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2021年12月18日 (土)

熱狂のない文化大革命

 これは現在進行形の習近平の新しい施策を直感的に受け止めての感想で、充分に考察したものではないことをお断りしておく。

 

 毛沢東は『大躍進』という数千万の死者(多くは餓死者)をだした政策の大失敗で権力を低下させてしまった。その失地回復のために演出したのが『文化大革命』という大芝居だった。これが大当たりで、興行主が想定したより遙かなすさまじい熱狂を産み、中国全土は狂乱の渦と化し、ついには興行主も制御不能の事態となってしまった。『大躍進』そして『文化大革命』によって失われた人命は想像をはるかに超える。文化大革命とは、文化や高度教育の否定であった。そのことによって中国の文化遺跡の多くは壊滅的な被害を蒙った。中国という国はこのことで長い長い停滞期を過ごさなければならなかった。

 

 毛沢東が死んだことで中国はその呪いから脱して、巨大な人口と低賃金を武器に一気に躍進に転じることが出来た。天安門事件という、ある意味で民主化のチャンスを戦車のキャタピラーのもとに挽きつぶして、共産党支配の資本主義という奇妙な体制をもってばく進してきた。そのことがもともとあった中国人の拝金思想をさらに強化した。歯止めの仁義礼智信悌忠孝は捨て去られた。中国シンパを海外に増やすための出先が孔子学院だったというのはまさにジョークである。

 

 中国は特定の人間に権力が集中しすぎることの愚と危険を学び、独裁体制ではあるが、集団的な指導体制を取ることにしたはずだったが、文化大革命から五十年、その教訓を足で踏みにじる個人崇拝的独裁体制に逆戻りしつつあるのがいまの中国だというのが私の見立てである。

 

 習近平は毛沢東の再来または凌駕を夢見ている。まさかと思ったが、どうも本気のようだ。そして毛沢東にはいささかなりの彼の思想的信念のようなものがあったけれど、習近平にはそのような彼の思想というものが感じられない。その理想とはなにを指すのか。正しいかどうかにかかわらず、中国国民にとって良いか悪いか、ということである。中国の歴代皇帝には国民などただの虫けらだったが、同じ皇帝でも毛沢東には国民はときに虫けらではなかった。では習近平にとっての国民とは・・・。彼はまさに紫禁城に君臨する皇帝と自分を重ね合わせているのではないか。

 

 経済を支配し、教育を支配し、国民を徹底監視の下に支配し、漢民族以外の少数民族を民族浄化のもとに根絶やしにし、周辺諸国を中国の版図に組み入れようとする、これが皇帝政治ではなくてなんだというのだ。中国はおそろしい国になりつつある。そのことに敏感であるべきなのに鈍感なのが我が日本であることに絶望を感じる。私はもうあきらめの境地である。もともと何の力もないけれど・・・。

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