南方熊楠(みなかたくまぐす)は知の巨人である。博覧強記の人で、こどもの頃から一度読んだ本は全て記憶したという。しかし記憶力だけの人ではなかったのは、その知識を関連付けてものを考えることのできるひとだったことであるし、また、行動する人でもあった。
明治時代、若くしてアメリカに渡り、数年過ごした。その間にキューバにも赴いている。のち、ニューヨークからイギリスに渡りロンドンに長く滞在して大英博物館を拠点に博物学を網羅して研究した。博物館をまるで自分の研究所のようにしていたことから博物館側から出入り禁止処分を受け、失意のうちに日本に帰国する。
もともと和歌山生まれであり、主に南紀を拠点に粘菌(変異菌)の研究などを行った。昭和天皇の和歌山行幸の際に御進講を行ったことが縁で、天皇家とは近しい。昭和天皇、平成天皇、そして今上陛下もこの記念館を訪れているようだ。
白浜の西海岸沿いに北上していくと南紀白浜のグラスボート乗り場、京都大学の白浜水族館があり、そこから狭い道を崖の上に上っていくと南方熊楠記念館がある。
駐車場に車をおいて、この坂を登ろうとしたら、かなりの距離を登らなければならず、ここを車で登って上の駐車場まで行けることがわかった。それにしてもほとんど車幅一杯の道であり、しかも急坂である。信号があって、交代で一方通行になる。歩いて登ったら一汗かくところであった。両脇の植物の多様なことに注目して欲しい。
上の第二駐車場に車を停めれば記念館の入り口はすぐそこである。
入り口手前にこんなものが置かれている。とくに熊楠と関係があるかどうか知らない。
記念館の前には昭和天皇の御製の碑がある。御製に個人名を詠うというのはあまりないことであり、それだけ昭和天皇の熊楠に対する思いが深かったということだと言われる。ここに神島(かしま)が読み込まれていて、この島の乱開発などを熊楠が食い止めたとも言われる。エコロジストとして、熊楠は身命をなげうって南紀の豊かな自然を守った。
記念館でDVDをまず見る。15分ほどだがよくまとめられていて、たいへんわかりやすい。訪ねたら必ず見た方がよいと思う。館内には変異菌(粘菌)の標本を始めたくさんの展示物が並べられている。私にしては館内を比較的に丁寧に見たが、写真は撮らなかった。
屋上に上がれる。岬の突端の崖の上であるから見晴らしが好い。
この下が南方熊楠記念館で、想像以上に大きいのである。
北側を見る。
島をアップで撮る。水の色が美しい。
南東方向は逆光になっている。この島が円月島。横から見ているから円月が見えない。
坂を下って記念館をあとにした。円月島の正面で車を停めて撮影した。ここで眠狂四郎は円月殺法を会得した、という話はない。
まだ昼を過ぎたばかりだったが、本日分の観光としては満足したので、このまま宿に帰った。
この日だけではなく、串本から名古屋に帰る道でもどこも立ち寄らなかったので、今回の旅の写真はこれでおしまい。正直くたびれたのである。自宅への帰路では熊野速玉神社や佐藤春夫記念館(ともに新宮にある)に寄ろうかと思ったが、今度にすることにした。来年には湯の峰温泉を拠点に瀞峡遊覧をして、熊野三山を丁寧に回ることにしようと思う。
それまで、さらば串本。さらば南紀。
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