美の発見
川端康成の『美の存在と発見』という文章は、滞在中のハワイの、テラスの食堂のグラスに当たる光の輝きを詳細に描くところから始められている。そこには毎日同じように光が当たり、グラスはその光を反射しているだろう。しかし川端康成はその場でその美しさを発見した。美を発見するとはどういうことか、それがそのあと丁寧に語られていく。
『椿の庭』という映画がすぐれて映像的で素晴らしいと思ったのは、カメラマンでもある監督が発見した美をそこに呈示して見せてくれているからだ。海が見える、雲が湧き、流れる。雨が降り、椿の花が咲き、木々が落葉する。その一瞬一瞬の積み重ねの中に美がある。あるけれどその美を感得するのは自分であって、たいていはそれを見過ごして気がつかない。
コロナ禍もあり、いつも一緒だったF君がいなくなって、毎年恒例の海外旅行にもう行くことがなくなった。ずっと行くものと思っていたものがある日突然終わりを告げる。また行くことは可能だけれど、もうその気は失せてしまった。代わりにときどき十数年にわたって出かけたさまざまな国で撮った写真を眺めたりする。
私はカメラを向けた瞬間にシャッターを押してしまう。構図を考えたりすることはほとんどない。だからたいていへぼな写真しか撮れないけれど、意図しないものがそこに残されていることもある。そこに切り取られた一瞬に強い懐かしさを覚える。一体自分はなにを見てきたのだろう、と思ったりする。かけがえのない一瞬がそこにある。
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