もう一度
ただいま私自身のリセット中で、一回で済むか、数回必要なのかは不明。
『一期一会』という言葉が好きなくらいだから、人生に「もう一度」はないと頭では承知していても、つい忘れていることが多い。旅から帰ったあとで、見残したこと、し残したことを思って「もう一度」、と思う。本を読みながら、その場その場でじっくりと考えたい、想像の羽を広げたいと思いながら、興にまかせて読み進んでしまい、あとで「もう一度」読もうなどと思う。
その「もう一度」が叶うこともあるけれど、海外旅行などでは難しいことがほとんどだ。だからテレビの旅番組などで、一度行ったことのあるところを観るのが好きであり、そしてガッカリすることも多い。観ればなつかしいから心が躍り、楽しいのだけれど、たいてい自分がここにも行けばよかった、どうしてそこに行かなかったのだろう、という場所が出てくるもので、それを観て「もう一度」が叶わないことに気がつき、哀しい思いがするのだ。
このごろは「もう一度」読みたかった本を読むことが多い。手持ちの頭が粗雑だから、「もう一度」読むと新たに読んだとほとんど同じように楽しめてありがたいのだが、読書のスピードがここ数年、どんどん落ち始めていて、「もう一度」の山が増えるばかりである上に、再読三読の本に「もう一度」の思いが残ってきりがない。書いた人ほどの思いを持って本を読むなどということはできるはずもなく、それでも心残りを重ねている。
ただ、ドン・ファンのように新しいもの(つまり女性)に理想を求め続けるという生き方はしてこなかった。観たいもの、知りたいものは見逃したものの中にこそあるのではないか、というのが今の心境である。
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