくなる。古書店組合に登録してあって、そこからいろいろ情報をもらっている。久しぶりにそこで検索してみると欲しい本はたいてい手に入ることが分かった。
ついにこらえきれずにリストの中から次々に注文した。こうなると一瀉千里である。その数十五冊(まあいいや)。次々に到着している。古本は特殊なもの以外は安い。コレクションするのが目的ではないから、少々の痛みや汚れは気にしない。ちゃんと読めれば良い。
その中にさすがにこれは、という本があった。昭和二十五年(私が生まれた年)に出版された郭沫若の『歴史小品』(岩波新書)という本だ。当時は紙質も悪かったのだろう。焼けてしまって茶色になっているが、読むことは出来る(当たり前だが)。ただページを開いていくたびに分解していく。まず表紙が取れてしまった。これだと一度しか読めないが仕方がない。一期一会そのものであるなあ、とページをめくるのを愉しんでいる。読み終わったらこの本は崩壊して消滅しているだろう。
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