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2021年3月

2021年3月31日 (水)

頭で歩く(9)

「おくのほそ道」の市振、那古、金沢

 

 市振は親知らずの難所の西側にある。新潟から海岸沿いに歩き、糸魚川を過ぎれば断崖が続き、わずかな浜辺の荒浪を除けながら、ときには崖に作られたわずかな足場を伝いながら行く道が続く。日本海にはそのような場所が数々あったけれど、このあたりは特に難所中の難所だった。

 

 それをようやく越えて泊まったのが市振だった。

 

  一つ屋に遊女もねたり萩と月

 

 その粗末な宿の隣室には、新潟から伊勢参りに行くという遊女二人が泊まっていた。翌朝、女連れは不安なので同道してほしいと頼まれたが、芭蕉は断ったとある。これは実話ではなく、芭蕉のイメージが作り出した俳句からの虚構だろう、というのが通説だ。

 

 那古を過ぎ、古戦場である倶利伽羅峠を越えてようやく金沢に到着する。金沢では前年に亡くなった、なじみの一笑という俳人の追善供養の句会に加わっている。

 

  塚も動け我が泣く聲は秋の風

 

 親知らずは高速ならトンネルだらけでどうということはないが、国道を行くとその難所であることを実感できる。一度国道八号線で走って見たらわかるはずだ。

 

 魚津や黒部も眺めたはずだが、詳しい記述はない。魚津には埋没林の博物館があってお勧めである。

Dsc_8706魚津埋没林・水中にある

 富山では万葉の里、雨晴らし海岸があるのだが、芭蕉はそこもさらりとしか語っていない。たぶん炎暑の中の道行きで体調がよくなかったのであろう。

 

 那古から氷見に行きたかったけれど、「見るほどのものはない」と言われたのであきらめたと書いている。そこで倶利伽羅峠を越えて加賀国に入ったのである。

 

 倶利伽羅峠は有名な古戦場で、木曽義仲が奇計によって平氏の大軍を打ち破ったところ。

Dsc_3107倶利伽羅峠古戦場跡

Dsc_3113いわゆる火牛の計

 金沢は十年あまり単身赴任で暮らしたからなじみが深い。いまも年に三四回は行く。

18102023-119金沢城五十間長屋

Dsc_0083兼六園琴柱灯籠

Dsc_0090_20210330154201いわゆる雪釣り

2021年3月30日 (火)

城門の血

『捜神記』第326話

 

 由拳県(浙江省)は、秦代の長水県である。始皇帝のとき、この地方に、

 

  お城のご門が血によごれ、
  お城は沈んで湖になるぞ

 

 という童歌がはやった。一人の老婆がこれを耳にして、毎朝城門の様子をさぐりに出かけたが、門衛の隊長が怪しんで縛ろうとしたので、老婆はわけを話した。その後、隊長は犬の血を城門に塗りつけた。老婆はその血を見るなり逃げ去ったが、急に大水が出て、県城は水につかってしまいそうになった。このとき、役人の幹という者が知事のところへ報告に行くと、知事は言った。
「その方は、なぜ魚になってしまったのだ」
 すると幹も
「知事閣下も魚になっておられます」
 と言ったが、町はそのまま沈んで、湖になってしまった。

 

 これは特に好きな話の一つ。
もう少しストーリー性のあるかたちのものを読んだこともある。門衛の隊長は悪戯でやったことで、それで老婆を笑おうとしたに違いない。

 

 しかし世の中には悪戯であっても、大事の原因になって禍を呼ぶことになることはあるものだ。

頭で歩く(8)

 越後路

 

 象潟から酒田に戻った芭蕉は、一息入れた後、日本海沿いに金沢を目指して南へ下る。盛夏の折から体調を崩したとある。酒田から温海、鼠ヶ関を過ぎればつぎはもう新潟県である。芭蕉の言及はないが、笹川流れの景色のいいところを眺めていけば村上で、新潟はすぐ先である。

 

 新潟、弥彦、高田、能生、そして市振に到る。新潟から先は日本海の向こうに佐渡が見えている。

 

  荒海や佐渡によこたふ天河(あまのがわ)

Dsc_0007_20210329152701初冬の日本海・酒田の南、湯野浜の北あたり

Dsc_0099_20210329152701鼠ヶ関の近くの弁天島の灯台。沖に見えるのは粟島。

Dsc_835110キロあまり続く笹川流れと呼ばれる海岸地帯はは景色がいい。

Dsc_8321村上で見た大鮭。村上には三面川という鮭の遡上する川がある。

Pict0032佐渡島。

 

 

2021年3月29日 (月)

明け方の桜

 昨日の雨も上がり、今日は晴れて暖かい、というより理由があってたくさん歩いたので汗をかいた。

Dsc_5036

 明け方、ベランダから見下ろせる幼稚園の桜を眺める。桜好きだから、例年なら車や地下鉄に乗って、鶴舞公園や名古屋城公園、那古野神社、木曽川堤などの桜を眺めて回るのだが、今年はマンション近辺の桜を眺めるだけである。それに、あまりにも出かけずにいたから、出かける意欲そのものがほとんど失せている。

 

 先週末に、半月ほど前に申請していたマイナンバーカードが出来ているという連絡があったので、朝から市役所まで受け取りに行った。市役所まで元気なときなら15分あまりだが、いまは膝も痛いし歩くスピードも落ちていて、20分近くかかった。朝一だったからあまり待っている人もいない。ところが、住基カードを持ってきてください、といわれる。リタイアして、十年ほど前に、確定申告するために住基カードを作った。パソコンからカードリーダーで読み取って簡単にデジタル申告できて便利ではあったが、二年だったか三年ごとにいろいろ更新の手続きが必要で面倒であった。だから三年ほど使った後、更新しないままであった。

 

 その住基カードとマイナンバーカードが交換になります、などと言われたけれど、そんなこと聞いていない。そもそも更新しなければ失効しているはずで、悪用のしようもないではないか。などと窓口で言い争うのも面倒なので、「はいはい」と言って取りに戻った。無意味な往復で汗みずくである。汗で濡れたシャツを交換し、一息ついてからもう一度市役所へ行く。

 

 今度はたくさんならんでいる。心配したとおりだ。とはいえ30分も待たずに受け取り手続き(暗証番号の設定など)は完了し、めでたくマイナンバーカードを受け取った。わざわざマイナンバーカードと打ち込むのは面倒なのだが、マイナカードという言い方がどうしても好きになれなくて、使いたくないのである。暗証番号の更新は五年ごと、カードそのものの更新は十年ごとだと言われる。案内をくれるという。一回目はともかく、二回目の更新はたぶんないだろう。一回くらいは出来るといいなあ。

 

 このごろ散歩をサボっていたから、片道20分を二往復しただけで足が痛くなった。情けない。

頭で歩く(7)

 象潟(きさかた)

 

 芭蕉は、酒田から、当時は松島とならぶ景勝地だった象潟に向かった。車だと酒田北港から海沿いに国道7号線を北上する。羽州浜街道(秋田街道)、通称おけさおばこラインである。そして山形県の北端、吹浦を過ぎればもう秋田県であり、象潟はすぐそこである。吹浦から右折すれば鳥海ブルーラインを行くことが出来る(雪のある間は閉鎖)。途中の鉾立展望台からは、日本海が見下ろせるし、鳥海山の高さ300メートルの断崖も見ることが出来て、絶景を楽しめる。そのままもどらずに山を下りればそこはもう象潟だ。

 

 象潟は、芭蕉が訪ねた当時は松島のように数々の島々が浮かぶ景勝地で、芭蕉は島の一つ、能因島に上がって、能因法師がここに三年隠遁していたという跡を訪ね、さらに蚶満寺に立ち寄っている。当時は干満珠寺といっていたらしい。蚶(カン・きさ)というのはこの海岸に多い貝の一種。小さな巻き貝で、象潟のドライブインでも売っている。その貝の名にちなんで、いまは蚶満寺というと解説にあった。象潟はその後地震で隆起して、島とその周辺は陸地になってしまった。いまは田んぼの中に島だった場所が点在している。

 

 象潟は「にかほ市」で、いつもブログを拝見しているでんでん大将さんはここが拠点のはずである。鳥海山の眺望もよく、海にも近い。秋田県としては雪が少ないところのようだ。

 

『おくのほそ道』では

 

 松嶋は笑ふが如く、象潟はうらむがごとし。寂しさに哀しみをくはえて、地勢魂をなやますに似たり。

 

   象潟や雨に西施がねぶの花

 

西施は中国古代、呉越時代の越の傾城の美女。
ねぶの花は合歓の花のこと。初夏、日本海沿いではそこら中でこの合歓の花を楽しめる。

60象潟の西施像・興ざめ

P9190014鳥海山鉾立から

41鳥海山で立ち寄った奈曽の滝

 蛇足ながら、吹浦(ふくら)には思い出がある。学生時代、格闘技の部活をしていて、その夏合宿の場所がこの吹浦の海に近いお寺だった。身体から脂っ気が抜けるほどしごき抜かれた。生まれて初めてこの合宿のために長髪だった頭を角刈りにした。そのあと母と弟妹とで吹浦の国民宿舎に泊まったこともある。そこで食べたワタリガニがいままで食べた中で一番美味しかった。

2021年3月28日 (日)

『死んだ妻をたずねた話』

『捜神記』第45話

 

 漢のころ、北海郡の営陵県(山東省)に一人の道士があり、人間を死んだ人と会わせる術を使った。妻を亡くしてから数年になる同郡の人が、その評判を聞き、たずねて行って、
「死んだ家内にひと目会わせてください。それができたら、死んでも思い残すことはありません」
 と言うと、道士は、
「会いに行きなさるがよい。ただ、暁を告げる太鼓の音が聞こえたら、すぐ外へ出なされよ。ぐずぐずしていてはなりませんぞ」
 と、死んだ妻に会う術を教えてくれた。
 すぐそのとおりにすると、妻に会うことができた。そこで妻と話し合ったが、悲しみと喜びのうちに、生きているときと変わらぬ愛情を交わしあつたのである。
 やがて太鼓の音が聞こえた。夫は後ろ髪を引かれる思いであったが、止まるわけにはゆかず、戸口を出ようとするとき、ふと着物の裾が扉に挟まれた。そこで振りちぎって帰った。
 それから一年あまりたってこの人が亡くなり、家族の者が埋葬しようとして墓を開いたところ、妻の棺の蓋に夫の着物の裾が挟まっていた。

 

 たった一年あまりで死んだとはいえ、ふたたび二人で歓をつくすことが出来るようになったであろうからめでたい。これでは火葬は望まないだろうなあ。しかし、死んだ妻と会う術を身につけたなら、たびたび会いに行ったらよかったのに・・・などと思ってしまう。そもそもそれほど愛した妻なら、太鼓が鳴ってもそのままいたらよかったのではないか。一年で死んだのは、妻に呼ばれたのではないか。それならそのことがちょっと恐ろしい。

頭で歩く(6)

 酒田・鶴岡

 

 芭蕉の奥の細道行もついに日本海に到る。鶴岡には藤沢周平記念館があるので私も二度訪ねた。二度行ったのは、一度は休館日だったからだ。たしか水曜日が休館である。城下町というのはたいてい道が入り組んでいて混む。鶴岡も中心部は恒常的に渋滞しているように見える。

 

 芭蕉は鶴岡から舟で酒田に出て、日本海に沈む夕日を見た。当時は鶴岡を流れる内川から大泉川、さらに赤川を経て最上川に合流していたらしい。いまは赤川新川が開鑿されて直接日本海へ流れ込んでいて、最上川にはつながっていない。

 

  暑き日を海にいれたり最上川

190712-32日本海に沈む夕日

190712-14鶴ヶ丘城のお堀

190712-21_20210326100801藤沢周平記念館

 

2021年3月27日 (土)

『変化の術』

『捜神記』第25話

 

 葛玄は字を孝先といい、左玄放(左慈のこと)の弟子となって、九丹液仙経(仙術に関する秘録であろう)を授けられた。
 あるとき、客と二人で食事をしているうちに、変化の術の話が出た。客がそこで、
「食事がすみましたら、先生、特におもしろい術をひとつご披露願いたいものですな」
と言うと、玄は、
「食事のあとなどと言わず、この場で見たくはありませんかね」
と答え、口の中の飯を吹き出したが、一粒残らず大きな蜂に変わった。その数は数百匹、いっせいに客に群がったが、べつに刺そうとはしない。しばらくして、玄が大口をあけると、蜂はみなその中に飛び込んだ。玄がそれをかみくだくと、もとのままの飯粒なのである。
 また、蛙や昆虫や小鳥を指さして踊らせたが、まるで人間のように、音楽のリズムに合わせて踊った。来客があると、冬のさなかに新鮮な瓜や棗をごちそうしたり、夏の日に氷を出したりしてみせた。
 また、あるとき銭数十枚を井戸の中に投げこませ、玄は器を持って井戸の上から銭を呼んだ。すると、銭がつぎからつぎへと井戸の中から飛び出した。
 客に酒をもてなすとき、お酌をする人がいないと、杯がひとりでに客の前へと進んでくる。飲みほさない人があると、杯はその前を去ろうとしないのである。
 あるとき、呉主孫権とともに高殿に座っていると、雨乞いの泥人形を作っているのが見えた。帝は、
「民は雨を願っているのだが、うまくいくだろうか」
 と言うと、玄は、
「雨などおやすい御用でございます」
 と言い、呪文を書いて氏神の社の中に貼りつけた。程なく天地はまっくらになり、大雨がどっと降ってきて、水は地に溢れた。そこで帝が、
「この水の中に魚がいるだろうか」
 というと、玄はもう一度呪文を書き、水中に投げこんだ。しばらくすると、数百匹の大魚が現れたので、それを捕らえさせた。

 

仙人や仙人もどきの話はまだたくさんあるが、ひとまずここまでにして、次はすこし違うタイプの話を紹介する。

頭が整理できた

 昨晩のBSフジのプライムニュースは、ゲストの二人の明快な世界観による米中激突の分析に、ごちゃごちゃだった自分の考えが整理されてたいへんためになった。意図的なのか、本当に理解できなかったのか、さすがの反町氏がいささかとんちんかんな質問を繰り返していて、マスコミにいるとこうなるのかなあ、という思いがした。

 

 常に問題を矮小化してしまう日本人の性癖がある中、知的にすぐれた人は問題の本質をよくつかみ、わかりやすく説明してくれる。

 

 中国は民主主義を選ばないとすでに決めているのである。期待したほうが間違いだったのである。

 

 では民主主義とは何であるか。大衆というのは賢い人も愚かな人も含んでいて、それでも全体としては正しい判断をするものだ、という信仰が民主主義というものの本質だ。しかし中国はそんな信仰は絵空事だと見極めたのである。人民は徹底的に国家が管理しなければならないと確信しているのだ。人民は全体として愚かだ、と見做しているということである。

 

 それが証拠にアメリカの混乱があるではないか、というのである。アラブの春で、民主化を目指した国がどうなったのか見てみろ、というのである。民主主義はなにごとの決定も遅く、不徹底で、効率が恐ろしく悪い。そんなシステムはすでに時代遅れである。アメリカやヨーロッパの国々は、中国が豊かになったら民主化するに違いないと夢見ていた。しかし中国は民主化せず、民主主義を選ばなかつたからこそこのように急速に強国になることが出来たのだ、というのが習近平の傲慢ともいえる自信につながっている。

