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2022年2月

2022年2月28日 (月)

余部(あまるべ)鉄橋

余部橋梁は明治末に造られた鉄骨の橋梁。ここは海岸から強風が吹きぬける場所である。以前は上に上がるのに階段を登らなければならなかったが、いまは観光用にエレベーターが出来たと知って久しぶりに来てみた。ここには道の駅があり、車が停められる。

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いまはコンクリートの橋梁に掛け替えられたが、一部鉄骨の橋梁が残されている。

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空の駅、というのは観光用のエレベータ駅のこと。ここには列車は通らない。

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上空左側が現在の山陰本線。右側が観光用に残された旧山陰本線。

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エレベーターで上に上がる。ここをむかしは山陰本線が走っていた。左側、フェンスの向こうが現在の山陰本線。

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湾を見下ろす。

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雪の多いところだが融けたらしい。

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エレベーターはガラス張りなので、下を見るとちょっとどきどきする。むかし列車が強風であおられて脱線して落下、下の小さな工場を下敷きにして多くの死傷者を出した。

このあと浜坂へ戻って湯村温泉に向かう。

山陰ジオパーク

25日朝、皆生温泉を出発し、9号線を東に向かう。海岸を走ることも考えたが、立ち寄りたいところがあったし、湯村温泉内を散策もしたかったので、山陰道やバイパスを走った。残念だったのは、白兎海岸を通らなかったこと。岩美から9号線を離れて浦富(うらどめ)へ出た。浦富の西に網代漁港があり、そこから浦富海岸の絶景を眺める遊覧船が出ていて、一度乗ったことがある。今回は西ではなく東へ向かう。

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立ち寄りたかったのはこの山陰海岸ジオパーク海と大地の自然館。

ありがたいことに無料である。大きな施設ではないが小さな水族館も併設されて、展示物もわかりやすくて適切で好感が持てる。ここの3D映像館が素晴らしい。ちょうど上映時間だったので、じっくりと楽しめた。目の前をアジが泳いでいて、手を伸ばせばつかめそうである。一日三回、全て違う内容らしい。全部観てみたいものだ。3Dをこんなに楽しんだのは初めてである。出来がよい。ここでも浦富海岸や鳥取砂丘の形成について地質学的に説明されていた。そういえば遊覧船から鳥取差牛が遠望できたことを思い出した。

そこから少し東へ走ったら浜坂の手前に穴見海岸というパーキングがあった。

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なかなか変わった岩がある。今日は波が静かだ。

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なんとなく寂しい日本海の海岸。

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愛車と海岸を記念撮影した。

次に立ち寄ろうと思っていたのが浜坂より更に東の余部(あまるべ)である。浜坂から南下すれば湯村温泉だから方向が違うがたいした距離ではない。次回のブログは初めて昇った余部空の駅。

皆生温泉で日本海を見て過ごす

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皆生温泉の宿の部屋は最上階の七階だった。どういうわけか予約されていたのは喫煙ルームだというから変更してもらったら、千円ほど高いこの部屋に変更になった。それでもこのクラスの部屋なら安いくらいであるから、その点には不満はない。写真は夜明け前のもの。前が日本海で、右手が東。遠くに雪雲が見える。

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夜が明けた。砂浜に雪が積もっている。海の向こう、遙か彼方は朝鮮半島か。

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暗くなって、雪が降り出した。気温が高いから積もらずに融けていく。

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これはその次の日の朝。晴れている。向こうに見えているのは島根半島の突端の美保ヶ関。夜は灯台が光っていた。

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望遠を一杯にして美保ヶ関を撮る。

この宿はインターネットが使えなかった。Wifiはつながっているのにインターネットにつながらないというおかしな状態で、フロントのお兄さんは、他に苦情を言ってきている人はいないし、Wifiにつながるのならホテルの問題ではなくそちらの機器の問題でしょうという。キャリアに問題があるのだというが、私は特殊な接続の仕方もしていないし、クロムでもエッジでもダメだったのだ。確認くらいしに来るならいいが、それきりだった。おかけで二泊した間は風呂と読書と外を眺めて時間を過ごした。

皆生温泉のあと、湯村温泉に泊まったが、着いてすぐにインターネットをつないでみたらすぐにつながった。わたしのキャリアに問題はないらしい。

2022年2月27日 (日)

出雲大社(3)

神楽殿の前にあった小さな社の脇に兎と猫が仲良く舟に乗る石像があった。現実に兎と猫が仲がいいということがあるのだろうか。

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神馬。

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神牛。どちらも手が届くところはみんなが触るからか、光っている。

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融け残った雪が見られた。

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いつもこの像に感心する。ちょっとドラマチック。

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たしか素戔嗚尊だったと思うけれど、説明の石版を読まなかった。

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後から。向こうは浪であろう。

寒いので切り上げた。出雲大社から山陰道で行けば早いけれど、それだと宍道湖や中海を見ることが出来ないので、湖岸に沿った9号線を走った。遅い車が多い上に雪がまた降り出した。降りて写真が撮れないことはないけれど、ただ薄もやと雪の中の宍道湖を左にしながらのんびりと走った。だから写真はない。山陰本線沿いのここの道は何回か走ったが、いつも天気が悪い。玉造温泉あたりから北上すれば松江だけれど、そのまま9号線を走り、中海をちょっとだけ眺めて米子方向に向かう。皆生温泉はすぐ近い。

少し疲れたらしい

 疲れたと思っているのは自分なのに、疲れたらしい、などと書くと他人事みたいだが、なんだかぼんやりして実感が判然としない。昨晩はあり合わせのもので熱燗を吞んで、そのままばたりと討ち死にした。四時前に目が醒めたが、よく眠れたから寝足りない気はしていない。ただ、喉がいささかいがらっぽい。熱燗の刺激の痕跡かも知れない。念のため測っても平熱である。

 

 部屋の中は散らかっていて、なんだかガッカリした気分だが、片付けて掃除をする元気がないままぼんやりしている。ブログを書きながらその日のことなどを反芻する習慣がついていて、そのリズムが狂ったのでなんとなく頭の整理もつかないでいる。
 
 ロシアのウクライナ侵攻については楽観視していなかったから、どちらかといえばやはり、という思いである。それにしても専門家の多くが、ロシアがウクライナに侵攻してもあまり得るものがないから全面的な侵攻まではしないだろう、といっていたけれど、いざ侵攻が始まると、予想外だったと素直にいう人もいるものの、自分の言ったことを忘れて、どうして侵攻したのかと、歴史的背景をもとにとくとくと説明を始める者もいたりする。

 

 プーチンのいってきたことを時系列で順番に並べて欲しいものである。どれだけ嘘八百を平然と言っていたのか、よくわかるはずだが、そういう説明がないのは不親切である。もちろんプーチンは全てに理由を述べている。理由を述べたあとに、だからNATOとアメリカが全て悪い、といっている。彼には本当にそう見えているのかどうかは知らない。

 

 アメリカの衰退と国連の無力は、わかっていたこととはいえ絶望的な思いである。それがどのように世界に波及していくのか考えるとおそろしい。それにしてもバイデンの覇気のなさ、耄碌ぶりは哀れであるが、この世界情勢がぐるりと回ってアメリカを更に衰退させていくだろうことはたしかだろう。中国は当面はあわてずその衰退を待つような気がする。プーチンは落としどころの見えない暴挙に踏み切ったが、中国はそこまで愚かではなく、プーチンの失敗(たぶんアフガニスタン侵攻と同様の、長期戦による困難や経済制裁のダメージをロシアにもたらすと思う)とアメリカの動きを読み切って、最適と思うタイミングで動くだろう。中国にとって、一帯一路構想が今回のロシアの侵略で頓挫した状態である。それを立て直す必要もある。

 

 某国の首相はいつものように「よく検討して」くれていることだろう。口だけの首相でないことを見せてくれるのを、あまり期待しないで見ている。

出雲大社(2)

国を治めていた出雲の神様は、大和の神様に国を譲って、大和の神様の建てた大神殿にひきこもった。素直に譲ったのか譲らされたのか知らない。とにかく当時としてはとてつもない大きな建物を要求したのだという。

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拝殿と大注連縄。

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そばで見る大注連縄はとても大きいのだが。

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奥が本殿。ひときわ高くそびえている。

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離れたところから全体のならびを見てみる。本殿の大きさがわかるだろうか。

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周囲を外から回ることが出来る。

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本殿を横から眺める。

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これはちょっと離れた、別のところになある神楽殿の大注連縄。

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私にはこちらの方が大きいように見える。

もうちょっとだけ歩く。

2022年2月26日 (土)

出雲大社(1)

 出雲大社は海から近い。山陰道を降りて、出雲大社の西側の海岸から向かった。この曲がり角の民宿に泊まって参拝したことがある。大雨が降っていてずぶ濡れになった。今回は、山陰道を降りる前からみぞれになり、小雨になり、駐車場に車を追いたころにはほとんど傘は必要なくなった。私はこういうことが多い。

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鳥居をくぐる。

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鳥居のところから参道をふりかえる。左右に蕎麦屋や土産物屋が並ぶ。出雲蕎麦は美味しい。遠くの方は雪が降っているはずである。

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鳥居から少し下りになる。往きは楽だが帰りはちょっと息が切れる。

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途中にこんなものがあるのに初めて気がついた。日本酒発祥の地・出雲とある。兎が酒米をかき混ぜているようだ。日本酒発祥は奈良だと思うが、出雲も発祥の地を主張しているようだ。

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兎があちこちにいるけれど(もちろん石像だが)それはこの因幡の白ウサギが有名だからである。手をかざしているのは大国主命。唱歌にあるけれど、いまの子供はこの話を知っているのだろうか。

拝殿は近い。

宿の窓から

 昨夕の、日が傾き始めてからの部屋の窓からの景色。けっこう雪が深いところなのである。

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 陰になってわかりにくいが、手前は春来川。宿は湯村温泉の南側のやや高台に立っている。左手側が湯村温泉の中心部で荒湯などがあるが、そこまで三四百メートルある。湯村温泉には何度も来ているが、初めて泊まった。

 

 湯村温泉は、早坂暁脚本、吉永小百合主演のドラマ『夢千代日記』の舞台であるが、このドラマをリアルタイムで観た人はすでにかなりの年になりつつある。私の特にお気に入りのドラマで、全てのシリーズをダビングしてコレクションにしている。他に倉本聰の『北の国から』と『拝啓おふくろ様』が連続ドラマとしての傑作と思っていて、これもコレクションがある。画質はおそろしく悪いが、それでもドラマの素晴らしさを損なうものではない。名作である証拠だ。

 

 冒頭部のタイトルバックにむかしの鉄骨むき出しの鉄道橋梁である余部の橋が出てくる。この湯村温泉から近いので、宿に入る前に見てきた。その時の写真はあとで紹介する。

 

『夢千代日記』では、しばしば海岸部の浜坂が出てくる。冬にはその海が荒れて、海鳴りが湯村まで聞こえてくると夢千代は日記に記している。残念ながら窓は保温のための二重窓なので海鳴りは聞こえなかった。

健啖女子恐るべし

 出雲から順番にブログを書こうと思っていたが、いろいろあって少しランダムになる。気持ちの流れにまかせようということである。

 

 昨晩泊まった湯村温泉の宿は、若い人が泊まる宿といえるかも知れない。実際に若い人が多い。安いからリーズナブルである。まして週末である。こんな時期だけれど混んでいた。けっこうなことである。

 

 食事はバイキング。その前の風呂は予約制。集中するのを避けるためだという。早めに宿に入ったので、予約しないで(つまり無視して)風呂に行ったら誰もいなかったからのんびり漬かった。夕食時間を少し(15分ほど)ずらしていく。バイキングは開いたばかりが阿鼻叫喚、押し合いへし合いになって精神的にストレスとなるから、ちょっとずらとたいていゆっくり選べる。

 

 若いグループも多いが、それよりも若かったり若くなかったりする男女のペアがとても多い。私の選んだ席の周辺はみな男女のペアばかり。私の右横と前のペアは蟹の食べ放題のコースを頼んであるらしい。茹で蟹の山盛りの皿をひたすら処理している。私なんかその何分の一で充分である。右手も前もたちまち蟹の殻の山となり、驚くことに更にお代わりを頼んでいた。ペアの片方は小柄な若い女の子で、片方は中年の細身の女性。男のほうがややタジタジとなりながら一緒に蟹を片付けている。

 

 私のほうは、酒は有料だというので飲み放題にするかどうか迷う。今日はちょっと飲みたい気分だから飲み放題を頼む。いちいち頼んで、来るのを待つよりそのほうが好いか。手首にバンドをすると勝手に酒を自分で注いでくることが出来る。おおむね四回取りに行けば、ほぼ元が取れる。ふだんは相手がいなければそんなに飲んだりしないが、なにしろ周りを見ているだけで楽しいのである。生ビールを飲み、燗酒を二本、白ワインを二杯飲んでまあこんなものか。

 

 驚くべきことにくだんの女性たち、蟹以外にバイキングの料理を二回ほどおかわりし、最後に小鍋用の材料をしこたま持って来て、それでご飯を美味しそうに食べていた。食べれば出るよなあなどと、つまらぬことを考える。

 

 若い人が多いから脂っこい料理が多い。むかしならそれが嬉しかったのにちょっとそれがつらい。そこそこ楽しんで部屋に引き上げた。

2022年2月25日 (金)

出発する

 皆生温泉の宿に対する不満は追々書くとして、まず23日の朝から順を追っていく。朝7時前、車の雪を払って(夜の間にうっすらと積もったようだ)ナビの設定をする。まず宿までどれくらいかかるか見てみると、12時半頃には着いてしまう。それなら出雲大社まで足をのばしてから宿に戻ることが出来そうだ。ただ、大垣から先は雪だし、年度末の予算消化のための恒例の道路工事があるはずで、思いのほか時間がかかることも考慮しなければならない。

 

 7時過ぎに出発、22号線を北上し、一宮インターから名神高速に乗る。一もトラックが姫いている場所だが、今日は天皇誕生日で休日だからトラックが少ない。予報通り、大垣から雪がチラつき始めた。突然あたりが雪一色に変わる。関ヶ原の手前から除雪車の真後ろを走ることになった。二車線を二台が斜めに併走しているから抜くことは出来ない。そんな状態なのに煽ってくるバカがいる。前へ行かせたら除雪車まで煽っているが、当然相手にされない。頭のネジが壊れているのだろう。こんなのを怒らせるとなにをするかわからないし、それがけっこうあちこちにいたりするから気をつけないといけない。

 

 米原、彦根を過ぎてしばらくすると雪が少なくなってあたりが明るくなった。表示板に大阪・吹田から先の中国自動車道は通行止めとある。うーむ、愛車はその方向へ進んでいるはずなのだがナビは平然としているからなんとかなるだろう。滋賀県から京都に近くなると突然猛スピードで走る車が増えてくる。近畿圏の車は中国みたいにせっかちで荒っぽい気がする。だから大阪市内やその周辺を走るのはこわいからきらいだ。

 

 車は大山崎を過ぎて新名神高速を走り出した。なるほど中国道の北側を行っているわけだ(あとで地図を見てわかった)。神戸ジャンクションでめでたく中国道に乗ることが出来た。あとはひたすら西へ。院庄を過ぎて落合ジャンクションから中国道から別れて今度は米子道を北上する。そういえばむかし部内旅行で湯原温泉に来たことがあるなあ。蒜山高原の牧場にも行った。その蒜山あたりからまた雪。右手に大山があるはずだが、もちろん見えない。

 

 終点・米子から国道9号線、そして切れ切れの山陰道を乗り継いで出雲大社に向かう。雪が降りしきる。これでは出雲大社に行っても写真が撮れないではないか。いつもの雪や雨をかろうじてよける不思議な私の念力パワーが通用しそうもないほど雪が降っている。

無事です

 23日の夕方5時頃に皆生温泉の宿に着いて、空腹(旅に出ると昼を食べないことが多い)だったので急いで風呂に入り、ゆっくり地酒で夕食を味わった。

 

 開業して二年ほどの新しいホテルなので部屋もきれいだし、海側のオーシャンビューだし、申し分はないのだが・・・。

 

 ネットがつながらない。ホテルの手順通りにWifiをつなぐと問題なくつながるのだが、ルーターにつながっているだけでインターネットにつながらない。いろいろともがいたがどうにもつながらない。酔っているからなにか見落としがあるのだろうとその晩はあきらめた。

 

 そうして・・・翌朝もつながらないまま。もちろん宿に苦情を言ったが、どこにも問題は見つからないとの返事で、残念ながららちがあかなかった。いままでさまざまな宿でWifiにつなげてきたが、インターネットにつながらなかったことなどないので心外である。印象悪いなあ。こういうときポケットWifiがあったら良いのだけれど。無制限で使えるポケットWifiはまだないのか。調べたくてもネットがつながらなくてはどうしようもない。

