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2021年11月

2021年11月30日 (火)

東尋坊

 北陸道の金津インターで降りて東尋坊へ向かう。昔からある道だから曲がり角が多い。東尋坊の駐車場からあの断崖まで、多少のアップダウンがあるがほんの少しなのに、膝と股関節がガクガク言っている。運転で腰も痛い。文字通り足腰が弱っている。散歩を怠るとどんどん衰えるものだと実感する。

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断崖の縁に到着。遊覧船が航跡を描いている。

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遠くに雄島が見えている。後で行くつもりだった。無人島で神域。紅い橋を渡って島をぐるりと回ることが出来る。ただし時計回りに回らず、逆回りするとたたりがあるそうだ。

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下に遊覧船が停泊している。左の階段を降りて、乗りこむ。一度も遊覧船に乗ったことがないので、海から東尋坊を眺めたことがない。時間はたっぷりあるので行くことにする。

階段の段差がつらい。岩だらけだから転げたら一巻の終わりである。何しろここは自殺の名所。手すりにしがみつきながら降りる。

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降りるに従って断崖の柱状節理がよく見える。

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遊覧船の窓から壁面を見る。私の記憶ではもっと六角柱に見えた気がするが、それほど明確ではない。

しばらく待たされたあと、船が出発、雄島のそばにも行くらしい。

船からの景色は次回に。

酒に弱くなった

 昨日のタイヤ交換は夕方遅くの予約だったので、朝の出発もゆっくりにした。一宮から名神高速に乗り、正面にようやく少し雪をかぶった伊吹山を見ながら飛ばさずに走る。金沢に行くには東海北陸道の方が近いが、峠の雪が心配で、米原からの北陸道を行くことにする。

 

 案に相違して北陸道には雪などどこにもない。山にすらない。東海北陸道で大丈夫だったかも知れない。敦賀を過ぎ、海の見える杉津のパーキングで休憩。

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杉津パーキングで日本海を眺める。快晴、海が青い。

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海を眺めているうちに気持ちが高揚してきた。

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山はもう秋が終わり、冬色になっている。

 このあとずいぶん久しぶりに東尋坊へ行くというのが本日の計画である。

 

 東尋坊とその周辺で、日本海を堪能したけれど、それは次回以降に掲載する。とにかく金沢駅裏のホテルに着いたのは六時過ぎになった。暗くなってから走るのは久しぶりで、途中で間違えて遠回りしてしまった。

 

 すぐに飲みに出かける。生ビールを一杯と酒を二合ほど飲んだだけで酩酊した。酒に弱くなったのを実感する。今朝も晴れ。ただし夕方から雨または雪の予報。本日の目的地は糸魚川フォッサマグナミュージアム。すっかり朝寝坊したので、今日もゆっくり出かけることにしよう。

2021年11月29日 (月)

予告が書かれていたのだ

 浅田次郎『兵諫』を読了して別の本、米沢穂信の時代小説などを読み始めていたのだけれど、やはりこの『兵諫』の前作にあたる『天子蒙塵』を読みたくなって引っ張り出した。途中まで読みかけで放り出してあったので、もう一度読み始めたら、序章に『兵諫』の予告にあたる文章があるではないか。

 

 ふとそのとき、円く豁(ひら)けた蒼穹(あおぞら)のきわみから、私の心の与り知らぬ渇いた媼の声が降り落ちてきた。

 

 満州の真白き虎の子、汝、張学良(チャンシユエリヤン)よ。
 大いなる紫微宮の星座に護られし貴子よ。
 父も故地も兵(つわもの)も奪われて異土へと流亡する哀れなる公子よ。
 その体は毒に侵され病に蝕まれているが、いかなる苦杯を嘗めようともけっしてみずから命を滅してはならぬ。
 やがて汝は関中の野、渭河のほとりに尽忠正義の徴旗(しるしばた)を掲げ、兵諫の壮挙をなすであろう。そは四億の民草の幸うところ、すなわち天の嘉するところ、よってその大義をなす汝は、おのが命をわたくししてはならぬ。
 心せよ、張学良。汝は凡下の将軍ではない。この漂泊の羈旅は敗走にあらず出奔にあらず、天子蒙塵の已むなき挙と知れ。
 左伝に曰く、
 天子塵を于外(うがい)に蒙る、敢えて奔りて官守に問わざらんや、と。
 今、汝を苦しめたるは塵埃に過ぎぬ。今、人心の離るるも一時に如かぬ。堪忍して来たるべき秋を待て。
 忍耐にまさる徳はなく、天は最も忍耐強き汝に、上の大夫の卿なる漢(おとこ)の名を与えた。
 東北の若き将軍、張学良よ。宙天に動かざる北辰のごとく、高く清らかに輝け。
 偉大なる兵諫ののち、汝は百年の天寿を全うするであろう。

 

 ここで『蒼穹の昴』以来のこのシリーズを読み継いできた読者なら、蒼穹(あおぞら)のきわみから聞こえた「渇いた媼」の声の主が、西太后であることは自明であろう。渭河のほとり、とは西安をさすことはもちろんである。

 

 この一文こそが先日読了した『兵諫』の予告であること、西安事件での張学良の役割を告げている。読んだからこそわかったし、読み直したからわかったことである。

 

『天子蒙塵』を読み始めたけれど、これは全四冊である。今日から出かけているので、また中断状態で、気持ちが途切れなければいいのだけれど・・・。

雪が心配

 太平洋側にいると、山間地や日本海側の冬の天候の見当がつかない。雪は一段落しているらしいが気温が低そうだ。タイヤを冬タイヤに替えてしまえば、よほどのことでなければどうということはないが、それまでは身動きがとれなくなるおそれがある。

 

 本日金沢へ向かう。様子を見ながら、寄り道しながら行くか、安全に幹線で直行するか判断しようと思う。

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 こんなふうだったらたいへんだ。

2021年11月28日 (日)

変わることは出来る

 自分がどういう人間か、わかっているようでわかっていない。他人が自分をどう見ているかは、他人の態度で想像するしかない。そうして、他人が自分を思っているだろう自分を演じ続ける。それを変えることは出来ないし、恥ずかしいと思っている。コアに自分自身という変わらない本質があるなどと思い込んでいる。そんなものがあるかどうかなど、取り出してみせられるものでもないからわからない。

 

 子供のときはとにかく、長ずるに及んでからは私は理屈っぽい人間になっていった。とうぜんのように、それを受け止める友人らしい友人は出来なかった。私のような人間が周りにいなかったからである。他人と関わることが煩わしいことだと思っていたから、却って気楽だった。

 

 しかし高校を卒業するくらいになって、どうもこれではまずいなあと気がついた。行き着く先があまりまともでない生き方につながっていると気がついたのである。以前書いたことがあるが、大学に入るにあたって自分を変えようと思った。

 

 まずかたちから変えるために端っこやうしろではなく、前へ、真ん中へ立ち位置や座る位置を変えるように心がけた。飲み会には積極的にエントリーした。山形では秋に芋煮会があるが、あまり知らないグループでも割り込んで混ぜてもらった。寮に入って積極的に役割を引き受けた。先輩達の部屋にどんどん入っていってかなり厳しいいじられ方をしても笑っていられるようになった。下戸の父と違い、酒が飲めるようになったことは大いにさいわいした。

 

 だから大阪の会社に就職して営業職をしていることに、大学時代以降の知り合いにはあたりまえに見えて、高校以前しか知らない知人友人には信じられないと言われる。他人に見えている自分を変えることに成功したのである。

 

 面倒くさがりで引っ込み思案な自分が、積極的に友人を誘い、出かけていき、人に会うのが、自分でもおかしい気持ちがする。自分は変えられる。変えられないのは変えないからである。私の本質は孤独に強くて、独りでいることを苦にしない。そうしてその本質が顔を覗かせて元に戻りかけるので、その時は意識的に前へ出るようにしている。

 ただ、まことに残念なことは、女性に対して積極的になるよう自分を変えきれなかったことだ。

景気回復とインフレ

『景気回復とインフレ』というNHKの番組を観て、粗雑なざる頭の私が考えたことをまとめてみようと思って、前回は現状認識の前提として「デフレマインド」について書いた。具体的なことで書いておきたいことがあったけれど、それを書き出すと何を言いたいのかわからなくなりそうで、最小限にとどめた。

 

 今、原油や穀物などの原材料価格が高騰している。要因の一つは中国の大量消費だと言われる。エルネギー、穀物、豚肉など、世界に流通しているものの過半を呑み込む勢いで、物不足と価格上昇を招いている。原材料側にもさまざまな要因が重なっているようだ。それらは一時的なものとは考えにくい。

 

 さらにコロナ禍によってICやさまざまな必須部品が生産できなくなっていることによる物不足が追い打ちをかけている。ものが足りなければ値上がりするのは必然的な成り行きで、これらが世界的なインフレ要因として押し寄せてきている。誰かが「第六波はこんなかたちだったのか」とつぶやいていたのが印象的だった。

 

 すでにアメリカの消費者物価上昇は6%を超えていて、インフレ懸念が増大しているからFRBは金融緩和をやめて金利上昇に舵を切ろうとしている。円安ドル高はそれを見越してのことであるのはご承知の通り。そしてアメリカの賃金はその消費者物価の上昇に連動して上がっている。だからものの値段が上がっても消費は却って増えているのである。景気が悪いという実感はアメリカ国民にはないだろう。ただし、貧富の格差はさらに増大するだろう。日本のマスコミや一部野党なら、最も貧しい人を取り上げて非をならすことだろう。

 

 原材料が上がれば製品価格に転嫁するのは必然的なことである。ところが日本では値上がりしたら売れなくなる、としてコストを生産者が呑み込んできた。生産者物価が上昇しているのに消費者物価が上がらないという事態が続いたらどうなるのか。切り詰めるのは人件費である。

 

 いま急激な生産者物価の上昇を生産者は呑み込みようがない事態に追い込まれている。番組では恐る恐る値上げをした飲食店が、案に相違して客も減らず売り上げも減らなかった様子を報じていた。

 

 デフレマインドによる日本の沈滞の出口は、この値上げをせざるを得ない外的状況に対応することにあると思う。値上げしたら売れなくなる、というおびえを乗り越えること、必要なものなら原料価格の上昇を価格転嫁しても必ず売れるという確信を取り戻すことだろう。そこからさび付いた悪循環を逆回しさせることが出来るのではないかと思う。

 

 デフレであるほど楽の出来る年金暮らしには、つらい時代になるだろうけれど、日本の景気が回復するのはこのチャンスしかないのではないか。ただし、加熱したインフレは危険だから大いにコントロールをきかせて欲しいけれど、これを逃すとまた日本だけ長い長いデフレという沈滞と衰退の時代が続いてしまうのは間違いない。

デフレマインド

 現役時代は化学品のメーカーの営業だった。いま、原油をはじめとして原材料価格が値上がりしている。現役だったらユーザーに値上げを了解してもらうのに奔走していただろう。後輩たちがどれほど苦労しているか想像すると、ご苦労様、と思わざるを得ない。

 

 学生時代、「価格の下方硬直性」ということばを学習した。値段というのは上がりやすいが下がりにくいというほどの意味である。しかしバブル後、日本は長い長いデフレ時代に突入して、その中で営業していた私には「価格の下方硬直性」ということばは空論にしか感じられなかった。「価格の上方硬直性」が現実だった。

 

 メーカーは競争相手が国内だけではなくなり、海外、特に韓国や中国と競争しなければならなくなった。それらの国は安い人件費で競争してくるから賃金は抑えられ、製品価格は限界を超えて引き下げられていった。多くの会社が生き残れずに撤退したり討ち死にをした。

 

 そうして日本に残されたのがデフレマインドである。製品価格は安くなければ売れない、賃金を抑えることでそれに対応しなければならない、という思考様式である。韓国や中国の賃金が上がり続けているのに日本の実質賃金は下がり続けることになった。賃金が上がらなければ消費は抑えられ続ける。こうしてデフレマインドのもと、日本の不景気感は延々と続いている。

 

 岸田内閣が賃金上昇を推し進めようとするのは、景気対策にそれが有効であること、必須のことであることがわかっているからである。それなのになかなかそれが達成できそうもないのはなぜなのか。それは街頭で一般庶民に聞くマスコミの報じ方を観ればわかる。「いまでさえ生活が苦しいのに、値上がりしたら苦しくてやっていけなくなる」。マスコミは人々を、値上げは庶民を苦しめる悪なのだ、と洗脳している。これはそのまま企業側に言わせれば「今のままでも苦しいのに、賃金を上げればやっていけない」。悪循環であることがわかるだろう。

 

 アメリカは(アメリカだけではないが)消費者物価が緩やかに上昇し、それに追随して賃金も上がっている。野党の一部は企業が利益追求に走って居り、内部留保を増やしながら賃金として分配していない、と非難する。価格転嫁が出来ないデフレマインドのなかで生き残るにはそうするしかないという隘路に追い込まれていることを考慮しないで、非難して正義の味方を標榜する。日本だけがデフレマインドの罠のなかでもがき続け、賃金は上がらず、物価は上がらず、消費は伸びず、GDPも伸びないから日本は経済的なポジションを低下させ続けている。

 

 経済に素人の私だが、自分の実見したことから考えてみている。次回は外的要因による変革のチャンスが、今来ている、という話を。

2021年11月27日 (土)

来年もないと思う

 名古屋へ転勤してきて以来だから1985年からで、なんと昨年で35年。なんのことかといえば、新酒の蔵開きに参加し続けた年数である。当初は津島酒造組合主催ということだったが、途中から各自の酒蔵での開催ということになった。この二十年あまりは、だから同じ蔵に通い続けてきた。年明けの一月か二月に開かれる蔵開きに友人たちが一堂に会する。何よりも楽しく嬉しい集まりなのである。昨年二月には私の弟が千葉から参加して友人たちにお披露目したし、そのときはまだF君は健在だった。

 

 その蔵開きがコロナ禍のせいで今年は開かれなかった。大阪の友人が「来年は開かれるだろうか」と訊く。コロナ禍がもしも治まっていたとしても難しいだろうと私は思っているので、そのように答えた。

 

 その酒蔵はホームページを開いているのでネットで調べてみたが、まだ開催中止の案内はない。しかし案内があるとしても来年になってからだろうと思う。汲みたての新酒の味は何物にも代えがたいほど美味で、知人友人の何人かに毎年恵送させていただいている。もし蔵開きがないということなら、来年早々に友人諸氏に汲みたての新酒を忘れずに発送するよう依頼しようと思う。

億劫になる

 認知症の兆しは、物忘れに始まることはだれもが知るところだ。若い人にもある単なる物忘れと、認知症の物忘れにはグラディエーション的な濃度差があって、程度が進むにつれて次第に限度を超えていくもののようだ。自分が物忘れをしているという自覚があるあいだは、もし認知症だとしても軽微な段階で、次第に物忘れしたという自覚すらうしなうらしい。

 

 自分がだんだんニワトリ頭になりつつあると感じている。ニワトリは何か目的を持って行動し始めても、ちょっと横を向いたとたんにすぐに目的を忘れるらしい。私も何かをしようと立ち上がったのに、歩き出したら何をしようとしたか忘れたりする。哀しいことだが仕方がない。

 

 認知症の症状の兆しとして、億劫になる、ということがあるそうだ。ふだんルーチン化していた作業が次第に面倒になってしまう。掃除や片付けなどがおろそかになるのは典型的な兆候で、本人は自覚がないが、家族がおかしいと気付くきっかけになるという。私が突然片付けを始めたりするのは、無意識にその兆候を感じて抵抗しているからかも知れない。食事が雑になる。それに抵抗して新しい料理に挑戦したりしている。

 

 ブログをせっせと書くのも「億劫だ」などと考え出すと続けられなくなるからだろう。何をそんなに一生懸命にやっているのだ、と思うけれど、止めてしまうと再開が難しいと自覚しているからだ。たちまちあたまがお休みしてしまうに違いない。

 

 出かけるのもけっこうエネルギーが必要で、じっとしている方が楽である。コロナ禍のリスクはもちろん、事故に遭うリスクもあるし、そもそも疲れるものだ。それでも自分を鼓舞して出かける。

 

 冬にも出かけたいので、来週には冬タイヤ交換をかねて金沢へ行き、一泊して翌日は糸魚川から姫川を遡上して来ようと思っている。姫川温泉にもう一泊の予定だ。糸魚川ではフォッサマグナミュージアムに立ち寄る。今月中でしばらく休館になってしまうから、ギリギリである。

 

 その次の週には大阪と奈良の友人と三人で会食しようと声をかけた。快諾を得たのでこちらは日帰りであるがずいぶん久しぶりの対面で、とても楽しみである。コロナ禍は季節的なこともあって再燃は必至だと私は思っている。たまたまハザマのようないま、会えるときに会っておかないと、いつまた会えるかわからない。

 

 億劫になる気持ちを抑え込んで、認知症を少しでも食い止めるのだ。

思い出だけになった

 NHKの『桃源記行』が再放送されていて、毎朝楽しみに観ている。ほとんど行ったことのないところばかりだが、中国の地方の街や村は妙になつかしい。それは私が雲南省や江南の水郷地帯で訪ねたところを思い出させるからであり、また私のこどもの頃の風景を思いださせるものでもあるからだ。

