牛に引かれて・・・
いま七年に一度のご開帳で、善光寺は賑わっているようだ。善光寺といえば「牛に引かれて善光寺参り」ということばがある。子どものとき、布教のためのパンフレットの漫画で読んで記憶している。神も仏も信じていないお婆さんがいた。牛が庭に干していた布を角に引っかけて、とことこ逃げていくのを追いかけ追いかけしていく。牛がおばあさんを導いたのは善光寺だった。このことがあってからお婆さんは信心深いお婆さんになったという。
昨晩は寝床でアリス=沙羅・オットの弾くピアノ曲を愉しんだ。グリークのピアノ協奏曲、それに「ペールギュント」、小品集などが収録された「ワンダーランド」というアルバムだ。そもそもグリークなんて、中学生時代に音楽の時間で知った以外何も知識がない。それがとても素晴らしい作曲家だと知ったのはアリス=沙羅・オットのピアノを聴くようになったからだ。
前にも書いたようにこどもの頃、祖父母の家の向かいにピアノの先生がいて、いつもショパンの曲が流れていた。私は音楽がちっともわからなくて、だから縁もなかったけれど、大学に入ってクラシックの好きな先輩に無理やり繰り返し聴かされて、いろいろ知識も教えられてFM放送のクラシックをときどき聞くようになった。
そうして新しもの好きだからハイレゾ音楽を聴くようになったとき、アリス=沙羅・オットのピアノに出会った。ピアノ曲の素晴らしさ、とくに静かな曲の美しさを知ったのは、彼女とハイレゾ音楽のおかげである。
なにが牛だったのか。いろいろな牛に引かれ引かれて来た。音楽ばかりではなく、本でもさまざまな牛に引かれて世界がひろがり、知らなかったことを知ることが出来た。敬愛する森本哲郎に導かれて、蕪村を知り、俳句の世界を知った。最近は鬼の話から古典の説話集の面白さを深く知るようになったりした。まだまだ知らないことだらけで、しかも知ったとしても低レベルである。それをさらにレベルアップすることがまだ出来ると信じている。まだまだ面白いことはたくさんある。
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