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2022年7月

2022年7月31日 (日)

金井美恵子『本を書く人読まぬ人とかくこの世はままならぬ』(日本文芸社)

 金井美恵子は1947年高崎生まれの作家。この本は彼女のエッセイ集で、PART2もある(読み始めたところ)。高校を卒業した翌年に書いた『愛の生活』で太宰治賞を受賞。その頃高校生だったわたしは文芸雑誌をときどき読んでいて、彼女の文章に出会った。

 

 彼女は映画好き、猫好きで、そのことで彼女には親和感があるが、彼女はかなり個性的というか癖があり、好みが分かれるだろう。短編をいくつか読んだことはあるが、私は熱心な読者ではない。エッセイもしばしば一つのセンテンスが延々と続く書き方で、集中して読まないとなにが言いたいのかわからずに迷子になる。

 

 とにかく右派というより保守的な人を毛嫌いする傾向があり、江藤淳などはバッサリ切って捨てられている。ただ、彼女がそうであっても、私はそういうことにはいいかげんでこだわりはないから、ややこしい感性の彼女の文章がときどきはわかるので嫌いではない。彼女が批評で取り上げる映画はほとんどヨーロッパ、特にフランスの映画が多い。ハリウッド映画にはあまり食指が動かないようだ。あまりわからないけれど気になる作家である彼女の文章からは、けっこう影響を受けているかもしれない。

 

 それにしてもこの長い題名は迷惑だ。

三度泣く

 昨晩は二度ほど喉が渇いて目が覚めたが、寝られなかったというわけでもないのに、残りの野菜スープと天ぷらの朝食を食べたあと、やたらに眠くて昼までうつらうつらしていた。身体がコロナワクチンに適応するためにガンバっているのかもしれない。

 

 うつらうつらしながら弟夫婦の夢を見た。六十を過ぎても仲のよい二人がにこにこしているという、どうということのない夢だった。もうすぐ母の命日で、例年なら実家にあたる弟夫婦の家に行って、二三日酒を酌み交わしたりして歓談するのだが、今年はコロナ禍で行くのを取りやめにしたので、代わりに夢で会ったのだ。

 

 弟は父に似てショウユ顔で、いい男だったから高校時代からモテた。弟夫婦は大学時代からの付き合いでそのまま結婚した。いまでもときどき弟の嫁さんは自分の亭主を嬉しそうに眺めていたりする。同い年だが、弟は姉さん女房のように嫁さんに頼り切っている。弟は旅行に行っても嫁さんの写真ばかり撮りまくる。

 

 私は母譲りの四角い、顎の張った顔で、モテたことがあまりない(まったくないわけではない)。母の四角い顔は祖父譲りだ。祖父は明治生まれの頑固親父で、私はしつけの半分以上を祖父母に受けた。だから煙たい存在だったけれど大好きだった。その祖父が言っていた言葉「男は一生に三度泣けばよい」。いつ泣くのか訊いたら、「生まれた時と親が死んだ時だ」という。それなら二回ではないか、と言ったら「バカ者、親は二人いるだろう!」、なるほど。

 

 私は涙もろくて、映画やドラマの泣かせるシーンではつい涙が出る。本を読んで泣くこともある。それなのに父や母が死んだ時にはちっとも涙が出なかった。祖父母のときもそうだった。罰当たりなのだ。でも、もう会うことが出来ないのだという、当たり前のことに思い至って愕然とすることはときどきある。私の場合、喪失感と涙は連動していないようだ。

大過なし

 四回目のワクチン接種を受けた昨晩は、多少倦怠感などがあったが、それはふだんからあるものでもあり、ワクチンの副反応かどうかわからない。接種を受けた左腕は多少痛みがあるが、意識しなければ忘れていられる程度だ。昨晩と朝と、念のため検温したが、平熱である。今回はファイザーでもあり、大過なく済んだようだ。

 

 これからお盆まで連日猛暑が続くらしい。昨日は一時間足らず炎天下を歩いただけでふらふらした。多少は身体を暑さに慣らして汗を掻かないと、いざ炎天下で行動が必要な時に対応できない。世のなか何があるのかわからないのだ。ところで今週末にはマンションの夏祭りがあり、今年はテントなどの設営も含めて、手伝いをすることになっている。内心ではコロナ禍の中でもあり、中止になって欲しいが、今のところ決行するようだ。

2022年7月30日 (土)

暑さがこたえる

 第四回目のワクチン接種が午後二時過ぎの予約で、炎天下、片道20分弱の道を病院まで往復した。余裕を持って10分前くらいに行ったが、待たずにすいすいと接種することが出来た。じりじりと照りつける太陽の下、まだ往きはよかったのだが、15分の待機が済んでの、日陰のほとんどない帰り道が遠かった。最後の5分は自宅のあるマンションが、歩くほどに遠のくような、一歩一歩がまことに重い気がした。

 

 汗ぐっしょりになった下着を着替え、つけっぱなしにしてあったエアコンの効いた部屋で冷たい水を立て続けに飲んでようやく人心地がついた。熱中症寸前だったのかもしれない。前回の三回目のワクチン接種のあと、夕方になって不調となり発熱して夜中唸っていたが、今回はいまのところどうということはない。夜にならないとわからないけれど・・・。

 

 涼んでいたらタイミングよく、頼んであった反町茂雄の『一古書肆の思い出』の第五巻が配達された。いま第二巻を読みかけだが、当初は全四巻(その時点で私は全て揃えて購入していた)の予定のところ、おさまりきれずに第五巻まで書いていたのだ。それを知って手配してあった。配達された第五巻を開いてみると、ここでもまだ昭和20年代終わりまでである。このまま行くと、たぶん第六巻、第七巻と書き継がれることになっただろう。しかし残念ながらこの第五巻を執筆中に反町茂雄は帰らぬ人になってしまった。だからこの本が彼の絶筆である。

 

 本の世界の広がりの、私などの思いもよらないほどの奥深さを教えてもらっている。

江藤淳『昭和の文人』(新潮文庫)

 手元にあるものを探す。ふとなにを探しているのかわからない自分に驚く。または探すものはわかっているのだけれど、目の前にあるのに気がつかない自分に驚く。若い時にもこういうことはたまにあった。そんなことを気にしたりしなかった。いまそれを老化の表れだと気に病むことこそが老化なのだろう。

 

 江藤淳の評論、『昭和の文人』に主に取り上げられているのは、評論家の平野謙、作家の中野重治、堀辰雄の三人である。私の好きな開高健や、安岡正太郎などを始めたとした多くの作家が取り上げられているわけではない。ではどうしてその三人が選ばれ、詳細にその生き方、そしてその作品が評論されているのか。

 

 それは昭和という時代を、どう自分の問題として受け止め、解釈し、それを作品に反映させたのか、またはさせることが出来なかったのか、それを検証することで、全ての作家、そして昭和を生きた日本人にその生き方を問うものとなっているのである。もちろん最も大きな出来事としての日中戦争、そして太平洋戦争があった。思想的に闘いを挑み、しかし挫折したり、または引きこもり、または直面せずに夢の世界に生きたりした。

 

 取り上げられた三人がどう批評されているか。その批評は巷間の評価とはたぶんかなり異なるものとなっていて、それが却ってドラマチックに読める。

 

 中野重治と言えば、夫人は女優の原泉だったことを年譜を読んで思い出した。女優と言っても奥目で四角い顔の、肩の張ったおっかないおばあさん役で私などは記憶している。覚えているのはよほど年配の人だけだろう。関係ないけれど、たまたまNHKの山内泉アナウンサーの名前から原泉を思い出したところだった。女性的柔らかさのない人だったけれど、嫌いではなかったのだ。

声が聴きたくなって

 声が聴きたくなって娘に電話した。娘と話すのは久しぶりだ。クールそのものの娘なので、とくに用事がなければ何ヶ月でも連絡してくることはない。電話してもすぐ出ることもあまりない。案の定コールした後に「お呼びしていますが出ません」とスマホは言う。

 

 またかけ直そうとしたら向こうからかかってきた。「何かあったの?」と珍しく心配そうな声である。こういう時期だからなにごとかと思ったらしい。声が聴きたかっただけだというと「それならよかったあ」と本当に安心したらしい声で、ちょっとうれしくなる。

 

 声が聴きたくなったら即電話するのが好いようだ。

 

 本日午後にかかりつけの病院で四度目のワクチン接種。前回はモデルナで副反応により発熱して一晩つらかった。今回はファイザーを接種する。大丈夫だと思うがある程度は覚悟しておくつもりだ。それより炎天下で病院に行くのが気が重い。

 

2022年7月29日 (金)

どうせ読まないし、知らない

 大下容子ワイド!スクランブルという昼のバラエティニュース(ほかの局よりは多少マシ)で、プーチンがトルストイの『戦争と平和』が愛読書であると公言し、感銘を受け、影響を受けたと述べたことが取り上げられていた。

 

 ロシアの専門家は、トルストイは(ドストエフスキィも)戦争は悲惨なもので愚かなものだという考えの持ち主であり、プーチンはただ、ナポレオンがロシアに攻め込んだけれど、ロシアはそれを撃退した、ということについて書いてあるところだけを取り上げただけで、実際に読んでいて愛読書なら、彼の考えとまるで違うことがわかるはずで、たぶん読んでいないだろうと説明していた。

 

 ロシア人の何人が『戦争と平和』を実際に読んでいるだろうか。本当に一握りだろう。日本と変わりはしない。むかしは日本や世界の文学全集を本棚に並べるのが流行だったが、そのときにでさえ実際にこの本を読んだ人はほとんどいないと思う。今ならそれよりさらに少ないはずだ。それはそれで仕方のないことだ。私は曲がりなりにも学生時代に苦心惨憺して読んだことは読んだが、登場人物が多すぎるし、名前がややこしいし、長すぎて本当に往生した。そしてほとんど内容は覚えていない。あとで映画を観て、「違う!」と思っただけだ。

 

 そんなことはどうでもいい。問題なのは、そのとき司会役の大下容子がコメンテーターたちにプーチンのその「戦争と平和」が愛読書であると言っていることをどう思うか、と問うているのがコメディとしか見えなかったということだ。誰も読んでいないことは歴然としていて、知らないことについてコメントを求められても答えようがないのを互いに承知で、なんだか知ったかぶりのやりとりをしている。バカみたいだ。

 

 プーチンは「戦争と平和」を読んでいない。そしてそれを偉そうに愛読書と言われても、ロシア人で「戦争と平和」を読んでいる人はほとんどいないだろうし、では「戦争と平和」を読んでみようか、などと思う人間もまずいないであろう。戦意高揚の本なのだろう、くらいにしか思わないだろう。しからば「戦争と平和」が戦争の悲惨さをこれでもかと書きこんであることなど、だれも知らないままである。世のなかいつもこんなものか、と思った。知らなければ知らないでいいけれど、知らないことの自覚くらいは持たないとね。

初めて正宗白鳥を読む

 明治時代の末期に文壇の主流をなした自然主義文学は、大正に入るとともに主流ではなくなった。当初加わっていた永井荷風はすぐたもとを分かち、もともと反発していた幸田露伴、そもそも最初から独自の道を行く夏目漱石、森鴎外は、自然主義とは相容れなかった。

 

 永井荷風はべつにして、日本の自然主義といえば、田山花袋(1871-1930)、島崎藤村(1872-1943)、徳田秋声(1971-1943)、正宗白鳥(1879-1962)が主な作家で、私は島崎藤村の『破戒』以外はほとんど自然主義の著作を読んでいない。二三年前に、一度読んだはずだがよく内容に記憶のない田山花袋の『蒲団』を丁寧に読んだ。こんなものかと思った。

 

 田山花袋は昭和5年に死んでいる。島崎藤村はつかず離れずで次第に自然主義作家と言えない作家になった。その島崎藤村と金沢出身の徳田秋声は昭和18年、つまり戦時中になくなっている。そして正宗白鳥は名前だけは知るっていたが、その著作を読んだことは全くなかった。

 

 小学館の『昭和文学全集』に正宗白鳥の作品も収められているので、今回初めて読んだ。読んだのは『今年の春』と『今年の初夏』という小品である。『今年の春』は旧家の老人の死の様子が第三者の眼で語られている。そして『今年の初夏』では、八年後のその老人の妻の死が、長男である著者の目を通して語られている。

 

 「家」というもの、「家族」というもの、「村落」の人間関係などが淡々と語られるなかで、自分とそれらとの関係の意味をどう捉えるのか、著者を通して読者にも問われているような気がする。

 

 さらに『今年の秋』、『戦災者の悲しみ』その他読みやすそうな小品を読み続けてみようと思っている。こんなに読みやすい作家だとは思わなかった。自然主義はやがてプロレタタリア文学に流れを変えて全く違うものになってしまったけれど、正宗白鳥だけは一人自然主義文学にこだわって作品を書き続け、昭和37年まで生きた。

年譜を読む

 暑いとものを考える力が衰えるようで、だから暑いのは苦手である。苦手でも夏はますます暑くなるし、エネルギー不足はとうぶん解消する見込みはなさそうだし、今年はなんとかしのげても、来年、再来年と状況が改善するかどうかわからない。悪化すると思っておいた方がいいかもしれない。人類は繁栄を謳歌しすぎてその絶頂期をすでに終えたのではないか、などと悲観的な気持ちになる。

 

 本はぼちぼちながら読んでいるから、ブログに書きたいこと、書いておきたいことはそれなりにあるのだが、書くためにはものを考える必要があり、その考える力が暑さで衰えているので、まとまらない。

 

 江藤淳という評論家の書いたものを読むのが好きで、繰り返し読む。さまざまな評論家の本を読むと、比較のために引っ張り出すので、繰り返し読むことになるのだ。今は臼井吉見の評論集を読んでいるのだが、ついまた江藤淳の『昭和の文人』を読み、そこに取り上げられている堀辰雄の『幼年時代』の批評を読み、そうして同じ題名の江藤淳の絶筆、『幼年時代』を読み直したりしている。

 

 江藤淳の『幼年時代』には巻末に詳細な年譜が添えられていて、江藤淳の人生を反芻した。同時に江藤淳が嘘八百だ、と批判した堀辰雄の『幼年時代』に関連して、全集に収められた堀辰雄の年譜を読んだ。年譜というものがどこまで真実なのか、詳しく知るとその作家の本質にまで至る、ということを江藤淳は教えてくれる。

 

 ついでに同じ全集に収められているなかから、何人かの年譜を読んだ。織田作之助、尾崎士郎、武田麟太郎、火野葦平、阿部知二、中山義秀など。尾崎士郎は『人生劇場』の青成瓢吉が尾崎士郎自身がモデルであることは承知していたが、年譜で最初に同棲し、結婚したのが、宇野千代だったことを初めて知った。また火野葦平の『花と龍』の主人公の玉井金五郎とその妻マンは、彼の両親がモデルであったことも有名だ。火野葦平自身も後にあとを継ぎ、玉井組を率いていた時代もあった。彼の『糞尿譚』という傑作を高校時代に読んで、強烈な印象をうけたことを思い出した。中山義秀は若いころ、時代小説作家として読んでいたことがある。