 

 中国を旅行したときのの写真を眺めてなつかしく思う。いつでも行けた中国が、遠い国になってしまって、もう行くことはないだろうとあきらめている。中国はこうしたテレビ番組で観るか、思い出の写真を見るしかない存在になった。それはコロナ禍のなせることではなくて、いまの中国の習近平による異常ともいえる監視管理体制にたいする嫌気からで、まことに残念なことだ。

 

 雲南省には二回行った。一回目、一人で行ったときの写真から、観光写真ではないものを何枚か掲載する。

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田舎へ行けば、干したトウモロコシはそこら中で見る。

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石炭の粉を固めて作った煉丹は、日本が中国に進出した時に伝わったと聞いたことがある。火力が強く、火保ちがして使い勝手が好いのでよく使われているが、換気が不十分だと一酸化炭素中毒事故を起こしやすい。

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田舎の犬はたいていこのように痩せていた。犬はときどき見たが、猫をほとんど見たことがない。

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いま私のこたつ布団のカバーに、左のような藍染めのろうけつ染めの布を買って使用している。これは魚だが、私のは蝶柄。洗濯したら色落ちがあるかと思ったら、全く色落ちせず、白いものと一緒に洗っても大丈夫。真ん中の布がめくれたところに靴があるのに、あとで気がついた。

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こういう光景を見て、美味しそうだなあ、と思えれば中国の田舎は居心地がいい。実際に美味しいことが多い。

2021年11月26日 (金)

ガソリン車で走る

 車で遠出することが多い身としては、ガソリンが高いことはありがたくない。しかし考えてみれば長駆して1000キロ走ったとしても、高速を使えば燃費はリッター16キロくらい走るから、ガソリンは60リットルあまりしか使わず、10円高くなっても600円あまり高いだけである。それがいやなら出かけなければいいだけのことで、大騒ぎするほどのことでもない。宿で冷酒一本頼んでも600円より高いのである。運送業やバス会社はたいへんだろうが、一般の人は生活に関わるというほどではないと思う。

 

 考えてみれば、500ミリリットルのペットボトルのシュースやお茶が一本150~160円で、一リットルなら300円あまり、ガソリンが160円から170円だとすると、ガソリンがいかに安いものであるか。

 

 長谷川慶太郎氏や養老孟司師が言っているように、20世紀は石油の時代として大量生産大量消費という世界を現出させた。それがいかに価値観を変革させたか。人は大量に消費するとともに世界中を移動できるようになった。こうしてさまざまなものが安く作られ、使い捨ての時代を人類は謳歌した。豊かさが人類の人口爆発をもたらしたともいえる。

 

 しかし地球も資源も有限であるから、どこかで限界が来ることは自明のことで、さまざまな豊かさのツケがいま回ってきたのである。その落としどころがどの辺にあって、世界がどう折り合いをつけていくのか、それが問われていると言っていい。

 

 もう安いものを大量に消費して使い捨てにしていく時代は終わりつつあるのだろう。すでにゴミはどんどん世界にあふれ始めている。自然はそれらを吸収して自己回復する限界を超えた。ガソリンはどんどん値上がりしてついにだれも使わなくなる時代が来る。何しろ電気自動車へ変わりつつあるらしいから。だからまだ使えるうちに私はガソリンを消費しながら車を走らせる。むかしはよかったなあ、といつか言われるだろう。

私の印象

 立憲民主党の新代表の選挙に立候補している四人の意見を何度か見聞きした。自党がどう見られているのか自覚している人もいれば、あまりよくわかっていない人もいるようだけれど、今度の代表戦はその見方を期待に変えるチャンスのはずで、ますます失望に向かわないように出来るかどうか。

 

よく知らないから無責任な私の印象であるが、

 

逢坂氏
 政権批判となんでも反対ではいけないと、繰り返し語っていたが、代表になったら、政権批判となんでも反対に走りそうに見える。

 

泉氏
 いちばんまともに見えるけれど、無理な作り笑顔が気になって、何を言っているのか耳に入らなくなってしまうのが難点。

 

小川氏
 熱意と若さが満々だけれど、言っていることが観念的で、具体性が見られない。どこへ向かうつもりなのだろう。

 

西村氏
 女性であることが最大の売りで、もしかすると女性のことしか考えていないのではなかろうかと思うほどである。思い込みが強そうで、最も危うい。

 

 どうして枝野氏のような人が党の代表なのか、他に人はいないのか、とかねがね思っていたけれど、いないのだなあと得心している。

さっぱりする

 散歩がてら、床屋に行った。随分前から行こうと思っていたけれど、床屋へ行くのはどうも気が進まない。コロナ禍を理由にのばしのばししていたけれど、襟足周りがあまりにもうっとうしくなったし、コロナが収まっているうちに行っておかないと、また行きそびれてしまう。

 

 格安床屋が隣町にあり、歩くと三十分以上掛かる。電車で一駅だが、電車で行っても十分あまりしか短縮できないから、久しぶりの散歩のつもりで歩いて行った。歩き出した当座の足の重いこと。しばらく歩いていないとたちまち足がなまってしまう。それがますますひどくなっているのを実感する。床屋に着いた頃には少なからず汗をかいていたけれど、足の重さはなくなっていた。

 

 格安床屋は格安であることがありがたいのだが、それ以上に嬉しいのは、散髪、ひげそり、シャンプーまで全て合わせて三十分で済んでしまうことだ。あたまがさっぱりして体も軽くなって、帰り道は遠くなかった。

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前髪はこれほどないが(というよりほとんどない)、こんなボサボサだった髪を・・・

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思い切り刈り上げてもらったので、こんなふうにさっぱりした。

2021年11月25日 (木)

浅田次郎『兵諫』(講談社)

 昭和十一年二月、二・二六事件。1936年12月西安事件。日本で起きた事件と、中国で起きた事件は、実は同じ年の出来事である。

 

 物語はこの二つの事件をどう捉えるのか、日本の記者、アメリカの記者、そして日本の特務機関の男の三人と事件との関わりを軸に描かれていく。この二つの事件が日本の運命を、そして中国の進む道を大きく変えた。そして二つの事件には見えざる波及があったという浅田次郎の見立てがあって、それが事実かどうかはべつにして、歴史を考える一つの補助線になっている。

 

 物語にすることで、その時代の中国の姿、特に上海と南京の姿がリアルに浮かび上がってくる。

 

 西安事件は、共産軍誅伐のために張学良率いる東北軍閥、そして楊虎城率いる西北軍閥の督励にやってきた蒋介石が、張学良と楊虎城のクーデターによって監禁され、第二次国共合作を受け入れるにいたった事件である。まず共産党軍を倒し、しかる後に日本と戦うとしていた蒋介石が、共産党と組んで、日本と戦うことを決めた重要な転換点なのである。

 

 蒋介石はその時、西安郊外の華清池、あの楊貴妃が玄宗皇帝に浴を賜った温泉で、皇帝の避暑地であり、避寒地であるが、そこに滞在していた。

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 襲撃され、蒋介石はすぐ裏手の急峻な驪山に逃げたが、逃げ切れなかった。写真は華清池に残されている、銃弾を受けた窓ガラス。

 

 揚子江の支流、黄浦江沿いの外灘(ワイタン)は上海の最も有名な観光地だが、戦前の建物が残されていて、その時代の風情を残している。その北側、黃浦江に流れ込んでいる蘇州河の北側が当時の日本の租界地であった。物語ではその辺りのホテルからの上海の景色がしばしば描かれている。Dsc_0067_20211125160301 蘇州河

 その辺りの安ホテルに息子の卒業祝いを兼ねて二人で三泊して上海をほっつき歩いた。ホテル代と飛行機代だけ支払ってあとは全部自由。旅行会社に支払ったのは二人で15万円足らずのケチケチ旅行だった。食事も自分で近くの食堂などに食べに行ったし、移動は地下鉄と歩きである。二年後に上海万博を控えて上海のその辺りはスクラップアンドビルドのスクラップが行われている最中だった。

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 物語のなかの上海、そして息子と見た十数年前の上海がオーバーラップした。

谷中の五重塔

 いま読んでいる森史朗『作家と戦争』という本では、城山三郎と吉村昭の作家が戦争との関連で詳しく評論されている。まだ読み始めたところで、少しずつ読み進めているから年内に読み終えるかどうか。

 

 城山三郎が敗戦で軍隊から戻り、東京商科大学(現一橋大学)に入学し直した。その頃の話が書かれていた部分。

 

 卒業前の一年間は“江戸暮らしを知るために”谷中墓地近くの下宿屋に移り住んだ。
 昭和二十六年の冬は寒く、雪が多く降った。谷中墓地の眺めやその静けさは心に沁み、幸田露伴が描いた五重塔がまだ焼失前であり、「雪の夜などは息をのむ壮麗さであった」とロマンチストらしい一文が見える。

 

 幸田露伴の『五重塔』は文語調のリズムの好い文章で、若い頃二度ほど読んで感銘を受けた忘れられない小説である。いつか谷中に行ってその五重塔を見たいと思っていたら、それが焼失して現存しないことをあとで知った。

 

 小説では谷中感応寺の五重塔ということになっているが、実際は谷中天王寺の五重塔である。1791年に再建され、1957年(昭和三十二年)に放火心中事件によって焼失した。私が見たかった五重塔を城山三郎が、いや城山三郎だけではなく谷中の人たちがいつも目にしていたことに妙に感じ入ってしまった。時空を越えて何かがつながっている気がしたからだ。世界は思わぬところでさまざまに関係している。そんなあたりまえのことにちょっと感動した。気がつかないだけで、細部にさまざまな世界との通路がある。

心配事

 義弟が脳出血で倒れ、入院している。緊急手術で数日後に意識も回復して安心していたら、発熱してふたたび意識不明状態になってしまった。先週、再手術予定だったが、状況が芳しくないとして延期となり、昨日手術が行われた。妹に電話して確認したところでは、いちおう手術は無事に終わったが、この一週間でどれほど改善されるかどうかがわかるのだそうだ。

 

 当初は妹や姪(妹の娘)をきちんと認識しての応答があったらしい。だから、そこからまた状態が悪化したのは妹にはかなりこたえているようだ。励ましようがない。ただ回復を祈るばかりだ。義弟は私の弟と同い年で、私の四歳下。まだ六十代だが、血圧が高かったという。「お兄ちゃんも気をつけてね」と言われてしまった。 

 

 医学はどれほど進んでも、出来ることと出来ないことがあるらしい。わかっているのだけれど・・・。

2021年11月24日 (水)

ずっと同じことを言っている

 愛知県の弥富の中学校で、生徒が生徒を包丁で刺す事件が起きて、意識不明だった刺された生徒は結局死亡したようだ。動機などはこれからいろいろ調べられて報道されるだろう。自分の住んでいる愛知県はいいところだと思っているが、どういうわけか殺人事件が特異的に多いような気がしている。

 

 ところで、犯人の少年を取り調べていると思われる蟹江警察署の前で取材しているNHKの記者の報告が、事件のあとの当初のものと12時過ぎ、そして13時過ぎの列島ニュースで全く同じであることに驚いた。

 

 事件を知った母親の一人が「学校からの連絡はまだない。子供もまだ家に帰っていないから様子がわからず学校に来た」と語ったと報じているのだが、学校からの連絡はともかく、子供が本当にまだ帰っていないのだろうか。全く同じことを語っていた記者は、その母親にインタビューしたあと、何も新しい事実を尋ねて訊きだしていないのだろうか。同じ顔で同じことを数時間のあいだ言い続けていることに何も疑問を感じている様子も見られず、局もそれをただ報じている。

 

 事態が刻々と変わるだろうことを繰り返されても聞く意味がない。ずいぶんいいかげんな取材だな、と感じた。繰り返すなら繰り返す意味のある内容を報じてほしいものだ。取材記者のお粗末さを見せられることが以前より増えている気がする。個別の記者の問題ではなく、マスコミの報道そのものが劣化しているのでなければいいのだが。

 

点火は出来るか

 数日間映画とドラマを観続けた。我ながらずいぶん見たものだと思う。毎日七、八時間は観ていたのではないか。さすがに食傷してきた。しかし自分にそのように集中して何かを楽しむことが出来ることを実感したことはたしかだ。あとで気がついたけれど、本が無性に読みたくなってきた。読んでいなかったわけではないが、読書意欲というエネルギーには着火不十分な気がしていた。このドラマと映画の耽溺で、読書意欲への点火が出来ればさいわいである。

 

 先日、久しぶりに(そうでもないか)書店で一抱えほど本を買った。その中に浅田次郎の『兵諫』という本がある。帯に小さく『蒼穹の昴』からのシリーズ最新作とあるのに、買ったときには気付かなかった。シリーズを列記すると、
『蒼穹の昴』
『珍妃の井戸』
『中原の虹』
『マンチュリアン・リポート』
『天子蒙塵』
そして最新作がこの『兵諫』ということになる。

 

『天子蒙塵』以外は全ておもしろく読んだが、『天子蒙塵』は全四冊で、まだ第一冊を読みかけで、一年以上放り出してある。シリーズであることがわかったから、先にそちらを読むべきかも知れないが、シリーズといっても、前後して読んだらおもしろさが損なわれるということはない物語だと思うので、『兵諫』から読むことにした。

 

 ところで本に挟まれている新刊案内に、講談社学術文庫に『中国の歴史』全十二巻が文庫化して発刊されるという案内があった。私はハードカバーでじっくりと読んだ良書である。中国の歴史について私が読んだなかでは最も読み応えのある、全体を俯瞰してさまざまな資料が網羅された歴史の本だと思う。ここから現代の中国を見直し、また、日本を見直す手がかりとして、強くお勧めしたい。

人生の分かれ目

 昨晩、寝床で音楽を聴いていたら昔のことを様々に思い出して眠れなくなった。いつもは静かなピアノ曲などを聴きながらたちまち眠るのに、昨晩は歌を聴いたから歌詞からいろいろ連想してしまったのだ。

 思えば小さな分かれ目、大きな分かれ目があった。なりゆきで選んできたけれど、そうではない生き方もあったのだ。すんだことはどうしようもないとわかっているのに、選ばなかった生き方のことを思うのは自分ながら気持ちが弱くなっている気がする。

 いや、そうではないのかもしれない。振り返らないようにして目をつぶってきたことを見つめなおすのは、ときにはあってもいいことなのかもしれない。

 

2021年11月23日 (火)

さらにあたまが・・・

 午前中にささやかな所用を済ませ、午後は中国の妖魔映画や武侠映画を四本ぶっ続けに観たので、くたびれ果てて、さらにあまたがぐちゃぐちゃである。ただ不快な疲れではなく、ある意味気持ちが好いくらい空っぽになった疲れである。今夜はよく眠れるだろう。

 

観た映画
『セブンソード 黄泉がえりの七情花』2019年
『少林寺 十八の羅漢』2020年
『三国志 趙雲 無双伝』2020年
『白髪魔女伝』2020年

 

 私の評価では『白髪魔女伝』が一番だが、ストーリー的に必ずしも出来が好いというわけではない。ただ魔女の哀しみはちょっとだけ理解できる。だれもがこんなに簡単に悪いやつにだまされるのは哀しいことに違いない。人を信じないのにもほどがある。実際ころりとだまされる人は多いけどね。

 

 『少林寺 十八の羅漢』は日本人から観たら情けなくなるほどの反日宣伝映画となっている。明の時代の倭寇と少林寺の僧兵が闘う物語だが、倭寇の親玉が「小西」という。これは秀吉の時代の朝鮮出兵のときの小西行長のことかと思うが、ほとんど破滅的な虐殺を行う狂人として描かれているのだ。

 

 そもそも時代考察はめちゃくちゃ、戦場での死者の葬送に盆踊りと能らしきおかしな仮面をかぶった所作もあって、笑わせてくれる。忍者らしきものも出てくる。この映画の時代は1550年代らしいが、秀吉の朝鮮出兵はそれから40年ほど後のことだ。たしかに倭寇は中国の沿岸を荒らしたが、秀吉から派遣された軍は朝鮮半島までしか行っていない。まあこんな映画に時代考証を行っても仕方がないが、こんな映画を観ていれば、日本人というのは血も涙もないほとんど人間ではなく鬼畜だと思う中国人もいるだろうなあ。

 

 最後に死者の名簿への書き込みのシーンがあるが、そこに簡体字(戦後新生中国で作られた漢字)がチラリと見えて笑ってしまった。

合理的

 昨晩のプライムニュースで、先崎教授が合理的であることが必ずしも政治的に正しいことなのかどうか疑念を持っていると述べていて、なるほどと深く心に感じるものがあった。合理的がしばしば合目的的であったり、合理的な方を選ぶことによってうしなわれるものがあることを考えなければならないと思った。例として、この十年で保健所を半分にしたのは合理的に正しいことだと判断されたからであることが挙げられていた。蓮舫氏が事業仕分けをしたときの論理的根拠が合理性だった。

 

