自分が心配
毎日せっせとブログを更新している。我ながらよく続いていると思うが、書き慣れたおかげで書くのにかかる時間はかなり短くなっている。書くのが楽しいから書いているのだが、それでもくたびれることもある。好きで書いていてもくたびれるのだから、こんな駄文を読む側は、それ以上であろうと申し訳なく思っている。それでも読んでいただく人がいるのはありがたいことである。
本を読んだり、映画を観たり、旅に出たりしたことをブログに書く。どれも私の好きなことだ。意識しているのは、それぞれを楽しみとして愉しむことで、ブログを書くために愉しむということのないようにしたいということだ。ブログのネタにするために本を読むなどということは本末転倒で、本を読むこともブログを書くこともなんとなく楽しさが失われてしまう気がする。そう思いながら、ブログを書くために本を読まされているという気がすることがないではない。
ときどき同じことを書いてしまう。書いたあとで読み直してそれに気がつく。そんなことが増えている気がするが、その時には初めて書いているつもりであって、思い出せていない自分に不安を感じたりする。
物忘れをすることは昔から多かったが、些細なことを忘れるのであって、忘れるはずのないだいじなことを忘れたり、思い出せなかったりすることはめったになかったのに、いまはそれもあやしい。先日も長老や兄貴分のひとと旅行したときに携帯を宿に忘れるところだった。宿の人がすぐに気がついてくれて事なきを得た。役所に提出する書類を忘れて役所に行ったり、財布を持たずに買い物に行ったりする。まだレジの前ではなかったので、恥ずかしい思いをせずに済んだ。サザエさんか。
そのために却って不安神経症気味になっている。鍵を忘れていないか何度も確かめる。財布を持っているかどうか何度も確認する。出かける前の確認のためのルーチンがしつこくなっている。それでも忘れるのだから自分が心配になる。
つい先日は傘を忘れかけたし、今朝は手元のお茶の入った湯飲みをひっくり返して周辺を水浸しにしてしまった。ときどきうっかりする。これが、ついにはときどき神経がつながる、なんてことになってしまうのだろうなあ。気にしすぎかなあ。
こんにちは~
いつも素晴らしい考えの元の文章力に凄さを感じています。
当方はコメントを出来る能力もなく、ただただ読ませて頂いています。
投稿: でんでん大将 | 2022年6月17日 (金) 13時00分
でんでん大将様
そろそろパソコンは復帰しましたか。
コメントは出来ていませんが、貴ブログを極力拝見しております。
父が山形生まれで東北には思い入れがありますし、鳥海山をときどき見ることが出来るのを楽しみにしています。
久しぶりに東北に行きたいです。
投稿: OKCHAN | 2022年6月17日 (金) 14時55分