映画『麦子さんと』
2013年、堀北真希主演の映画。麦子(堀北真希)は兄(松田龍平)と二人暮らし。貧しいけれど当たり前に、淡々と暮らしていた。ある日バイト先から帰宅すると、玄関口で知らないおばさんと兄が何やら言い合っている。兄は迷惑そうに、「帰れ」とその女性に言う。その女性は麦子を見て「麦子・・・」とつぶやいたあと、去って行く。
その女性は兄妹の母親(余貴美子)だった。麦子は幼い頃に別れているので顔を覚えていなかったのだ。その女性が来た用件というのが、一緒に暮らしたいというものだった。いまさら母親と言われても、と兄も麦子も戸惑うばかりだったのだが・・・。結局母親は一緒に暮らすことになり、そして兄は付き合っている女性と同棲すると言って出て行ってしまい、麦子と母親の二人暮らしが始まる。
映画の冒頭は白い風呂敷につつまれた骨壺を抱えて、駅に降り立つ麦子の姿を撮したシーンから始まっているのだが、その骨壺の主は誰か。
ついに「お母さん」と呼ぶこともなく、ほとんど他人として死んだ母親のふるさとに、納骨のためにやってきた麦子が、そこで母親を知るさまざまな人たちに出会うことで経験する出来事と、それによって彼女の心に起きることを描いているのがこの映画だ。ときに他人を傷つけ、自分が傷つき・・・、自分の存在の意味を知っていく。
失って初めて知ること、気づかなかった自分の思いなどが、麦子を通して胸に迫ってくる。なかなか好い映画だった。兄役の松田龍平の、一見冷たそうな態度や無造作に投げつけることばに、麦子に対してのそれなりの愛情が感じられてくる微妙な演技が素晴らしい。だからこそ麦子は文句を言いながらも兄に反感を持ったりしないのだなあ、というのがわかってくる。
いま志賀直哉の母親の銀に着いての文章(阿川弘之)を読んでいる。赤ん坊のときに母親と引き離されて、祖父母に育てられた志賀直哉が、次第に母への思慕を膨らませていき、自分にこどもが出来てさらにその思いが深くなっていく。銀は若くして亡くなっている。
ドラマ『北の国から』でも、純と蛍は母親と別れ、ほどなくしてその母親も死んでしまう。母親を喪うということがどういうことか、そのことが彼らがまだ小学生のころの背景に常に心象としてある。私がそれに感情移入するのは、同じような年齢の頃に、私の息子と娘が母親と別れて暮らすようになったことも大きい。彼らももう二十年近く母親に会っていない。
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