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2021年10月

2021年10月31日 (日)

選挙を娯楽にして申し訳ない

 これから晩酌。先日のせせらぎ街道行で買った土産で、大当たりだったのが「ちょいたし青じそですよ」という瓶詰めだった。いろいろある杯の中から選んで、少しだけそれを盛り付けて箸でつまみながら酒の肴にする。絶品。

 

 今日は挽肉を中華味付け(オイスターソースや豆板醤などを入れる)にしてニラを細かく刻んだものを加え、さらに卵と片栗粉を加えて混ぜる。これを中華味のスープにシメジを入れたものを煮立たせた中に小さな団子にして放り込む。大量に作っていく。浮き上がったらラー油と醤油と黒酢のタレにちょっとだけつけて、次から次に食べていく。その準備をしている。

 

 それで時間つぶしをしながら、八時過ぎの選挙速報を待っているのだ。酩酊しないようにゆっくり吞むつもりだ。

 

 下ごしらえが済んだので、笑点を観ながらこれを書いている。馬券を買えば競馬の楽しみは十倍増する。投票しないで選挙結果を見る人の気が知れない。

観るのに忙しい

 料理のレパートリーを拡げようと思って、料理番組を検索して片端から録画したら、たちまちあふれかえってしまい、観るのに忙しい。実際に自分で作る気になるものだけ丁寧に観てメモを残していく。番組によってはプロの料理の美味しそうなものを愉しむものなどもあり、それはそれで嫌いではないのだが、きりがないので録画するものを選ぶようにした。

 

 観る楽しみを楽しんでいる番組の一つに「danchu」という雑誌の編集長、植野氏の料理番組『植野食堂』がある。BSフジの番組だ。「danchu」は男子厨房に入る(入らずではない)の意味で、創刊当時はときどき購入して参考にすることが多かったけれど、惣菜よりはちゃんとした料理が多くて作るのが面倒なものが多かった。この番組では、町の居酒屋や食堂を訪ねてそこの名物メニューの作り方、ノウハウなどを教えてもらうというもので、あまりこったものではないけれど、料理の奥の深いところを感じさせてくれるし、参考になるものもある。

 

 息子や娘が来たときに、ちょっと驚かせたい料理などをいくつか身につけたいというのがいまの私の目標である。失敗を繰り返さないと身につかないのが料理だから、飽きずにチャレンジしようと思っている。外食ではなく自炊なら、道楽としては比較的に安上がりだと思う。

選挙の日

 最近は期日前投票をすることもしばしばだったが、今回は在宅しているつもりだったから、当日投票することにしていた。あいにくの雨である。やみ間を見て早めに行くつもりである。

 

 昨夕、民放のニュースを見ていたら、相変わらずここにこんなに困っている人がいる、というスタイルのドキュメントタッチの映像にかぶせて、自民党政権によって日本はこんなに貧しい国になった、弱者を切り捨てる国になった、と繰り返し語りかけていた。そうして野党の主張を称揚せんばかりの言い立てをしていたから、これでは自民党へのネガティブキャンペーンそのものではないかと感じた。

 

 私には露骨な選挙報道に見えたが、これでも許されるのがいまの日本なのだろう。マスコミに公平を期待するのはそもそも無駄なことのようだ。そういえば民主党政権が誕生した前夜がまさにこのようなものであって、だれもがそれに乗せられた。その結果がどうだったのか、忘れられない人と簡単に忘れてしまう人とがいて、また同じことが起こるのか起こらないのか。

 

 まさか今回は政権交代にはいたらないと思うが、政権運営が困難な事態になる可能性も感じられて、心配になる。これも自民党の自浄作用が働かないことのツケが回っていることともいえるから仕方のないことか。

 

 民放のニュースの無責任さはそのまま蓮舫女史のようなキャスター上がりの底の浅い正義を下支えしている。それが何をもたらしたのか、忘れられる人がいることが私には信じられないのだが。

2021年10月30日 (土)

義弟が倒れた

 妹から電話があった。数日前に義弟が路上で倒れ、救急車で運ばれたという。脳内出血で頭蓋内にかなり出血したらしい。緊急手術で命は取り留めたけれど、まだ意識は戻らないそうだ。

 

 見舞いに行きたくても、いまはコロナ禍の延長でなかなか面会は出来ないという。経過を見守るしかない。妹の娘(私の姪)はベテランの看護師なので、そういう意味では心強い。

 

 義弟は私の弟と同年齢。弟とも電話で話したが、お互いに気をつけよう、という話になった。本当に他人事ではないのだ。

映画『マクベイン』1991年アメリカ

 三十年前の映画だが、WOWOWは初登場。主演が私の大好きなクリストファー・ウォーケンだから見逃せない。クリストファー・ウォーケンの出演作といえば『ディア・ハンター』ばかりが取り上げられるけれど、私は数多い出演作の中でも、スティーヴン・キング原作の『デッド・ゾーン』や、悪魔に扮した『ゴッド・アーミー 悪の天使』なんて映画がとても印象に残っている。

 

 この人の目はクールそのもの、表情もほとんど変えない人なのに、なぜか一度見たら忘れられない顔である。

 

 この映画は戦争映画で、バイオレンスアクション満載である。ただしクリストファー・ウォーケンはあまり跳んだりはねたりしない。全てを醒めた目で見る男は自分の命さえ軽い。そしてそういう男だから生き残る、というのも納得できてしまう。

 

 おもしろい映画だったけれど、話としてはいささかできすぎで、これでは評判にはなりにくいだろう。痛快であることは間違いない。

動き出す

 延期されていた妻の転院の日が決まった。来週前半には転院とその手続きなどが全て終わるだろう。それが済めば遠出が可能になる。第六波が始まらないうちに出かけないとまた足止めを喰らうことになるのではないかと気が焦る。焦っても仕方がないのだが。

 

 兄貴分の人から電話をもらった。長老との三人旅を毎年楽しんでいたのに、コロナ禍で二年以上会えていない。長老は私より十歳年上、兄貴分の人は五歳年上だが、八十を過ぎているのに長老が一番若くて元気である。近場の岐阜県あたりの温泉に行こうよ、というお誘いである。

 

 宿代はパトロンの長老が持ち、食事代などの雑費は兄貴分の人、そして車は私が担当する。ふだん泊まれないような少し豪勢な宿に泊まれるのがありがたい。

 

 それにしても泊まりで出かけたいなあと思ったとたんにお誘いを受けるというのもタイミングが良い。兄貴分の人は、私が一人でめげているときなどに電話をくれて元気づけてくれるし、本当にありがたい人だ。こうして車で走り回るというのもあと何年続けられるかわからないことを思う。兄貴分の人も同じ気持ちだろう。

 

 紅葉にはもう遅くなるが、妻の転院が片付いたあとの11月の第二週あたりに計画を立てることにしよう。遅ればせではあるが、本格始動である。そのあとは、次は広島の息子のところか、北関東の友人を訪ねに行くか、それとも東北の温泉と遠野散策か、楽しみだなあ。

2021年10月29日 (金)

分水嶺と渓流

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せせらぎ街道の最高地点はこの西ウレ峠。標高1,113メートル。

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峠の横にはこのように分水嶺の石碑がある。ここから先の川は日本海に注ぐ。地図でたどってみると、脇を流れる小さな川は、髙山からに発して神通川に合流する宮川の支流にあたるようだ。

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分水嶺の横の木立を覗く。このあるかないかわからないほどの細流が北へ流れ下っていく。

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だいぶ下ったあたりで降りられる場所があったので降りてみた。足場が悪くて怖かった。

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淵になっているところがあって、写真以上に透明で深そうで、なんとなく不気味。

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こんなところに淵の主や河童が住んでいるのだろう。

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上まで戻る。

最後のおまけに、二枚ほど紅葉の写真。

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このあと髙山まで行かずに引き返し、『パスカル清見』と『明宝』の二つの道の駅に立ち寄って、野菜や瓶詰め二種類、干し柿、干しぶどう、明宝ハムなどを土産に買う。最近自分のために土産を買うようになった。

どちらの道の駅も朝とちがって駐車場は車がぎっしり停まっていた。これからせせらぎ街道へ向かうらしい。帰りはのんびりと長良川沿いに地道を走って帰路についた。いつもならどこかの日帰り温泉に立ち寄るところだが、まだその気になれない。

身振り手振り

 いつもは選挙前の各党の主張などに耳を傾けたりしないのだが、今回は多少は聞くように努めている。さまざまな思いが浮かぶが、本筋の主張とは別に気になっていることがある。とくに泡沫党の党首に極端だが、その主張を語るときの身振り手振りである。

 

 社民党の福島瑞穂氏などはたぶん専門の振付師でもついて指導されたのだろう、話の内容に合わせたパフォーマンスをみごとに演じていた。みごとというのは誉めているわけではなくて、まるで自分の意志で動いているというより、何かに操られてでもいるかのような動作に感心したということである。よく出来ました、というところか。

 

 しかしパフォーマンスは自分の主張を相手に伝えるものであって、私はその身振り手振りのオーバーさに呆気にとられて、いったいなにを語っているのか聞き逃してしまったのだから、あまりオーバーな動作は私にとっては有効でなかった。山本太郎氏などはもともと役者だから自ら発する動作なのだろう。しかしこちらもその動作ばかりに気が散ってしまって違和感とことばの空虚さだけが記憶に残った。立花氏にいたっては、自分が注目されること、それだけが目的にしか見えない。「NHKをぶっ潰す」と力む姿の嬉しそうなこと・・・。よかったね!

 

 結局のところ、私にはそれらの身振り手振りがまるで板についていない動作として感じられて、道化芝居にしか見えないのである。他の人にはそう感じられないのかなあ。言葉と動作がシンクロしていないというのは、ことばが空虚だ、という印象を与えることもある。それでことばが強調されてよくわかった、という人もいるのだろうか。歌の内容よりもダンスで気持ちを伝えるのが現代である。話を伝えるというよりパフォーマンスで伝えているのだろう。

 

 私はダンスがあまり好きではないが、さらにきらいになりつつある。ダンスのメッセージを受け取る感性に欠けているのだろう。

せせらぎ街道・お気に入りの場所

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せせらぎ街道のお気に入りの場所に愛車を停めて散策する。この街道は紅葉がみごとだが、車をゆっくり停められる場所が少ない。ここも十台ほど停められる場所だけれど、シーズンにはたちまち一杯になる場所である。いま朝九時半頃。帰り道では多くの車が繰り出してきていたから、ここも満杯で道路にもあふれていた。実は前日夕方のローカル番組で、せせらぎ街道の紅葉情報が放送されたのだ。来週あたりはこのあたりは大渋滞になるはずだ。私は毎年朝早く来る。今日は遅いくらいだ。

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こういう場所で、もっと向こうまで歩いて行ける。

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日差しが遮られているので、コントラストがつきすぎなくて好い。

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まだ紅葉が始まっていない木が多い。

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しっとりとして、だれもいないから静かである。

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ところどころに赤があるからこそ映える。

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紅いだけでそこが輝いて見える。

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空が明るくなってきた。紅葉は光を浴びるとさらに鮮やかになる。

2021年10月28日 (木)

紅葉を見に行く

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朝六時半過ぎに我が家を出発し、木曽川のインターで東海北陸道に乗る。いつもは一宮インターからだが、渋滞の標識が出ていたのでパスした。一宮ジャンクションは、春に事故に遭った場所で、通るのを避けたい気持ちもある。

東海北陸道を郡上まで走り、そこで高速を降りて国道472号線を北上する。郡上を通過する車が多くて渋滞している。まさかこれから向かうせせらぎ街道は朝から混んでいるなんてことはないだろうかと心配になる。

道の駅『明宝』でトイレ休憩。ここは明宝ハムで有名。名馬磨墨(するすみ)のふるさとでもある。平家物語で、宇治川の先陣を争った馬で、私は子供のときに源氏と平家の戦いの話を読んで覚えているけれど、いまの子供はそんな物語は知らないだろうなあ。

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名馬磨墨の像。

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乗馬しているのは梶原景季。

今日は晴れるはずなのにこのときは曇っていた。朝靄がようやく晴れたところらしい。まだこのあたりは紅葉らしい紅葉は始まっていない。

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さらに北上すると、明宝温泉、湯星館という日帰り温泉の横を居る。ここは好きな日帰り温泉で、以前はときどき浸かりに来た。そこを過ぎると一気に山道らしくなる。トンネルを過ぎたあたりに紅葉らしい紅葉をみたので写真を撮る。

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灌木の間の色づいた木が美しい。この下は馬瀬川の源流に近い川が流れている。これが岩屋ダムの方へ流れ下っているのだ。もうすぐ分水嶺である。

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こういう絵柄もなかなか好いものだ。

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なんとなくいつもより赤茶けた葉が多い気がする。外気温7℃。厚手の長袖を着ているが、上に羽織るものが欲しかった。道の駅『パスカル清見』をすぎて、いよいよせせらぎ街道のメインにいたる。

せせらぎ街道

郡上から髙山へ北上する道をせせらぎ街道といい、紅葉の時期には混雑する。来週あたりが最も見頃だと思うが、事情があって行くことが出来るかどうかわからない。そういうわけで今朝早く出かけるつもりである。

 

起きられるかどうかわからない。起きられたら朝のブログはこの予告編だけということになる。それなら紅葉情報をお届けできると思う。

 

2021年10月27日 (水)

漬け物

 野菜を食べなさい、と糖尿病の食事指導の先生に耳にたこができるほど繰り返されて、ドレッシングで生野菜を食べるようになった。もともと煮込んだ野菜は好きだけれど、生野菜はあまり好みではない。毎日キャベツを刻んだり、かいわれやスプラウトを食べたりしてきたが、飽きた。それで漬け物を意識して買って食べるようになった。

 

 漬け物といえば、子供のときは母の漬けるたくあんと白菜の浅漬けくらいしか食べなかった。ぬか漬けはほとんど食べなかった。茄子の漬け物が苦手で、好んで食べるようになったのは山形の一口茄子の漬け物のおいしさを知ってからだ。岸和田の水茄子も人にもらって食べてそのあまりの美味さに唸った。

 

 だから自分で漬け物を漬けようなどと思ったことがない。スーパーで白菜の漬け物のパックを買うことがある程度だ。しかし毎日となると自分で漬ける方が安上がりだし、パックの白菜漬けは開けるのがけっこう面倒くさい。そこで思い立ってネジ式の小ぶりの浅漬け器を買った。

 

 簡単なレシピもいくつか添付されていたので四五種類試してみた。たしかにそれなりに漬かる。しかしやはり白菜の漬け物がいちばん口に合うし簡単だ。四分の一にカットされたものを一回分にする。塩をしてボールに一時間ほど置いておく。上に鍋に水をいれたものを重しに乗せる。塩が少しなじんだくらいにしてから漬け物器に並べて鷹の爪を適当に挟み、ネジで押しておく。一日で水が上がってくるから少しずつ食べ始める。二日くらい経ったものがちょうどおいしい。

 

 こんなこと、家庭の主婦は普通にしていることだろうから、何をいまさら、と思われるだろうが、私には自分で漬け物が作れることが嬉しい。本当はゆずでも刻んで香り付けしたいのだが、漬け物器には柑橘類は絶対使うなと注意書きがされている。スチロール製なのだろう、柑橘類のリモネンという成分で溶けてしまうのだと思う。

 

 キュウリの浅漬けもおいしいけれど、キュウリは塩ずりしてから、すりこぎで叩いてラー油と醤油とショウガを混ぜて袋においておくだけの食べ方の方がおいしい。キャベツの浅漬けをしてみたが、案外水が上がるのが遅くて、塩となじみにくい気がする。漬けすぎて酸っぱくなったものはザワークラウトとしてビールに合うけれど、いまはビールを飲むことが少ないので、来年の夏、楽しむことにする。

予約しなくて良かった

 今週末に妻の転院を予定していたが、付き添う病院の職員の都合その他で、来週前半に変更したいと相談員から連絡があった。それは仕方のないことなので了承した。週末で手続きなどを済ませて様子を見た上で、しばらくは余裕が出来ると思い、来週にでも遠出をしようと考えていたのだが、先延ばしするしかない。

 

 友人への連絡や宿の予約などを考えていたけれど、さいわいまだ連絡も予約もしていなかった。

 