 

 年譜を読むといろいろなことが連想されたり、交友関係も興味深い。そういえば、江藤淳夫婦の媒酌人が奥野信太郎だったことに初めて気がついた。

2022年7月28日 (木)

暑さを試す

 昼過ぎに室温が33℃を超えた。南側から弱いけれど風が吹き込む。そのせいかどうか、今のところその暑さを我慢できている。室温が30℃を超えたらエアコンを入れることにしていたが、エアコンの冷気に身体が慣れすぎてしまったのか、28℃でもちっとも涼しいと思えない。もっと涼しくしようと、設定温度を下げても室温がなかなか下がらないのはエアコンのせいだろうか。

 

 汗を掻きにくくなっているのは良いことではない。エアコンをかけずに31℃、32℃と言う室温のなかにいると、さすがにシャツが汗ばんでくる。昼までに二度ほどシャツを着替えた。さて、いつまでエアコンをつけずにいられるだろうか。ただ扇風機は回している。

 

 朝から録画してあったBSフジのプライムニュースを観てアメリカ、ロシア、中国の思惑について考えさせられた。さらに『英雄の選択』では津田梅子について知らなかったことを大いに教えられた。明治初めの女性の置かれていた状況について、知識としてだけではなくて、実感として感じさせられた。しかも津田梅子が理系の女子であったことも意外だった。今の女性達は彼女のことをもっと学ぶべきであると思う。もちろん男もそうだ。権利ばかり求めて自らの知性をみがかないで済ませている甘えが世のなかの混乱の背景にあるのではないか。

 

 そのあとドイツのドキュメント『都会の進化論』という番組も興味深かった。都会という、本来は生息に適さない環境に適応していく植物、昆虫、魚や鳥や獣の調査が紹介されていた。適応と進化が遺伝子レベルで起こるためには長い時間が必要だとされていた常識が覆されつつある。それが事実なら、人間はどうなのか。すでに都市でしか住めない人間が大量に出現しているのではないか。私も含めての話しだ。

 

 歳をとったら自然豊かな田舎で暮らすのもいいかなと思っていたこともあったが、今はとても無理だと思っている。

定員割れ

 東京の保育園で定員割れが続出しているとNHKの朝のニュースで報じていた。待機児童ゼロに向けて努力していたのが、いつの間にか入園児が少なくて保育園の経営が成り立たないような事態に変わっていたということらしい。それが全国的なことなのか、東京の一部のみのことなのか、統計的な話はなかったからわからない。少子化はわかっていることだから、それを理由にするのはどうかと思うが、過ぎたるは及ばざるごとしそのものだ。それにしても廃園に追い込まれる保育園も可哀想だし、それに振り回される親もたいへんだ。

 

 アメリカには人がいないのだろうか。人というのは国を率いていくリーダーのことだ。バイデン大統領を見ているとよろよろと足元がおぼつかないし、やっていることも一貫性があまりないように見える。何よりしっかりとした思想があるようではないし、矜持も感じられない。では共和党は、と見れば相変わらずトランプが幅を利かせている。こんな爺さんたち(私だって爺さんだが)にまかせないと行けないとは、アメリカには人がいないのか?と思うのである。

 

 息子が買ってくれたテレビの音が聞き取りやすくなる外付けスピーカーのおかげで、今までの音量よりも二目盛りか三目盛りくらい下げても聞き取れるようになっておおむね快適である。おおむね、というのは、ときにまだ不自由があるからである。普通に聞こえる音量にしていると、NHKBSの海外ニュースの、通訳の人の声がちっとも聞こえないのである。アナウンサーの声はクリアにわかる。一部の通訳の人の発声が悪すぎる。変な語り癖がある上に言葉がこもって濁っているのだから聞いていて腹が立ってくる。

 

 それにしてもNHKのニュースの音量は民放に較べて明らかに低い。ところが同じNHKが、スポーツ番組になると民放以上にけたたましい音に変わる。どうなっているのだろう。NHKが悪いのか、私の耳がおかしいのか。

2022年7月27日 (水)

立て続けに出会ったので

 『温泉百話 西の旅』に織田作之助の『雪の夜』という、別府が舞台の短編小説が収められていた。『夫婦善哉』に似て、それ以上に救いのない結末に暗くなる。現実にこういう生き方をしている人たちが少なからずいるのは確かだが、物語にしても追体験したくない。とはいえそれでも人は生きていく。弱いのだか強いのだか・・・。

 

 そうしたら、臼井吉見の戦後に書かれた雑誌『展望』の月例評論(1947.5『志賀直哉と織田作之助』)で、織田作之助が志賀直哉を乗り越えるのだ、と豪語したことについて、彼の作品をもとに辛口の批評をしていた。臼井吉見はときに容赦がない。それに、彼の批評はその通りだとも思う。私が志賀直哉が好きだからではない。また、同じ『展望』1947.5には『西鶴と織田作之助』という批評文もある。織田作之助を西鶴になぞらえる支持者たちの見立てを批判している。

191214-16

 数年前に、谷崎潤一郎の『春琴抄』を読みなおして、触発されて天王寺界隈を歩いたときに、生玉神社(正式には生國魂神社)に行った。そこで織田作之助の銅像に出会った。『夫婦善哉』は知っていたけれど、読んだことがなかったので読んでみた。忘れがたい印象をうけた。彼自身が自分を窮地に、隘路に追い込んでいく生き方というのがその時代のある生き方のスタイルの一つに感じた。それは西鶴とは違うだろう。そうして面白いことに、織田作之助の銅像のすぐ近くに西鶴もいた。

191214-19

 戦後の大阪、生きるのに必死の人のひしめいていた時代は、ある意味で生きているという実感が今よりあったのかもしれない。

神様

 気がついたら座椅子に座ったまま眠っていた。身体が痛いのは、寝ているあいだに変な夢を見ていてもがいたせいらしい。新興宗教の執拗な勧誘に困り果てて逃げ回っていたようだ。

 

 その新興宗教の教祖様は・・・山神様と言っていた。

 

 ああ、山上様ね。いま、話題らしい。

閃光

 北向きの部屋を寝室にしている。夜明けとともに起きるためにカーテンは引いていない。街灯の明かりが入るが五階だからわずかで、まぶしいことはない。それがまぶしい光で眼が覚めた。

 

 深夜二時過ぎに窓から閃光が飛び込み、いつもよりも大きな轟音がした。雷はしばらく断続的に鳴り続けたがすぐに遠雷となる。雨は降らない。眠れなくなったので、ラジオをつけてぼんやり聞いていたら、しばらくして雨が降り出した。それほどの降りではないが風がある。夜が明けてテレビをつけたら、愛知県の中部から東部は豪雨だったようだ。

 

 愛知県の新型コロナ新規感染者数はまた新記録だった。引き続き家でじっとして読書でもするのが良いようだ。身体がなまって筋力も低下している。自己流のストレッチなどをしてあちこちの筋を少しのばしてみた。思いついた時だけではなく、習慣にしなければ、と思うがすぐ忘れる。

 

 朝になって眠くなってきた。朝食を食べたらたぶん朝寝をしてしまうだろう。

2022年7月26日 (火)

反町茂雄『一古書肆の思い出1 修業時代』(平凡社)

 反町茂雄は新潟生まれ。第二高校(仙台)卒業後東京帝国大学法学部政治学科に入学し、卒業。出版社を志望したが、勉強のために神田の古書店の一誠堂の住み込み店員となる。極めて異例のことであった。入店早々頭角を現し、さまざまな人脈を作るとともに多くの人から一目置かれる存在となる。

 

 三十才を期に独立。弘文堂を起こす。ここでいう古書肆というのは単なる古本屋ではない。弘文堂では店舗を持たず、扱う本は今の価値で言えば数万円以上、ほとんどが数十万、数百万円という高額な古書ばかりである。歴史的、文化的、学術的に貴重なものばかりであり、豊富な知識と記憶力がなければ扱うことの出来ないものばかりである。

 

 全四冊の予定で出版され始めたこの反町茂雄の自伝はこの第一巻が1986年出版。その後出版されるごとに取りそろえてきた。歳をとって暇になったら読もうと大事にとって置いたものである。

 

 スリルとサスペンスにワクワクドキドキする本だ、などと言ったら意外に思われるかもしれないが、それでは言い足りないぐらい面白い本である。もちろん本にいささかの思い入れがある人でないと、そして本屋や古書店で本に囲まれると幸せな気持ちになれる人ではないと理解しにくいかもしれない。

ついもう一度

 今朝も八時前から室温が30℃を超えた。ただ午後からは雨になるらしい。今日も引きこもりの一日か。昨晩電話で弟と話したら、姪の娘(幼児・弟の孫)が新型コロナに罹患し、姪も陽性になったという。少し前にその姪の娘を弟夫婦は一日預かったが、検査の結果では陰性とのこと。どんどんコロナ禍が他人事ではなくなっている。

 

 録画してあった六角精児の吞み鉄本線の釧網線の旅を観る。このシリーズは再放送でもつい録画して、もう一度観てしまう。何度観ても面白い。比較して申し訳ないが、新鉄道絶景の旅はまったくつまらない。「新」になる前の峠恵子がナレーションをしていた時はあれほど面白かったのにどうしたことか。

 

 車だと飲みながら旅をするわけにはいかない。列車ならそれが可能で、たぶん車窓に見える景色の見え方もはるかに違うものになりそうな気もする。時間の不自由さはあるけれど、急ぐ旅でなければどうということもない。それをしないでテレビで観るばかりなのは、理由がある。トイレの問題である。泌尿器科の疾患のために、常に過剰の水分摂取を余儀なくされていて、大も小も忙しいのだ。車なら今はどこにでもトイレのあるところに停められる。列車はときにそのことが不自由で、それ故に精神的に腹がますます緩くなったりする。まずそれを解消しないと列車旅が出来ない。車中でビールを飲むのもなかなか簡単ではない。

 

 普通の男の子並みに鉄道が好きだった。自分のカメラが持てた時に真っ先に撮ったのが鉄橋の上からのローカル列車だった。家族旅行に行ったときや学生のときに撮った記念写真と一緒に、当時はまだ多少は走っていた蒸気機関車の写真が残っている。

 

 その当時からみればずいぶんたくさんの路線が廃止になった。今回全国のJRの路線が見直されることになったと報じられている。たぶん経済原理で廃線がさらに増えるのだろう。このことについて思うことがあるが、次ぎの機会にする。

アールグレイ

 もともとコーヒーよりも紅茶が好きだったのだが、数年前に娘のどん姫が一人用のコーヒーメーカーをくれて、それで飲むコーヒーの美味さにはまってしまい、今はほとんど毎日コーヒーを飲む。一杯だけではもの足らないので、コーヒーメーカーも少し大きめのを買い直した。

 

 先日息子が中元としてお茶の詰め合わせを贈ってくれた。緑茶と紅茶が入っていて、その紅茶がアールグレイのティーパックなのだが、今まで飲んだものとは比較にならないほど香り高くて美味い。紅茶とはこんなに美味い飲み物だったのかと思い知らされた。ドラマ『相棒』で水谷豊演じる杉下右京は大の紅茶愛好家である。そこまで紅茶に思い入れがあることにあまり感情移入できなかったが、今回のアールグレイで思い直した。

 

 上等の紅茶をたまには試してみようか、などと残り少ないアールグレイを飲みながら考えている。嗜好品は本当に心を静め、癒やしくれる。

2022年7月25日 (月)

内田百閒『贋作吾輩は猫である』(旺文社文庫)

 内田百閒(1889-1971)は岡山生まれで夏目漱石門下。他の門下生との交遊は少なかったが、芥川竜之介とは同じ陸軍士官学校の教授(芥川竜之介の紹介らしい)でもあったから親しかったようだ。のち法政大学のドイツ語の教授となる。黒澤明の映画『まあだだよ』の中に出てくる教え子たちはこのときの学生達である。しかし(私にとって)あの映画は観るに堪えない駄作であった。思い出しても寒気がする。黒澤明はなにをとち狂ってあんな映画を作ったのだろう。観ているこちらが恥ずかしかった。

 

 この小説はもちろん夏目漱石の『吾輩は猫である』の本歌取り(和歌ではないけれど)である。ビールに酩酊して烏の勘公の行水する大きな水瓶にはまってあえなく最期を遂げた吾輩が、どういうわけか数十年後(『吾輩が猫である』が発表されたのは明治38年、『贋作・・・』は昭和24年である)にその水瓶から辛くも這い上がって生還する。苦沙弥先生の家はすでになく、居着いたのは五沙彌先生のところである。ここには吾輩を目の敵にする下女は居らず、五沙彌の他には可愛がってくれる小さな神さんしかいない。

 

 もちろん五沙彌先生は、苦沙弥先生が夏目漱石であるように、内田百閒自身。ここに出入りするさまざまの人物との会話、猫社会での様ざまな出来事など、ほとんど原作に似せながらも、内田百閒自身のオリジナルとなっている。読んでいて、つい声を出して笑うことが何度もあった。声を出して笑うなどというのはしばらくぶりだ。登場人物のモデルのいくつかは見当がつくが、解説の平山三郎は全部を明らかにしてくれない。ちなみに若い飛騨里風呂君は平山三郎らしい。左ぶろ・・・さぶろうということだ。かなりひねられている。平山三郎は『阿房列車』シリーズではヒラヤマ山系と呼ばれているのは内田百閒の読者ならご承知の通り。

 

 是非興味があれば夏目漱石の『猫』共々読んでいただきたいところだが、今この本が簡単に手にはいるかどうかわからない(旺文社文庫はすでにないし、福武文庫もない。調べたらちくま文庫の内田百閒集成にあるようだ)。それに多少のしゃれを理解する知性が必要だが、このブログを読んで興味を持つくらいの人なら大丈夫だろう。特に猫好きなら読まないのはもったいないくらいの楽しい本だ。

高考

 中国の高考(ガオカオ)は日本の共通一次試験みたいな(いまは別の言い方らしいがよく知らない)もので、それをNHKのドキュメント番組で観た。見始めてすぐに、なんだこれは「科挙」そのものではないかと思ったら、番組の中盤でそのことに言及があった。科挙は、千数百年前に出来た身分や家柄とは関係なく有能な人材を選抜するためのシスデムで、いかにも平等に見えたけれどさまざまな弊害も生んだからなくなったはずなのに、こういう形で復活しているのだ。

 