 

 そういうわけで、事故などでブログ更新が出来なかったわけではありません。無事です。

 いま夢千代日記の湯村温泉の宿に早めに入ったところ。すぐにネットをつなげたら、瞬時につながった。私の問題ではないことが確認できた。

2022年2月23日 (水)

順調であれば

 順調であれば、いまごろは兵庫県または鳥取県あたりを西へ走っているはず。今晩は鳥取県の皆生温泉泊まり。連泊してゆっくりする。途中で写真を撮ったら夕方宿に入ってからブログで報告するつもりである。

キャリアアップと人材の流動性

 日本でも転職が以前より容易になりつつあるらしい。終身雇用が建前だった日本の企業風土が変わりつつあるのだという。それは転職希望者にも企業にとってもメリットがあることだと思う。会社の自分に対する評価が自分が思うより低いと思う人は、どんどん転職する時代が来るのなら、会社も優秀な人をつなぎ止めるためにそれなりの待遇をしなければならなくなるわけで、めでたいことである。

 

 そうして評価を上げるためにスキルアップに努め、自分をみがくことが待遇改善につながる時代が来る。優秀な人が去って行く会社はどんどんレベルダウンしていくわけで、人を見る目のないイエスマンで構成されている会社は生き残れない。ということなら好いことづくめだ。

 

 しかしそれは全体の中の一握りの人の話で、もともと人並み乃至それ以下の能力しかなくて、努力もあまりしない人が高い評価を望んでも誰も相手にしないのである。勘違いしてはいけない。能力主義というのは普通の人にはつらい社会なのだ。いままでは能力がなくても年功序列で上役となり、あぐらを掻いていた人は排除されるのである。

 

 日本から技術が流出したり人材が流出し続けてきた。中国や韓国が求めた人材はもちろん有能で優秀な人なのである。そのような有能で優秀な人がどうして海外に行ってしまったのか。

 

 日本では優秀な人が煙たがれたり(優秀な人は唯々諾々と上司のいうことを聞いたりしない。主張を持っているのである)、処遇も能力に見合っていなかったのである。それが断言できるのは、自分が営業として出会った、この人と付き合えばえらくなるはずだと思うような、得意先の優秀な人たちほどリストラされたり会社を辞めざるをえない状況に追い込まれていくのをたくさん見てきたからである。私が市場開拓や調査で中国の会社で訪ね歩いたのは、そのような、過去親しくさせてもらっていた人たちだった。

 

 どうしてこんな人をやめさせてしまうのだろうと義憤を感じることが山ほどあった。その積み重ねが日本の人材や技術の流出の原因である。その会社の経営者は高給の必要な、しかも直言の多い人間をリストラし、経費節減できてよかったと、それを手柄にしていたのを目の当たりにしたものである。そういう経営者たちが日本の賃金の実質低下をもたらした犯人なのだ。

 

 日本の企業の衰退はここにおおきな原因があった。

 

 これから企業の選別が進む。その時に選別されるのは、企業だけではなく、人間も選別されるのである。昔のように平凡でのんびり生きていくのが難しくなるだろう。その他大勢は吹きだまりで十把一絡げで扱われる運命にある。ご愁傷様である。

2022年2月22日 (火)

ふらふらと

 体調がよくなるとどこかへ出かけたくなる。もともと三月に入ったら出かけるつもりでいたのだが、第一週に家にいなければならない用事が出来た。そのあとまで待ちきれない。以前から考えていたあれこれを地図を見ながら勘案し、じゃらんで空室状況などをチェックして、予約を入れた。というより自分でも唖然とするほどあれよあれよという間に予約が済んでいた。別の人が予約したみたいだ。

 

 今週は23日が休日だから宿が取りにくいし料金も割高ではないかと心配していたのが、案に相違してこちらに都合の良さそうなところが見つかってしまったというのが決断の理由といえるかも知れない。その23日から週末まで山陰を歩いてくる。本当はもっと長く、もっと西まで生きたいところだが、自重して小旅行に収めることにした。

たいへんだなあ

 リタイア前の十年ほど単身赴任していた金沢の大雪のニュースを観た。金沢は福井とちがってあまり大雪は降らないのだが、こんかいはたいへんらしい。北陸地区の得意先の工場への物流がどうなっているのかが心配だ。納品は滞りなく出来ているのだろうか。

 

 どこの会社もむかしとちがって余分な在庫は持たないようになっている。そのことでコストダウンは出来たけれど、こういう事態のときにはゆとりがない分、たちまち生産に支障が出ることになる。むかしのように代理店の倉庫がバッファになるということもなくなっているはずだ。

 

 現地のS君は困っているかも知れない。たいへんだなあ。

 

 尾張地区も夜明け前にぱらついたらしく、朝には屋根が白くなっていたが、日が出たらたちまち消えた。しかし風向きによっては夕方また雪が降るかも知れないという。北向きの時は関ヶ原や三重県北部に雪雲が流れていく。西向きだと岐阜から尾張地区に流れてくるのだ。どちらにしてもいまベランダに吹いている風はとても冷たい。

プーチンの新たな手

 ロシアのプーチン大統領がウクライナ東部の一部地域を国家として承認する文書に署名した。これでウクライナ東部に新たな独立国が成立したとロシアは主張するだろう。その独立国の要請により、ロシア軍が駐留することはその独立国の平和維持のためであり正当であるとロシアは主張するであろう。朝この記事を書いている最中に、想像していたことがどんどん現実化しているのがニュースで報道されていた。もう後戻りはあり得ない。

 

 ウクライナへのロシア軍の侵攻が、これでロシアの理屈によって現実化することになった。中国は一連のロシアの行動を承認するだろう。そしておそろしいことに中国もロシアも国連の常任理事国なのである。今まで以上に国連は無力であることを露呈した。中国の拝金教の、世界の小国への布教は奏功し、国連は信者だらけになり、その結果国連は蚕食されてその存在意味を失う事態に陥っている。

 

 中国は今回のロシアのウクライナへの侵攻の手順に注目し、どうにかして台湾へ応用できないか考えているに違いない。しかし台湾をそもそも独立国と認めていない中国にとって、台湾の中の中国親派による要請を侵攻の口実にすることは出来ない。それだと台湾の独立そのものを認めたことになってしまう。

 

 いやいやもっと簡単ではないかと習近平は考えているだろう。台湾はもともと国ではなくて中国の一地方であるのだから、その一地方が国家の方針に逆らったらそれに対して従わせるための軍を出すのは正当そのものではないか。それは自国を護ることそのものではないか。ウクライナみたいなややこしいことでも通用する世界なら、台湾に中国の主張を通すことに問題があるはずがないではないか。

 

 今回のアメリカの無力、バイデン大統領の無能ぶりは世界の失望を招いている。なにを言ってもあとの祭りという事態になりつつある。バイデンはロシアがこうするだろうとひたすら予言を積み重ね、露払いをしていただけだったのだ。金がどんどん値上がりするのは当然の成り行きか。世界秩序が大きくくずれだしたような気がする。杞憂なら好いのだが・・・。もちろん戦争にさえならなければ、秩序なんかどうだって好いという考え方もある。しかし私はけっしてそうは思わない。なぜなら中国やロシアが新たに打ち立てるであろう秩序のもとでは、経済的繁栄も生活の豊かさも失われるだろうからだ。そんな世界が目の前に迫りつつあると考えるのは心配のしすぎだろうか。

たぶん不可能な正論

 ある芸人だか芸能人が「オリンピックの国別をやめたらよい」と言ったそうで、たしかにそれなら今回のような国威発揚一色の政治利用はなくなるかも知れない。というよりも国威発揚の意味合いをなくすという目的を考えればそれしかないといえるから論理的である。だから賛同する人もいるだろうと思う。

 

 しかしそれならアスリートだけのための国際大会ということで、そもそも国際大会ということすら意味を喪失するということになる。そうなると開催国というのはどういう意味があるのだろうか。巨額の経費を投じて競技場をつくり整備することにどのようなインセンティブが働くというのだろうか。国家は選手に対してもチームに対してもスポンサーであることをやめるだろう。それなら企業がスポンサーになるというのだろうか。それなら今度は国威発揚ではなくて、企業発揚ということになるのだろうか。企業のCMが氾濫する大会にするのだろうか。それも禁止するなら誰がスポンサーになるのか。

 

 そもそもスポンサーが必要であることがよくないのだと正論が投じられるだろう。しかし選手は、そしてチームは競技生活を維持するのに金がかかることは事実であって、維持できなければ競技は続けられない。

 

 オリンピックというものは、現実と理想の妥協の産物である。理想を掲げながらそれらしい幻想を夢見るものであって、現実を変える力などあってもわずかでしかない。その幻想に現実が露骨に介入したのがオブラートにつつんだ北京オリンピックだった。中国には世界が平等だなどという理想は存在しない。世界は中国のためにあるのだ。そんな中国にはオリンピックの意味が国威発揚・習近平礼賛以外に見いだせなかったのは当然だろう。始まる前からわかっていたことだともいえる。

 

 話が拡がりすぎたけれど、雑に言えば、オリンピックは民放の番組みたいなもので、スポンサーなしでは成立せず、当然CMが入る。正論はそのCMが過剰だったからCMをやめたらどうだという風に聞こえる。その芸人だか芸能人は自分の働く場所そのものを失うことになるのではないか。私には、だから空論にしか聞こえなかった。

2022年2月21日 (月)

空気感染

 空気感染とマイクロミスト感染にはどれほどの違いがあるのだろうか。科学的には明らかに違いがあるようだが、実際にその予防についてはそれほど違いがあるように思えない。

 

 今回の新型コロナウイルスの変異株であるオミクロン株は感染力が高く、まず喉粘膜などに付着して増殖するようである。ある専門家が、接触感染の可能性は想定されるよりもかなり低く、呼吸器への空中からの感染が主な経路と考えられると語っていた。そうして、とにかくマスクでの予防が必須であるとも言っていた。出来れば布マスクやガーゼのマスクではなく不織布の方がよいのだという。ほとんど空気感染に近いという。

 

 当初、この新型コロナは空気感染はしないと専門家が断定し、それが定説になったために空気感染に近い、という言い方がしにくくなっている弊害があるらしい。

 

 以上のことやさまざまなことから私が感じているところでは、接触感染はそれほど神経質になる必要はなく、こまめな手洗いで対処可能のようであり、大声でのマスクなしのやりとりは論外で、鼻マスクはマスクをしていないのと同じことだということだ。ますます鼻マスクの人が愚かに見えてきた。

 

 とはいえ、感染はたぶん日本中切れめなく蔓延していて、検査数を増やせばそれだけ感染者数が増えるだけの状態になってしまっているのだと思う。しからば前回と同様、一通りの猛威がすぎていつの間にか収まっていくという経過をたどるだろうと想像される。春も近いし。感染しても軽くすんだら運がよかったね、ということがあたりまえになるのではないか。基礎疾患をもつ人や高齢者はそれなりに注意が必要だが、そういうことを受け入れるしかないということなのだろう。なにしろ私は基礎疾患持ちの高齢者である。

祭りは終わった

 今朝は本当に久しぶりの快眠のあとの、爽やかな目ざめだった。昨晩十時前に床に入り、目をつぶった瞬間に眠り、夜中に一度トイレに起きたあとも目をつぶった瞬間に眠って、朝まで一度も目ざめなかったのだ。もともと私は寝付きの名人で、子供のときから横になった瞬間に眠ることが出来た。社内旅行のときも「寝る」と宣言すれば、数秒でいびきをかいて寝てしまうのでみんなからおそれられていた。

 

 そもそも寝付けないとか夜中に目が覚めてしまうことなどなかったのだ。そしてそんな眠りのあとの朝は、目が覚めた瞬間にフルモードに入れた。今朝は久しぶりのそういうスイッチの入り方の目覚めだった。

 

 北京オリンピックが終わった。ほとんどリアルタイムで見ることはなかった。ニュースのハイライトで見るだけでもけっこう感動したりするのだから、リアルタイムで見ればさぞかしと思うけれど、意地になって見なかった。あまり盛り上がりすぎて、というか盛り上げようとしすぎるあざとさを感じて反発したというところだろうか。意地悪爺さんになっている自分を感じるけれど、それでいいのだとも思っている。

 

 ひとつだけ、私の中学時代の初恋の女の子にちょっと雰囲気が似ていてひそかに好感を持っていた小平選手の不調はまことに残念だった。早く立ち直って欲しい。

 

 先週末に病院で妻の診断書をもらってきたから今日は朝一番で市役所に行って補助のための更新の申請手続きしてきた。医療費が全然違うから、必須である。その手続きが不注意で遅れた。審査などで下手をすると二ヶ月くらいかかると言うから心配したが、病院はあとで必ず提出するならということで、従来通りの支払いで了解してくれている。まことにありがたいことで感謝している。今回市役所で確認したら、継続扱いになりますからそれでかまわないでしょう、とのことだった。前回の窓口の女性は仮払いして、そのあとは病院の判断だ、などと言っていた。まあ世のなか、こんなものだ。

ちょっとぜいたくな快気祝い

 昨晩は快気祝いに牛ステーキ肉を買ってきて、それで快気祝いをした。体力回復も兼ねての、めったにないぜいたくである。付け合わせはブロッコリ。そのゆで汁によく炒めたタマネギとシメジを加え、コンソメで野菜スープを作った。ソースは娘のどん姫が土産に持ってきてくれた淡路島のタマネギを使ったステーキソース。絶品。

 

 お酒はまとめ買いしてワインセラーに残っていたフランスの白ワイン。肉なら赤ワインが定番だが、私のワインセラーには白しかないのである(赤はめったに飲まない)。フルーティでさっぱりしていて癖がない。すいすい飲めすぎてちょっと困る。

 

 おかげさまで、金曜日に接種した三回目のワクチンによる副反応は、昨晩一晩だけであとを引いていない。多少の副反応はあるものと覚悟はしていたが、これほどとは思わなかった。とはいえ済んでしまえばなにほどのこともなく、次にまた必要なら解熱剤を用意して接種を受けるつもりだ。それにしても水分をせっせと摂取したからであろうが、いつもは濁っていて不快な排尿がたいへん澄んできれいなのが気持ちが好い。排尿もスムーズに出るようになった。ワクチンによる抗体が前立腺炎の菌に効果があるのだろうか。まさかね。菌とウイルスはちがうものだし。

2022年2月20日 (日)

体調が悪いときに限って思い出したくないことを考える

 具合が悪いと本が読めないのはもちろん、音楽を聴いても心が安らがずにうるさく感じる。読書や音楽鑑賞もそれなりに体力が必要らしい。

 

 なにもせずに寝ていると、思い出したくないこと、考えたくないことばかりが想念に浮かんできた。妻のことである。妻が子供二人と私を残して家を出て彼女の実家へ戻ってから足かけ28年になる。私はずっと同じところに住んでいるけれど、そのあと一度も彼女は帰ってきたことがない。子供たちが彼女に最後に会ったのは、息子が大学生のとき、娘のどん姫が高校生のときだと思う。

 

 めったにないことだが、私は彼女の母親から来て欲しいと連絡があれば様子を見に行っていた。その時には子供たちの写真を持参していくのだが、妻はチラリと見るだけである。関心がないのかそもそも見たくないのか。それがわかっているから、子供たちはおとなになってからは母親に会いに行こうとしないままだった。

 

 もともと他人がどう感じるのかについての心の働きが出来ない女性だったが、次第にそれが病的になっていった。自分だけが正しいと思い込むようになっていった。リタイアしてから、なんとか一緒に暮らせないかどうか見極めるために、名古屋から月に一度くらい彼女の実家の千葉県へ通った。二年余りが過ぎて、これは一緒に暮らすのは不可能だと判断し、子供たちとも相談して離婚手続きを申し入れた。調停は不調に終わった。そのあととんでもないことになった。

 

 妻の兄夫婦が母親の名代として私を訴えたのだ。扶養義務のある妻を放置したからだという。妻の扶養のために払うべきだった二十年間遡っての扶養料、そして実家の遺産が減ったのは妻のせいだから、その損額を払え、という訴えである。理不尽きわまりないと私には思えたが、義兄は大手建設会社の準重役で、辣腕の弁護士がついた。その弁護士は理不尽を承知でぐいぐいと攻めてきた。当然私も弁護士会に相談して弁護士を依頼し、対抗した。五年間その係争が続いた。精神的に疲れ果て、不眠がつづき、医師の処方してくれた睡眠薬が常用になった。

 

 その顛末はこのブログに書いた。もちろん詳しいことは差し障りがあるから書いていない。吐き出すことで精神のバランスをとっていたところがある。結果的に妻の面倒は見るが、訴えられた請求は一切支払わないことで結審した。裁判所も無理筋の訴えだと判断したのだ。妻の面倒を見ることを受け入れたのは、もし私がそれを拒否したとしても結果的に私の子供たちが引き受けざるをえないから、とこちらの弁護士に説得されたからだ。

