ミレーユ・マチュー
シャンソン歌手のミレーユ・マチュー(1946年生まれ)が好きで、CD二枚組のアルバムを持っている。それをハイレゾ化してNASにいれてあって、久しぶりに少し大きな音量でじっくりと聴いた。
エディット・ピアフやシャルル・アズナブールのように、シャンソンというとどちらかというと語りかけるように静かに歌うものだというイメージだが、ミレーユ・マチューは声量もあり、高音で明るく元気な歌い方をする。とにかく歌詞が明晰なのである。明晰だけれど残念ながらフランス語だから何を歌っているのかは分からない。
意味は分からないのだけれど、その明るさと元気さの中にそこはかとないやさしさを感じさせるのだ。そのやさしさは人の哀しみを癒やすやさしさといおうか、明るさの中にもともと哀しみをふんわりとつつんでいるような気がする。ただ脳天気に明るいのではなく、哀しみを抑えた明るさだろうか。それは彼女の歌うシャンソンそのものに宿るものでもあるのだろう。意味は分からなくても感じることはできるのだ。たぶん彼女の伝えたいものとは違うのだろうが、たしかに私はメッセージを受け取っている。
アンニュイな日にはミレーユ・マチューが心に響く。
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