 社会的ゆとり、文化的なさまざまなもの、人のつながりなどが、この合理的であるかどうかという価値観で切り捨てられていった。合理的は功利的につながっていて、合理的であることが国際社会での競争力につながるのだ、と経済的な論理でグローバルスタンダードを推し進めてきたことが何をもたらしたのか、あらためて考え直さなければならない時代に来たような気がする。

 

 合理的でなければ生きていけないほど地上は人であふれ、限界のある資源は使いつくされ、孤島に増えすぎたヤギのように人類はある時点で壊滅的な事態を迎えるところに向かっているのかも知れない。その延命策が合理的という思想なのだろう。その先兵先例がまさにいまの世界を呑み込まんばかりの中国の姿ではないか、と私は視ているのだが。

 

 石破茂氏がグループ1984年の『日本の自殺』という本を引き合いに出していたのに驚いた。この本には、私も影響を受けた。おおむかしの若い頃読んだ本だから内容はほとんど忘れたが、若い頃の観念的な理想論ではない、リアリズムの世界観を持つための入り口になったという記憶だけが残っている。読み直したい気もするがどこにしまい込まれているだろうか。もう処分しただろうか。

 

 石破茂氏の語る論理的な言説はまことに正しい。それなのに党内の賛同があまり得られないのはどうしてなのだろうか。そういう私も、彼の言っていることに賛同はするが支持したいとは思えない。どうしてなのかわからない。

試しに作ってみた

 昨晩、三分クッキングで観たばかりの料理を作って酒のつまみにした。冷蔵庫にない食材もあったので、たまたまあったものを主体に作ったら大いに満足するものが出来た。

 

 ニラ(ベランダのニラをつまんだ)を細かく刻み、それにごま油をよく混ぜてから電子レンジでチンして、醤油と酢を加えてタレにする。別に、鶏肉を塩と胡椒で下ごしらえしておき、少しおいてから片栗粉をまぶしておく。水と酒と野菜とキノコを入れた鍋を火にかけて、煮立ったら鶏肉をどんどん放り込み、煮えたところでニラのタレに漬けて食す。白ゴマなどを加えておくと良い。

 

 レシピでは鶏肉は胸肉のそぎ切り、野菜は白菜とシメジだけれど、胸肉がなかったので、もも肉を使った。すぐに煮えるようにあまり大きくないように切る。白菜は漬け物に使ってしまったので、残っていた小松菜にした。酢を好みの黒酢にしたので、ちょっとだけ中華風になった。片栗粉で鶏肉はもちろんスープにとろみがつき、ごま油とニラのタレがまつわりつきやすく、とても美味いし、体も温まる。簡単だし、安上がりだし、あっという間に出来るので、私の常用レシピに加えようと思う。

2021年11月22日 (月)

今日もテレビ三昧

 今日は朝から雨。雨だからドラマや映画を観る、というわけではないが、雨だから出かけない言い訳にはなる。

 

今日観たもの。
 宮部みゆき原作の『ソロモンの偽証』全八話の最終回。意外な展開が続いたあとに、やはり最後の最後にさらに大きなしかけがあった。さすが宮部みゆきだ。上白石萌歌は別のドラマでも好演していたけれど、あの相手を見つめる真剣なまなざしに参ってしまうなあ。私を見ているわけではないけれど・・・。

 

 湊かなえ原作『山女日記』第三シーズン全六回の最終話。これも期待通りの好い気分で観終わらせてくれた。もっと若かったらあの景色が見たくて山登りを始めそうだ。

 

 ドキュメントでは一帯一路で中国がカンボジアにどんな進出の仕方をしているのかがレポートされていた。思えば中国の支援による内戦で、150万人の大虐殺があったカンボジアが、いま東南アジアで最も中国の思い通りになっていることに無常感を感じざるを得ない。とはいえ、それはフンセン政権下の事態であり、国民に対するアンケートでは、九割近い国民が中国の進出に反対しているという。それはそうだろう。ほとんどの国民が当時のことを忘れていないはずなのだから。
 
映画『まともじゃないのは君も一緒』2021年日本。清原果耶の名前に惹かれて観たけれど、あれよあれよという間に映画にのめり込ませてもらった。頼りない感じの成田凌という俳優の良さを教えてももらった。台詞のテンポが良くて、清原果耶の表情の演技の素晴らしさと相まって、観て好かったと思う映画になっていた。

 

映画『約束のネバーランド』2020年日本。最初、主演が浜辺美波だと気付かなかった。録画しようと思ったのは彼女が出ているからだったはずなのだが、すっかり忘れていた。原作がコミックだから、シチュエーションはいかにも現実離れしていて馬鹿馬鹿しいといえないこともないが、最後まで眠りもせずにちゃんと観られたのは、浜辺美波の笑顔が可愛いからだろう。私も漫画を楽しむ心はまだ枯れきっていないようだ。

 

 今日もテレビ三昧でくたびれた。

出来れば・・・

 東日本大震災をはじめ、大きな災害のときの個人的体験を語り継ぐ若者達がいて、それはそのまま自分がそのような災害時にどう行動すべきか考えるために大いに役に立つことであり、災い転じて・・・他人に無関心な若者の多いなかでの慶賀すべき行動だと思う。

 

 同様に戦争の個人的体験を高齢者から聞き取り、語り継ぐ若者達がいる。これはこれで意味のあることであることを否定しないが、出来ればどうして戦争が起きるのか、同じ熱意を持って歴史的な背景を学んで欲しいと思っている。それも偏ったものだけではなく、戦史ものも含めた両側面を立体的に知ることを意識して学んで欲しいと願う。人間について学ぶことにつながり、自分自身の大人としての成長に必ず寄与するはずだ。全体のなかの少数であることに絶望する必要はない。覚醒したそのような若者達こそが歴史を作るはずだから。

行ったばかり

 20日土曜日のブラタモリは糸魚川の根知のあたりを歩いていた。ここには糸静構造線の露頭があって8月にそこへ行ってきたばかりだ。番組でフォッサマグナと糸静構造線を混同している人がいる、とタモリが言っていたけれど、私もその一人で、どうしてフォッサマグナと言わずに糸静構造線などと言うのかと思っていた。中学校、高校の教科書では糸静構造線をフォッサマグナと書いてあったように思うが、私の思い込みなのだろうか。

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 根知にはフォッサマグナパークがある。ここは糸魚川市街からは距離があるが、それとは別に糸魚川市街に近いフォッサマグナミュージアムという大きな展示館がある。前回行った時には寄らなかったが、来週、用事で金沢に行くので足をのばして訪ねるつもりだ。ここでは日本列島の出来た様子、フォッサマグナについての詳しい展示があって、とてもおもしろい。休館日を確認しようと調べたら、なんと12月と1月は改装のため全休するらしい。11月中に行くしかない。あわてて予定を決めた。

Dsc_5438_20211122063501番組でもキャプションがあったが、いまは工事中で、下まで降りて正面から写真を撮ることが出来ない。

 ここの鉱物の展示数とその展示物のみごとさは素晴らしい。つまり一度行ったことがあるのだけれど、もう一度見ようと思っていたのである。自然というのはどうしてこんな不思議な鉱物を生み出すのだろう、と感嘆した。それをもう一度楽しんでくるつもりだ。

2021年11月21日 (日)

あたまがぐちゃぐちゃ

 昨日から何もしないで、録りためたドラマを片端から観ていた。まず宮部みゆき原作の『ソロモンの偽証』全八話、ただしこれは第八話は明日の日曜日に最終回なので、宙ぶらりん。そして北欧サスペンス『TOP DOG 勝者の階段』これはスウェーデンとドイツ合作のドラマ全八話、さらに英国サスペンス『THE BAY 2虚構の家族』全六話。

 

 ほとんど食事の支度と食事時間以外はドラマを観続けたので、あたまがぐちゃぐちゃである。それだけ没頭できる、出来の良いドラマばかりだということでもあって、心地よい疲労の中にいる。

 

 まだまだ録りためたドラマがたくさんあって、明日も徹底的に観ていくつもりであり、ブログはしばしそちらが優先されるので、書けるかどうかわからない。

150403-6いまの私

なつかしい

 昨晩は風呂に入りそびれて、今朝、朝風呂に入った。風呂上がりのぼんやりしたあたまのままテレビをつけたら、日本の10分で巡る廃線の旅(ちがった題だったかな)とかいう番組をやっていた。途中からだったけれど、湯野浜線、大畑線、尾花沢線が特になつかしく感じた。とはいえ実際に乗ったことがあるのは尾花沢線だけである。

 

 学生時代、思い立って部活の友人とふたりで銀山温泉に行くことにした。米沢から奥羽本線で大石田まで行き、そこで尾花沢線に乗り換えた。たしか大石田から尾花沢までの二駅しかない小さな枝線だったかと思う。電車ではなくディーゼルだと記憶している。尾花沢からは銀山温泉まではバスである。実はこの銀山温泉は私の両親の新婚旅行先で、同じ道程をたどっているのだなあ、などと思ったものだ。

 

 その時に友だちも私もあまり金がなくて、小さな湯宿で有り金がこれだけだけど泊めてもらえないか、と頼んでみたら笑いながら快諾してくれたときは本当に嬉しかった。布団部屋に寝かされることもなく、食事もちゃんとしたものだった。小さな風呂は混浴で、乳飲み子を抱いた若い女性の白い肌にクラクラした。

 

 大畑線は下北半島にあった。私は恐山の景色が好きで、三回行っている。泊まるのは薬研温泉という恐山のさらに北側にある温泉である。また行きたい、行きたいと思いながら自分の事情やコロナ禍が重なって、行くことが出来ずにいる。もうすぐ雪の中になる。その薬研温泉から山を下り、つまり北上すれば北海道の見える海まで行く。そこが大畑である。大畑線はその海岸線を走っていたのであろう。

 

 湯野浜というところは、リタイアしてから兄貴分の人と初めて東北旅行へ往った時の最初の宿にしたところだ。海岸にある温泉で、その時は民宿旅館だった。青いムームーを着た旅館の女将さんがダンスを踊ってもてなしてくれた。豪快に笑う陽気な人だった。宿の場所がわからずに電話をしたら腰の曲がりかけたおじいさんが迎えに来てくれたのだが、それがご主人であった。あとでそっと、女将さんが教えてくれたのはその後主人は私たちとあまり年が違わないが、癌で余命幾ばくもないのだということだった。

 

 湯野浜にもそのあともう一度泊まった。泊まったのはその宿ではなかったが、その時のことを思い出したりした。湯野浜線はそこを走っていた。湯野浜は名古屋から日本海回りで600キロほどあり、それが一日で走れる最大距離だったが、いまはそこまで走れないので、上越あたりに泊まるようになった。

2021年11月20日 (土)

だれが不公平感を持つというのか

 駅のバリアフリー化を進めるために、利用者に負担を求めるのだという。利用一回あたり10円程度を限度とする予定だそうだ。バリアフリーには費用が掛かる。わかるように利用料金にその費用を転嫁するか、採算に合わせてただ単に運賃を引き上げるか、それはかたちだけのことで違いはない。バリアフリーが必要であれば仕方のないことだ。

 

 問題はそのニュースを伝える際に、「不公平感」を持つ利用者がいる点をどうするのかと言っていたことだ。バリアフリーの必要のない健常者にバリアフリーの費用を負担させるのは公平ではないと誰かが異を唱えたのだろうか。全くいないことはないかも知れないが、まともな人ならそんなことに対して「不公平だ」と言うとは思えない。ではなぜニュースでそのように報じたのか。

 

 常に苦情を受け続けて、ことごとく先回りして苦情を受けないようにしようというマスコミの事なかれ主義の反映が見える。誰も苦情を言うつもりがなくても、こういう報道のされ方をすると、「不公平だ」というのがあたかも正常であるかのような錯覚をもたらす。

 

 なんなのだろう、このような異常に細やかな神経の使い方は。瑕瑾を捉えて騒ぎ立てる自らの習性の反動が、このような誰も言わないだろうことを先取りして報じてしまうことにつながっている気がする。

 

 それともそんな片言隻句に違和感を感じる私が神経質に過ぎるのだろうか。私はもう少し世のなかは大雑把でもいいと思っている人間のつもりなのだけれど・・・。

あぶない、あぶない

 母方の祖父と叔父たちは酒が好きで、酒豪と言っていいほど飲んだ。それに反して、私の父や父の兄弟はそろって下戸で、甘いものが大好きだった。私は酒が好きで、しかも甘いものが好きである。そして何を食べても美味しく感じたし、ひとよりもたくさん食べた。結果として糖尿病になった。美食をしても糖尿病にならない人が羨ましい。

 

 最近間食が増えている。口寂しくて耐えられないのである。甘いものもつい食べてしまう。気持ちが苛立っているときなど、牛乳に蜂蜜を入れて甘くして飲んだりすると心が安らぐ。薬物中毒と同じである。気がついたら喉が異様に渇く。節制して押さえ込んでいたはずの糖尿病がまた悪化していると思われる。薬物中毒と同じ、というのは、悪くなるほどカロリーの高いものが欲しくなっていくからである。自分の意志では次第に抑えられなくなっていく。究極的には食べれば食べるほど飢えていくという様相を呈する。おそろしいのである。

 

 いまなら元に戻せるかも知れないし、戻さなければならない。食事を低カロリーにして、意識して身体を動かし、消費しなければならないと、あたまでは理解している。さてそれが励行できるかどうか。しばらく頑張ってみようと心に決めた。あぶない、あぶない。

仲よし

 BSフジのプライムニュースで立憲民主党党首立候補者四人の話を聞いた。それぞれの主張に違いがあると言えばあるし、同じようなことを言っているだけのようにも聞こえた。結局印象に残ったのは、みんな仲よしだなあということだった。

 

 番組の主旨として、論戦を闘わせるというより、それぞれの言い分を表明してもらうということになっていたのだろうか。反町キャスターはそれぞれの候補の違いを、今回の衆議院選挙の結果をそれぞれの候補がどう捉え、これからの立憲民主党をどのような党にしていきたいのか語らせようとしていたのだが、違いではなくてあたかも口裏合わせのような似たような物言いに終始して見えた。

 

 理念、観念の党だという見られ方をすることの多い立憲民主党を、具体的な成果につながる行動を重ねることで国民の信頼を取り戻したいということばを語っていたが、是非そうしてもらいたいものだ。共産党との共闘がそのようなことばとどう整合するのか、国民はちゃんと見ているものである。わかっているのだろうか。ただ、維新の躍進を見て言っているだけなのか。

 

 保守からリベラルの間の、自分たちの思想的立ち位置をどう考えているのかをグラフで明示させたときの、外から見えるものと彼らが考える物差しがずいぶんちがうように見えることに唖然として笑ってしまった。これでは無党派層の票が維新に流れたのもあたりまえだなあと思った。

 

 自民党の党首選とくらべて明らかに面白さに欠けるものとなっていたのは、互いの違いを明らかにするための他者への批判がほとんど見られなかったからで、批判がないどころか、キャスターに突っ込まれた他の候補を代わって弁明したりする姿にも見て取れた。だから仲よし、と見えたのである。

 

 立憲民主党が支持を回復できるように変われるのかどうか、それは政権批判に終始するのではなく、是々非々というあたりまえの行動がとれるかどうかにかかっているのだが、それが期待できるかどうかがわからなかった。

 

 仲よしは外部に敵を作ることでいっそう仲よしになる。だから政権批判を仲良く続けるということになりそうな気がした。

2021年11月19日 (金)

池内紀『私はこうして読書をたのしんだ』(中央公論社)

 書評であり、読書案内である。どうしてこう魅力的な、しかも見たことのないのに読みたくなるような本を、次々に見つけ出して読むことが出来るのか、本に対しての嗅覚の素晴らしさを羨ましいと思う。つまり池内紀は間口が広い好奇心の持ち主だということである。

 

 ここに取り上げられた作家や本を読んでみたいけれど、物理的に限度があるし、すでに読みかけだったり読むつもりの本が私の周りに積み上げられているから、手が回りかねる。

 

 取り上げられた何十冊という魅力的な本たちのなかで、たとえば一冊拾い出してみれば、松山巌著『うわさの遠近法』(青土社)という本がある。過去のさまざまなうわさの顛末を調べ上げ、それがどのように伝播し、どのように世の中に影響をもたらしたかを考察した本らしい。なかには関東大震災のときの朝鮮人虐殺につながるデマなども考察されている。

 

 どうしてそのような本に興味を惹かれるかと言えば、まさにいまはだれもがうわさを大量に不特定多数の人に発信することの出来る時代であるということがある。うわさについて考察するということがネットのデマ拡散についての考察につながらないか、などと理屈では考えるのだが、それはそのまま人間の本性に関わることでもあるから、興味深い。

 

 こんな興味を惹かれる本たちをたくさん教えてくれているのだが、もっと若いときにこんな本を読めていれば、それを手がかりにもう少し自分のレベルが上がったのになあ、と残念に思う。

きりがないようだけれど

 キッチンの上の棚、下の棚に収納されているもので、ほとんど使わないままのものが半分近くある。いつか使うと思ってそのままにしていたが、ものは使わないと汚らしくなる。たいていが大人数用の調理器具だ。そこに手をつけ始めたら次から次に片付けたいものが出てきてきりがない。限られた場所、限られた用途のものだけでそうだから、家中を見直せばさらにキリなく片付けが必要になる。