 

 書き出すときりがない。そういうことはなるべく忘れるように、念頭に置かないように暮らしているのだが、体調とともに気力が落ちたことで、押さえ込んでいるものが浮かび上がってきたようである。妻の面倒はいまは病院が見てくれているし、金の問題だけで他に不都合はない。

 

 いまは義兄夫婦と実質上の縁切りが出来ていることが何物にも代えがたく嬉しい。たぶん向こうはこちら以上にそう思っているだろう。

一晩の闘い

 昨夕、床についたのが五時過ぎで、そのときの体温は37.4℃。実感ではもっと高熱のときのだるさと節々の痛みだ。アイスノンをバスタオルでくるんで氷枕にする。喉が渇く。二三時間に一度トイレに起きて、さらに水を飲み、体温を測る。こんなに副反応がキツいと思わなかったから、解熱剤なんて用意していない。

 

 夜中の十二時過ぎについに38℃を超えた。しかし峠は越えたな、という気がした。これ以上熱は上がらないし具合は悪くならないだろうと確信した。身体がわずかだが楽になっていった。

 

 熱が出ると心配なのは泌尿器科の疾患の悪化である。前立腺に耐性菌が棲み着いてしまって、慢性の炎症を起こしている。発熱するとその耐性菌が暴れ出し、前立腺が腫れて排尿痛や排尿困難を起こす。そうなると膀胱に尿が滞留して汚れていく。繁殖がエスカレートするのだ。

 

 案の定水分をせっせと摂っているのに小便がちょろちょろしか出ない。前立腺が腫れて尿道を圧迫しているのだ。しかし排尿痛はない。ゆっくりと時間をかけて自然落下をさせる。不思議なことに尿はいつになく澄んでいる。m-RNAが耐性菌に対して攻撃してくれているのだろうか。それならありがたいのだが。

 

 今朝の体温は37℃ちょうど。節々の痛みは大幅に減っている。今日一日でたぶん元通りになるだろう。なってもらわないと困る。暖かくしてじっとしているつもりだ。

2022年2月19日 (土)

ダウン中

 三回目がモデルナの場合、68%が発熱するらしい。わたしはその68%に入ってしまった。体温は37℃前後で、あまり高熱ではないのだが、関節痛やだるさは38℃以上の熱があるときに近い。そういうわけで、今はダウンして横になっている。

 いいね!のお返しなどは、する元気がないので、パスさせていただく。

 申し訳ない。

 明日には復活していると思う…思いたい。

 

不調

 大丈夫だろうと思って妻の病院に用事(障害者手帳更新のための診断書の受け取りと支払い)を済ませに行った。検温はパスできて用事も済ますことが出来たのだが、帰ってきたら節々が痛い。少し発熱しているようだ。往復と病院での待ち時間を合わせて約二時間。いつもならどうということのないのに、いささか疲れたようだ。

 

 部屋を暖かくして安静にしていることにする。ブログを書く元気がないし、頭もあまり働かない。せいぜいしっかりと抗体が形成されることを期待している。一日でおさまるかなあ。

左腕を下にすると

 独り暮らしなので自分が睡眠時無呼吸症候群なのかどうか確認できない。いまより肥満していたときはそうだったことはわかっているが、十キロほど体重を落としたら、いびきが減ってときどき呼吸が止まるようなことはなくなった、と一緒に旅行に行って同部屋で寝た友人や、娘のどん姫から聞いているが、しばらくそういう機会がなくなっているので、いまもそうかどうかは知らない。

 

 それでも上を向いて寝るのはいびきをかきやすい姿勢であるので、ほとんど横向きに寝るようになっている。昨晩、左を下にして寝たら腕が痛くて目が覚めた。ワクチン接種をした腕である。ああ、これが副反応か。今朝起きて体温を測ると、平熱より0.5℃ほど高い。実感はないが、わずかながら発熱しているのかも知れない。それにしても体温計の測定終わりのアラームが全く聞こえない。音が普通より大きい耳の遠い老人用の体温計をわざわざ買い直したのに・・・。

 

 昨夕のブログを書いたあと、妻の入院している病院から、診断書が出来た、と電話があった。土曜日も窓口が開いているということなので、支払いをかねて伺う、と答えたのだがどうしよう。せっかく行っても体温が高いと入れない。肩や腰などの関節部分が少し痛いような気がする。

2022年2月18日 (金)

無反応

 昼前に三回目のワクチン接種に行ってきた。往復で7000歩歩いた。良い運動になった。初めて行った病院だけれど、なんだか段取りが悪くてスムーズではないなあ、という印象だ。ここに通院することはまずないと思うから良いけれど、周辺に介護施設などがあって、場所は悪くないのだが。ワクチン接種のあと、現在のところ腕に違和感もなく、発熱もなく、平常通りである。

 

 娘のどん姫は一回目二回目ともかなりひどい副反応があって、発熱とだるさで二三日寝込んだという。私が前回は何にも副反応がなかったというと、高齢者で身体が反応しにくくなっているのだ、と皮肉っぽい笑い方をした。副反応がないくらいだと抗体も出来にくい、ということだとちょっと困るが、どうだろうか。

 

 今晩を経過しないと、副反応が本当にないかどうかはっきりしないが、たぶん大丈夫だと思う。

 

 三回目が済んだから、ふらふら出歩くのにちょっとだけ安心感が増えた。ただ、愛知県はちっとも新規感染者が減らないだけではなく、死亡者が多い。もう少し自宅で自重を続けるほうがよさそうだ。それに、妻の病院に診断書の作成を依頼してから十日以上経ってもまだ連絡がない。二日ほど前に確認したときはまだだった。障害者手帳の発行の手続きが遅れるのが気になるが、ここはもうなるようになれということで成り行きにまかせるしかない。

 

 妻の入院している新しい病院にはまだどん姫を連れて行っていないので、来月くらいに一度一緒に行くことにするつもりだ。私に万一のことがあればどん姫に頼むしかないのであって、もちろんどん姫も了解している。

マスク騒ぎの男

 広島県呉の市議が航空機機内でマスクすることを拒否して暴言を吐き、飛行機から降ろされた。そのことについて市議会の聴聞会(?)での彼の反論(弁明?)は、私には論理もなにもない意味不明なものに聞こえたけれど、他の人にはどう感じられたのだろう。

 

 自分がまずいことをしたことがわからないならただのバカだが、わかっているのだけれど引っ込みがつかなくなって抗弁しているだけのことなら、そんなことをすることでさらにまずいことになっていくことがわからないのであって、二重のバカということになる。

 

 こういうことは法的な是非とか人権とは関係のないことで、ただ社会的に生きていく上での常識の問題であると思う。無意味な波風を立てないで生きるのが、日本人のまともなおとなの生き方の基本中の基本である。西洋や中国のことは知らない。この市議はヨーロッパなどでワクチンやマスクの拒否と自由との論争を小耳に挟んで、それを自分の理屈にしたつもりだろうが、そもそも深くなど考えたことなどなさそうだから、ただのバカに見えてしまう。

 

 こういうときには社民党の福島瑞穂代表にでも頼んで説得して貰うしかないかも知れない。なにしろ彼女は「話し合い」こそなににも優先すべきことだと唱え続けてきた人である。北朝鮮に対しても、中国に対しても「話し合え」という人である。彼女ほど信念のないわれわれには、とてもこの市議のような人間を話し合いで説得することは不可能だ。

 

 話し合うことが不可能な相手に対して、「話し合うことは不可能である」ことを前提に話し合うという高度な作業が外交というもので、話し合いが不可能な相手に、ただ「話し合おう」としたらどうなるか、それをあの呉市の聴聞会の映像は教えてくれた。

ワクチン接種

 本日は昼前に予約している三回目のワクチン接種に行く。一度目も二度目も、接種後にいささかだるい感じがしただけでさしたる副反応もなかったので、三回目も大丈夫だろうと思う。モデルナは副反応が強いという話だが、三回目は半量接種なのだから、心配していない。

 

 私は注射そのものはちっともきらいではない。血液検査のための血液採取はほぼ二ヶ月に一度受けているから注射針が身体に入るのは慣れていて平気だ。

 

 ただ、予防注射やワクチンなどの注射は、中学校二年生を最後として全く受けてこなかった。中耳炎に罹ったときに処方された抗生物質によって激しい副反応があり、ひきつけを起こし死にかけたことがある。体中から血の気が引いていき、全身が激しく震えた。意識だけはしっかりしていて自分は死ぬかも知れないとひとごとのように考えていた。震えている自分を自分で見ている気がした。

 

 さいわい一時間ほどでひきつけは治まり、死なずに済んだ。小学校六年生の卒業式を前にしたころのことであるが、そのあと中学生になってから受けた予防注射のたびに高熱を発した。日本脳炎、腸パラの予防注射のときには特にひどくて、40℃を超える発熱だった。医師に相談して、以後予防注射は受けないことにした。その頃から数年激しい蕁麻疹に悩まされた。抗ヒスタミン剤を常用したから、眠くてたまらなかった。

 

 もともと虚弱児童だったので風邪を引きやすく、小学校、中学校時代は皆勤賞を取ったことがなかった。これではいけないと一念発起、鉄棒や格技をするようにしたらめきめきと筋力がつき、もともと背だけは高いひょろひょろだったのが、人並みの身体になっただけでなく、高校卒業のときには180センチを超えていた。

 

 身体が変わるくらいだから性格も変えられるはずだと思って、意識的に自分を変えていったことは以前書いた。

 

 前回のワクチン接種は、だから自分にとって久しぶりの特別の思いのある注射だったのだ。今日も大丈夫だろう。

2022年2月17日 (木)

三国志を読み始める

 正史の『三国志』は通読したことはない。平凡社版の中国古典シリーズで、漢書・後漢書と併載された三国志列伝選を拾い読みしただけである。もちろん中国史をさまざまなシリーズで読んできたから、その中で三国志の時代は何度も読んでいる。そして『三国志』や『三国志演義』をもとにした小説は子供のときから繰り返しさまざまな作家のものを読んできた。

 

 子供向けの簡約ものは別として、吉川英治の『三国志』を初めとして、柴田錬三郎の『柴練三国志 英雄ここにあり』や『柴練三国志 英雄生きるべきか死すべきか』、陳舜臣の『秘本三国志』、『諸葛孔明』、『曹操』、『曹操残夢』、安能務『三国演義』、塚本青史『三国志曹操伝』、北方謙三『三国志』などを読みとばしてきた。それ以外にもいくつも読んだはずだが、多すぎて思い出せない。

 

 宮城谷昌光の『三国志』全十二巻と『外伝』一冊が棚にあって、先日『呉越春秋 湖底の城』を読んだ勢いで読み始めた。中身の濃い本であり、通常知られている劉備玄徳や関羽、張飛は第三巻あたりから登場する。まず後漢王朝の乱れ、衰退が詳細に語られている。だからこの本は『三国志演義』ではなく、正史である『後漢書』や『三国志』をベースに書かれているようだ。かなり濃密なので一冊読むのに二日か三日かかりそうなので、読了するのはだいぶ先になるかも知れない。

 

 そういえば三国志に関連しては酒見賢一の『泣き虫弱虫諸葛孔明』という全五巻の本がやはり未読で棚にある。こちらは『三国志演義』よりもさらに物語性を高めたもので、大好きな酒見賢一の本なのだから読み出したら止まらないと思うけれど、宮城谷昌光のあとにするつもりだ。

 

『三国志演義』については平凡社の中国古典シリーズの二冊本がそろっているが、こちらは飾ってあるだけ。それとは別に、講談社学術文庫の井波律子の『三国志演義』全四冊があって、たぶん原本の翻訳だから内容はほとんど同じだと思う。まず読むとすれば井波律子のほうを読むつもりだ。

 

 忙しいなあ。ドラマや映画を観る暇がなくなって、溜まるばかりである。ハードディスクが一杯になってきた。

たましい

 子供のときに、たしかに人魂を見た。人魂を見たけれど、肉体を離れて存在する魂というものに確信が持てない。あるかどうかわからないということだ。

 

 遊魂ということがあるのだという。離魂ともいう。魂は死んだのちに肉体と離れるはずだが、生きたまま肉体と離れるらしい。離れた魂が自分の肉体を眺めることになる。しからば魂とは意識そのものだろうか。ときに離人症という精神の病であるとされる。

 

 現代科学では意識は脳の働きとされる。脳が活動を停止しても意識は存在できるのだろうか。意識といい、精神というものは肉体とは別のものだと考える人も多い。私も死んだら意識だけが残るのではないかと思っていたことがある。神とはそのような意識ではないかなどと考えていた。だから神はこの世に物理的になにも力を及ぼすことは出来ない。ただ、この世が存在している、と考えるのは意識であって、だからこの世は意識によって存在しているのであり、つまり意識が神だ、というへりくつである。

 

 いまは意識だけが存在するということに懐疑的になっている。意識も老化する。認知症の意識はそれなりのぼやけたものだろう。魂も意識のようなものなら同じことだ。赤ん坊の魂もボケ老人の魂もあるなんて、どうも変な気がする。それなら肉体と一緒ではないか。

 

 やはり肉体が死ねば意識も魂もなくなるのか。何かの本で読んだが、死ぬと離れた魂の分の体重が減るらしい。その魂の重さは実測によると21グラムだそうだ。

あざやかな進退

 私の知るなかで、最も進退があざやかだった人物は范蠡(はんれい)である。范蠡のことを知っている人は同様に思うのではないだろうか。范蠡は中国春秋時代の越の人で、孔子(孔子は魯の人)とほぼ同時代を生きた。

 

 春秋時代とは、殷(商)のあと周の時代になり、その周王朝が衰えて諸侯が台頭してそれぞれが王を自称した時代である。その後、さらにそれぞれの国は貴族が王をないがしろにして王権は形骸化していく。そのひとつ晋が最終的に三つの国に分裂して、最終的に韓・魏・趙という三国となったころからあとを戦国時代という。その戦国時代を統一したのが秦の始皇帝である。

 

 その春秋時代、中原の国々から南方の呉や越は蛮夷の国と見下されていた。当時の強国は晋や楚であった。伍子胥はその楚の重臣で太子の傅(ふ・お守り役)の伍奢の次男であった。ときの楚の国王は平王、その平王と佞臣により父と兄を無実の罪で殺されてしまう。目的は太子の廃嫡にあった。太子を伴って逃げ延びた伍子胥は、途中で太子を失い、最終的に楚の敵国であった呉に至り、重用される。

 

 楚への復讐を心に期して呉を強国にしていく伍子胥。彼は『孫子』を残した孫武を見いだし、呉の司令官に推薦する。孫武の天才的な軍略でついに大国・楚に打ち勝つことが出来るのだが、その時にはすでに平王は亡くなっていた。そんな中、隣の小国だった越が台頭してくる。その越との戦いで、奇襲に遭い伍子胥を重用していた呉の国王闔閭(こうりょ)が亡くなってしまう。闔閭がいなくなるとともに、伍子胥は新しい王である夫差から遠ざけられてしまう。その頃には孫武も死去してしまう。

 

『呉越春秋 湖底の城』の第六巻までは伍子胥が主人公で、彼を中心に世界が描かれていくが、第七巻からは范蠡が主人公となって描かれていく。越の重臣だった范蠡が越王勾践とともに小国の越をどう盛り立てていったのか。闔閭を討ち取ったとはいえ実力差が大きい呉に完敗して亡国の危機となった越をどう立て直して、ついには呉に攻め勝つに至ったのかが後半の物語となる。

 

 そこには絶世の美女、西施も登場する。西施が范蠡とどう関わっていくか、宮城谷昌光のオリジナルのストーリーが呈示されていて、たいへんおもしろい。記録が定かでない時代だからこういうストーリーもありである。

 

 初めに戻るが、范蠡は越の勝利、そして繁栄の最大功労者である。しかし范蠡は戦いに勝利したあと、全ての栄誉を投げ捨てて越を去る。勝利のあとに功労者がどういう仕打ちを受けることになるか、彼はよく承知していた。実力者は国王に煙たがられ、ついには排除される。艱難の時代にはともに意気投合できても勝利したら追われるのが功労者というものであるが、しばしば人は自分の功労こそが自分を護るものだと勘違いして身を誤る。

 

 范蠡は越を去ったあとたびたび名を変えて商人として大成功をくり返すが、身元が明らかになりそうになると行方をくらました。その後日談はこの本には描かれていない。

2022年2月16日 (水)

感染者数の意味の違い

 伍子胥と范蠡のはなしはまだ頭の中でうまくまとまっていないので、次回に先送りするとして、韓国の新型コロナ感染者の急増について感じたことを書く。

 