 ベランダの、バジルの鉢、パセリの鉢、ニラの鉢をきれいにした。バジル用の二つの鉢は、枯れかけのバシルを根元から引き抜き、ひげ根などを取り除いて小さなコンポストの肥料を土に混ぜて休ませることにした。ひげ根は鉢全体に網羅されていて、その生命力に感心する。ニラは花が咲いてしまったのでその部分を引き抜き、全体の三分の一くらいだけ残した。パセリも同様にして、それぞれにコンポストの肥料を脇に混ぜておいた。パセリやニラは根が残っていればまた来年も復活するだろう。

 

 そうして散らばった葉や土を掃きとって、ベランダをきれいにした。屈んで仕事をしたので腰が痛い。畑をする人はたいへんだなあと、いまさらながら思った。

金棒引き

 金棒引きとは、うわさなどを誰彼かまわずふれまわるひとのこと。たいてい嫌われているが、それを表に出すとうわさの種にされて被害を受けるから付き合いに注意を要する。たいてい近所のおばさんである。

 

 芸能リポーターというのは金棒引きだなあ、とかねてから認識していた。金棒引きを生業(なりわい)とする、などというのは私には醜業としか思えない。

 

 結婚が祝福されるのは、一歩踏み出した足を引き戻さないためだというのは皮肉に過ぎるだろうか。一人でもさまざまなしがらみの煩わしさを抱えるのが生活というもので、それが二人になれば煩わしさを分け合うどころか倍になるのが結婚生活というものである。結婚当初のしあわせは、次第に困難へと向かう。そうでないという夫婦がいるなら、それはまことにけっこうなことで、うらやましい。

 

 眞子様が眞子さんになり、その周りで金棒引きたちが騒ぎ立てていてうるさい。眞子さんは、これから生活というものに直面して苦労されることだろう。精神的な疾患というのがどれほどなのか知らないが、病気も生活の困難も乗り越えてほしいものだ。その苦労を乗り越えてもらうためにも、いろいろな思いはあるけれど、いまは祝意を述べておきたい。

 

 人には金棒引きの要素が多少なりともある。しかしそれは恥ずかしいことだと考えることが、人に節度をもたらしている。礼儀とはそういうものだろう。いろいろな思いがあっても相手に敬意をまず払うことは人間関係の基本である。それをなにごとか、マスコミはあげて金棒引きの正体をむき出しにしている。醜いことだ。

 

 日本人の敬意の依って立つ原点のひとつが、皇室に対する尊崇の念だと思う。この世のさまざまなことは実質の明らかでない、ひとびとの想念で成り立っている。皇室という存在などその最たるものだ。その尊崇の念を毀損することにつながる事態は、じんわりとしかし確実に拡がりつつある。世代が変わりながらその存在が有名無実化に向かう気がする。

 

 日本が、そして日本という国が変化しつつあることを金棒引き立ちは戯画化して示してくれているのだろうか。日本は「とっくに変わってしまっているよ」という声が聞こえる。

2021年10月26日 (火)

思い出したこと

 父は中国で働いた給与の半分を実家に仕送りしていたらしい。酒もたばこもやらないし、真面目一筋で遊ぶこともない人間だから、金は使わなかったのだろう。ところが送金を委託していた会社の総務の人がその金をほとんど着服していて、実家には届いていなかったことが戦後にわかった。そのあとどうしたのか、知らない。どのみち自分の貯えとして残っていたとしても、引き上げ時には没収されただろうから、同じことだともいえる。

 

 想像するのは、引き上げて自分の実家に戻ったとき、仕送りしていたことで胸を張って帰ったのに、冷たい仕打ちを受けたのではないか。すでに両親は亡くなって居らず、家を守っていた妹が、村でかなり肩身の狭いくらしをしていたらしい。その父の妹が、私が大学時代に世話になった叔母である。結果、父はわずかの滞在で上京したようだ。のち、紆余曲折のあと父は後妻に入っていた姉夫婦の家に居候した。大きな家で、私もこどもの頃何度か父と一緒に行ったことがある。

 

 母と結婚して最初に住んだのもこの家だったらしいし、父の一番下の弟が、シベリア抑留で帰って来たのもこの家で、母は私を負ぶってその叔父を迎えたらしい。そののち母と伯母は犬猿の仲となり、私を連れて家族三人でその家を出た。何しろ伯母と母の母(私の母方の祖母)はほとんど年が一緒だから、小姑というよりもほとんど姑であったのだろう。私の父と母は十一歳も離れていたからそういうことになる。

 

 戦時中に父の両親は亡くなっているから、戦後生まれの私は父方の祖父母を知らない。祖父は信心深かった(日蓮宗)という。山形の父の先祖代々の墓は、父が千葉県に移した。祖父母は墓碑銘に残されている名前としてだけ残されている。また、父のすぐ下の戦死した弟の名前ももちろん墓碑銘にある。祖父の遺品が実家に託された。底には祖父の宗教論の断片などが残されている。祖父はなくなるとき、赤白の(白黒ではない)幔幕を張り巡らせて、「お迎えが来た」といって死んだそうだ。村の人々が伏し拝んだ、というが、本当かどうか知らない。

父に聞いておきたかったこと

一、父は最上郡の山の中から中学校の二年生のときに、東京で大学に通っていた兄(私にとって伯父)のところに転がり込んだ。伯父も、寺の名跡を継ぐことを約束して村の住職から学費を仕送りしてもらっていたから、自分の弟を喰わせる余裕などない。父は二年ほどアルバイトして金を貯めて、中学の四年に編入させてもらった、といっていた。どんなアルバイトをしていたのだろうか。そんなに簡単に編入できたのだろうか。

 

二、父が専門学校を卒業したとき、何歳だったのか。苦学したらしく、しゃかりきに働いて金を貯めて進学したらしいから、他の人より年を食っていたらしい気配があるが、よくわからない。専門学校で中国語とモンゴル語を学び、卒業してすぐ、縁(卒業前に友人と中国からモンゴルを旅行して、その時にたまたまであった人に就職先を世話してもらったという)があって大陸に渡った。その時に就職したのは何という会社(満鉄の系列会社だということは聞いたことがある)で、どこで暮らしていたのか。

 

三、日支事変以来、現地で二度召集を受けたと聞いた記憶があるが、どの辺を転戦していたのか(山西省だという話を一度だけ聞いたような気がする)。すでに戦争が終わっていた昭和20年の九月の終わりにようやく投降して捕虜になったのだと言っていたけれど、それはどこだったのか。捕虜として収容されていたのはどこだったのか。一年あまり経ってから日本に帰ったと聞いたが、それは何年何月頃だったのか。

 

四、日本に戻ってからどんな仕事をしていたのか。母からは、友だち三人で小さな会社を作って、けっこう羽振りが良かったらしいときいているが、そんな会社はたちまち雲散霧消したらしい。その時に友人が金を持ち逃げして後に自殺したらしいけれど、そのいきさつは直接聞いたことがない。ただ、その金があれば東京に邸宅を持つくらいのことは出来たのに、とつぶやいたことがあり、母に「済んだことで愚痴を言うな」とたしなめられていた。

 

 父のルーツについて、父の弟である叔父、父の妹である叔母、父方の従兄弟の話が三者三様で、似ているところもあるが、まるでちがうところもある。本当はどうなのか、父に聞いておきたかった。案外あまり知らなかったような気もするが。

 昨晩のファミリーヒストリーは堤真一だった。途中から観たのだけれど、父との関係に、私も似たような思いでいたので、つい胸が熱くなった。

 

 堤真一の父親は60歳という若さで亡くなっているから、彼は父親との関係を修復することが出来なかった。さいわい私は父が長命だったので、私自身が子供をもうけてから、多少は父の気持ちを忖度することが出来るようになった。

 

 堤真一が、バカだったなあ、と自分をふり返っていたけれど、私も父の気持ちを思いやることが出来なかったことについて、バカだったなあ、という思いがある。父が私をどう見ていたのか、断片的には記憶している。そのことを思い出すたびに父のことを何も知らなかったし、知ろうともしなかったことを後悔している。そうして父の人生の多くが父とともに消え去ったのだから。

2021年10月25日 (月)

ノート

 娘のどん姫が置いていったノートがたくさんある。全くの新品と、最初の数ページだけ使ったものをさまざまに活用している。普通のメモ帳は古いカレンダーやプリントアウトした紙の裏を使って、使い捨てのものを作ってあるが、記録を残したいものにそのノートを使う。テレビで見た名所やお店などをメモしておく。別のノートには読みたい本を書き出しておく。妻の病院とのやりとりなども、日時とともに記録しておく。春の追突された事故などでも、保険会社とのやりとりは全てメモしてある。連絡先、名前などもそれを見ればわかるようにしてある。

 

 歳とともに物忘れがひどくなるから、そうしておかないと困ることになる。ノートはそういう意味でありがたい。パソコンや携帯に記録すれば良いと言われるかも知れないが、たしかに入力は手書きよりもそのほうが早いけれど、私は本質的にアナログ人間なので、データベース的な遣い方までするのでなければ、手書きのノートが手放せないし、そのほうが好きである。

 

 いま活用しているのは、少女雑誌の付録か何かだったのだろうか、可愛いイラストの表紙で、中のページにもちょっとイラストのある、小さなノートである。ここに本で読んだ、おいしそうな料理のレシピなどをときどきメモしていた。たいていは酒の肴になるような、手軽に作れる料理である。

 

 このごろは料理番組のいくつかを録画するようにしている。それを観ながら材料が簡単で自分でも作れそうな料理をそのノートに書き加えている。面倒そうなものや、材料が簡単に手にはいらなさそうなものはパスする。書いただけでは語学を学ぶのと一緒で、何も身につかない。そのうちのいくつかは実際に作ってみた。二度三度作ると少しずつ自分流にアレンジできるだろう。

 

 作ってみなければレシピはただの情報でしかないのだが、食べてもらえる人がいたらもっと作る意欲が湧くかも知れない。我が家は料理人兼食事客で、一人二役である。作ってみて味わう、それを楽しめると何よりなのだが。

まだ出さない

 マンションの躯体は夏の予熱を残しているらしく、外気温はずいぶん下がってきているのに、早朝でも室温は20℃をまだ切らない。それでも足元に薄ら寒さを感じるので、そろそろ炬燵を出したい気もしている。

 

 しかし一度出してしまうと、いま以上に炬燵守(もり)になってますます動きが減少するので、11月になるまではまだ出さないことにしている。

 

 昨夕、NHKで竹内まりあの特集をしていた。大好きな竹内まりあのその才能が、思っていた以上のものであることに改めて感心しながらその歌をたのしんだ。もちろん録画もしたので繰り返し観ようと思っている。彼女はいまでもとてもチャーミングだ。

 

 最近の歌の中に知らないものもあったが、ほとんどが耳にしたことのあるなじみのものばかり。CDのアルバムを数枚持っているし、ドライブのお供に何度聞いたことか。私の最も好きな歌は『駅』。これがもともと中森明菜へ提供した歌だとは知らなかった。この歌詩の意味をいつも考えながら聞いてきたので、私はこの歌を聴くとき女性であり、「むかし愛していた」、隣の車両にいる男を、彼女の視点で眺めている。

 

 なんだか心身ともに気怠い。別に体調が悪いわけではないけれど、読書も映画鑑賞もする気にならない。何もする気にならないのである。動きたくなるまで暇つぶしでもしながらじっとしていることにする。さいわい今日は終日雨らしい。こういうとき、猫でもいいから話し相手があると、ずいぶんありがたいのだけれど。

2021年10月24日 (日)

住所がない

 池内紀の本(『私はこうして読書をたのしんだ』)という本の中の坂口安吾について書いた文章(『メランコリーを方法として』)の中にこんな部分があった。

 

昭和22年、坂口安吾41歳のときの文章から引用されている。

 

「私は先ごろパンパンガールと会談した」
 そんな書き出し、土地の親分の案内で、彼女らのたまり場の喫茶店で話をした。それをひそかに速記の名人が速記にとったという。
 戦後、アメリカ軍の進駐とともに生まれた女たちで、唇にまっ赤な紅をぬり、けばけばしい化粧が特徴だった。兵営の入り口や駅前にたむろしていた。焼け跡、闇市の一点景であったパンパンについて、はっきりと主題を要約して言うのである。
「パンパンガールは総体的に明るい」
 わが国にかつてなかった性の売り手だというのだ。何よりもこの女たちが「無邪気であり、明るい」こと。
 これを言うには勇気がいったはずだ。度胸がいった。何しろパンパンは世の人々、とりわけ世の母親たちの猛烈なヒンシュクを買っていた。シロウトのくせに、みさかいなく男と寝る女、これは市民社会からの不幸な落ちこぼれであり、すさんだ境遇にあって、とうぜん、陰鬱な存在であるはずのものだった。
 安吾はまるきり逆を言う。彼女たちの無邪気さ、明るさを語り、その原因は何よりも「住所がない」ということからきているという。したがって何にも束縛されず、だれにも気づかいすることもない。青天井の下の自由さ。

 

 私が中学生高校生のころ、全てのしがらみのない場所への逃避を夢見たのは、この「青天井の自由さ」にあこがれたからだったのではないか。田舎から大挙して若者が都会へ移り住んだのは、就学や就職がきっかけではあっただろうが、根底にはこの青天井の自由さにあこがれてのことではなかったのか。「住所がない」ということは、住むところがないという文字通りの意味とともに、田舎の、過去からのさまざまなしがらみを伴うものとしての定住所のことだったのではないか。

 

 前回のブログに書いた同窓会のことにもこのことはつながっている気がする。特に小学生時代の同窓会では、仕切っているのは私のこども時代を過ごした地方の町にずっと住み続けた級友達であり、彼らの話題は子供時代から現在まで間断なく連続しているのである。私はだれよりもよそ者でしかないのを感じる。それが居心地の悪さとなっている。

 

 故郷の祭りにたまたま行き会えば、元気よく祭りを仕切っている知人の顔を見る。眺めている私はこの地の者でもよそ者でもない、宙ぶらりんの者である。目の前に見えているものが遠い。

 

 この世に生きていれば、「青天井の自由」などというものはない。そのことを求めて得たものは孤独という名の、居心地の良い、自分だけの世界だった。それに耐えられる人、そうでない人によって、世界の居心地そのものがちがうのだろうなあと思う。

 

 坂口安吾を引用して池内紀が言いたかったことと私が連想したことは全くちがうような気もするし、究極的には同じことのような気もした。世界がどんどん個人という砂粒に分解しつつある原点のようなものを感じている。世界は明るいか?