 現代では人間は平等であることが建前であるけれど、その能力は平等でない。能力の違いは努力で乗り越えられるというのは都市伝説みたいなものである。とはいえ、たゆまず努力することの出来る人間というものもいる。亀でも兎を超えることが出来ることもある。しかしたいていはそこまで努力することが出来ない。努力できることも能力の一つかもしれない。努力する能力のない私はそう思う。

 

 家族一丸となって、家産を傾けてまで受験生をバックアップし、受験生もそれに応えようと努力をする。そのことに受験生が嫌気を差したり疑問を感じたりしたらたちまち脱落してしまうだろう。さいわい屈折せずに全力を尽くして受験にこぎ着けられられたらしあわせだろう。それが当たり前だと思えることは幸せなことなのだ。

 

 戦後、日本でも雨後の筍の如く大学が出来たけれど、それでも団塊の世代やその少し後くらいの世代までは、大学は狭き門だった。受験地獄だの受験戦争だのいわれて、まさに私もその渦中を経験したけれど、中国の高考を観ていると、日本のその時代なんて甘いものだったと思う。それなのにその狭い門がどんどん拡げられていったあとあとまで、日本のマスコミはありもしない受験地獄を報じていた記憶がある。若者へのおもねりである。

 

 激しい競争と平等が同時に進行する高考がどんな若者を生みだしていくのだろうかなどと、心配しても始まらないことを心配した。そのことで損なわれたものは山のようにあっても、そんなことは些細なことで、ふるいに残った一部の超優秀な人材が国家を運営していけば良いのだ、とエリートたちは考えてきた。しかし習近平にとって、超エリートたちはあまり望ましい人たちとは見えていない気もする。中国の過去の歴史を繙けば理由は明らかだろう。

 ところでまったく別の話だが、今場所優勝の逸ノ城の顔を見ていたら、どういうわけか習近平と重なって見えてしまった。なにを考えているのかわからない顔という意味で似ていると見えたのか。逸ノ城にはちょっと申し訳ないが。

たてつづけに

 年上の友人二人から、たてつづけに電話をもらった。暑中見舞いみたいな電話で、新型コロナが猛威をふるうなか、互いの消息を確認するためのものである。二人ともスマホは持っているけれどパソコンなど持たず、ほとんどネットなど使うことがないから、私のブログを見ることもない。自分自身が心配なように、相手(つまり私)を心配してかけてくれたのである。涼しくなってコロナ禍がおさまったら会おうと約す。人懐こくなっているのか、ふだんは用事だけなのに思ったよりも長電話になった。

 

 大学時代の友人から蕎麦が送られてきた。ちょっと世話になったことがあり、酒好きなのでお礼に地酒を贈ったのだ。そのお返しである。ありがたいことだ。お礼の電話をする。本当なら会いに行きたいところだが、今は控えないといけない。若いころは仕事に忙しく、というか仕事にかまけて、友人のことはあまり念頭に浮かぶことがなかったが、年齢とともに互いに暇になって連絡を取り合うことが増えている。ただ、やりとりする人の数は三分の一くらいに減った。そんなものだろう。

 

 朝起きたら、このごろの運動不足を寝床で解消しようとしたのか、寝ながら七転八倒した形跡があり、足の爪がシーツに引っかかったのか一部剥がれていた。痛い。寝る前よりも却ってくたびれた状態で起きた。たぶん悪夢でも繰り返し観たと思うが覚えていない。体調が悪いのか心配で、体温を測ったが平熱。

 

 バジルは少し前から一斉に花が咲き、一部が種になり始めている。去年はそれを全て採って置いたが、種はほんの一握りあれば済むので、それを採ったら抜いて片付けよう。細ネギは、葉をつまんでもつまんでも次々にまた出てくれるのでたいへん重宝している。ニラはジャングルみたいに繁茂しているが、葉がちょっと硬くなってきた。

2022年7月24日 (日)

文豪に関する谷崎潤一郎のこぼれ話

 谷崎潤一郎は硯友社の面々のうち、何人かと面識があったが、御本体の尾崎紅葉とは会う機会がなかった。硯友社に加わり、後に自然主義文学に走って硯友社を離れた徳田秋声が、谷崎潤一郎に対し、「君なら紅葉山人に可愛がられただろうなあ」と言った。谷崎潤一郎はよく考えてみたら、似ているところもあるけれど違いもあるので結局うまくいかなかっただろうと思ったそうだ。

 

 硯友社では泉鏡花がことのほか尾崎紅葉を崇拝していたという。もともと徳田秋声は幸田露伴が好きだったが、露伴はこわそうなので紅葉門下になったというから、硯友社の集まりのときに「紅葉なんてそんなに偉いことはない」と本音を言ったとたん、泉鏡花が激昂して徳田秋声を殴りつけたという。徳田秋声の身体の大きさは知らないが、泉鏡花は小柄で痩身である。私も泉鏡花がそんな熱血漢とは知らなかった。ちなみに泉鏡花も徳田秋声も金沢出身で、同郷である。

 

 夏目漱石について、谷崎潤一郎はこう書いている。

 

漱石が一高の英語を教えていた時分、英法科に籍を置いていた私は廊下や校庭で行き違うたびにお時儀(ママ)をした覚えがあるが、漱石は私の級を受け持ってくれなかったので、残念ながら謦咳に接する折がなかった。私が帝大生であった時分、電車は本郷三丁目の角、「かねやす」の所までしか行かなかったので、漱石はあすこからいつも人力車に乗っていたが、リュウとした対の大嶋の和服で、青木堂の前で俥を止めて葉巻などを買っていた姿が、今も私の眼底にある。まだ漱石が朝日新聞に入社する前で、大学の先生にしては贅沢なものだと、よくそう思い思いした。

 

 谷崎潤一郎が泉鏡花と鶏鍋をつついた時の話も面白い。健啖で食べるのも速い谷崎潤一郎だが、泉鏡花はよく煮えてからしか食べない人で、鶏を鍋に入れると次から次に谷崎潤一郎が食べてしまい、いつまでも泉鏡花は食べることが出来ない。しまいには、「この鶏肉は俺のだからな」、と泉鏡花が指さしてじっと待っているのに、それにも手をつけると「あっ、それは」と言って、なんとも情けない困った顔をしたそうだ。谷崎潤一郎の悪ふざけだが、私がやられたら許さないだろうなあ。

 

 島崎藤村についても書いている。彼を嫌っていた作家として、永井荷風、芥川竜之介、辰野隆(ゆたか)の名をあげている。漱石は公然とではないがかなり嫌っていたようだという。そういうことを書いているくらいだから、もちろん谷崎潤一郎は島崎藤村を嫌っていた。

風も静かで

 本日は昨日同様に快晴ながら風がなく、昼前から室温が30℃を超えている。今日も好天の予報なので、久しぶりに早起きして知多まで出かけて海風にでも当たろうかと思いもしたが、昨日昼間はぼんやり、しばしばうつらうつらしたせいで、夜になってかえって眠れなくなってしまい、今朝の寝起きはすっきりせず、結局出かけそびれて、ただ洗濯をしたのみ。

 

 何冊か本を読み終えたので、新たに『鏡花随筆集』と『吾輩は猫である』の二冊を加えた。『吾輩は猫である』は、もちろん内田百閒の『贋作吾輩は猫である』を読了したので、もともとの漱石の方を読み返してみようと思ったからだ。この『吾輩は猫である』はだれでも知っているる小説だけれど、はたしてどれだけの人がちゃんと読んだことだろう。意外と長いし、けっこうすらすらとは読めそうで読めない本である。私も昔読んだけれど、ちゃんと読んだと言うほど丁寧に読んではいない。登場人物の会話の妙を理解するにはそれなりの知識が必要だ。ちなみに内田百閒は歴とした漱石門下のひとりである。『贋作吾輩は猫である』については別途ブログを書くつもりだ。

 

 『鏡花随筆集』は最初の方が明治時代に書いた文章で、鏡花独特の美文調のうえに文語文なので樋口一葉の文章を読む程度には読み難い。大正以後のものはかなり口語文になっていくので、読み進めるためにはもう少し我慢が必要だ。

 

 『北国空』という、鏡花の生まれ育った金沢の冬の生活を書いた文章がとても好い。外はしんしんと雪が降る。家族は皆炬燵に集まって和気藹々、そこへ訪ねて来た話し上手の叔父の雪上臈の話に息を詰める子供たち。真夏に冬の雪国の話を読むのもなんとなく好いものだ。ましてや金沢には足かけ十年ほど暮らしたことがあるから、多少の思い入れがある。最近はそれほど雪は積もらないが、むかしはずいぶん降ったようだ。

風が気持ちよかったので

 昨日は気分が乗らないので、読書を休止してぼんやりした。映画を観る気持ちはあったのだけれど、風が吹きぬけて室温は29℃弱から上がらず、まことに気持ちが好い。映画を観る時は窓を閉め、音量を大きくして遮光カーテンを閉めて暗くして観る。こういう好い風のときは窓を閉めるのがもったいない。

 

 そこで音楽(ピアノ曲など)を聴きながら画集を眺めたり、世界遺産(中国版)の写真集を眺めたりしていた。この写真集(全四冊)はけっこう高かった。子供たちも手を離れ、多少のゆとりも出来るようになった自分へのご褒美に買ったものだ。定年後に、ここにある中国各地の世界遺産のどれだけを訪ね歩けるかと楽しみにしていたのだけれど、残念ながらこの十年で、どんどん中国が遠くなってしまった。すでにもう新たに中国へ行く気にはならない。かなりブログに悪口も書いているから、今行くとあぶない。

 

 それにこの写真集にあるような場所の多くはたぶん中国人観光客がひしめいているはずだし、土産物店だらけになってしまっているのではないかと思う。それでは中国悠久の歴史を彼方の空に想起して、時間と空間を想うという旅の楽しみも味わうことが出来ないにちがいない。それなら写真集をゆっくり眺めて細部になにかを発見する楽しみを楽しむ方がいい。金もかからないし。

2022年7月23日 (土)

初めて身内に

 妹から電話があった。脳出血で危ぶまれていた義弟はいまは意識が回復し、リバビリを始めたところだ。一週間ほど前に妹が面会したところではいちおう簡単なはなしの受け答えは出来る状態に恢復しているという。ただし脳の損傷は拭いがたく、認知症の状態だという。ひところの意識不明が続いた時よりはずっとマシであることを前向きに捉えるように言う。

 

 その義弟の病院で新型コロナのクラスターが発生したらしく、義弟も陽性になってしまって高熱を発していると病院から連絡があったそうだ。妹の声はさいわいしっかりしているが、病院に行くわけにも行かず、ただ心配するだけの状態に耐えられずに私に電話してきたようだ。私も心配だが、いかんともすることが出来ない。八月九日は母の命日で、たいていその頃千葉の弟のところへ行く。そのときに妹も弟のところへ来て会うのだが、今年は第七波の様子を見てどうするか決めるつもりだ。妹は会いたそうだが、少しくらいあとでもかまわないではないか、と伝えた。

 

 いままで身内にも友人にも新型コロナ感染者は出なかったけれど、ついに義弟が感染した。自分もいつ感染するかわからない。とくに八月の初めにマンションの夏祭りがあるために、これから準備でたびたび人が集まることになる。手洗いマスクうがいなどをこまめにして、万全の注意をしようと思う。愛知県も連日一万人超えの新規感染者数が続いている。第七波のピークはいつなのだろう。いつ下火になるのだろう。

只見線

 昨晩のNHKの『新日本風土記』は『只見線』だった。新潟県の小出と福島県の会津若松を結ぶこの線が全通したのは1971年の10月である。このとき私は大学三年生で、朝日新聞の日曜版に載っていた只見線全通のニュースと美しい風景の中を走る列車の写真に目を奪われた。そして翌週だったか翌々週だったかに米沢から新潟廻りで新津、そして小出まで行き、只見線に乗った。

 

 あいにく当日は冷たい雨が降っていて、美しい景色と言うより寂しい景色であった。途中下車して田子倉ダムを歩き、只見駅で散策し、会津若松から郡山へでて米沢に帰った。只見線というとついそのころのことを思い出す。2011年の豪雨で壊滅的な被害を受けた只見線も、ようやく今年再び全線開通するそうだ。また再び私も只見線に乗ってみたい。それまで赤字路線の只見線が存続することを願っている。

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新潟側の只見線出発地小出。

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田子倉にて。線路は出来たばかりの只見線。

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この頃はまだ痩せていた私。

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ダム湖。とにかく寒かった。

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只見の駅前にて。

『谷崎潤一郎随筆集』(岩波文庫)

 この中に名文『陰翳礼賛』が収められている。昭和八年から九年にかけて雑誌に連載されたのが初出だが、今回初めてその素晴らしさを実感した。実はこれを読むのは三回目なのだが、いままでなにを読んでいたのだろうと思わされた。さまざまな人が絶賛するからなるほど、と思う程度だったのは、本当には読んでいなかったからだろう。

 

 このごろそう思うことがたびたびだ。ただ、もしかしたら読むたびに感激しているのに、それを忘れているだけだというおそれもある。若い時だって、それほど馬鹿ではなかったと思いもする。それなら忘れる自分がちょっと心配でもある。

 

 谷崎潤一郎(1886-1965)は日本橋蛎殻町で生まれ、東京生まれの東京育ちだが、関東大震災の後、関西に移住し、以後関西を拠点とする。この本には『私の見た大阪及び大阪人』という長文も収められていて、東京生まれの谷崎潤一郎から見た大阪が、東京と京都との比較の中で描かれていて興味深い。興味深い、というのは、私の私的な興味によるもので、関東に生まれ育ち、山形の大学を出て大阪の会社に就職した私自分の視点というものが意識されるからだ。

 

 入社した同期の面々との会話や、会社での寮生活では、ある意味でのカルチャーショックを経験した。ひと月あまりで東京の営業所に配属されて、そのカルチャーショックは中途半端に終わったが、面白かったのは、東京営業所の主(ぬし)みたいな東京生まれ東京育ちのおばさんが、妙に関西人に偏見を持っていて、その反動で関東生まれの私をひそかにひいきしてくれたことだ。ありがた迷惑だったけれど。

 

 後半に『文壇昔ばなし』という文章が収められていてとても面白い。これはまた別に紹介したい。

2022年7月22日 (金)

強制

 強制とはどういう意味かといつものように岩波の国語辞典を引いてみると、「力ずくで、または権力によってさせること、無理じい」とある。なるほど。

 

 当たり前と思い込んでいたことが、しばしば間違っていることがあるので、辞書は必要だ。それでも間違えて、たまに厳しい指摘を受けたりするから恥ずかしい。ただ、恥をかいた分だけものを知ることが出来るし、注意するようになるからありがたいことでもある。

 