 昨日の集計では韓国で新型コロナ感染者が九万人を超えたという。韓国の人口は日本の半分以下だから、日本の人口に換算すれば二十万人を超えることになるわけで、数字だけ見れば韓国のほうが感染の拡大が急激であるといえる。そう見るのが普通かも知れないが、いささかちがうかも知れないと私は感じている。

 

 日本のPCR検査あたりの感染者判明比率は四十数%である。つまり検査をした人の半分近くが感染者だったということだ。これは疑わしい人とその周辺を主に検査しているのだから当然だといえば当然だが、そもそもの人口あたりの総検査数が日本は世界でもとりわけ低いことはよく知られている(最近劇的に改善されたとは聞いていない)。韓国はたぶんはるかに多くの検査をしているはずだ。それは検査あたりの感染者の割合を見ればわかるはずだが、その数値を知らないので、あくまで私の推測である。

 

 もし日本でもっと広範囲に検査をしたら、感染者数ははるかに多い可能性が高いと私は思っている。検査していないから補足されていない感染者がたくさんいるのではないかということだ。

 

 だから検査をもっとしなければならない、などといまさら政府の尻を叩いても、蔓延が進みすぎてもう検査の意味がなくなっているのではないか。もう対策としての防波堤は決壊してしまったのではないか。その前提でなにを優先するのか、そう言う視点で考えるべきときが来ていると思う。

 

 あきらめるべきことはあきらめて、優先順位を見直すときだろうと思う。高齢者と持病持ちは社会と遮断して生きていくか、感染をある程度覚悟して以前の社会生活に戻るか、それを選ばなければならないときが来ているということだろう。それを私は自分の問題として考え始めている。

読了・クールだから熱い

 宮城谷昌光の『呉越春秋 湖底の城』全九巻を読了した。一週間かからなかった。久しぶりの快読だった。この小説が面白かったからである。この呉越の戦いについては、いままで何度もさまざまな形で読んで知っているのにこれだけ面白いのは、もともと好きな話だからでもあるし、宮城谷昌光の文章が私の読書のリズムにも合うのだと思う。

 

 友人の周大兄氏は中国が好きで中国に語学留学したくらいであるから、中国の歴史書や小説を読むのが好きである。だから私と話が合うのだが、宮城谷昌光の小説はどうも読みにくいと言って敬遠している。たぶん面白さの好みがちがうのかも知れない。周というニックネームは彼が(たぶん)周恩来を敬愛している(習近平ではない)からつけているのであって、本名とは無関係である。以前そのことで誤解されたことがあるので念のため。

 

 高校生のときの模擬試験だったか、どこかの大学の試験問題であったかで、三島由紀夫の評論文を読んでいたく感銘したことがある。三島由紀夫が歴史文学を論じて、森鴎外の小説を例にして持論を展開していた。感情や想像を極力そぎ落とした(たとえば『渋江抽斎』のような)森鴎外の歴史小説にこそ、作家の熱い思いがこめられているし、読むほうもそれを感得できるのもだ、というその逆説的な指摘に新しいものの見方を教えられたのだ。

 

 そういう意味で、宮城谷昌光の小説には作家の感情をそぎ落としたものが多い。とことん資料を突き合わせてそれを配列していくことでその時代をリアルに表そうとしているのだが、血が通っていない(by 周大兄)ように見えるかも知れない。少し前の歴史小説作家である綱淵謙錠などもそういうタイプの作家で、江戸時代などの原文を数多く引用しているのでスムーズに読むわけにはいかないのに、私は好きであった。同じように大好きな海音寺潮五郎などとはずいぶんちがう。

 

 ただし、今回読んだ『呉越春秋 湖底の城』は宮城谷昌光としては例外的にかなり感情がこめられていると思う。表面ではなく皮膚のすぐしたにそれが透けて見えて熱が伝わりやすい文章になっている。それは伍子胥や范蠡を書けば誰だってそうなるに違いないのであるが。

 

 この本を読んだ上での伍子胥や范蠡についての思いは次回に簡単に書いておこうと思う。

 今は亡き友人のF君とギリシャ旅行をしている夢を見た。F君とは毎年一度か二度海外旅行に行った。しかしギリシャへ行ったことはないし、行こうと約束したこともないのに、どうしてギリシャなのかわからない。写真を撮っていたら、いつの間にかF君とはぐれてしまった。彼を探すためにあちこち歩いていたら自分が一体どこにいるのかわからなくなって途方に暮れた。そうこうしているうちにようやく遠くの方に彼の姿を見つけることが出来て手を振ったのだが、彼はこちらを向いているのに応えない。

 

 なんとか彼のところへ行こうとしているのにどうしても行くことが出来ない。バザールらしき場所で人混みの中をさまよっているところで目が覚めた。実際には奇妙なことがいくつもあってもっと長い夢だったのだが、説明が難しい。目が覚めて思ったのは、あれはギリシャではなくて、彼と最後に行ったトルコのイスタンブールのバザールだったのではないかということだ。少し前に書いたと思うが、F君とはまたイスタンブールへ行こうと約束していた。イスタンブールだけに一週間くらい腰を据えて過ごしてみたいなあ、と話していたのだ。

 

 彼が私を呼んでいるのだろうか。まだそちらへ行くのは早いと思う。いつかは必ず行くけれど、当分待って貰うしかない。

2022年2月15日 (火)

なるほど

 またまた本からの引用。

 

 同ずる臣下が増えることは、紀律に精美が生ずるので、国家が一枚岩のように強くはなるが、多様性が失われて、王の好まない思想がことごとく拒絶されることで、国家の豊かさが衰えていく。端的にいえば、軍事力が至上とされる国家となって、つねに他国を武力でしのぎ、百戦百勝しても、天下を取れない。

 

 これはいま読んでいる宮城谷昌光の『呉越春秋 湖底の城』の中の、越の范蠡(はんれい)の思いについて書いた文章の一部である。北朝鮮や中国を見れば、このことばの真理に思い当たるであろう。

 

 中国の古典の中に全ての人間の真理が語り尽くされているともいう。この引用した文章に、中国の未来が予測できるのではないか。これは第七巻にある。明日中には全九巻を読了出来るだろう。久しぶりに夢中で本を読んでいる。

悪魔の予言

 風が吹けば桶屋が儲かる、というのは予言である。必ず起こるとはいえないけれど、その予測の流れに矛盾はない。このことばは、一見なにも関連がないと思われることにも実は深い関係があり必然性があるという意味で使われる。ことばは知っていてもその内容を知らない人がいるかもしれないから念のために言うと、
「風が吹くと砂埃が立ち、目に入って眼病が増える。中にはそれで盲人になる人もいる。盲人が増えると三味線がたくさん必要になる(むかしは盲人の仕事は限られていて、三味線をひく盲人が多くいた)。三味線をつくるために猫の皮が必要で、猫がいなくなる。猫がいなくなれば鼠が増える。鼠が増えれば鼠が桶を囓る。桶が必要になるから桶屋が儲かる」。

 

 私の予言は、新型コロナの感染拡大で、日本に重くのしかかる社会福祉の経費が改善されるだろうというものである。新型コロナウイルスがとどめようがないほど拡大してしまい、対策してもしようがなくなっている。さらにウイルスが変異して弱毒化していき、検査して隔離する必要もなくなっていく。さまざまな制限や規制も撤廃されていく。そうなればほとんどの国民がウイルスにさらされて感染し、それによって抗体が作られ、罹りにくくなり、罹っても軽い風邪程度で済むようになる。

 

 しかし、残念ながら高齢者は少なからず重症化する。老人だけ社会と切り離しておくことなど出来ないのだ。寝たきりで九十歳、百歳まで生きたかも知れない老人の一部の寿命が縮まる。結果的に医療費や年金の支払いが減るので社会福祉の経費が減る。たぶん現実にそのようになるだろうと私は思っている。私も含めて老人はいつか死ぬものだ。それが少し早まることに新型コロナウイルスが寄与するだろうと、たぶん誰もがひそかにこころのなかで感じているのではないか。

 

 中国はいまのような国家全体、国民全部を隔離状態におくことをいつまでも続けることは不可能であろう。そうなればどこかでその隔離を解除しなければならなくなる。そうすると爆発的に感染が拡がることになる。いままでの無菌状態がかえってあだになるのだ。護られてきたことで感染についての恐怖感も増幅しているところに感染爆発が起こればパニックになるだろう。物流が混乱し、生活が混乱する。そこに経済の停滞や縮小が重なれば(現にそうなりつつある)、社会不安が増大するだろう。

 

 その先の予測は、習近平政権が倒れるか、それとも国民の目を逸らして内部のエネルギーを抜くために、台湾侵攻を強行するか、どちらかだろう。

 

 悪魔の予言は・・・さよう、呪いの言葉である。

漢字

 大正三年生まれの父は、漢字をよく知っていた。私よりはるかに知っていた。専門学校で中国語と蒙古語を習い、読み書きが出来た。学校を出てすぐ大陸に渡って、長く暮らし、中国人と間違われるほど中国語が話せたらしい。私が子供のとき、機嫌が好いと中国語で中国の歌を歌ったりしていたこともある。

 

 よく聞こえるように大声で独り言を言う。子供心にちょっと恥ずかしかった。その独り言の多くが中国の故事などだった。『身体髪膚これを父母にうく、あえて毀傷せざるは孝のはじめなり』という孝経のことばや『電光石火』とか、『艱難汝を玉にす』とか、『金剛石も磨かずば・・・』とか『死して後やむ』とかはいまでも耳に残っている。

 

 とうぜん旧漢字はかなりの数知っていたが、戦後の中華人民共和国になってからの簡体字は知らない。八十をかなりすぎてからも、ときどきテレビの中国語講座などを見ていた。漢字がさっぱりわからないとぼやき、そしてことばもずいぶん変わってわからなくなったとぼやいていた。

 

 なんとなくそんな父の影響を受けたのだろう。こどもの頃から『西遊記』や『三国志』や『水滸伝』の子供向けの本を繰り返し読んで、登場人物の名前が頭にひとりでに入ったものである。私が中学生高校生になるころ、中国では文化大革命が起こり、その消息が断片的にしか伝えられず、文化大革命を絶賛するばかりの朝日新聞の情報は高校生の私から見てもなにか変だなと思わせた。だから本当のことが知りたくてますます中国にのめり込んだ。

 

 理科系に進んだのに、大学では何より中国の歴史を最も熱心に学んだ。そうして気がついたら私の書棚には中国の現代史関連、通史、古代史、歴史小説、その他が半分近くを占めるようになっていた。

 

 だからブログにも、読んだ中国の本のことを書きたいのだが、大きな難点がある。中国の人名や地名が日本語としては特殊な漢字であることが多いことだ。ブログに書こうとしても変換が出来ずに単漢字で探すことになってとても手間がかかるのだ。その都度単語登録しておけば良いのだが、リズムが乱れるのでつい後回しにしてしまい、その都度漢字を探すことになる。けっこうたいへんなのだ。そうして中国の本のことは一人で楽しむようになっている。

2022年2月14日 (月)

足らなかった

 三連休のあとだからだろうか、病院はいつになく大混雑で、受付開始前に行ったのに、予約の受付機の前は大行列である。以前はあまり行列が出来ると早めに開始してくれたが、そうなるとそれを見越してさらに前から列ぶから、いまは時間厳守である。お年寄りは朝に強いのである。病院は大半がお年寄りだ。私もだけど。

 

 予約が決まっているのに列ぶのは、検査を早く受けたいからである。血液検査などは結果が出るのに時間がかかるから、早く採血すればそのぶん必ず早く、つまり予約時間通りに診察が受けられることをみんな知っているのである。

 

 今日は一日がかりを覚悟の検診である。ちょっとだけ読み始めた『湖底の城』の第四巻と第五巻を愛用のクラッチバックに入れてきた。

 

 午前中の糖尿病内科は十時半の予約時間ぴたりに呼ばれた。空腹時血糖125、ヘモグロビンA1c7.0。今までになく悪い。医師は、うーん、と唸ったあと「とにかくもっと体重を落としなさい、そうすれば必ずもう少し血糖値は下がると思いますよ」、ということであった。わかっているんだけどなあ。

 

 午後は二時に泌尿器科の検診。検尿を済ませてさて、三時間以上ある。まず売店でサンドイッチと缶コーヒーを買い、腹つなぎをして低血糖に備える。そしてソファーでゆっくり本の続きを読む。

 

 泌尿器科の検診は二時のはずが三時近くになった。その頃には持参した本を二冊とも読み終えていた。二冊では足らなかった。もう一冊持ってくればよかった。

 

 やはり少ないけれども尿に細菌が検出されているそうだ。このまま薬を飲み続けてなるべく水分を余分に摂り、せっせと身体の中を洗い流し続けるしかないですね、ということであった。こちらも一生の付き合いになりそうだ。幸い排尿痛も排尿困難もない。ただ朝一番の小便の色はおそろしい色をしている。「血尿が出たらすぐ来なさい」と医師に言われる。

 

 大量の薬を薬局で渡されて、我が家に帰ったらちょっとくたびれた。待っていただけ、本を読んでいただけなのにどうしてこんなに疲れるのだろう。

 さあとにかく酒の肴を買い出しに行って、酒盛りだ。

知っているところから見直す

 2019年の9月から10月にかけてトルコへ行った。そのあとのさまざまな世界情勢を考えると、そしてトルコの状況を見ると、トルコ旅行を堪能するギリギリの時期にいけたことを喜びたい。これが親友のF君との最後の海外旅行になったことも忘れがたい。

 

 ウクライナ問題が一触即発であることが繰り返し報じられていて、それが挑発的な言いがかりなのか実際ロシアの侵攻があるのか、もちろん私にはわからない。地図を繰り返し見ながら、ウクライナの南、黒海を挟んで対岸はトルコであるのだということを強く思う。イスタンブールのボスポラス海峡を北上すればそこは黒海である。その海の向こうがウクライナだったのだと思う。そういうところに自分が行ったということへの信じがたい思いがある。

 

 イスタンブールにはもう一度行きたかったし、いまもその気持ちはわずかに残っている。東洋と西洋の結び目の地の、人混みの喧噪をなつかしく思いだしている。自由に世界のあちこちへ行けたあの頃は、本当にしあわせな時代だったのだと改めて感じる。いつかふたたびあのような時代が戻るのだろうか。

比較してないけど

 知らないのに言うのは無責任だが、世界の公共放送で一番北京オリンピックを放送し続けているのはNHKだと思う。その根拠は、これ以上放送するということはあり得ないほど北京オリンピック一色だからだ。比較していないけど、過去のオリンピックと較べても、ここまでとことん報じたことはないのではないか。少なくとも私の記憶にはない。つい昨年の東京オリンピックでもここまでではなかった気がするのは忘れているからか。とにかく過剰を超えて異常に感じる。

 

 平野歩夢選手の超絶演技はハイライトで見ても素晴らしかったけれど、二度三度、ついには十回も二十回も見せられて、しかもインタビューをくり返しニュースで見させられて終いにはげんなりさせられた。美味しいものも毎食毎食果てしなく喰わされれば終いにはイヤになる。過剰は足らざるに劣る。

 

 今日は午前中に糖尿病の定期検診、午後には泌尿器科の定期検診。サイクルがちがうのだが久しぶりに重なった。午前の検診が早く終われば時間がかなり空くことになるのだが、一度家に帰るかどうか迷っている。朝は空腹時血糖を測るため絶食だから家で食事をしたいけれど、歩いて二十分かかるから往復するのが面倒だ。それに、いま夢中で読んでいる『湖底の城』を病院で読むのもいいかなと思っている。昨日は第三巻を読了し、いま第四巻に入ったところだ。売店の菓子パンで腹をつなぐことにしようか。病院というのは案外読書に集中できるのだ。なにしろ何かしようとしても出来ることがないのである。

2022年2月13日 (日)

「お客様は神様です」と「改善」

「お客様は神様です」と「改善」が日本を貧しくさせていると私は考えている。貧しくなっているのは精神と経済の両方だ。その理路についてうまく説明できるかどうかわからないが、及ばずながら試みてみる。

 

 デフレ社会とは、貧しいことを受け入れて生きるなら平和で平穏な社会のはずであるが、貧しいことを怨嗟しながらのデフレ社会は不安と疎外感の社会となる。あなただけ損している、とマスコミと野党は呼びかける。自分だけが損していると多くの人が思い込む。

 

「お客様である私」は、お客様であるのに損をしている。損は取り戻さなければならない。「損を返せ!」とクレームをつける。企業もお役所も「お客様」のクレームには真摯に向き合い、平身低頭して答えなければならない。そうでないと袋だたきにされる。子供は学校に「行ってやっている」と思っている。自分の遊びたい時間を、学校の教室に長時間拘束されて「損をしている」と思っている。我慢は損である。損をさせる教師を恨む。

