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2022年3月12日 (土)

なにかを連想しないか

 宮城谷昌光の『三国志』の第三巻を読んでいる。第一巻、第二巻は後漢の朝廷が、外戚や宦官による弊害で衰微していく様子を詳細に記している。第三巻ではついに董卓、袁紹、曹操などが登場してくる。

 

 この中からちょっとだけ引用する。

 

 董卓は冷酷であるが冷静でもある。
 洛陽という大都に戦略的価値がないとみなせば、棄てるだけである。
 これでしばらく河内(かだい)と潁川(えいせん)から洛陽をうかがう者があらわれない、とおもった董卓は、まっさきに献帝を出発させて長安にむかわせた。長安は焚滅した都であり、残っているものといえば高祖廟と京兆尹(けいちょういん)の府舎だけであり、哀れなことに献帝はそこにはいることになり、あとで未央宮(びおうきゅう)に移る。董卓が強制的に移らせたのは、皇帝と官吏だけではない。洛陽に住む百万の民を、兵を使って追い出して西へ向かわせた。董卓の目には、民も羊にみえるのであろう。羊の群れを犬をつかって移動させる風景が董卓の脳裏にひろがっていたかもしれない。百万人の移動は、酸鼻そのものであった。旅装をするひまなくひきずりだされ、追いたてられたかれらは、沓(かさ)なり踏みつけあい、飢え、寇掠(こうりゃく)されて、続々と斃死し、路は屍体で盈(み)ちた。
 董卓は富家とみればのこらず捕らえ、罪を衣(き)せて、財産を没収した。そのため無実の罪で死んだ者はかぞえられない。
 ---人がいなければ、建物は必要ない。
 董卓は兵に指図をあたえて、洛陽城外百里を焼尽させた。また、董卓はみずから兵を率いて、無人となった宮城の南宮と北宮に火をかけ、城外の建物をことごとく焼きはらった。
「掃地殄尽(そうちてんじん)」
とは、まさにこのことであろう。
 かつて梁鴻(りょうこう)に歌われた、崔嵬(さいかい)たる宮室は、天にとどく炎のなかでくずれ落ちた。 更に董卓は累代の皇帝の陵へ呂布を遣り、その陵をあばかせ、公卿の冢墓(ちょうぼ)からも珍宝を盗ませた。
(後略)

 

 劉邦を高祖とする漢は、都を長安においた。王莽の簒奪(さんだつ)により一度滅びた漢は、光武帝により再興され、戦乱で灰燼に帰していた長安から、都は洛陽に移された。長安時代を前漢といい、洛陽が都だった時代を後漢という。献帝は後漢最後の皇帝で、後に曹操の起こした魏の国で生涯を全うした。

 

 この部分を読んでいて、なんとなく董卓がプーチンに、洛陽を追われる民がウクライナの国民に思えてしまったのだ。

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コメント

最後のOKCHANさんの言葉・・・プーチンとウクライナの人々と重なる。

読みながら、私も同じことを考えていましたから、我が意を得た感です。
今 中国の宮廷ドラマにはまって見ています。
その中で・・・皇帝とか上に立つものは非情でなければいけない!!!。
優しさを持ったものは皇帝には向かない・・・と言っていました。

今の時代はそのような人を必要としなくなってきていると思います。
早くウクライナが平和になればと祈るばかりです。

マーチャン様
コメントをありがとうございます。
皇帝によりますが、多くがほとんど自分の意志も持たず、他人に対する配慮をする神経も持ち合わせていなかったようです。
君子はそのように教育されましたから。
だから取り巻きが権力を壟断することが多かったのです。
珍しく清朝では途中まで英邁な皇帝が続きました。
最後はご承知の通りです。
たまたま皇帝がおかしな意志を持つと、困った結果を生むのは、習近平やプーチンを見ればよくわかります。

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