 

 とはいえ豪邸で物持ちの家を片付けるているのではない、限られたマンションの中が無限のものであふれているわけではなくて有限だから、少しずつ片付ければ必ず片付いていくはずだ。しかしこの数日あちこち引っ張り出しては洗い直して、使う頻度の低そうなものは引っ張り出しにくい場所に収納し直していると、非常にくたびれる。立ったり座ったりしゃがんだりというのは体中に負担が掛かるのだ。つまりいままでいかに怠けていたのか、そして身体がいかになまっているか、ということでもある。 

 

 やりかけのときは出したものがあふれるので、却って散らかしている様相を呈する。とうぜん収めるべき納戸などの収納スペースを確保するために、そこの片付けに波及する。うわあ、えらいこっちゃ。とはいえ、気力を振り絞ってもう少しガンバロウ。ここでやめたら最初からやらなければ良かったことになりそうだもの。

『西国立志篇』

 星新一の『明治の人物誌』という本を読み始めている。ショート・ショートの神様、星新一は、父の星一のことを調べる過程で父についてのものを始め、何冊か伝記小説を書いていて、この本もその一冊である。ここに取り上げられている十人の人物は父の星一と多少なりと関係している。野口英世、伊藤博文、新渡戸稲造、後藤新平などはおなじみで、エジソンなども入っているが、まだそこまで読んでいないからどう関係するのかわからない。全く私の知らなかった人もいる。

 

 艱難辛苦の生涯だった星一の、人生訓の基本としたのは中村正直の『西国立志篇』で、これはイギリスのスマイルズの書いた『SELF-HELP』を翻訳したものである。この『SELF-HELP』はのちに『自助論』として永井潜などによって翻訳されている。

 

 この本ではまず父の星一のことから説き起こして、最初に取り上げた人物がこの中村正直となっている。この『自助論』は西洋の偉人たちの生き方を紹介し、若者にどのように生きたら良いかを説いた本で、イギリスの産業革命後の若者達の指針となった。

 

 そして『西国立志篇』は、明治時代、超ベストセラーとなり、その後の日本の若者達の指針ともなったという。もしこの本による指針がなかったら、明治維新後の日本の産業の勃興は危うかったのではないかとまで書かれている。そしてその精神はいまも受け継がれているはずである。そしてそれがうしなわれつつあることで、日本もイギリスのように衰退していくと見られないこともない。

 

 中村正直自身が興味深い人物で、努力型の秀才であり、幕府によってヨーロッパに留学派遣されている。おもしろいのはその時にロンドンで開催された万博に大きな感銘を受けていることだ。日本も西洋に倣い、産業を興していかなければならないと考え、同時にそれが自己の利益ではなく、社会のためにすることに意義を感じなければならないと疑念なしに確信していた。

 

 実は並行して読み始めている高坂正堯の『現代史のなかで考える』という本の冒頭が、おなじ1851年のロンドン万博の記述から説き起こされていて、それがおもしろい符合だと思ったのだ。

 

 国家や文明には興隆、そして衰亡という大きな波があるのは歴史の必然であるが、それとは別に豊かになるためには、健全な精神の存在というものが大きな役割をもつことをこれらの本は教えてくれる。健全な精神を持たない国の興隆は必然的に内部にひずみをもたらし、崩壊するのだ、ということを私も疑わない。それは念願であり、希望でもあるのだが・・・。

 そういえば父が初めて買ってくれた本が『えらい人のこどものころ』という本だった。これで健全な精神とは何かを刷り込まれた気がする。いまはそういう刷り込みがあるのだろうか。

2021年11月18日 (木)

余計なお世話

 バイデン大統領が、日本、中国、インドなどに備蓄の石油を放出するように呼びかけたという。何を言おうが勝手ではあるが、言われた日本人の一人として非常に腹が立った。アメリカとちがって、日本など備蓄をしている国は自国で自分の国の石油をまかなうことの出来ない国である。いざというときのための備蓄である。そしてその備蓄について国内の逼迫度合いや世界の供給を鑑みて、その備蓄を取り崩すかどうかはその国が決める。

 

 アメリカは、では原油をどんどん世界に供給して、いまの原油高を調整するために何かをするというのか。人の蓄えたものに口出しをするのは余計なお世話というもので、バイデン個人の考えか、アメリカ政府の考えか知らないが、明らかに傲慢そのものの呼びかけである。これではあきれ果ててアメリカから離反したくなるほどのバカな呼びかけなのだが、バイデンは正しいことをしていると思っているのだろう。それではただのもうろくじじいである。極めて不愉快なニュースだ。

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びっくりしながら怒っている私。

山女日記

 湊かなえ原作の『山女日記』のドラマ化も、もう第三シーズンとなった。第一シーズンも第二シーズンもとても好いドラマだったけれど、今回の第三シーズンも気に入っている。今度の日曜の第六回が最終回で、終わるのが残念である。ゲストとして豪華な俳優がたくさん出ている。

 

 主演の工藤夕貴がとてもチャーミングである。小柄だから歳をとりにくいところがあるのかも知れない。ハリウッドでも活躍して出演作もいくつかあるし、最近も映画のオファーがあったようだ。

 

 この人は歌手の井沢八郎の娘だけれど、そのことは当初公表していなかった。たぶん落ち目の父親がそれをリークしたのではないかと勘ぐっているがよく知らない。

 

 なんでそんな勘ぐりをするかといえば、わかいころ名古屋の繁華街のスナックで友人たちと吞んでいたら、明らかに堅気ではなさそうな数人の男たちがどやどやと入ってきて、ママに何か耳打ちし、愛想笑いの顔の裏に明らかにいやそうな表情を見た。やがて入ってきたのが井沢八郎で、押しかけ流しよろしく一二曲歌ってママから紙包みをせしめてまたつぎの店へ流れていった。

 

 その時に娘の工藤夕貴もよろしく、といったのをこの耳で聞いた。すでに公知のことだったのかどうか、前後がわからないが、私は初めて知った。まだ彼女がアイドルだった頃のことだ。

 

 工藤夕貴もこの父親では苦労しただろうな、という思いがどうしてもしてしまう。いまだにそういう目で見たりすれば彼女にとっては迷惑なことだろう。井沢八郎のそういう姿はけっこう忘れがたい。ところで歌手などというものはそういうものなのかどうか、私は知らない。

2021年11月17日 (水)

党首選

 立憲民主党の党首選が19日から始まる。今回は若手が意欲的で、それはこのままでは党の存続に関わるという危機意識があるからであろう。応援している政党ではないが、日本の健全な政治には、健全な野党が必要で、いままでがあまりにもただ反対と糾弾に終始していたこの党が、是々非々で国民の期待に応える方向に変わることはたいへん意義があると思う。

 

 もともと民主党時代から旧社会党のなかの、特に左に偏った集団を抱え込んでしまったために、常にものが決められずに分裂を繰り返していまにいたっていることから考えて、その左派を抑え込んで若手があるべき中道を目指せば、国民の見る目も変わるかも知れない。

 

 ところが党内最大派閥の陰で何やら蠢いて画策している人物がいるという。こんかいの衆議院選挙に立候補せずに議員ではなくなった赤松氏のことである。自分の息のかかった候補者を推して、邪魔になる若手の候補の選挙人を集めさせないのだ、などとささやかれていて、本当ならなんたることかと腹が立つ。共産党との共闘画策失敗で、凋落する左派勢力のちからをそんなことで維持しようというつもりかと思う。

 

 赤松氏は愛知の選挙区で、彼を引き継いだ候補は選挙区では勝てなかった。すでに時代遅れの人物が、いまだに影響力を維持しているというのもおかしな話である。最も左派である人物が守旧に走るというのも、変な話だ。もしその力が温存されるなら、立憲民主党に未来はないと思う。むかしから私は赤松氏の主張が耳になじまないから嫌いである。国のため、国民のため、という視点がちっとも感じられないのだ。

 

 以上は断片的な情報から私の感じていることで、正しい状況とは違うところがあるかも知れない。

ガソリンタンクは大きくなるだろう

 事故で廃車にせざるを得なかった愛車のアテンザは、ガソリンタンクが60リットル以上あり、燃費も良くてリッター17キロ走った。新しく愛車になったCX-30は50リッターあまりで、燃費は15キロくらいだから、ガソリンを入れる頻度が高い。

 

 ハイブリッドや燃費の良い車が増えたから、ガソリンスタンドが利益を確保して存続するのがむつかしくなりつつある。山間部などで燃費の落ちる場所でガソリンスタンドがどんどんなくなっているのはそういうところをよく走る私としては、たいへん心配である。たぶんEV車へのシフトは、ガソリンスタンドの激減によって加速されるだろうと思う。これから作られる車は限られたガソリンスタンドで余裕を持って燃料補給できるようにガソリンタンクが大きくなるだろう。

 

 それにしても急激なEV化の背景に、エンジンの技術で世界をリードしている日本車をターゲットにしているという部分があるのではないか。だからアメリカではなく、ヨーロッパや中国でEV化が強引ともいえるペースで推し進められているのだろう。

 

 事故などでさらに車を買い換える必要がない限り、今回のCX-30が私の最後のガソリンエンジン車になる。次は・・・、車で遠出することは私の最大の楽しみであるから、完全自動運転のEV車か。それが手に届かないままなら列車ののんびり旅ということになる。その気力と健康が続くことを心底願っている。

無関係ではないので

 リンゴを一個食べるのがつらくになってきた。でも半分だけではもの足らない。無理して食べきると次の食事に影響する。昔のように何でも大量に食べることが出来なくなった。健啖であることは美食にまさると考えていたから、鯨飲馬食してきたが、その報いが身体に出ているし、さすがに年齢とともに食が細くなってきた。それなのに体重は減らないのは残念である。

 

 中国・習近平がますます強権化しつつあるようだ。国民を監視し、徹底的に管理している。中国の北朝鮮化に見えていたけれど、実は北朝鮮よりはるかに支配は強固で徹底している。これに国民が反発を覚えないのはコロナ禍対策にしても貧困対策にしても、その強権が効果的に働いているからだろう。

 

 中国の経済構造は共産党支配による資本主義という、歪んだものであるから、そこには無理があっていつか中国経済は崩壊すると言われて久しいが、崩壊の兆しは常にあって指摘されているのに全く崩壊しない。

 

 ものごとにはさまざまな側面があり、どこを見るかで見え方が変わるけれど、大きな船は沈むまでに時間が掛かるのだろう、と私などは思っている。国民のトップ1%が国民の総所得のうちの何%を所得しているかを見ると、アメリカが38%あまりと明らかに異常な状態で、分断が生じるのもとうぜんかと思える。日本は20%ほどらしい。そして共産主義国の中国が30%を越えたというのには驚かされる。

 

 いま儲けすぎた企業のトップが次々に身を引いたり破綻に追い込まれつつあるらしいことは、ニュースに見えるが、それは市営企業の話で、国営企業はますます肥大化してメスが入る気配はない。共産党員の懐を潤しているのは国有企業だから、「核心的」利益なのだろう。そのゆがみがあるから崩壊する、といわれるのだ。いまはまだ崩壊していないというだけではないのか。死ぬまでは死なないということか。

 

 中国経済が破綻すると日本経済もたいへんな影響を受けるのだという。だから無関係ではないので、注視せざるを得ないのだが、内心では悪影響の波が押し寄せるとしても「破綻して混乱しないかな」などと夢想してしまう。習近平のせいである。

2021年11月16日 (火)

手放しで嬉しい

 午後、娘のどん姫が来てくれた。久しぶりである。連絡したのに返事がないから何かあったのかと心配していたところだったから、手放しで嬉しい。旦那の出張土産だと、長野の酒を二本もぶら下げてきてくれた。

 

 コーヒーを淹れ、ホットケーキを作って、いろいろと話をした。新型コロナワクチンの副作用がかなりひどく、ようやく体調が戻ってきたところだという。

 

 来年の正月には夫婦で来て、ゆっくり泊まるつもりだという。ただし旦那の仕事は正月ほど忙しいので、三が日に来ることはないのはいつものことである。来たときはいま勉強中の料理をものにして、喜んでもらうことにしよう。

 

 今晩は寄せ鍋にするつもりで材料は用意してあるが、今日は休日だという亭主が車で迎えに来て帰って行った。寄せ鍋は一人で食べることにする。

ゆがみ

 フローリングの床に仰向けに寝てみたら、いかに自分の身体がゆがんでいるか知った。自分では年齢の割に姿勢が良いほうだと自負していたけれど、とんでもない。背が曲がり、両肩が前へ出ているようだ。前屈みのままからだが固まり、それはますますひどくなっていくだろうと予感した。

 

 自覚しやすいはずの自分の身体のことでさえこれだから、精神のゆがみがどれほどか、ずいぶん危ういことだと心配になってきた。それを自覚するための精神のフローリングの床はなんだろうか。やはり読書に如かずだろうな、と寝ながら見上げた本棚を眺めて思った。

安静が必要なようだ

 昨日の泌尿器科の定期検診の先生が替わっていた。少し若くなり、目つきの鋭い小顔の男の先生だ。キビキビして、ことばがはっきりしている。症状の質問にこちらが答えると、さらに突っ込んで質問がある。訊ね終わってから、しばらく黙って考えている。検尿の検査結果などを指で示しながら、わかりやすく説明してくれたあと、これからどう生活に注意したら良いかを教えてくれた。すでに知っていることではあるが、一回の診察でいままでの経過から現在の状況までをちゃんと把握して、的確に説明してくれたことに好感を持った。あたりまえのことだが、こういう先生は医師として信頼できる気になる。 

 いつもより早く行ったので待ち時間が長かった。その間に中野信子の『人は、なぜ他人を許せないのか?』(副題『正義中毒』)を読了した。その本のことは別に書くとして、前屈みになって本を読んでいるうちに首が痛くなった。ベランダで転倒して以来、追突事故でダメージを受けた首がときどき痛い気がする。本当に痛いのか不安による心理的な痛みなのかわからないようなあいまいな痛みであるが、このときは本当に痛くなり、ついにはあたままで痛くなってきて、ふだん頭痛ということのない自分なので、本に集中しにくくて困った。

 昨晩は早めに就寝した。今朝はだいぶましになっている。安静が必要なようだ。

2021年11月15日 (月)

好みが固定化される

 アマゾンで本を検索して購入するようになって、しばらく経つ。ときどきおすすめの本の案内をもらうのだが、以前読んだ著者の本や、それに近い分野の本ばかりが紹介される。これに頼ってばかりいたら、好みが固定化されて、自分にとっての新しい本との出会いがなくなることに気がついた。

 

 本屋の棚を物色して、全くそこに存在することすら知らなかった本に出会い、惹かれるという経験が出来ない。本屋へ行くとついそんな本を手に取ってしまい、気がつくと読み切れないほど購入してしまうのだが、そこで拡がる世界もあった。

 

 ネットで情報を検索するとき、検索するためのキーワードが必要である。キーワードは自分にとってその存在を知っているものだから検索することも出来るが、キーワードそのものが認知されていないと、そもそも検索されないから知ることが出来ない。世のなかにはそういうことが多い。自分の知っていることなどたかが知れているから、自分には検索出来ないものがほとんどだ。

 

 だから本を読む。そこに未知のキーワードを見つけて初めて世界が拡がっていく。その出会いがネットに頼ると狭められてしまうかも知れない。自分ではさまざまな情報を集めたつもりでも、限られた枠のなかでもがいていたら、その枠の外のことは視野に入らない。

 

 もう年だからこの辺でいいや、と思うのは認知能力の低下をもたらす、と中野信子女史が書いていた。刺激が必要で、好奇心を維持することこそボケ防止につながるはずだと思う。

無意味な笑い

 街頭インタビューで一般の人の意見を聞く、というシーンをニュース番組のなかで観る。たまたま訊かれた人の意見が、あたかも国民の意見であるかのように捉えられそうでなんとなく不審感を持つ。たくさんの人にインタビューをしたはずで、その中から局が選んでいるのだから、そこには何らかの選別意識がはたらいているに違いないのである。街頭インタビューを観るときは注意が必要だと思う。

 

 それよりも、気になるのは答えながら意味不明の笑いを笑う人の多いことである。他の国のニュースで同じようなインタビューを受けて無意味な笑いを笑っている人を見ることはほとんどないのに、日本人はどうして誰も彼も無意味に笑うのだろう。「自分の意見など、取るに足らないものですよ、お恥ずかしい」といって笑っているのだろうか。まさか笑うのが健康にいいから常にヘラヘラと笑っているというわけでもあるまいに、見苦しくて不快である。

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こういう笑いなら好いが、卑屈に見える笑いは見たくない。

天ぷら

 昨晩は久しぶりに天ぷらを揚げた。種類が多いのが嬉しいから、ついたくさん揚げすぎる。ニンジン、椎茸、カボチャ、ピーマン、春菊で、大きな皿に二皿も揚げてしまい。今日も食べ続けなければならない。味噌汁に天ぷらを入れるのが好きなことは前にも書いた。

 