同窓会

 手紙はなかなか捨てられない。いまは整理するほど手紙をもらうことがなくなったが、それでも状差しにはいつの間にか溜まっている。中に同窓会の案内があった。コロナ禍で予定した同窓会が開けずにいたけれど、そろそろ予定したい、ついてはいついつというものが三通。小学校の同級会と、大学のOB懇親会、高校のOB懇親会の案内である。

 

 私はある時期から一切同窓会に出ていない。居心地があまりよくないのだ。なんだかその時代の自分といまの自分が、全くちがう人間になってしまった気がしているので、他人から見える過去の私と、いまここにいる私自身がずれていることに面倒くささを感じてしまう。面倒くさいというのは、その変化を説明することが煩わしいということである。

 

 もちろんだれでも昔とは大きく変わっているが、そういう変わりようと自分はちがうのだ、という思いがある。そんなものはだれでも同じだと、雑に考えることが出来ないこともないが、そうする気にならないので同窓会の案内には欠席の返事を書く。

 

 もともと名古屋へ移ってからは、大学のOB会以外は転居通知を出していなかったから、そういう案内も沙汰止みだったのだが、余裕の出来た十数年くらい前から、私の実家の方に案内が行くようになった。そうすると両親が心配して、転送してくれる。そういう懐かしいものになぜ参加しないのか、というのである。だから転居通知を出したので、いまは直接来る。

 

 小学校の同窓会には二、三度行った。恩師に会うのは嬉しい気持ちがするが、級友達とはあまりなじめない。だからもう行かない。高校のOB会は一度も行っていないのだが、いまは親しかった男が幹事で、来ないと知りながらしきりに誘ってくれる。大学のOB会は、若いときは学年幹事をしていたくらいだから、それなりの役割は果たした。いまは寮で親しかった二、三の友以外とは付き合いはなくなった。

 

 寂しくはないかと聞かれれば、ちっとも寂しくないと答えるしかない。

2021年10月23日 (土)

踏ん張り

 自分ではバランス感覚が衰えたと思っていたが、どうも踏ん張りがきかないために傾いた身体を元に戻しきれずによろけているらしい。

 ところで、精神のバランスはどうだろうか、偏った情報によろけてしまっていないだろうか。

 世のなかはずいぶん傾いたまま歩いているように見えるひとがいるが、傾いているのは私の方なのか。

 友人たちと酒を飲みながら自分の考えを語り合って補正してきたものだが、今はそういう機会がなくなってしまった。踏ん張りがきかない自分になってしまったかも知れない。個人的事情が一段落したら、友人のところへ行こうかと思う。

 それに念願の九州日田への旅も年内には断行したいと思っている。

岩屋ダム

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輪やダムは発電を主な目的としたダムではない。電力会社ではなく、水機構が管理している。

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ロックフィル式のダムである。この地区にはロックフィル式のダムが多い。御母衣ダムもそうである。

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下流川を見下ろす。この川は馬瀬川。

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ダム湖の周りには整備された道がめぐっている。

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晴れた空を映して湖面が青い。

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ダム湖がダム名の湖ではなく、『東仙峡金山湖』と名付けられているのがいいではないか。

このあと遠回りをしてしばらくダム湖沿いに北上し、途中から国道41号線に向かって帰路についた。

妙見神社前の渓流

岩屋岩蔭遺跡のすぐ下を流れる渓流へ降りてみた。ここから少し先に岩屋ダムがあり、そのダムから流れ下るのは馬瀬川で、その間瀬川は飛騨川の支流であり、さらに飛騨川は木曽川の支流である。しかし地図で見てみると、これから降りる渓流は馬瀬川のすぐちかくなのに馬瀬川には合流せず、飛騨川に注いでいる。

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両側から木が覆い被さり、木下闇だが、石が白いので天地の明るさが逆転して見える。

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細い流れが流れ下っている。雨が降ればたぶんたちまち増水すると思われる。

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こういう石は上から大水のときに流されてきたものだろう。飛騨川は特にそのような大石が多い。たぶん巨石群もそのように転げ落ちてきたものではないだろうか。

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小さな淵になっている。足元が悪いので転ばないように細心の注意を払う。転んだらすりむく程度では済まないかも知れない。

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これ以上行くのは、私には少し危険なのでここまでとした。

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本当に透明な水。美しいような不気味なような・・・。

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地層が縦になっているのか、単に岩が縦割れしているのか。

水のそばにいると心が静まる。満足して車に戻った。

最後に岩屋ダムに立ち寄って帰ることにした。

2021年10月22日 (金)

岩屋岩蔭遺跡

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国道256号線を東に走り、和良金山トンネルを抜けたので、美濃から飛騨に入ったことになる。次のささゆりトンネルという長いトンネルの手前で県道86号線に移る。これは岩屋ダムの堰止め湖である東仙峡金山湖へ行く道だ。そこから少しだけ横道へ入るとこの伊湯屋岩蔭遺跡に到る。

ここへは一度来たはずだが、随分前のことでよく覚えていない。

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まずこの妙見神社の坂道を登る。ご神体が巨石である。

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実物はもっと大きくて圧迫感がある。

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すぐ手前まで行き、下から見上げる。

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そこから少し降りて山道沿いに歩く。巨大な石がゴロゴロしているので、さわれるものにはさわりながら行く。

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どうしてこんなに大きな石がゴロゴロしているのか不思議だ。

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ほぼ下まで降りた。ここらは飛騨川水系なので、ここはむかし谷だったのだろうか。

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降りてきた方を見上げる。

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石の間を通ってみたりする。

このあと、この下の渓流まで降りてみた。渓流の写真は次回に。

戸隠神社の巨石と念興寺

和良町の戸隠神社巨石群は神社右手の森の中を少し登ったところにある。

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横岩。

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滝口岩。どうしてそう名付けられたか、見ただけではわからない。

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途中にフェンスがあって、それ以上登れない。たしか男岩がこの上にあるはずなのだが。この岩は曲岩。

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これは女岩だったと思う。大きい。

ほかにもいろいろあるが似たようなものなのでこれまでとする。

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神社の左横に行ってみた。秋の日が斜めに射している。このあと、鬼の首を見ることが出来るという寺が近くにあるので行ってみた。

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瓢ヶ岳(ふくべがたけ)という山がこのあたりにあり、東海北陸道にはその名前のパーキングエリアがある。鬼の首を見ることが出来る念興寺の下にこの駐車場がある。

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念興寺。

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本堂。珍しい緑色の屋根瓦。

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残念、見ることが出来ず。水曜日が拝観できない日であることを確認して、この日(木曜日)にしたのに。

もちろん観ることが出来ても撮影は不可だっただろう。

このあと、このまま下呂方面に進み、岩屋ダムのダム湖の横にある、岩屋岩陰遺跡を見に行く。ここはさらにすごい巨石群を見ることが出来る。

気が乗らない

 夜早く就寝するようになったので、毎朝、四時から五時には起きる。それからテレビのニュースを見たり、ほかの方のブログを読ませていただいたり、ネットニュースを眺めたり、朝のブログに何を書くか考えたりする。すぐ書くこともあれば、朝食の支度を先にすることもある。これが在宅時の私の朝のルーティンである。

 

 今朝はいささか寝坊した。そのせいばかりではないが、なかなかブログを書く気にならない。気が乗らないときというものはあるもので、無理にでも書き出せばひとりでに書けるけれど、そんなことを繰り返すとブログを書くことそのものに嫌気がさしてくるのは過去経験済みである。

 

 そういうわけで、今朝のブログはその気分のことを書くことでお茶を濁すことにする。

2021年10月21日 (木)

和良町・戸隠神社の重ね岩

巨石のある神社、和良町の戸隠神社へ行った。

一宮・木曽川インターで東海北陸道に乗り、うだつの町並みで有名な美濃インターで降りる。そこからいつもの国道156号線で木曽川沿いに郡上八幡まで走る。郡上八幡まで東海北陸道を行けば早いけれど、高速代の節約である。国道156号線を郡上で右手に折れて、国道472号線を行く。そのまま行けば髙山だが、途中から国道256号線に乗り換える。ヘアピンカーブが連続する急登の道だが、センターラインのある走りやすい道だ。CX-30の馬力は満足のいくもので、すいすいと登る。標高560メートルの堀越峠を越えれば緩やかな下り坂。この道は美濃と飛騨を結ぶ道である。

戸隠神社に到着。やはり来たことがある神社だった。それも比較的に最近のことである。来てみてそれがわかるのというのも情けない。

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ここの祭神は手力雄命(たぢからおのみこと)。

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来た方をふり返る。

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正面が拝殿。

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ここはパワースポットだそうだ。そしてここのメインは重ね石。

素戔嗚尊(すさのおのみこと)の乱暴狼藉に立腹して天照大神は天岩戸に隠れてしまう。太陽神だった天照大神が隠れたために地上は闇となる。困った神々がいろいろ工夫して閉じこもった天照大神を再度出てきてもらおうとする話はだれもが知る日本神話だ。その時、天岩戸を怪力で引き開けたのが手力雄命であり、引き開けた天岩戸を放り投げ、それが宙を飛んで信濃の戸隠神社まで飛んでいった。

その天岩戸のかけらがこの和良町に落下して、巨石の上に重なったのだという。

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これが重ね岩。かけらでこれだけ大きいのだ。

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奥殿の横にこのように鎮座している。

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少し高いところに登って見下ろすと、このようにわずかな接点で上に載っているのである。なんと片手で動くというのだが、やってみなかった。

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和良町パワースポット案内図。右上の巨石をこれから見に行く。それは次回。

昨夜の満月

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昨夜の満月。

交換、移る、出かける

 昨日は夏物を洗濯し直してタンスにしまい、秋冬物を取り出しやすい引き出しに入れ直した。布団も入れ直して秋冬モードにして布団乾燥機を掛けた。洗濯物でベランダの三本の物干し竿は満艦飾となった。掃除機を掛け、扇風機をしまい、そうなると勢いがついて、オーブントースター(結構大きい)や電子レンジ、電気釜を全て取りのけて周辺も拭きあげ、使ったタオルがよごれ倒した。それだけふだん掃除していないのである。

 

 フローリングのワックス(拭き上げ兼用)まで考えたが、ここら辺で体力が尽きた。タオルは捨てるほどあるので、いくらでも使えるのだが、貧乏性でよほど傷んでからでないと捨てられない。寝たきりになったらタオルも役に立つだろうと思う。

 

 妻の入院している病院から連絡があり、転院は月末に決まった。そのための初期費用がかかるから、少し早いけれどおろしに行った。妻の年金が思った以上に今年度から減っているので、少し不安を感じるが、仕方がない。妻とは完全に別会計にしていて、妻の費用は全て完璧に記録に残している。別居中に私が仕送りしていたものは、妻の親が貯金として貯めておいてくれたので、それと妻の年金と妻の親がわずかながら遺産として残してくれたものが彼女の通帳のお金の全てである。妻の年金を超える入院費用はそこから取り崩していき、なくなれば私の貯えを使うことになる。あと何年、別会計が続けられるだろうか。

 

 今日は、以前行こうと思っていた巨石のある神社へ行ってみようと思っている。一度行ったことがあるような気もするが、行ってみなければわからない。そこから先に古代の巨石の遺跡がある。こちらは一度、十年ほど前に訪ねた記憶がある。

2021年10月20日 (水)

千本斬り

 京都の五条大橋で、弁慶が牛若丸に打ち負かされる話は有名だが、弁慶はこの橋を通る者から刀を奪い、千本集めることを目標にしていて、千本目が牛若丸の刀だったということになっている。

 

 千人斬りということばもある。これは千人斬り倒すという意味ではなくて、性豪がとっかえひっかえ交わった女の、その数、千人達成を目指すことを言う。ご苦労様なことだ。そういえば女性が目指すとすると千本斬りと言うらしい。私もお役に立てれば一本か。千本斬りと千人斬りが千人集まって互いにとっかえひっかえすれば達成は容易で、本人にとっても社会にとってもめでたいが、想像すると笑えてくる。

 

 私は弁慶でも性豪でもないから、別のものを目指そうかと思う。たとえば本なら千冊斬り、映画なら千本斬りである。

 

 本については、三十年ほど前に、可能な限り読んだ本と持っている本をデータベース化したことがある。その時に七千冊ほどだったから、たぶん千冊ではなくて、すでに一万冊を超えていると思う。あのデータベースはたしかフロッピーディスクに保存してあったと思うが、とっくに捨ててしまった。本の数は処分したものの方が多いからあらためてチェックしようがない。

 

 そもそもそのような目標は、思い立ったとき以降のものを数えないと収拾がつかないことは過去の経験で承知している。そこで映画に思い至った。映画についても子供の時から観た映画を数えれば、とっくに千本を超えているはずで、こちらもむかしは毎年出ていた雑誌の映画年鑑(外国映画版と日本映画版と二冊あった)を買って、それに観た映画をチェックを入れていたものだ。だからどれだけ観たか見当がつく。劇場で見たものとビデオで観たものとをわけていた。

 

 これも遡って数えるつもりはないので、二週間前からあらたに観たものから番号を振りながら記録していくことにした。名付けて映画千本斬り。

 

 今日観た『人数の町』が二十本目である。だいたい三年で千本は達成できるかと思う。なにしろ録画したものが溜まりすぎているから、それを消化するためにも目標があった方がよかろうと思ったのだ。ただ消化することが目標になってしまうと、楽しみが損なわれる懼れがないとはいえないが、励みになるかも知れないからよしとする。

映画『人数の町』2020年日本

 WOWOWの解説には「SFミステリー」とジャンルわけされているが、舞台は現代である。町を勝手に出なければ衣食住が保証されるという架空の町(どうもひとつではないようである)には、普通に生きることが出来なかった人たちが全てを捨てて、集められている。

 

 主人公(中村倫也)もその一人で、当初は戸惑いだらけだが、もともと投げやりに生きてきた人間ただから、そんなものかと思いながらそこでの暮らしになじんでいく。ただ、心の底ではどうしても違和感が拭えずにいるところが他の人とはちがうところだ。

 

 いろいろな人間と関わるうちに自分に少しずつ目ざめていく。多くは次第に自分を失っていくのとは逆である。そして、目的があってこの町にやってきた女性と関わるうちに、その女性と町から脱出することを目指すようになる。

 

 そこから物語は急展開していく。

 

 主人公の意識の変化が描ききれていない。投げやりな性格が、積極的に生きることへ転換する部分こそ、丁寧に描かないと、同じ人間ではないように見えてしまう。

 

 ラストの「この町は自由だ」と言う言葉は、「現実世界が不自由だ」と言っているのと同じ意味だろう。

 

 この町の存在意味、役割についてさまざまにキャプションが入るのがとても象徴的で、その部分にはリアリティを感じる。

 

 それにしても日本映画は疲れる度合いが大きいのはどうしてなのだろうか。字幕がない分、のめり込むからだろうか。読むのがたぶん他の人より早いから、私は字幕を負担に思うことはない。

池内紀『池内式文学館』(白水社)

 書評は取り上げた本や文章について語ることであるけれど、しばしばすぐれた書評はすぐれた作家論でもあり、作品というため池の水をすくいあげているうちにその池底の沈殿物まで見せてくれる。

 

 この本ではそれぞれ取り上げた一冊について語るために、関連したり連想された本が何冊も取り上げられ、そこに通底する何ものかを語り、時代を語り、作家の生い立ち、性格を語り・・・それらが数ページから十ページ前後の中に凝縮して収められている。

 

 読んだことのない人の本も多いけれど、好きな作家の好きな本もあって、読んだものは読み直したくなり、関連の本はもちろん、未読の本も読んでみたくなる。

 

 森鴎外、夏目漱石、永井荷風、坂口安吾、内田百閒、佐藤春夫があり、柴田錬三郎、池波正太郎、田辺聖子、赤瀬川源平、嵐山光三郎、宮本輝がある、といったぐあいである。小沢昭一、別役実なんかもあって、楽しい。

 

 しかし同じ本を読んで、どうしてこれほど読み込みの深さの違いがあるのかと、自分の読みの浅さに情けない思いがするが、詮ないことか。

2021年10月19日 (火)

寿命を縮める原因

 身体はいろいろな部分で構成されていて、全体が丈夫なら長生きするけれど、ほとんどがひとより頑丈に出来ていても、どこか一つだけ劣化して使い物にならなくなると命取りになる。

 

 私の寿命を縮めるのは糖尿病かと思ったら、案外悪化せずに済んでいて、いまは泌尿器系が私の寿命を決めそうだな、と感じている。朝一番の小便がときどきすごい色をしているときがある。濁った濃い醤油のような色をしていたりする。見ただけで精神的にダメージを受ける。腎臓から膀胱を洗うつもりで過剰なくらい水分を摂取すると、色が薄くなり濁りも消える。泌尿器系にずいぶん負担がかかっているはずである。

 

 現役中は営業で、あまり時間的余裕がなかったりついトイレに行くのを怠ったりし続けたので、半日くらい全くトイレに行かずにいることになれてしまった。夜、ビールをバカ吞みしてもあまりトイレに行かない。そうして翌朝大量の小便が出る。これで泌尿器系を洗っていたのだ。いまはそれほどビールを飲まない。泌尿器科の医師に、「少し頻尿になってもいいから、こまめにトイレに行きなさい」とアドバイスされて、いまは家にいることが多いからそのアドバイスに従っている。

 

 調子の悪いときもあるが、最近はきれいな小便のこともある。そういうときは元気になる。頻尿で困るのは出かけるときだ。いつもトイレを意識しないと行けない。父などはそれがいやで出不精になった。いつも小便を意識しなければならないというのは哀しいことだが、なんとか健康を維持するためには仕方がない。一番先に劣化している場所をとにかく長持ちさせないといけない。

映画『ザ・ゲスト』2014年アメリカ

 息子が戦死して悲嘆に暮れる家族のもとへ、息子の戦友だったという男が訪ねてくる。礼儀正しく優しそうな男は慰留されてその家に泊まる。戦死した息子には年頃の娘と弟がいて、それぞれに問題を抱えている。男はそれらの話を親身になって聞き、家族の信頼を得ていく。家族には信頼されるその男が、観ているこちらにはなんとなく不気味な存在に感じられてくるのは、主演のダン・スティーヴンスの演技と監督の演出、そして脚本がすぐれているからだろう。