 

 たぶんこれから世界は中国の価値観に同調して全体主義的、専制主義的になっていく国と、民主主義を続ける国とに分かれていくことだろう。そしてその二つの価値観の激突するまさにその場所に日本は置かれている。民主主義を選びながら中国と利益を共有するという選択は次第に困難になるだろう。そのことの意味をまだ日本人のほとんどは気がついていない。

 

 日本人は物質的豊かさを犠牲にしてでもいまの自由と民主主義と人権を守るという価値観を選ぶ覚悟をしなければならないというゲストの言葉が重く響いた。そのとおりだと思う。

 

 あえて補足すれば、私は、グローバリズムと金融の肥大化による富の極端な偏在化、そしてAIがいまの状況を生み出した原因ではないかと思っている。いまの世界の混乱は、まさにそこに発しているし、それを中国は徹底管理で押さえ込んでいる。コロナ禍についても然りである。それなら中国にならおうとする国がどんどん出てくるに違いない。

2021年3月26日 (金)

いま現に起きていること

 自由と民主主義、そして人権を大事にするという価値観を共有する国々が、その強弱はともかくとして、中国のチベットや新疆ウイグル自治区での中国の行動を批判している。ほとんど疑いようのない事実であることがわかっていたのに、いままでそれを批判しないほうがどうかしていた、と私などは思うけれど、とにかく遅ればせながら損得よりも人権を重視したほうがいいことに気がついたことはなによりである。

 

 その声に対して中国は外交部を通してさまざまに反論している。アメリカには黒人差別の人種問題、日本には慰安婦問題などを取り上げて、人のことをいえる立場ではないだろう、などとかなり強硬な言葉をぶつけてきた。

 

 それでおそれいる必要はないし、するべきではないことはまともな頭ならわかることだが、素直にそう言われればそうだなあ、などと引き下がる人がいないとは限らないから、どうしてか私なりの考えを述べておく。

 

 西洋列強が海洋進出して世界に雄飛して以来、南北アメリカ、アフリカ、アジアで、彼らがどれだけ人権無視のひどいことをしてきたか、そのことは歴史的事実として否定できない。そしてわが日本もその西洋列強の真似をして中国大陸や朝鮮半島に侵攻した。いまなら許されることではない。日本が日中戦争に突入したとき、西洋がこぞって日本を非難した。日本から見れば、自分たちはやりたい放題やってきたのに偉そうに言うな、と思った。これは当時の日本人の多くもそう思っていたはずである。

 

 いまの中国と同じである。しかし西洋列強は日本の台頭を潰すという思惑もあったに違いないものの、第一次世界大戦以後、大きな戦争はなんとか回避したい、いままで自分たちがしてきたことはそろそろ止めなければならないかも知れない、という考えも芽生えていたこともたしかであろう。それなのに日本はまだ前時代的価値観でいるのは間違っている、という批判があったと思う(と思いたい)。

 

 それなのに第二次世界大戦が起きてしまった。だから戦後、西洋列強は彼らの権益であると思っていた植民地の独立をしぶしぶながらも認めてきたといえる。時代は変わったのである。侵略や力による支配は止めたほうが世界の繁栄、それに伴っての自国の繁栄につながりそうだと思って、結果的に平和は世界に豊かさをもたらした。

 

 中国は時代が変わったこと、むかしは通用してもいまは通用しないことを、力に任せて強引に推し進めている。それは間違っている、と経験で学んだ先進国がこぞって中国を非難するのは、当然なのである。ルールはとっくに変わっているのに中国はそれを認めない。中国は、ルールは自分で作る、と豪語しているのだ。それはルールではない。自分勝手というものだ。

 

 中国は反論にアメリカの人種問題を指摘しているが、アメリカは奴隷として黒人を連れてきたことのツケをいま支払っているといえる。長い苦難を黒人だけでなくて国民全体が引き受けなければならないだろう。それに、アメリカという国家が人種差別を推進しているのではない。現在は国家としてそれを解消しようと努力しているという事実もあるのだ。それに対して、中国は国家として人権を毀損する行動をしていることが非難されているのであって、反論の根拠にならないのは自明である。

 

 日本が韓国などから避難されている、いわゆる慰安婦問題や徴用工問題は、過去の話であり(過去の話だから否定するということではない。ねんのため)、いま現在の日本という国が現に慰安婦を徴用したり、他国の国民を労働者として強制徴用したりしているわけではない。過去については散々日本はその反省をしてきたし、そのことのツケを支払ってきたから、いまそんなことをするつもりは毛筋ほどもない。ところが中国で起きていることは、いま現に行われていることなのである。しかも国家として行っていることである。お前たちだって過去にこんなことをしたではないか、だから黙っていろ、というのは非論理的な異常な反論といえる。

 

 中国の理屈に従えば、他国がやってきたことだからどんな悪いことでも自分もやってもいいのだ、と言っているのに等しい。内政干渉するな、と強弁して、国内の少数民族を弾圧することを正当化することなど出来ない。間違っていることは、ひるむことなく堂々と非難すればいいのである。

 

 だれだったか、マスコミでしばしば中国の立場に立つ中国人のコメンテーターが、「日本人は中国を誤解している。中国に行ってみれば、いま知らされているような中国とはまったく違う善い国であることを知るだろう」と語っていたが、その言葉に従って中国を訪問し、理不尽に拘束されても、彼は絶対に責任をとることはしないだろうし、出来ない。現にそうして拘束された人が次々にいるではないか。これからもっと増えるだろう。中国は恐ろしい国になってしまった。

頭で歩く(5)

出羽三山

 

 芭蕉は最上川を舟で下り、清川で下船して羽黒山に登る。霊場出羽三山は、この羽黒山と月山、湯殿山をいう。私は湯殿山しか訪ねたことはない。月山は山形市内からでも遠望できる。夏七月でも雪をかぶっているのが見える山で、夏スキーができるところとして有名だ。芭蕉はこの海抜1980メートルの山に万年雪を踏んで風雨の中を登っている。病身にはつらい山登りだっただろう。異世界に踏み入ったような経験をしたようだ。

 

   雲の峰幾つ崩れて月の山

 

 その月山を湯殿山方向に下り、参拝してから羽黒山にひきかえしている。

 

 月山といえば、私が思い出すのは月山筍(たけのこ)という笹竹の筍だ。金沢でよく食べた根曲がり筍と似ている。山形では初夏に味噌汁の実にしてよく食べた。秋の食用の菊花とともに忘れられない。

1208-150湯殿山登り口

1208-159湯殿山にて

1208-164湯殿山から

1208-171_20210325151301湯殿山にて

2021年3月25日 (木)

ミイラ取りがミイラになる

 アメリカのミステリーを読んだりドラマを観たりしていると、プロファイラーがプロファイリングするシーンを目にすることが多い。犯罪現場や犯罪者のさまざまな兆候を読み解き、犯罪者の実像を絞り込んでいくのを仕事にしている人で、過去の膨大な犯罪についてのデータや犯人像をパターン化し、犯罪者の心理を想像する技術を有している。シリアルキラーと呼ばれる連続殺人犯が少なからずいるアメリカだから発達した手法だろう。

 

 あまりに犯罪者の心理分析にのめり込みすぎて、犯罪者の思考にシンクロ(同調)してしまうというようなドラマもある。犯人の気持ちになってしまって、そこから正常な自分に戻れなくなることもあるという設定は、いかにもありそうなことである。

 

 北朝鮮や中国の政府関係者やその支配下にあるマスコミが、節度を欠いた、まともな礼儀を持たない異常な言説を発するのをしばしば見聞きする。特に北朝鮮はひどかったけれど、いまは中国も北朝鮮と同レベルである。「それをいっちゃあおしめえよ!」と寅さんは言ったけれど、その寅さんですらあきれ果てるような言葉がならぶ。

 

 その言葉を投げつけられたら、頭が白くなって(つい感情的になって)、正常な会話が成り立たないと思うけれど、向こうはそうは思わないらしい。

 

 北朝鮮問題の専門家という人たちがそれらの言説を解説してくれるのを聞いていると、不思議な気持ちになる。そのような異常な言葉を長期間にわたって解釈し、通訳していると、その言葉が理解できるようになるらしい。つまり彼らがどのように考えているのかを、彼らの立場に立って考えることができるようになるようだ。

 

 そこにはあまりにも相手にシンクロしすぎてしまって、まともな感覚を逸脱しているようにしか見えない人もちらほらいて、犯罪者にのめりすぎたプロファイラーみたいだな、などと感じている。専門家というのは因果なものだ。

 

 中国の立場に立って強弁につとめる中国人や、韓国の立場に立って強弁に努める韓国人などは、それにくらべるとまともに見えるから不思議だ。

頭で歩く(4)

 最上川

190711-4_20210324171001船下りの屋形船

「おくのほそ道」では大石田から舟でそのまま最上川を下っていったように書かれているが、実際は新庄に立ち寄っているようだ。新庄の先に、北上してきた最上川が大きく西に屈曲しているところがある。大きく開けているところで、本合海(もとあいかて)という。当時はここに最上川船下りの乗り場があった。いまはもう少し下流の古口というところに乗り場がある。

190711-6_20210324170901

1803-274白糸の滝

 芭蕉は本合海から白糸の滝などを眺め、その前の仙人堂に参拝して清川まで舟で下った。いまの降り場はずっと手前で、その白糸の滝のすぐちかく。清川には清河八郎記念館がある。清河八郎はこの清川の郷士のせがれである。清河八郎については同郷ともいえる藤沢周平が小説『回天の門』でくわしく書いている。新撰組の陰の創立者であるが、暗殺された。

Dsc_8489上陸地清川

190711-34_20210324170901清河八郎記念館

190711-32_20210324170901清河八郎・幕末の人だから芭蕉は知らない

 何度も書いているが、私の父のふるさとは、古口で南側から最上川に合流する支流の角川を遡ったところである。豪雪地帯で、そのまま峠を越えると肘折温泉が近い。蕎麦畑の多いところである。住んだことがないのに、この辺の風景は私には懐かしい場所なのである。

 蛇足ながら新庄には父の妹である叔母が嫁いでいた。学生時代には金がなくなると飯を食わせてもらいに行った。叔母は後妻で、叔父は鉄工所を経営していた。家族の多い家だったが、私は叔母以外は血のつながりはないのに、みな当たり前のように身内として遇してくれた。世話になりっぱなしだったが、その叔母も父より少し前に亡くなってこの世にいない。私は、甘える、という付き合い方が苦手なのに、この叔母とその家族は懐が深くて暖かかった。

12031-26新庄にて・このときは母も一緒だった

2021年3月24日 (水)

『徐光』

『捜神記』の第24話。

 

 呉のころ、徐光という人があって、いつも町へ出ては術を使っていた。
 あるとき瓜を売る商人に一つくださいと頼んだが、商人はやらなかった。すると光は種子だけをもらい受け、地面を掘って埋めた。と、見る見るうちに瓜が芽を出し、蔓が伸び、花が咲き、実がなった。光はそれをもぎ取って食べ、見物人にも分けてやったのである。そのとき商人が自分の売り物をふり返ると、全部なくなっていた。
 また光は水害や旱害を予言したが、すべてたいそうよくあたった。
 あるときは大将軍の孫綝(そんちん)の門前を通りかかったが、裾をからげて駆け出し、あたりに唾を吐き散らしては踏みにじっている。ある人がわけをたずねたところ、
「血の流れる臭いがなまぐさくて、やりきれんのじゃ」
 綝はそれを聞いて、縁起の悪いことを言うやつだと、光を殺してしまった。ところがその首を斬り落としても血が出なかった。
 その後、綝は幼少の帝を退位させ、代わりに景帝を位につけたが、御陵に参拝に行こうと車に乗ったとき、大風が吹いてきて車を揺れ動かしたため、車がひっくり返りそうになった。このとき光が松の木の上で手を打ちながらこちらを指さし、あざ笑っているのが、綝には見えたのである。そこで供の者にたずねたが、誰も見たものはいなかった。
 それからまもなく、綝は景帝に殺された。

 

注によれば
孫綝:呉の大将軍・宰相として専横を極めていた人物。孫権の子が帝位につき、綝を処刑しようとしたが、綝は逆に天子を退位させて景帝を立てた。しかしのちに謀反の計画があると訴えられ、景帝に殺された。

 

 売り物の瓜をやらなかったことは咎められることではなく、瓜売りには罪がない。それがこのような見世物にされて損失を被るのは理不尽である。そんなおかしな術の使い方をするというのは仙人とはとてもいえない。徐光のような男がどうしてこのような術を会得できたのであろうか。

頭で歩く(3)

 尾花沢

 

 鳴子温泉から尿前の関を通過し、中山峠(この近くに中山平温泉という素晴らしい湯質の温泉がある)を越える。ここがいまの宮城県と山形県の県境である。そこからしばらく行くと分水嶺の堺田があって、封人の家はその近くにある。封人とは国境を管理する駐在員のことであるから、むかしの国境はここだったということだろう。

 

 さらに西に山形県側に進めば瀬見峡、瀬見温泉(義経と弁慶で有名なひなびた温泉)を経て新庄へ下る。しかしそこまで行かずに、その道(陸羽西線に沿った国道47号線)を途中で赤倉温泉方向に左折する。県道28号線を行けば尾花沢へ到る。いまは尾花沢は「おばなざわ」と読むが、むかしは「おばねざわ」と読んだらしい。

 

 私は尾花沢をゆっくり歩いたことがない。ここは古くから紅花の産地で、紅花は地元の財政を大きく潤していた。北前船で京都まで運ばれた。京都にも出羽にも紅花を扱う豪商を生んだ。現在も天然色素としては貴重なものであって化粧品を始め、さまざまなものに利用されている。紅花には私も大きく関わりがある。

 

 大学時代、私の進んだ講座の主な研究テーマが紅花の色素の構造解析とその合成だったのだ。何百キロもの紅花を購入し、すりつぶして紅花餅を作り、発酵させてひたすら色素を抽出した。紅花の持つ色素のほとんどは黄色い色素で、紅色は極めてわずかであり、その純粋色素を取り出すのはたいへんな作業なのである。抽出に使うピリジンの蒸気の中で暮らした。ピリジンを知っている人なら顔をしかめるだろう。身体によくない。

 

 私はどういうわけか一人だけそのテーマとは違うテーマを与えられていたが、いまは紅花と聞くと懐かしい思い出がよみがえる。

 

 もうひとつ思い出がある。学生時代、友人と銀山温泉に行った。銀山温泉は私の両親の新婚旅行先で、母がときどき話題にしていたので一度は行きたいと思っていたのだ。当時は奥羽本線で大石田まで行き、そこから大石田線という名だったと思うが、いまは廃線になった支線に乗り換えて尾花沢まで行き、尾花沢からバスで銀山温泉へ行った。

 

 思った以上に宿代が高く、友人共々支払う金の持ち合わせが足らなかった。安そうな小さな宿の主人に、これしか手持ちがないが、なんとか泊めてくれ、と頼み込んだら、笑って快諾してくれた。その晩、混浴の温泉で乳飲み子を抱えた若い母親の白い肌にクラクラしたことは以前書いたことがある。もちろん芭蕉は銀山温泉に行ってはいない。