 サツマイモの天ぷらは美味しいと思うけれど揚げない。千葉県生まれなので、こどものときいやというほど芋を食べた。もう一生分食べた気がしているので、出されたときに食べるだけで、自分で作っては食べない。食べたいのはイワシの天ぷらである。九十九里のすぐそばで生まれ育ったので、地引き網で掛かった新鮮な小魚をいつも食べていた。

Img339_2021111415290150年前の九十九里浜

 天ぷらにするイワシはマイワシではなく、地元ではセグロイワシと言われている小イワシである。これをあたまを取り、腹を割いて中骨を取る。包丁など使わずに全て手でさばく。だから数があってもたちまちさばくことが出来る。母親の見よう見まねで私も手でさばく。アジだって、小アジや豆アジなら全て手さばきである。その時の手に感じる魚の脂で鮮度がわかる。鮮度の落ちたものはいやなねたつきがあるものだ。

 

 小イワシが売られていることもあるが、その鮮度が落ちたものをさばいて天ぷらにしようと思わない。開いた、そのまま天ぷらに使えるものを買ったこともあるが、二度と買いたいと思わない。だから一ばん食べたいイワシの天ぷらは、千葉の弟のところでリクエストする。鮮度の良いものがあるときには弟の嫁さんが作ってくれるのである。

2021年11月14日 (日)

冬支度

 先延ばしにしていた冬支度をした。師走並みの大掃除をして、炬燵を設営し、二台のガスストーブを出してつないだ。一台はリビング用、一台は遊び部屋兼寝室用である。座り込む場所の周囲に雑然と出されていた本をはじめとしたさまざまなものは、必要最小限残して、しまうべきところにしまい直した。テレビ周りの掃除をしたら、センタースピーカーのコードが劣化している。まともなコードに付け替えた。どうもAVアンプの音声が聞き取りにくいときがあったのはそれが理由かも知れない。

 

 勢いがついたのでいろいろな書類や資料の整理も始めてしまったが、こちらは懐が深い難敵で、やればやるほど収拾がつかなくなっている。とはいえ無限にあるわけではないから、いつかは終わるだろう。気力と意欲の勝負だ。

 

 ガスレンジを新しいものに換えたいけれど、スマホを新しくしたから少し先に延ばすことにする。くたびれているだけで支障なく使えるし。

 

 月末にタイヤ交換に金沢へ行くつもりだけれど、そのついでにどこかへ行こうかどうしようか迷っている。タイヤ交換したあとならどこでも大丈夫だけれど、その前だと場所によっては雪に出会ってしまう。その前に車とスマホを連動させてみたい。どうしたらいいのか、そしてそれによって何が便利になるのか、車の説明書をもう一度見直すつもりだ。

Dsc_0059_20211114151901こんな雪に出会ったらやばい

 年内に息子のいる広島へ行きたいと思っていたが、義弟の回復が思わしくないようで、意識の戻りが不十分らしい。妹の家族の心配が感じられる。また、弟の嫁さんの母親が倒れたという。高齢だが、畑仕事をするほど元気だったのに・・・。弟の娘(私の姪)の娘ふたりが、来週21日に七五三だという。こないだまで乳飲み子だと思っていたのに、しばらく会わないうちに大きくなったものだ。

 

 そんなこんなで弟夫婦と一緒にどこかへ行くのもしばらく難しそうだ。兄貴分の人の事情も好転したらしいから、来月あたり長老と三人でどこか温泉に行くように誘うことにしようか。炬燵を設置すると炬燵の守になってますます動かなくなるからなあ。動くように心がけなければ。

 

 明日は泌尿器科の定期検診日。慢性疾患の定住菌は今のところおとなしくしている。

リユースと量り売り

 独り暮らしなのにゴミ袋がすぐ満杯になる。大半が食べ物の包装に使われていたものだ。家族が多かったらそれに応じてもっと早くゴミ袋が満杯になるだろう。容量だけ見ると、もしかすると食べた量より容器の方が多いのではないか、などと感じるほどだ。菓子類などは二重三重に包装されていて、袋の中にさらに小袋にひとつずつがつつまれていて、食べるたびに破らなければならない。それに慣れてしまったから気にならないけれど、よく考えれば異常なことだ。

 

 包装容器をリユースするという試みを始めた店が、賛同者を増やして売り上げを伸ばしているという。まだほんの一部で、こういうことは納入業者、消費者も含めてサイクルとして成り立たないと成功しない。いちばん問題なのは回収、再生ということだろう。そのコストをだれがになうのか、どのようにコストを低減させるのか。これはひとえに普及の度合いに掛かっている。

 

 また、量り売りが見直されているという。欲しいものを欲しい量だけ買うというのは、私がこどもの頃は普通のことだった。菓子屋や乾物屋はたいていそうで、斜めに立てかけられたガラスケースの中の商品を必要なだけ小さなスコップのようなものですくってもらった。当時は新聞で作った紙袋などに入れてもらった。野菜などは新聞紙にくるんでもらったし、豆腐などは鍋を持って買いに行った。その頃のゴミは紙類や生ゴミばかりだった。

 

 量り売りの場合も容器の問題がついて回るだろう。また購入の場合の自動化も必要だ。いま最もコストが掛かるのが人件費だから。それをどのように解決しているのかをテレビのニュースの中の特集で見た。問題が明確なら、対策は必ず出来るはずである。まだ小さな試みだけれど、そういうものが近くにあれば私も賛同してそういう店で買いたい。

 

 自治体のゴミ処理が問題になっていることは随分前から報じられているが、このようなリユースや量り売りで包装資材、包装容器が減少するだけでどれほどゴミが減少するだろうか。私は自分のゴミ袋を見て、かなりの減少が期待できると思っている。包装資材や容器のメーカーはたいへんだろうが、世のなかには流れというものがあって、世のなかの需要はそれに従って転変するもので、自動車部品メーカーだって、EV化に対してどう生き残るか必死で、同じことかと思う。必ず別のニーズが見つかるはずだ。

 

 大量生産、大量消費による低コストという社会が変わらなければ、エネルギー問題も資源の問題も、ゴミ問題も対処できないところまで来ているのだと思う。問題はその低コストに慣れきった感覚をどう意識改革していくことかと思う。ささやかなリユースや量り売りの動きが大きくなり、一般化することを願うし、近くに機会があれば、そういう店でものを買いたい。SDGsなどと、はやりもののような風潮には正義中毒の臭いがするが、こういう実効性のある流れには素直に賛同したいと思う。

ぼんやりしている

 日曜の朝は、古い紀行番組である『新日本紀行』を観る。今朝は昭和54年の秋田県の羽後地方が紹介されていた。鳥海山(あれは月山だっただろうか、録画していないから、確認できない)を仰ぎ見るこの地方の農業を営む人々の姿に、限りなく懐かしい思いがした。父のふるさとに近いし、そこに出てくるおばさんの姿に、学生時代に世話になった、父の妹だった叔母の俤が重なる。声まで聞こえるような思いがした。

 

 この番組では最後に現在のその地方やその子孫も紹介される。過去と現在を対比することで時間の厚み、膨らみ、人生というものも感じさせてくれて、しみじみした気持ちになる。日本の農業をはじめとする第一次産業の行く末について思うことも多い。

 

 なんだかこのところあたまがぼんやりしている。空っぽになってしまった感じで、空っぽあたまからはざるにすくうほどの考えも出てこないので、ブログも中身の薄いものになっている気がする。どうしようか。一時的なことなのか、どんどんぼんやりが増えていくのか、それなら心配だ。

2021年11月13日 (土)

リンゴ

 長野県松本の友人から、今年もリンゴが送られてきた。いつもより少し早い気がする。お返しに私は正月用の少しいい酒を送ることにしている。友人は、むかしはウワバミだったけれど、いまは私より少し強い程度になった。

 

 彼に最後に会ったのは昨年秋だった。そのあとますますコロナ禍が猖獗を極めたから、今年は会わずじまいになってしまった。連絡するのはたいてい私からである。それが不思議なことに、私がいろいろあって落ち込んでいたりすると、何年ぶりかに突然電話をくれたりするのだ。会えば学生時代と同様に馬鹿話をするが、前回彼は珍しく一人でしゃべっていた。いつもは私の方が口数が多いのにどうしたことか。歳をとって酔いやすくなっていたのだと思う。私は聞いてもらいたいことがたくさんあったのに・・・。

 

 正月用の酒をあまり早く送ると、彼のことだからすぐに吞みきってしまうだろう。もう少し後に送ることにする。とても私だけでは食べきれないから、リンゴをとりに来いと娘のどん姫に連絡したが、例によって返事がない。三日くらいのうちに返事が来れば上等、とあきらめている。

 

 スマホをいじり倒しているが、なかなか操作がスムーズに行かない。いままで電話とメールしか使っていなかったので、さっぱりわからない。それでもひとつ覚えるとそれを手がかりに次に進んでいるから、いまに使いこなせるだろうと思っている。いままでのスマホよりも画面が大きいし、はるかに操作性は良いのがありがたい。スマホなんて、多くの人があたりまえに使いこなしているのだもの、私だって!

謝れない人

 自分が間違っていたことがわかっていても、人はなかなか謝りたくないものである。しかしたいていの場合、謝った方がのちのちのためには良いことを経験して、頭を下げることが出来るようになっていく。隠したり、言い訳を繰り返していくと、終いには収拾がつかなくなり、間違いの事実よりも当人の人格を問われてしまう。マスコミの前でしぶしぶ下げたくない頭を下げている人は、たいてい謝るには手遅れになっている。

 

 謝るというのは、自分の間違いを訂正させてもらうために必要なことなのだ。謝ることのできない人というのは、謝ることは自分の全人格が否定されることだと感じているように見える。間違ったそのことについて謝れば本来は終わりなのに、たしかに、しばしば人格否定につなげようという正義の味方が群がって、威丈高に追求したりするから、現代は追い詰められるまでは謝りにくいという事情はあるかも知れない。モリカケ桜問題なんかまさにその典型だった。

 

「だって、でも、どうせ」というのが女性の口癖だ、などと一時期言われていた。いまそんなことを言うと女性差別だと糾弾されかねない。たしかに「だって、でも、どうせ」の人は、別に女性に限らず男性にもいる。結局間違いは正されない。そうして終いにはこういう人は相手が悪いからこうなった、という話につなげていく。正義中毒の人と、「だって、でも、どうせ」の人とはあまり付き合いたくない。いるんだよなあ。そういう人。実例を挙げてしまうとわかってしまうから書かない。

デジタル不死

 カナダ制作の『デジタル不死を探して』というドキュメント番組を観て、いろいろ考えさせられた。考える手がかりは養老孟司の本などで得た、ものの見方、捉え方である。デジタルとは情報のことで、情報はもちろん不変である。変わるように見えても、それはただ新しい情報が加えられただけのことである。ネットの情報は永遠に変わらないことを見ればわかる。

 

 この番組でいろいろ論じられていたのは、魂が不変であるかどうかということで、もちろん魂が不変であるという確固たる信念は、一神教の絶対神を信じるなら自明のこととされる。そこから、人間のクローン作成による不死は可能だ、という考えにいたるのはとうぜんだろう。

 

 実は冒頭に、哲人セネカの「人間は死ぬことで不死になる」ということばが紹介されている。このことばをどう解釈するのか。番組では、だから魂は不変だということに展開されているようだが、私は人間は常に変化するものであって、だから死ぬこととはその変化が止まるということであり、デジタル不死とは変化の止まったものの再生ということではないのか、と思う。

 

 デジタル、つまり情報をいくら網羅しても人間は再生できないことは、デジタル不死を追求している人々にもわかっている。だからそれらの情報を関連付けて外界に対して対応するシステムを備えようとしていて、それはかなり成功しているらしいことは、驚くほどである。しかし、それが成功しているように見えることは幻想ではないか、などと私は大いに疑っている。

 

 人間と見まがうほどの外見と動作、そして会話の能力に驚かされるけれど、それに驚くのは見ている側であって、見ている側にはそれを人間に似ているために、デジタルを擬人化して感じているだけではないか、などと考えてしまうのである。

 

 そうなると、そのようなデジタルを集積し、システムとして思考するクローンには意識があるのかどうかということになる。今のところ意識があるという段階ではないようだが、意識を持たせることは可能だと考えられているようだ。

 

 AIが自意識を持ったときどういう世界が招来されるか、ということについては、真剣に考えるととてつもなくおそろしい事態が想像される。自意識を持つということは、価値判断を自ら行うということではないか。その時に合理的と考えた判断が、人類の存在を否定することにつながる可能性は高い。人間は正しい判断が出来ない存在で、AIは、人類は存在しない方がよいという価値判断をする蓋然性が高いだろうと考えられるからだ。

 

 人類は不死を夢見てきたけれど、そのことがもたらすおそろしい未来を予感させられた気がした。

2021年11月12日 (金)

使いこなすには

 スマホを新しい機種に変更した。画面が大きくて入力しやすく、文字も見やすいことを第一にして選んだ。いままでわからないのに知ろうとしなかった遣い方などを恥ずかしがらずに教えてもらったりした。知るは一時の恥である。だから朝十時から始まって、手続きなど全てが終わったのは昼過ぎとなった。

 

 dカードも作り(いままではポイントカードだけしか持っていなかった)、特典を全て利用できるようになった。まだほんの少しわかり始めたところだけれど、これからスマホとさまざまなものを関連付けて行こうと思う。帰ってから関連付けたのはリクルートとの関係づけで、これでじゃらんのポイントも少し得になる。アマゾンとの関連付け、自分の車との関連付けなどを設定していくつもりである。基礎からもう一度勉強しようと思っている。

 

 使いこなすにはとにかくひたすら試しに使いに使って、ひとりでに覚えるようにするしかない。それがわかりながら知らないままでいた。これではどんどん世のなかから乖離してしまう。ギリギリ間に合うところにいる気がしている。さて、追いつけるだろうか。

 

 でもちょっと疲れた。

しばらく拝見していなかった

 私が以前から拝見しているブログは五十を超える。ただし全てが必ず更新されるわけではないから、実際に読むのはその半分以下である。手を広げたい気もするが、自分で書くのにも時間を食うので、限度がある。拝見していろいろ考える。コメントが頭に浮かぶことも多いが、実際に書きこむことは少ない。もっと書きこみたいと常々思ってはいる。

 

 旅に出るとそういうルーチンにしている作業は休止する。だから一週間近く、いつも拝見していたブログを訪問していない。また、いいね!をいただいた方へのご挨拶もサボりがちになっている。たいへん申し訳ないことである。これからせっせとブログめぐりを再開するつもりなのでご容赦いただきたい。

 不在中に録りためたドラマや映画、ドキュメントなどもせっせと消化しなければならないから、いささか忙しい。

ドコモショップに行く

 スマホがどうも使いにくい気がしている。電池も、ほとんど使わないのに一日保たなくなった。月々の支払いも、契約時の想定よりずいぶん高い。ほとんど使わないタブレットは不要なので解約したい。スマホの機種変更でどれくらい掛かるのか知りたい。気に入れば変更したい。

 

 ドコモショップに予約したので、今日はそれを相談に行く。私の車はスマホと関連付けすることが出来るが、それを、使いやすい新しいスマホで設定したいと思っている。そのほか、さまざまな設定をやり直したい。

 月末に冬用のタイヤに交換する予定である。12月になれば、峠越えの道で雪に遭うことを考えておかなければならない。まだ炬燵を出していない。なくても大丈夫だったが、急に気温が下がってきたようだ。今日、リビングを掃除して炬燵をセットしようと思う。ガスストーブも出しておくことにする。もう冬モードにしてもいいだろう。

 

 リビングの、いつも座椅子で腰を据える場所の周りに本が山積みになってきた。必要最小限を残して本棚にしまい直そうと思う。「出したらしまう」をこころがけようと思いながら、どうしてこういうことになるのだろうか。気が多すぎてあちこちから引っ張り出すからこういうことになる。もう少しじっくりと本を読まなければと思う。何を焦っているのだろう。まさか生き急いでいるわけでもあるまいに。

2021年11月11日 (木)

映画『グッバイ、リチャード!』2018年アメリカ

 癌で余命半年と告げられた大学教授をジョニー・デップが演じている。人はだれでも死ぬが、死に瀕するような目に遭ったり、この映画のように余命がわかるまではそのことを忘れて生きている。

 

 自分らしく生きたいとだれもが思い、しかし他人との関係を考えてなかなか自分らしく生きて来なかったことに、死を間近にして気付く。では自分らしく生きるとはどういうことなのか。そしてあるときは滑稽に、あるときは狂気のような振る舞いに自らを追い込んでみたりするが、それで自分らしく生きることになったのかどうか、ついにわからない。

 

 親友には自分が癌で、余命がわずかであることを話すが、妻や娘には黙っている。妻は様子のおかしい夫に、自分は学長と不倫している、と告げる。夫が感づいたのだと思い、非難される前に自分から話したのだろう。自分は悪くない、こうなったのはあなたのせいだ、という意識が語らないけれど聞こえる。画面からは、すでにずっと前からふたりの関係が冷え込んでいることが見て取れる。それなのに同じベッドに寝ているのだから、不思議なことに思える。