 

 男にはすさまじい戦闘能力があることが次第に明らかになっていく。そして善悪の基準が世間常識から少し逸脱していることも見えてくる。やがて家族の周辺でさまざまな事件が起き始める。

 

 ラストは想像を超えるショッキングな展開となっていく。

大きな幼稚園

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春から、ここにあった幼稚園が解体され、一度更地になったあとに建設が始まった。写真はベランダからの景色である。以前あった園庭は見当たらず、たぶん屋根付きの中庭式になると思われる。塀ギリギリまで建屋で、以前よりもずっと大きな建物なので、工事のひとに確認してみたらたしかに幼稚園を建てているのだそうだ。

日曜日以外は工事の音がずっとしている。エアコンを使っているときは締め切っているので音はあまり聞こえないが、涼しくなったので窓を開け放しているから、けっこううるさい。これだけの建物に収容するとなると、ずいぶんたくさんの園児を集めるのだろうなあ。園庭の子供たちの歓声があまり聞こえない幼稚園が出来そうだ。

2021年10月18日 (月)

転院先が内定

 現在入院している妻の病院から施設への移動を要請されているが、本人がどうしても施設入居を了承しないので、次善の策として転院先を探すことになっていた。いろいろ病院でもあたってくれていたが、ようやく受け入れ先が決まりそうだとの連絡があった。いまの病院からそう離れていないから、移動は楽そうである。

 

 費用について概算の説明を受けたが、いまの病院よりも三万円弱高くなる。それでも施設に入るよりも安いから、了解した。こちらとしては出来ればなるべく長くおいてもらえるところを希望だけれど、最初にそれを言いすぎると受け入れてもらえないので、黙っていた。

 

 受け入れ準備その他が整ったら転院となる。たぶん今月中だろう。入院当初の保証金などの準備をしておかなければならない。遠出したいと思っているけれど、それが片付いて落ち着くまでは無理だ。もちろん片付けば、しばらくは私も心穏やかな暮らしが出来るだろう。ネットの口コミで評判を見ると、小さい病院だけれどスタッフは親切だという。評判通りならありがたいが。

映画『騙し絵の牙』2021年・日本

 主人公に大泉洋を当て書きして原作が書かれ、それをもとに映画が作られた。出版業界が舞台の物語だが、ある出版社の内部の権力闘争を描きながら、出版業界や本屋のおかれている状況が見えてくるしかけになっている。

 

 廃刊の窮地に立つ雑誌の立て直しのために、他社から引き抜かれてやってきた新編集長(大泉洋)は、旧態依然たる出版社内部に波乱をもたらしていく。観念論だけでは経営が成り立たない事態に、なお理想に固執するグループを出し抜き、斬新なアイデアを次々に繰り出して雑誌の部数を回復させていくのだが、そこに事件が起きてもくろみは頓挫したかに見える。

 

 彼の役割がラストに明らかになるのだが、飄々としているように見えながら実は計算づくの理知的な男を大泉洋が好演している。共演の松岡茉優もなかなか好い。本好きにとっては出版界に興味がないことはない。最近はほとんど新刊を買わないから、出版社にも本屋にもあまり縁がなくなりつつあるけれど。

 

 小品ながら、日本映画としてはできが好いほうだと思う。

靖国参拝

 大正三年生まれの父は語学の専門学校を出てすぐに中国に渡り、二度にわたって召集されて従軍した。戦友の多くは戦死し、弟(私の叔父)も戦死している。父は朝日新聞を愛読し、朝日新聞的思考をする人間だったけれど、靖国神社には機会あるごとにお参りした。戦友や弟を弔うためであり、靖国に彼らの御霊がいると考えていた。

 

 私も二度ほど一緒にお参りした。父も私も戦犯が祀られているからお参りしない、などという考え方はしない。祀るべき人が祀られているから祀るだけのことだ。他人にとやかく言われることではないと思うし、とやかく言う人間にはそれなりの理由はあろうけれど、しばしばそれが政治的プロパガンダの道具に使われるのは苦々しいことだと思っている。参拝を政治的に利用する人間も腹立たしいと思っているのはもちろんである。

 

 鎮魂の思いを非難すると、どうして正義になるのかわからない。

 そういえば、母方の祖父の兄は職業軍人で、海外で戦犯として処刑された。詳しい事情はわからない。中学生になっていこう、私が祖父母の家に泊まるときの部屋にはその大伯父の勲章をつけた肖像写真がかかっていたものだが、いつの間にか外されていた。

2021年10月17日 (日)

映画『狼の死刑宣告』2007年アメリカ

 ケヴィン・ベーコン主演のバイオレンス復讐映画。一般人の主人公が、目の前でギャングに息子を殺される。しかし犯人は罪らしい罪に問われることなく解放される。そこから意図せずに彼の復讐が始まる。物語は次第にエスカレートしていき、彼自身が変貌していく。

 

 アメリカの犯罪社会の闇の深さ、普通の人の反撃は蟷螂の斧であり、警察はほとんど助けにならない。チャールズ・ブロンソンの『狼よさらば』を思い出すが、これがアメリカの現実なら、アメリカに住むのはおそろしい。

 

 後半では死を超越してしまった主人公が、ギャング団に対して戦いを挑んでいく。物語だと思うから痛快だけれど、こんなことはたぶんないのだろう。つまり泣き寝入りせざるを得ないのがアメリカの社会だとしたら、地獄だ。日本にも実はそういう陥穽が潜んでいるのかも知れない。

 サル顔のケヴィン・ベーコン、好きだなあ。

理由は

 新型コロナ感染の第五波は急速に衰退している。第六波が必ず来ると言われているが、いままでの感染症の実例から考えてそれは間違いないだろう。気を緩めることなく自衛に努めることにしよう。

 

 ところで第五波の急激な拡大について、専門家はあれこれと理由を述べてその対策を呼びかけていたが、その対策というのがほとんど人流抑制ばかりであった気がする。では急速な縮小について、専門家の方々はどう説明するのだろうか。ひところ毎日のように登場していた専門家が最近はとんとテレビに出なくなったので、専門家の見解を知ることが出来ない。やはりワクチンが有効だったということでいいのか。それなら第六波が来たときにどう説明するのだ。

 

「わからない」のか、別に「なるほど」と思うような理由が語られているのか知ることが出来ない。マスコミというのはことほど左様に尻を拭かずにトイレから出てくる輩の集まりなのであろうか。減少の理由がはっきりすれば、対策の参考になるはずで、どういう対策が有効だったか、検証が絶対に必要であろう。新型コロナウイルスに聞いてくれ、ではお粗末に過ぎないか。

 

 心配なのは、今回の新型コロナウイルスとはちがうウイルスが次の出番を待っているような予感がしてならないことである。感染力が高かったり、致死性が高かったりするウイルスが出てきたときのことをいま考えておかなければならないが、どうもそのへんを真剣に考えているように見えない。

 

 そもそもSARSやMARSで対策を強化する予定だったものを事業仕分けで予算カットをしたのはだれなのか。政権を取り戻してもその見直しをせず放置したのはだれなのか。統合縮小を余儀なくされて、保健所が対処不能になったのも、ワクチンなどの開発が立ち後れたのもそこに遠因があるのに、与野党とも知らんぷりである。また同じ失敗を繰り返すに違いない。

散歩

 健康ドームと呼ばれている、街の多目的総合体育館を中継点にして一回りしてくるのが私の散歩コースの一つである。五キロ弱くらいか。ゆっくり歩いて約一時間ほど。いつもは健康ドームで休憩するからもうチョイかかる。ところがコロナ禍で、休憩場所が閉鎖されているのでしばらくここには来なかった。そろそろ閉鎖はとかれているだろうと期待していってみたのだが、残念、まだ閉鎖されたままである。なんでー・・・。

 

 というわけで休憩なしで歩いたのでくたびれた。

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ドームへ向かう途中に糖尿病と泌尿器科の検診に行く病院があり、その辺りから先はまだ田んぼが残っている。半分以上は刈り入れが終わっていたが、ここはまだこれからのようだ。

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この田んぼも刈り入れはまだ。よく見ると、雑草がかなりまじっている。手入れがされていない田んぼのようだ。そもそも収穫を目的をしていない田んぼがあると、いつも拝見している「けんこう館」様のブログで読んだことがある。これもそのような田んぼなのだろうか。

2021年10月16日 (土)

投票を有料にする

 投票率がどんどん下がり続けている気がする。30%台などという選挙にどれだけの有効性があるのか疑問に思うひともいるかも知れない。そこで思いついたのだが、ただほど高いものはないのだから、投票を有料にしたらどうだろうか。

 

 投票のために一定の料金を支払うのである。一万円でもいいし、千円でもいい。毎回払うのは負担だから、一度支払えば、次からは無料とする。ただし次の選挙に行かない場合はその権利は失効する。次回はまた料金を支払う必要がある。国政選挙に限定するかどうかは議論をすればいいと思う。一回目だけは支払いを公的義務としてもよい。その代わり何らかのポイントで補填すればよいだろう。

 

 投票に最初から行く気のないひとほど、このような試案に反対するだろうと想像される。世のなかはそういうものである。それなら投票に行けばいいだけのことなのだが・・・。

「あれもこれも」か「あれかこれか」か

 昨晩のBSプライムニュースで、各党の代表が論戦をしていた。衆議院選挙についての各党の考え方を伝える場だと思ったので、いろいろ腹立たしい部分もあったけれど我慢して観ていた。

 

 立憲民主党の森ゆう子議員はいつものように感情的で他にたいする敬意などかけらもない言い方をしていて、これでは立憲民主党にとってマイナスだと思ったけれど、それは私の受け取り方で、ここまで攻撃的なことに快哉を叫ぶ人もいただろう。例によって、周辺国と話し合え、といっていた。話し合える部分はすでに話し合っているし、話し合えないことは話し合えないことはすでにだれにでも明かだが、彼女は政府は全く話し合っていないと決めつけている。

 

 この論戦で感じたのは、個別の部分ではなく、表題のように、一部野党、特に立憲民主党、共産党の「あれかこれか」というものの考え方と、与党の「あれもこれも」という考え方である。

 

 キルケゴールはヘーゲルの弁証法哲学に反対するために、弁証法の「あれもこれも」を批判して、「あれかこれか」と主張した。弁証法とは、「あれかこれか」の問題を「あれもこれも」に変換するインチキだと見做したのだ。しかしこれは神を絶対化する彼の立場によるもので、はたしてキルケゴールが立憲民主党や共産党に与するかどうかわからない。

 

 成長と分配という論点についても、自民党や公明党は、「あれもこれも」で、立憲民主党や共産党はまず分配ありき、つまり「あれかこれか」に終始していた。たいていの論点がこのようなものであったのがいまさらながら興味深かった。

 

 世のなかは「あれもこれも」で満ちていて、どちらかが絶対的に選択すべき問題などほとんどないのは、実世界を生きている大人なら承知しているはずだが、政治の世界では違いを際立たせるために「あれかこれか」を旗印にすることがある。それが実際に実行するとなると無理だったことを、旧民主党の人びとはいまだに経験として学んでいないのだなあ、と感じた。

 そういえば、立憲民主党の枝野代表は、政権を担った経験のある人間がいるうちに政権をふたたび持たせて欲しい、と訴えていた。前回の失敗で学んだことを活かすためだそうだ。政党の存続のための実験的な場として政権を考えているらしいことに違和感を感じた。経験がなくても、合理的な現実認識があって、見識があれば、正しく政権は運営できるはずだと思うけれど・・・。前回民主党が政権をとったとき、多くの人が一度託してみようと思った。自民党にお灸を据えようと思った。私もそう思った。しかし託した結果に失望したひとたちのどれほどがもう一度託してみようと思うのだろうか。選挙結果はそのことを明らかにしてくれる。

メタネーション

 NHKのニュースでメタネーションを知った。私も大学で化学系を先行してきたから、二酸化炭素と水素でメタンを合成することが出来ることは知らないわけではない。しかし、もともとの天然ガスよりもはるかにコストがかかるから、実用化は夢だと思っていた。

 

 しかし二酸化炭素を燃料として再生できるとなると、話が別になってきたように思う。さらに天然ガスがこれだけ高くなっている時代、その高いコストを減らすように努力することで、さらに炭素税の利得も得られれば、可能性が出てきているのかも知れない。

 

 大気中の二酸化炭素を簡単に固定化できる方法が見つかれば、案外燃料サイクルが可能かも知れない。日本はほとんど全てのエネルギー源を海外に依存している。どこの国よりもこのような技術に資本を投下する意味がある。

 

 これは夢物語に終わる話なのだろうか。理論的にも技術的にも可能な話で、ただコストの問題だけのことなのだが。

2021年10月15日 (金)

石平氏

「習近平の台湾威嚇が一転沈黙、腰砕けに、強烈!アメリカの対中逆恫喝」という、「現代ビジネス」の石平氏の記事を見た。

 

 この記事によれば、あの台湾の防空識別圏に連日のように侵入を繰り返していた中国空軍機が、突然休止されているという。台湾防空識別圏への侵入は、中国の台湾への露骨な恫喝であることは世界が認めるところであろう。正当化できるものではない。

 

 ところがそれがなりを潜めたのは、アメリカの中国に対する逆恫喝があったからだというのだから、本当かなと思う。本当に侵入が止んでいるならそうかも知れない。中国はいま不動産大手の債務問題で経済的に火がついている。おまけに物価が急上昇しているらしい。日本も物価が上がり始めているが、中国の方が深刻そうだ。

 

 いま私が言いたいのはそのことではない。

 

 石平氏といえば、中国民主化運動に参加して、天安門事件で中国に絶望し、日本に移り住み、日本に帰化した評論家で、彼の評論は中国に極めて辛口であることは知る人ぞ知る、である。彼の本を読むと、中国の傍若無人ぶりに不愉快な思いを抱いているひとなら、痛快な気持ちになるだろう。明日にも中国共産党政権が崩壊するかのように書かれているからだ。しかし中国はしたたかで、残念ながら石平氏の予告通りになかなかならない。

 

 だから彼は反中国で中国を憎んでいる、と思うのは早計だと私は思っている。彼は母国である中国を愛しているのだと確信している。彼はこうであって欲しい中国と中国国民の姿を心に描いていて、それがあまりに現実とちがうことに絶望しているのだと思う。いまの中国がこんな姿であるのは中国共産党支配という体制に問題があるからだと考えている。体制が変わること、現政権が崩壊することを願うあまりに、その強い願望が彼のいささか極端な評論になっているのだと思う。

 

 私は中国という国に若いときからとても興味を持って来た。大好きだから大嫌い、というのがいまの私の中国に対しての感情で、だからこそ石平氏の思いがわかる気がしている。

食費と虫の知らせ

 我が家の、といっても私独りだが、エンゲル係数が上がっている。年金額が少しずつ減っているなかで、食も以前より細っているのに、飲食費が増大しているからである。ほぼ二日に一回近くのスーパーへ買い出しに行くが、その支払額が明らかに増えているし、スーパーのプリペイドカードで支払っているのだが、とうぜんそのカードへの入金の頻度も上がっている。

 

 さまざまなものが値上がりしているのだと実感している。仕方のないことだとあきらめている。使える範囲で使うだけで、その範囲が狭まればそれにあわせるだけだ。私はあきらめられるから好いけれど、子供のいる家庭などではそういうわけにはいくまい。妻の入院費は、さいわい別居中に分割した彼女の年金の枠内にギリギリ収まっているから、なんとか自分の楽しみを楽しむことが出来ている。あまり苦労せずに年金暮らしが出来ていることを、いまはありがたいことと思うべきなのだろう。

 

 そういうわけでふらふらと車で出かけてはあちこちを散策している。秋の山野の風を浴びるのはまことに心地よい。おかげで晩酌は美味いし夜もよく眠れる。今のままなら申し分ない。

 

 出かける前夜にいろいろ調べて走行ルートを決める。それを考えるのも楽しい。地図を見ていて、意外なところに意外なものがあるのを見つけたりする。

 

 そうして朝は気持ちよく出かける・・・はずなのに、なんとなく虫が知らせることがある。何かよくないことがありそうな不安がよぎる。霊感などというほどのものではないが、昔から私にはそういう感覚があって、それを押し殺して出かけていやな思いをすることが一度ならずあった。

