« 渡良瀬橋と渡良瀬川 | トップページ | 渡良瀬鉄道足尾駅にて »

2022年6月13日 (月)

文化

 文化と文明の違いについておぼろげには理解しているつもりだが、人に説明できるほど解っているわけではない。よくわかっていない人に説明できるというのは、よほどよくそのことを理解しているということであろう。

 

 川端康成の『日本文学の美』(『川端康成随筆集』に収録)という文章を読んでいて、文化というものについて考えさせられた。川端康成の好きな藤原道長の時代の女流文学、和歌などを手がかりに日本文学の美を考え、そこから文化というものにまで思考を拡大していく。そこでは仮名文字の美しさ、そして書の美しさにも言及されていて、たまたま一時期専門の人に書道史などを教えてもらって興味のあることでもあり、川端康成の言うことが少しだけ理解できた。

 

 文化には(たぶん文明も)興隆期、爛熟期、衰退期があり、爛熟の時代に優れたものがたくさん産み出される。その時代と同レベルの人がもし他の時代にもいたとして、残念ながら時代があわなければ、優れたものを産み出すことは出来ないだろうという意見には私も賛同する。川端康成がどういうものをすぐれていると評価したのかについては置いておくとして、思ったことは、現代は文化的にどういう時代なのか、ということだ。

 

 川端康成は、この文章を書いている時点を明治百年としているから、1970年頃だろう。それからすでにまた五十年が経過している。渦中にいるとき、その時代の文化は見ることが出来ない。それを見ることが出来、評価できるのは後世の人である。

 

 そんなことを読んで、ふと考えてみるとそもそも現代に文化と呼べるほどのものがあるのだろうか、という思いを感じだ。比較すべき、そして論評すべき文化などそもそもないのではないか、そして文化の価値など誰も意識していないのではないかという思いがしている。そのことは古典や近代の文化を学ぶという、文化の継承をないがしろにする教育が続けられた成果なのだろうと思う。爛熟も退廃もない、無文化の時代をわれわれは生きていないか。それこそが日本の衰退を表していないか。そしてそれは日本だけではないような気もしている。

« 渡良瀬橋と渡良瀬川 | トップページ | 渡良瀬鉄道足尾駅にて »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 渡良瀬橋と渡良瀬川 | トップページ | 渡良瀬鉄道足尾駅にて »

2024年4月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        

カテゴリー

  • アニメ・コミック
  • ウェブログ・ココログ関連
  • グルメ・クッキング
  • スポーツ
  • ニュース
  • パソコン・インターネット
  • 住まい・インテリア
  • 心と体
  • 携帯・デジカメ
  • 文化・芸術
  • 旅行・地域
  • 日記・コラム・つぶやき
  • 映画・テレビ
  • 書籍・雑誌
  • 経済・政治・国際
  • 芸能・アイドル
  • 趣味
  • 音楽
無料ブログはココログ
フォト

ウェブページ