 

 自らがレスビアンだと両親に告げた娘は、それをありのままに受け入れる父に次第に心を開いていく。理由はわからずに父の変化を感じ取ったようだ。そして母親とはだんだん距離を置いていく。ただ単位が欲しいだけで講義を受けている学生達を、主人公は選別していく。残ったわずかな学生達と関わり合いながら、それぞれの長所を感じ取っていく。そして最初は戸惑っていた若者達も次第に心を開いていく。

 

 虚妄に満ちた学内の人間関係を痛罵する主人公は、自分なりに生きるとはどういうことかを理解していく。断続的に襲う苦痛。そして彼は娘に見送られて独りで旅立っていく。海辺で車を停めて海に向かって哄笑する彼は何に向かって哄笑しているのか。コミカルに見せながら、重いテーマをことばに出さずに表情で演じきっていくジョニー・デップはさすがである。

南方熊楠記念館と円月島

南方熊楠(みなかたくまぐす)は知の巨人である。博覧強記の人で、こどもの頃から一度読んだ本は全て記憶したという。しかし記憶力だけの人ではなかったのは、その知識を関連付けてものを考えることのできるひとだったことであるし、また、行動する人でもあった。

明治時代、若くしてアメリカに渡り、数年過ごした。その間にキューバにも赴いている。のち、ニューヨークからイギリスに渡りロンドンに長く滞在して大英博物館を拠点に博物学を網羅して研究した。博物館をまるで自分の研究所のようにしていたことから博物館側から出入り禁止処分を受け、失意のうちに日本に帰国する。

もともと和歌山生まれであり、主に南紀を拠点に粘菌(変異菌)の研究などを行った。昭和天皇の和歌山行幸の際に御進講を行ったことが縁で、天皇家とは近しい。昭和天皇、平成天皇、そして今上陛下もこの記念館を訪れているようだ。

白浜の西海岸沿いに北上していくと南紀白浜のグラスボート乗り場、京都大学の白浜水族館があり、そこから狭い道を崖の上に上っていくと南方熊楠記念館がある。

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駐車場に車をおいて、この坂を登ろうとしたら、かなりの距離を登らなければならず、ここを車で登って上の駐車場まで行けることがわかった。それにしてもほとんど車幅一杯の道であり、しかも急坂である。信号があって、交代で一方通行になる。歩いて登ったら一汗かくところであった。両脇の植物の多様なことに注目して欲しい。

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上の第二駐車場に車を停めれば記念館の入り口はすぐそこである。

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入り口手前にこんなものが置かれている。とくに熊楠と関係があるかどうか知らない。

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記念館の前には昭和天皇の御製の碑がある。御製に個人名を詠うというのはあまりないことであり、それだけ昭和天皇の熊楠に対する思いが深かったということだと言われる。ここに神島(かしま)が読み込まれていて、この島の乱開発などを熊楠が食い止めたとも言われる。エコロジストとして、熊楠は身命をなげうって南紀の豊かな自然を守った。

記念館でDVDをまず見る。15分ほどだがよくまとめられていて、たいへんわかりやすい。訪ねたら必ず見た方がよいと思う。館内には変異菌(粘菌)の標本を始めたくさんの展示物が並べられている。私にしては館内を比較的に丁寧に見たが、写真は撮らなかった。

屋上に上がれる。岬の突端の崖の上であるから見晴らしが好い。

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この下が南方熊楠記念館で、想像以上に大きいのである。

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北側を見る。

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島をアップで撮る。水の色が美しい。

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南東方向は逆光になっている。この島が円月島。横から見ているから円月が見えない。

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坂を下って記念館をあとにした。円月島の正面で車を停めて撮影した。ここで眠狂四郎は円月殺法を会得した、という話はない。

まだ昼を過ぎたばかりだったが、本日分の観光としては満足したので、このまま宿に帰った。

この日だけではなく、串本から名古屋に帰る道でもどこも立ち寄らなかったので、今回の旅の写真はこれでおしまい。正直くたびれたのである。自宅への帰路では熊野速玉神社や佐藤春夫記念館(ともに新宮にある)に寄ろうかと思ったが、今度にすることにした。来年には湯の峰温泉を拠点に瀞峡遊覧をして、熊野三山を丁寧に回ることにしようと思う。

それまで、さらば串本。さらば南紀。

三段壁地下洞窟

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上から地下洞窟までエレベーターで36メートル降下する。そこには別世界がある。洞窟には荒浪が流れ込み、その轟音が響き渡っている。

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鍾乳洞とはまた違った異世界がそこにある。こんなところを水軍が拠点にしていたという。

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真水が岩盤からしみ出して飲み水になっていたようだ。これがあるから生きて行けたのかも知れない。

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こんなものまで祀られている。

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武器もそろっていたのだ。

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右手から波が断続的に押し寄せてきて左奥へ打ち寄せていく。かなり奥まで穴は続いている。

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削られた岩が虹色に輝いている。

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天井にこんな模様が見られる。

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波の模様が岩に刻印されているのだという。

しばらく地下の異世界にいて轟音を聞きながら波を見ていた。

2021年11月10日 (水)

三段壁

白浜が田辺市であることを知らなかった。以前和歌山県生まれの兄貴分の人に教えられて知った。

その白浜の少し周参見寄りのところ、つまりやや南東の海岸に三段壁がある。

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絶景であるから、白浜へ行かれたら見に行くことをお勧めする。

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目のくらむような断崖であり、下には洞窟がいくつもあるらしい。

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一見、北陸の東尋坊に似ている。

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それは、東尋坊ほどはっきり見てはとれないが、このような柱状節理と思われる形状をしているからだろう。下からマグマが噴き出して急速に固まったことによる地形だと推察される。まだ紀伊半島に火山活動があった太古の時代の名残である。

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左手、逆光で見にくいが、同様の地形である。

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こういうのをのぞき込んでいると、吸い込まれそうな気分になる。ああいうところに立って見たいと思う人もいるのだろうなあ。

実はここには水軍が根拠にした洞窟があって、エレベーターで降りてみることが出来る。次回はその地下の洞窟を紹介する。三段壁に来たらその洞窟を見ないと来た甲斐がない、と言い切れるほどのものを見ることが出来る。ただしそれを見るだけで1300円支払う必要がある。私は支払う値打ちがあると思うが、思わない人が多いらしく、たいていは下まで降りない。

橋杭岩

一枚岩と虫喰い岩を見た帰り道、ホテルの窓から見下ろしていた橋杭岩をそばで見るために立ち寄った。キャプションなしで、写真だけ見ていただく。

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ここから宿はすぐ近い。帰路についた。

一枚岩と虫喰い岩

串本の北側に古座川というところがある。地図をよく見ると珍しい岩の景色を見ることが出来そうだ。ほとんど豪雨ともいう雨の中を「一枚岩」という場所へ向かう。ところどころセンターラインのない狭い道が続くが、それよりも道路工事の箇所だらけなのに閉口する。崩落しやすい場所なのかも知れない。

道の駅「一枚岩」に車を停めたが、さらに雨が激しく降って、傘を差してもずぶ濡れになりそうだ。やみ間を待つこと二十分ほど、ようやく霧雨程度になったので、あわてて写真を撮る。

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とてつもなくでかい岩だ。とても一度に写せない。

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今まで私が見た日本の一枚岩ではいちばん大きいかも知れない。

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滝が流れ落ちている。雨が降ったからだろうか。上の方にチラリと見える紅いものがアクセントになっている。

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川はこのように澄んでいる。このあとまた降り始めたので、道の駅の食堂でホットコーヒーを飲んだ。目の前が一枚岩だが、大きな窓ガラス越しに激しく雨が打ち付けて、すさまじい。

しばらくしたら今度は本格的に雨が止んだ。ここから少し離れているが、同じ古座川の虫喰い岩というのがあるので見に行くことにする。

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雨が止んだら晴れてきた。ここまでの道は警でもすれ違うことが出来ないようなところを通るのでちょっと怖かったが、無理して来て良かった。ここにも「虫喰い岩」という道の駅がある。

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岩に大小無数の穴が空いている。小は10センチほど、大きいのは一メートルを超える穴が見られる。

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そばまで行って口をあんぐり開けて上を見上げて感心してみていた。

いま、紀伊半島には火山がない。しかし温泉はたくさんある。これはとても古い時代に活発な火山活動があったその名残の熱によるもので、それは温泉だけではなく、この岩のようなものにその痕跡を残しているのだ。たいへん満足した。

2021年11月 9日 (火)

樫野崎灯台と潮岬

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樫野崎灯台は日本で最初の石造り洋式灯台。

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この大島には日米修好条約の碑があるのだが、今回は風がつよくて見に行く気になれなかった。断崖のある景色のいい場所も近くにあるらしい。

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この灯台は無人なので中には入れないが、この螺旋階段を登って周囲の海を見ることが出来る。

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すさまじい風、烈風というのはこういう風か。何かにつかまっていないとよろけてしまうほどだ。

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何しろマスクが風で浮き上がり、持って行かれてしまうので、だれもいないからマスクはポケットにしまった。それにしても絶景である。

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大島はこういう断崖が多いようだ。あまりの風に閉口して早々に展望台を降りた。

このあと橋を渡って本州最南端の地、潮岬に向かう。

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最南端の地にこのような、やや無粋な展望タワーがある。登る気にならない。

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標識に従い、ここから海の方へなだらかな坂を下りていく。

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最南端の場所から崖下をのぞき込む。空がどんよりと暗くなってきた。

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たちまち暗くなり、雨が迫ってくるのが見えた。あわてて車まで急いで戻った。間一髪で間に合った。このあと洗車機の中にいるような激しい雨がたたきつけてきた。じっと収まるのを待つ。地図を見て次に行くところを物色した。

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これは本日九日の午後の橋杭岩。天候によってずいぶん違った姿となるものだ。

大島とトルコについて

いつものように私の旅のブログはゆったりと進むので、現実の時間とどんどんずれて行ってしまうが、ご容赦願いたい。ブログの中では現在8日の朝。雨風が激しく吹き付けたかと思うと晴れ間が出たりして、天気がめまぐるしく変わるが、予報では夕方まで雨は降らないはずなのである。だから行けるときにいこうと、本日はホテルの窓から真向かいに見える紀伊大島と潮岬に行こうと思う。

私は端っこ、先っちょが好きである。ここから先がない場所というのになんとなくあこがれる。だから大島のいちばん先っちょ(東の端)、樫野灯台まで向かう。串本から国道42号線を西に走り、まもなく潮岬への道を左折する。さらに途中から別れて大島へのループ橋を渡る。地図で見たらそれほど大きな島に思えないのに、実際に橋を渡って端っこまでけっこう走る。樫野灯台が目的地というよりも、ここにはエルトゥール号遭難と地元漁民の命がけの救助という歴史的事実を原点にした、日本とトルコとの友好のモニュメントがあるのだ。そのことはトルコの教科書に記載されているからトルコ人ならだれでも知っている。トルコが親日的であるのは、ロシアに対する敵対意識によるものだけではないのだ。それはトルコに行っても実感した。

駐車場に車をおいてエルトゥール通りと称するレンガ敷きの道を数百メートル歩く。

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トルコ記念館の前を通り過ぎると、トルコの、のびーるアイスの店がある。まだ空いていない。トルコではこのアイスのパフォーマンスで楽しませてもらった。

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前回着たときには、この店にはトルコのお兄ちゃんがいて、片言の日本語で話し相手になってくれた。店の壁には例の目玉の飾りが無数に掛かっていたのに、いまは売り物の絨毯も何もかも積まれたままにおかれて、だれもいない。前は写真を撮らせてもらったのだが、あのお兄ちゃんはどうしているのだろう。

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遭難した人たちの遺体がここに埋葬されている。六百人ほどが亡くなり、助けられたのは69人のみ。今日もすさまじい風が吹きぬけている。トルコからやってくるほどの軍艦が遭難するくらいだから、たいへんな嵐だったに違いない。それを助けたのだから命がけだっただろう。トルコが感激するのはよくわかる。逆だったら日本は感謝するだろうか。

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詳細はこの碑文を読んで欲しい。

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記念碑はこんな場所の上に立てられているのだ。

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北側を見る。向こうは串本ではなく、紀伊勝浦あたりかと思われる。

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アタチュルクの騎馬像が見えてきた。

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第一次大戦のあと、列強にいいように分断されてしまったトルコ帝国だったが、もう一度トルコの再統一をなしとげた初代首相の英雄アタチュルク。現在のトルコという国は彼のおかげで存在する。彼は政教分離をしたことで、トルコを文化的にも経済的にも立て直した。いまアタチュルクがエルドアン大統領のしていることを見たら、なんというだろう。

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いい顔をしている。ここから樫野灯台はすぐ近い。晴れているが、すさまじい強風が吹いている。

願うことと祈ること

 熊野本宮大社で、願い事をせずに無心に祈るように努めた、と書いたら、えむ様からつぶやきをいただいた。そこから、あらためて願うことと祈ることについて考えていたら、いろいろ考えだして眠れなくなった。そもそも私はなぜ無心に祈ることにしたのか、私に考えがあってしたというより、そのときそのほうがいいと思ったからそうしただけだけれど、どうしてそう思ったのだろうか。格好をつけただけだろうか。

 

 巨木や巨石を前にするとその重量感に圧倒される。重量感はエネルギーそのものであるし、人間の命よりはるかに長い時間を感じさせられる。巨木や巨石が感じさせようとしているわけではなく、私が勝手にそう感じているのだけれど、それはそれを感じた私にはどちらでもいいことで、私はそれを感じたくてその場に立っている。

 

 たぶんそのようなエネルギーを感じさせる場所というのがあって、古来人間はそれに感応する力を持っていたのだと思う。神社などが山の不便なところにあることが多いのも、そのような場所がそういうところにあるからだろう。そして感応するための手順として、そこへ行くための苦労が必要でもあったということだろう。

 

 熊野詣でというのがそのようなものだったことは、素直に考えれば理解できることだ。

 

 祈るということはそのようなものに自分を感応させようとすることかと思う。それは実際にそのようなエネルギーがあって、それに本当に感応しているかどうかと問われても、物理的、科学的に説明できるものではなくて、人の心の働きそのものだから、あるともないともいえるものではない。感応しよう、したいという思いが無心に祈ることかと、このごろ無意識に感じていたから、今回の熊野本宮大社では特に無心につとめたというのが、後付けの私の説明になるだろう。だから神域で写真を撮るな、という注意は至極もっともなのである。

 

 そういえば、横で手を合わせていた若い男ふたりが、こうしてちゃんと手を合わせていると敬虔な気持ちになってくるものだなあ、などと見かけによらないことを言い合っていた。感じるということはそういうことだろう。

 

 そういえば神様への願い事だが、願い事をする自分が怠惰に生きているのに、神頼みすればなんとかなると思っても、願い事は叶わないだろう。養老孟司師が「希望とは自分が変わることでしょ」と書いていた。そのことばも読んだときには得心がいかなかったので、ずっと考えているのだが、この場合に当てはめれば、願うこと、祈ることで自分が変わる、願いごとが叶うような力を持った自分に変わるということを願っているのかも知れない。

 

 養老孟司師の言う、自分が変わる、ということの意味については、お粗末なざる頭でよくよく考えてみたいことなので、ある程度まとまったら、いつかブログに書きたいと思っている。

2021年11月 8日 (月)

熊野本宮大社

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熊野本宮大社の駐車場は、今度はほとんど待たずに停めることが出来た。ここに来るのは十年ぶり、二度目である。前回は川湯温泉に泊まった。

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こんな階段を登ったという記憶がない。まだその頃は、いまよりずっと元気があったのだろう。

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お参り前に手を清める。手洗い場におかれていた、これは八咫烏(やたがらす)。足が三本ある神鳥なのだが、腕が悪いからちゃんと三本あることがわかるように撮れていない。

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この門の向こうは神域。

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神域で罰当たりに写真を撮ったら、あたりを掃き清めていたおばさんに、やんわりとたしなめられた。だから中の写真はこれだけ。三、二、一そして四、五とお参りする。拝礼の順序のことで、行けばわかる。バチが当たらないように、ちゃんとお参りした。

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神社なのになんで狛犬がいるのかよくわからないが、狛犬もマスクをつけていた。

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人のあまり通らない裏手の方に、半分色づいたもみじがあった。

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上から見下ろせばけっこう登ったのである。

小雨が降ったりやんだりだったが、景色の写真を撮ったり参拝しているときだけ、不思議と雨に降られなかった。本格的に降り出しそうだったので、早めに串本の宿に入った。

しばらくしたら空がさらに暗くなり、風が強く吹いて雨もたたきつけるように降ってきた。翌日(8日)、その次の日(9日)も雨の可能性が高いことは覚悟していたので、出られなければ本でも読もうと用意はしてあったのだが・・・。私は雨男の友人と一緒でさえなければたいていなんとかなる。

さてどうだったか?

