責任
原発事故による避難者の被害訴訟で、国に責任があるかどうかが争われたが、最高裁は国には責任がないという裁定を下した。法律的に検討して責任が問えないという判断を下したのだろうが、私はその判断には賛同しかねる。
判断の根拠が、大きな地震とそれに伴う津波が起こりえるから対策すべきだという勧告に対し、その勧告の予測を超えた津波だから予測できず、責任がないというものだ。予測をはるかに超えた津波であったことは事実であるけれど、だから対策を命令しなかった責任がないというのは、私には納得できないのである。勧告に従って対策を命令したけれど、予測が至らなかったからその対策が不十分だった、というならわかるが、命令されずに対策はされなかったのである。
起こったことに対して、企業と監督官庁には責任がある。その災害が予測を超えたから責任がないという判断をしていたら、責任があまりにも限定的に過ぎるのではないか。そして大津波は過去何度も前例があったことは、歴史的な事実なのであって、それが予測できなかったから無実というのはいかがなものか。責任者は責任を負うから責任者なのだということを忘れていないか。今回の判断をした裁判官たちは後世にその責任を問われるのではないか。
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