 市民団体(ほとんどお年寄りなのに驚く。私同様にたぶんひまなのだろう。熱中症にならないよう注意してね)が集まって、安倍元首相の国葬反対を叫んでいた。国葬は葬意の強制であると社民党の福島女史がマイクを持ち、こぶしを振り上げていた。その「葬意の強制」という言葉がちょっと引っかかったのである。「葬意」は「強制」できるものなのか。安部元首相の国葬に反対であり、葬意を示さないことは許されないことなのだろうか。強制というのはそういう意味ではないのか。勝手にすれば良いだけのことで、他人に反対を呼びかけるのもまた変である。

 

 国葬が決まったら葬意を無理強いさせられると福島女史は言い立て、市民団体は反対を叫ぶ。日本は、国葬に参加しないことも葬意を持たないことも出来ない国家だと彼らは言っているらしい。いつから日本は北朝鮮になったのか。もしかしたら彼らにはすでにそう見えているのだろう。なにしろ安全法制は、即日本が徴兵制になる道だと叫んでいた人々だ。安全法制が施行されて、さて徴兵制は敷かれたのか。

大丈夫だろうか

 日銀の黒田総裁は交代のタイミングを失しているように思える。代わりの人はいないのだろうか。安倍元首相が決めたことだから換えられないのだということを言っている有識者がいたが、そんなものなのか。

 

 一度決めたことにこだわり、それを決めた時とは著しく状況が変わったのにもかかわらず変更が出来ないことについて、もしかして拙いのではないかと誰もが思い始めている。

 

 金利を上げたら景気が悪くなると言うのは、多くの企業が銀行から金を借りて設備投資にいそしんでいる時の話で、いまはいくら低金利でも、誰も金を借りてくれないと銀行が嘆いている時代で、無知な私には、景気と金利はそんなに直接的に関係しているようには見えない。

 

 それにしても日銀の今年の消費者物価上昇は2%台だという見通しには驚愕した。さまざまな要因で世界中が最低でも6%以上の物価上昇の見通しを立てているのに、日本だけがそんなに低いとはどんな魔法が働くというのだろうか。生産者物価は6%以上確実に上がる見通しなのである。しからば日本の企業は全て3~4%分を呑み込むほど豊かで余裕があるというのが日銀の見立てなのだろう。デフレマインドの湧出点は日銀か。

 

 デフレマインドが日本の賃金上昇を抑え込んでいることは明らかで、景気回復を妨げているのはそのデフレマインドであることもいまでは明白な事実ではないのか。貯金では利子が付かないから投資に回せ、と証券会社の回し者みたいに政府も経済学者も口を揃えてそそのかす。日銀もグルらしい。投資の金がどこへ流れるか。金融で世界をくいものにしているアメリカに決まっているではないか。

映画三本

 本も読んでいるが、映画もぼちぼち観ている。昨日は久しぶりに三本観た。録画したものが溜まりすぎているからだ。

 

『ゴースト・ドッグ』1999年アメリカ・日本
 フォレスト・ウィテカー主演で『HAGAKURE』を読む孤独な暗殺者、ゴースト・ドッグを演じている。むかし命を助けられたマフィアの幹部に恩義を感じ、彼の依頼を受けているのだが、その依頼の一つがきっかけでマフィアを敵に回すことになる。日本というのはこういう理解も一つのあり方なのかもしれないが、陳腐だし、わかったつもりならとんでもない日本像だ。まあ目くじらを立てても仕方がない。

 

 マフィアの親分の無表情が笑わせながら不気味だ。マフィアの面々が戯画化されすぎていて、殺したり殺されたりすることにリアリティが全くない。積極的に推奨するような映画ではない。フォレスト・ウィテカーは嫌いではないのだけれどなあ。

 

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・上海』2016年中国
 日中戦争前夜の上海の暗黒街の話。とうぜん日本も関与するから日本人もいろいろ出てくる。ここでも、日本についての理解というのはこんなものなのかなあとほとんどあきらめの境地で眺めていた。組織の最重要幹部の義弟は日本人で、浅野忠信が演じている。ほとんど主演に近い。チャン・ツィイーがヒロインとして浅野忠信との絡みを見せる。この人は本当に不思議な魅力がある。

 

 ラストのシーンが効いていて全体が締まっている。戦争の残酷さ、暗黒街の掟の冷酷さがきちんと感じられる。

 

『ゲノムハザード ある天才科学者の5日間』2014年韓国・日本
 映画のテンポが微妙にぶれていて、没頭できなかった。せっかく西島秀俊を主演に使いながら、生かし切れていない。何より駄作映画のポイントである、ストーリー説明のための台詞が満載で、却ってなにが何やらわかりにくくしている。本で読むなら好いけれど、それを全部映画に盛り込むとこういうことになる。見る方は馬鹿ではないからわかるところはわかるし、わからないまま放って置いても仕方がないところもあっていいのだ。

 

 無意味に複雑で長い。お勧めできない。主人公はある理由からの記憶喪失の生化学者であるが、生化学者だから化学的知識があるはずであり、化学薬品全てに詳しいという設定は無理がある。いちおう私も化学屋の端くれなので。化学にもいろいろ分野があって、網羅的に薬品を瞬時に活用するというのは天才でも不可能だ。

2022年7月21日 (木)

『川端康成随筆集』(岩波文庫)

 川端康成(1899-1972)は明治三十二年大阪に生まれる。父は医師で、漢詩文もよくする文人でもあったという。その父は明治三十四年に死去。母とともに母の実家に移るが、翌年に母も死去。祖父母に引き取られる。小学校に上がってすぐに、彼を溺愛した祖母も死去。盲目の祖父と二人で暮らした。明治四十二年に四歳年上の姉死去。大正三年祖父死去。これで両親兄弟祖父母全て死に、母の実家に引き取られる。

 

 彼が『伊豆の踊子』を書くきっかけになった伊豆行のときは彼は一高生で天涯孤独の身の上でもあった。ただ、彼は早くから文学を志しており、そのことから出来た交友を大事にしたようだ。一高時代に知り合った菊池寛にはずっと世話になる。また同人でもあった今東光との交友も深く、今東光が国会議員に立候補したときは応援演説に走り回っている。そのことで政治的な人間としてみられることもあったことがこの随筆に書かれている。

 

 国際ペンクラブの活動に尽力し、海外の大会にもたびたび出席、昭和三十三年に副会長になり、その後会長。昭和四十年に会長辞任。昭和四十三年にノーベル文学賞受賞。昭和四十七年自死。

 

 川端康成は頼まれたことを断らずに引き受け続け、健康を損なっても無理を続けた。結果的にかなり政治的な行動を重ねたことになり、そのことがノーベル賞受賞にもつながった、という見方は彼に酷だろうか。

 

 彼の鎌倉の家には来客用の大部屋があり、人が常に出入りしていた。豪邸だったことを、弔問に訪れた山口瞳が書いている。戦時中と戦後の一時期、山口瞳の家は川端康成の家のすぐ近くで、家族ぐるみの交遊があった。そのときの家はそんな豪邸ではなく、川端康成の思いのままのしつらえだったが、死去した時の豪邸は、まったく川端康成らしくないことを哀切とともに山口瞳は記している。川端康成らしくない晩年を送ることになった日々に川端康成はなにを思ったのか。川端康成が自死したのはその豪邸ではない。

おかしい

 安倍元首相を暗殺した犯人が、車が入るようなガレージを借りていて、そこで火薬を作ったり、銃弾を作ったりしていたという。生活に困窮していたのではなかったのか。ガレージを借りる金は誰が出していたのか。住むところの金、借りたガレージの金、銃弾や火薬や私製銃作成のための道具を揃えるための金はどこから工面したのか。

 

 教団の施設に向かって試射したと言い、弾痕が残っていたのが確認されているが、試射の際に轟音がしたはずで、それを誰も聞いていないのか。聞いていたのに通報しなかったのか。通報があったけれど奈良県警は調べなかったのか。

 

 いくら聞いても犯人が安倍元首相殺害に至った動機が納得しがたい。たぶんあとで真相が明らかになると思いたいけれど、今のままのストーリーで最後まで押し通されるようなら、この世は闇である。こんなことがまかり通ってしまうとは恐ろしい。

正義の味方

 朝日新聞の川柳欄が、安倍元首相の死を揶揄するようなものばかり選ばれているとしてネット上で顰蹙を買っている、というネット記事を見た。朝日新聞を購読していないからその川柳欄を知らないし、どんな川柳が問題視されているかの断片しか紹介されていないからなんとも言いようがないが、突っ込まれていること、それに対して朝日新聞が釈明していることから、いつものように正義の味方・朝日新聞の色の濃いものだったのだろう。

 

 川柳というものはそういう毒気があるもので、批判的精神の表れであるという見方も出来るが、まだ事件の記憶が生々しい時点で、銃弾に倒れた死者を揶揄するものがいくつも選ばれているとなると、そういう句ばかりを選んだ姿勢に難癖がつけられるのは覚悟の上なのだろう。見方によれば、権力を担うものを倒すのは正義だ、というテロリズム賛美ではないか、といわれることになるわけで、朝日新聞らしいといえば朝日新聞らしい。いささか韓国のネットでの安倍元首相の死に対する姿勢に似ているのは、慰安婦問題の火付け役らしい。

 

 なお「還らない命・幸せ無限大」という句も批判されているが、これは原発事故に対する裁判で東京電力の事故当時のトップが巨額の賠償を命じられたことを詠んだ句だと朝日新聞は説明している。句の注釈にもそう書かれているそうだ。しかし、賠償命令が出て無限大の幸せを感じるという感性は理解しがたいもので、還らない命、というのをこの時期にみれば、誰でも安倍元首相のことを連想するのは自然で、いくら注釈があっても、私も安倍首相が死んで嬉しいように読めてしまう。そう読まれることを想定しての選であったのだろう。

2022年7月20日 (水)

痛いのが定常か

 左膝が痛い。左肘が痛い。左肩が痛い。腰が痛い。首が痛い。コンドロイチン錠を常用していたが、効果があるやらないやらわからない。なくなって買いそびれて一週間経ったら、膝の痛みがひどくなった。仕方なくまた飲み始めたら痛みはかなり軽減した。薬に「参ったか」と言われているようで不愉快だ。

 

 首が痛いのは昨年の交通事故の後遺症ではないか、などと思うけれど、一度は気にならないほど治っている。いまさらどうのこうの言っても始まらない。寝具や枕があわないのかもしれないと思ったりする。以前は高いまくらが安眠しやすかったけれど、首を痛めて以来、枕が高いと痛い。安眠と痛みが相反する。上を向いて寝ると腰が痛いけれど、しばらくするとおさまる。寝ている時はほとんど横を向いているようだ。そして左肩を下にして寝ていることが多くて、私の荷重がそこにかかって左肩や左肘が痛くなるようだ。

 

 腰や肩や肘や膝や首をプロテクトするはずの筋力が衰えているのを実感する。いまさら鍛えても仕方がないとあきらめている。何より鍛え直す気力も意欲も足りない。痛みは定常なのだとあきらめるしかないのかもしれない。温泉に行きたがるのは多分に痛みの改善の効果を期待してのことだが、数日程度の湯治ではほとんど効果はないようだ。

ルーティンを見失うと

 ルーティンを見失うと生活が乱れる。誰に強制されたものでもないことでも、ほとんど習慣にしている生活のリズムに組み込まれていることを大幅に変更すると、全てが億劫になってあたりがたちまち雑然とし始め、楽になったことよりも焦燥感の方が上回る。ルーティンを変更するにはよほどの覚悟と計算が必要なようだ。

 

 今日は雑用の処理と掃除の一日にするつもりでいる。 

2022年7月18日 (月)

意味がわからなくても

 意味がわからなくても苦にしない。以前から無意識に心がけていたことで、いまは意識しながら心がけていることである。

 

 さまざまな本を読んでいれば読めない字が頻出する本があり、書かれていることの意味が理解できないことは数限りなくある。それを辞書で調べたり、関連の図書を読んだり、別の著作を参照したりすることもあるが、それをしていると、途中で読み続けるのを断念することになってしまう。そういう本が本棚や押し入れに山のようにある。

 

 文字だけなら調べてわかるが、文意はたいていわからないままである。しかしそんな本をなんで読むのかと不思議に思う人もいるだろう。それはその本には大事なことが書いてありそうな気がするからである。そもそもそういう予感のしない本を購入したりしない。では読んでもいないのにどうしてだいじなことが書かれていると予感できるのか。長年本を読んでいるうちに、そういう超能力が授かったようだ、というしかない。

 

 そういう読んでよくわからなかった本は記憶の表面には残らないが、ざる頭ながら脳にはわずかに痕跡として蓄積するらしい。いつか別のところで、あああれはこういうことか、という出会いが少なからずある。そういう経験は震えるほどの喜びをもたらす。突然目の前の霧が晴れたように世界が一変して見えることすらある。読めなかった本、読んだとはとても言えない読み囓っただけの本をいまとっかえひっかえ引っ張り出して読んでいる。

 

 学生時代、中国史の講義を受け、武内義雄先生の『中国思想史』(岩波全書)という本を参考にして夏休みのレポートを書いたことがある。私は本に書き込みをしたりすることは大嫌いだけれど、いま手元にあるこの本の前半にはびっしりと書き込みがある。漢和辞典を引き倒し、その意味と読み、考えたこと、理解したことを書きこんである。後にも先にもあんなに真面目に本を精読したことはない。

 

 おかげで、そのあと中国関係の本がずいぶん読めるようになった。とことんやったあとには、今度は読み飛ばして読むことを重ね、互いの関連から意味が向こうからわかるという経験ができるようになった。まず努力する。そしてそこを原点として、そこから今度は世界を概観する。お粗末ではあるが、自分だけの世界観が次第に構築されていく。いまそのことを思い出してそういう本の読み方をしてみている。

 

 いま心底思うのは、いまのような本の読み方を四十年前、いや、せめて三十年前から出来ていたら、どれほどか私の世界地図はマシになっていたであろうかということだ。

『藤村随筆集』(岩波文庫)

 島崎藤村(1872-1943)は晩年に「簡素」という言葉を好んでいたという(夏目漱石の「則天去私」みたいなものか)。島崎藤村はどちらかと言えば油っ気の多い人物であって、そのことは本人自身が最も強く自覚していたからこその「簡素」という言葉へのこだわりだったのだろう。もともとさっぱりしてこだわりのない人間であったなら、彼の小説や詩は生まれなかったかもしれないし、少なくとも違った作品を産み出したような気がする。

 

 随筆もずいぶん書いたようで、この岩波文庫に収められた随筆集はそこから選ばれたほんの一部のようだ。あまり長文のものはなく、意外なことにたいへん読みやすい。意外というのは、私は彼の小説がなかなかすらすらと読めないからだ。肌合いがあまり合わないような気がする。それはどうしてかよくわからない。ただ、彼の詩は好きで、おなじく岩波文庫に収められている「藤村詩抄」をときどき開いて朗読する(発語障害防止のためであることは以前書いた。なにしろ独り暮らしのためにふだん誰とも会話しないので、発声が皆無の日々なのである)。