 

 価格が高いことは「お客様」である消費者に不都合である。原料が上がったからと値上げをすれば、お客様の不興を買うし、マスコミに便乗だと言わんばかりにたたかれる。神様に逆らえないから企業はひたすら我慢する。安く売るためには社員の給料を切り詰めなければならない。それが一番手っ取り早い。なにしろ「お客様」は安いことを望んで居られるのだから、身を削ってでも安く売らなければ売れなくなってしまう。新しいものの開発や良いものをつくることは二の次で安くするのだと狂奔する。そうしないと生き残れない。 

 

 日本中が爪に火をともすように切り詰めて安く売り、安く買い、神様も安売りされ、みすぼらしく貧相に成り下がる。

 

 トヨタの編み出したカンバン方式というのがある。在庫を持たないことでコストダウンをするための方策だ。計画生産しているのだから、事前にいつ何が必要であるかわかっている。それならそこで必要な部品の在庫は当日必要な時間に揃えれば良い。その部品は誰がつくっているのか。下請け会社である。それなら指定時間に納入させれば良いというのがカンバン方式である。在庫を持たないことで多いにコストダウンが可能になった。

 

 たいへん合理的で賢いアイデアである。大手組み立て大会社は一斉に真似をした。利益が大いに上がり、製品が安く作れるようになって価格競争力が上がった。魔法のようである。

 

 下請け会社は指定の時間に指定の部品を届けなければならない。そうでないと親会社の生産が止まり、甚大な損害を発生させてしまう。損害のペナルティで会社が潰れてしまうかも知れない。しかし不慮のことがあるのがこの世のなかである。不測の事態に備えなければ命取りである。下請け会社は親会社の周辺に自社乃至は委託の倉庫を構え、そこに在庫を持ち、せっせと配達している。何のことはない、ただの在庫コストを下請けに転嫁しただけのことで魔法でも何でもない。そこまでしてもちょっとしたコストの違いで、明日他社に切り替えられるかも知れないというのが下請けの世界だ。

 

 昔のような多少の情の世界というのはそこには存在しない。資材部、または購買部という名の苛斂誅求な税務署のような組織は、シンプルに高いか安いかの比較考量の部署で情実の生じないよう担当は二三年で変わる。コストダウンコストダウンが「改善」の正体である。つまりデフレを生み出す原動力である。ここでは価格の下方硬直性という経済原理は働かず、価格は上方硬直的である。

 

「お客様は神様である」と「改善」が日本をデフレスパイラルに追い込んだ元凶で、そこからとうぜん給料のデフレスパイラルも生じているのだが、「神様」は給料を上げて物価は上げるな、という。これは天にまします神仏もおよそ不可能な無理難題だろうと思うが「神様」はそう思わないらしい。

 

 こうして経済も貧相になり(なにしろ利益が上げにくくなっている)、設備投資も人材に対する投資もしてこなかったから、能力も低下して、技術競争力も低下した日本は、ますます貧しい国になっていくだろう。貧しいけれど競争もない(なにしろみんな貧しいから貧富の差もないのだ)平和な国になる。めでたしめでたし。

冬来たりなば

 雪国に住む人たちは、今年は例年以上の雪で厳しい冬を過ごしておられるようだ。その分だけ春が待ち遠しいだろうし、春の兆しをよりいっそう嬉しく感じていることだろうと思う。いつもブログを拝見しているでんでん大将様のブログを見てそう感じた。

 

 私も雪国で暮らした経験はあるが、一時的なものだという思いがあった。アルバイトで雪下ろしを少ししただけでうんざりしてしまったくらいだから、生活で雪と格闘する覚悟はない。

 

 たとえがおかしいかも知れないが、空腹を経ることで食べ物がいっそう美味しく感じられるように、厳しい冬があるから春の来るのがいっそう嬉しく感じられるのだろうと考えることで、その喜びを想像的に実感したりしている。

 

 苦難があるからそれを乗り越えたときの喜びがある。幸福の実感とはそういうものかとも思う。誰もが何かの問題を抱えて生きている。たまたまなにも人生に問題がなくて順風満帆、あたかもずっとしあわせに見える人ほど他人の苦難を理解することが出来ず、しあわせの実感も感じられなかったりするものだ。そういう人を知っているけれど、あまり共感性を持たないその人がしあわせなのかどうか、いまは疑わしく思っている。

久しぶりに好いペースで

 今晩から首都圏は雪らしい。私の住む尾張地区はそこまで気温が下がらないらしいので、雨だそうだ。明日朝は定期検診で病院に行くが、雨だとイヤだなあ。雨の中を歩くのもイヤだし、雨が止むとつい傘を忘れるのもイヤだ。

 

 浅田次郎の『天子蒙塵』を読了したら読書のリズムを取り戻して、続いて読み始めた宮城谷昌光の『呉越春秋 湖底の城』全九巻はたちまち二冊読了し、第三巻目に入っている。この分なら今週中に全部読めそうだ。久しぶりに好いペースで本が読めて嬉しい。ただ、目が疲れる。目薬をときどきさしながら読んでいる。

 

 この本はもちろん中国の古代、春秋戦国時代の話で、『史記』のなかでも特におもしろいところである、呉越の戦いを描いたものだ。主人公は楚の人、伍子胥(ごししょ)。楚の重臣だった父と、敬愛する兄を、太子廃嫡の謀略に関連させられて楚王と佞臣に殺され、復讐を誓って太子とともに宋へ、そして鄭へ、さらに楚の敵国であった呉へ流れていく。第二巻では鄭で、晋の謀略に乗せられた太子が殺されてしまい、太子の忘れ形見を連れて辛くも呉に向けて脱出するところまで。

 

 呉で重用されての伍子胥の活躍、呉と楚の戦い、さらに呉と越との戦いへと話は進んでいくはずである。そういう歴史であるから。「呉越同舟」「臥薪嘗胆」など、この話から出た四文字熟語はいまでも使われている。

 

 読むのに忙しくて一巻ずつブログに紹介していく時間がない。この話は知っている人は詳しく知っているから紹介するまでもないし、おとなになっても知らない人はそもそも興味がないだろう。面白いのだけれどなあ。

 

2022年2月12日 (土)

いささかつらい

 私はお酒が好きである。出来れば毎日好きなだけ飲みたいが、二日酔いはきらいだから、むかしとちがって酩酊する手前くらいにとどめるように注意している。それでもうっかりするとそこそこ飲んでしまう。

 

 父は下戸で大の甘党だった。酒は無理強いしなければ全く飲まず、甘いものなら母に止められない限り、いくらでも食べられた。あまり欲の強い人ではなかったが、「羊羹をまるまる一本食べたいなあ」などと独り言を言っていた記憶がある。その願いは果たせなかったようだが・・・。そして私は酒飲みなのに、父譲りで甘いものも大好きである。特に好きな最中なら、四つくらいは平気で食べられる。

 

 鯨飲馬食し、なおかつ甘いものも好きなら糖尿病にならないわけがない。かくして立派な糖尿病患者になり、病院で定期的に血液検査して血糖値を測り、医者のご託宣をうかがう身分となっている。これはたぶん一生続く。

 

 出来れば医者のおぼえがめでたい方が嬉しいから、定期検診の前の一週間くらい酒は飲まない。休酒である。二週間休酒したこともある。だからアル中ではないのだと、息子や娘や弟夫婦に威張って見せたりするけれど、誰も感心してくれない。

 

 正月以来体重が数キロ増えたままである。体重が増えると甘いものや豆類などが無性に食べたくなり、食べ始めると止まらなくなる。悪循環である。半月ほど前から間食をやめ、我慢している。とにかく手元にあれば無意識のうちにつまんでしまうので、買わないようにしている。酒を止めるよりも、口さびしいほうがつらい。

 

 明後日がその定期検診日である。飲まない上にオリンピックにあまり関心がないから、いまはテレビもつけないままだ。だから夜が長いこと長いこと。そういうわけで本が読めるのはありがたいのだが、酒や甘いものが目の前にチラついてかなわない。検診の済んだ月曜の晩になにを食べ、なにを飲もうか、そんなことばかり考えている。

大義

 ウクライナの状況は、まさか本当に?という見方をしてきたので、ここまで緊迫して一触触発になるのは意外に感じている。それは私が事態をよく理解していないからなのだろう。

 

 ロシアにはロシアの大義があり、ウクライナにはウクライナの大義がある。互いに相手の大義は笑止千万のこじつけだと思うから、大義を声高に言えば言うほどエスカレートして行く。EUの主要国はなんとか落としどころを探して暴発を止めようとしているはずだが、ロシアはそれを歯牙にもかけていないように見える。ロシアの大義に響くような働きかけになっていないのだろう。

 

 アメリカのバイデン大統領もいろいろ働きかけをしているように見せているが、ことばの端々に「(アメリカにとって)他人事(ひとごと)です」と付箋がついているようにしか感じられない。そもそもこの人に互いの主張する大義が理解できる能力があるようには思えない。アメリカ人は、などというとあまりにも雑な決めつけになってしまうが、アメリカ人は大義という感覚が欠けている気がする。つまりこういう局面で無神経なのである。だからCIAがおかしな介入をして結果的にあちこちでアメリカ嫌いの国を作り続けることになっているともいえる。アメリカにあるのは、自国だけに通用する薄っぺらい正義だけと言えば言いすぎか。

 

 さまざまな国のウクライナに対する介入がエスカレートするほどロシアが追い込まれているともいえるが、そのことがロシアが戦端を開く口実にもなる気もする。では成り行きにまかせたらいいのか、といわれればもちろんそんなことはないからみんな働きかけをしているのだが・・・。

 

 日本が太平洋戦争に突入したときにも、もちろん大義があった。中国が南シナ海や尖閣で行っていることにも中国の大義がある。山本夏彦流に言えば、大義とは、してみればいやなものだなあ。

なんとなく好い日だった

 昨日は快晴の気持ちの好い日だった。娘のどん姫のところへ行って、先輩から送られてきた大きなヤリイカを二杯ほどお裾分けした。娘の亭主は出張中とのことだったので、泊まりに来ないかと言ったのだが、ペットがいるから無理だという。ゆっくり話もしたかったので、あとで送ることにして日帰りなら、ということで我が家に連れてきた。

 

 半日ほどゆっくり話をした。どん姫とはなかなかフランクに話が出来ない状態が続いていたのだが、彼女が三十を過ぎて、ようやくしみじみとしたおとなの話が出来るようになってきた。

 

 ペットというのはなんとハリネズミ。どん姫夫婦はけっこう旅行に出かける。その時は近所の動物病院に預けるのだそうだ。餌は何かと訊ねたら、虫だという。個体によって好みがあるらしい。おもしろいなあ。

 

 夕方どん姫を送り、帰ってから解凍したイカを刺身と付け焼きで食べた。たくさんつくった刺身の半分は、さっと湯をくぐらせてすぐ冷水にとって食べた。大好きな食べ方で、こどものころ、母がイカの好きな私のためによくつくってくれた食べ方である。

 

 我慢して酒は飲まなかった。どん姫がいれば飲んでいたところだ。『天子蒙塵』を読了したので、次は宮城谷昌光の『呉越春秋 湖底の城』を読み始めた。これは全九巻。三年ほど前に第三巻まで読んで中断していたものだが、もう一度、第一巻から読み直しである。ほとんど忘れている。善いような悪いような・・・。

2022年2月11日 (金)

浅田次郎『天子蒙塵 四』(講談社)

 ようやく『蒼穹の昴』以来続くシリーズの第五部にあたる『天子蒙塵』全四巻を読了した。蒙塵とは、天子が難を避けて住まいである御所の外へ逃げ出すことをいう。外部の塵をかぶるという意味である。この小説では、もちろん宣統帝溥儀の有為転変を描いているけれど、同時に東北三省の支配者だった張作霖のあとをついて東北王(トンペイワン)となった張学良の有為転変も並行して語られる。

 

 張学良がイタリアイギリス、そしてフランスを巡り歩いて、ついにふたたび中国に帰国する。上海で青幇の杜月笙(とげつしょう)に迎えられ、かくまわれる。たびたびの暗殺者を返り討ちにし、自分を待つ東北三省へ向かうのだが、このあとは次の話となる。

 

 この張学良が上海滞在の時代に彼をひそかに訪ねてくる男がいる。誰あろう周恩来である。周恩来は命がけで国共合作のための下工作を働きかけたのだ。共産党を嫌悪していた杜月笙に知られれば即座に殺される。それを覚悟の潜入である。実は私は数年前に上海で周恩来が工作活動の拠点にした住まいを訪ねている。こうして歴史は現在に繋がっているのだと実感したことを思い出した。

 

 この巻の最後は満州国執政溥儀が皇帝即位の儀を執り行うシーンで終わる。新京(満州国首都、現在の長春)に造られた、天に即位を報告する儀式のための天壇は、溥儀の思い描いたものとは違い、やっつけの粗末なもので、溥儀は自分の置かれた立場をあらためて思い知らされる。まさにその頃列席を許されなかった皇后婉容は不義の子を産み落としていた。その子は存在してはいけない赤ん坊で・・・。

 

 この物語のあと、二・二六事件が起き、日本は中国と果てしのない戦争を始め、さらにアメリカと、そして世界を相手の戦争へ突入する。日本とは戦わず、紅軍を殲滅するための戦いをしていた蒋介石は、西安で張学良たちに囚われ、国共合作を受け入れる。蒋介石率いる国民党軍は以後、日本との本格的な戦いを開始する。

 

 たぶん第六部はそのような歴史をなぞるかたちで展開されるであろう。そしてこの第六部の後半に登場した、日本から満州へやってきた少年二人の運命の転変が物語の軸となると思われる。一人は満州の軍閥、馬占山のもとに身を投じ、一人は甘粕の起こした満州映画会社のスターとして活躍していくはずである。私の想像で、まだ出版されていないから読んでないけど。

 

補足:本文の中に張学良が考える軍閥についての部分があるので引用しておく。

 そもそも中国にはその昔から、軍隊は兵力も軍費も自給自足で戦うという、奇妙な伝統があった。その結果としてね国が乱れれば軍事利欲の他に経済力も政治機構も有する小国家、すなわち軍閥が出現した。
 父の気付いた東北軍閥は、中国全土の四分の一を支配する、独立国家の観があった。父は押しも押されもせぬ東北王(トンペイワン)であり、私はその世継ぎだった。だから父から全てを引き継いだあとも、自分を軍閥の領袖だなどと思ったためしはない。それくらい東三省は、関内に割拠する軍閥とは格が違った。
 そうした軍閥の多くは、離合集散をくり返したのち国民政府に合流した。一九二八年の暮れには、東三省の五色旗も私の決心により、青天白日旗に変わった。

最終戦争

 石原莞爾という、天才でありカリスマであった軍人について、その考え、主義主張を知るために『天子蒙塵』の中に格好の部分があったので引用する。

 

 石原莞爾に問いかけているのは、もと日本軍に派遣されて張作霖の軍事顧問をしていた吉永大佐であり、彼は張作霖爆殺事件に巻き込まれて片足を失っている。

 

 この男の詐術に取り込まれてはならぬ。吉永は気を引き締めて石原に向き合った。
「今ひとつ訊きたいことがある」
「なんなりと」
「東洋対西洋、ひいては東洋文明の盟主たる日本と西洋文明の盟主たる米国の間で、最終戦争が起こるのだな」
「いかにも」
「それはすこぶる興味深い予測ではあるが、戦争に至る論理を欠いている。太平洋の覇権を競う海軍ならいざ知らず、わが陸軍はいまだかつて、国境を接することのない米国を仮想敵としたためしはない。よって歩兵の主兵器も大陸で使用するため、長射程で命中精度のよい三八式で事足りている。ではなぜ、貴様は米国を仮想敵とする」
「工業生産力、資源力、食料の持久力、その他あらゆる国力において、白人世界では卓越しているからです」
「その通りだ。だが、それだけでは戦争にいたる論理を構成しえない。貴様は軍人ではなく宗教家だ。末法の世の果てに前代未聞の大闘諍が起こるという日蓮の予言を信じて、勝手に世界最終戦に至る論理をでっち上げた。信仰が悪いとは言わん。俺だって人並みの信仰心は持っている。しかし予言を真理として歴史を作らんとするのは狂人の仕業だ。いいか、石原。貴様は天才でもなければ英雄でもない。自らを天才と信じ、みずから英雄たらんとする、皮肉屋で臍曲がりの宗教家に過ぎん。宗教家ではなく軍人だと言うのなら、もう一度くり返す--恥を知れ」
 声を荒げぬよう気遣いながら、吉永は一息で言った。 かつて永田少将は石原を「ファナティックだ」と評した。人は彼のファナティシズムをエモーションと混同して憧れるのだ、と。永田のその示唆を考え抜いて、吉永はそうした結論を見たのだ。