 

 芭蕉は尾花沢から南下して、山寺(立石寺)へ登った。山寺のことはすでに述べた。芭蕉は尾花沢に戻り、大石田に逗留した。ここは舟運がある。

 

芭蕉は大石田で歌仙を巻いている。

 

 まゆはきを俤(おもかげ)にして紅粉(べに)の花

 

紅花の花の形をまゆはきに見立てているのである。俳句の分からない私でも、いい句だなあ、と感じる。

2021年3月23日 (火)

やや体調不良

 あれをしよう、これをしようと思いながら、今日は身体が積極的に動かない。何もする気にならない。本も読みたくないし、映画を観る気にもならない。眼を休めることにしようか。

 

 軽い排尿痛があり、排尿困難気味で不快である。持病の慢性の前立腺炎が多少悪さを仕掛けているようだ。本格的に悪化すれば発熱するが、今のところ平熱である。

 

 どうやら私の身体で最初に使い物にならなくなりそうなのは泌尿器系らしい。将来は導尿カテーテルをつけることになるかも知れない。いやだなあ。温泉にも行けなくなってしまうではないか。

 

 医師の診断では、まあ当分のところはだましだましでなんとかなるらしいから、あまり悲観的にならないようにしよう。天気もいいし桜でも見に行くつもりだったけれど、やめておいた。

 

 好きな酒を飲むと具合が悪くなる傾向があるような気がする。医師は飲んでもかまわないと言うけれど、すこし酒を休んで様子を見ることにしようかと思う。

頭で歩く(2)

 芭蕉の奥の細道を頭の中で歩いている。芭蕉は平泉を出てから岩出山へ向かっている。岩出山は私のよく行く鳴子に近い城下町で、私が平泉や花巻に行くために、岩出山から北東方向にショートカットで東北自動車道へ抜ける松山街道(上奥上街道)がたぶんそれで、ここを南下したのだろう。いかにも古い街道の風情のある山道である。

 

 岩出山は仙台へ移る前の伊達政宗の居城のあったところである。江戸時代は伊達の支藩があった。私が鳴子へ行く度に立ち寄る旧有備館(藩校・庭が素晴らしい)はここにある。岩出山から鳴子温泉郷まで十キロあまり、そこから峠を登って出羽国に入るのだが、その峠の入り口に尿前(しとまえ)の関があった。芭蕉は尿前の関をなかなか通過させてもらえなかったようだ。不審に思われたらしい。

1306-75岩出山・有備館

190711-87尿前の関

190711-92_20210321161501出羽街道・中山越

190711-94私もこの道を歩いて登ってみた

 いま、鳴子峡のあるあたりを過ぎれば中山峠であり、そこを越えてすこし先に「封人の家」がある。ここで芭蕉は雨に足止めされて三日を過ごした。封人の家で詠んだ句が

 

  蚤虱 馬が尿する枕元

 

 この尿を尿前の関と関連させて「しと」と読むのか、中に馬の小便をする大きな物音に驚く気持ちを表すために「ばり」と読むかで昔から論争がある。「ばり」説が有力だが、私の読んでいる久富哲雄の訳注では「しと」と読む説を採っている。私もどちらかといえば尿前の関との関連から「しと」と読みたい。

Dsc_0530_20210321161501封人の家

Dsc_0533封人の家の馬

Dsc_0542現役の封人、中鉢さん

 車だとそのまま国道47号線(北羽前街道)を新庄のほうへ抜けるのがふつうだが、芭蕉は途中から山刀伐峠を越えて尾花沢へ向かっている。知り合いもいたし、さらに南下して山寺(立石寺)に立ち寄るためでもあった。尾花沢へ抜ける道は昼なお暗い、山賊が出るという危険な道だったようだ。

2021年3月22日 (月)

『左慈』

 私の古い人名辞典によれば、左慈は「中国、後漢末の仙人・煉丹術家。字は元放。蘆江(安徽省)の人。仙人を志して山中に入り、仙薬の習得に努め、煉丹の術を編み出し、葛玄に伝えた。また多くの奇術を弄し、曹操を大いに惑わしたという。」とある。

 

以下は、晋の時代(3~5世紀頃)に干宝(かんぽう)が記した『捜神記』の第21話、『左慈』の話。

 

 左慈は字を元放といって、蘆江の人である。若いときから神通力を持っていた。
 あるとき曹公の家の宴会に列席していたが、曹公が来客たちに向かって笑いながら、
「今日の会には珍しい料理をだいたいそろえたが、たりないのは松江(浙江省)の鱸(すずき)の膾(なます・刺身)じゃ」
 と言うと、元放が答えた。

「そんなものはすぐ手にはいりますよ」

 そして銅盤を借り受け、水をいれると竹竿に糸と鉤(はり)をつけて盤の中で釣りを始め、まもなく一匹の鱸を釣り上げた。曹公は手を打って感心し、列席の人々もみな驚いていたが、曹公がまた、
「一匹ではご一同に行きわたらぬ。二匹とれればよいのだが」
 と言うと、元放はまた餌をつけて糸を垂れた。そしてまもなく釣り上げたが、どちらも三尺あまりの大きさで、生きのよい、みごとな魚であった。
 曹公はすぐに手ずから膾を作り、一座の人々に残りなくすすめてから、また言い出した。
「これで鱸は手にはいったが、蜀(四川省)の生薑(しょうが)のないのが残念じゃ」
 すると元放は答えた。
「それも手にはいります」
 曹公は近所で買って来るのではないかと思ったから、「わしは以前に蜀へ錦を買いに使者を出してある。誰かをやって、蒙に炭化いたすように、その使者へ言いつけてもらいたい」
 と言った。
 元放が使いの者を出したと思うと、すぐに帰って来て、生薑を差し出した。そして言うには、
「錦を売る店で閣下のお使いに会いましたから、もう二反買いたすように言っておきました」
 それから一年あまりたって曹公の使者が帰って来たが、たしかに二反多く買っていた。わけをたずねると、
「この前の何月何日、店で出会った人が閣下のご命令だと言って、この二反を買わせましたので」
 その後、曹公が近くの郊外に遊山に出た。百人あまりの役人が随行していたが、元放は徳利一本の酒とひときれの肉を持って行き、自分でその酒をついで回っては役人たちに飲ませた。すると役人たち全部が十分に酔うほど飲めたのである。曹公が不思議に思い、人をやって様子を調べさせたところ、酒屋へ行ってみたら、昨夜のうちに、店にあった酒と肉がすっかりなくなっていた。
 曹公は怒って、心中ひそかに元放を殺そうと考えた。そして元放が曹公の家に来たとき、逮捕しようとすると、ぱっと壁の中へ逃げ込んだまま姿を消してしまう。そこで懸賞金をかけ、捜索させた。ある人が町で元放をみつけたので、つかまえようとしたが、町中の人がみな元放と同じ姿になり、どれが本物やら見分けがつかなくなってしまった。
 その後、陽城山のあたりで元放を見かけた人があつたというので、また追いかけた。すると羊の群れの中へ逃げこんでしまう。曹公はとてもつかまえられぬとあきらめたから、羊の群れに向かってこう言わせた。
「曹公は殺そうと考えておられるのではない。あなたの術を試してみるおつもりだったのだ、もうわかったから、どうかお目にかかりたい」
 すると一匹の年とった牡羊が前足を折り曲げ、人間のように立ち上がりながら声を出した。
「さりとはご性急な」
 そこで人びとが、
「あの羊だぞ」
 と、われ勝ちに駆け寄ったところ、数百匹の羊が全部牡羊になってしまって、そろって前足をかがめ、人間のように立ち上がりながら声を出した。
「さりとはご性急な」
 それで、どれをつかまえたらよいのか、ついにわからなくなってしまった。
『老子』にこのような言葉がある。
「自分が大きな心配としているのは、自分に肉体があることだ。自分に肉体がなくなったならば、あとは何の心配があろう」
 老子のような人たちは、自分の肉体をなくすことが出来たものと言えよう。元放もこれに近いものではあるまいか。

 

 曹公とは曹操のことと見ていいだろう。司馬遼太郎の『果心居士の幻術』という小説なども、この話を下敷きにしているし、以後中国ではこの話がさまざまな志怪小説に展開されている。『捜神記』では比較的に長いものと言っていい。

頭で歩く(1)

 芭蕉の歩いた奥の細道を頭で歩いている。白河の関から北上し、現在の福島県の辺りは、私は実際に行ったことのないところばかりなので、たどりようがない。白河の関跡と、安達ヶ原の黒塚だけは必ず見に行こうと心に決めている。安達ヶ原の山姥の話はさまざまなものを読んできた。どうしていままで行かなかったか、と思うほどだ。

190710-51_20210321112501松島

190710-87_20210321112201瑞巌寺

 仙台の青葉城には久しく行っていない。東北にあれほど足繁く行ったのに、仙台はどういうわけかよけている。今度は立ち寄りたいと思う。塩竃では塩竃明神に立ち寄りたい。芭蕉は末の松山を見て松島、瑞巌寺、そこから石巻に立ち寄り、石巻から登米を通って平泉に向かっている。平泉ではまず高館(たかだち)に行っている。義経最期の地で「夏草や 兵どもが夢の跡」と詠んだところだ。私もここを訪ねている。

Dsc_0471高館から

 平泉といえば、中尊寺と毛越寺だろう。ここでは藤原氏の栄華と滅亡を見ている。藤原秀衡の館跡からの金鶏山の景色が語られているが、いまは「無量光院跡」という場所で見ることが出来る。昨年弟夫婦と行った。

Dsc_4169_20210321112301中尊寺・弁慶堂

Dsc_4207_20210321112201毛越寺

Dsc_4208_20210321112201無量光院跡

2021年3月21日 (日)

いくつあっても同じ、ひとつでもたくさん

 年配の方なら覚えていると思うが、NHKに鈴木健二というアナウンサーがいた。NHKを退社したあとのことだったと思うが、「気配りのすすめ」という本を書いて、ベストセラーになった。私も読んだ。なかなか好いことも書いてあった。日本人が狭い国土にひしめいて暮らすためには、互いに対して気配りをすることが必要なのに、世の中がいささか拝金主義的、弱肉強食的になりつつあったころだったから、当たり前のことをもう一度思い返させてくれたという功績があった。

 

 そもそも日本人はそのような心性を持っていたから、その本はベストセラーになったのだろう。それはいいのだが、出版社が二匹目のドジョウを狙ったのだろう、似たような本が次々に出版された。鈴木健二はたぶん最初の本で言いたいことを言い尽くしていたから、二冊目も三冊目も多少のエピソードの違いはあるものの、違う本なのに同じことしか書いていなかった。私はご苦労なことに二冊目も三冊目も読んだから知っている。

 

 鈴木健二は東京生まれだが、旧制の弘前高校に進学し、東北大学に進んだ。そこで石坂洋次郎や太宰治と知己を得たようだ。そのことが繰り返し書かれていた。太宰治に金を貸したことを書いているけれど、いささか恩着せがましい気がした。友人らしき書き方をしていたけれど、友人ならそのようなことは書かないものだ。たぶんエピソードにしたことで、借金のもとは十分取れただろう。金田一京助が親友の石川啄木にほとんどむしり取られるように金を無心され続けてもそのことはまったく語らず親友であり続け、後に金田一の妻が石川啄木は鬼かと思ったと述懐していたことを思い出す。

 

 有名人と知り合いだったと自慢そうに自ら語るのを読まされたり聞かされたりするのはあまり嬉しくないものだ。そんなことから鈴木健二が鼻につくようになった。

 

 違う本でも同じことが書いてあるだけなら、一冊の本と同じである。鈴木健二の本は金太郎飴みたいな本ばかりだった。わたしは一時期、嫌韓本や嫌中本をずいぶん読んだが、似たようなことばかり書いている本が多かった。それでも読んだのは娯楽小説のようなつもりだったからだ。韓国や中国の未来がいかにも暗いように書かれていることに快感を感じたからだ。すぐにも破綻するように書いていたが、いまだに破綻していないのは残念だ。それでも飽きてくる。いまでも読まないことはないが、中身に何か新しい知見を得られそうな確信があるものだけを選ぶようになった。

 

 私はしばしば同じ本を読む。それは、私が雑にしか本が読めないからだ。もう一度読むと以前気がつかなかったところに気がついて、いっそう読む楽しみを感じられることがあるからだ。どうしてそれに気がつかなかったのかと自分で驚くのは、それだけ私が雑な人間だからだと思う。しかし一度目があるから二度目の気づきがあるのもたしかなのである。もちろんそういう期待のない本を読むことはない。時間の無駄だから。

 

 いま奥の細道を読んではまた元に戻って読み返している。三回分位読んでいるかも知れない。ようやく半ばを過ぎてやっと出羽三山を降りて日本海に出たところだ。本文が一ページ足らずに対して、現代語訳、語釈(言葉にこめられたさまざまな古歌などの引用も含めて)、句の解釈、そして解説、とあって、例えば出羽三山の項は、二十ページあまりになる。だからなかなか前へ進まないのだ。

 

 たった一冊だけれど、たくさんの内容がある。そして繰り返し読むことができる。そのことが言いたくて長々と書いた。

名古屋も揺れた

 昨夕、ささやかなつまみをいくつか作り、卓に並べて酒を用意して座り込み、晩酌を始めようとしたときだった。フラリと頭が揺れた気がした。たまにフラリとすることはあるが、たいてい立っているときで、座り込んでいるときに起こることはない。意識を集中すると尻の下が、ゆっくりと揺れているらしいようだ。地震だ。

 

 最初の微振動を感じなかったし、次第に大きくなっていくこともなかったので、たぶん、かなり大きな地震が遠方で起こったのだろうと思った。東南海地震が遠方で起こったのだろうか、と思ったけれど、テレビをつけたら東北での地震だった。

 

 NHKは繰り返し地震について、そして津波警報について報じていた。当然のことなのだが、その繰り返しが延々と続き、新しい情報はほとんどない。停電などのインフラのトラブルもないらしいのに情報がないというのは、たぶん大きな被害は起きていないのだろうと思い、ひと安心した。そうしたら次第に同じことをあまりにも延々と繰り返すNHKにうんざりしてきた。マニュアル通りの対応なのだろうけれど、地震が気になってあらたにニュースを見る人はもうほとんどいないに違いない。

 

 地震以外のニュースをそろそろ見たい気持ちになっているのに、いつまで経っても同じことの繰り返しである。ほかの地区の同じ規模の地震を報じるときと違うのはどうしてだったのだろうか。報じるべき内容がないなら、そろそろ通常の番組に戻す、という判断をする責任者がいなかったのだろうか。

 

 こんなことを思ったのは、ブラタモリが見たかったからではあるけれど、同じことを繰り返し見ることにうんざりしたのももちろんである。

2021年3月20日 (土)

寿命

 無理をするほど階段の登り降りを励行しているわけではないが、ふだん痛みのある右膝だけではなしに、左膝まで悲鳴をあげだした。耐えられないほどの痛みではないのだが、続けることのメリットと、痛みが増えるというデメリットをくらべれば、痛みに弱い私としてはたちまち妥協する(止めはしないけど)。