 

 名古屋で暮らすようになって、木曽路には何度も行った。妻籠や馬籠を歩いたことは数え切れないほどだ。行けば必ず思い出すのはこの地で生まれ育った島崎藤村のことだ。彼の随筆に繰り返し出てくるふるさとの思い出の景色は、だからかなりリアルな映像を伴っている。

 

 彼の交友は幅広く、この随筆集には北村透谷、二葉亭四迷、田山花袋をはじめ、たくさんの人との交友、そして別れが記されていて、そこに去来する彼の思いも素直に読み取ることができる。とくに、ともに日本の自然主義文学の旗手たらんとした友人、田山花袋との別れには、さまざまな思いがこめられていて胸を打つ。島崎藤村は若いころ、フランスに三年間滞在した。この随筆集にもしばしばその思い出が語られている。だからこそフランス発祥のゾラたちの自然主義文学を日本にも取り入れようとしたのだろう。永井荷風もフランスにいたから、ともに自然主義的な小説を書いた。しかし日本では根付かず、プロレタリア文学に形を変えていった。

 

 その島崎藤村は1943年(昭和18年)に死去。戦時中であることで、文豪としては寂しい死ではなかったか、などと勝手に想像している。まだ三分の一しか読めていない『夜明け前』をどうしようか。

2022年7月17日 (日)

読書録断片

 生活の重点を読書に引き戻している。この三日ほどはよく読めた方なので、どんな本をどのようなペースで読んでいるのか、その一端を私の読書記録の中から以下に記す。

 

『藤村随筆集』
            7/14    190-290
                    読了
反町茂雄『一古書肆の思い出 1 修業時代』
            7/14    150-160
            7/16    160-190
多木浩二『雑学者の夢』
            7/14    100-140
            7/16    140-180
                    読了
金井美恵子『本を書く人読まぬ人とかくこの世はままならぬ』
            7/14    20-60
            7/16    60-110
『川端康成随筆集』
            7/14    370-400
            7/15    400-480
                    読了
内田樹『知に働けば蔵が建つ』
            7/14    0-110
            7/15    110-180
            7/16    180-250
内田百閒『贋作吾輩は猫である』
            7/15    90-110
『臼井吉見集 1 展望1946-51 戦後文学論議』
            7/15    0-20
            7/16    20-40
『谷崎潤一郎随筆集』
            7/15    80-110
            7/16    110-140
『魯迅文集 2』
            7/16    0-60
            
 三日で読了できたのが三冊。読了したものについては出来ればいつものようにこどもみたいな感想文を書こうと思っているが・・・。

 

 いつもこのペースなら良いのだが、なかなかこんなには読めない。読みかけの本がこのほかに二十冊ほど積んであって、とっかえひっかえ引っ張り出して読み囓っている。川端康成の『伊豆の踊子』をもう一度読み直したい(今年初めに読んだばかりだが随筆集を読んでまた読み直そうと思っている)し、『禽獣』と『雪国』くらいは丁寧に読み直そうと思っている。

 

 臼井吉見という評論家が気になって古書組合で検索したら、筑摩書房版で全五巻の『臼井吉見集』を見つけたので購入した。三十代のときに彼の『蛙の歌』という本にいたく感動したことがある。もちろんこの全集に収められているので、読み直すのが楽しみだ。

2022年7月16日 (土)

日韓関係修復について

 以下はある人からいただいたコメントに応えたもの。(私はコメントについては「ですます」で書く。)

 

 日韓関係がギクシャクしているのは、韓国政府やマスコミのせいであって韓国国民は別だ、などとよく言います。
それもそうだという気もしていたのですが、最近はそれが別とは思えなくなりました。
韓国とは無理に関係修復しても日本には得るものがない(修復したら却ってマイナスの気もします)とおもえるので、このまま縁の薄い状態を続けてもかまわないと考えています。
岸田首相や林外務大臣は関係修復が正しいことだと思っているようで心配です。

 

 二十世紀初めに日本が韓国を併合して以後、一世紀以上が経過したが、韓国がどう思っているかどうか別にして、日本は結果的に莫大な損失を受けることになった。韓国を併合したことは間違いだった。歴史的に正当であるかどうか以前に、愚かなことだった。そこに権益を期待した者たちがいて、彼らはそれなりに利益を上げたのかもしれないが、日本国および日本人全体としては大損害を受けて、精神的なものを含めれば、今も受け続けているといっていい。間違ってはいけない。損害を与えているのは韓国ではなく、日韓併合を強行した者たちによって、である。

 

 損得で論じるべきことではないかもしれないが、その認識がないと再び、そして三度同じ失敗をすることを危惧するのである。日韓の関係を修復する、という時、日本と韓国は同床異夢であって、過去繰り返しの経験から見ても、その折り合いは必ず日本が譲歩するだけに終わると思うからだ。まず日韓関係を修復する必要が本当にあるのかどうか。すでに修復が正しいと決めつけているかのように見える岸田首相や林外務大臣に懸念をおぼえている所以である。

違和感

 違和感があるのは、立場の違いによるのだろう。

 

 安倍元首相を銃撃によって暗殺した犯人の、悲惨な家族の状況が大々的に報道されている。そこでは元統一教会の問題点も繰り返し報じられ、犯人およびその家族が被害者として語られている。元統一教会が悪で、犯人が被害者で、それがテロ行為の動機だという奈良県警の当初からの見立てを前提に語られる。その奈良県警の見立ては犯人が自白したそのままである。奈良県警にとっては、背後関係のない、恨み、怒りによって起こされた、偶発的で防ぎにくかった事案であるとした方が都合が良いのだろう、というコメントも見られたが、いかにもそのように見える。

 

 そもそも安倍元首相は悪だという立場で批判する人たちがいた。その立場から今回の事件をみれば、安倍首相と統一教会に多少でも関連があったなら、今回の暗殺は自業自得であるという見立てになる。それは現下では公然とは言えないから、犯人に対する同情を引くようなニュース、そこにやむを得ないという心情を引きだすような報じ方になっている気がしてしまう。

 

 韓国でも今回の安倍元首相の暗殺事件が話題になっているそうだ。韓国こそ安倍元首相に対しての心情は反日の根拠としてのシンボルであろうから、どういう見方をするのか想像はつく。今のところはマスコミは事件そのもの、そして犯人を非難する論調のようだが、ネット上では元統一教会が問題視されていることに反発もあるようだ。その出自が韓国だと指摘されていることに反発してのことらしい。極端なものは、はっきりと安倍元首相の自業自得らしき物言いをしている。なんと犯人の山上を義士とたたえているのだ。

 

 韓国の義士といって思い出すのは、ハルビン駅構内で伊藤博文を銃撃して暗殺した安重根のことで、安重根は現在も韓国の英雄である。駅構内と駅前との違いがあるが、似たような事件だなあと私などは感じてしまう。元統一教会が関与している、韓国が関与している、などがというつもりはないが、ものごとの並べ方によると、ひとりでにこういう言い方が出来てしまうということもあるのだ。気をつけないといけない。

2022年7月15日 (金)

津和野憧憬

 島崎藤村が書いた小文『鴎外漁史』の冒頭で、森鴎外のふるさとである津和野を紹介している。
 
 先年、私は山陰の方へ旅をして、鴎外先生の郷里の方まで行って見たことがある。石見国の高津川に沿うて行ったが、長州の国境に近い山間の小都会に津和野という町があって、そこが先生の郷里であった。そこまで行くと、長州的な色彩も濃くなって、石見からするものと、長州からするものが落ち合ったような感じを受ける。ちょうど真水と塩水の落ち合った感じのする町であった。私は自分の郷里が、信濃の国境にあって美濃に接近しているところから、そうした津和野のようなところには特別の興味を覚えた。

 

 津和野には四五回行った。歩き回ればたちまち歩きつくしてしまうような町だが、何度行っても居心地の好い町で、また行きたくなる。コロナ禍でしばらく訪ねていないから、そろそろ、と思い始めた矢先に第七波である。行くのを少しだけ先延ばしにしようかと思いながら、津和野の空を思い浮かべている。

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高台から津和野の町を見下ろす。赤瓦の町である。

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寿司屋ののれんが掛かった居酒屋に入った。食べたかったうずめ飯ののれんがあったからである。

冷酒に切り子のグラスに刺身の盛り合わせ。サヨリの刺身が美味かった。

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鯛のかぶと煮を頼んだらボリューム満点。

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うずめ飯。かき混ぜてしまったあと。本当は具は埋まっている。いろんなうずめ飯があるらしい。

またあの店に行きたい。

2022年7月14日 (木)

切り替え

 室温が30℃を超えたらエアコンを入れることにしているが、今朝は29℃から29.9℃まで上がったところでまたわずかに下がってきた。だからまだスイッチは入れていない。ただ、湿度がじわじわ上がってきていて、午後には雨が降り出す予報である。雨が降れば窓も閉めるので、そのときにはエアコンを使おう。

 

 なんだか心身がダルオモーの状態が続いていて、なにもする気にならない。録りためた映画やドラマをだいぶ集中して観たので、ここで一段落にしようと思う。その中からブログに取り上げたいものもあるのだが、どうもブログを書く意欲がますます減退しつつある。

 

 英国のミステリー『カササギ殺人事件』(全六話)は文句なしの傑作だった。また『Mr.ノーバディ』というバイオレンス映画は痛快であった。どちらも紹介したいがその元気がない。

 

 何より、今メインで使用しているノートパソコン(NEC)のキーが変調で、私はカナ変換なのだが濁音の「゛」を押すと「゛゛」と二度押しになってしまう障害が発生していて煩わしくて叶わない。一度打ったあとに全部見直して訂正していかなければならないのだ。必ずそうなるとは限らず、なったりならなかったりする。これを修理に出すとなれば、他に代わりがないわけではないが、このパソコンがメインなのでいろいろ差し障りが生ずる。だいじな情報もほとんどこれに集中して収められているのだ。

 

 以前別のパソコンで、やはりキーボードに問題が生じたので、外付けのキーボードを買って持っているので、それを使うしかないと思っているが、本当に腹が立つ。NECも中国製になって、DELL並みになったようだ。それにしてもいかに日本語には濁音が多いか思い知らされている。

 

 それやこれやで、気が乗った時だけブログを更新するつもりで、いままでと違って不定期になる。更新がないのは体調が悪いからではないので念のため。これからしばらくは、本でも集中して読むことにしよう。

2022年7月13日 (水)

初めてまともな

 東京電力の旧経営陣に、原発事故の責任があったことを認めて、損害の賠償をするよう命じる判決が下された。責任が明らかななかで、原発事故以後、初めてまともな判決が下された。裁判は責任を問うものであったはずなのに、いままでは地震や津波が予見できたかどうかばかりを論じていて、納得しがたい思いでいた。責任を取るということはこういうことであると思う。

好い風

 昼に室温が30℃を超えたが、開け放している北側の窓から南側へ風が吹きぬけて、エアコンをつけなくても今のところ暑さはしのげている。昨日までとは違って乾いた空気なので、この風の中で昼寝をしたら快適だろう。

 

 いろいろなことをこの二三日でかなり片付けたが、長いこと放ったままのことが一つあり、いまさらやる気にならないが心に引っかかっている。したくないことはしないままでいたい。しなければならないと思えば思うほどしたくない。片付けたあとのさっぱりした気持ちを想像してはいるのだが・・・。

 

 面白い英国ミステリードラマ(全六話)を見始めた。そちらへ意識が傾いて、ますます用事から逃げている。

 昨夜、息子と久しぶりに電話で話をした。夏休みで人が動き出す前に、大好きな日本海回りで息子のいる広島まで遊びに行こうと思っていたのだけれど、愛知県は昨日の新型コロナ感染者が6000人を超えて危機的状況である。しばらく行けない、と伝えた。元気な声を聞いて安心した。向こうもそうだろう。

自己顕示欲

 街頭でマスコミからマイクを向けられたとき、語るのを逡巡したり拒否する人と、積極的に質問に答える人とがいる。自己顕示欲の強い人なら、まず躊躇なく意見を述べるだろう。政治家というのは人一倍その自己顕示欲が強いと、たいていの人が思っている。

 

 タレントになるほどの人で、自己顕示欲のあまりない人というのは考えにくい。自己顕示欲のない人は人前で歌ったり踊ったり、しゃべったりするのは苦手だろう。

 

 タレント出身で、その知名度を武器に政治家として選挙に立候補するくらいなら、その自己顕示欲はかなりのものであろうと思うのが当たり前であって、意見を求められてそれを拒否したことで求めた方が首を傾げるのはとうぜんである。唖然としたというのは池上彰だけではなく、多くの人が唖然としたと思う。それをあろうことが、侮辱であると生稲晃子の陣営は激怒しているらしい。そのことにふたたび唖然とさせられる。

 

 代議士は機会あるごとに意見が求められる。今度はちゃんと日本の国と日本国民のためにどうしたらよいかを考えた意見を語ってもらいたいものだ。そして言うべきことを言い、するべき事をしたら、初めて今回のことを笑い話に出来るだろう。

 

 陣営は護っているつもりで彼女をバカにしているように見える。信頼しているなら語らせれば良いだけのことである。侮辱していたのは彼らではないのか。

2022年7月12日 (火)

スリランカ

 第二次世界大戦後、インドは宗教によって、ヒンズー教のインド、イスラム教のパキスタン、そして仏教のセイロンの三つに分裂した。今は東パキスタンはバングラデシュとして独立したから、四つの国になった。

 

 そのセイロンは現在スリランカと国名を変えている。

 

 スリランカは経済が破綻し、首相が国家の破産を表明し、たとえばガソリンが高騰したどころではなく、手にはいらない状態になり、怒った国民のデモが官邸に押しかけたので、首相も大統領も逃亡した。国家のデフォルトということになれば、全ての借金は一時棚上げとなる代わりに、管理はIMFなどの国際機関が行うことになる。

 

 どこにどれだけの借金があるのか詳しいことは知らないが、今まで報道されている経緯から考えて、中国がスリランカにジャブジャブと金をつぎ込んで借金まみれにしたように見える。つぎ込んだ金はスリランカの国民には回らず、あの大統領の豪邸などにつぎ込まれたのだろう。無邪気に大統領邸のプールで遊ぶデモ隊の面々はどんな思いでいるのだろうか。警備の人間も警察も制止も出来ずにあきらめ顔で退去した。

 

 どういう事情があれ、国民は生きていかなければならない。これからどうするのだろうか。

 