 

 石原が去ったあとしばらくして永田少将は吉永に対して
「いまの石原評は百点満点だったな」
という。

 

 この吉永の石原評は浅田次郎の創作ではなく、石原莞爾が実際に『最終戦争論』(文庫本で手にはいる)という文章で残していて、そこに書いてあることをもとにしている。私も昔読んだことがある。自称東洋の盟主だった日本はアメリカに敗れたが、中国はいま東洋の盟主を自認してふたたびアメリカと戦おうとしているように見える。

 

 石原莞爾は山形県鶴岡の人。

海はたしかに繋がっているが

 ネットニュースで読んだだけで、実際に見聞きしたわけではないけれど、バイキングという番組で芸人の某岩尾という人が、熊本あさり産地偽装問題について「海は繋がっている」のだから大騒ぎするほどの問題ではないというようなことをいったらしい。それに対して、そんなことをいっていたらそもそも産地表示そのものが意味がなくなってしまうではないかという批判があったという。私もそう思う。

 

 感じたことをいうのは勝手であるけれど、あまり粗雑だと「おいおい、それはちがうだろう」といいたくなる。「海は繋がっている」といえるのは、その間を自由に往き来できていることが前提の理屈であって、アサリが中国の海と熊本の海との間を往き来することは不可能だ。

 

 アサリの産地偽装問題についてはしばらく前にこのブログで取り上げて、アサリはもう食べないことにすると書いた。中国の沿岸部は中国の河川や土壌の汚染が流れ込み蓄積されている可能性があり、そこで生育したアサリは食べたくないからで、他県産を高く売れるから熊本県産と偽装するのとは意味が全く違う。

https://toujikyaku.cocolog-nifty.com/blog/2022/01/post-f9d5db.html

 

 多くの人は同じように考えるから、いくら安くても「中国産」と表示したら誰も買わなかったのであり、それを偽装表示することで利益を上げたら問題となるのはとうぜんなのである。しかもそのような不法行為が長年にわたり大々的に行われ続けてきた。どこかで歯止めをかけなければ産地表示が無意味化してしまう。法律が無意味化しても正されないということは由々しきことである。

 

 それを「海は繋がっている」などと小賢しくいったとしたら、問題の本質が見えていない愚かな発言だと思う。

 国産のアサリは激減し、多くが中国や韓国産だという。アサリが食べたければ中国産や韓国産のアサリを食べればいいだけのことで、私はアサリが大好きだが、中国産や韓国産なら食べたくないから「これからはアサリは食べない」と書いたのである。

2022年2月10日 (木)

登場人物の満州国についての感懐

 いま『天子蒙塵』の最終巻である第四巻を読んでいる。満州に派遣されている朝日新聞の記者、北村が満州国について思ったことがこう記されている。

 

 満州に渡った日本人は、誰もがみな多かれ少なかれ芝居を打っているのではなかろうか、と北村は思った。
 日本では他者を謀(たばか)ることも、自身を偽ることも許されない。だが、いったん満州の地を踏んで、涯もない風景やおおらかな満人に接したとたん、縛(いまし)めが解けるのである。
 自分が自分である必要はない。変身してもよい。いや、変身すべきだと考える。窮屈な島国に生まれ育ち、制度と道徳にがんじがらめにされていたおのれのうちに、無限の可能性を見いだそうとする。
 実は日本人のそういた変身願望の総和が、満州国そのものなのではあるまいか。
 そもそも日本人にとって満州国がどれほどの存在価値があるのかと考えれば、まことに疑わしい。少なくとも政治経済上の理由には乏しく、対ソ国防上の方策としては大げさに過ぎる。だとするとやはり、合理的な説明のつかぬ観念的な素因によって、満州国が生み出されたように思えるのである。

 

 あくまで物語の架空の登場人物の感懐で、それはそのような人物ならそう見るだろうと考えた著者の浅田次郎の創作だが、あながち作り事だと決めつけるわけにはいかない。そのようにものを見ることができる日本人がどれほどその時代にいたかどうかは知らないが。

 

 それは同じように現代を別の時代から見ればずいぶん愚かしく見えるということでもあろう。未来があれば、の話だが。
 
 次回は登場人物に石原莞爾を語らせている部分を引用する。

浅田次郎『天子蒙塵 三』(講談社)

 満州国という国があった。五族協和を旗印にしているが実態は日本の傀儡国だった。満州国政府は日本の許可なしにはなにも出来なかった。ここで日本というのは日本政府のことではない。関東軍という日本陸軍を超越した超法規的組織だった。満州国は石原莞爾が画を描き、板垣や土肥原などが作り上げた虚妄の国である。その満州国の国家元首は、執政溥儀、あのラストエンペラー宣統帝溥儀である。

 

 この第三巻では、その宣統帝溥儀の満州国における立場、そして彼の思いが語られる。そして関東軍の謀略で爆殺された東北軍閥・張作霖の息子の張学良のその後が語られていく。張学良は日本(つまり関東軍)の挑発に乗らず、蒋介石と合流し、軍権を渡して失意の内にヨーロッパを歴訪する。歴史的には、のちに国共合作のために動く(西安事件)が、ここでは歴訪ののちに帰国するところまでである。

 

 関東軍の謀略をとどめるための日本軍部の良心ともいえる武藤元帥そして永田鉄山の、関東軍に対する介入は、しかし武藤元帥の急死によって頓挫する。もちろん近代史に詳しい人なら承知のように、この本ではまだ描かれないが、永田鉄山はのちにありうべからざる非業の死を遂げる。

 

 日本の国を泥沼に追いやった経過、その近代史の背景が、登場人物達のさまざまな関わり合いの中に描かれているのだ。まさにあざなえる縄のごとし、そしてそこには運命にただ流されるだけではなく、自分の意志、信念で生きる男たち、そして女たちがいた。

イカが来る

 千葉県の松戸に住む先輩から久しぶりに電話を貰った。千葉の弟のところに滞在するときに、ときどき船橋で落ち合って飲む先輩である。「元気にしているか」という元気な声を聞いて嬉しかった。三つ年上のその先輩はまだ現役で、電話はイカが釣れたから冷凍して送る、という連絡である。大洗の沖に釣り船で釣りにいくのである。たくさん釣れると送ってくれる。

 

 あたりまえだが舟は揺れる。足元のあぶなくなってきた私など、いまはこわくて舟釣りなど思いもよらないのに、先輩は元気だと感心する。なんばい送られてくるのか知らないが、多かったら娘のどん姫にもお裾分けしよう。いまはイカはなかなか獲れないから貴重品である。刺身はもちろん、私は付け焼きが好きだ。まいったなあ、いま休酒をしているところなのに・・・。

2022年2月 9日 (水)

はんてん

 はんてん、はっぴ、ちゃんちゃんこの違いが具体的にわからないところがあって、広辞苑で調べたら、ちゃんちゃんこは(子供用の)袖なしの羽織で、はっぴは下級武士や仲間の着る裾の短い上着、はんてんは羽織に似るが襟も襟の折り返しもなく、胸紐もない衣服とある。

 

 それなら私が着ている千鳥柄の博多織の上衣をはんてんと呼んでいるのは正しい呼び方のようだ。胸紐はない。母が作ってくれたものだ。ほかに綿入れのはんてんもあったのだが、すり切れ、ほころびて着られなくなってしまった。

 

 いまは部屋の中は暖房が効いているから防寒のための服があまり必要ではない。だからこのはんてんが脱ぎ着が簡単で楽だからふだんはこれを愛用している。綿入れだったらもっと暖房を節約できるなあ、と思うけれど、それを作ってくれる母はもういない。ネットで調べるといろいろなはんてんが売られている。いま購入しようかどうか迷っている。あとひと月もすれば寒い冬も終わって春だ。

変更して早める

 三回目のワクチン接種の予約券がきたが、予約できたのが三月半ばだったと少し前に書いた。ファイザーは三月中では予約できなかった。かかりつけの病院はファイザーだから待とうかとも思ったが、行動の安全確保を優先して早いほうが良いと考えてモデルナで予約した。

 

 その際は歩いて行ける場所の候補から探していったのだが、巷間漏れ聞く様子から、モデルナならそんなに待たずに受けられるのではないかと思い、多少遠くてもいいかもっと早いところを選び直すことにした。探すためにはいまの予約をキャンセルしてからではないと検索できないので、一度キャンセルした。そのために万一さらに遅くなってもたいした違いはないだろう。

 

 いくつか全く知らない病院を検索したら、なんと来週後半に空きが見つかった。電車で一駅乗る必要があるが、それほど遠いわけでもない。すぐに予約した。偶然なのかワクチンの配布が斑(まだら)なのかわからないが、こんなにちがうものなのだ。探すときにはとことん探すべきなのだと知らされた。

 

 それにしても三回目のワクチン接種の遅れが、あたかも国民が接種を逡巡しているからだという言い訳にはあらためて怒りを覚える。一回目二回目を積極的に受けた人なら、よほど副反応に懲りた人はべつにして、たいてい積極的に受けるつもりでいるはずだ。遅れているのは行政側の油断による手抜かりで、それをごまかそうとしているうちは混乱は収まらないだろう。ごまかすと問題点は見えなくなる。手順もつくさずに「一日百万回」などとかけ声をかけている姿にイライラする。まずワクチン確保と接種場所と要員の確保が先だろう。

 

 菅首相と較べると、岸田首相のポプュリストであることがますます見えてきた気がする。ポプュリストだから支持率も高かったのであろう。ポプュリストはリスクを構えない。つまり決断力に欠ける。平穏とはほど遠い世界の情勢にはポプュリストは常に手遅れによる失敗を重ねる。日本はこれから大丈夫だろうか。

観ていないのに

 私は今回の北京オリンピックはリアルタイムでは観ないようにしている。ネットニュースによれば、北京オリンピックの判定にいろいろ不協和音があるらしい。観ていないのにそれに和するわけにはいかないけれど、もしそのようなことが一度ならずあったのを実際に観たら、私はたぶんかなり感情的になってしまうに違いない。だから観ないでいることで、かえって心の平和を乱されずにすんでいる。

 

 中国がネパールとの国境を侵し続けているらしい。ネパールが中国の不当を世界にアピールしたという。昨日今日のことではなく、ネパールも忍耐を続けてきたけれど、耐えられなくなったようだ。北京オリンピックでもあり、アピールするのにタイミングがいいと考えたのだろう。中国はインドとも係争しているし、南シナ海や尖閣諸島でももめ事を起こしている。習近平政権が指示しているのか、それとも出先が手柄を立てようとして暴走しているのか。どちらにしても習近平政権がストップをかける気配はないから、指示しているのと同じことだ。あれだけ広い国土を持ちながら、さらに拡大をもくろむとは本当に迷惑な国だ。共産主義とはそういう思想なのか。

 

 北京オリンピックは、終わったときに賞賛される大会になるのだろうか。どうもそうではない結果になりそうな気がする。

2022年2月 8日 (火)

午前中は散々だったが

 朝はこむら返りの繰り返しで疲労困憊、そのあと腹が下って力が入らない状態に。昼ころ、天気が良くなると同じ頃にようやく少し元気を取り戻した。

 

 根城にして座り込んでいるリビングの炬燵の周辺に綿埃(わたぼこり)がちらほら見える。気分転換に床のものを全て片付けて掃除機をかけた。炬燵をかけ直して座る位置を少しだけ変えた。天気もいいのでバスタオルや足拭きマット、ジャージーや普段着のシャツやズボンなどを洗濯した。午前中は散々だったが、ちょっとだけにしろ身体を動かしたのでエンジンがかかった気がする。

 

 さっぱりしたら本を読む意欲も湧いてきたので、浅田次郎の『天子蒙塵』のつづき、第三巻を読み始めている。なんとなく物語のつなぎ、いままでの背景の説明のような文章が多くて盛り上がりに欠ける気がする。明日には読み終えると思う。早く最終巻の第四巻まで読了して別の本にかかりたい。いまはまだ、いつものように何冊もの本を並行して読むというパワーがない。

 

 本日からしばらく晩酌をやめて休酒期間とする。来週血糖値の検査があるので・・・。手遅れか。

怨念と自立

 いま録画してあった昨晩のBSフジのプライムニュースを観た。昨晩は石原慎太郎の回想集で橋下徹氏がゲストで呼ばれていた。日本の歴史、世界の歴史をしっかりと素養として身につけている人があまりいなくなった日本の現状に、多くの本物の知識人(テレビのコメンテーターとしてバラエティ番組に登場する人で知識人と呼べる人はまずいない)がほとんど絶望している中で、石原慎太郎が絶望しながらも、日本の国を憂えて日本人の自立を訴え続けていたことがよくわかった。ただ、盟友だった亀井静香が石原慎太郎を「知の巨人」と繰り返し言っていたのはいただけなかった。それには賛同しかねる。

 

 誤解をおそれずにいえば、橋下徹氏が石原慎太郎の言説の中に戦争体験者の怨念がある、という言い方に私も賛同する。そしてその怨念が間違っているなどとは思わないが、現状を否定しても仕方がないことで、もう後戻りは出来ないというところから、何をしなければならないか考えるしかないだろうという橋下徹氏に賛同する。

 

 いま日本人が、いや、世界の人の多くが、本人は自立しているつもりなのに、実はネットなどを通じてさまざまに思考をコントロールされている。価値観を選んでいるのではなく、選ばされている。あらゆることにランキングがあって、そのランキングに従って軽重を決めている。自立ではなく他人の評価をもとに評価している。そのランキングに何かの意図的な操作があっても気がつくことが出来ない。

 

 自分で知識を身につけ、考えるという作業が苦手な人ばかりを目にする。テレビのコメンテーターの是非が自分のものの見方に影響している。石原慎太郎が政治家に素養がなくなったことを嘆いていた。そして日本人の自立意識が失われていたことを嘆いていた。それはどちらも同じことで、自分の獲得した知識をもって自分の生き方を決めるということだろう。今はそうではなくて損得がその決断の基準になってしまった。

 

 私は「自恃」ということばが好きだ。自分に足らないからこそそのことを常に意識しようとおもいながら生きている。そういう意味で、石原慎太郎という人を評価している。菅直人氏なら、石原慎太郎もヒトラーになぞらえるかも知れないが・・・。私なら鳩山由紀夫氏や菅直人氏を、むちゃくちゃかも知れないが、文在寅になぞらえるところだ。

 

 橋下徹氏が、石原慎太郎氏との過去の話に感極まって絶句し、涙を流していたところに、彼の熱さを感じて好感が持てた。意見が違っても心が通い合うということがあって、そのほうがより深い関係になるということなのだと羨ましく思ったりした。

攣りかけては

 夜中に足が攣りかけて飛び起きた。あわてておまじないの薬を飲む。寒い。寒さが尋常ではない。布団に入っても、血の気が引いて行くような気味の悪い寒気で体温が上がらない。あわてて暖房を入れ、服を重ね着してじっとしていた。高熱のときの寒気に似ているが、体温は平熱。どうしたのだろう。だいぶ経ってようやく寒気は治まった。

 

 明け方、ふたたび足が攣りかけて目が覚めた。今度は本当に攣ってしまったが、短時間で治まる。寒気はない。しばらくしてまた攣りかける。おまじないの薬を飲めば数日から一週間は大丈夫なのにこんなことは初めてだ。疲れ切ってまた眠る。

 

 いまようやく起き出して、暖かくなりすぎた部屋でぼんやりしている。いろいろな薬を飲んでいるが、それの副作用ということはないだろうか。来週、糖尿病と泌尿器科の定期検診がちょうど重なっているので、それぞれの医師に訊いてみようと思う。

2022年2月 7日 (月)

こんな文章に痺れる

 浅田次郎の『天子蒙塵 二』からの引用。

 