 

 膝は私の重みによって痛むのであって、階段のせいではない。考えれば、まずウエイトダウンしてから膝をプロテクトする筋肉を強化をしなければならないのだ。いまはまだ負荷が大きすぎるのだろう。大分前にドラッグストアでもらった簡単な膝のサポーターがあったことを思いだした。探し出して着けてみると、たしかに楽である。痛みも軽くなる。本格的なサポーターでもアマゾンで探してみようかな。

 

 リタイアして毎日が日曜の身であるから、用事があって出かけることはあまりない。だから引きこもり生活は特段最近になってからではないのだが、旅にはよく出かけていたし、旅に行けば見たいところを歩き回るから、ふだんよりははるかに身体を動かす。それが去年の春以降激減している。運動不足による筋力の衰えが進行しているのを実感する。

 

 同じようなお年寄りは多いだろう。筋力が低下し、転倒などの不慮の事故によって寝たきりになる老人が、コロナ禍以降に増加しているのではないか。新型コロナの感染者の死者の増加と、寝たきりによって寿命を縮めている老人の数を比較することは困難だが、何年後かに平均余命の低下という形で現れそうな気がする。

 

 老人のためを思って、こどもや孫は訪問をひかえている。こどもや孫に会うことは年寄りの何よりの楽しみであり、生きがいである。生きがいを失えば生きる気力も衰える。コロナウイルスを恨んでもどうしようもないことだが、こんな時代が来るとは思いもしなかった。

資格に疑念

 菅首相は、国会答弁で「東京電力は原発を扱う資格に疑念があると言われても仕方がない」と語ったらしい。東京電力の社長も「十年前にあのような事故を起こし、二度とあのようなことのないようにと心がけて来たつもりだったが、今回またこのようなことでご心配をおかけし、まことに申し訳ない」と謝罪した。柏崎刈羽原発の不正侵入検知機器の不備の問題である。あり得ない話である。

 

 二度とこのようなことのないように、という言葉がそこら中で乱発されていて、その言葉を聞くと寒気がする。二度あることは三度あるものだ、という認識がないのだろうか。また起こらないためにどうするのか、もし起きたらどうするのか、そのことはまったく念頭にないと顔に書いてある。決まり文句でその場を言い逃れすればそれで済むのがいまの日本だ。

 

 私は、こんなお粗末がまかり通るのは、あの福島第一原発の事故によって、日本国と日本国民に対して甚大というにはあまりにも大きすぎる損失を与えておいて、東京電力の経営者はその責任をだれもとらずに済まされていることに原因があると思っている。あれだけのことがあって責任をとらなくていいのであれば、いい加減が横行するのは当たり前ではないか。責任をとらなければならないから気をつけるというのが、哀しいことに人間というものである。

 

 こうしてふたたびみたび、同じ「二度とこのようなことは・・・」を聞くことになるのだろう。扱う資格がないものが扱っているのだから、原発事故はまた起こるだろう。そうして「想定外だった」と言い訳するだろう。東京電力は日本航空のように、一度倒産させて国の管理会社にして、外部から人を入れるしかないのではないか。

 

 経営者は総入れ替えして、社員を選別して再生するという荒療治しかない事態になっている。そのことが東京電力の経営陣には分かっているとは思えない。頭の中に「責任」という言葉がない組織なのだろう。

2021年3月19日 (金)

オリンピック

 出場予定のアスリートの多くは、なんとかオリンピックの開催ができることを切実に願っているだろう。それはスポーツにあまり興味のない私でもよく分かる。開催準備に力を尽くしてきた人たちや、経費をつぎ込んできた関係者は、また違う意味でなんとか開催したいと願っていると思う。自分がそういう立場の一員だったら、と考えればその気持ちはよく分かる。

 

 しかしすこし距離を置いて東京オリンピックを見ている海外の人たちの多くは、何もそこまで無理をしなくても、と思っているのではないか。そう思うのは私もそう思うからでもある。どうなのだろう、日本国民のオリンピックに対する熱意はずいぶん冷めてしまったのではないか。国民の熱意が集まってオリンピックを盛り上げるエネルギーになっていくはずであったのだが。

 

 そういう前向きのエネルギーが不足したまま無理をすると、不測の事態を招きやすい。招きやすいというよりも、些細なアクシデントがあるごとに、針小棒大に取り上げて騒ぎ立てるのがマスコミというもので、その責任を問うことになり、それに賛同し乗せられたひとびとの妄動が起こるのが目に見えるようだ。同じ人が賛成して盛り上がり、状況が変われば反対して批判するのが大衆というものだ。

 

 まもなくオリンピックをどのように行うのか、方針が最終決定されるらしい。日本人だってワクチン接種がオリンピック前に完了する見込みはほとんどないようだ。中後進国で、選手にだけでも優先的に接種するような話もあるが、はたしてどこまで安心して受け入れられる状況になっているだろうか。大いに心許ない。しかも海外からの観客についてはほとんど受け入れは困難だから無理だろう。それはすでにあきらめているようだが。これはだれかの責任ということではないのはもちろんだ。日本にとってまことに不運なことで残念に思う。

 

 限定的なオリンピックを無理に開催するのは、行きがかり上の意地が働いていないか。それはオリンピックの意味を外れはしないか。開催の可否まで考えた、勇気のある判断を期待したい。

 

 オリンピックがスポーツ大会から興行に近いものになってしまったいま、今回の東京オリンピックを機に大きく見直されることを期待したいところだが、興行主にうまみのある商売というのは、なかなか始めると止められないところがあるもののようだ。

斎藤茂吉『念珠集』

 斎藤茂吉がドイツ留学してミュンヘンにいたとき、故郷の山形県金亀村の父が没したという知らせを受ける。関東大震災の起こる一ヶ月ほど前のことだった。

 

 この小文集では、その父の思い出を回想するうちに連想して想起されたエピソードが語られていく。それらのエピソードは、こころのなかで常に意識されていたものもあり、またほとんど忘れていたものもあるのだが、意外な順番で想起されていく。それは合理的な優先順位とは違うものであり、心の働き、さまざまな出来事の記憶というのはそのような不思議なものなのかも知れないと思う。

 

 第一話は、こどもの頃の幼なじみの少年八十吉が川で溺死したときの話である。そのときの記憶は詳細で映像的であるとともに、幻想的な色合いも帯びている。ようやく引き上げられた溺死体の様子はこどもだった茂吉には衝撃だったのだろう。そのことを告げられた父の反応は忘れられない記憶となったことが記されている。

 

 このようにさまざまな話を九話まで語りながら、やがて父という人間についての客観的な受け止め、父と自分との関係、父の自分に対する思いがどうであったかについて、ピントが次第に合うようにはっきりしてくるのが読み取れる。それら全てが自分が父を思う気持ちそのものなのだろう。

 

 第十話は、どうしてこの文章が『念珠集』と題されたのかを説明したあと、三回忌(茂吉は出席しなかったようだ)のあと高野山へ詣でたら、十年前に同じ宿に父が泊まったのを知って、父が自分と同じ景色を見たことをしみじみ感じたと記して筆を置いている。

 

 私にとって父は長く越えがたい壁だった。父との関係が穏やかな人並みの関係になったのは、自分にこどもができてからだ。父がどのように私を見ていたのか。断片的に想像できる。こどもの時以来の父について、心に波風を立てずに回想できるようになったのはずいぶん後になってからだ。そしていまは父ともう少し話をしたらよかったと心から思っている。不思議なことに嫌な思い出は洗い流され、優しかった父ばかりが思い出されるようになった。だからこのような文章を読むと、しみじみした気持ちになる。父なりに私をかけがえのない存在として愛してくれていたのだ。

Img951私は父とあまり似ていません

 

2021年3月18日 (木)

送ってやろうと思う

 娘のどん姫がいちばん興味を惹いて、ほしそうにしていた本が、もしやと思って探したら、多少プレミアがついているものの、手に入りそうなので手配した。私の持っているかなりくたびれた本よりも、大分状態は良さそうだ。

 

 その本が着いたら、べつにあげたかったものと一緒に送ってやろうと思う。今回は手ぶらで帰しているし、美味しいお酒の、ささやかなお返しである。

 もちろん私にとって、どん姫が来てくれることが何よりも嬉しいことだけれど・・・。

緊急事態宣言解除の方向

 新型コロナウイルス感染に対する処置として、一都三県で継続されていた緊急事態宣言が解除されることがほぼ決まったようだ。

 

 街角のインタビューでも、自粛に疲れてきた、緊急事態宣言の意味がなくなった、などと答えるひとがメインで取り上げられていた。もちろん新規感染者数が下げ止まりどころか、増加し始めていることを懸念して、まだ早い、という人もいるけれど、少数派として扱われているように見えるような報道の仕方である。

 

 緊急事態宣言の有効性が感じられなくなっているのに新規感染者数が増えてきたのなら、ふつうに考えればより強化した方策をとるのが論理的ではないかと私は思うが違うのだろうか。

 

 はじめから解除ありきの流れの中で事態は進んでいるようだ。マスコミは緊急事態慣れを政府の無策のせいであるかのように報じて、権力を批判する材料にしているとみるのは私の偏見か。これで微増がはじまった新規感染者数が、宣言解除後に明白な増加につながったりすれば、今度は、なぜ拙速に解除を決めたのか、と騒ぎ立てるだろう。目に見えるようである。

 

 ワクチン接種が、新型コロナウイルスに対して有効なくらい多くの人にうち終わった時点で、明確に感染者数が減ったら、初めて多少安心感を持ってもいいというのが本当のところだろう。たぶん陽気が好くなって、自然に感染者数は減少する、という内心の期待が政府にはあるのかも知れない。しかし変異型ウイルスが、ヨーロッパ以外では、南アフリカやブラジル、フィリピンなどの、比較的に暑い地区で暑い時期に拡大していることを忘れてはいけない。

 

 感染者が増えれば変異型が感染の過程でさらに変異するという。絶対数が増えれば変異型は急増し、さらに対処が難しくなる。私はそういう理由で緊急事態宣言解除は早すぎるように思うが、どうなのだろう。今回の解除が結果オーライならさいわいだが。

斎藤茂吉『ドナウ源流行』

 歌人の斎藤茂吉は精神科の医師でもあり、若いころ医学の勉強のためにドイツに留学している。婿入りして、先代のあとを継いで、後に青山脳病院の院長に就任している。医師であり、エッセイストの斉藤茂太、作家の北杜夫の父親でもある。また茂吉は山形県の出身で、私には親近感がある。

 

 あの辛口の書評家であり、あまりほめない百目鬼恭三郎が、紀行文中の傑作と手放しで絶賛したこの文章が手持ちの全集にあったので読んでみた。

 

 それほど長い文章ではないし、たしかに名文といっていい。昨年亡くなった親友のF君が、いつかドイツへ行っておいしいビールを思い切り飲もうよ、といっていたことを思い出した。二人ともビールが大好きで、心が動いたけれど、そのときはドイツにほとんど思い入れがなかったので、「行こう行こう」といえなかった。この『ドナウ源流行』を読んだいまなら、そのときよりも気持ちが動いたに違いない。しかし、いまはもうそれほどビールをたくさん飲めなくなったし、F君はいない。

 

 斎藤茂吉が留学中に民顕(ミュンヘン)から列車でドナウ川を遡っていく旅をどうして思い立ったのか、そして旅中に何を感じ、何を考えたのか。眺める風景、そして出逢う人たちのことが記述されている中におぼろげながら想像されてくる。ほとんど彼に感情移入していく。たった独りで異国にいること、そこで感じるであろう思いを読みながら自分の思いとして受け止めてしまう。

 

 ところどころドイツ文字が入るが、読めないものは読めないとして読み進めて少しも問題ない。いい文章を読んだ喜びを楽しめる。読んで好かった。

2021年3月17日 (水)

予備ふたたび

 なくなったときに備えて予備を買っておく。もともと備えをすることを習慣にしているので、よその家に行ったときに、「あっあれがない。買っておこうと思ったのに忘れていた」などという光景を目にすると、不思議な気がする。こどものころ、隣の家のおばさんが「醤油を切らしたからちょっと貸して」などという光景を見た(隣家のおばさんはよくさまざまなものを切らしていた。切らしたのではなく買えなかったことも多かったから、母は承知で快く貸しながらため息をついていた)ものだけれど、いまはそんなことをする人はたぶんいないだろう。

 

 少なくとももうすぐなくなりそうだと思ったら、買っておくのは当たり前だと思うけれど、それを忘れるというのは私には理解できない。

 

 しかし、最近予備に買ったものが増えているのが自分で気になっている。ときに予備のまた予備を買ったりする。母が晩年になって、私から見れば不要なものを買い込んでいたりしたのを呆れてみていたけれど、いまの自分にはそれが笑えない。予備を買ったことを忘れていることも予備が増える理由だが、それよりも分かっていても買ってしまうのが問題だ。

 

 何かこころのなかに不安があるのかも知れない。思えば自分には予備がない。もうすぐなくなりそうでも予備が準備できないのである。そのことが予備を買い込む理由かも知れない。

いつものどん姫

 昨日、久しぶりに娘のどん姫が小雨の中を伊勢の銘酒を手土産にぶら下げてやってきた。重かっただろうにご苦労様である。何よりの土産である。父親がどうすればご機嫌になるかよく承知している。少し前に、ちょっと体調を崩したりしたらしいが、いまは元気だという。

 

 どん姫はどちらかというと無口だから、私が大半しゃべっている。いろいろと昨日の経過を説明したら黙って聞いていた。「ご苦労様」とぽつりと言った。

 

 日本や中国の奇譚の本のはなしなどをひとくさりして、主なものを引っ張り出して見せたら、黙って読み始めた。彼女はまあまああの年齢の若い女性にしては本好きである。漢字もたぶんかなり知っていると思う。不思議な話も好きなのである。貸してあげてもいいけれど、なかなか手に入らない本ばかりなので、黙っていた。いつかあげるからね。

 

 買っておいた和菓子を出して、お茶を点てた。あまり飲んだことがないらしい。だから私の点てたお茶についての可否については何も言わなかった。

 

 夕方、いつものように「また来る!」と言って旦那のいる自宅に帰っていった。

 

 なんだかとても気持ちが落ち着いた。

2021年3月16日 (火)

自分の役割を意識していた時代もあった

 私がこどもの頃、母は、「また試験の夢を見た」、などということがあった。試験ができなくてどうしようどうしようと焦っていたら、夢だったからほっとした、などといった。成績は悪くなかったようだから、よほど向上心があったようだ。それなのに案外怠け者のところもあったから、その自分を責める気持ちが夢に現れたのだろう。

 

 私は試験の夢や学生時代の夢はほとんど見たことがない。ただ、二度ほど、単位が足らないからあなたはまだ大学を卒業していません、と知らされて、ああ、体育の出席が足らなかったなあ(よくサボった)などと思ったり、ほとんどちんぷんかんぷんで、お客様だったドイツ語の単位をお情けでいただいたことなど、思い当たることがあるので、どうしよう、と思った夢は見たことがある。

 