 ところで中国はスリランカに権益を主張し続けるだろう。どれだけの港湾や土地や建物が中国のものとなってしまったのだろう。しかしそれらは中国がスリランカにつぎ込んだ巨額の投資に見合うものなのだろうか。スリランカ一国のことなら中国はびくともしないだろうが、中国は一帯一路政策で世界中に金をばらまいている。それらの国の為政者は打ち出の小槌を預けられたかのように贅沢三昧をしている(と私は考えている)。早晩スリランカの二の舞になるのではないか。そうなれば中国自身が打ち出の小槌を持っているわけではない(中国国民は打ち出の小槌ではない)のであるから、いつか行き詰まるだろう。

 

 それを内心で期待している自分がいる。早いほど好いとさえ思う。世界の経済はたいへんだろうが、このまま中国がのさばる(世界制覇を本気で夢見ているようにしか見えないからである)よりマシだと思っている。グローバリズムの終焉が近い。その始まりを告げるのがロシアのウクライナ侵略であり、スリランカの経済破綻だと思う。長い冬が始まろうとしている。

思い込まされていないか

 安倍元首相襲撃犯が「安倍元首相が統一教会と深い関係があると思い込んで」襲撃した、と供述していると報じられ、警察は、犯人が「家庭を破綻させた統一教会と関係があると思い込んだ安倍首相を恨んで一年前から殺害を計画していた」とみて捜査しているという。

 

 犯人(襲撃したのが明白な山上徹也を容疑者と呼ぶのは違和感を感じざるを得ないから、犯人と呼ぶ)の母親が統一教会に献金して家庭を破綻させたのは2002年頃、と協会の代表は語っている。20年前である。20年間恨みをつのらせていったというのである。その間、仕事を尋常にしていた時期もあったのが、今年になって突然異常を来しているように報じられている。

 

 つまり今年になにかスイッチが入った理由があるように、私には思われる。何があったのか、それを集中して解明しないと本当の動機はわからないのではないか。

 

 警察は「思い込みによって恨み・・・」という犯人の主張を鵜呑みにして、それを前提に捜査をしている。それこそ思い込みで、犯人の思惑にはまっているのではないか。こういう事件の場合、背後に何か組織的なものの関与があるのではないか、ということをまず調べるのが常識だが、今報じられているものでは「思い込み」を元にした捜査ばかりが行われているようにしか見えない。奈良県警では荷が重い、と以前書いたのはそれが案じられるからである。報じられていることとは別の捜査が公安等によって行われているのなら良いのだが。

 ところで犯人が試射した物音を多数の人が聞いている。取材を受けた人の中には、「警察に通報した」というものもあった。通報を受けて奈良県警は調べたのだろうか。それとも無視したのだろうか。検証結果が知りたい。

 また、統一教会の建物のドアに弾痕の残っていたことが判明しているが、それに教会は気がつかなかったのだろうか。どうも信じがたいことで、気がついて通報したが、警察の捜査着手が遅れたのだろうか。これも無視したのか。当日の朝の話だと私は聞いたが聞き違いか。それを調べていれば銃撃事件の可能性を察知できたのではないか。奈良県警はそんな想像力など持ち合わせていなかったか。

 当初、「統一教会で試射」という報道を見て、やはり統一教会が協力したのか、などと勘違いしたが、本当に勘違いなのかどうか、実は内心では疑っている。どうも全てが疑わしい。

 

動くのが億劫なのだけど

 8月初めにマンションの夏祭りがあって、その事前打ち合わせに行かなければならない。テントの設営の手伝いや準備の手伝いを引き受けるつもりだ。

 

 四回目のワクチン接種の案内が来た。三回目が2月の18日だったので、今月18日以降の予約受付になる。定期検診に行っている病院で、今月末に接種の予約が取れた。妻の分も来ているから、これは入院先の病院で受けるように頼むことにする。

 

 福祉協議会の集金をしなければならない。私を含めて何人か毎年会費を払っているので、今年は組長としてとりまとめをする必要があるのだ。いない人もいたりするから一度で片付かないこともある。まあたいした仕事ではないけれど・・・。

 

 結婚相談の会社から電話があった。配偶者のいない家族はありませんか、などとという。ちょっと遊んでみようかと思ったけれど、向こうも仕事なのだと思い直して、「いません」と答えておいた。出会いの少ないらしい若者の結婚を増やすためにも頑張ってほしいものだ。

2022年7月11日 (月)

いつものぼやき

 ぼんやりしているのが私の定常状態で、ぼんやりしていると夢のように時間が過ぎていく。それでしあわせならかまわないのだが、ちょっともったいないという気持ちもある。だからぼんやりしていたときに考えたことをブログに書いたりする。たちまち二つ三つ書くことがあるときは好いのだが、何にもないことも多い。書きためてもたちまち行き詰まる。

 

 インプットが足らない時はアウトプットもないわけで、それは仕方がない。このごろ頭の回路が詰まっているのか、インプットがなかなか出来ない。これは一時的なのか、脳の老化によるものなのか。老化だとわかっていても、そうではないと思いたい自分がいる。時間はたっぷりあるのに、どうしてしたかったこと、しようと思ったことがほとんど出来ないのだろう。不思議だ。

 

 酒でも飲んで考えよう。それにしても減量したはずなのにたちまちリバウンドした。もとの水ぶくれに戻ったようだ。脳も水ぶくれしているのかもしれない。暑いからなあ。ビールが美味いしなあ。

片付けるためには

 片付けなければならないことは無限にあるわけではないから、一つずつ地道に片付けていればみんな片付いていくはずである。ときどきせっせと、ときどきほったらかしながらもそれなりに片付けているのに、片付かないものが増えていくのが不思議だ。

 

 気がつけば、片付けたしりからそれ以上に片付けなければいけないものを増やしているのは自分なのであった。私が片付いてしまわないようにしているらしい。私は片付いてしまうことをおそれているのだろうか。それなら完璧に片付けるためにはまず自分を片付けなければならないようだ。

 

 ただし、自分を片付けたりすると、片付けきれなかったものを息子や娘が片付けなければならない。生きているということはそういうことか、などと真理を発見したような気持ちでいる。そんなことをぼんやり考えているから、片付けは終わらないどころか、ますます収拾がつかなくなっていくばかりだ。生きてるなあ。

不謹慎ですが

 昨晩の参議院選挙の結果速報は不謹慎ながら、いつも以上に面白かった。本音を言えば泡沫党は退場して欲しいと思っていたが、全国を合わせればそれなりの数になるのはやむを得ないことのようで、しぶとく生き残った。私の信条から、左派の衰退は期待通りに推移したように見えたが、これも最終的にはそこそこ善戦しておさまるべきようにおさまったようだ。与党が勝ちすぎることに国民が多少のブレーキをかけたのだろう。

 

 民主主義のだいじな行事である選挙は、建前としては民意が反映されたものであり、その結果を否定して民主主義を謳うのは自己矛盾である。社民党の福島党首の選挙結果に対しての強弁は、新潟での森ゆうこ氏の敗戦にうろたえてのこととはいえ、現状をまともに認識が出来ていないことを露呈して、これでは衰退消滅は仕方のないことだと改めて感じさせた。それでもなんとか政党要件は確保したようだ。

 

 韓国は、自民党の圧勝を、今後の日韓関係の改善に期待できると報じているらしい。どうしてそう言えるのか理解しかねるが、たぶん岸田首相は与しやすい首相だから、つまり韓国から見れば甘ちゃんだから、いままでのことはなかったことにしてうまいこと出来るぞ、という見立てをしたものと思う。それなら岸田首相も嘗められたものだ。もしその見立てが違うと反日になるかもしれない。期待通りに岸田首相が動くかもしれず、そうなると衰退する韓国に日本が巻き込まれてますます日本も衰退しかねないのが心配だ。岸田首相にはそういう甘いところがあるらしいことについてはかねてから一部識者の指摘もある。

 

 中国は韓国以上に冷静に見ていることだろう。日本人というのは全体としてどういう世界観なのか、見立てどおりだなと思ったかもしれない。硬軟織り交ぜた攻勢が強まることだろう。こわい、こわい。

 

 そういえば、安倍元首相の不慮の死についておかしなことを言った小沢氏の地元、岩手で、小沢氏が応援した立憲民主党の候補が敗れ、三十年ぶりだかで、自民党が議席を奪還した。小沢氏の舌禍が直接影響したとは思えないが、彼の衰退の象徴的な結果かも知れない。

2022年7月10日 (日)

テロと暗殺

 今回の安倍元首相殺害を、マスコミがテロだと報じたりした。これについてサンモニの中で、姜尚中氏が、犯人は政治的なメッセージを発していないから、今回の事件はテロではないと言ったそうだ。サンデーモーニングという番組は肌合いが合わないので私は見ないから、ネットでの情報しか知らず、正確にどのように語ったのかは知らない。

 

 そこでテロとはなにか確認してみたら、正しくはテロリズムのことで、「政治的目的を達成するために、暗殺、殺害、破壊、監禁や拉致による自由束縛など過激な手段で、敵対する当事者、さらには無関係な一般市民や建造物などを攻撃し、攻撃の物理的な成果よりもそこで生ずる心理的威圧や恐怖心を通して、譲歩や抑圧などを図るもの」だそうだ。これはWikipediaに書かれていたもので「日本大百科全書」からの引用らしい。

 

 この定義によるならば、今回の安倍前首相殺害は政治的意図が明白とならない限り、テロとは言えないことになる。

 

 アメリカのメディアは、一斉に「暗殺」と報じていたらしい。さて同じように暗殺を調べてみると「主に政治的、宗教的または実利的な理由により、要人殺害を密かに計画・立案し、不意打ちを狙って実行する殺人行為(謀殺)のこと」だそうだ。なるほど、これなら今回の行為は「暗殺」と呼ぶのは正しいことになる。

 

 問題は、「意図」とその「結果」である。政治的な意図があったかなかったか、それは犯人の心の内を知らなければわからないし、「意図がなかった、別の理由だ」、と犯人が言い張ればそれを覆すのは難しい。

 

 だが、日本人で安倍前首相がどういう人であるか知らない人間などいない。彼を殺すことが、動機はどうあれ、極めて甚大な政治的影響を及ぼすことを知らなかったなどという言い訳は通用しない。つまり、結果から見れば重大な政治的行動だったと断定できる。しかも選挙の応援演説中の出来事なのであるから、そこで暗殺を実行することが政治的ではないという見方は私には出来ない。

 

 結論として、私は今回の凶行は「暗殺」であり、結果的に「テロ」行為だったという見方を取ることにする。

多分そうなる

 韓国の新大統領の支持率は、保守層の岩盤とみなされる30%台にまで落ち込んで来たという。つまり保守層と左派層とのあいだの浮遊層がほとんどそっぽを向き始めたということか。いま、保守政権は前左派政権の犯罪的行為を暴き立てて批判を逸らそうとしているようだ。しかし、その効果はどれほどあるのだろうか。

 

 効果がさほどないとなると、日本人ならすでにもうおなじみの、反日への傾斜が始まる可能性が高い。親日とは言えないまでも、経済通で反日に走るとは思えなかった李明博(大阪府出身と記憶している)大統領が、支持率低迷に血迷って、突然それまで歴代大統領の誰もが控えていた竹島上陸を敢行して竹島問題を炎上させ、日韓関係の悪化へ舵を切った。

 

 歴代の大統領は支持率回復のためにまず内部に敵を作って人気回復を図り、それが上手くいかないと反日で国内を煽る。それにすぐ乗せられるのが浮遊層だ。まだ具体的な反日の動きはないが、まずそうなるだろうと私は予想する。こんな予想は過去の経緯を知るものなら誰でもすることだろう。

 

 すぐ物忘れするニワトリ頭でも、これだけ繰り返し同じ経験を積ませてくれれば忘れる方がどうかしている。

「思い込んでいた」

 気になっていることがある。安部前首相を殺した犯人が、「安部前首相が宗教団体に関係していると思い込んで凶行に至った」と供述していると奈良県警の捜査一課長が語った言葉である。聞き違いだろうか。私にはそう聞こえた。ところで、「思い込んで」というのは犯人が言ったのか、捜査一課長がそう思ったのか。捜査一課長がそう思って言ったのなら明らかな予断であり、大問題である。まだ捜査は着手したばかりで何も背景が明確になっていないのであるから。

 しからば犯人が言ったとしよう。ふつうは「宗教団体に関係していると思ったので」と言うはずである。思い込んで、というのは、実はそうではなかったという、後で気が付いた場合に言う言い方である。

 犯人は冷静に迷うことなく犯行に及んでいる。自分が思い違いをしていたなどと犯行後に思ったりしないと考えられないか。そうなると、実は背後にそういう理由づけで犯行を使嗾した者がいて、その指示のもとに冷静に犯行をしてのけたが、本音のところで「思い込んで」などと自分を他人のように言う言い方をしてしまったのではないか。

 陰謀論を語るつもりはないのだが「思い込んで」という言い方が不自然な気がしてならない。本当にそういう供述をしたのだろうか。

 ところでその宗教団体の名もすでに取りざたされているようだ。取りざたされている通りなら、犯人が「宗教団体を襲撃しようと思ったが、無理だと判断して…」というのはわかる気がする。怖かったのだろう。本当にその団体と安部前首相が関係があったのかどうか、早晩誰かが報じるだろうからいまにわかるだろう。もしそのへんがかかわっているなどということなら、奈良県警では荷が重いから、捜査は別のところがしたほうがよくないだろうか。

 

2022年7月 9日 (土)

ついに第一号が出た

 安倍元首相がテロの奇禍に遭ったのは安部氏にも問題があった、という発言を誰かがするだろうと予想していたが、ついに第一号が出た(他にもあるのかもしれないが、私が報じられたのを見たのは初めてという意味で)。

 

 立憲民主党の小沢一郎氏が8日の街頭演説で、「自民党の長期政権が招いた事件といわざるを得ない」 と述べたそうだ。テロの原因が長期政権と関係するという主張は、犯人にとっても思ってもいなかったことで、びっくりしたにちがいない。そもそもそうであれば安倍元首相を狙うのは変で、現首相の岸田さんを狙うのではないか。

 

 立憲民主党の泉健太代表はさっそく注意したそうだが、マスコミは大々的にこれを取り上げて批難するべきではないか。長期政権がテロを生んだのだから政権を倒せという主張なのであろう。政権交代は当分あり得ないと予想されることから、こじつければ、これからもテロが起こると予告したと同じなのである。見過ごすべきではない。

腹が立って

 昨夜の奈良県警の記者会見はなんだったのか。私は事態の重大さから見て、とうぜん県警本部長が出てきて幹部とともに、万全をつくしたつもりだったが、事件が起きてしまい申し訳ない、と頭を下げるところから始まるものと思っていたのだが、奈良には県警本部長というのは存在しないらしい。

 

 前半の一部を見ただけだから、それで全てを判断してはいけないのだろうとは承知の上で、その記者の質問とのやりとりに腹が立った。警備担当参事官は質問に答えて、自分が全ての警備の指揮を執っていた、と認めた上で、「責任を感じる」のひと言もない。警察の上部から、警察の威信に関わるから責任を認めたり謝罪をしたりしてはならないと通達でも来ているのだろうか。

