智恵の蓄積
養老先生の本を眺めていたら、司馬遼太郎が昭和四十八年に書いた文章が引用されていた。このところの日中関係につきあわせて、感じるところがあったので孫引きさせてもらう。
日中関係の正常化によって、日本はどの国を頼むということなしに国際社会に船出してしまった。頼るのは天候への判断力と自分の操船技術だけだが、ふりかえって考えてみると、民族的な智恵の蓄積なしに出てしまっているのである。よほどの聡明さとずるさと、そして人類についての気高いモラルをもたなければこの荒海に耐えられないかも知れない。
「天道、是か非か」と司馬遷の『史記』にある。養老先生も書いていたけれど、ときに善い人が不遇に死に、極悪非道の人が安らかに畳の上で死ぬのがこの世のなかである。中国が正義を言い立てて相手を非難するのはそれを承知の上である。国際関係に本気で正義があるなどと考えるのは日本人だけだろう。そういう経験の蓄積という「民族的な智恵」がない日本人が、この世界を生きていくのはまことに頼りないことを司馬遼太郎は危惧し、養老先生はそれに大いに共感したから引用したのだと思う。私も同感である。
司馬遼太郎がこう書いた昭和四十八年は、私が大学を卒業して就職した年で、石油パニックのあった年だ。大学時代から中国に興味を持ち、文化大革命についてさまざまな本を読み、中国について考え始めていたころでもある。いまの中国を予想したのかしなかったのか。とにかくその頃は、いつか中国へ行ってみようと思っていた。そうして仕事も含めてずいぶん何度も中国に行き、中国人について多少の知見も得た。
リアリストである中国人を知っているから、当時から私は「中国が大好き。そして中国が大嫌い」と言っていた。中国に希望を持っていた人たちが「こんなはずではなかった」などと言うのを見聞きすると、つい鼻白んでしまう。
中国の暴走に運命を託すか、損を承知で中国から徐々に引き揚げて関係を希薄にしていくか、どちらか覚悟をもって選択しなければならない時代になっている。中国に当たりが出る可能性も大いにあるわけで、迷う向きもあるのは判るが、当たりが出たあとの世界を想像すると、私の選択は決まっている。
私は日本が負けて良かったと思う者だが、それは戦争に勝ったあとの日本の未来を想像するからだ。戦争から学ぶということ、歴史を学び考えるというのはそういうことだろう。
コメント