 仕事の夢は、リタイアして十年も過ぎたのにいまだに見る。仕事の夢はハッピーな夢だったことはない。たいてい困っている。昨晩も、たまにコメントをくれるかんちゃんが登場して、二人で仕事の段取りを打ち合わせている夢を見た。ただ、そのときの、こういう場合はこうする、という想定をいろいろしながら、その判断の基準は社会的な公正さとか、自分の役割とかを考慮したものにする、と考えていた。

 

 自分の仕事における役割など、若いころはほとんど意識したことがなかった。四十をだいぶ過ぎて、それなりの役職が与えられるようになったころ、年下の得意先の社長にそれを教えられた。そんな大それたものではないけれど、役割というものについて意識してものの見方考え方が変わったことを覚えている。利益より大事なものだということが分かるようになった。

 

 夢でそのことをまざまざと思い出した。

 

 世の中にしばしば腹が立つのは、責任者でありながら、自分の役割、特に社会的役割について考えが足らないか、忘却しているとしか思えない人間を見せられるからだ。もちろん知らないはずはないだろうから、優先順位が私から見ると歪んでいるように見える。経済世界はそのようでないと勝ち上がれないかも知れないが、そのような勝者たちが勝ち上がった頂上から見ている世界はどんな世界なのだろうか。彼らを批判するのが、ただ、代わりに頂上に立ちたいだけだったり、または勝ち上がることができなかった妬みやそねみからだったりするのもなんだか浅ましい。

 

 彼らが見はるかす世界が、荒涼とした世界であるような予感がしているが、そうなるまでにはまだ大分時間があるだろうから、その前に私は退場しているだろう。それが私の救いである。だから言っただろう、などと、そうなってしまった後で予言者ぶった物言いなど絶対にしたくない。

 

 夢の話から変な方向に行ってしまった。

途方に暮れて、しかも腹も立っている

 昨日、妻を連れてケアハウスに行き、見学をしてきた。全て順調にいき、向こうも受け入れてくれるつもりでいてくれたので、正式に申し込みの書類に記入した。安堵の気持ちになっていたところ、最後の最後になって妻が「お断りします」と切り口上で言いだした。妻は何を勘違いしたのかよく分からない。先方もびっくりして、穏やかに説明に努めてくれたのだが、もともといいだしたら聞かない性分だから、言えば言うほど意固地になって、収拾がつかなくなった。

11041-96_20210315214601茫然自失の私

 途方に暮れたが如何ともしがたい。いろいろなひとの手助けも受け、私も本人にもよかれとも思って奔走した結果がこれである。自分のわがままが周りの人にどれだけ迷惑になるのか、そのことに毛筋ほども気持ちが働かない。その性格がちっとも治っていないことに絶望的な気持ちになった。

 

 病院で気持ちが落ち着いたところでもう一度説得してもらうようお願いはしたが、期待はあまりできない。そうなると数ヶ月おきに病院をたらい回しされるしかない事態を覚悟しなければならなくなる。仕方がないことは仕方がないとはいえ、本人にいくら説明しても自分の考えを考え直すつもりはないようであった。

 

 今日は午後から久しぶりに娘のどん姫が来てくれる。妻の施設への移転について相談に乗ってもらい、手伝ってもらえればありがたいと思っていたけれど、泣き言を聞いてもらうだけのことになってしまいそうだ。どん姫には自分の母親だけれど、積極的に会いたいという気持ちはない。関わりたくないけれど仕方がないというところまで説得していたのに、ご破算である。

2021年3月15日 (月)

山寺

 いま芭蕉の『奥の細道』の註釈本を読んでいる。訪ねたことのあるところが多いから、そのときの情景が脳裏に浮かぶ。この『奥の細道』を読んだ感興を携えてふたたびそれらの場所に行ってみたいとこころから思う。

 

 その中で特に死ぬまでにもう一度行きたいと思っているのが山寺である。なぜそれほど思うのかといえば、あの石段を登るのはもういまの私には無理ではないかという想いがあるからだ。とにかく膝がいけない。コンドロイチン錠を飲んでしのいでいるが、段差のある階段ではとつぜん痺れて力が入らなくなったりして危ない。しばらくサボっていた五階の自宅までの階段の上り下りを再開している。意識して何度も上り下りするようにしたいと思っている。

 

 その程度では山寺の石段には挑戦できないが、積み重ねれば少しずつ力がつくかも知れないと望みを持っている。

 

 山寺には二度行っている。二度とも学生時代で、一度は友人と二人で、一度は母と母の親友の三人で登った。母もまだ五十前だったから元気だったのだ。もうそれから五十年も過ぎているのか。二度ともカメラは持たなかったから写真を撮っていない。是非そのときの気持ちも含めてもう一度登って写真を撮りたいと思っている。

高村光太郎『山の雪』『山の春』『山の秋』

 高村光太郎は戦火が厳しさを増したので、昭和二十年五月、花巻の宮沢清六方に疎開する。宮沢清六は宮沢賢治の実弟。疎開したのは宮沢賢治の実家である。しかしその年の八月、花巻も空襲を受け、宮沢宅も焼失してしまう。すぐあとに終戦。同年十月、光太郎は稗貫郡太田村山口(現花巻市)に山小屋を建てて自炊独居生活を始める。

Dsc_3930_20210313151101山荘入り口、山荘は腐朽を防ぐためこの建物に覆われている

 この三編の小文は、その山小屋暮らしについて記した随筆である。詩人でもあり、彫刻家でもある高村光太郎であるから、山小屋の周囲の日々の自然の移ろいを、光と影、風、空気感、におい、山川草木、そして獣たちの姿を克明に写し取って、眼前にするようである。

 

 私もリタイアしたあとにこのような山の独り暮らしにあこがれたこともあった。しかし山小屋で暮らすためにはそれなりの体力と気力が必要で、次第に衰える老年の山暮らしはよほどの覚悟が必要であると悟り、あきらめた。私には自然の中で暮らすだけの知識もない。

Dsc_3931_20210313151101山荘内部

 この文章の中には高村光太郎の内面がない。たぶん孤独の中で自分の内面を見つめ続けたはずなのだが、それを読み取ることができない。そもそもそれを書いた文章ではないといえばそれまでで、無い物ねだりかも知れない。

Dsc_3933智恵子の写真など、胸像は父の高村光雲

 この山小屋には足かけ七年暮らし、理由があって山小屋暮らしを止め、昭和二十七年に上京する。理由は病気である。智恵子からうつったかどうか知らないが、肺結核であった。昭和三十一年四月、七十三歳で死去。

2021年3月14日 (日)

苦し紛れに

 苦し紛れに珍妙な言い逃れすると、どツボにはまる。そもそも質問に対して答えていないから、答えられない理由があると捉えられてしまうのは当然の成り行きであろう。嘘をつけば嘘がばれるたときにその罪を問われるという計算が働いて、嘘はつきたくない。さはさりながら本当のことをいえばさらに追求されるのも煩わしい、という気持ちの流れは手に取るように見える。それでおかしな回答を思いついて、それでなんとかなると思ったなら、ずいぶんひとを馬鹿にした話だし、愚かなことだろう。

150403-67あっ、見てた?

 いま武田総務大臣以下、何人かが国会や記者会見でどツボにはまっている姿は愚かであるとともに腹立たしい。

 

 NTTと会食したなら会食したといえばいいのであり、ただし、後ろ指をさされるようなやりとりなどはなかった、といいきれば済むことである。あとは本当に利害に関わる話はなかったのか、という質問になるのだが、「国民に非難されるような会食はなかった」などと珍妙な答えをした。さらに「会食したのかしなかったのか」という質問を重ねられると返事をしない。「会食しました」といっているのと同じととられるのは当然だが、そこから話が進まなくなった。

 

 武田総務大臣発明のおかしな言い方を、ほかも真似したりしていて、国会は阿呆の集まりか、と嘆かわしい。閣議で一致してこれで言い抜けようと決めたのだろうか。大臣にはリーダーシップを発揮するための素養と覚悟が必要だと思うが、まともな大臣がいないとはいわないが、ずいぶん前からお粗末な大臣ばかりを見せ続けられて、うんざりしている。

 

 世の中はちょっと緩んでいる、という程度で回っていれば平和である。ところが明らかに緩んでいる、という状態に事態が進行すると将来が危ぶまれる。まさかと思ったら、いま、緩んでいるどころかゆるゆるだ、というサインをいくつも見せられて、これはすでに日本は亡国に向かいつつあるということかと心配になる。反日的周辺諸国は手を叩いて喜んでいるだろう。

 

 まあ親日的な国というのもある意味で幻想でしかないし、日本が亡国的衰退に向かえば、みなが袋だたきする側に回ることは覚悟しておいたほうがいい。

高村光太郎『智恵子の半生』

 柳田國男の『雪国の春』が読みたくて全集を引っ張り出したが、同じ巻に高村光太郎も収められていて、この『智恵子の半生』を読んでみた。

 

 戦後、高村光太郎は自ら山小屋に流謫(るたく・罪によって流されること)生活を送った。戦時中に戦意高揚に加担したことを悔いたからといわれる。その山小屋は岩手県の花巻の郊外に残されていて、私も一昨年訪ねている。すぐ近くに記念館もあって、かれの彫刻作品も展示されている。

 

 智恵子は精神病と結核を患い、晩年に療養のために九十九里の真亀(まがめ)納屋というところに療養したことがある。療養はわずか半年ほどで、病状がさらに悪化し、精神科の病院に入院して二度と退院することができなかった。その真亀には真亀川という小さな川が海に流れ込んでいて、こどもの頃、私はその河口の辺りで海水浴をしたものだ。九十九里浜の真亀や片貝は我が家から一番近い海であった。その真亀には『智恵子抄』の千鳥の詩の石碑があった。

Img339五十年前の九十九里浜

 そういう関係から『智恵子抄』を学生のころ図書館で借りて読んだ。詩に鈍で疎い私なので、感興を多少は受けたとはいうもののそれきりであった。

 

『智恵子抄』になんとなく高村光太郎の自己欺瞞的なものを感じていたから、彼が花巻に逼塞したことについても、彼のエクスキューズのためのパフォーマンスに感じられていた。どうしてそう思うのか、それはそのような人間として高村光太郎について書かれたものをいくつか読んできたからだ。それが真実かどうかは知らない。偏見が刷り込まれているかも知れない。宮沢賢治が後援を頼むために彼を訪ねてきたときに玄関先で追い返したこともある。宮沢賢治が死んでから、高村光太郎は宮沢賢治の作品を高く評価して、世に出すことに努めた。忙しかったからとはいえ、自分のしたことを激しく後悔したのだという。

 

 高村光太郎はそういうひとなのであろう。自己中心的で他人に自分がどう見えるのか、理解できないひとだということである。その高村光太郎を智恵子はひたすら愛した、という。そう書いているのは高村光太郎である。智恵子が精神を病んだあと、自分と出逢わなければ智恵子はそういう病にならなかったかも知れないとこの『智恵子の半生』にも書いている。そうかも知れないしそうではないかも知れない。

 

『智恵子抄』は詩集だが、智恵子と高村光太郎の出会いと二人の暮らし、智恵子が死ぬまでについて、高村光太郎のみた智恵子の姿と、彼の智恵子に対する思いが彼の言葉で語られているこの文章は、『智恵子抄』に先んじて発表されている。芸術家の業というものを感じるのは私の偏見の故か。

2021年3月13日 (土)

不幸に群がる餓鬼の群れ

 除染マネーについての検証を行ったNHKのドキュメントを観た。公共事業には闇の部分があって、一部が無駄に使われていることは過去たびたび暴かれてきたことで、たいていの人にとって公知のことであり、私も社会の潤滑油として多少は仕方がないものとあきらめていた。やり過ぎたときは制裁すればいいと思っていた。

 

 ところが、今回のドキュメントの作成のきっかけになった事例によれば、ある地元の除染事業に従事する会社の、ある年の売り上げが100億あまり、そして利益が50億あまり、なんと利益率は53%だという。暴利を通り越した悪徳企業、詐欺会社みたいなものである。しかもそのうちの役員報酬が43億円と聞けば、あきれ果てるではないか。つまり実際に危険な工事に携わった人たちの人件費などを含めて除染そのものに使われた金はおそらく三分の一程度ではないかと思われる。

 

 これは特殊な事例なのだろうか。そうではないだろう。このような会社がひしめいて除染マネーで甘い汁を吸ってきたことがいままで知られずに来たこと、そのことが恐ろしい。中国では事業をするとなると(例えば高速鉄道敷設など)上から下まで何かするたびにピンハネをして、実際の経費は何分の一しかその事業に使われないというのを見聞きし、さもあろうと他人事ながら笑っていたものだが、日本は多少はそういうことがあるにしても、それほどひどくはないと高をくくっていたのに、ほとんど同じようであるらしいのだ。

 

 数年で終わるはずの除染事業は終わることなく延々と続いている。金づるだもの、終わらせないようにさまざまな力が働いているに違いない、と思うではないか。実際に除染してほしい住民にはいつまで経っても順番が来なくて、どこで除染しているのか、どんな優先順位なのかもよくわからない。

 

 そもそも除染事業を環境省が引き受けているということ自体が不可解である。そういう事業などというものに素人であり、公共事業に対してのノウハウも全くないところが引き受けさせられたのは理由がある。汚染物の処理を抱え込みたくなかったというのである。その理由はとにかく、無知でウブなお役人ならやりたい放題だと、舌なめずりした大手ゼネコンが音頭を取った、などとみてきたように想像してしまうのである。そのゼネコンに国交省のお役人がこっそりアドバイスなどをしていた、とまで想像したりしてしまうのは考えすぎか。

 

 全ての経費は結局国民が払うのである。日本はまことに豊かな国だと思う。いつまでそんなことが続けられるかは知らないが。

 

 こういうドキュメントを観ると、政権交代も必要だと思わざるを得ない。思わざるを得ないけれど、代わりが素人集団ではまた同じ轍を踏むしかないと思うと絶望的な気持ちになる。

百目鬼恭三郎『解体新著』(文藝春秋)

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 書評本を読み飽きたといいながらまた読んでしまった。とにかく面白いのである。

 

ある本を書評して曰く、

 

「国際関係論とか国際政治を専攻する学者が、論壇ジャーナリズムに寄稿した論文は、あまり読まない方がいい。彼らの論調は、一見日本の現在と未来を憂慮しているかのように装っているけれど、その実は日本をバカにしており、読むと腹が立ってくるからだ」

 

 まったく同じような思いをしたことが一度ならずあるので、私の感じ方がおかしいのかといささか不安だっただけに、嬉しくなってしまうのだ。

 

つづけて、

 

「それと、海外生活や留学を体験して、自分は国際的な感覚を身につけた国際人だと思っている人たちの日本批判も、読まないほうがいい。彼らは、日本を見下すことによって自分が外国人になった気でいるらしい。が、彼らがなれるのは、せいぜいのところ非日本人という奇妙な存在であろう。いまはこの非日本人について説明する余裕はないが、外務省の役人や商社マンに共通してみられる人間性の欠如は、これに起因しているように思えるのだ」

 

あるある、そう思うことが・・・、とつい頷いてしまうのである。

 

