寛大は弱さの徴(しるし)
昨晩のBSフジプライムニュースで、桜井よし子氏が過去の宏池会の中国や韓国に対する対応について激しく非難していた。あげられた鈴木善幸、宮沢喜一、河野洋平の名前を聞けば、なるほどと深くうなずけるところがある。批判されると謝罪するという繰り返しの禍根がいま、どういう結果をもたらしたのか、当時を知る人なら思い出すことだろう。
そして、まさにいまの岸田派とは、その宏池会の末裔そのものであり、岸田首相、林外務大臣は、その精神において宏池会そのものではないかと危惧していた。私もその懸念を同じくする。
昔どこかで読んだが、どんな本で誰のことばか覚えていないけれど、「中国に対して寛大な態度を取るということは、誤ったメッセージを伝えることになる。中国は寛大とは弱さの徴と理解する国柄なのだ」という意味の文章で、忘れられない。
天安門事件以後、西欧民主主義諸国が激しく中国を非難し、制裁を加えた。日本はそれに同調せず、そのあと行われたサミットに出席した、ときの首相宇野宗佑は他の国に対して中国を取りなした。そしてその数年後には天皇陛下の中国訪問を実現させ、あたかも中国には何もなかったような対応をした。中国では天皇陛下が謝罪のことばを語るように段取りされた。外務省は陛下を政治的に利用した。
その結果、制裁のダメージが縮小されたことで、中国はその後の急拡大が可能になった。その見返りに中国は日本に何をしたか。国内法により、尖閣諸島への侵入開始を合法化し、それから繰り返し侵入を始めたのはご存じの通り。
寛大であること、宥和的であることは弱さだからとことん強気に出ろ、というのが中国のやり方であることは、その後も次々に続いている中国の行動を見れば判るであろう。彼らが恩義を返すなどということはないのである。ミニ中国的心性である韓国も然り。慰安婦問題で宮沢喜一や河野洋平が頭を下げたとたんに全てが既成事実化してしまい、それから日本にどういう態度を取るようになったのか。
それでも中国や韓国に対して、話せばわかる、というのが宏池会の伝統的心性のようである。まさにそれを受け継いだ岸田首相、林外務大臣が、中国の歴然とした人権問題に及び腰であるのは経済的な点を考慮しているからだけではない。アメリカが弱体化し、バイデン政権が身動きかがとれないことを中国はよく承知して、いま虎視眈々と実力行使のチャンスをうかがっている。
中国が動いたとき、日本はどうするのか。話し合いという名の無条件降伏をするつもりなのだろう。それならもしかしたら戦禍には遭わないかも知れない。しかし台湾の再教育という名の粛清が行われ、続いて日本の民族浄化がその先に待っている。香港化、新疆ウイグル自治区の二の舞を経験することになる。それが中国の正義であり、民主主義なのだから。そうして世界は中国化して平和になるというのが習近平の夢なのだ。
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