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2021年12月 7日 (火)

合理性

 先崎彰容氏が「合理性」を見直してもいいのではないか、と語っていて、深く感ずるところがあったことは少し前にブログに書いた気がする。そのことの意味をずっと考えている。 

 

 ものごとの価値判断、優先順位を考えるときに、合理性を基準に考える。どちらが大事か合理的に判断するということである。それは極めて合理的なことで、感情に走っては間違うことが多いから正しい行動である。それを見直すというのはどういうことか。

 

 学生時代、寮で一番親しくしていた友人と激しい口論になって、そのことだけが理由ではないけれど、疎遠になった。千葉の私の祖父母の家に泊まるほどの仲だったので、疎遠になったことは今でも残念に思っている。多くは私のせいである。その時の論点は、全てのことは数値的なイメージで計量可能に違いない、という私の主張に、彼が、計量可能でないものがこの世にはたくさんあって、全てが計量可能だというのは功利主義だと反論されたのだ。

 

 性格的には彼の方が合理的な思考の持ち主で、私の方がどちらかといえば観念的だったから、不思議な言い合いになった。友情も愛情も全てグラフ上の大小にプロットできるという私の暴論に彼が噛みついたのだ。私は暴論を語っていると承知で、しかし人はさまざまなものと自分との関係はそのような計量的な物差しを持って価値判断しているのではないか、と思ったし、今もそれは間違っているとは思わない。

 

 そのままだと嫌われそうだから釈明すると、問題はその物差しのことで、物差しが損得という経済的なものだけで考えるのか、もう少し広い意味で考えるのか、ということなのだけれど、彼は、私が全てのことは金銭に換算できると考える人間だと誤解したから、その誤解を私が残念に思い、感情的になって上手く説明できなくなった。

 

 先崎氏が言う、「合理的」を見直さないか、という提言は、現代がことごとく経済合理性を「合理的」と見做していることに警鐘を鳴らしていたのである。蓮舫氏の事業仕分けも合理性をもとにしたものだし、今教育界もそのような合理性を基準に価値判断されている。それが何をもたらしているか、気にかけている人ならすぐ思い当たることだろう。

 

 橋下徹氏の法律論を、「合理的」ではあるが、として先崎氏はこの警鐘を語った。合理的であることで全てを語るな、と言う言葉には、経済とは違う価値観が最初から見失われていることへの警鐘がこめられていると思うのだ。日本の衰退がこの経済合理性で全て軽重を決めていることに起因しているのではないか、と指摘したのだ。

 

 体重計で身長を測ったりしていないか。

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コメント

経済の合理性 最優先は日本だけではない気がします。
先日行われたオリンッピクでも、問題になって、スポーツをとおしての平和の祭典を、再度 見直そうと、少しは運動になりかけたと、思っていたのですが、む~~ん なんか、霧散してようで。
本当に 合理性とは、何か  考えてさせられます。

y様
もちろん日本だけではないし、日本は比較的にまともな方だったはずですが、最近はかなり経済的思考が優先されるようになってしまいました。
現役時代に営業をしていたので、却って経済合理性だけではない価値観にこだわっていました。
社会性ということが常に念頭にありました。
そのように教えてくれた先輩達がいました。
今はそういう大人があまりいない気がします。
損得だけでムキになる人を見ると情けない気がします。

本当ですね
悲しいです。

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