 ここまでが前段である。実は猪口邦子の『ポスト派遣システムと日本の選択』という本を批評しているのだが、ご承知のように猪口邦子は国際政治学者で、小学校はブラジル、高校と大学院はアメリカで卒業したという経歴の持ち主である。

 

「無論、この論文集は、日本の悪口を言うために書かれているわけではない。国際政治の構造の変化を巨視的に把握しようとしているのが、いずれの論文にも共通した狙いであるようだ」

 

と見立てを行い、

 

「著者に言わせると、世界はここ数世紀の間、覇権国が単独で国際秩序を統括する、覇権システムの構造を軸に展開してきた。覇権国はそのシステムに君臨している特権を享受する一方で、国際社会に秩序を提供する役割とコストを背負うことになる。」

 

「が、そのコストの負担はやがて覇権国を疲労させずにはおかないから、国際社会は著しく不安定化し、覇権戦争が起こる、という循環を繰り返してきたことは、世界の歴史に徴して明らかである。第二次世界大戦後の国際秩序を支えてきたパックス・アメリカーナ体制も、いまやその疲弊期にさしかかっている、と、著者はみる。」

 

著者の世界観をまとめた上で、

 

「こうした派遣システムに代わって、今後、世界が模索すべきポスト派遣システムとして、著者は、領域別に問題を処理し、秩序を維持するコンソーシアム(事業遂行連合体)型管理システムを提唱しているが、こんなもので国際社会の秩序が維持できると本気で思っているのだろうか。」

 

と、著者の提唱を批判する。

 

 猪口邦子のみる、ポスト覇権主義時代の希望的世界観を一蹴する百目鬼恭三郎の先見の明は、アメリカから中国に覇権が移りつつある現在の世界情勢をみれば一目瞭然であろう。たしかにさまざまな国が集まって連合体を作り、覇権国に対峙しようとしてはいるが、歯牙にもかけられていないではないか。そのうえ中国は恐ろしいことに、覇権国の支払うべきコストそのものすら払う気が毛頭ないように見える。

 

 たった一冊の書評だけでもこれだけ中身があって、あたかもその本を読んだ気にさせてしまうのだもの、面白くないはずがあろうか。ほかの本の話も紹介したいけれどきりがないのでこれまでとする。

2021年3月12日 (金)

感謝

 私はブログを書いたら書きっぱなしである。しかし、コメントをいただくと読み直して、もう一度ブログに書いたことを考え直すから大変ありがたく思って、感謝している。

 

 先日、小池都知事の横文字言葉について批判的な書き方をしたブログについて、コメントをいただいた。コメントは公開されているものだから引用してもかまわないと思うので、以下に引用する。名前はない。

 

「どうでしょうか?
小池知事は横文字だったけど、ブログなど見ていると簡単に言える言葉を普段あまり使わない難しい語句や漢字に置き換えている人を見かけます。
自分はこんな言葉知ってるんだよと言うアピール(これも横文字ですが)なんでしょうかね?
要するに自己顕示欲の強い人の特徴ではないのでしょうか。」  

 

 おっしゃるとおりで、異論はない。ワープロでいくら簡単に変換できるといっても、わざわざ使う必要のない言葉や漢字を知ったかぶりに使われるのは鼻白むものである。自己顕示欲の表れであろう。

 

 ただし自己顕示欲はだれにでもあるもので、知っていれば難しい漢字や言い回しを使いたい気持ちになることはあるだろう。それが乱用されて鼻につけば、その文章は読まれなくなるだけのことだ。

 

 私も多分にそのようなレトリック(技巧的言辞)を弄する傾向がある。知ったかぶりでイヤミであろう。しかし、そのことを承知で書いていて、無意識ではないことをお断りしておきたい。いいたいことについて、(自分では)最適だとして選んだ言葉なのだ。肌合いが合わないと感じたひとは読まなくなるだけのことだ。

 

 しかし為政者である都知事はそういうわけにはいかない。都民にしかるべき行動を促し、従ってもらわなければならないという役割を担っている。自己顕示欲がなければジャーナリストや政治家になどならないだろうから、それが人一倍であることは当然としても、それだからこそ言葉はすんなり耳に入り、なるほどと思わせるようでなければならないと意識すべきだろう。それがあまり日常的でない横文字を多用するのはいかがなものか、と私は批判したのである。

 

 ブログの知ったかぶりの自己顕示欲と同列の話としてしまうのはいかがかとちょっと思った次第である。コメント氏もそんなつもりはないであろう。小池都知事が自己顕示欲が強い、といっているだけだから。改めて考えさせていただいたことに、コメント氏には感謝している。

干宝『捜神記』(東洋文庫10)

 干宝(かんぽう)は晋の時代のひと。この晋というのは、あの三国志の魏の国を司馬氏が簒奪して興した国であり、三世紀ころに中国をいちおう統一していた(蜀と呉は前後して滅びている)。しかし北方民族の南下が激しくなり、後に東に国を移し、東晋となる。やがて中国は南北朝時代となり、五胡十六国といわれる多くの国が興っては滅びた。魏晋南北朝とひとくくりにいわれることもあるこの時代は、国は朝のように乱れていたけれど、文化は盛んだったともいわれる。この時代のあと随が中国を統一し、それを唐が引き継いだ。

11031-292麗江にて

 まだ文学も素朴であった時代で、この『捜神記』という志怪小説集も、干宝が収集したさまざまな話を収録してあるが、ほとんどが短く単純なものばかりである。中国の古代から秦の時代、漢の時代、そして魏や晋の時代の話が大まかなテーマ別に前後して収められている。

 

 ただし干宝が当初まとめたものは四十巻本らしいが、現存するのは二十巻本であり、その間にかなり書き加えられたり脱落していて、もともとのものがどれほど残されているのかは定かではないようだ。

 

 ここに収められている全464話は、その後さまざまな志怪小説に取り込まれているものも多くて、すでになじみの話もたくさん見える。日本にもそれが伝わって変形されたのであろう、と想像されるものもいくつか見受けられた。こういう話の種本となったのだろう。

 

『南総里見八犬伝』の伏姫と八房の話などの源流と思えるものがあるし、『遠野物語』のオシラサマの民話での馬と娘の異類婚と蚕にまつわる話(これは実際に遠野で語り部のおばあさんから聞いたことがある)の原型と思われる話もあったりして、不思議な気持ちがした。どうもオシラサマに関連する民話は、もともとの形に外から持ち込まれた話が上乗せされたか合流されたりしてずいぶん変形しているようだ。

Dsc_0367遠野にて

Dsc_0380遠野にて

 ブログの埋め草に紹介したい話がいくつかあるので、機会があれば引用したいと思う。

2021年3月11日 (木)

聞く気をなくす

 小池都知事の話である。ふつうに日本語で言えばいいことをわざわざ横文字言葉で言う。くせなのだろう。何を言いたいのか一瞬考えてしまう。考えればわからないことはないのだが、ふつうに日本語で言えばいいことを横文字でいわれたことに拒否感が生じて、素直に意味が頭に届かなくなる。翻訳してから考えることにわずらわしさを感じてしまう。これでは伝えたいことが伝わらないと思うし、伝えられたくない、という気持ちも生じてしまう。

 

 それが東京都の新型コロナウイルスの感染者の減少が下げ止まりしている理由だ、とまではいえないだろうけれど、私は密かにそれが理由のひとつに違いないような気がしている。言葉が伝わらなければ説得はできない。小池都知事の言葉が都民の行動になかなかつながらない理由であろうと思う。悪いくせである。まるで『おそ松くん』のイヤミではないか。「おフランス」の代わりに「おエジプト」か。

 

 蛇足でいえば、愛知県の大村知事の、言葉を飾るくせの煩わしさも耐えがたい。愛知トリエンナーレではなくて、あの語り口を理由にリコールしたいくらいだ。さいわい愛知県は感染者数が順調に減少しているのは僥倖であるが。

困って当然

 事故を起こした福島原発の汚染水が貯蔵能力の限界を超えていて、問題ない程度に薄めて海へ流すしかない状況に追い込まれているという。解決法はそれしかないことは解っているから、仕方がないなあ、と考えてしまうかも知れない。科学的論理的合理的にそれしかないことは解るから、私もそう思っていた。

 

 しかし、風評被害でまた地元に迷惑をかけることが明らかであり、仕方がないでは済まないではないか、と考え直した。そもそも原発事故の責任は地元の人たちにないのであって、政府と東京電力にある。その政府と東京電力が困っているからといって、どうして地元がさらに迷惑を被らなければならないのか。理屈にこだわる私も、こと原発事故に関しては、理屈で考えるべきではない気がしている。

 

 政府と東京電力は困ればいいのである。困って困って困り抜いて、自らの責任を本気で考えればいいのである。それならどうしたらいいのか。そんなことは政府と東京電力が考えることである。困ったから迷惑をかける事態は仕方がない、で地元住民が納得するはずがないではないか。

 

 するべきことに手を抜きながら、絶対に安全です、と説明してきたことに対する、それが責任だろう。信用を失った者が、薄めたから汚染水海洋放出は大丈夫、安全です、と再び言ったって信用されるはずがないではないか。

 

 手を抜けば安全性は損なわれるのはこどもにもわかることで、それで事故が起きた後になってから、想定外だった、などと言い訳して責任者が免罪されているのは理不尽なことで承知しがたい。想定外も含めて万全を期すのが原発だろう。チェルノブイリ以後、先進国では過剰なまでの対策をしているし、万一想定外の事故があったらそのための対処の用意も二重三重にしていることが繰り返し紹介されていた。

 

 今回の津波による電源喪失に対して、蓄電池や電源車が現場に急行したのに、蓄電池は必要ではないものしか着かずに(12Vが必要なのに2Vがヘリコプターによって大量に届けられた)使い物にならず、電源車は交通渋滞で遅れた上に、現場まで行く運転手がいないために届かなかった。

 

 現場からは電源喪失によって冷却ができない、このままでは大惨事が起きてしまう、と再三伝えていたのに、当時の東京電力の資材調達担当者は、「さまざまなものが必要だといわれていて、何が優先するかわからなかった」と言い訳していた。バカか。蓄電池が規格違いなら、必要な12Vをかき集めて再びヘリコプターで運べば良かったのである。何しろ菅直人首相が邪魔しに行く(おろか以外の何物でもない行動で、世界の笑いものだ。国の指揮官が自ら最も危険な場所に赴くなどあり得ない。だれよりも自分は原発についての知識があると思い込んでいたらしい)のにもヘリコプターで行っているので、できないことではなかったはずだ。

 

 手に入らなかったなどと担当者は言い訳していたが、現場ではそこにあった自動車のバッテリーをかき集めて対処していたのである。どこにでも自動車はあり、バッテリーはあるから、数限りなく入手可能だったはずだ。各地の東京電力の車のバッテリーを集めただけでもずいぶんの数になっただろう。

 

 電源車が渋滞で困っていたら、警察を動員するか、場合によって自衛隊を出動させて電源車を走らせれば良かったことだし、有志を募れば運転手を買って出る人間もいたはずではないのか。全てできなかったことの言い訳ばかりを見せられて情けなくなる。

 

 そのような強権発動をためらったのは、民主党政権の公権力の行使を悪だと思う気持ちからのためらいだったと私には見える。そういえば阪神淡路大震災のときにもそんな話があって自衛隊の出動は差し止められて、実動は大幅に遅れることになった。そのときの首相は村山富市だった。大地震の報に接して、「今日はゴルフの約束があるのだが、どうしようか」と側近に訊いたという信じられない話が残されている。

 

 本日3月11日はそのようなさまざまなことを思い出させ、考えさせてくれる日だ。そのことで民主党、いまは立憲民主党は信じることができない、ということを改めて思い出させてくれる日でもある。少なくともあのとき平然と事実を隠蔽し続けてウソを語り続けた枝野氏が代表でいる間は、私は立憲民主党を支持しない。

補足

枝野氏のウソとは、メルトダウンが起きていたことを知りながら、私の記憶ではそれを公表したのはひと月くらい経ったあとだったことなどである。

12Vのバッテリーは小名浜まで来ていたけれど、運ぶ手段がなかったということをあとで知った。手段がなかったというよりも、運ばなければならないという事実を理解する人間が外部にいなかったようだ。理解しなかったから許される話では決してないが。

 

2021年3月10日 (水)

津波避難

 東日本大震災に関するドキュメントやドラマがたくさん放映されてきた。どれも真剣に見ていると強い衝撃を受けるものばかりである。あまりに強烈なので正面から受け止めきれず、選別しながら少しずつ見ることにしていた。ようやく十年近く経って、あの震災に向き合うことができるようになった。この数日、可能な限りの震災関連番組を観ていて忙しい。

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 以前は、震災そのものよりも原発事故についての、どうして防げなかったのか、事故後の対応は適切だったのか、ということの方に関心が向いていた。そのことは別途考えている。

 

 先日『津波避難 何が生死を分けたのか』というNHKのドキュメントを観て、考えさせられた。ひとは予期せぬ危機的状況に置かれたとき、判断に迷い、決断ができなくなる。そしてしばしば楽観的に考えようとしてしまう。誰かが「たぶん大丈夫だろう」というと、そうだそうだと頷いてしまう。安心したい気持ちがあるから、他人もそうだと知ると心強いのだ。間違いなく私もそうだろうと思う。

 

 そういうときに、積極的に情報を知ろうと努め、最悪を想定して行動しようとする人がいると、その人の行動がきっかけとなって、周辺の人がつぎつぎに避難行動をするという連鎖が起こる。避難したことで助かった人たちの証言を集めて、その人の行動履歴、そして周囲で目にした事実についての膨大な証言を集めてまとめたものを元にしてこのドキュメントは作成されている。

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 それによればある人の率先した避難行動や呼びかけによって数十人、ときに数百人が助かったことが明らかにされている。多くの人が、呼びかけがなかったら避難行動に移らずに死んでいただろう、と語っているのが印象的だった。

 

 どうして助かったのか、そしてどうして助からなかったのか、そのことについてたくさんの示唆を与えてもらった。「つぎ、万一のことがあったら、今度は先頭に立って行動する人間になりたい」と語っていたひとの言葉が強く記憶に残った。

百目鬼恭三郎『日本文学の虚像と実像』(至文堂)

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 昭和44年の発行で、書かれたのは昭和42~43年頃のようだ。私が高校生から大学に入った頃である。

 

 読むのに苦労するだろうなあ、と覚悟していたのに、読み出したら案外すらすら読めた。日本の古典について論じているのに、それを大の苦手にしている私がどうして放り出さなかったのか。

 

あとがきに

 

「バカやこどもは、無知であるがゆえに、ときにはその目で裸の王様を看破することがある。国文学に無知な私にこの連載を依頼されたのは、そうした無知の目でもって、国文学の中の裸の王様をみつけてほしい、というこころづもりがあったのでしょう。それにこたえることができたかどうかは、いまの私にはわかりません。が、私自身では、おかげで日ごろきらいだった国文学が勉強できたことで、たいへん満足しています」

 

とある。
 もちろん著者が本当に無知ならそんな依頼があるわけはないものの、そのつもりで国文学を論じているのである。わからないものはわからない、面白くないものは面白くない、とはっきり言い切っていて、痛快すぎて心配になるほどである。

 

 例えば紫式部について論じているのだが冒頭に、

 

