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2022年6月27日 (月)

最後の願望の力

 私は堀辰雄の文章をほとんど読んだことがない。その堀辰雄の死去の後、川端康成が彼の書簡集を読んで、随筆『落花流水』に記したものを読んだので孫引きする。堀辰雄が再婚するときに、再婚相手の加藤多恵子に書いた手紙の一部である。死を看取った彼に、前妻は苦しい死の床で「自分は幸福だった」と言い残したと書いている。

 

「人間の最後の願望というものは恐ろしい力を持ってるものだと、ラフカディオ・ハーンだかが書いていましたが、それは確か人を呪いながら死んでいった者の話だったと思いますが、それと反対にそれがたとい生き残った者への気休めに言ったにせよ、私たちのために本当に幸福だったと最後に言われたら、その瞬間からその生き残った者たちはこの世界に幸福というものがあるのだということを信ずるような気になると見えますね。・・・僕は元来、いろいろな本を読んできたせいか、人生に対してかなり懐疑的で、ともすれば生きていることの不幸を信じさせられてきましたが、そのときから僕は人間の幸福・・・少なくとも誰でも幸福な瞬間を持ち得るものだということを、少し逆説的にいうと、みんなのもっている不幸の最高の形式としてそういう幸福を持ち得るということを信じるようになりました」

 

 川端康成がこの引用の文章を書いているのは軽井沢の別荘で、堀辰雄の別荘はほぼすぐ隣にあって交友があったのである。川端康成がこれを引用したのは、彼なりに思うことがあったからなのはもちろんだが、なにをどう感じたのか、引用しただけでなにも自分の考えを書き加えていない。川端康成がそのような幸福というものがあると信じる瞬間があったのかどうか。そのことを想像したりした。あまりにものが見えすぎる人は、幸福というものをついに信じ得なかったのではないだろうか。

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コメント

こんばんは
先ほどは私のつまらない書評を見ていただきありがとうございます。
物事が見えすぎる人というのは、その物象の裏まで見えてしまうからそこから幸せを感じられないのでしょうか?
人間多少愚かの方が幸せかもしれませんね。
では、
shinzei拝

shinzei様
多少愚かな方がしあわせ、だと思います。
自死した作家達の見ている世界の厳しさをこのごろちょっとだけ感じています。
さいわい私は大いに愚かだから心配要りませんが、本当の幸せを感じているか、と言われると「YES」と言えません。

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