熊野川

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夜明け直前の大島。左は夜半降り続いた雨の名残。空が晴れてきそうな気配だったが、このあと激しい雨が降り出し、窓にたたきつけてきた。しかし長くは続かず、やがて太陽があたりを照らした。ずいぶんと変化が激しい。では前日の続き。

新宮から熊野本宮大社を目指して国道168号線を北上する。熊野川沿いに30キロ以上ある。遠いのである。むかしの人は歩いて熊野三山をお参りしたというのだからすごいなあと思う。この道は十津川村に向かう道である。次第に両側に山が迫り出す。車が思ったより多い。熊野本宮大社だけではなく、川湯温泉や湯の峰温泉、瀞峡めぐりなどがあるからそこへ向かうのだろう。

熊野川は奈良県では深い峡谷をなしているが、和歌山県に入ると広い川幅となり、ゆったりと流れている。川の景色の好いところがたくさん目につくのだが、停めるところはないし、小雨も降り出しているので、写真が撮れない。熊野本宮に着いたが、駐車場が満杯である。少し待てば参拝の終わった人から帰るはずなのだが、こらえ性がないから、もう少し168号線を北上してみることにする。

しばらく行くと県境を越える。奈良県十津川村の南端に当たる。十津川村は日本一広い村だと聞いたことがある。道は一気に急な上り坂となる。奈良の五条から新宮までを定期バスが走っていて、これも日本一長い距離を走る定期バスのはずだ。四十年近く前にこのバスに乗って、五条から湯の峰温泉まで行ったことがある。バスの尻が崖の外になるような険路だった。いまはだいぶましになっているだろうが、その時の怖さを覚えているので乗用車で走り抜く気にはなれない。

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小さな瀧の前に少しだけスペースがあったので停める。

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十二滝という滝らしい。ここらあたりからもう十津川村の七色というところになる。

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水量がもっとあったら絵になっただろう。それでも目の前に立つとそこそこ迫力がある。

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どんどん山を登っていく。道も狭くなる。引き返しにくくなりそうだったので、このあたりで引き返す。熊野川は、眼下はるか下の方になっている。

熊野本宮へ向かう道の途中から旧道を走り、道の駅「ほんぐう」に立ち寄る。むかしはこの旧道しかなかった。ここでは熊野川を見ることが出来る。

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熊野の山々を割って流れる熊野川。

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ちょっと色づいた木があったので深い緑の山を背景にして撮る。ここから熊野本宮大社までは近い。

亀を見る

熊野灘の七里御浜沿いに国道42号線を新宮に向かって南下する。この道路には道の駅がいくつもある。獅子岩の近くの熊野・花の窟、パーク七里御浜、紀宝町ウミガメ公園。花の窟は先日岩が落下したからそばに寄れない、とニュースで見た。今回はウミガメ公園に立ち寄った。

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外の小さなプールに何匹も亀がいた。これはミドリ亀(ミシシッピアカミミガメ)だろうか。それならウミガメではない。だから外なのか。

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道の駅の左手にウミガメ水族館がある。

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入り口を入ると亀の係員がお出迎え。

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いろいろな亀がいて、まだ小さな赤ちゃん亀などが可愛かったが、暗くて撮りにくかったのでパス。やはりこのような大きな亀が見栄えがする。

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親亀の背中に子亀が乗るのか、としばらく見ていたが、親亀の方に乗せる気があまりないのか、いつまでもこのままだった。そもそも卵で産んだらそのあとの世話をするわけではないから、親亀は子亀を、そして子亀は親亀を互いに親であり子であると認識するものなのかどうかわからない。あっ、「こ」は「小」であり、「子」ではないのか。

そういえば朝ドラの舞台にもなった、四国の日和佐の水族館を思い出した。ここもウミガメがメインで、すぐそばに国民宿舎があってそこに泊まったことがある。

 

2021年11月 7日 (日)

雨に向かって南へ

 思い立ったが吉日、天気は運次第。朝五時過ぎに起きて、朝食の支度をしながら出発の支度を済ませる。必要と思われるものは出して一山にしてあったから、あとは詰めたり着たりすればいいだけだ。暗い中を走るのはいやだし、朝の腹が治まるのを待ったので、出発は六時半過ぎになった。空はどんよりしている。

 

 国道41号線から名二環(名古屋第二環状)清洲インターに乗り、名古屋西インターへ、そこからは東名阪道だ。木曽川を渡り、揖斐・長良川を渡ればもう三重県の桑名である。右手に鈴鹿山系をみながら四日市、鈴鹿、亀山と進み、新名神と別れて伊勢道を南下する。この道はむかし津や久居、松阪の得意先を回るのによく走った道で、仕事以外では奥伊勢の南島町あたりの海岸でグレ釣りをするために通った道でもある。手のひらくらいのグレがおもしろいように釣れる穴場があった。

 

 その頃は紀勢自動車道はまだなかったから、勢和多気インターで降りて、夜の地道の山道をとばした。カーブだらけの細い道で、魚が待っていると思うとつい急いでしまったものだ。娘が一緒に暮らしていた頃は二十匹、独りになってからは十匹を超えたら帰ることにしていた。一時間足らずで終わることもあるけれど、余分に釣れても食べきれない。あの情熱を取り戻したいものだ。

 

 いまはそのまま紀勢自動車道で尾鷲まで行くことが出来るし、さらにそれが熊野尾鷲自動車道へと延長しているのである。これは便利だ。ただしこれは尾鷲までで、ここからは国道42号線を熊野灘の七里御浜沿いに走ることになる。ここの左手には防風防砂林があって海はところどころしか見えない。この防風林はずいぶん古くからあるらしく、古木が鬱蒼としている。日本有数の雨がこの木々を育てているのだろう。

 

 新宮手前から道路は渋滞する。熊野川を渡る橋のあたり、昔から定常的にここは渋滞する。川を渡れば和歌山県である。道沿いでもあるし、熊野三山のひとつ、熊野速玉神社に寄ろうか、と思ったけれど、今日は日曜で、駐車場に入るのに難儀するだろうと思いパスした。代わりに新宮から熊野川沿いに北上して、熊野本宮大社に寄ることにした。

 

 途中、それ以外にも多少寄り道したので、それは次回以降に順次報告する。

 

 まず宿泊場所のホテルからの窓外の景色、高台にあるので橋杭岩と大島が窓から見える。雨と風が時折強く吹きつけている。

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橋杭岩を見下ろす。暗雲が垂れ込め、雨が降り風が吹いている。

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目の前は大島。あの、「ここは串本、向かいは大島」である。

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橋杭岩に波が砕けている。

2021年11月 6日 (土)

正義中毒

 散歩コースのひとつ、本屋を中継点とする道は最近あまり歩かない。本屋に寄ると、つい欲しくなってたちまち五冊十冊買ってしまうからだ。ほとんど病気である。君子危うきに近寄らず。

 

 出かけたい気持ちがつのるばかりなので、いろいろ行き先を考えていたけれど、南紀に行くことにした。串本あたりの温泉を拠点にして雨なら読書と温泉、それほど降っていなければ散策をすることにして、宿を取った。その南紀のガイドブックが手元にない。それを買うために久しぶりに本屋周りコースで散歩をした。案の定、ガイドブックだけのつもりがどっさりとお土産を抱えて帰ることになった。

 

 その中の一冊が、脳科学者の中野信子氏の『人は、なぜ他人を許せないのか?』という本で、表紙には大きな活字で『正義中毒』と印刷されている。だから最初はそれが題名かと思った。

 

 ネット上の中傷誹謗は目に余るものがある。匿名で、本人は悪意のつもりはさらさらないというが、悪を断罪する正義の味方の快感を感じているらしい。もともと谷沢栄一などの感化を受けて、私は『正義の味方』に反発を感じるようになっているので、そのような正義について心理学的に分析したらしいこの本がおもしろそうだと思ったのだ。

 

 まだ読み始めていないけれど、題名から内容の推察はつく。本当は中傷誹謗をする正義の味方こそこういう本を読んだら良いと思うが、世のなかはなかなかそういうふうに行かないのが残念だ。読み終わったら感想を記すが、読みかけの本が多いからいつになるかわからない。予告編ということで。

水分が少し抜けた?

 暑い間は意識して水分を摂取していたが。やや過剰だったらしく、膝から下がむくんでしまい、なかなかそれが引かなかった。涼しくなって、からだががそれほど水分を要求しなくなったらしく、飲もうと思ってもそれほど飲めなくなった。それとともにいつの間にかむくみは解消していた。ふくらはぎは第二の膀胱らしい。ここに水分をため込んでしまうと静脈の流れが損なわれる。

 

 水分の摂取が減ったこともあるが、漬け物をせっせと食べるようになったことで身体の新陳代謝が活発になったのだろうか。トイレがずいぶん近くなってきた気がする。泌尿器系の疾患を抱えているので、濃くて濁った小便が普通だったが、ちかごろはそういうのは朝だけで、昼間は透明で薄い色の小便で少し嬉しい。腎臓にかかる負荷が少しでも少ないことは健康のためにありがたい。

 

 脳内出血で倒れて意識不明になっていた義弟(妹の亭主)の意識が回復したらしい。まだ二言三言だけだが、ことばを発したという。これからもう一度血管のステント手術というのをして、体力が戻ったらリハビリが始まる。本人にとってはつらいことだろうが、家族には希望が出来た。とにかく一安心だ。

 

 弟が今月末か12月に名古屋に来るつもりだという。伊勢、鳥羽のあたりに行きたいと言うから予定を考えようと思う。新型コロナの第六波が来る前にいろいろ忙しくなってくる。嬉しいことだ。

考えることが山ほど

 浅漬け器で漬けるのは、ほとんど白菜になった。前は四分の一把を漬けていたが、安くなってきたので半把を漬ける。まず最初に塩を振ってボールに入れて押しをしておかないと一度につけ込めない。ボールは二つ必要になる。丸のまま入れていた唐辛子をいまは種を取って切って入れるようになった。横着しているとあまり辛くないのだ。塩、昆布茶、最近は塩麹も少し加える。そうすると水が上がるのが目に見えて早くなる。

 

 毎日毎食食べる。塩分を取り過ぎないように、食べ過ぎないよう注意している。

 

 いつものように並行して何冊も本を読んでいるが、妻の転院の話が出た先月初めから、ずっとあまり本が読めなくなっていた。ようやく片付いて一息入れたらまた本を読む意欲が湧いてきて、陽の差し込むベランダの前に足をおいて寝転がって、本をとっかえひっかえ楽しんでいる。快適である。

 

 いま読んでいる一冊が、養老孟司の大言論三分冊の第一巻、『希望とは自分が変わること』という本で、既読だが、ほとんど覚えていないから初読の気分である。覚えていないのはこのレトリックに満ちた文章について、じっくりと考えてこなかったからで、いまもいささか飛ばし読みしすぎていると感じている。読了したらもう一度考えるべきテーマを拾い上げ直して考えてみたいと思っている。ブログを書くネタに困ることもあるので、そういうものをメモしておいて、考える材料にしてみたいなあ、などと陽だまりの中で考えている。こまめに拾い出したら山ほどあるだろう。

2021年11月 5日 (金)

独りで出かけることにしよう

 先日旅のお誘いをいただいた兄貴分の人から、事情があってしばらく行けなくった、と電話があった。兄貴分の人はこの十年で二度大病をしているので心配したが、本人の事情ではないというので安心した。

 

 スタンバイをしていたところだったから、気持ちは出かけるモードになっている。そういうわけで独りで出かける計画を立てることにした。しばらく長い旅をしていないので、今回は二泊か三泊にしようと考えていて、いくつか候補を決めて、宿の物色をしている。いつものようにじゃらんで選ぶ。ポイントが多少たまっているのだ。早ければ来週早々に出発する。

 

 比較的に安価な温泉が前提である。心身を温泉でのびのびとさせたい。来週前半は天気があまり良くないようだが、それなら空いていると期待できるし、雨なら一日温泉に出たり入ったりして、本でも読んでいればいい。だから連泊にする。ほぼ決めているが、出かけてから旅の報告をするつもりである。

死傷事件で無罪

 神戸で祖父母など五人を死傷させた犯人が「精神喪失状態だった疑いがある」ということで、無罪の判決を受けた。鑑定した医師たちの意見に違いはあったようだが、裁判官は「心身喪失で責任能力を問うことが出来なかった」と鑑定した医師の意見を採用したようだ。これは法律に基づいた判決であるからそれに異論があるわけではない。

 

 問題は無罪だから放免ということではまずいだろうという、あたりまえの気持ちである。いつ「心神喪失」して「尋常な判断」が出来なくなるかわからない人が野放しになるなど、怖くて仕方がないと思う。アメリカなどでは凶悪事件を起こしたけれど精神に異常があったから無罪、という場合は特別の隔離病棟に厳重に監禁することになっているようだ。ところが、実は日本にはそのような専門の施設がなくて、普通の病院で、ほかの精神疾患の患者と同様に扱われ、寛解したと判断されると一般社会に出ることが許されている、という話を聞いている。

 

 実際がどうか厳密には知らないが(普通は公表されないし報道もされていないのではないか)、もしそのように緩やかな状態で彼らが一般社会に再復帰しているとしたら、とてもおそろしいと思う。再犯したときにはだれに責任を問えばいいのだろうか。精神疾患者の人権を守るために行う行為が、精神疾患者に対する不安を増幅させて差別を助長することになるとしたら、却っておかしいのではないか。きちんと対処されるように願うばかりだ。

 

 今回の京王線の事件の犯人についても、コロナ禍で人々が不安を感じて、それが増幅しての行為だ、などと説明している専門家がいた。そういう側面がないとはいわないが、それなら世界中の人が不安を感じているはずで、世界中ででそういう事件が急増しているのだろうか。あのような事件を起こす犯人を一般化して語ることにどんな意味があるというのだろうか。いつもながら専門家と称してマスコミで語る人に不信感を覚える。

 

 たしかに理解不能の事件に対して、人は納得したいから理由を求めるものだけれど、納得して安心できることでもないので、社会と関連させて一般化した説明にはあまり意味がない気もする。そもそも人間には踏み越えてはいけない一線を易々と乗り越えてしまう狂気が潜んでいるものだ、などという諦観が脳裏をよぎる。

 

 料理番組を録画して片端から観ている。遠からず飽きてしまうだろう。それにしてもさまざまに参考にはなっている。

 

 安い豚肉の切り落としなどを買っておいて、いろいろな料理に使っているけれど、「したごしらえ」ということを知って、やってみたら格段に美味しくなった。使う分の肉に塩と胡椒を振って少しおき、料理の前に片栗粉をまぶすという、たったそれだけのことであるが、たいていの人はすでにやっているかも知れない。しおこうじを漬け物に使ってその効果に感激しているが、肉に使うといいらしいので今度鶏肉で試そうと思っている。

 

 なにごとも手間を多少は掛ける必要があるということをいまごろ実感している。少し丁寧に生きることにつながればさいわいである。

誤読と先読み

 ごく希にではあるが、私のブログに書いた主旨と正反対の受け取り方をしたコメントを戴くことがある。どう受け取ろうとも読んだ人の勝手であるが、コメントまで戴けばそれに対して主旨をもう一度説明することになる。間違いを指摘するに近いので不快を感じさせることもあろうかと思う。どちらかというと逆説的なレトリックが嫌いではないので、否定の否定などが使われるから、最初を読んで思い込みによる勘違いをさせてしまうのであろう。それは私の好きな書き方で、書く楽しみの基礎でもあるから、それを直す気はない。

 

 平原綾香や竹内まりあ、映画音楽、ショパンのピアノ曲集など、お好みのアルバムをUSBメモリーにしてドライブ中に聴く。好きなアルバムだから数十回と聴いていて、ひとつの曲が終わると次の曲のイントロが鳴り出す前にあたまの中に先に聞こえてくる。そこまでいった曲こそ好きな曲ということも出来る。内田樹氏が、人は音楽を聴きながら次の音が鳴る前にそれを聴いている、という不思議なことを書いていた。そうして先に聞こえていた音と実際の音楽とが重なるとき、快感を感じるのだという。好きな曲というのは初めてでも自分になじんでいるのは、聴きながら自分でそれをあたまの中で先読みして聴くことが出来ているからなのかも知れない。

 

 本を読んでいるとき、まだ読んでいない部分はすでに視界に入っていて、それは無意識のうちに先読みされているのだという内田樹氏の言葉に、私は共感する。そうとしか思えないように本が読めていくとき、本は文字の羅列ではなく、内容としてあたまに吸い込まれていくもので、読書の楽しみの極致はそこにある。いつもそうなら嬉しいが、めったにないのは残念だ。すぐれた読書家はいつもその境地に至れるのだろうと思う。だからそういう人が本を読むのがとてつもなく早いのはとうぜんなのだろう。 

 

 同じ先読みでも、自分の先入観にとらわれて、書いていないことが読めてしまう誤読の人というのは残念なことだと思う。普通は、あれっ、おかしいな、と思うはずなのだけどね。

2021年11月 4日 (木)

排日は抗日か差別か

 韓国のゴルフ場が、日本車の出入りを禁止することにしたそうだ。およそまともな国で特定の国のものを排斥するということはない。日本製品不買やこのような日本車のみを拒否するというのは、尋常ではない。

 