「高等学校(旧制・引用者註)の生徒だったころ、『源氏物語』の講義をきいたことがある。「これこそ世界最高の大長編小説である」などと前置きしながら、教授が一言一言に感激をこめて語句の解釈をしているのをききながら、なぜこんなにつまらない小説に感激しているのだろう、とけげんに思った記憶がある」

 

と書いているのだ。
 まるで私の古典の授業での記憶と同じである。

 

 論じられているのは、「雄略天皇」、「柿本人麻呂」、「斎藤茂吉」、「紀貫之」、「清少納言」、「永井荷風」、「兼好」、「松尾芭蕉」、「萩原朔太郎」、「井原西鶴」、「藤原定家」、「夏目漱石」、「紫式部」。

 

 もちろんそれに関連させてたくさんの歌人、俳人や詩人、作家が比較されこき下ろされ、ときに激賞されている。まったく従来の先入観に満ちた価値観とは異なる、独自の読み方は、あっけにとられるほどである。面白くないはずがない。古典について新しい視点を教えてくれた。

 

 もちろん百目鬼恭三郎が全て正しいなどと思ったわけではないけれど、いままでの全てを一度ぶち壊して自分の目でものを見ることの面白さを感じたのである。私にもう少し古典を読む力があったら、またさらに楽しいのだろうなあ。

 

 

2021年3月 9日 (火)

習近平の夢

 習近平の夢について本人に訊いたわけではないから私の想像であるが、それほど間違っているとは思わない。

 

 全人代では中国共産党政府の方針として、現在の世界情勢を鑑みて輸出重視を見直し、内需を重視していくという。数年前からその方針に転換しつつあったから、目新しいものではない。

Dsc_0005_20210309122201上海にて

 中国は十四億の民を抱え、広大な領土を持つ国であるから、それだけですでにひとつの世界である。国内だけでほとんどのものがまかなえるから、対策さえ十分なら他国に依存する必要はないようにすることができる。文字通り内需のみでもやっていける国であることを目指していると見ることが出来る。

 

 それならそれで一向にかまわないのだが、その中国という世界は拡大することも目指している。周辺の国々や海を呑み込もうという強い意志も持っている。それは内需重視と少しも矛盾しない。周辺を自分の世界に取り込んで世界を拡大するだけである。そもそも中華思想では他の国というのは想定されていない。外国というのは、まだ自分の世界に取り込まれていないだけの存在で、いつかは取り込むことになっている存在である。

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 それを百年ぶりに公然と表に出して行動し始めたのが習近平である。思想ではなく、意志であり行動である。

 

 習近平の夢というのは、世界を中国という世界の中に取り込んでいくという、中国本来のあるべき姿を推進していくことであって、そうなれば外需重視ということはすでに意味を失うのである。なにしろ世界が中国であり、中国が世界なのであるから。それをもとに考えると、中国のさまざまな行動が全て矛盾がないことがわかるであろう。

 

 それなら世界基準の国際法も人権も習近平にとっては何の意味もないのはとうぜんである。中国は国際法も人権も問題なく守っていると紳士面した中国の外務大臣も言い放っていたではないか。そこでいう国際法や人権は中国のものであり、国内法なのだから矛盾などあり得ないのである。

赤坂憲雄『東北学 忘れられた東北』(講談社学術文庫)

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 すでに述べたから柳田國男は置いておいて、赤坂憲雄は東北と縄文文化という視点、蝦夷とアイヌが同一なのかまったく異民族なのかという視点を持って東北でフィールドワークする。それらはそれまでの民俗学の避けてきた事実を明らかにすることでもあった。
1208-27三内丸山遺跡

 縄文人は狩猟採集をしており、移動する小さな集団だとみられていたし、いまでもそう思い込んでいる人が多いであろう。そういう人は一度青森の三内丸山遺跡を見ると良い。巨大な遺構はかなり大きな集落であったことを示しているし、稲作以前に畑作定住生活をしていたという痕跡は東北に複数発見されている。
Dsc_0992大湯環状列石

 十和田湖から南下して大湯というところを通過したときに、たまたま大湯環状列石の表示を見て立ち寄ったことがある。日本にこのようなストーンサークルがあることを初めて知った。そしてそれはここだけではないのだという。縄文時代の、ここも集落の遺構なのであった。
Dsc_0371遠野オシラサマ

 この本では主に秋田、岩手、山形を訪ね歩いた報告が詳しく述べられている。それは結論ではなく、問題提起となっている。従来のオシラサマについての解釈についても疑義を唱え、その背景にもっと深い歴史があるのではないか、というのだ。私が遠野で聞いたオシラサマの民話は比較的に新しい、養蚕が普及してからの改変融和があるのではないかとの指摘は考えさせられる。

 

 秋田の日本海沿岸にある鮭の千本供養塔の話などは、非常に興味深い。以前行ったことのある吹浦の浜など、もう一度丁寧に訪ねてみたい気持ちになった。
Dsc_0531芭蕉と曽良・封人の宿にて

 そういう少しディープな興味を持って東北を観直す手引き書として、この本は知的刺激をもたらす。それが正しいかどうかについて私には判断する力はないが、知的興味をもちながら世界を見直すのはすこぶる楽しくわくわくすることではないか。

 

 菅江眞澄をたびたび引用するのは、それらの場所を菅江眞澄が実際に歩いているからだ。

2021年3月 8日 (月)

糖尿病定期検診

 昨晩はいつも以上にいつまでも寝付けなかった。それでもいつの間にか寝てはいたのだが、起きたら七時半である。六時過ぎまで寝込んでいることはめったにないことで、今日は早めに起きて心身を整えて病院へ行くつもりだったのだが・・・。なんだか動悸がおさまらない。

 

 空腹時血糖を測るから朝食はもちろん「抜き」であり、出かけるまでの支度にそれほど手間取るわけではない。心配していた雨はほとんど止んでいてありがたい。病院はいつになく人が多くて混雑している。愛知県も緊急事態宣言が解除されて一週間、様子を見て大丈夫そうだと見極め、満を持して出かけてくる人がいるのであろう。

 

 まず血液検査のための採血を受ける。いつもより少し遅れたから診察までは待たされるのを覚悟する。

 

 しかし、多少待ったものの、予約時間内に診察室に呼ばれて診察を受ける。美人の女医さんはいつもの静かな感じではなく、晴れやかな顔をしていて見違える。化粧が濃い。きっちりこちらの目を見てハキハキと話す。同じひととは思えない。「多少体重の増えているのが気になりますが、血糖値その他は許容範囲です」とおっしゃる。むくみやその他、気になることを相談したあと、「私は今日で終わり、次回は別の先生になります」とのこと。理由は聞かなかった。いいことがあるのならめでたいことで、そんな気がする。今度も女医さんならいいんだがなあ。

 

 昨年から妻の母親の遺産相続の件で義兄がいろいろ手続きしていたのが全て完了したと手紙で連絡をもらっている。もともと財産など知れていたからささやかであるが、その遺産分配金が振り込まれたのを確認した。そのことや妻のことについて現状をしたためた手紙を出した。妻が施設に入居するのにまとまった金が必要で、その足しになるのはありがたい。

 

 向こうもそうだと思うけれど、これで縁が切れたと互いに認識していると思う。この七、八年、いろいろなことがあった。振り返ってみても仕方のないことばかりだが、ずいぶん互いに疲弊した気がする。これも人生か。

いらない

 「あげる」「あげる」といわれるのがわずらわしい。ポイントのことである。メールでやたらにポイントの提供を呼びかけてくる。「あげる」というのは企業であるから、慈善事業のはずはないし、慈善を施されるほどこちらは困窮しているわけでもない。当たり前のことだが、「あげるから代わりに・・・」がそこに必ず付随している。

 

 いま最も煩わしいのは電子書籍のお誘いである。本を物色し、よく購入するからであろう。私は基本的に紙の本しか読まない。Kindleを使うのは出版目録を見たいときだけである。たいてい無料だから重宝するし、ポイントの必要もない。

 

 スーパーやETCカードや旅行仲介業者のポイントはありがたい。必ず使うことがわかっている。面倒なしにポイントがひとりでにたまるし、自動的に還元が行われる。だからくれるというもの全てを「施しを受けるのは嫌だ」といって断ろうとするほど私は偏屈ではない。いまそれほど欲しいわけではないものをポイントをきっかけに買う気にはならないということである。

 

 私は偏屈ほどではないけれどへそ曲がりではあるから、勧められると却って買う気が失せる。デパートなどで品物を選んでいるときに店員にそばによって話しかけられると煩わしいと思う人間である私は、「あげる」のメールはたいてい即消去する。

2021年3月 7日 (日)

柳田國男『雪国の春』

 赤坂憲雄の『東北学 忘れられた東北』は読み終えたのだけれど、その本の中で批判的に乗り越えようとしている柳田民俗学について、特にたたき台として挙げられている『雪国の春』を読んでみたのでそれについて先に記す。

 

 まずこの『雪国の春』という文章は名文だということを言いたい。各地を訪ね歩き、そこで知った日本の良さ、美しさを短い文章の中にここまで凝縮して籠めることの出来る柳田國男の文章力に感嘆した。この文章は東アジア全体を俯瞰する視点から、稲作をもって伝播していった弥生的文化文明が東漸北上して縄文的な蝦夷文化を覆っていったという見立てと読めば読めないことはない。しかし赤坂憲雄の批判ははたしてこの文章に対して行われたものかどうか疑問を感じた。

 

 もしかしたら、この論文、というより随筆が収められた『雪国の春』という本があって、いくつもの論文の全体が稲作文化が日本文化の原点とする柳田民俗学の主張になっているのかも知れない。私は日本文学全集に収められた単独の文章のみを読んだ。

 

 みちのく、という呼び方で東北を見る見方に赤坂憲雄は激しく反発しているのである。白河から先は異域であるかのように、そこは歌枕に読まれる憧憬の地であると見るのは、都市から辺境を見るかのような見方だと考えて反発しているのだ。ヨーロッパから見た中近東、東南アジア、極東アジアなどという言い方を当たり前にするけれど、日本から見れば日本は東の端だから、全て西側にあるし、中近東は遠いのである。視点を自らの立ち位置に取り戻すことで、見えなかったものが見えてくるのではないか、というのが彼の主張なのだ。私はそこまで感じないけれど、視点を変えることの意味はよくわかる。

Dsc_8511芭蕉の泊まった封人の家の駐車場にて

 赤坂憲雄は稲作以前の縄文的なものは厳然として東北の底流に生き続けてきたことを明らかにしていくフィールドワークの記録が『東北学 忘れられた東北』という本のテーマに他ならない。この本については次回に書く。

東北への想い

 いま民俗学者の赤坂憲雄『東北学 忘れられた東北』(講談社学術文庫)という本を読んでいる(もうすぐ読了する)。この人の東北学は三部作になっていて、第二部の『東北学 もうひとつの東北』を数年前に興味深く読んだ。そしてその本が第二部で、第一部があることを知って購入し、棚に並べてあったものだ。

 

 私は山形の米沢の大学を出ているし、父のふるさとは最上川の支流を入った雪深いところである。学生時代にもずいぶん東北各地を歩いたし、卒業して大阪の会社に就職してからも、最初は東京の営業所に赴任していたので、東北を訪ねることはたびたびあった。

 

 名古屋に移ってからはなかなか縁が遠くなったが、六十歳でリタイアしてすぐ(というより正式に退職する前の有給休暇の消化時)に向かったのはまず東北だった。名古屋から東北に向かい、十日ほどの湯治をして浮世の垢を洗い流した。それで精神のモードを切り替えたのである。それから何度となく東北を歩いている。旅の写真のファイルのうち、この十年の東北のものが30以上もあるから、それだけ出かけているということである。

 

 リタイアしてから一年足らずで東日本大震災を経験した。私が震災の少し前に泊まった牡鹿半島や田老町の民宿も波に吞まれたようで、半年ほど後に訪ねたときには跡形もなかった。震災の年の五月に父が大往生した。寂しそうにしている母を連れて東北や北関東などを連れて歩いた。母も三年ほどで寝たきりになったから、ギリギリで親孝行が間に合った。

 

 東北を訪ねるたびに思い入れが深まっている。その想いから芭蕉の『奥の細道』なども、もう一度いちから読み直したいと思っている。それは先日読んだ森本哲郎の『旅の半空』で、能因法師、西行の訪ね歩いた東北を芭蕉が偲んで歩いたことを改めて教えられたこと、そして森本哲郎自身がその歌枕の旅を自ら歩いたことを書いていて、北への旅心が高まっている。

2021年3月 6日 (土)

夫婦別姓

 夫婦別姓を推進しようとする動きに対して、自民党は消極的なようだ。生まれて以来の自分の姓が変わることは煩わしいことだと思う人もいれば、姓が変わることを結婚の象徴として喜びと感じる人もいるのではないかと思う。夫婦別姓に移行するときの問題があるとしたら、システムが対応する手間と、それをみながふつうのこととして受け入れるまでの時間くらいだろうか。

 

 世界にはもともと夫婦別姓の国もある。それで不都合なく受け入れられていて、その国が夫婦同姓を推進しようとする動きなど寡聞にして知らない。それなら同姓の方が問題があるということだろうか。

 

 ここまで書くと私は夫婦同姓論者かと思われるかも知れない。私は保守主義者だから、よほど問題がなければ今のままでいいじゃないかと思う人間である。しかし男女同権、嫌煙権やLGBTの運動を眺めて、衆寡敵せずと傍観を決め込む人間である。正義にはかなわないので恐れ入るしかないとあきらめている。

 

 夫婦別姓推進者は夫婦同姓の現状を変更するための全ての煩わしさを手順を踏んで解決していく覚悟があるのだろう。それならそれでいいではないか。ただし、夫婦別姓を選択する自由を禁止するごとき暴力は、出来れば行使して欲しくないのだが。夫婦別姓は「正しいことである」と確信しての運動であるならば、夫婦同姓を選ぶ人を悪とは呼ばないまでも、「因習に囚われた迷妄である」と決めつけたりして欲しくないものだ。

 夫婦別姓でもいいではないか、ということをいま論じているのであって、夫婦別姓にしなくてはならない、という話ではないと私は思うのだが違うのだろうか。

どうしろというのか

 街頭インタヴューに、首都圏の若い女性が「緊急事態宣言をしていても緊張感なんか見られない。延長しても意味がない」と答えていた。緊急事態宣言下でも緊張感がなく出歩く人がいることを批判したいのであるように聞こえるのだが、もし首都圏の人々がそのようであるのなら、緊急事態宣言を解除したらどう行動するだろうか。「解除された!」と大手を振っていっそう出歩くであろう。

 

 それならふつうに考えて解除の延長は仕方がないと思うのが論理的だが、「延長しても意味がない」というのはどういう意味なのだろうか。私には分からない。緊張感がないというなら、延長するならもう少し厳しく規制すべし、となるのではないのか。

 

 NHKは、延長についての首都圏のひとの反応の冒頭にこのインタヴューを繰り返し報じていた。これだけ首都圏の人たちはどうして良いか分からず、矛盾したことを口走るほどやけになっているということを伝えたいのであろう。

