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2021年2月19日 (金)

丸谷才一『桜もさよならも日本語』(新潮文庫)

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 これは『日本語のために』という本から十年後に書かれた続編であり、国語教科書についてももう一度全てのものを集めて読み直し、実情を報告している。よくなっていることもないではないが、相変わらずの部分も多いようだ。何よりも教科書会社による質の差がさらに開いているらしい。

 

 こんな文章を読むと、実際に現時点での小学校や中学校の教科書を覗いてみたくなる。たぶんもっとひどくなっているだろうなあと思う。孫でもいれば見せてもらうのだけれど。ただしもしいれば、うるさがれるだろうなあ。

 

 この本の中の『言葉と文字と精神と』という長文の章は、国語改革がどういう経緯で行われたのか、だれが推進したのか、それによって日本語がどうなったのか、詳しく論じられている。この文章が書かれたのが昭和61年(1986年)、それから35年経って私が感じるのは、日本人の言葉に対するさらなるぞんざいさである。

 

 言葉は誰かに何かを伝える道具であることはたしかだが、その点ではそれほど劣化しているとまではいえないと思う。しかし言葉は同時にものを考えるときの道具でもある。人間は言葉なしには考えることは出来ない。どうも国語教育はその考えるための言葉を鍛えるという点をあまり考慮していないように思う。

 

 ネットの言葉のやりとりはほとんど絵文字と極端な短文で終始している。それで伝わるらしいが、伝えるための思考も短文では、ものの見方感じ方も上っ面をなでるだけになってしまう。それなら誰かの扇動やデマに振り回されるのもあたりまえか。

 

 私は言葉を粗末にする国は衰退すると思うけどなあ。

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