丸谷才一『完本 日本語のために』(新潮文庫)
もともとは『日本語のために』という本があって、その続刊として『桜もさよならも日本語』という本があった。それを合本したのがこの『完本 日本語のために』という本であるが、収録されたものとされなかったものがある。今回、知らずに『桜もさよならも日本語』も注文してしまって手元にある。三分の一が『完本 日本語のために』に重なる。いま残りの収録されなかったところを読んでいる。
日本がアメリカに戦争を仕掛けるなどという愚かなことをしたのは、一部の特権階級だけが知識階級として多くの日本国民を支配していたからだとアメリカは考えた(アジアというのはそういうところだと決めつけていたのだろう)。ほとんどの日本人は文盲で、新聞も読めず情報を知るすべもなく、考えることも出来ない愚民的状況に置かれていたと考えた。
当初そう思い込んでいた進駐軍は、その愚民の日本人を新聞が読めて、ものを考えることの出来るようにしてやりたいと考えた。そして、思いついたのは漢字のようにむつかしいものを言葉として使うことが特権階級の知識人を生んでいるのだから漢字を減らし、場合によって日本語そのものを根本的にやさしくしてやったら、愚民である日本人が読み書きできるようになって救えると考えた。それに迎合した日本人が日本語を変えようとして始まったのが国語審議会のようである。(これは私の受け取り方を誇張したもので、丸谷才一がそう書いているわけではないので念のため。)
ところが進駐軍が驚いたのは、日本の都市部だけではなく、地方の田舎に出かけても、ほとんどの日本人が読み書きが出来ることであった。当時の日本人の識字率はいまとほとんど同じように99%ほどで、西欧よりも高かったのだ。これを知った進駐軍は言葉、つまり国語教育についての介入は中止して日本人に任せることにした。
それからは、まかされたある特定の思想の人々(左派というだけではなく、愚かな日本人を救いたいという心優しい人たち)により、日本語はさまざまにいじり倒されてきた。その結果としての新漢字、新仮名遣いなのである。さらに国語教育そのものも子供に迎合するおかしなものになっていると批判しているのがこの本なのである。さらに入試の国語の問題についてもおかしなものを例に挙げて痛烈に批判している。
心優しい人々のおかげで日本人が、そして日本語がどうなったのか。もって瞑すべし、である。こんなことを感じるのは、たぶん私が時代錯誤だからなのだろう。
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