 林純(リンチュン)先生は光緒十二年丙戌(ひのえいぬ)、すなわち西暦一八八六年の科挙試において進士登第を果たした。
 二十七歳という年齢は才子と呼ばれるほど若くはなかったが、けっして遅いというわけでもなかった。たとえば、のちに民国の大総統まで出世した同期の徐世昌などは、すでに三十歳になっていたのであるから。林先生の役人としての凡庸な人生が、登第の年齢とかかわりがなかったことはたしかである。
 そもそも生家が北京郊外の郷紳であり、生まれついて役人になることを義務づけられていたようなものだった。だから還って、進士登第を果たした瞬間に人生の目的を達成してしまったような気分になり、その後の立身出世などは考えもしなかった。
 誰に阿る(おもねる)でもなく、なにを希むでもなく、地方官をしばらく務めたあと北京に呼び戻されて、京師大学堂の教授となった。
 革命の渦に巻き込まれなかったのは、こうした地味な経歴が幸いしたからである。政治と文化が不可分であるこの国の伝統的文治主義の中で、役人としての人生が学問に偏倚(へんい)していた分だけ、林先生には革命による損得がなかった。
 さっさと隠居をして、役人時代の知己との交わりも断った。この先世のなかはどうころぶかわからぬのだから、それが最も賢い老後の過ごし方だと思ったのである。
 ところが、いざ什刹後海(シーシャホウハイ)の邸(やしき)にひきこもってみると、幸福な老後はあんがい退屈だった。いや、それは林先生のわがままというもので、幸福の本質が退屈なのである。むろん、退屈が幸福であるはずはないのだが。
 まだ暗いうちに目が覚めて、ああまだ夜だと思う。若い時分とちがって寝直しもきかぬし、起き出しても家族の迷惑だと思えば、陶潜のなまめかしい詩などを諳(そらん)じながら、牀中に輾転とするほかはない。こうした幸福の退屈さと言ったら、いっそ死んだ方がましと思うほどである。
 ようやく夜が明けて、嫁の顔を潰さずにすんだと思われるころ、林先生は今し方目ざめたふりをして牀(とこ)を脱け出る。

 

(中略)

 

 こうして林先生は身支度を調え、公園へ出かける。

 

 しかしそうして時間を稼いでも、公園にはいつも一番乗りで、朝ぼらけの湖面を眺めながら莨を一服つけねばならぬ。やはり幸福は退屈なものだと、林先生はしみじみ考えるのだった。
 やがて近在の老人たちが三々五々集まってくるのだが、いつも同じ顔ぶれで退屈であることに変わりはなかった。
 同じ話が幾度もくり返される。聞く方も忘れているとみえて、いちいち笑ったり驚いたりする。そうした老人たちに較べて、林先生の頭脳はさすがに明晰であるから、相槌を打つのも一苦労だった。

 

(中略)

 

 幸福は退屈である。
 そうした悟りの境地に達したころ、林先生の前に興味深いひとりの人物が出現した。

 

 こうしてふたたび本来の波瀾万丈の物語が展開されていくのだが、林先生の生活が身に沁みるのである。共感するのである。私の中で林先生が実在の人物として浮かび上がるのである。

 

 今回はちょっと変わった読み方について書いてみた。

時間の重み

 若いときは人生の残り時間など意識しないし、意識してもいくらでもあると思うから、時間を無駄にしてもいまほど気にならなかった。後期高齢者になってゴールが見え始めると、残り時間が無駄に過ぎることに腹が立つようになった。民放のCMの長さに繰り返し苦言を書くのは、その限られた時間を空費させられるような苛立ちからであろう。

 

 毎日が日曜日の暮らしであるから暇で退屈なのだが、暇で退屈であることに苛立っている。なにか意味のあることをして、時間を無駄にしなかったという実感を持ちたいと思っているけれど、意味のあることなどなかなかないし、あっても面倒なことが多い。面倒くさいことは億劫なので好きではない。だからそのジレンマにいつもあぶられている。悟り済ましたようなことを書き、泰然としているように見せていながら、実はこころのなかはせかせかイライラして落ち着かない。

 

 時間の重みなど若いときもいまも同じはずなのに、どんどん重く感じられるようになった。それなのに苛立ちから何かに集中できず、ますます時間が無駄に流れ、そのことにさらに焦っている。人生なんてこんなものらしい。

 

 私には人を殺すほど自分を追い詰める人間というのが信じられないし、理解できない。そういう人間は、時間ではなくて自分自身がとてつもなく重いのだろう。

抜かりがあった

 今回、私が三回目のワクチン接種予約をする過程で感じたこと。政府は盛んに三回目の接種を呼びかけ、ファイザー社ではなくモデルナの接種でもいいのだとキャンペーンをしている。しかし、後期高齢者で持病のある私がファイザー社のワクチン接種をしようとしても、だいぶ先にしか接種が受けられず、モデルナ社でようやく三月の中旬に予約が出来た。そもそも案内の来たのがつい数日前である。

 

 接種から八ヶ月をおいてからという方針が、紆余曲折したあとで六ヶ月に短縮されたはずだが、私にとっては七ヶ月以上が経過してから案内が来たのである。私の個別の例だけで言うのはいかがとは思うが、そもそも八ヶ月近く経たなければ案内が来ないなら、ちっとも早まっていないのである。たぶんワクチンの準備がないから案内も遅れたのであろう。六ヶ月に短縮した、というのは口ばかりで、実質は八ヶ月のままであり、接種が遅れているのは接種を受ける国民の側の問題ではなくて接種をすべき行政側の問題である。

 

 岸田政権がそもそも八ヶ月にこだわったのは、なにも準備をしていなかったからで、それをあたかも国民が積極的ではなくて接種が遅れているかのように言うことにいささか腹が立っている。専門家は、政府に油断があったと言っている。そのとおりだと思う。それならそのことを済まなかったと謝った上で、ワクチン接種の促進のための手当をするべきだが、いまだにそういう努力と自覚があるように見えない。

 

 岸田首相の不思議な支持率の高さはたぶん近いうちに急落するだろう。場当たりの言い訳はいつまでも通用しない。臨機応変が実はその場しのぎの無策、朝令暮改だったことがなんとなく見えてきた気がする。おかげでオミクロン株の感染は日本中に拡散し、止めようがなくなり、罹る人間は罹ってしまう状態になったのは、遅ればせながら日本も欧米並みになったということで、その点はあきらめを早めることにつながったのかも知れない。すでに手遅れなのだと思う。

 

 岸田首相が側近に対してワクチン接種の遅れを叱責したというが、人を叱っている場合か、と思う。

2022年2月 6日 (日)

AURA

 午後、コーヒーを飲みながら『AURA Beautiful Inspiration』や『AURA BEST』というアルバムを聴いてぼんやりしていた。現役時代に取引先の人に教えられて買ったCDで、私の愛聴のアルバムだ。サラ・ブライトマンなどの歌声があり、葉加瀬太郎などのバイオリン演奏ありの名曲集で、美しい音楽が燦めいている。

 

 気持ちが波立っているときなど、コーヒーを飲みながらこのアルバムを少しだけ音量をあげて聴いていると心が静まる。信仰心のない私だが、なんとなく「今のままで好いんだよ」と神に慰められている心地がする。

 

 朝のうち降ったりやんだりしていた雪もやみ、日が射してきたらたちまち融けて消えてしまった、

真実が知りたい

 事件などがあると、被害者の遺族が(被害者本人が生きていてそう言ったのはあまり聞いたことがない)「真実が知りたい」とよく言う。

 

 理不尽な加害者に対してその理由やいまの気持ちの本当のところが知りたいなどと言われたりすると、そんなことを本当に知りたいのだろうか、などと思ってしまう。放火大量殺人を犯した犯人が死んでしまってもそう言ったりするから、事件そのものについてや身内が死んだことを受け入れかねて、なぜこんなことになったのか、という思いがこのようなことばに託されているのかも知れない。

 

 この常套句になったことばの前に(お金の問題ではありません)ということばが浮かび上がるような「真実が知りたいのです」もある気がする。あの、嫌らしく人の気持ちをえぐり出すマスコミですら、そのことを言わないのだから、そう聞こえてしまう私はマスコミ以下の下司なのであろう。もちろん下司の私には「お金の問題ではない」というのは「お金の問題です」と聞こえているのはいうまでもない。

アンケート

 アンケートとは名ばかりの勧誘、契約の強要などが横行していた記憶があるのでアンケートは嫌いで、ほとんど相手にしない。ネットでもアンケートなどといっているものはほとんどがPRである。もちろん興味があるもので、自分の思いや経験を伝えたい気持ちがあるなら、気をつけて応じればいい。

 

 そんな私がniftyポイントのアンケートにはけっこう応じている。危険を感じるアンケートではないし、PRもうるさいものではない。一回に一ポイントだけれど、塵も積もれば・・・ということもある。ちょっと自分でも面白がっているのは、全く興味がないこと、やること買うことがないことについての回答である。もちろん興味がない、やる気がない、などというところにチェックを入れる。心にもないことはいくら何でもしない。

 

 アンケートの集計でなにかを知りたいと相手は思っているのだろうから、興味のない人の意見も伝えたい、ということを本気で思って回答しているのである。本当である。暇だしね。

2022年2月 5日 (土)

百聞は一見に如かず

 百聞は一見に如かず、とは「百回耳で聞いたことよりも、一回眼で見た方が確かである」という意味で、人の話を聞くより自分の目で確かめた方が間違いがないということだ。原典は『漢書』の趙充国伝であり、異民族の攻撃に際して対応策を問われた老将の趙充国が、『百聞は一見に如かず』と答えて、自らが現場に行って指揮を執りたいと述べた故事による。

 

 しばしば、「百聞は一見に如かず、百見は一考に如かず、百考は一行に如かず、百行は一果に如かず」と続くとされるが、それは後で付け足されたもので、もともとの原典には「百聞は一見に如かず」のみである。

 

 確かに聞いたり読んだりしたものより直に現場で見た方がいいというのは理屈である。そして見ただけではなく、その見たことについて考えることが必要で、考えたら行動し、行動したら成果を上げるべしと言うのはいかにもなるほどとうなずかせるものがあるし、語呂もいい。

 

 しかし素直でない私は、見たって見えていない人をたくさん知っているし、見て考えたように言っている人が、見る前に思い込んだ眼でしか見ていないし考えていないことがあるのを知っているから、このことば全体そのものになんとなくうさんくささを感じてしまう。

 

 人は見たくないものは見ないもので、朱建永氏がいくら新疆ウイグル自治区に行ってみてくれば、欧米が非難するような人権侵害がないことがわかる、などと喚いても、あるものがあるように見える人の入国を中国が認めるわけはないのだし、朱建永氏のような人がもし新疆ウイグル自治区に行っても、ないことになっていることはないとしか見えないだろうと思う。バッハ氏などその典型ではないか。

 

 現代はVRの時代だが、もともと人はなかった時代にもVRを幻視してきたものだ。VRとは仮想現実なのだから。映画『マトリックス』のように仮想現実のその向こうを見るために、意識を覚醒させてよく見てよく考えることが必要であることだけは確かなことだ。

 この項は、いつもブログを拝見している方の、数日前のブログを読んでぼんやり考えていたことをあらためてまとめてみたものだ。

ようやく予約ができた

 ワクチン接種の案内が来たので、市のホームページから三回目のワクチン予約をしようとしたが、どうしても予約することが出来ない。手順に従って必要な項目を入れても予約可能日の候補が表示されないのだ。満杯なのかと思ってしばらく間を置いて二度三度しても、ちっともらちがあかない。市役所に電話予約しようかと思ってはたと気がついた。

 

 グーグルから開いているからではないか。試しにマイクロソフトのエッジから開いて同じ作業をしてみたら一発で予約が完了した。案内のどこにもそのような注意書きはないが、ホームページのなかに、よく見ると「LINEかIEから出ないとうまく予約できないことがあります」と書かれているではないか。前回、一回目二回目のときにはグーグルからで問題なかったのにどうしてこんな面倒なことになったのか。確定申告もIEからでないと申告できないのだ。年金暮らしの低所得であり、入院中の妻のおかげでもう確定申告は不要だからいいけど。

 

 意地を張らずにLINEを始めようかなあ。

雪はまだ

 愛知県の我が街にも大雪警報が出された。積もるかどうかもわからないのに大雪警報とは雪国の人には笑止千万だろう。今このブログを書いている夜明け前の時点では、まだ黒い雪雲が流れているのが見えるだけで雪は降っていない。

 

 外に出たくない天気を予測して買い出しをしておこうと思っていたのに、昨日は所用で走り回っていたのでスーパーに行きそびれた。食いつなぐものは充分あるのでどうということはないが、このところ肉が続いたのでちょっと魚が食べたかったがちょっと我慢。

 

 北京オリンピックが始まったが、ニュースで観るだけで充分。NHKは地上波もBSもオリンピックばかりになるからテレビはニュースの時間だけつけることになる。静かで好い。北京オリンピックは、習近平中国の価値観がどれだけ異質であるのか、知らなかった人にもわかる機会かと思うが、お祭りにしか目が行かない人には見えても見えないのだろうなあ。世界中でチベットの人やウイグル族の人とその協賛者がオリンピックボイコットを叫んでいる。蟷螂の斧には違いないが、その心情をもっと世界は汲むべきだろう。いままでそういうことを見てみぬふりをし続けた結果がいまの中国を生んでいるのだから。

2022年2月 4日 (金)

うっかりして

 午前中は予約していたので歯医者に行って、先週処置した歯のかぶせ物がきちんと収まっているかどうかチェックと、歯石除去などのクリーニングをして貰い、フッ素を塗って貰った。次回は三ヶ月後の定期検診となる。全てで千円あまり。

 

 昼飯のあと、妻の医療費の支払いの整理をしていて、ふと妻の保険証などを見たら、うっかりしていたことに気がついた。障害者手帳の有効期限が一月いっぱいで切れていたのだ。これがないと医療費の優遇措置が受けられない。

 

 すぐ市役所の高齢福祉課(ここが窓口となる)に行って申請しようとしたが、いま入院している病院の診断書が必要だという。単純に継続というわけにはいかないのだそうだ。そして、遺憾ながら全て書類が整ってから新しい障害者手帳が交付されるまでに、二ヶ月ほどかかるのだという。書類を提出し、県にそれを送り、県の審査があり、認定されて初めて交付されるからだそうだ。

 

 とやかく言っても仕方がない。まず妻の病院に行って主治医に市の指定の書類の書き込みと診断書を貰わなければならない。すぐ病院まで走る。診断書が出来たら連絡をくれるように頼んだが、たぶん一週間くらいかかるだろう。それから正式の申請をして二ヶ月。そうなると二月の支払いと三月の支払いは減額がない金額の支払いとなる。病院の女性が「継続で遡っての交付になるといいですね。難しいとは思うけれど頼んでみなさい。認められればあとで払い戻ししますよ」と言ってくれた。

 

 連絡の来る書類と来ない書類とがあるとは聞いていた。障害者手帳については連絡がないことを思い知らされた。次回(二年後)は気をつけよう。

ゼロコロナの果て

 方法の是非はとにかく、中国のゼロコロナへの執念はすさまじく、完璧とはいえないまでも功を奏していることは間違いない。世界最大の人口を抱えながら他の国よりも桁違いに感染者が少ないのは、出発時点での武漢はともかく、隠蔽によるものではなさそうだ。

 

 中国以外(北朝鮮は別として)の国はほとんど新型コロナ感染を食い止めようとしても如何ともしがたく、蔓延が行くところまで行ってしまってウイルスが勢いを止めるのを待つしかないというのが実態であるように見える。罹る人は罹り、罹っても症状のない人は検査を受けなければ感染者にカウントされていないと思うから、国民全てがウイルスを浴びている状態になりつつある気がする。

 

 その結果として新型コロナはインフルエンザと同じレベルの感染症ということで落ち着き、社会は対策を次第に緩和して、パンデミック以前の世界が戻ってくるだろう。いつまでも緊急事態を続けることは出来ないのだ。人々はワクチンや治療薬、そして感染による免疫の獲得で新型コロナに耐性を持つことになる。そして必ず来るであろう次のパンデミックに対して、今度はそれなりの準備を整えることになるだろうと期待する。

 

 ところでそうなるとゼロコロナで感染を免れている中国国民はどうなるのだろうか。彼らは感染していないはずだから免疫は獲得していない。一度あの完璧な規制を緩めて感染が始まれば、燎原の火が拡がるように瞬く間に感染は拡がるだろう。そうするといつまでたっても規制は緩められず、世界との人的交流は制限を受け続けることになる。

 

 どうするのかなあ。

 

 ただ、中国のワクチンはmRNA型ではなく、不活性ウイルスを投与して免疫を作らせる古いタイプのワクチンである。もしかすると、それが全国民に免疫を持たせることに働くかも知れない。そうだといいね。

ささやかな達成感

 私は画面で文字を読むのが苦手で、印刷物の方が少し頭に入りやすい。だからネットで調べたことやネットニュースなど、いろいろなものをとりあえずプリントアウトする。印字用の紙はありがたいことにとても安いので、あまりもったいないと思わずにすむ。

 

 そうしてプリントアウトした紙がたくさん溜まる。裏側ももちろん使う。その中からまだ裏の白いものをひとつかみ取り出し、半分にしてクリップで挟んでメモ用紙にする。なにしろ頭に浮かんだことは右から左へ忘れてしまい、だいじなことを忘れた気がしてもふたたび浮かぶことがなかなか困難なニワトリ頭としては、浮かんだらその場でメモをするように心がけている。メモを見ても、時間が経つといったいなにを言ってるのかわからないものもしばしばあるが、それは仕方のないことであきらめる。

 