 

 実は今朝も巨石のある神社を訪ねようと思って準備していたのだが、なんとなく虫が知らせて出かける気にならなくなった。たぶんそれは実際に危険を感知しているのかも知れないし、自分の体調や集中力に不調があるのを感じているからかも知れない。天気がいいから出かけたいけれど、昨日も出かけたところであるから、今日は一日英気を養うことにした。

 

 虫の知らせが正しいのかどうか、出かけることと出かけないことを同時に体験することは不可能なので、わからない。

関市洞戸円空記念館

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関市洞戸円空記念館。なかは円形ホールとそれを取り囲む回廊で出来ている。展示数はそれほど多くないが、状態のよいものが多い。売りは円空最後の作品の歓喜天。ただしとても小さい。照明が暗いのが難で、小さいものは見にくい。

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狛犬左側。

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狛犬右側。

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これはセット。仏像を撮るのははばかられたので撮らず。

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円空が実際に彫刻していた。リアルなのでぎょっとする。

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帰り道。大きな木。右上の坂を登った先に高賀神社がある。左手下には手取川が流れている。正面に橋があり、そこから手取川を見下ろすことが出来る。

満足して帰路についた。

2021年10月14日 (木)

板取・高賀神社

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このすさまじい像の写真を撮った記憶があるのにファイルが見つからない。たぶん七、八年前のことだ。ようやくこれが板取というところにある、高賀神社の前にある像であることがわかったのでもう一度写真を撮りに行った。東海北陸道、東海環状道を乗り継ぎ、関広見インターを降りて国道418号、さらに国道256号を乗り継いでいく。さらに県道52号の狭い道でひたすら山に登っていく。この道をそのまま行けば板取温泉やキャンプ場がある。

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このような大きくて立派な鳥居がある。ここに広い駐車場があったので、そこに車を停めて山道の急坂を歩いて登ったのだが、神社の前にも駐車場があった。

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途中の渓流沿いの崖から下を眺めたらきれいな水が流れている。

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木下闇となっているので、なんとなく神韻とした気分になる。

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拝殿、本殿への階段。

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この怪物は、猿虎蛇という。頭が猿、胴体が虎、尻尾が蛇である。この地域一帯に妖異が続いたので、天皇が藤原高光に命じて退治させた。ほかの場所にも藤原高光が鬼退治をしたという場所がある。そこには鬼の首がいまも残されている。

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拝殿。賽銭を上げてお参りした。

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ここから高賀山に登ることが出来る。山頂からは白山や御嶽山が望めるようだ。

このあたりは円空が晩年を過ごした場所である。通ってきた武芸川のあたりに円空終焉の地の石碑があるはずだ。

神社のすぐ近くに円空記念館があるので入ってみた。

疑惑は否定されたらしいが

 IMF(国際通貨基金)のトップであるゲオルギワ専務理事が、前職である世界銀行の幹部だった時、中国の意向を受けてビジネス環境評価の国別ランキングでの中国の順位を不正に引き上げていた、と疑惑を持たれていると報じられた。IMFはこの問題を調査して、その結果、疑惑は否定されたらしい。

 

 疑惑は否定されたが、そういう事実がなかったかどうかについては疑問がある。

 

 なぜなら世界銀行はこのランキングについて数字が不正に操作されていたとして、今後ランキングの発表をしないと表明しているからだ。そういう事実がないのになぜ評価を止めたのか。

 

  このビジネス環境ランキングは、海外からの投資を呼び込むための重要指標である。中国はランキングが下落したという事前報告に異を唱え、世界銀行に対して強力に働きかけ、そのあとゲオルギワ氏がランキングをまとめた担当者たちを激しく叱責し、見直すように求めたことが分かっている。その後中国のランキングは引き上げられ、前回と同じ順位に直されたのである。

 

 IMFは各国に拠出金増額を働きかけていて、中国がその増額をたてに今回の調査に圧力を掛けたのではないかと見られているという。

 

 世界をまたぐ国際組織が国連をはじめとして中国に次々に籠絡されていることの、新しい事実が明らかになったということだろう。問題はこういう問題が次々に明らかになりながらそれが是正されることなく、さらに進行してついには表面に現れなくなってしまうことである。疑惑の否定というのはそういうことだ。

 

 統計の数字は評価のためのもので、それをもとに各国政府や経済界の経済活動や政策が進められる。その統計数字が操作されているとなると信用は失墜する。それが常識だが、それが常識ではない国である中国の統計数字が操作されていることは大方の専門家の常識である。

 

 その中国の常套手段が国内だけではなく、国際組織にも実行されつつあると言うことの表れの一つかと思う。アメリカの衰退がこのような事態を生んでいる。アメリカは常に正義だとは思わないが、少なくとも信用を失うことは懼れている。中国は信用というものは身内だけに使うものだという国であり、異質の国であることをよく認識する必要がある。

不審メール転送システム

 私の考えるそのようなものが現実にあるかどうか知らない。あるなら知りたいところだ。

 

 スマホにときどき不審メールが送られてくる。アマゾンから、個人情報の再確認、などというのも来ていたが、最近は友だちを騙ったメールが続いている。知らない名前の人から親しげな表題のメールが来るのだが、心当たりがないからすぐ消去する。ひとの善い人なら親切に、間違いメールです、などと返信してしまうかも知れない。返信だけならどうということがないかも知れないけれど、返信したとたんに何か不都合なことになってしまうかも知れない。私にはよくわからない。わからないから気持ちが悪い。

 

 こういう悪意からとしか思えないおかしな行為を取り締まる必要があるとだれもが思いながら、ほとんど野放しになっているのはどうしたことだろうか。不審メールは出来れば開きたくない。開かずにすぐ消去してしまうから何も残らない。開かずに不審メールボックスへ転送するためのボタンを設定してくれないものかと思う。それが自動的に警察などの不審メール対策室などに転送されるというのはどうだろうか。

 

 不審メールを受け取ったひとが次々にそれを取り締まり当局に転送していけば、膨大なデータベースができあがり、データがそろえばそろうほどだれがそんなことを行っているか突き止めることに寄与するのではないか。

 

 そういう悪意の行為への反撃のための対策を怠るから、デジタルの普及が阻害されるのではないか。

2021年10月13日 (水)

戦争への道

 習近平は自らへの個人崇拝を進めている。中国は文化大革命による惨禍を教訓に、個人に権力が集中しないように統治システムを改革したはずだったが、習近平はその改革されたシステムを元に戻してしまった。

 

 毛沢東は「大躍進政策」によって中国に数千万の死者(多くは餓死者)をもたらすという大失敗を招いた。文化大革命はその責任を問われることを回避し、逆襲に転じるための運動だった。どこかの新聞はそれが権力闘争であることをなかなか認めずに文化大革命を賛美し続けたが、狂熱の文化大革命が終わってみれば、ただただ文化破壊、知識人に対する惨殺、権力内の粛清に次ぐ粛清があったことが明らかになっていった。「大躍進」に劣らない数の死者と中国の経済的停滞、貧困だけが残されていた。

 

 習近平はまさに熱狂の文化大革命の落とし子であった。彼の精神にはその熱が残され、彼のなかでは文化大革命の火が燃え続けているようだ。彼にとっては文化大革命は正義なのだと想う。だからこそ、あたかも再度文化大革命を推進しているように見える。

 

 貧富の差をなくすことを正義と考える思考から、不動産バブルの崩壊は対処すべきこととは考えないのではないか。連鎖的に不動産会社の倒産を招いて、不動産バブルで巨額の資産を得ている人びとは粛清の対象と見えているのかも知れない。文化大革命で血祭りにあげられたのは地主たちと知識人であった。

 

 不動産投資で富を得た人間は中国でもごく一部の人たちだけで、自分の家を持つことが不可能になってしまったひとが圧倒的多数である。習近平はバブルがはじけても制御可能と考えているかも知れない。

 

 心配なのは、バブル崩壊によって中国経済が大ダメージを受けることである。それによって世界は大きな影響を受けるだろう。中国に依存することがどれほど危険だったのか、思い知らされることになるかも知れない。そして中国の国民全体が習近平に怨嗟の目を向け始めたとき、彼がどんな行動を取るか、歴史が教えてくれる。

 

 独裁者は不満をそらすために戦争を仕掛ける。その一本道が見えてきたように感じる。

さいわい

 私は揚げ物が大好きだ。すぐ近くのスーパーで揚げ物を買うことがある。フライも天ぷらもひどくまずい。たいていのものが美味しく食べられる私がまずいと思うのだから、よほどのまずさと思ってもらってよい。いくらやっても料理の腕が上がらない私が作るものよりまずいのだから、救いがたい。だからといって揚げ物は後片付けが面倒だからそう頻繁にやる気になれない。

 

 そういうわけで、自然に揚げ物を食べ過ぎないことになっている。糖尿病の私にとっては実はありがたいことで、さいわいはどこにあるかわからない。

神谷美恵子(1914-1979)

 若い頃、たまたま長島愛生園のことを知り、その時に神谷美恵子の名前も知り、それに前後して彼女の文章を読む機会があって感銘を受けた。みすず書房で彼女の著作集が出ているのを見つけて、一冊読んでは次を買っていった。いま書棚の隅に全12冊が列んでいる。

 

 彼女の生まれた1914年(大正3年)といえば、第一次世界大戦の始まった年であり、私の父の生まれた年でもある。同じ時代を生きたことになるが、彼女は1979年に65歳で亡くなり、私の父は東日本大震災の年まで生きた。

 

 著作集の第一巻は『生きがいについて』と題されていて、巻頭の『はじめに』という文章を以下のように書き出している。

 

 平穏無事なくらしにめぐまれている者にとっては思い浮かべることさえむつかしいかも知れないが、世のなかには、毎朝目がさめるとその目ざめるということがおそろしくてたまらないひとがあちこちにいる。ああ今日もまた一日を生きて行かなければならないのだという考えに打ちのめされ、起き出す力も出てこないひとたちである。耐えがたい苦しみや悲しみ、身の切られるような孤独とさびしさ、はてしもない虚無と倦怠。そうしたもののなかで、どうして生きていかなければならないのだろうか、なんのために、と彼らはいくたびも自問せずにいられない。たとえば治りにくい病気にかかっているひと、最愛の者をうしなったひと、自分の全てを賭けた仕事や理想に挫折したひと、罪を犯した自分をもてあましているひと、ひとり人生の裏通りを歩いているようなひとなど。

 

 いったい私たちの毎日の生活を生きがいあるように感じさせているものは何であろうか。ひとたび生きがいをうしなったら、どんなふうにしてまた新しい生きがいを見いだすのだろうか。

 

 彼女の思いの中心にあったこのような課題が、ある衝撃とともに彼女に突きつけられる。彼女は精神科の医師として瀬戸内海の島にある、らいの国立専門療養所長島愛生園に滞在した。そこへたびたび行って一連の精神医学的調査を行ったのだ。

 

 こうしてらい患者たちに出会い、話を聞き、彼女の思索が深まっていて、書き記されたのがこの本である。

 

 ところで「生きがいということば」について彼女はこう書いている。

 

 生きがいということばは、日本語だけにあるらしい。こういうことばがあるということは日本人のこころの生活のなかで、生きる目的や意味や価値が問題にされてきたことを示すものであろう。たとえそれがあまり深い反省や思索をこめて用いられて来たのではないにせよ、日本人がただ漫然とせいの流れに流されてきたのではないことがうかがえる。
 辞書によると生きがいとは、「世に生きているだけの効力、生きているしあわせ、利益、効験」などとある。これを英、独、仏などの外国語に訳そうとすると、「生きるに価する」とか、「生きる価値または意味のある」などとするほかはないらしい。こうした論理的、哲学的概念にくらべると、生きがいということばはいかにも日本語らしいあいまいさと、それゆえの余韻とふくらみがある。それは日本人の非合理性、直感性をよくあらわしているとともに、人間の感じる生きがいというものの、ひとくちにはいい切れない複雑なニュアンスを、かえってよく表現しているのかも知れない。

 

 さまざまな体験から彼女が学んだこと、思索したことを追体験できるこの本は、若いときの私にいろいろなことを教えてくれた。そのことをこの本を読み直して思い出した。かなり歯ごたえのある本。

2021年10月12日 (火)

続・武儀町・高沢観音(日龍峰寺)

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本堂奥におびんずる様がいる。ちょっと怖い。

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本堂右奥のほこらに小さな宝篋印塔がある。

本堂の隣にお籠もり堂があって、観音様はそこにいるらしいが、暗いし汚れたビニールが張り巡らされていて見えない。お籠もりする人だけ観ることが出来るのかも知れない。

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籠堂から階段を降りたところに水車が回っていた。

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多宝塔。これが北条政子の奉建したものそのものかどうか知らないけれどなかなか立派なものだ。

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これが金比羅道だったか、薬師堂だったか、はたまた不動堂だったかよく覚えていない。卍だから不動堂だろうか。

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鐘楼。

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一回りしたところに見晴台があって、そこに四阿があったので一休みした。汗をかいた身体に吹き通る風が心地よい。ただし周りは藪や木立だらけであまり見晴らせない。

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見晴台からではないが下り坂の見通しのよいところで山を撮る。

急坂を降りて駐車場に戻り、帰路についた。

仕方がないのだが

 自分が書いたことがうまく伝わらないのは、私の文章がまずいからであることは、不本意ながら認めざるを得ない。ときどきほかで使われていたキーワードをわざと違う意味にして書くことがある。丁寧に、どうしてそのキーワードをそのように使うのかを書いているつもりでも、もともとそのキーワードにまつわりついているものに反発を感じていた人の中には、それらを読み取らずにキーワードのみに反発して来るのでガッカリさせられる。そもそも私が他の人の文章をどれだけちゃんと読み取っているのか心許ないのだからお互い様か。

 

 それにしても、ブログを読んでいる人のどれだけの人が意味を多少なりとも読み取ったのか、私には知るすべはないので如何ともしがたい。皮肉や逆説がまじるのは私の書き癖であるし、子供にもわかるように書くという優しさや忍耐は、残念ながら私には持ち合わせがない。

 

 誤解しないでもらいたいのは、あることがあって、ちょっと嫌気がさしたゆえで、最近いただいたコメントやご意見とは直接関係がないので念のため。

武儀町・高沢観音(日龍峰寺)

武儀(むぎ)町は関市の北東にある。武儀町の高沢山の山頂に高沢観音と地元で呼ばれている、正式名・日龍峰寺を訪ねた。車がすれ違うのが困難な狭い山道を四キロほど登っていく。さいわい行きに一台、帰りに一台しか対向車とすれ違わなかった。行きの時は軽自動車だからなんとかなったが、帰りに出会ったのはワゴン車で、すれ違えない。向こうが登りだからバックしてもらって、かろうじてすれ違えた。こういう道は苦手なのに、私の好きな神社や寺や瀧へ行くためにはこうした道を通らなければならないことが多い。

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ようやくたどり着いた駐車場の前からの景色。

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寺の紹介板。ここには北条政子の奉建したと伝えられる多宝塔がある。

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はたして千手観音は拝めるだろうか。

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案内板。右手の駐車場から左手の本堂へ行き、上の道を通って多宝塔などを拝観しながらぐるりと回ることにする。

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本堂が見えてきた。

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境内の大きな木。

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本堂を見上げる。

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左手の階段を登る。

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さっきの木を見下ろす。

本堂内はもちろん撮影できない。

2021年10月11日 (月)

声帯の鍛錬とプラスチックストロー

 コロナ禍で人と会話することが減り、声帯の筋肉が衰えている、とNHKが教えてくれた。発生できる時間の目安が、男性は30秒、女性は20秒だそうだ。試してみたら、なんと15秒しか保たない。

 

 もともと独り暮らしだから、コロナ禍でなくても私は出かけない限り人と話す機会がない。父のように独り言の癖もないから、声帯が衰えているのだろう。友人から電話があったりすると、久しぶりの発声に、声がかすれたりするので、どうしたのだ、と問われたことがたびたびある。だからときどき名文を朗読したりしているが、最近はサボっている。

 

