不義理
中元歳暮を何軒かに贈り続けていたけれど、ひとつ減り、二つ減りして、いまも続けているのは一軒だけになった。今度の夏も送るつもりだが、金銭的な負担がたいしてあるわけではないものの、そろそろ終わりにしようかと思っている。いろいろ考えて、冬の歳暮を最後にすることに決めた。
付き合いというのは社会生活上だいじなことであると思う。思うけれど、年齢とともにその付き合いの範囲を限定していくのも自然の成り行きかと思う。
十年近く前に、色々ないきさつから妻の実家とその係累との付き合いが薄れていくことになった。義母の死とともにほとんど往き来もなくなってしまい、消息もわからない。入院している妻についても、ことばは悪いけれど、妻の兄は彼女を見捨てたように見える。もうそのことについてはさっぱりあきらめているけれど、唯一多少は気にしてくれていたはずの妻の姉からも、なんの連絡もなくなったことは残念でないことはない。妻の状況を知らせても何の反応もなくなってしまってしばらく経つ。
去る者は日々に疎し。努力して会おうとしなければ、人との関係は薄れていく。その努力する元気が年齢とともに衰えていくのであるから、会いたくなる人としか会わないようになっていき、そうでない人とは不義理になっていくのは仕方のないことなのだろう。正直寂しくないことはない。あと何回会えるだろう、と思う。
こんにちは
先ほどは私の駄文を見て頂き有難うございます。
私には母方の伯母が一人いるのですが母は「もうお互い何かあってもお金を送るくらいにしよう」と示し合わせたそうです。少し寂しい気もしますがこれが”断捨離”の一つのかたちなのでしょうか?
では、
shinzei拝
投稿: shinzei | 2022年6月23日 (木) 12時24分
shinzei様
私もそうだと思います。
投稿: OKCHAN | 2022年6月23日 (木) 12時46分