 日本製品排斥は、日本が韓国に仕掛けた貿易戦争に抵抗する運動なのだ、というのが韓国の人たちの言い分らしい。戦争は相手があってするもので、彼らは日本と戦争しているつもりなのだろう。しかしその日本で韓国の製品が排斥されているという話は寡聞にして私は知らない。ただ、わざわざ日本製でそれほどちがわないものがあるのに、韓国製品を買おうという日本人は少ないことはたしかだ。韓国製品がもともと日本製品からの派生に見えているから、よほど価格差や製品力の差がなければ選ばないということはあるだろう。

 

 日本人が韓国製品を積極的に排斥しているという事実はない。つまり韓国は貿易戦争のつもりで日本製品を排斥しているが、それは自家中毒みたいなもので、一人で勝手に闘って見せているだけのことだ。

 

 かつて日本は韓国を併合するという愚かなことをした。そしてその日本に対して抗日運動をした朝鮮人(戦前戦中のことであるから、韓国という国はなかった)が少なからずいたことは事実で、彼らが韓国で英雄視されることについて我々日本人がとやかく言うことではない。しかしすでに韓国は独立し、抗日するべき暴掠日本はすでに過去の歴史の中にしか存在しない。だから歴史認識であり、過去は清算されていないと彼らは言い立てるのだ。

 

 そうして過去の日本に対しての抗日を現代に実行することを正義だと感じているらしいが、実は相手は存在しないのだ。そうなると話がおかしくなる。これは理屈で言えば結果的に彼らは日本製品を排斥し日本人を差別していることになる。貿易戦争に対する反発なら感覚的に理解出来なくもないものの、このゴルフ場の日本車排斥には、一歩踏み越えていて、非常にいやなものを感じざるを得ない。

 

 韓国人は日本を差別しようとしているのか。とはいえ、そういう日本で韓国人、朝鮮人(この場合は北朝鮮国籍の人)に対して、日本人が差別してきたし、いまもしていることについて否定出来ないことは承知している。隣国通しにはそういう近親憎悪的な面があることが多いとはいえ、残念なことである。そういうものはかき立てないようにするのが智恵というもので、それを煽る行為はことさらいやな感じがするのだ。反感の反復が起きて増幅するだけだからだ。

 

 韓国の人が、安倍首相の土下座姿の像で物議をかもしたように、「いくら何でもやり過ぎだろう」というならいいのだけれど・・・。

リフレイン

 朝起きてからずっと『昭和枯れススキ』の「貧しさに負けた、いいえ、世間に負けた」という一節が流れ続けていて、じっくりものを考えられずに困った。この歌についてこの部分しか歌詞は知らないし、好きな歌でもないし、最近聞いたわけでもないのに、どうしてそんなものがあたまの中でリフレインするのか全くわからない。あたまの働きというのは不思議なものだ。

 

 ようやくそれが治まって、そこから認知症ということを考えた。認知症の人のあたまの中を認識することは出来ないけれど、今朝の私のリフレインのようなものが、正常な思考を妨げている、ということがあるのではないか。それが歌であるかどうかはともかく、意味が不明のことが堂々めぐりに渦巻いていて、知的働きを妨害しているのではないか。そうしてその妨害がたまたま治まったときにスイッチが働いて、外界を正しく認識したりすることもある、というのが私の想像したことである。

 

 認知症は本人に自覚があまりないのだそうだ。自分が認知症かも知れないと考えられるあいだは、まだ認知症ではないか、それとも軽度の状態ということなのだろう。私はまだ自分が認知症と言うほどではないと考えているが、本当に大丈夫かどうかはわからない。同居している人間がいないから、察知する人がいないのである。物忘れが多くなったけれど、忘れたと認識できていればまだ大丈夫らしい。このごろ何かを忘れた気はするが、何を忘れたか思い出せないということがたびたびあるが、それは大丈夫なのか危ういことなのか、わからない。

 

 今朝のリフレインによる思考妨害もいささか気になるし、本を読んでいて中身があたまにしみこまずに上滑りすることが増えたことも気になる。心配することで無駄に精神エネルギーを浪費するのももったいない気もしている。

アフリカからの絶望の波動

 商社マンで、世界を走り回っていた叔父(母の弟)が、私が高校生の頃に言っていたこと。

 

二十世紀の終わりにはアメリカは衰退し、中国が台頭するだろう、そしてその中国の繁栄も長く続かず、次はアフリカの時代が来る。

 

 それを聞いたのは1960年代の終わりで、叔父はいまの私よりも若くして癌で亡くなってしまった。

 

 私はアフリカが活気にあふれ、人口も増加し、若い世代が教育を受けて新生アフリカ諸国を担っていくのだろうと思っていた。古い話だが、大阪万博でウガンダをはじめ、アフリカの国々の小さなパビリオンを見て回ったりしたものだ。

 

 それがどうしたことか。アフリカはますます混乱の中にいるように見える。スーダンに続いてエチオピアも暴力の渦に巻き込まれつつある。南アフリカも不穏である。叔父の予測ははずれたようだ。アフリカに人類の希望があるとは思えない。

 

 世界は次第に混乱しつつあるように見える。価値観が多様化しすぎてもう収拾がつかないという絶望を感じる。中東もアフリカも、教育そのものが危うくなってきた。きちんとした教育を受けていない若者ばかりなら、国をきちんと運営できるはずもない。

 

 気候、エネルギー、食料、自然破壊、人口問題、貧富の格差、全ての問題が解決ではなく悪化に向かっている。私自身は見ずに済むと思うけれど、人類の終末は遠からず来るのではないか、などと悲観的である。宇宙がカオス(混沌)に向かうのが必然であるように、人類の終末も必然なのか。

 

 多様化がカオスに向かう道ならば、画一化の道を歩む中国の道が終末を避ける正しい道なのだろうか。そういう道は歩みたくないけれど、そういう世界がもしかしたらやがてやってくるのかも知れない。

2021年11月 3日 (水)

驚いている

 今日はいつになく多くの方が拙ブログを見てくれているのに驚いている。コメントもいろいろ戴いているので、『恫喝』という朝のブログについて、それぞれに感じることがあったのではないかと勝手に推察している。

 

 平和を高らかに主張する党の人間があれほど好戦的な姿を見せるのは異様なことであり、実はそういうものなのかも知れないと思ったりもする。闘争とか打倒とかいう言葉が好きなことは、日ごろの主張を見聞きすれば自明であろう。評論家にあのような態度をとれば、マスコミから見放されるということに配慮が及ばなかったのは、特別賢い人たちがいると定評のある党にしては愚かなことであった。ネットなどでそのことが取り上げられていないことに何やら不気味なものを感じる。

 

 ツケを払うことになるだろう。

ファン・フーリク

 ファン・フーリクは第二次世界大戦前後、三度にわたって駐日大使を務めたオランダ人。語学に堪能で、日本語はもちろん中国語の古典を読みこなして論文を書くほどの学識があった。

 

 先日、ディー判事もの、つまり狄人傑を主人公にした映画についてブログに書いたが、丞相主簿さんがツブに書いていたように、狄人傑というのは唐の時代、則天武后に真っ向から立ち向かった英雄的人物である。名裁判官だったということで、後の世には彼の物語が中国の講談などにたくさん残されている。日本の大岡裁判ものとくらべられることがあるが、大岡裁判の逸話のいくつかは、その狄人傑の物語から引かれている。

 

 その残された狄人傑の逸話の数々をファン・フーリクが『ディー判事もの』のシリーズとして書き残していて、当時の西洋ではよく読まれた。日本でも翻訳されている。映画のディー判事もののシリーズは、いちおうこのファン・フーリクの作品を原作としているのだが、似て非なるものとなっている。

 

『中国のテナガザル』という本を古本屋で発見して興味深く読んだのだが、この本の著者がファン・フーリクで、中国のサルについての学術的な本で、文献が網羅されている。私とファン・フーリクの出会いはこの本による。日本ではただサルというが、英語ではエイプ、ギボン、モンキーと区別する。この本に記されているテナガザルとはギボンのことである。どうしてこの本がおもしろいのか。中国にはサルについての詩や物語がたくさんあるのだ。『西遊記』の孫悟空がたちまち思い浮かぶだろう。

 

 中野美代子の『孫悟空の誕生』(副題が「サルの民俗学と『西遊記』」)や、『なぜ孫悟空のあたまには輪っかがあるのか?』などという本にも、中国だけでなく東アジア、東南アジアについてのサルの話が網羅されている。それと読み比べるとたいへんおもしろいのである。ファン・フーリクが中国のサルについて着目したのがよくわかる。長江沿いにはこのテナガザルがたくさんいて、「猿声」について書かれた漢詩がたくさんあることは、漢詩を知る人ならご存じだろう。残念ながらほぼ絶滅し、今はニホンザルの種類しかいないらしい。ギボンが消えてモンキーがいるということだ。

 

 アジアを旅するとサルの石像に頻繁に出会う。ラーマー・ヤナの白猿なども思い出されるところだ。

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恫喝

 昨晩のBSフジのプライムニュースに出ていた共産党の穀田氏は、みごとに共産党の恐ろしさを見せてくれた。恫喝を受けたあの海千山千の政治評論家の田崎氏の手は震えていた。

 

 自分の正しさに対する確信のすごさは、迫力満点。鍛え抜かれているのだ。私はそういう正義の味方が嫌いだし怖いのだが、それを評価し、怖さを感じない人もいる。おそろしいと感じたのはあくまで私の感じた印象である。いろいろな人がいて、それでいいのだろう。あの番組を観て、共産党について認識をあらたにした人もいるだろう。となりの長妻氏のお粗末さをみていると、たしかに立憲共産党だなあ、と実感した。

 共産党は議論に勝つ迫力と理論のたしかさを持っている。しかし、議論で打ち負かして黙らせたからといって、相手が賛成したり支持するとは限らない。反発したり、根に持たれる可能性の方が大きいのではないか。私もそういう経験をしている。気が弱いから議論に負ける方が多いけど。

2021年11月 2日 (火)

無事転院完了

 妻の転院が無事終了した。山のような書類を書かされた。前回も経験していることなので覚悟はしていたが、うんざりする。今度の病院は前より月に2~3万円高くなるので少しつらい。市役所に何かもっと補助がないか念のために尋ねに行こうと思う。

 

 今回の病院は少し長めの入院をさせてもらえるらしい。それが何よりありがたい。こんな転院の煩わしさはなるべく少ない方がいい。それに前よりも新しくて院内がきれいだ。

 

 くたびれたけれど済んだことの安堵感があるので、気持ちは安らいでいる。しばらくバタバタしなくて済みそうだ。

思いが伝わらなかった

 立憲民主党や共産党の幹部が、たぶん言うだろうと思うことばが、「われわれの思いが国民に伝わらなかった」ではないだろうか。彼らは、いままでの主張を聞く限り、日本はこのまではいけない、悪の自民党が日本をダメにしている。そのことがどうしてわかってもらえないのか、と言いたいと拝察している。

 

 つまり今回の選挙結果は、国民が彼らのことばに耳を傾けなかった結果であって、彼らが悪いのではないというのが本音なのである。内心では、日本がますます貧しくなり、社会不安が増大することを願っている。そうして「それ見たことか」と言いたくてしようがないのである。将来不安を煽り、不満を増幅させることが少しも問題解決につながらないことを、彼らよりも国民の方が理解している。

習近平の気持ちがわかった

 習近平という人物に親和性を感じるというわけではない。どちらかといえば感じるのは嫌悪だ。今回「気持ちがわかった」というのは、この数日で立て続けに観た中国の娯楽映画のおふざけのひどさに、こんな映画を面白がっている中国人に習近平が危惧を抱くのはとうぜんだ、規制したくなるだろうなあ、と思ったということである。

 

『王朝の陰謀 謎の壁画と舞姫殺人事件』2020年、王朝の陰謀というのが狄人傑(てきじんけつ)という歴史上実在した名裁判官を主人公にした映画の冠称になっている。いわゆるディー判事ものということなのだが、当初の作品はそれなりにおもしろかったのに、シリーズ化してからはどんどん荒唐無稽さがひどくなり、リアリティがとことんうしなわれ、陳腐化してきた。それでもほかのものよりましなのであるが。

 

『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー 千年魔界対戦』2020年
夫婦愛を魔物との戦いの中で描いているのだが、こんなものが中国人の夫婦愛を高らかに謳いあげる映画だとしたら、どれほどお粗末な人間観なのか、おそろしいほどだ。

 

『少林寺 阿羅漢VS鬼神羅刹』2020年
今回観た中で最低最悪の映画。こんな映画を作ったら少林寺が怒るだろうと思ったら、協賛しているのだから畏れいる。全篇ただひたすらおふざけに終始していて、映画制作者と登場する役者は観客がどう感じるか、などと考えていない。いや、中国ではこういうものが好まれるのだろうか。それなら中国人民の劣化は絶望的だ。

 

『呪術大戦 陰陽五派 火龍vs白虎』2020年
題名が無意味に長いものはほとんどが駄作であるらしい。呪術と怪異がほとんど境目なしに入り乱れる映画が中国のこういう映画のパターンになってきていて、変なところに科学的裏付けを挿入しようとするからますます噴飯物になってしまう。それならそんな映画を観なければいいのだが、特撮がそこそこおもしろいので我慢していたが、限度を超えている。

 

 時間と金の無駄でこんな映画を乱作し、人民を劣化させる事態を問題として、習近平が『指導』するというのなら、とうぜんのことかと思う。しかし、その『指導』に沿って作られる映画がこの駄作よりも優れたものである可能性は低いだろうと思う。

2021年11月 1日 (月)

何もしていないのにくたびれる

 明日が妻の転院の日と決まったので、お金の準備をした。新しい病院に保証金と預け金が必要なのだ。それほど大きな金ではない。入院している病院でも必要だった。退院するには残りの入院費を払わなければならないが、それは最初に払った保証金と預け金で相殺されるからたぶん支払いはないだろうとのこと。

 

 いろいろ事前説明を聞いていて、忘れものがないように準備していたら突然いろいろなことに嫌気がさしてしまった。どうもこらえ性がなくなっている。煩わしいことに対しての耐える力が失われているようだ。明日一日でほとんど全て済むだろうとわかっているのにどうしたことか。熱もないし具合が悪いわけでもないが、心身のエネルギーが最低状態になった気がしている。

 

 こういうときには体調を崩しやすいので、気をつけたい。明日のことを思い煩うより、全て済んだ明後日のことを考えることにしようと思うのだが・・・。今晩は眠れるかなあ。晩酌はどうしよう。

失望から熱が冷める

 マスコミは選挙に影響しそうな政権批判をしていたように見えたけれど、それは私の偏見なのだろう。それにしても、今日は選挙結果についての分析の話があちこちで観られと思っていたら、案に相違してわずかしか言及がない。選挙前、そして選挙中にあれほど騒いでいたのに、この醒めた雰囲気は何なのだろうか。

 

 まさか枝野氏や志井氏が語っていた政権交代を本気で信じていたわけではあるまいが、どうしてこうなったのか、もう少し熱心に語ってもいいのではないか。自分がどんな報道をしていたか、などについては過ぎてしまえばさっぱりと忘れ去るというのはいつものことながら、だからこそその言説はだれも信じなくなるということに少しは思いをいたしたらどうかと思う。国民の意向をたてにえらそうにいうくせに、国民の意向が自分の意に染まないと知らんぷりをする。野党もマスコミもそもそも無責任であることをあらためて明らかにしている。

 

 さすがにBSフジのプライムニュースなどはそれをメインに語るらしいから、それを待つしかないようだ。

今日も楽しむ

 専門家である政治評論家の選挙前の予想は、今回の結果とはずいぶん違う気がする。とはいえ予想はたいてい控えめだから、傾向としての判断についてだれがそこそこいいところをみていたか、ある程度その評価は出来る。

 

 その政治評論家たちの予想を思い返しながら、今日は選挙結果についてのその評論家たちの評論を拝聴することにしよう。分析や言い訳を楽しませてもらおうと思う。

 

 野党共闘は明らかな失敗だったと私には見えるけれど、枝野氏や福山氏はどう思っているのか聞きたいものだ。立憲民主党が、むかしの何でも反対で凋落していった社会党のあとを追っているように見えるけれど、その自覚はあるのだろうか。

 

 それにしても、全体としては、日本国民の判断は思ったより健全なのだということに少し安心した。

 目についたものをあげれば、石原伸晃氏の小選挙区敗北があるが、このひと、年々貧相になっていき、覇気をうしなっているように見えていたからある意味でとうぜんかも知れない。やる気を失っているのか、どこか具合でも悪いのか、もともと嫌いだけれど。

 甘利さんの小選挙区敗北は、多少評価している政治家だけに残念だが、金銭問題についての国民の潔癖さを政治家は懼れなければならないということが示されたといえる。

 おもしろいのは、辻元清美さんの小選挙区敗北である。このひとのうるささには辟易するところがあったのだが、最近は案外まともで、耳を傾けるに足りる政治家に変わり始めていて、見直していたところだった。彼女を応援していた人たちというのは、彼女のまともさではなく、ただただ舌鋒鋭く政権批判をする辻元清美を支持していたらしい。また元に戻ったりしないで欲しいのだが。

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