多様性

 賢い判断もするけれど、ときに愚かな行動もする。正しい生き方をするべきであることを知りながら、行きがかり上、またはふとした出来心で悪事に手を染めてしまう。それが人間というもので、全身が全て正義の味方で無謬だったり、真っ黒けの悪人だったりする人間はいない。

 

「罪を憎んで人を憎まず」という言葉があるのは、どうしても人を白や黒に峻別してしまって憎んでしまうことを戒めるためにあるのだろう。いま野党の舌鋒鋭い不正批判やマスコミの不倫バッシングに私がなんとなく不快感を感じてしまうのは、不正や不倫を肯定するからではなく、それらの糾弾に「罪よりも人を憎む」という心性を感じてしまうからだろう。なにしろ謝ったって許さないのだから(まるで韓国か)。

 

 いま中国は恐ろしい。どうしてか。正しいことと間違ったこととを習近平政権がどんどん決めつつあるからだ。徹底した管理システムによって、悪と決められたことを犯したら完璧に罰することを目指していて、それが徐々に達成されつつある。犯罪はもちろん、交通違反、利子の延滞などさまざまなことが点数化され、数値化して人の評価に直結している。公平で公明正大である。

 

 恐ろしいのは、それが社会の安全安心を国民に実感させているということである。中国国民は自分が不当な仕打ちを受けない限り、それを受け入れているという。不当な仕打ちを受けないためにどうしたらいいかも長年の経験から熟知しているのが中国人でもある。それならそれでいいのか。そういうシステムを全体主義というのだろう。もちろん理想社会を目指している。

 

 問題なのは座標軸、善悪の基準そのものだろう。めざす理想社会とはどんな社会なのだろう。どんな国家を想定しているのだろう。従えば安全安心に暮らせる国ですよ、と猫なで声で為政者はいい、議事堂の代議員たちは全員がにこやかに賛成を唱和する。

 

 今のままなら早晩世界はそのようになっていくだろう。民主主義という、多様性を許すシステムの欠陥が露呈し、そのような国の社会は破綻に向かい、正義が公平公明正大に施行される全体主義国家が世界を統治して全ての人類は平和で安心安全な生活が送れるようになるに違いない。

 

 すぐにはそうならないだろうから、さいわいなことにその頃には私はもうその世界を退場している。

 

 多様性を失った社会がその先さらにどうなるのか、私が心配することではない。

2021年3月 5日 (金)

雨に降られる

 寝返りをたびたび打つのはいいことらしい。少なくとも寝返りを打つひとの方が腰痛になりにくいのだと、テレビで見たことがある。最近朝起きると髪が乱れに乱れている。以前にはなかったことで、たぶん寝返りが増えているのだと思う。

 

 今朝起きたら、ささやかにだけ残っている頭頂部はともかく、それ以外のところの髪はこれ以上ないほどさかだち、まるでコントのようだった。昨年末から行こうと思っていた床屋にずっと行っていないのである。緊急事態宣言を口実に、床屋に行くことを先延ばしにしていた。隣駅の近くの格安の床屋は、安い分だけ調髪も短時間であっという間に終わるのだけれど、億劫である。

 

 愛知県はすでに緊急事態宣言が解除された。そして来週はいろいろ人に会う用事がひかえていて、あまりむさ苦しいのは恥ずかしい。そういうわけで天気を心配しながら思い切って床屋へ向かった。ウイークデイならシニア割引もあるのだ。

 

「刈り上げてください」といえば、情け容赦なくバリカンで借り上げてくれる。少し身体が軽くなった心地がしてさっぱりした。床屋までは歩いて片道30分ほど、しかし往きでそれだけ歩くと汗まみれになるので、往きだけ一駅電車に乗る。帰りはもちろん散歩がてらの歩きである。往きにはこぬか雨ともいえない程度のかすかな雨だったが、帰りは途中から雨に降られてしまった。

 

 天気予報で予測のついたことであるが、わかっていながら傘を持たずに出ている。もう春だ。月形半平太ではないが、「春雨じゃ、濡れて参ろう」としゃれ込み、悠然と歩いて帰った。

空腹

 ずいぶん久しく空腹感を忘れていた。食事の時間だからと無考えに三度三度食事をしていると、空腹になる前に腹が満たされてしまう。自粛生活によってほとんど身体を動かさない。もともと運動は嫌いだから意識して汗をかくこともないので摂取したカロリーはほとんど消費されていない。寒いと外に出たくない(暑いときも外に出たくない)から散歩もしない。摂取した食物はたいていそのまま排泄されるけれど、一部がため込まれる。体重計に乗るのを敬遠したくなるような肥満した身体になりつつあった。

 

 来週は糖尿病の定期検診で、体重が増えると美人の女医さんにため息をつかれてしまう。(私の美人の基準はすこぶる甘いから、よほどの女性以外はみな美人であるが)美人のため息を聞くのはつらいから、定期検診の十日くらい前から泥縄式に節食して休酒したりする。今回は休酒までせずに、ビール断ちをして、白ワインをグラスに一杯だけ飲む。ご飯は茶碗に一杯だけ、苦手な野菜をなるべく食べる。それでも体重が減らないので、一日二食にした。朝昼兼用の食事と、晩は早めに食べて、あとは食べ物を口にしないようにしている。

 

 数日で食事の前に空腹感を感じるようになった。食べる量を控えめにしているから、いつものペースで食べるとすぐ食べ終わってしまう。それがさみしいからよく噛む。これで肥満が多少は改善されるはずだ。これが定期検診と関係なしに定常になれば、ずいぶん寿命が延びるかも知れないなどと夢想するが、同時に検診が終わったらどんなごちそうを作ろうか、などと考えたりしている。

2021年3月 4日 (木)

不安

 福井の小林化工や富山の日医工が、製薬会社としてあるまじき不正行為をしていたことが明らかになった。長年にわたっての不正はどうしてチェックされなかったのだろうか。そもそもチェックが出来ないシステムなら、この二社が特別ではないのではないかとだれもが思うだろう。このくらいはいいだろう、という緩みが次第にエスカレートしてしまうのは人間の性であり、「このくらいは」を許さないようにしない限り、このような不正は永遠になくならないだろう。そして一度凋落した信用は、みなが忘れるまでは取り戻せないし、人々が忘れると同じように「してはいけないことはしてはならない」ということを忘れる会社も再び出現するに違いない。「二度とこのようなことは・・・」というむなしい言葉を何度聞かされていることか。

 

 国民に会食の自粛を呼びかけている与党の国会議員が自らは好き放題のことをしていたり、役人が業者の接待を受けていたことが次々に明らかになったりしている。私が気になるのは、彼らにはあまり自分がしてはならないことをしたという自覚がないように見えることである。そもそも自覚がないからやましさも感じていなかったのだろう。もしかしたら糾弾は理不尽だ、などと感じているのではないか。政権が弱体化するとそういうときのもみ消しの対処が弱くなって運が悪いと思っているかも知れない。つまりだれもがやっているのにどうして自分だけ・・・という、スピード違反をしたドライバーみたいな気持ちなのだろう。テレビを見ていれば、それが顔に出ているではないか。

 

 上に挙げたようなものは氷山の一角なのだろう。世の中は多少ファジーである方が円滑にことが進むというのも事実だろう。しかし先に書いたように「これくらいはいいだろう」の「これくらいの枠」がゆるゆるになると、やましさそのものも消滅してしまう。そうなると世の中は円滑に進むどころではなくて、反動で小指の先までほじくり返す輩のお祭りが始まってしまう。芸能リポーター的な記者が我も我もと鵜の目鷹の目で騒ぎ出す。日本は情けないことに自浄能力を失ったかのようである。それとも、そもそも日本にはそんなものはなかったのか。

 

 その結果が民主党政権の誕生を生んだことが思い出される。すでにあのときに何があったのか、忘れ始めている人が多い。それなら立憲民主党も、もう一息で夢よもう一度の夢が叶うぞ。そうして日本は東アジアの某大国の版図に組み込まれることだろう。これは論理の飛躍ではない。

丸谷才一『大きなお世話』(朝日新聞)

Dsc_4986

 1970年前後に、アサヒグラフに連載されたコラムを編集したもの。まだ著者独特の正仮名遣いが見られないのは、まだそれにこだわっていなかったのか、それとも出版元の朝日新聞が自社の基準に従わせたのか。その当時のアサヒグラフはどうだったのだろうか。

 

 一コラムが三ページと短い。その中にレトリックが籠められている。もとのコラムのときには写真付きだったようで、ハードカバーでの出版なら掲載コラム数を少し削ってでもその写真をつけておいて欲しかったと思う。

 

 世相に対する皮肉の込められた文章が多いのは、その当時の政治状況(佐藤栄作首相時代であるし、激しかった学生運動の火熱がまだくすぶっていた時代)によるものだろう。著者はベ平連の小田実などとも親しかったから、経済優先の自民党政治には批判的である。敗戦から25年、この頃日本の経済はドイツを抜いて世界第二位に躍り出た。右肩上がりの経済が続き、バブルではじける時代までの、繁栄の時代、浮かれた時代がまさに始まろうとしていた。同時に公害に対する社会運動がようやく企業を動かすようになり始めていた。

 

 そんなさまざまなことがこのコラム集を読むことで思い出された。日本の若者はいまより元気だったような気がする。批判精神があるということは希望があるということでもあるだろう。今から考えればいい時代だった。現代の批判は希望のない批判というところか。絶望から発する批判の声はそれだけ金切り声になる。

2021年3月 3日 (水)

ニホンでもいい

 ワープロ専用機(私は東芝のRUPOを愛用していた)の時代から、私はローマ字変換ではなくてカナ変換で、いまもそうである。キーボードにニホンと打ち込むと日本だったり二本だったりする。大分前のことだけれど、日本(いまも最初は二本と出た)はニッポンと読むことにする、などと政府が決めたような気がする。だからワープロはニッポンを正しいと教えられているのだろうと思う。

 

 しかし私にとって日本はニホンである。好みの問題で、根拠が特にないからそれほど強くこだわっているわけではない。だから他の人がニッポンと言うのに何の不満もない。そもそもニホンもニッポンもどちらも昔から使われてきたし、どちらでも通じるのだからどちらでもいいと思う。外国人にとって面倒だと言われたら、面倒でごめんね、すぐ慣れるから、といえば良いことである。

 

 はっきりしないのは嫌いだ、ひとつに統一しろ、というのは、気持ちは分かるがどちらかをもし禁止しろとまで言うならそれはどうも好きではない。あいまいさが我慢できないというのは大人ではないような気がする。

 

 念のために言えば、そもそもの読みを間違って使っているうちに慣用される例がしばしばあって、それには私はあまり寛容ではない。本来の読みにはそれなりの理由があって、それを逸脱している場合にはやはり正しい読みの方にこだわることにしている。面倒かなあ。

感度がよすぎるのか

 『9人の翻訳者』という映画をコレクションに残そうとしてブルーレイディスクにダビングしようとしたら、途中でエラーになった。「ディスクに傷や汚れがないか調べるように」ということだが、どう見ても正常なディスクである。やり直したら今度は順調かなと思ったら半分以上済んだと思われるところでまたエラーとなった。

 

 ディスク不良かと思ったので別の空ディスクに替えて再度ダビングを試みる。また同じようなエラー表示が出る。去年買い換えたばかりのレコーダーである。レンズクリーナーをかけてみた。それでもまたエラーが出る。だんだん腹が立ってきた。そういえば買ったばかりの頃に一度だけ同様のことがあったけれど、このときはディスクを替えたら解消した。もしやと思ってディスクを見てみると、タイプが全て同じものである。違うタイプのもので試してみた。

 

 今度はすんなりダビングできた。

 

 私の録画するのは全てBD-REで、繰り返し録画できる。タイプというのは表側の違いで、無光沢の塗装があるものと光沢半透明のものの違いを私が勝手にタイプといっているのである。どうもエラーが出るのは光沢半透明なタイプであるようだ。たぶんそのタイプはエラーを読み取ってしまうようだ。エラーチェックのための感度がよすぎるのだろうか。

 

 試してみたらその通りらしいことが解った。もしかしたらそういうトラブルの可能性を考慮して、最近のディスクは全て無光沢の塗装がされているのかも知れない。なにしろ繰り返し録画できるから、私の手持ちのディスクは全て五年以上むかしに買ったものばかりである。もっと古いかも知れない。

 

 理由が分かったのでとりあえず腹立ちもおさまった。溜まっている(たくさんある)空ディスクを仕分けして、同じ無駄な作業をしないようにした。

2021年3月 2日 (火)

映画『9人の翻訳家 囚われたベストセラー』2019年フランス・ベルギー

 観て損のない傑作ミステリー映画だった。超人気の覆面作家のミステリーの新作を、世界で同時発売するために出版社は9カ国の翻訳者を厳重に隔離されたシェルターに集めて翻訳を進めていく。外部との通信手段は厳重に遮断したはずなのに、その原稿が漏洩する。

 

 あり得ない事態に出版社の社長は非人道的手段に出て、翻訳者たちを強引に軟禁状態にして問い詰めていく。翻訳者たちは互いに疑心暗鬼になる。さらに厳重に情報管理したはずなのに、内部の人間しか知ることの出来ないリアルタイムの事実を含めて原稿がさらに洩れていることが判明。この謎ははたして解けるのか。

 

 漏洩のトリックはある程度予測がついたのだが、実はそこに二重三重の巧妙に仕掛けられた罠があり、その罠こそ犯人の究極目的につながっていた。

 

 タイトルバックから仕掛けられている伏線の数々、そうでしかあり得ないことを呈示しながらそれを悟らせない巧みさに唸らされる。

 

 全ての理由が最後に明かされるけれど、解った上でその伏線の巧みさをもう一度味わいたくなる映画だ。

デジタル断ち

 たった一日デジタル断ちをしようと思っただけなのに、完遂することが出来なかった。ニュースが気になって、テレビを朝昼晩の三回観た。スマホもメールが気になって数回チェックしてしまった。ただしパソコンは我慢して、日付が変わるまで一度も開かなかった。

 

 予想通り、いつもより本が読めた。ふだんの倍くらいの、延べにして五百ページほどは読んだだろうか。なにしろ四、五冊を並行して読むという読み方なので、一冊も読み終わらなかったけれど・・・。

 

 デジタル断ちは社会との紐帯を切り離すに近いところがあって、それだけデジタルは私自身に食い込んでいることを思い知らされた。これはわざわざ試してみなくても解っていることだけれど、解っていても実際にやってみなければ本当に実感できないことでもある。ただし、心底身にしみるためには全てを置いて山ごもりでもしなければならない。社会との紐帯を切ることはよほどの犠牲を覚悟しなければならない。

 

 本音では全ての紐帯を切り離してみたいのだけれど、日本の隠遁者というのはたいてい中途半端である。その隠遁者にあこがれながら夢想するだけである。

 

 ただ、液晶をほとんど見つめなかったら眼が楽になったのは想定以上の効用だった。そんな気がするだけだろうか。

サリエリですらない

 昨夜、寝床でクラシックを聴いていたら、映画の『アマデウス』を思い出した。天才モーツァルトの輝きの前に、にわかにその輝きを失っていくサリエリの悲劇を想像していた。そうして自分がサリエリですらないことに気がついた。

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