 NHKは、対策としての声帯鍛錬法というのも教えてくれた。ストローを咥えてウーとなるべく長く発声する。意識して声帯を振動させると好いようだ。試してみた。とうぜんのことに15秒程度しか保たないが、何度かやっているうちに20秒保つようになった。五分程度を毎日行えば声帯は鍛えられていくそうだ。大事にとっておいたプラスチックストローが役に立ったではないか。

優勝、おめでとう

 ゴルフにはあまり興味はない。若いときに営業職ならゴルフを身につけるべし、と先輩に言われたのだが、上野のアメ横にクラブを見に行ったとき、隣にあった釣り道具屋にふらふらと入って、勧められて4.2メートルのハードタイプの投げ竿を買ってしまったのが運の尽き、イシモチ釣り(外洋の波の少し荒いところで釣るので重い錘(おもり)を使うからハードタイプが向いている)に夢中になり、ゴルフとはそれきりとなった。それきりというより縁はない。

 

 それでもゴルフ番組を覗くくらいのことはする。全く知らないわけではない。

 

 渋野日向子が全英女子オープンで優勝したときに、その笑顔に好感を持った。それ以来浮き沈みのある成績が続いて、期待の大きさと人気にプレッシャーを感じているように見えて他人事には思えなかった。私の好きなあの笑顔が曇るのは哀しい。今回の優勝の時、しばらくぶりに見る笑顔と涙にこころから嬉しく思った。

 

 息子が付き合っている女性を紹介したいと言って広島から名古屋まで連れてきたいまの嫁さんは、笑顔がとても素敵だった。その笑顔が渋野日向子に似ているのだ。だから一目で好感を持った。ひいき目かも知れないが、渋野日向子よりも美人である。

雑感

 食品ロスを減らそうというさまざまな働きかけには大いに賛同する。食べ物を無駄にするのは心底嫌いである。食べ放題の店やバイキングで、取り過ぎて食べ残す人間を見ると軽蔑したくなる。自分の食べられる量もわからない人間は愚かである。戦国時代、お代わりをしたのにそれを食べ残した息子を見た父親が、「この家も俺の代で終わりか」、と嘆いたという話を読んだことがある。

 

 賞味期限切れの食べ物を再活用するという話がしばしばニュースで紹介されている。今朝はクッキーをビールにするという話を観た。ほのかにクッキーの香りがして旨いそうだ。しかし違和感を禁じ得なかった。クッキーに賞味期限があること自体が納得しがたい。家庭で半年も一年も経ったものならいざ知らず、そんなものをかき集めても仕方がないから、とうぜん業者のところにあるもののことで、それなら売り切るための方法はいくらでもあるはずで、そのことの方が問題のような気がする。

 

 レジ袋を有償化したことを批判する意見がようやく最近になってマスコミでも取り上げられ始めた。レジ袋やストローなどをなくすことがプラスチックゴミを減らすために有効な方法なのかどうか、私も首を傾げていた。レジ袋を無駄にせずに使い回し、最後はゴミとしてきちんと処理すればいいことで、問題はそれをきちんと捨てないでそのへんに投げ捨てることなのだと思う。ゴミをちゃんとゴミ処理サイクルの中に処置するというのは極めて文化的な行為だ。

 

 ところがそのような文化的行為が出来ない人間がいる。本質的に出来ない人間と、それを見てつい真似をする人間がいることが問題なのだ。それ以上に、世界にはゴミを処理するシステムそのものが存在せず、しかもゴミを処理するという行為そのものを教育されていない人間が大半の国もある。

 

 レジ袋やストローをなくすことで何か成し遂げたつもりになっていても、実は何も変わらないと思う。わずかなことで意識を高めて、さらに改善していくのだ、というのがそういう運動の趣旨だと想像するが、実は賛同する人はもともと意識が高く、そういう目覚めのない人間は何も変わらない。

 

 ゴミ処理システムを推進していくこと(出来れば中国、インドなど、大量に廃棄していながら平然としている文化度の低い国)であり、それを推進しながら、そういう国でゴミはちゃんとゴミ箱に捨てることを子供に徹底的に教育することが何より有効だと思う。

 

 中国でもそのへんにゴミが散らかっていることが多かったのに、三年ほど前に行った上海などの江南地方では通りはゴミが一つも落ちていなかった。掃除も徹底しているのだろうが、そもそも捨てさせないための教育が行き届き始めたようだ。やれば出来るのである。上海はだから好きな街だ。そういう教育がなされていなければ、ゴミはなくならない。日本でも教育が不足しているのではないか。ゴミは捨てない、落ちていたら拾う、ということを子供の時に頭に刷り込んで欲しいものだ。

 

 そもそもプラスチックゴミを分別しても、ほとんどが焼却されていることが多い。だから分別にはいまはあまり意味はない。再生のシステムがよほど完備しない限り、分別は無意味だろう。その無意味さが、実は違法投棄につながっているかも知れない。面倒だからそのへんに捨ててしまう、というのが最も文化度の低い行為で、実はそれを意識の高い人が面倒くささを生み出すことで推進している、とまでは言いたくないが・・・。

2021年10月10日 (日)

おでんのタマネギ、漬け物器、映画のことなど

 ブラタモリで、淡路島が二回にわけて放送された。弟夫婦と昨年淡路島に行って、その時に訪ねた場所が何カ所も出てきた。弟から、観ているか、と電話があったので、もちろん観ていると答えた。知っているところが紹介されると嬉しいものだ。以前一人で島めぐりをした上で、見所を選んで弟夫婦を案内した私も少し鼻が高い。

 

 淡路島といえばタマネギで、そのタマネギをおでんに入れて食べると美味しいとタモリが言っていたので、そのためにまだ暑いけれど、おでんを作った。タモリの言うとおり、まずタマネギを丸のまま蒸し上げる。その蒸したタマネギをおでんの汁に漬け込んで二日以上じっくりと煮あげていく。今日ようやくそのとろとろになったタマネギを崩さないようにして取り出して食べてみた。甘くて美味しい。簡単だからこれからもおでんの時はタマネギを入れることにしよう。

 

 漬け物器を買ったので、先日はキュウリとキャベツをつけて食べた。鷹の爪を加えたが、中国製を買ったらちっとも辛くない。倍の値段の日本製にすればよかった。香辛料は中国製の方が辛さが際立つのが普通なのにがっかりであった。二度と中国製の鷹の爪は買わない。次に白菜の浅漬けを作った。白菜がこれほど漬けると嵩が減るのに驚いた。そして昨日は漬け物器に添えてあったレシピで、大根、ニンジン、茗荷にショウガを千切りで漬け込んだ。もちろん最初に塩を振って水気を落としてから漬けた。今朝食べてみたら塩気もちょうどよくて美味い。また作ろう。大根が漬かりきっていなくて少し辛みが残っているのが私の好みである。本当は大根の葉っぱも一緒につけ込むのがお勧めだが、スーパーにはないので入れられなかった。

 

 WOWOWやNHKBSの映画でおもしろそうなものを録画しておく。ひと月に観ることが出来るのはせいぜい十数本で、つい欲張りに録画するから観きれずに溜まってしまう。このごろは気をつけて十本程度にとどめているのだが、ドラマやドキュメントなども録画するから溜まったものまで手が回らない。せいぜいせっせと観るしかないのだが、たまりすぎると『芋粥』の心境で、観ないうちから食傷する。時間は充分あるのだがなあ。

映画『ウェイティング・バーバリアンズ 帝国の黄昏』2019年イタリア・アメリカ

 原作はノーベル賞作家、M・クッツェーによる『夷狄を待ちながら』という小説だそうだ。

 

 ここでいう帝国とは、歴史上存在したものとはちがうようだ。帝国の辺境にある砂漠の中の砦が主な舞台で、入植者たちを統括する民政官が主人公。周辺には草原もあり、遊牧民が昔から暮らしている。帝国では彼らを蛮族と呼んでいるが、主人公は彼らを蛮族とは見做して いない。砂漠の中で発掘された古い木簡や遺物などを収集し、古い歴史や文化の記述された書物も集めて独自に研究している。あたかも楼蘭の遺跡を研究する学者のようであり、木簡が白楊の樹であることも言及されているから、それが意識されていることは間違いがない。

 

 遊牧民はモンゴル系の顔立ちをしているから、まさにロブノール周辺を想定しているのかも知れない。

 

 その遊牧民をバーバリアン(蛮族)とみなし、「攻めてくる」と狂信的に考える治安維持官のジョル大佐(ジョニー・デップ)が兵士を率いて砦を訪ねてくる。そして遊牧民たちを次々に拷問にかけて情報を得ようとする。自分の狂信する考えとちがう答えを信じようとしない彼は、すさまじいまでの拷問と虐殺を繰り返す。ジョニー・デップがその役を抑えた演技で口数少なく演じている。彼はエキセントリックだが全くコミカルでない恐怖の男を演じきっている。やはり名優である。

 

 拷問を止めるようにもとめる民政官。だがジョル大佐にとって文化人であり、蛮族の文化を研究している民政官は裏切り者でしかない。やがて拷問と虐殺をやり尽くしたジョル大佐は砦をあとにする。拷問で盲目となり、両足首を折られた少女が一人だけ生き残っている。その少女を治療した民政官は、彼女を遊牧民のもとへ連れて行く。そこで彼は民族の対立の根深さを思い知らされる。

 

 砦に戻った彼はふたたびやってきたジョル大佐に蛮族と手を結ぶ裏切り者としてその職責を剥奪され、彼も拷問を受ける羽目になる。蛮族掃討の部隊がジョル大佐と共に出陣していく。

 

 ショッキングな、今後を暗示する兆候ともいえる事態のあと、ラストシーンは砦の見張り台から見える彼方の砂煙。それで映画は終わってしまう。そして・・・。帝国の黄昏が辺境で始まる。

間もなく夜明け

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まもなく夜明けだ。このごろは早く寝るから早く起きてしまう。

今日も暑くなりそうだ。名古屋は10月に入っても30℃越えの日がたびたびあって、昨日もそうだった。マンションの躯体が暖まったままなのか、夜、窓を少し開けたまま寝ていても、室温は27℃を下らない。これでは熱帯夜である。さすがに真夏の時期とちがって冷房をつけるとすぐ冷えるようになったが、今度は冷えすぎる気がする。

夏とちがって彼岸過ぎだから、夜明けがずいぶん遅くなってきた。昼間にはベランダのひさしから少しずつ室内に日が射し込むようになった。それなのに真夏日の気温である。九月に残暑というのはあたりまえの言い方だか、十月に残暑というのは異常である。その異常があたりまえになりつつあるようだ。

人間は環境に慣れていく。だから日本よりさらに気温の高い、熱帯地方に住む人だってそれに耐えている。ただ、高齢になるとそういう環境順応力が低下するから、ついていけない。いまは冷暖房が完備しているからいいが、そうでなかったらどれほどつらいことだろうか。

父は寒がりで、冷房嫌いだった。そういう人は暑さに耐性があるのだろうか、それとも暑さに鈍感なだけで、身体の不調に気がつきにくいのかも知れない。父が炎天下で庭いじりしていると、熱中症になるのを母はよく心配していたものだ。

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夜が明けてきた。

2021年10月 9日 (土)

関・新長谷寺

ようやく新長谷寺(しんちょうこくじ)を探し当てた。変な道を選んだために裏手に出てしまい、表へ回るのに苦労した。立派な駐車場がある。

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新長谷寺仁王門。運慶の作と伝えられているそうだが、暗いし格子が狭くて写真を撮ることは出来ない。

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新長谷寺参門。手前に季節外れの桜が咲いている。葉が落ちた後に気温が高い日が続くと狂い咲きすることがあるらしいが、それなのか、それとも秋にも咲く種類なのか。参門のところに境内は一切写真撮影禁止、と書かれていた。仏像を撮るな、というのはわからないことはないが、建物も撮るなと言うのは珍しい。

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参門のところから写真を撮った。中ではないからかまわないと思ったのだが、本堂の方から大声で「写真は撮るなと書いたあるだろう!」と叱られた。じっと見ていたのだろう。よほど写真が嫌いと見える。

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そうなると意地になってしまう。本堂から見えないところで三重塔を撮影。叱声はなかった。そういうわけでほかに写真はない。

ここは美濃の法隆寺と呼ばれている、とガイドブックにある。お堂がいくつもあり、本堂や三重塔も含めてかやぶき屋根で、なかなか雰囲気がいい。写真に撮りたいが拒否されれば致し方ない。それにしてもだれもいない。参拝以外は拒否するというのなら、いっそ入門禁止か、予約制にでもしたらいいのに。などと言うのはこちらの勝手に過ぎるか。

儀礼上、お賽銭を上げ、お堂の一つ一つに手を合わせた。

映画『風花(2000)』2000年日本ほか

相米慎二監督の遺作映画。相米慎二はそれほど好きではないが、遺作ということなので観た。それに主演の浅野忠信も小泉今日子も好きな俳優である。酒癖の悪い若手官僚と風俗嬢の出会いと、北海道での奇妙なふたりの旅を描いている。
それぞれに人生の背景があるのだが、それが小出しに描かれていき、必然の結末に向かって物語は進行していく。
しかし酒癖が悪いといって、これほどひどい酒癖ではそもそも酒を飲む資格がない。そんなことを言っても始まらないが、酒を愛する私としてはどうも感情移入しかねる。まあ物語だから仕方がないが。
それにしても2000年の映画だから小泉今日子は若い。それにとても魅力的だ。映像なのにリアルな女性の実感を伝えてくる。
この映画は暗い、暗すぎるから結局最後が甘いものになってしまった。暗いものをこれでもかとばかりに暗く描きすぎると観ていて嫌気がさすものだ。脇役の温泉宿の主を柄本明が演じていてその奔放さが光った。こういう輝きがあってこそ暗さが引き立つのだ。

 

映画『インモータル 不死身の男』2019年ベラルーシ
ベラルーシ映画ということだが物語はロシアが舞台となっている。シリアで作戦中に、何者かの裏切りで部隊は全滅、ただ一人瀕死の重傷を負いながら現地の修道院で助けられ、生き残った男は記憶を喪失していた。すでに死んだと思われていた彼が現れたことで、さまざまな陰謀が明るみに出始める。彼は特殊な薬を服用しないと生き続けることが出来ない身体になっている。彼は拘束されて尋問を受けながら、記憶を取り戻そうとする。彼を抹殺するために特殊工作員たちが動き出す。そして彼の妻や娘が陰謀の主によって囚われてしまう。家族を救い、彼自身を取り戻せるか。アクションはそこそこ、ただ悪役たちのつながりが少しわかりにくい。珍しいベラルーシ映画ということでよしとしようか。

関・宗休寺

関は刃物の街で知られているが、ここに「関の善光寺」と呼ばれる宗休寺がある。

実は新長谷寺(しんちょうこくじ)へ行きたかったのだが、ナビには登録されていないし、住所も不明、見当をつけて走り回っていて迷いに迷い、近くにあるはずのこの宗休寺を目印にして探すことにしたのだ。そうなったのも頼りにしていた簡単なガイドブックの地図が杜撰でしかも縮尺が大きすぎてちっとも役に立たないばかりか、却って迷う原因になってしまった。

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宗休寺の駐車場から見上げる。石垣の上に思った以上の立派なお堂が見える。

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坂を登る。

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宝冠を戴いた大日如来。如来はそもそも飾り物を身につけないものではないか、などというのは控えておく。蓮台には千十三体の仏像が浮刻されているらしい。高さ三メートルあって大きい。日本のものではなく中国で造られた。

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戒壇院。

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戒壇院を覗く。ここはどこにも撮影禁止の表示がなく、自由に中を見ることが出来た。

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戒壇の下が回廊になっているらしく、以前テレビの番組の中で女の娘ふたりが真っ暗な中を降りていって、きぁあきゃあ騒いでいたのを観たことがある。

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十王堂という小さなほこら。閻魔様たちらしい。死後このようなところで生前の悪行が裁かれるのか。

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これが善光寺如来であろうか。

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長い寝たきり暮らしはしたくないのが年寄りの望みで、私ももちろんそう願うが、ぽっくり死ぬにはまだ早いので、階段を登るのはやめておいた。単に登るのがいやだっただけともいえる。

ここでようやく新長谷寺の場所がわかったので、向かう。一キロほどのところにあってちょっとわかりにくいそうだ。

2021年10月 8日 (金)

白山比咩神社(2)

