安かろう悪かろう
安かろう悪かろうという言葉を聴くことがほとんどなくなったような気がする。安いものには安い理由があるものだとみなが承知していた時代があったが、いまはいかに安くても、悪かったら断じて許さない。
戦前は、日本製品は欧米では安かろう悪かろうという評価だった。それを日本の製造業は付加価値を高めて評価を改善し、いまにいたっている。私の若いころは、中国製品が安かろう悪かろうの代名詞だった。いまだにそう思いこんでいる人も多いだろう。
現役時代、繊維の街・一宮の繊維試験場にしばしば行った。いろいろ知りたいことがあって、訪ねると丁寧に教えてくれたものだ。さまざまな評価機械があり、たくさんの人が企業から依頼された品質試験を行っていた。こうして製品の基準を維持し、品質の劣るものが流通しない仕組みが確立していた。
十数年にわたって付き合っているうちに感じたことは、どんどん人員が減らされ、試験をする人がパートのおばさんに替わっていくという現実だった。ユーザーに聞くと、ときどき品質検査結果に疑義を感じることが増えているという。明らかに能力が低下しつつあった。ぶしつけに試験場で質問すると、そうならないように努力はしているのだが、と口を濁した。
その時に別の組織(IWSという羊毛事務局)の人に聞かされたのは、中国の試験場の急激な拡充の話だった。極めて低レベルだったものが、大卒の優秀な人材を揃えて予算も潤沢に投入して、どんどんレベルアップしているのだという。信頼性は日本をまもなく抜くだろうという。中国は広いから、まだら模様で粗悪品もあるだろうが、全般的な品質はどんどん向上していった。
信頼性において中国製品は安かろう悪かろうではなくなっていった。私の場合は繊維という業種からの知見だが、たぶんほかの業種でも同様だと思う。日本では中国の食品業界のあまりにもおぞましい衛生管理のひどさをニュースでしきりに報じるので、全て中国の製品は・・・などと思いがちだが、当局はなんとか品質を向上させたいという意志をきちんと持っている国なのだ。
いま日本はなんでも安くなければ売れない買えないの思い込みでデフレスパイラルの不景気感に覆われているが、安くするにはコストを減らすか手抜きをするか人件費を削るかしかないのは自明のことで、限界を超えた安売りのために、すでに日本の製品は安かろう悪かろうになっていないか、それを心配している。安かろう悪かろうの国に堕すと、そこから這い上がるのはたいへんな困難を伴う。テレビのCMの氾濫を見ると、すでに堕しているように見える。何しろCMのおかげで民放はただで観られるのであって、安さの極限であり、それのお粗末なことは安さに比例して限界を知らないところがある。無意味なバカ笑いをのべつ幕なしに見聞きさせられると、このごろは寒気がする。
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こんばんは。
安かろう悪かろう。
このデフレスパイラルは、日本から活力を奪ってますよね。
人件費の削減は凄まじく、働いても働いても、生きるのがやっと。
私も牛丼屋と100円ショップで生活を成り立たせてますが、100円ショップの商品を見ると、「これが100円でどうして儲かるんだ?」と不思議でなりません。
まだ悪かろうにはなってないと思いますが、いずれはそうなってしまうのかもしれません。
このスパイラルを断ち切らないと、薄利多売による低賃金。
少子高齢化による労働人口の減少。
労働者は低賃金でありながら、益々増税は進んで行くのでしょう。
ちゃんと良い物が高く売れ、高い賃金が貰える世の中になって欲しいですね。
投稿: ハル | 2021年12月17日 (金) 01時01分
ハル様
マスコミにマイクを向けられると「安くないと生活できない」と決まり文句を言う「庶民」がいつもニュースで報じられます。
それは同時に給料も安くなることにつながっているのだと、そろそろ知らないといけませんね。
投稿: OKCHAN | 2021年12月17日 (金) 06時52分