 

 主に取り仕切っていたのは真ん中にいた刑事部長とか言う人物で、今回の事件は奈良県警にとっての一大事であるから、自分が奈良県警を護ってみせる、という意気込みが、ときどき見せる凄みのある目つきに表れていた。もしかしたら県警本部長を会見の場に出さなかったのも、警護担当参事官に謝罪をさせないのもこの人物が強く働きかけたかのようである。これで自分が高く評価されると信じ切っているようだ。ドラマで観せられる組織優先をさらに戯画化してみせられている気さえした。

 

 もちろん事件を起こしたのは奈良県警ではなくて犯人である。犯人の動機、そんな狂人を使嗾したのは誰だったのか、またはなんだったのか、それはじっくりとと検証してもらいたい。しかしこれからの要人警護、広島で開催予定のG7の警護のためにも、まず警護そのものを徹底的に見直し、その責任の有り様をきちんとする必要があるが、少なくとも奈良県警にはその意識は見られなかった。

 

 県警本部長がもし存在するのなら、更迭は必至であろう。そうでなければ他の都道府県の警察もピリッと出来ないだろう。昨晩の会見を見る限り、あまり期待できない気もするが。

哀悼

 安倍元首相が、多くの人の祈りの甲斐もなく亡くなった。意外なことに、この私が訃報に接して涙ぐんだ。それほど衝撃であった。

 

 八つ当たりかもしれないけれど、警護というのは警護する人を護るのが仕事で、どんな理由であれ、護りきれなかったことについての責任は重い。いったいなにを見ていたのか。なぜ犯人を見過ごしたのか。それにしても、主な警備責任のある奈良県警の夜の会見はいったい何なのか。どこかで起きた事件の捜査の話をしているようであって、自らが警備した現場での事件だという自覚がない。責任があるのが明白なのに「捜査中なので・・・」とはなんたる言い草か。

 

 テレビで観る限り、テロに遭うのはテロに遭うだけの理由があるのだ、などということを言う人間は今のところいないようだ。いまにでてくるだろう。みんなが同じようなことを言う時に、逆張りでものを言うことで注目を集める輩というものは必ずいる。そのことを持ってそんな人間をさげすんでやる。マスコミの一部には「なぜ安倍晋三は殺されたのか」などという解釈がいろいろ語られるかもしれない。テロは殺した側の問題で、殺された側の問題ではないことを無視したこのような言説がなされたら、私はそれを強く憎む。

 

 いまは怒りをどこに向けて良いか分からない。世界中が日本に対する見方が変わってしまったかもしれない。日本はテロを許す三流国、四流国に成り下がった。G7を日本で開催することなど出来るのか。

 

 テロの実行者が犯行に至るきっかけになったことはなんだったのか、そのことはとことん調べる必要がある。それがテロを呼ぶ呼び水であったということで、おろそかに見過ごして良いことではない。このような狂人を暴走させるものはなんだったのか、知る必要がある。

 

 今はただ安倍晋三氏の冥福を祈ることしか出来ないのが哀しい。

2022年7月 8日 (金)

早めに帰宅

 たった一泊だったが、夜、爆睡して、朝起きたら、キリキリしていた気持ちがかなり治まっていた。自然の涼しさは身体にも気持ちにも良いようだ。この宿は10部屋足らずで、一部屋十畳以上とゆったりしている。造りがしっかりしているのと客層も良いためか、まことに静かである。風呂も広い。今度、機会があれば弟夫婦を誘ってまた来ても好いかもしれないと考えている。ここを起点に上高地にも行けるし、乗鞍にも行ける。数組宿泊していて、一人で泊まったのは私だけのようだった。部屋が取れたのは幸運だったかもしれない。

 

 今日は山の宿から途中立ち寄るところも考えたのだが、いろいろ歩くのも面倒になって、そのまま帰ることにした。ただし、平湯方向へはもどらず、蒲田川沿いに西行する。栃尾からは高原川となり、やがていろいろな川が合流して神通川となり、日本海へ注ぐ川だ。川沿いの景色は緑が豊富で爽快だ。この道の途中に右折すると双六渓谷というキャンプ場があり、こどもが小さい時には二度ほど来たことがある。なつかしい。

 

 そのまま行けば神岡で、神岡経由で41号線で帰るつもりだったのだが、神岡の手前で農免道路から飛騨古川へのショートカットの標識が出たので発作的に曲がった。まったく信号のない快走路で、あっという間に飛騨古川に到着。髙山はもう近い。高山から中央縦貫に乗り、東海北陸道で帰れば時間的には早いが、41号線のまま走る。これなら有料道路を使わずに済む。

 

 途中の道の駅で地酒やちょっとした土産物を買う。ある道の駅のレストランは洋食の軽いコースが楽しめたのだが、そこが普通の食堂になって久しい。コース料理だとどうしても時間がかかり、回転が悪かったのだろう。それでも多少は美味しいだろうと期待して昼食に飛騨牛のカレーを頼んだ。カレーなんてそんなに時間のかかる料理ではないのになかなか来ない。若い男女の従業員がぺちゃくちゃしゃべっている様子がなんとなく不愉快だ。ようやく供された飛騨牛カレーには小さなスジ肉が二きれほど、かみ切りにくくて歯に挟まる。それだけならまだ我慢するとして、なんとスパイスがほとんど利いてない上に甘いのである。その甘さはどう考えても砂糖を入れたとしか思えない味である。いままで食べたカレーで一二を争うまずさであった。経営者はたぶん食べたことはないだろう。早晩潰れるにちがいない。

 

 口直しにソフトクリームを食べて、気持ちを切り替え、ふたたび帰路につく。小牧の渋滞はいつものこと。四時前には我が家に無事到着。

 

 テレビをつけて、安倍前首相の銃撃事件を報じていてびっくりした。なんとか命を取り留めて欲しい。

宿にて

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夜明け過ぎに眼が覚めて部屋の窓から外を見る。朝靄が立ちこめている。

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朝日が差してきた。

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靄が晴れていく。このあと朝風呂へ。昨晩の、個室でいただいた飛騨牛メインの料理はボリューム満点だしとても美味しかった。

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建物はしっかりした造りに見える。

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私はこの階段を登った二階の部屋。

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私も旅人。

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送られて宿を立つ。外は夏の日差しだ。下界へ帰る。

展望台から

新穂高ロープウエイを降りて展望台に上がる。

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こんな風で雲の中だったのだが。

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笠ヶ岳の山頂が顔を出し、

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雲が切れて下の方まで見えてきたが、このあとまた雲が全体にかかってしまった。

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左手奥に辛うじて焼岳の端が見えた。

展望台の気温は15℃で快適。念のため薄いウインドブレーカーを持参したが不要だった。

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下りのロープウエイで、たぶんあれが槍ヶ岳かと思われる鋭峰が見えたが、見る間に雲に隠れた。

2022年7月 7日 (木)

新穂高温泉にいる

 雨続きの予報だったのが、一転好天気の予報に変わり、気になっていた宿に昨晩予約を入れた。

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 国道41号線で高山に向かい、髙山の手前から平湯へ、平湯から栃尾温泉を経て新穂高の宿の場所を確認する。なかなか雰囲気がよろしい。

 

 朝早くに出たから時間があるので新穂高ロープウエイに行く。雲が出ているが、切れ間に山が見えることもあるだろう。運次第である。

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ロープウエイの駐車場から山を見上げる。

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右奥が笠ヶ岳のはず。

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錫杖岳の前景かと思われる。

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少し雲が切れてきた気がするのだが・・・。上はどうだろう。

『伊豆の踊子』の別れの場面について

 伊豆の下田で、伊豆大島の波浮港へ帰るという旅芸人の一行と主人公の私は別れる。もう一泊だけでも一緒にとの誘いを断ったのは、すでに手持ちの金がつきかけていたからなのだが、「学校があるから」という言い訳に固執した(どうしてなのか、それくらいは私にもわかる)。そのことを詳しく解釈すると、それでまた一文作れるけれど、どうしようかなあ。

 

 はしけはひどく揺れた。踊子はやはり唇をきっと閉じたまま一方を見つめていた。私が縄梯子に捉まろうとして振り返った時、さよならを言おうとしたが、それも止して、もう一ぺんただうなずいて見せた。
 
 ここで「うなずいた」のは「私」か踊子か、という問いが川端康成に繰り返し問われているようだ。川端康成は「もちろん踊子である。踊子のつもりで書いたし、その前の文章からの流れからもそのつもりだった」と記している。私もじつはここを読んで一瞬どちらか迷ったおぼえがある。私が・・・以下の文の主語は、私しかないからである。私が「さよならを言おうとした」、私が「ただうなずいて見せた」と読み取ることが出来るし、サイデンステッカーが英訳しした時は、もちろんそのように訳している。

 

 今回、川端康成の文章を読んで、そのへんのあいまいさがすっきりした。

 

 ところで蛇足だが、はしけというのは水深のある場所に停泊している大きな船へ人や荷物を港から渡す小船のことである。「はしけはひどく揺れた」というのはそういう情景ある。踊子はそのはしけに一緒に乗って私を見送ったのである。その大きな船には乗り移るためのはしごがあって、それをよじ登る。縄梯子というのはその時代にしても珍しく、私が乗ったのは客船というよりは、安い貨物主体の船であったこともこのことでわかる人にはわかるのだ。

 

 このわかりやすい小説でも、丁寧に読めば、その時代を知らないとわからないことがたくさんある。

2022年7月 6日 (水)

川端康成

 私は川端康成の熱心な読者ではなかった。たまたま乗っていた列車が大きな踏切事故で運休となり、最寄りの駅の越後湯沢まで送られてそこに一泊したことがあり、その縁で『雪国』を読んだけれど、それほどの感銘も受けなかった。『伊豆の踊子』だけは一度ならず読んでいるし、映画も吉永小百合主演のものと山口百恵主演のものを観たことがある。それがいま気になる作家として川端康成を少し読み直そうと思いだしたのは、個人的に親交のあった山口瞳の文章を読んだからである。

 

 川端康成は終生『伊豆の踊子』の作家、という呼ばれ方をして、ありがたいことと思おうとしながらも、忸怩たるものもあったようだ。考えればその気持ちはわかるだろう。彼の随筆集には「『伊豆の踊子』の作者」という表題でいくつかの文章をまとめたものがあり、そのこだわりに関連したさまざまなことが書かれている。私が気になった以下に引用する部分は、まもなくかぞえ七十になる、とすこしあとに書かれているからその頃書いたものだろう。

 

 私の随筆と短編との選集を、ベッドで何気なく読み出したところ、よしなしごとを、なんと悪い文章で書いているのだろうと、いまさら悔恨もおよばない、ほとんど絶望にさいなまれて、哀しみへのがれるあまさもゆらめいてくれず、ゆるしがなく、救いがなかった。辛うじてなぐさめをさがすとすれば、自分はまだ新進作家であるという思いだけである。いつもそう思っていることは、私には私の確実な真相である。自分が書きたいこと、あるいは自分が書けるように天から恵まれていることを、自分はまだなにも書いていない。痛切に(とは分不相応で少し恥ずかしいが。)そう思うことで、やっといのちを保っていられるように、私は日ごろ考えがちである。これは五十年の懶惰、怠慢の、むしろ恩恵にちがいないと頑強に信じる。勤勉な人はみな死んでいったと、私が言うと人は笑う。半ばたわむれごとであるが、私としては若い時からまわりを見て来ての、半ば本気なのである。しかし、まだ新進作家のつもりなんて、聞くもあわれかと、一方自分をかえりみもする。みじめな錯覚ではないか。

 

 川端康成、1899年生まれ、1972年4月自死。

 川端康成が、書家の榊莫山の言葉を引用していた。これはもともと金沢出身の作家、室生犀星が書いていた言葉を卓説として紹介したもののようである。

 

 文字は六十くらいになると拙くとも、拙いなりなりに完成して、どんな人でも文字というものが書けるようになるものである。文字が一人前に書けるころには、死が訪れてくる。たいていの人間は、死ぬちょっと前には、字らしいものが書けるようになるのである。字の恐ろしさがこれでもわかるのだ。

 

 筆墨で字を書くことがなくなって何十年になる。書きたい気持ちは常にあって、道具も手本も用意してある。名筆のつたない臨書でいいから書いてみたい気がしてきた。書きまくっているうちに、字らしい字になることもあるだろうか。

2022年7月 5日 (火)

映画『モンタナの目撃者』

 アンジェリーナ・ジョリー主演の2021年アメリカ映画。

 

 優秀な森林消防隊員で、リーダーでもあった主人公は、判断ミスで仲間を失い少年達も救うことが出来なかったことがトラウマとなり、一線を外される。仲間の励ましの言葉の端々から、その判断ミスは彼女だけが責任を負うものではないことが解るしかけになっている。

 

 組織に追われ、モンタナに逃げてきた父子が、父親は殺害され、その息子である少年は辛くも逃げ延びる。少年は父親に託された秘密を持っており、組織は絶対にそれを奪わなければならない。監視塔にいた主人公と少年が出会い、決死の逃亡が始まる。組織の男たちは狩り出すためと警察の捜査を攪乱するために森林に火をつける。さらに主人公と知り合いの副保安官夫婦が犯人の男たちとの闘いに巻き込まれていき・・・、山火事は止めどなく大きくなって絶体絶命の中、彼らは行きのびられるのか。

 

 なかなか面白い映画だった。 

 

もう一本、『ブルース・ウィリス ドントサレンダー 進撃の要塞』2021年アメリカ映画。もちろんブルース・ウィリス主演である。だいたい題名か無意味に長い映画にろくなものはない、と断言できる。その割りには最後まで我慢して観ることが出来た。突っ込みどころ満載ではあるが、さすがにブルース・ウィリスが出ると映画が締まる。最近も何本か近作の出演映画を観たが、映画出演はもうしないようだから、それらがたぶん最後という事になるのだろう。

 

 この映画の物語が終わったあと、チラリと思わせぶりな1シーンが挿入されていた。しかし続編が作りたくてももう無理なのだよなあ、などと思った。

統合

 現役時代に、持ち株会で積み立て代わりに自社株を購入していた。端株を買いたして退職時に自分の株にしてまだ売らずに持っている。株は後にも先にもそれだけで、売買というものはしたことがないけれど、ありがたいことに毎年ささやかながら配当がある。銀行の利子は雀の涙・・・いや、蚊の涙くらいしかつかないから、それから見たらはるかに多い。それで毎年何か家電を買う足しにしたり、どこかへ旅行に行く足しにしたりすることが出来る。

 