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奥宮のご神体は石。ひめ、つまり女性ですからね。

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横から見る。

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芭蕉句碑。

 風かをる 越の白嶺(しらね)を

         國の華

『奥の細道』の旅で芭蕉はここを訪ねた。

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昭和天皇御製。

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霊峰白山案内。

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ご神木の大ケヤキ。

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しっとりとして静かな佇まいの神社にこころを癒やされた。

白山比咩神社(1)

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白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)は北陸では有名な神社で、白山信仰の総本山。初詣の時などたいへん賑わうそうだ。

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立派な神社である。

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神社の由緒書き。白山比咩大神、伊弉諾、伊弉冉神が祀られている。

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一休みしているおばさんが風景に似合う。

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この角度からだとその立派さがわかるだろう。

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結びつけられたおみくじが、雪釣りに積もった雪のようだ。

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巫女さんが舞を奉納していた。

次回は神社内で目にしたものなど。

 

手取峡谷

 手取川は白山を源として白峰温泉横を通り、手取川ダムでプールされたあとさらに北上し、鶴来(鶴来)で左折して美川で日本海に注ぐ。日本海に注ぐ川は急流が多い。手取川はそれほどの急流ではないが、深い渓谷が続く。ほぼ平地に出たあたりでその峡谷を見ることの出来るところがある。

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瀧の前まで降りる階段があるが、かなり急である。足腰がしっかりしていたときでも降りるのがつらかった(登りはもっとつらい)。今回は大事をとって降りるのは止めた。少し離れたところから木の間越しに望めるところがあるのを知っているので、そこから遠望した。

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少しアップした。

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さらにアップ。以前ここから撮ったときには少し川霧が出て、斜めに日が射していてとてもきれいに撮れたのだが、その写真が見つからない。フィルムスキャンをしてデジタル化していないのかも知れない。

このあと白山比咩(しらやまひめ)神社に向かう。

2021年10月 7日 (木)

鳳来寺東照宮と鳳来寺(5)

山路の石仏の写真を撮りました。

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二体でひと組の像が多い。

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上へあがって前からみたいが、登り口にロープが張ってあって通行止めだった。

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木漏れ日なので、影にムラがある。ストロボを炊けばよいが、自然光で撮るのが好きなのでそのまま撮る。

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久しぶりの山歩きを楽しんだ。ほとんど人に会わないのもありがたい。足元が危ういのを痛感させられたが、なんとか鍛え直してもう少し歩けるようになりたい。

鳳来寺山は今回でおしまい。

同郷

 魯迅の随筆を拾い読みしていたら、張岱の『陶庵夢憶』がたびたび取り上げられていて、愛読している本でもあるので嬉しくなった。魯迅のこどもの頃の思い出となっている紹興の風習が書かれているもので、もちろん魯迅のことだからそこにこと寄せて、自分の批判者への痛烈な皮肉も込められていたりする。

 

 思えば魯迅も張岱も紹興のひとであった。張岱は明末清初の人だから時代は全く違うけれど同郷である。張岱の時代の風習の豪華さと、二十世紀初めの自分の見た紹興の違いを述べているのである。

 

 紹興にはなかなか行く機会がなくて、三年ほど前にようやく行くことが出来た。魯迅が見ていた紹興から一世紀を経た紹興を見たことになる。いまの中国を魯迅はどう見るのだろうか。

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魯迅記念館前にて。

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乞乙己(コンイーチー)、茴香豆(ういきょうまめ)を子供にやる。

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臭豆腐は臭いに抵抗があるが、食べ付けると美味い。

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夜、過去がよみがえる。

鳳来寺東照宮と鳳来寺(4)

少し歩いて鐘楼に向かう。

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もとからあるものではなくて建て直されたものらしい。

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近道を歩いたのでこんな坂を下りることになった。木の根がむき出しになって歩きにくいし、掴まるところもないので怖かった。下の道から階段を登り直せば良かった。こんなところで転んだらたいへんだ。

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高台にお堂がある。

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何も案内がないので何のお堂かわからない。これは見上げたものとは別のもの。こちらの方が鳳来寺らしくて好い。

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太い枯れ枝にひこばえがある。このまま成長して代替わりできるだろうか。

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戻り道。下道から東照宮へ入る階段を囲む立派な石垣。

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少し膨れかけているが別のところにも石垣があった。積まれた時代やその様子を想像する。そして経てきた時間を思う。

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色づき始めた木も見られる。もみじもあるので紅葉の時期は景色が好いだろう。

次回は小さな石仏たちの写真をまとめて、最後とする。

2021年10月 6日 (水)

鳳来寺東照宮と鳳来寺(3)

東照宮から鳳来寺に向かう。

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この上の平らなところに弘法大師堂があったようだ。

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入り口を守るちょっと愛嬌のある狛犬。

バス停からここまで歩いて2キロ、40分。

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これが鳳来寺の本堂。遠くから見る方がいい。

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境内の前に展望台があり、見晴らしがまことによろしい。

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こういう高い不便なところにお堂を建てるのはたいへんだっただろうと思う。むかしは全て人力だったはずで、材木を担ぎ上げるだけでもたいへんだ。山の木を伐って使ったのだろうか。

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本来の表参道である階段。

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こういう階段を登ってくるのだ。御利益もあろうというものだ。

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鳳来寺山と言えばブッポウソウである。ブッポウソウと鳴く鳥を『仏法僧』と聴きなした。最初は別の鳥の鳴き声だと思われていたが、実はコノハズクの鳴き声であることが判明したと何かの本で読んだことがある。

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ここには姿の仏法僧(ブッポウソウと名付けられた鳥)、鳴き声の仏法僧(コノハズク)と書かれている。

鳳来寺に関連のある文人として、松尾芭蕉、高山彦九郎、種田山頭火、若山牧水などがここに参拝しており、井原西鶴や十返舎一九などが文章でこの鳳来寺を名所として紹介している。

ここで詠んだ芭蕉の句

  こがらしに 岩吹きわたる 杉間かな

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その鳳来寺の宿坊。寂れ方でいまは参詣の人があまりいないことを示している。

鳳来寺の鐘堂、奥の院などを見に行く。もう一踏ん張りだ。

転院へ

 病院による妻の施設入居説得は出来なかった。病院も長期入院は出来ないという建前を立てに、転院を検討せざるを得なくなった。つまり出て行けということである。昨年末と同じことがまた始まる。病院もほとほと手を焼いている様子である。自己中心的で他を慮ることの出来ない性格が、ついに病院にさじを投げさせてしまった。病院が転院先の候補を探してくれるよう依頼したが、今月からいままでの相談員と交替した新しい相談員も困惑しているらしく、その上司の男性が代わりに私との窓口になることになった。

 

 近々打ち合わせのための呼び出しがあるだろうと思う。しばらく遠出は無理になった。近場を日帰りで走り回るつもりだ。もう、なるようにしかならないと開き直るしかない。しゃんとしなければ。

鳳来寺東照宮と鳳来寺(2)

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膝を気にしながら階段を登る。一歩、一歩、踏みしめように登る。今日の膝は機嫌が好い。

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拝殿。まだ開いていない。私の後ろにおじさんがついてきて、拝殿の裏へ回った。賽銭を投げ入れて、手を合わせ、頭を下げる。

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灯籠の向こうはお守りやおみくじを売るところ。

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登ってきた階段の方をふり返る。緑が濃い。

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石灯籠に張り付く苔の緑が美しい。こういうのが好き。

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本殿を望む。

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本殿を隠す門。神社は本殿を直接見ることが普通は出来ない。

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東照宮から鳳来寺へ向かう。それほど遠くないがますます深山へ入る心地がする。途中に小さな石像がある。石像はこのあとたくさん目にした。青色の前掛けが珍しい。

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同じ人が前掛けを寄進したのだろう。

2021年10月 5日 (火)

鳳来寺東照宮と鳳来寺(1)

転勤で愛知県に移住して四十年近くになる。ここでふたりの子供を育て上げ、巣立たせた。終の棲家になるとは思わなかったが、住み心地には満足している。

ここを拠点にずいぶんあちこちに出かけた。足場としては便利なところなのである。それなのに鳳来寺山には行ってみたいと思いながら、今まで機会がなかった。近すぎるのである。

今日は車が混まないうちにと思って早めに家を出た。ところが東名高速の集中工事のために名古屋インターから三好インターあたりまでずっとのろのろ運転。コロナ禍で人手が少ない機会を活かして道路を一斉にメンテナンスするのは、いいことで必要なことだと思うが、自分がその渦中にぶつかるとちょっとイライラする。

豊田ジャンクションから新東名に移り、最寄りの新城インターで降りる。あの「長篠の戦い」のあった長篠から鳳来寺山パークウエイを走る。急な上り坂でカーブも多いが、センターラインのある道だから走りにくいことはない。鬱蒼とした木立が覆い被さり、暗い道だ。山道を走っている実感が楽しめる。標識に従ってさらに鳳来寺山への山路へ折れる。

むかしの人は麓から階段を延々と登ったらしいが、いまは山の上の駐車場へ停めれば、遊歩道でそれほど歩かずに済む。

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こんな遊歩道を歩いて行く。舗装されているから歩きやすい。このあと長い下り坂を下りる。つまり帰りは上り坂を歩かねばならない。

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遊歩道に眺望図がある。この眺望図からすぐのところで急に眺望が開ける。反射で見にくくて申し訳ない。

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東屋らしきものが見える。

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これが鳳来寺本堂。ここまで行く。

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低いけれど急峻な山である。鳳来寺山は標高695メートル。

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一本松。まだこの松には日が当たっていない。

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少し進んだところからもう一度鳳来寺を。

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鳳来寺の手前に東照宮がある。徳川家光が祖父の徳川家康のために創建した。徳川家康の父親は松平広忠、母は於大の方、於大の方が鳳来寺に願を掛けるために詣でたことで、徳川家康が授かったという。

於大の方は広忠から離縁され、知多半島の阿久比の郷主と再婚する。家康は母を恋うて、訪ねたこともあるようだ。のち広忠は側近に殺される。そして家康は今川氏に人質として預けられることになる。

次回は東照宮とその周辺の写真を紹介する。

映画『羊飼いと風船』2019年中国

 チベット人の監督による、チベットが舞台の映画だから、中国映画ではなくてチベット映画と呼びたい。草原で羊を飼って暮らす家族の姿が描かれるが、彼らのもとにも近代化の波が押し寄せ、外界とのさまざまな軋轢が、いままで平穏に暮らしてきた彼らに影響を与え、家族の間にも波風が立っていく。

 

 少数民族ということで子供の制限は比較的緩やかだが、三人を超えていくと中国政府から罰金が科される。しかし先祖が新しい家族として生まれ変わる、という輪廻の思想が根強いチベット人の間では、中国政府の制限は暗い陰となって落ちかかる。

 

 風船の意味が産児制限と結びついたとき、即座にわかると映画のテーマが見えるはずだが・・・。その風船の皮膜を通した家族それぞれのはたらく姿の映像が、最初にしばらく続く。やがて透明で瓜型の風船が子供の手にあるのが映される。

 

 本当の水素かヘリウムの入った紅い大きな風船が、子供の手を離れて空に登っていくラストシーンは心に残る。

実験科学

 科学では仮説を立ててそれを実験で実証する。実証したから証明されたと断言できるわけではない。常に反証の機会を認め、反証が出尽くしたときに、とりあえず理論は成立できる。

 

 私の記憶している小話(以前にも紹介した)。

 

 ある高名な生物学者が、ノミの耳は後ろ脚にあるという説を唱えた。仮説である。ノミに『跳べ』と命令すると跳ぶように、苦労して教えこんだあと、まず前脚を一対捥いでから「跳べ!」と命令すると、ノミはぴょんと跳び上った。次に中の足一対を捥いでしまって「跳べ!」と命令した。ノミは苦痛に耐えながらも、けなげに跳んで見せた。

 

 そこで博士はついに後ろ脚一対も捥いでしまった。そこで「跳べ!」と命令したが、ノミは跳ぶことが出来なかった。

 

 博士は実験により、ノミの耳は後ろ脚にあることを証明した。

 

養老孟司の本で、桂枝雀の落語のまくらが紹介されている。

 

 人間が立っているのはロケットの原理だ、というのである。前に倒れそうになると、息を吐く、後ろに倒れそうになると、息を吸い込む。それで立っている。

 

 その証拠に、ある男がこれを確かめようとして、立ったまま、息を止めてみた。しばらくしたら、ばったり倒れた。 

 

これについて養老孟司は以下のように書いている。

 

 これは実験科学を言い得て妙である。まず仮説がある。その仮説で、知られているいくつかの事実が説明できる。次に、仮説から導かれる結果を予想する。これは、できるだけ極端がよろしい。そうした極端な条件下でも、問題の仮説が成立する。それを実験で確認する。

 

 私は、個人的には、実験科学が苦手である。私がやると、枝雀のまくらみたいな話になる。

 

 世の中には科学ですらないのに勝手な仮説を立て、妙な実験らしきものをして見せて真理のごときものを唱える輩がいるから、気をつけなければいけない。

2021年10月 4日 (月)

混雑

 糖尿病の定期検診を受ける病院まで歩いて18分ほど。いまより肥満していたときは20分近くかかった。一時は17分で歩けて、15分を目指していたが、今はその元気がない。病院の周りにはまだ田んぼが残っていて、風がよく通るから汗ばんだ身体に心地がいい。途中には芙蓉やコスモスなどいろいろな秋の花が咲いていて、なんとなくウキウキする。

 

 病院では自動受付機のまえに長い行列が出来ていた。こんなにたくさん列んでいるのは久しぶりだ。あわてて後ろにつく。これでは今日は時間がかかると覚悟する。コロナ禍が下火なのでみな引きこもりから動き出したのだろうか。病院に来るのはほとんどがお年寄り(私もそうだが)で、車椅子の人が最近はとみに増えている気がする。病院に来る人は、動作が遅いし、くどい人が多い気がする。そういう人は病人になりやすいのだろうか。

 

 採血があり、血圧と体重を量る。昨晩から絶食しているのにいつもの体重である。血圧が少し高い。家でもときどき測っているが、少し高めになっている。塩分を意識して減らさなければ。

 

 予約時間を過ぎてしばらくして検診。血液検査は特に悪くなっていない(つまり良くなってもいない)。医師は「もう少し体重を落とすと好いですね」といい、それだけで放免された。どうすればいいか分かっているのにそれが出来ないのだ。まあそれが出来ればそもそも糖尿病にならなかったけれど。次回は眼科検診を勧められる。糖尿病だから年に一回は検査が必要なのだ。

 

 いつもはスムーズな会計(自動)も時間がかかり、とうぜん薬局でもいつも以上に待たされ、空腹を抱えて帰宅する。帰り道は体が軽かった。今晩は少し余分に酒が飲むことにしよう。なにをつくろうかな。

映画『ナイチンゲール』2018年オーストラリア・カナダ

 イギリス植民地時代のオーストラリア・タスマニア島が舞台。人権も法もほとんど機能しない時代のオーストラリアが、どんな状態だったかを目の当たりにする。原住民は人間として見做されず、虐殺されても何も問題にならない。

 

 そんなときアイルランド生まれの女性が、イギリス軍の中尉に夫と乳飲み子を殺されてしまう。この映画はそのすさまじい復讐談なのだが、タスマニアの原野を復讐のために、鬼になって中尉一行を追跡する彼女を案内するのは地理に詳しい黒人である。映画では説明がないが、原始的な生活をする原住民と、いちおう虐げられながらも文化的な生活を営む黒人とがいたようだ。しかしその黒人達が切り開いた土地をイギリス人たちはとうぜんのことのように奪っていく。

 

 この映画は実際に観ない人に内容を説明するのは困難だろう。何しろオーストラリアの歴史については知らないのが普通だろうから。ずしりとした、記憶に残る映画だった。オーストラリアは過去を忘れないために、この映画に記録して残した感がある。敬意を表したい。

養老孟司『からだの見方』(筑摩書房)

 東大の解剖学の教授であった養老孟司が、現役時代にその解剖学者の視点からさまざまなことを書いた本で、少し学術的なところもあって中身が濃い。前半は動物の各部所を発生学的に比較しながら論じている。人間は動物であるというあたりまえのことがあたりまえに語られているが、キリスト教では人間は神様の特別製ということになっているから、西洋ではつい最近までなかなか許されない言説なのである。いまでもアメリカなどでは言い訳を添えないとならないところがあるようだ。

