考えたことと考えること
昨晩のBSフジのプライムニュースは、浅田彰氏と先崎彰容氏がゲストで、その次々に繰り出されることばに、知性というのはこういうものなのだなあと感じた。この番組は、録画したものをよく1.5倍速にしてCMを飛ばしながら観ることにしている。早回しで聴き取りにくくなるから音量も二段ほどレベルを上げる。二人の話は中身が濃いしので、そのことばにこめられたものを考えているとどんどん展開してしまって聞き逃したことが多かったのは残念だった。早回しにしなければよかった。
記憶に残ったのは「偽善」と「露悪」というキーワードをとりあげて世相を批判していたことで、これは浅田彰氏、先崎彰容氏がともに今は亡き西部邁氏のことばを回想した上のものだ。浅田彰氏はマスコミに出ないことを信条としていたのに、少し前、この番組で石原慎太郎が亡くなったときの回想シーンで西部邁氏との対話を見て、つい出演を引き受けてしまったのだという。世のなかが白か黒か、正義か悪か、百点か零点かで論じられていることを最も危惧批判していたのが西部邁氏だった。
現代はますます知性が低下して、そのように極端化してものを語る。そのほうがわかりやすいけれど、それは知的振る舞いとはいえず感情に流されやすい。自分の感情に適合する情報だけを集めて、さまざまに情報を網羅したと錯覚するのは知的とはいえない。反対の情報も、たとえばいまならプーチンの言い分についてもきちんと考えて認識した上でウクライナ問題を考えなければならない。そのためには歴史も知らなくてはならないし、ものごとの両面を観る冷静さも必要だ。反省させられる。
先崎彰容氏が51点と49点の状況に耐える知性というような言い方をしていたのが印象的だ。浅田彰氏は○か×は×だ、という面白い言い方をしていた。この二つの×は次元の違う×である。あとの×は一つ次元が高い。
「考える」ということは、他人が考えたことを取り込むことではない。それは誰かが「考えたこと」であって、自分が考えたことではない。自分の頭でちゃんと考えること、そのことについて二人は再三にわたって教えてくれていた。この番組で二人が語ったことを文章で読み直してみたいなあ。それなら聞き漏らしがないし、判らないことは繰り返し読み返すことが出来るのに。
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