 メモにはその日にするべきこと、片付けることなどを書くものと、思いつきや読んだ本やテレビやネットの情報から連想したことなどを忘れないためにただ書き留めるものとの二つがある。ずっと残したい情報は別にノートにきちんと書くことにしているが、たいてい面倒くさくてノートまでたどり着かない。

 

 その日にしたいこと、すべきこと、出来たらいいなと思うことを朝、メモに箇条書きに書き出すのは現役時代から続けている私の習慣である。現役時代はどんどん増えて、二十も三十もになった。夕方片付いたものに処理済みとして抹消の線を引いていく。それがささやかな達成感につながる。そして処理しきれなかったものは翌朝に新たに書き直されていき、いつまでも残ったものはどうして残り続けるのか考えて、無理ならなかったことにしてしまう。

 

 さいわいいまはそこに書き出されるのはたわいない些事で、箇条書きもせいぜい十件ほどだ。それなのにそれが片付かない。片付けられないのではなく、片付けられるのに横着をして先延ばしをしているからだ。しかしそこで自分を責めても始まらない。そうして自己嫌悪に陥るとますます意欲を失ったりする。

 

 そこで一つのことをもう少し細分化して書き出すようにした。なにしろ案件が少ないからスペースはいくらでもある。手順をわけて、書かなくてもいいことまで書く。そうすると全部終わらなくても抹消の線を引く項目がグンと増えることになり、なんとなくささやかな達成感が得られて快感なのである。

 

 自分をなだめて働かせるにもいろいろ工夫が要るのである。

2022年2月 3日 (木)

批判ばかりではない

 数日前に、立憲民主党の吉田衆議院議員が、毎日新聞に「立憲民主党は決して批判ばかりではない。必要な法案の成立には協力してきたし、国会論戦には是々非々の姿勢で臨んできた。しかし実際とは異なって、野党は批判ばかり、と受け取られた」と語ったらしい。重ねて、「立憲の姿を正しく伝える発信力が不足していたことは反省しなければならない」とも語ったそうだ。

 

 法案の成立する割合が高いのは事実であり、批判して反対したものは一部だけであるようだから、吉田議員の言うとおりなのだろう。

 

 ではどうして批判ばかりしていると多くの国民に受け取られるのだろうか。それはマスコミが、反対したり批判したことだけを報じているからであることが大きく影響していると思う。是々非々の姿をマスコミが報じたことは、ないことではないけれど聞くことは少ない。野党も賛成しました、というのはあまりニュースとして値打ちがあると思われていないのだろう。つまりマスコミは政権批判こそが自分たちの役割であり、野党もそうであるべきだと考えているからなのではないか。

 

 そうして野党はマスコミ情報をもとにして政権批判をした姿を国会論戦や予算委員会での論戦で見せていた。つまり野党もそのようなマスコミを利用して国民にアピールしていたのだ。

 

「発信力の不足を反省する」というのなら、これからはマスコミ頼りを控えて独自の力で問題点をえぐり出し、目先の党利党略のことではなく、日本の国、日本の国民のためにいま自分たちがなにをなすべきか考えた上で語るように努力すれば、自ずから支持が集まるはずだが、それだけの志と力のある顔が浮かばないのは残念なことである。いるけれど見えないのか、そもそもいないのか知らない。

 

「発信力が不足していた」というのはそのとおりなのだが、過去の枝野氏や福山氏などの語り口を思い出すと、本音は「発信しているのにそれを理解できない(愚かな)国民」という風に聞こえたのは、私の偏見か。正しいことをいっているのに伝わらないのは、受け手の問題だという風に聞こえるのである。しばしば国民の方が悪い、という風に聞こえて仕方がなかったのだが・・・。

浅田次郎『天子蒙塵 二』(講談社)

 舞台は1930年代の満州。満州国の建国、それに関わる日本国の軍部、関東軍と日本の参謀本部、そして清帝国の復辟を期す溥儀とそれに関わる面々、爆殺された張作霖とともに北の大地を走り回った漢(おとこ)たち。それぞれの思惑、理想と志が錯綜する。

 

 還我河山  我に山河を返せ。

 

馬占山は壁に大書した悲痛なことばを残して満州国を去り、北でふたたび日本との抵抗戦を開始する。

 

 折から国際連盟のリットンを代表とする調査団が満州国の存在の理非について調査にやってくる。大義のために節を曲げて満州国に参与する梁文秀、その妻は玲玲(リンリン)。春児(チュンル・『蒼穹の昴』の主人公)の妹である。そしてこの兄妹の兄は張作霖と東北の野を駆けた李春雲であり、いまは北京に身を潜めている。

 

 いままでの長い長い物語(『蒼穹の昴』、『珍妃の井戸』、『中原の虹』、『マンチュリアン・リポート』、そしてこの『天子蒙塵』と続いている)の登場人物が、この巻でも交錯していく。それぞれの人にとっての歴史が描かれながら、複層的にそして必然的に時代は進んでいく。

『よみがえる新日本紀行』と古い地図

 私が高校生のころ(昭和四十年代初め)、我が家もようやく余裕ができはじめた。そのころ私の希望で百科事典を揃えた。小学館の世界原色百科事典という、十数巻もある場所塞ぎの代物で、せっせと眺めていたのは私だけだった。数年前に母の死をきっかけに弟が実家を改装するので、その百科事典も処分することになった。私がこれだけ残して欲しいと言って貰ってきたのは、日本分県地図というA3サイズの大判の地図(昭和四十二年発行)である。

 

 そんな古い地図は、街の名前がどんどん変わっていて、いまは役に立たないと普通は思うだろう。逆なのである。私の記憶している基本の地名はこの地図にある地名である。そして現在の地名と対比させるには古い地図がなければ正確にわからないのである。

 

 昔放送したNHKの『新日本紀行』を『よみがえる新日本紀行』としてときどき放送している。昭和四十年代から昭和五十年代前半ごろのものが多い。あの頃はこんな風だったなあ、と思い出にふけるのにまことに好い番組で、しかも最後に同じ場所の現在もレポートしてくれているので楽しみに観ている。その時に役に立つのがこの古い地図なのである。私の頭の中の記憶と地図と映像が重ね合わされる。

 

 古い地図は失われればそれきりで、私はこの貴重な地図を頼りに、過去に旅することが出来るのである。

2022年2月 2日 (水)

俳諧師の頓智

 『茶話 中』から。

 

 いつ頃だったか、ちっとはっきりわかりかねるが、長崎に素行という俳人がいた。ひどく行脚好きで暇さえあればのんきに旅に出歩いていた。その昔芭蕉は頭陀袋に杜詩と山家集と普門品を入れていたそうだが、素行は支那人や観音様に会っても、むつかしい話の仕様を知らなかったから、懐中にはいつも俳諧七部集を一冊ねじ込んでいるに過ぎなかった。
 あるとき田舎道で日を暮らしたことがあった。ちょうど冬のさなかで、寒さは無遠慮に俳諧師の背筋から懐中から入ってきた。素行はべそを掻きそうな顔をして、野道を急いだ。すると、やっと一軒の百姓家が見つかった。俳諧師は石のように冷たい拳をあげて門の戸を叩いた。
 戸はなかから開けられて、ぼろっきれのようなしわくちゃな婆さんが、闇の中からうっそり顔を出した。
「旅の者でござる。申しかねるが一夜の宿をお借りもうしたい」
 素行は木の葉のように寒そうに身体を震わせた。婆さんは闇を透かしてうそうそ旅人の容子を嗅ぎ分けるらしかった。
「坊さんかの。坊さんならお泊め申すほどに」
 婆さんは口のなかで呻くように言った。
 俳諧師はそれを聞き逃さなかった。
「そうともそうとも。わしはその行脚坊主ぢゃ。坊主ぢゃほどによろしく頼む」
 早口にこう言いながら、婆さんに安心させるように頭巾を取りのけて見せた。なるほど頭は円かった。
 素行は奥へ通されて、まず仏壇の前へ座らされた。婆さんは亡くなった爺さんの回向が頼みたかったのだ。俳諧師はてんで経文を知らなかったので、ひどく当惑したらしかったが、ふと気付いたのは懐中の七部集であった。そして作者の名前をはじめから順々に読み下した。
「其角(きかく)、嵐雪(らんせつ)、去来、丈草、野坡(のば)、杉風(さんぷう)、北枝、凡兆、支考・・・・」
 こう言いながら、ときどき思い出したように鉦を鳴らしたものだ。婆さんはおかげで亡くなった爺さんが浄土に生まれ変わったもののように涙を流して喜んだ。そして温かい粥と温かい夜着を恵んでくれた。

 

 これを読んで、くすくす笑い出さない僧侶がいま幾人あるだろう。彼らは言うに相違ない。
「なんといってもやはり俳諧師でござるな。することがちゃんと仏様の法に合っているから面白いて」。

薄田泣菫『茶話 中』(冨山房百科文庫)

 出版社の冨山房(ふさんぼう)は明治19年設立の老舗出版社。冨山房百科文庫は、点数は少ないが魅力的な書名が列んでいる。今のところ私が持っているのはこの薄田泣菫『茶話』の上中下三巻と、佐藤春夫『退屈読本』上下二冊、そして石川淳『夷齋筆談』のみである。『退屈読本』は既読、『夷齋筆談』は読みこなすには私の素養が不足していて、四分の一ほど読んで読みかけのまま先へ進まずにいる。森銑三の『おらんだ正月』なども含まれるが、私は冨山房ではなく岩波文庫版で読んで棚にある。おもしろいから機会があれば読むことをお勧めする。

 

 この『茶話 中』を数ページずつ、それも週に二三回折にふれて読み続けていたから、上下二段350ページほどのこの本を読み終わるのに数ヶ月かかった。おもしろいことに、ページが上巻から通しになっているので、この中巻の最終ページは697ページである。下巻の最後は1000ページほどになる。

 

 ときどきわかりやすそうな(大正時代のコラムなので、時代背景が見えないと、どこがおもしろいのかわかりにくいものが多い)ものを選んでここに引用してきた。次の下巻を読了するのはまた数ヶ月後になると思う。

 

 引用しようかと思うところに付箋をさしてあるが、次回はそれを一つ取り上げることにする。

割らなくなる

 むかし一緒に暮らし、あるときから長いこと別々に暮らし、いまは病院にいる妻は、なにをやるにも丁寧なのだが、そのぶん時間がかかった。そんな性格なのにどういうわけか食器をよく割った。揃いの食器が次々に不揃いになっていくのに少々呆れたものだ。

 

 私はせっかちだが、ほとんど食器を割らなかった。割るとしても数年に一度のことだった。子供たちを男手ひとつで育てたから、洗い物をしなかったわけではない。毎日洗い物をしていた。それでも割ることはめったになかったのだ。その私が七八年前からときどき食器を割るようになった。最も残念だったのは、敦煌で買ってきた夜光杯の杯で、石を薄く薄く削って光が透けるほどにした濃緑色の杯である。手に入れようと思えば手にはいるのだろうが、敦煌へ行った記念だから、取り返しがつかないのである。

 

 もうひとつは、韓国で買った青磁の広口の杯である。最もお気に入りのもので、銘酒はこの杯で飲むことが多かった。先日娘に、あの杯は?と訊かれたときには残念に思った気持ちをまた思いだした。娘は私がその杯で飲むものと思っていたようだ。

 

 ついには二三ヶ月に一度、食器を割るようになっていた。避(よ)けたつもりがどこかにあたってしまうのである。躓くときと同じである。まともに割ることより、ふちがちょっと欠けるようなことが多い。捨てようかどうか迷う。

 

 それがこの数ヶ月、ほとんど割ることがなくなった。不思議なことのようでもあるし、自分はむかしとちがって危ういのだ、という自覚がようやく頭に染みついたということかも知れない。そういえば、躓くことも以前より減った気がする。横着をせず、足元にあまり物を置かず、あぶないときは避けるようになっている気がする。

 

 それでも割ったり躓いたりがまた増えたら、その時は覚悟がいるのかも知れない。

2022年2月 1日 (火)

いつまで続くか

 一月は、ずいぶん久しぶりに十冊以上の本を読んだ。現役時代、仕事で忙殺されていたときでも十冊を切ったことがない私が、暇だらけなのに月に十冊以下しか読めないなどというのは自分でも信じられない。リタイアしたら一日一冊、年に三百冊くらいは読めると確信していたのに。

 

 ありがたいのは、月に数万円の書籍代が、いまはあまりかからなくなったことである。読んでいない本、もう一度読みたい本が数百冊あって、ほとんどはすでに手元にある。それでも書籍の情報は集めているから、どうしても欲しい本のための本代は若干必要である。ネットで調べられるのはむかしにくらべればたいへんありがたい。

 

 棚にあるいまの本が生きているうちに読み切れるとは思えないが、いま読みたい本がそこにあるのは私にとって天国である。その気持ちは本好きでなければわからないかも知れない。眺めているだけでしあわせなのだ。

 

 以前は、本を処分することなど思いもよらなかったが、リタイアしてからどんどん処分を進めて、いまは一時期の三分の一の四、五千冊になっている。なにしろ大切に集めた池波正太郎や宮城谷昌光、葉室麟、宮本輝その他の本も、いまは一割か二割くらいにしたほどである。

 

 読むペースが落ちるのは哀しい。読むのが遅くなったのは仕方がないが、読みたいという意欲が減衰するのが哀しいのだ。それが久しぶりにページをめくることがもどかしいという気持ちになった。読んだら処分するつもりの本の中の、おもしろそうな順番に片端から読んでいこうと思っている。

 

 あたりまえだが、代わりに映画を観る暇がないし、見る意欲も低下している。しばらくは録画だけするつもりだ。いつまでこの状態が続くだろうか。

ダメだと思った

 昨日のBSフジのプライムニュース(録画して翌日観ることにしている)で立憲民主党の泉代表がいじられていた。なにを目指してそのために何をしようとしているのか、ほとんど見えなかったというのが私の全体の印象であった。それは、そもそもいままでの立憲民主党がそうであったということでもあり、泉代表以下の新執行部になっても変わらないらしいということで、泉代表は繰り返し問われ繰り返し否定していたが、旧執行部や党内左派の力が相変わらず強くてその声に従うしかないのだなあと思わせた。

 

 泉代表はいまの立憲民主党の立ち位置を堅持しつつ、もう少し右寄りにも支持を伸ばしたい、などと語り、失笑を買っていた。それは夢であり、夢を語るのはけっこうだが、夢を理想に変え、さらに実現に向かうためには具体的ななにかを提示して見せなければならない。今のところ手足をがんじがらめにされながら夢見ている青年にしか見えなかった。

 

 先の衆議院選挙の敗北についての立憲民主党の総括が出されたのは選挙が終わって三ヶ月も経ってからだった。どうしてこんなにかかったのか弁明に努めていたが、原案からさまざまなものが削除されていて、削除された部分にこそ総括の意味があったようにも見える。旧執行部に削るように指示されたのではないかと推察する。そんな風に言いたいことを一部の顔色をうかがいながら修正を加えたことで、結局問題点がなんだったのかわからない総括となっている。

 

 泉代表という人がその役割にふさわしいとはとても思えなかった。そこにあるのは日本という国をどう舵取りすべきかという視点を持つ能力のない青年の姿だった。視点はあるのだろう、ただそれは絵空事の、現実とは遊離したものに見える。党を改革しないでどうして支持を回復できるというのか。党内左派長老たちにものも言えずにどうして自民党と対峙など出来ようか。場合によっては党を割るくらいの覚悟もなしにこの難局など打開できるはずがないではないか。

 

 普通は前回の選挙に対しての揺り戻しがあるものだ。前回の衆議院選挙で自民党が勝ったから、今度の参議院選挙では野党に少し票を入れようか、という人は少なからずいるものだ。しかしいまの立憲民主党に投票しようとする人が増える気がしない。なにしろ戦略どころか戦術もないようだから。今のままならさらに衰退し、こころある人は党を出て行き、泡沫党に転落していくだろう。

お務め

 私の住むマンションは完全自治のマンションで、専門管理業者は一切関与していない。十軒あまりで一組に分けられていて、四棟六十組ほどある。その各組の組長は一年ごとの回り持ちで、その組長から役員が選ばれる。

 

 その組長の役が私に回ってきた。十年に一度のはずだが、固辞する家などがあり、七年に一度くらいで回ってくるのでそろそろであると覚悟していたから、つべこべ言わずに引き受けた。これで月に一度集会に参加しなければならないし、いろいろな行事の役割もすることになる。正月、夏祭り、運動会、中庭の掃除などなど、けっこう本格的にやるので時間はとられるが、それも集合住宅に住む上でのお務めである。

 

 ただ役員になると大変な手間がとられるので、それだけは断るつもりでいる。ほとんどまとまって旅に出ることなど出来なくなってしまうほど大変なことは知っているのだ。

 

 さあ四月から一年間、お務めを果たすことにしよう。

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