 

 中盤は彼の読んだ本の書評で、彼が日ごろ思索していることと関連させている。彼がレベルの高い読み手であることがわかる。難しいことをわかりやすく書くことが出来るためには、よくよくものを知り、考え抜く必要があるのだ。

 

 後半は養老孟司流の、長短のエッセーが集められている。これらがさらに展開されて、後の諸作につながっていったのだろう。

 

 この本の出版は1988年、『ヒトの見方』、『脳の中の過程』と続いた第三部にあたる。このうヒトヒトの見方』だけは読んだ記憶があるが、『脳の中の過程』は未読。このあと『唯脳論』へと思索はまとめられていくのだが、これも読んだことがあって、処分していないはずだからどこかにあるはずだ。探して読んでみよう。

2021年10月 3日 (日)

変われないもの

 立憲民主党の枝野代表は、自民党が変わらない、変われない党だと批判した。変わることが良いことだという考え方にもとづく。しかし今回の総裁選候補の過程で、自民党の懐の深さ、考え方の幅の広さがあらためてわかったことも事実である(少なくとも立憲民主党と比較して、と限定してもよい)。党の中だけの論争にとどまっている、と批判されたけれど、党内の幅があれば、それなりに広い目配りに通じることも明らかになった。保守といっても戦時中の右翼軍事政権とは全くちがうものであるのだが、立憲民主党や共産党には(あえて付け加えればすでに泡沫党となった社民党にも)同じものに見えているらしい。

 

 そういう意味では、その見方、考えがちっとも変わっていないのは立憲民主党であり、共産党であり、社民党だといえる。特に共産党は立党以来変わらないことが自慢の党ではないのか。共産党の志位代表はマイルドな党に変貌させようとしているかのように見せているが、それは共産党の旧民主党化のようなものであって、本来の共産党支持者の思いとはちがってしまうのではないか。

 

 変わらない、変えられないのはまさに共産党であり、その共産党にすり寄る立憲民主党の党首が自民党の変わらないことを批判するのは片手落ちだろう。立憲民主党は自民党の対立軸としての立場を貫くことでしかその存在意味を持たなくなっている。つまりアンチ自民党という不変の立ち位置にしか身を置くことが出来ない。そういう意味で最も変われない党ではないのか。

 

 それなのに、次期政権を目指す、と公言するのは、来たるべき衆議院選挙を意識しての言葉ではあろうが、虚しく聞こえる。マスコミ的アンチ権力、政権批判勢力としての立ち位置にとどまったままで、どうして政権を担えると国民に思ってもらえるというのだろうか。清廉潔白であることと政権を運営できるというのはちがうことだろう(*)

 

 もちろん以上はいうまでもなく全て私見である。日本の政治が変わるのは自民党が分裂して、二つの党に変わるときしかないかも知れない。そうして初めて二大政党の切磋琢磨が始まるだろうが、それがいつか来るようにも見えない。民主党のお粗末な終わり方は大きな禍根を残したといえる。あのときに極端な左派を切り離していれば、もう少しまともな中道政党になっていたし、国民の党との分裂もなかった気がする。過ぎたことを思っても仕方がないのだが・・・。

*清廉潔白で政権運営が出来る、清廉潔白ではないが政権運営が出来る、清廉潔白だが政権運営が出来ない、清廉潔白ではない上に政権運営も出来ない。私は程度の問題はあるものの、この順番だと思うが、いろいろ意見もあるだろう。世界には最悪の汚濁にまみれながら政権運営も出来ていない国がたくさんあるらしい。

映画『ワンダーウーマン 1984』2020年アメリカ

 アメリカンコミックの実写映画、シリーズの第二作。前作をあまり期待しないで観たら、予想外に出来がよくて面白かったので期待した。プロローグにワンダーウーマンがこどもの頃の話が描かれるのだが、伏線にしているつもりがただのエピソードになっている。

 

 ただ一つだが願いが叶う石、というのが出てきて、人びとが願うことによって人類は危機に瀕することになる。実は悪意のある神(ここでは一神教ではないようである。そもそもワンダーウーマンだってアマゾネスだし、ギリシャ神話の神みたいでもある。アメリカ人は案外ギリシャ神話にあこがれているのかも知れない。まあ人間でありながら万能などと言うのはだれにもあこがれだろうが)のもたらしたものだとあとでわかるのだが、ワンダーウーマンも願い事をしてしまうのである。

 

 そのことが彼女の力を弱め、たいへんな葛藤を苦しまなければならなくなるのだが、そのへんのストーリーはそこそこよく出来ている。ただ人間の欲望が善意によってブレーキがかかるというのはどうも信じがたい話で、悪人が簡単に善意に目覚めるなら、そもそもこういう物語に出てくる極悪人ではない。

 

 はじめは好いけれど、話を盛り上げすぎて収拾がつかなくなって、こんな結末になってしまった、残念、というところであった。前作に及ばない。二作目はこんなものか、それにしても長い(152分)映画だった。

言葉の力

 ぼんやりと考えたことをブログなどの文章に書き出してみると、考えてもいなかった展開になっていくことがよくある。アーカイブを作ってあって、それを読むと(めったに読まないが)自分が書いたとは思えないこともあり、なるほどと感心したりする。おかしいだろうか。

 

 内田樹老師が「言葉の力」について書いている。
 (内田樹『こんな日本でよかったね 構造主義的日本論』から) 

 

「創造というのは自分が入力した覚えのない情報が出力されてくる経験のことである。それは言語的には自分が何を言っているのかわからないときに自分が語る言葉を聴くというしかたで経験される。自分が何を言っているのかわからないにもかかわらず『次の単語』が唇に浮かび、統辞的に正しいセンテンスが綴られるのは論理的で美しい母国語が骨肉化している場合だけである」

 

「『言葉の力』とは、『自分が何を言っているのかわからないにもかかわらず「次の単語」が唇に浮かび、統辞的に正しいセンテンスが綴られる』事況そのものを指している」

 

そしてラカン(*)の言葉をもとにこう意訳している。


「私たちが語るとき私たちの中で語っているのは他者の言葉であり、私が他者の言葉を読んでいると思っているとき、私たちは自分で自分宛に書いた手紙を逆向きに読んでいるに過ぎない」

 

ラカン:フランスの哲学者、精神科医、精神分析家。

 

原文(訳だけど)は
「『文は人である。』私たちはこの俚諺に同意する。こう付け加えるという条件なら。『文は(宛先の)人である。』・・・言語運用において、私たちのメッセージは<他者>から私たちに到来する。ただし、順逆の狂った仕方で。」

 

 老師はとても難解なフランス哲学が専門で、それをわかりやすく教えてくれる。それでもざる頭には歯ごたえがありすぎるのだけれど、経験がなんとなくその意味をわかった気にさせてくれる。

 

 よくわからないなりにとても重要なことだと私には感じられるけれど、手がかりがないと何を言っているのかわからないかも知れない。私がどうして重要と感じるのかといえば、考えるということ、わかるということ、教育ということについての見方を根本的に変えることのように思うからだ。

2021年10月 2日 (土)

映画二題

映画『アサルト33 :要塞病棟』2021年アメリカ
 ジョン・マクレーン(ブルース・ウイリス)が孤軍奮闘して武装テロ組織と闘った『ダイハード』の焼き直しのような映画である。『ダイハード』では高層ビルだが、こちらはテロ組織に占拠されているのは、妻が医師として勤務する大きな病院で、主人公はPTSDに苦しむ元軍人であり、その病院で治療を受けている。

 

『ダイハード』では、アホな新聞記者が登場したが、こちらの映画では、危機を察知した主人公の通報を無視しようとする警察署長がアホである。そのアホが最後には英雄的な扱いになったりするというのがこの映画の限界とレベルを示していて、アホはアホに徹してもらわないと怒りの向け先に困ってしまうではないか。

 

 全体としてはおもしろい映画だが、テロリストが弱すぎる。負傷して身体に障害の残る主人公が強すぎるのがリアリティを損なっている。障害があるならそれなりの闘い方があるはずだ。

 

映画『ドクター・デスの遺産 BLACK FILE』2020年・日本
 登場人物の過剰演技がリアリティを損ない、テーマである安楽死の問題もぼやけてしまって、残念な映画となっている。ドクター・デスの正体が途中で明らかになるが、その演技も過剰である。これだけみなが演技過剰なのは、俳優の意志ではもちろんなくて、監督(深川栄洋)の指示によるものだろう。

 

 このような事件を暴くことが本当に正義なのか、ということについての葛藤がなければ、このテーマを深掘りできるはずもなく、たぶん原作の中山七里もそこを書きこんでいるはずなのだが、この監督には「安楽死は悪」という法律を正義として叫ぶばかりで、薄っぺらいことこの上ない。

 

 それにしても主人公の刑事である綾野剛のうろたえぶり、だめぶりは見ていてあまりにも情けない。全く感情移入が出来ない。しっかりしろと思い、やがて馬鹿馬鹿しくなってくる。こんな刑事も父親もいるはずがないし、もしいたら娘に愛されるはずもない。最近のこういう映画の傾向がこのようなものであることが本当に情けない。

連絡がないのは

 妻を施設に入居させる話について、前回で懲りたので、今回は条件をつけた上で病院にまかせたが、それから十日ほど経っても連絡がない。こちらの条件が施設や妻本人に了解されていないのではないかとも思う。それなら話は進まない。

 

 宙ぶらりんでいることはいろいろ予定が立たないから困るけれど、当方にとっては至急の話ではないから、出かけた先で連絡があっても、あわてることはないと考え直した。つまり連絡がなければ、こちらの動きたいように動けばいいのだ。愛知県の緊急事態宣言も解除された。長期の旅行は控えるとして、来週糖尿病の定期検診があるので、それが済めば一泊か二泊で出かけたいと思っている。

 

 昨日別件で妻の病院に行ったが、本人には会わず(しばらく会っていない)に帰って来た。金銭的な問題で、入院費、その他経費とは別の支払い(想定外だが、納得した)を片付けたのだ。特に伝言はもらわなかった。いまに新しい相談員から連絡があるだろうと思う。いい人(理解能力のある人)なら好いのだが。

レッテル貼り

 上手いレッテルを貼っているのを見せられると感心する。上手いたとえ話に似ていて、さらに簡潔でインパクトも強い。しかしそれが繰り返されると、見ている方は、またか、という気持ちになるのだが、一度喝采を浴びたことが忘れられないのか、レッテル貼りはますます盛んである。

 

 レッテル貼り合戦では、いまの野党の方々の右に出るものはない。止めどなくアイデアが浮かぶらしく、何でもかでもレッテルを貼っていく。うんざりした人は支持から離れ、相変わらず喝采する人が支持者として残っていると言ってもいい。

 

 上手いレッテルが貼れたから、何かが変わるということはあまり期待できない。むかしなら上手いレッテルを見て、気付かなかったことに気がつくこともあったけれど、いまはそういう効果があるように見えない。あまりにも頻発されると人は感度が鈍る。悪口で言わせてもらえれば、安易なレッテル貼りで大衆の迎合扇動を仰ぐ手法は、大衆を愚かだと考える俗物主義的思考にさえ見える。少し控えて、ときどきにする方がよろしかろうと思う。

2021年10月 1日 (金)

砂粒

 前回のブログで、私は一個の砂粒である、と書いた。たとえ話はわかりやすくする反面、事実とは離れてしまうことがある。そのことを承知でたとえ、そのことを承知して読む人、聞く人がいて成り立つ。

 

 思春期の頃、私は自由に風に飛ぶ一個の砂粒でありたいと思っていた。もちろんその時には砂粒のたとえは思いついていないから、ただ煩わしい係累と離れて、全くの自由を願っていた。しかし大人になるにつれて、一人の人間として責任を果たさずに生きることなど出来ないことを次第に理解した。自由とは責任を全うしてこそ得られるものだと知った。こどもの頃の自由をもとめるこころとは、ただ、怠惰を望むための方便に過ぎなかった。

 

 社会的存在のための基盤はその中で作られていく。自分の居場所が出来ていく。そうして自分はそこに居着いてしまう。居着くことで初めて自由の意味を根本的に考えることになる。ようやく一個の砂粒としてものを考えるようになった。居着くことの不自由さについて子供の時とはちがうレベルで考えている。あと五年はたぶん働けたのに、六十歳でリタイアしたのは、居着いている自分からの脱出の意味もあった(と思う。後付けだけど)。

 

 社会的紐帯を完全に離れて生きられるほど、私は厭世的ではないが、子供の時にあこがれたわがままな自由をもう一度望んで、それがおおむね達成できているような気がする。とはいえ何を得るために何を失っているのか、それがちゃんと解っているとはいえない。だから無性に寂しいときがある。それでも一個の砂粒として生きることを選んだとき、覚悟すべきこと、つまりあきらめることを受け入れたつもりである。

 

 その心境で世界を見れば、そこそこ心に響くものがあり、輝いて見えることもある。夕陽が美しく目に映る。

無用の用か、無用の無用か

 こんな話を読んだ記憶がある。

 

 ニュートンが猫の通り道のため、壁に穴を開けた。そうして隣に小さな穴をもうひとつ開けた。人が、この小さな穴はなんのためのものかと尋ねたら、「子猫が通るための穴だ」と答えたそうである。

 

 たしか、数学が出来るからといって、必ずしも頭が良いわけではない、というようなことを言いたいための話として書かれていて、実話かどうかはわからない。

 

 数学が苦手で嫌いな人には嬉しい話かどうか。

 

 こういうことは世の中にざらにある話で、私が連想したのは、むかし(私が生まれるよりずっと昔)のそろばんには上の段の玉が二つ、下の段の玉が五つあった。繰り上がり、繰り下がりがあるから上には一つ、下には四つで充分用を足せる。

 

 なくてもかまわないのに存在しているものがたくさんあって、それは気がつかないからそのままにされているのか、無用に見えて用をなしているのか、一概に言えないこともある。無用の無用を撲滅しているうちに、無用の用まで撲滅されているということもあるかも知れない。やまゆり園の大量殺害事件も、障害者は社会にとって無用だから、無用を排除するのが正しいと信じた男の犯行と言えなくもない。だんだん話が極端になってきた。

 現代社会は経済を価値の基準としてみるのがあたりまえとなっている。いまは教育まで経済で語られる。無用を排除することで全てを効率化することが、人類にとって幸福なのかどうか、それを考える時間は余り残されていない気がする。礼節や敬語が無用だという若者は、何にそう言わされているのか。社会秩序を維持するためのものが、しばしば無用と見做されているような気がする。それが社会の絆を破壊して、次第に個人に崩壊しつつある。すでに私は砂粒である。

欲望の残り火を起こす

 在宅の時はほぼ自炊している。たまに安いスーパの弁当や寿司のパックを買うことがないではないが、めったにしない。外食と自炊とでは生活費が全く違う。その差がゆとりに寄与していると自負している。以前はそれなりに食材を揃えてなるべく日々ちがう料理を作るように努めていた。一人分を作るのはけっこう食材に無駄が出る。無駄が出ないように工夫するのも知能の働きを維持するのに有益である。

 

 私は大柄だから食べる量も人よりは少し多い方だった。それが最近とみに食が細くなった。胃が小さくなったのか、食べ過ぎると腹が苦しくなる。残念ながらちっとも痩せないのだが、それは消費するのがそれ以上に減っているからだろう。つまり運動不足だ。そうなると料理がおざなりになる。テーブルに載るのが二種類ほどしかないのが普通になった。レパートリーも激減し、マンネリ化している。食べることそのものに昔ほど喜びを感じなくなった。味覚も食慾も低下している。

 

 山に籠もる隠遁者ならそれでいいのかも知れないが、凡人である私の頭はまだ快楽を欲している。食慾は最後に残された大事な快楽だと思う。料理の本や全国各地の美味しいものについて書かれた本、食通の書いた本などが少なからずあったけれど、処分してしまった。簡単で食欲をそそるレシピを書いた本でも探してみようかと思う。テレビの料理番組をときどき眺めて、参考にしながら作ってみたいなあと思いながら、レシピを書き留めることが出来ずに思うだけで終わっていたが、録画しようかと思っている。ネットにはいくらでも料理の記事がある。

 

 残りの欲望をかき立てて、生きる力をちょっとくらい呼び覚まさなければ・・・。

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