 その配当を受け取りに、昨日は隣町の銀行まで行った。一番近いメガバンクがそこにある。雨の中、名鉄ですぐ隣の駅まで行き、そこから歩いて10分足らずのところなのだが、行ってびっくりした。入り口に銀行閉鎖の貼り紙があって閉まっている。つい二ヶ月足らず前に、この近くの床屋に行ったときにはまだ営業していたのに・・・。さらに先の名古屋寄りの街の支店に四つほどの支店だか営業所が統合された(一度に三つもなくなったということである)と書かれている。

 

 気温はそれほど高くないけれど、一寸歩いただけで蒸し暑さに汗みずくである。また駅まで戻り、名鉄に乗ってその支店のある駅へ向かう。場所がよくわからないけれど、見当をつけて歩いたらすぐ見つかった。なんだか二枚ほど書類を書かされ、免許証を確認されてようやくお金を受け取った。なんだか銀行に配当をいただいたかのようで不愉快な気持ちがした。

 

 銀行は誰のために存在しているのか、銀行は見失って久しい。銀行はリスクを構えて投資をして利益を上げる存在だったが、投資先の担保を厳密に確保してからしか投資をしないで、つまり絶対損をしない投資をしてきたから、日本のベンチャーを育てることも日本を下支えをしている優良中小企業をバックアップしたりもしてこなかったから、そこから得るべき利益も確保できずに、統合して延命するしかなくなった。銀行が金を貸したい優良大企業は銀行から金など借りない。借りなくてもやっていけるからだ。銀行が日本の新しく伸びていく企業を育てることを怠った結果が日本の衰退だろう。

 

 そんなことを考えて私が腹をたてたところで仕方がないが、余分な手間を喰った。

2022年7月 4日 (月)

忍耐力の低下

 さまざまな窓口の前で、お年寄りが怒声を挙げているのを目にすることがある。手続きが聞こえないのか理解できないのか、自分自身にも腹をたてているのであろうか。年齢によって忍耐力は低下するようである。

 

 私もその怒りの老人たちと似た様な年齢だが、よほどのことがなければそのような怒り方をしないで済む程度には忍耐力を持ち合わせている(たいていの人がそうだろう)。現役時代には営業だったから、ときには普通の人以上に忍耐を要求される場面に出くわしたので、多少は我慢強くなっているかもしれない。それでも腹にすえかねることがあったものだ。それに対して「もっとバカになれ」などとアドバイスされたりすると、そのアドバイスに対して腹がたつ。その程度の忍耐力である。

 

 映画が好きな方である。名作大作も好いけれど、カルト映画も嫌いではない。安い予算で作られていて、役者は台詞を棒読みの大根、その台詞も陳腐、ということが多いけれど、我慢して最後まで観ていると案外な、記憶に残る見所があったりする。ただし、それは何本かのうちの一本だけれど・・・。だから当たりの出そうなものをWOWOWの中から選んで録画しておくのである。

 

 ところが以前なら我慢できたことが出来なくなっていて、最後まで観られなくなった。このことで何よりも自分の忍耐力の低下を実感させられている。

 

つい昨日、途中で打ち切って消去した映画。
『惑星戦記 C-LOC』2020年イギリス映画。
『モンスター・バレー』2021年カナダ映画。

 

 最近は、中国で乱作されている妖怪映画がほとんど最後まで観られない。カナダ製のカルト映画は90%以上観るに堪えない。とうぶんそういう映画は録画しないことにしよう。以前は好きだったのになあ。

ニワトリをよこせ

 日本の企業の技術者が苦労に苦労を重ねて金の卵を産むニワトリを作り出した。そして企業はその金の卵を売ることで収益を産み出している。金の卵を買っている中国は、このたび、金の卵を買い続けてやるからその金の卵を産むニワトリをよこせと言ってきた。ニワトリをよこさないなら金の卵は買ってやらないし、中国では商売が出来ないようにしてやる、と脅かした。

 

 中国政府が、日本をふくむ外国オフィス機器メーカーに対し、複合機などの設計や製造の全工程を中国内で行うよう規制する方針を発表した。それは上のような話だと私は理解した。この話の理不尽なことは、金の卵を産むニワトリを渡せば、中国は楽をして自分で金の卵を産み出すようになり、日本の企業は金の卵が売れなくなることである。そんなことはこどもでもバカでもわかる。

 

 それを企業の経営者は理解することがなかなか出来ない。たぶん今度は次々に金の卵を産むニワトリを作って、そのニワトリを売れば良いと考えているのだろう。バカ以下である。自分で汗をかいて金の卵を産むニワトリを開発する苦労を知らないのである。リストラという名の首切りでコストダウンを行い、自分の足を食う蛸のように企業とその従業員を食い物にして、自分だけ楽をしてきた経営者の愚かさが日本を衰退させてきた。多くの技術者がリストラされて、またヘッドハンティングされて、中国に魂を売ることを余儀なくされてきた。

 

 その経営者たちは、この中国の方針に「危機感を示している」そうである。

私もやったことがある

 『鏡花随筆集』(岩波文庫)の中から、『野宿』全文。

 

 六部巡礼など、諸国をめぐるもの、また宿なしの野宿するものなどが語るよし。行暮れて、夜更けに唯木の葉の下に露を凌ぎて宿するに、一寸聞きては不気味なるべき、火葬場、墓原、寺の境内などは少しも凄からず。夜一夜、森として快く眠り得れども、宮、社などは殊の外心置かれて恐し。怪しきものの眼に見ゆるといふにはあらねど、水の音、風の声の他に、何ともなく物音するが、不思議に耳につきて易からず思ふものとよ。火葬場まではなかなかに大儀なり。宮は間近なればその不気味さ加減を試みむとて、月のあかかりしに、高き石段をのぼりて、暗き森の中を潜り出で、やがて社縁にのぼりぬ。額はあれど見えず。狐格子の奥は限なく遙かにて、身に染む思ひありしが、斯くてもひるまず、欄干につきて左の縁に曲がらむとして、一目見て、ゾッとして立竦みぬ。朽ちたる縁の上に、ちぎれちぎなる蓆(むしろ)ありて、その上に、椀と、皿と置きたる、皿は一所欠けて白く、椀の剥げたる色の赤きさへ、月あかりにあかるく認めたるなり。これにこそ。

 

 若いころ、酩酊して、夜中に街はずれの神社にふらふらと入ってみたことがある。鳥居から短い参道を入ったとたん、世界が一変した。鳥居の外に出ればすぐ近くに人家のあかりがあるものを、周辺を囲む大きな木々の間に立って空を見上げれば、この世に今自分ひとりしかいないという思いがのしかかってくる。拝殿の前に立ち、身動きできなくなった。逃げ出すのがいやだと思う気持ちとともに、背を見せたとたんに何かが背後から迫るような気持ちもした。しばらくそうして立っていた。

 

 夜の闇の世界は昼の世界とは違うことを実感した。

2022年7月 3日 (日)

『言葉の術』

 『藤村随筆集』(岩波文庫)をまだ読み出したばかり。テーマ別にいくつかの章立てになっており、最初は言葉について書かれたものが収められている。冒頭が『言葉の術』という、短文を重ねたもので、それを読んでさまざまなことを連想した。

 

「詩を新しくすることは、私に取っては言葉を新しくすると同じ意味であった」から始まる。思えば藤村は作家ではなく詩人として出発した。「言葉がすり減らされもてあそばれているうちに、本質に対する感じを新鮮に伝えることが出来なくなっている」、という。「蕉門(芭蕉とその一門)が、旧い言葉を脱却するためにどれほどの思いをしたか見よ」、と語る。

 

 そして「旧い言葉を壊そうとするのは無駄な骨折だ。ほんとうに自分らの言葉を新しくすることが出来れば、旧い言葉はすでに壊れている」と断じる。さらに「言葉というものに重きを置けば置くほど、私は言葉の力なさ、不自由さを感じる」。しかし、「どんな形式でものを書こうと、筆執るものとしての私たちは結局言葉の力をかりて、それをあらわすの他はない」。

 

 そこから、ロダン、世阿弥などを引用して、さらにフローベールの「一つの事、一つの物を言いあらわそうとするには、一つの名詞、一つの動詞、一つの形容詞しかない」という言葉について考察する。転じて長谷川二葉亭(二葉亭四迷)の言文一致にについて自分の考えを述べていく。

 

 そのあと江戸時代前期の俳人、上島鬼貫の文章をいくつか引用しているが、そのひとつ
「いつはりを除きて、まことをのみ言ひ述べんと、力を入れて案じ侍るは、いつはりを言ふにはまさりたれど、これも亦まことを作りたる細工の句にて侍り(後略)」

 

 これらから藤村が詩というもの、そして歌や俳句についての自分の考えを深めていく。

 

 ここにあるのは明治の文人たちが、新しい時代の新しい言葉、文体、文章というものを産み出すために格闘したことの一端が見えて、そのことを深く思ったのである。ただし、これは昭和五年に発表された文章のようで、私が考えた意味のつもりで藤村が書いているのかどうかは確かではない。

 

 辞書を引けば、言葉には多様な意味があることが分かる。フローベールのいうように、そして藤村がそれに共感したようには言葉は厳密ではない。そして西洋では言葉をより明確に意味づけようとするが、そもそも日本の言葉は和紙に墨が滲みこむようにひろがって、言葉の縁があいまいである。俳句はもともと連歌の発句から成立しているように、言葉の連想を味わうものだ。墨の滲みが消えかかるその先をつなげていく詩であるからこそ、これだけ短い文章で広がりのある世界を謳うことが出来るものなのだろう。

 

 そして鬼貫の「いつはりを除きて、まことをのみ言ひ述べんと」という言葉からは、正岡子規の写生主義が思い浮かぶ。藤村がそれを意識していないはずはないと思う。それは「これも亦まことを作りたる細工の句にて侍り」ではないのか、などと私は考えたりした。
    
 明治の文人が自分の言葉を生み出すためにもがいた結果がたくさん残されていて、それを少し苦労して読むことの面白さは、彼らが他人の真似ではなく、オリジナルを作っていくしかなかったからだと思う。

映画『クリフハンガー フォールアウト』

 2021年イギリス映画。舞台はロッククライマーが集まる大岸壁のあるイタリアのドロミテ山岳地帯。原題は『The ledge』だから岩棚ということで、岸壁にわずからせり出した突起状の足場のことをいうのは映画を観ていれば痛烈に理解できる。あのシルベスター・スタローン主演の傑作『クリフハンガー』を引き合いに出した邦題は、しかし名前負けしているとまでは言えない。高所恐怖症の人はとことんその恐怖を味わうことが出来るだろう。

 

 ある思い出を胸に女友達と二人で岸壁登攀を計画して山小屋に泊まった主人公は、隣の山小屋の男達四人に夜の食事に誘われる。なんとなく気の乗らない主人公だったが、女友達に手を引かれてしぶしぶ座に加わるのだが・・・。

 

 迫る危険に対しての感知能力の足らない人間が悲劇の被害者の一番目となり、なおかつ原因となってしまうという状況の映画は無数にあり、その愚かさ、無神経さにはいつも腹が立つのだが、そうでないと物語は始まらないから仕方がない。

 

 犠牲者を出してしまったことでそれを糊塗しようとエスカレートして行く男たち、主人公のヒロインは装備不十分なまま岸壁を登攀することで虎口を脱する。男たちの一人は登攀能力があるが、他の男たちはそれが出来ず、別のルートから先回りしようとする。あと一歩のところで男たちが上の広い岩棚に到着してしまい、彼女は絶体絶命のピンチになる。それからの絶望的な攻防が映画のクライマックスで、見応え充分。思った以上に面白い映画だった。まだクラクラする。

『魯迅文集 6』

 竹内好の『魯迅文集』(ちくま文庫)は全六巻で、今回読んだのが最終巻である。第一巻が小説、第二巻が随筆、第三巻以降は評論が収められている。この第六巻は魯迅が晩年に書いたもの、そして論争の文章である。魯迅は論争好きで、批判の筋が通っていないものや、理解不足で誤解されたり、悪意が含まれたものに対しては徹底的に反論した。しかも繰り返し執念深く追求するから、よほどの覚悟がないと立ち向かえない。日本人だと森鴎外あたりのしつこさだろうが、それをはるかにしのぐ。それに森鴎外はいちゃもんに近いところがあって(このことは、谷沢栄一に教えられた)、魯迅には論理性でもかなわない。

 

 論争は部外者として読めば楽しい。ただし、楽しむためにはいつどのような時期にどのようなメディアで発表された文章なのか、その意図と魯迅の怒りの理由がわからないといけない。さいわい竹内好はその点で初出の明示、そして注釈を漏らさず、理解が可能になっている。

 

 小説と違って、作家の随筆や評論は、その人物や考えを知るために読むところもあって、その点がとても大事で、それが不十分であってはならない。いま読んだり読み終えたりしている随筆集や評論はたいてい問題ないが、『藤村随筆集』(岩波文庫)は残念ながら編集が時系列に沿わないのに、初出がわかりにくく、著者がどういう背景でその文章を書いたのか判然としない。

 

 先般、そこに収められた『言葉の術』という小文について、思ったことをまとめようとしたが、それが明治時代に書かれたのか、昭和時代に書かれたのかわからないので、まとめられずにいる。ある部分を、言文一致についての島崎藤村の考えとして受け止めたけれど、まったく違うのかもしれないのだ。よく調べたからいまはわかったが、こういう不親切は欠陥であろう。

 

 ところで『魯迅文集』は第一巻とこの第六巻しか読了していないので、読みかけの第二巻を継続して読み、合わせて今度第三巻を読み始める。ちょっとした理由があるのだが、どうでもいいことなので書かない。

1803-172_20220702173301紹興の魯迅記念館にて

2022年7月 2日 (土)

オープンマインド

 NHKのドキュメント『オープンマインド 小泉八雲の愛した日本の原風景』という番組はなかなかよく出来ていた。出雲をはじめとした島根県の風景とその信仰の世界は、確かに日本の原風景といえるだろう。0か1かというデジタル世界は、正義か悪か、味方か敵か、という世界で、古来からの日本のオープンマインドとは違う世界だ。それは一神教の絶対世界と日本の多神教の世界の違い、自然を敵とみなす世界と敵とみなさない世界の違いであろう。

 

 日本人がグローバル社会やデジタル社会と適応しきれずに疲労し、沈滞し、衰退しているように見えるのは、このような世界観の違いによるものかもしれない。ではそれに適応できないことは競争に負けるから悪いことなのだろうか。

 

 私はどうやら日本のオープンマインド、自然との融和の思想こそが隘路で血を流し続けている世界の人々を救う出口かもしれない、などと妄想した。少なくとも私はそう思い、そういうものにこそ価値を見いだしていこうと思った。

 

 松江に、宍道湖に、そして出雲大社に、そしてしばらく行っていない津和野に行きたいと心底思った。

Dsc_0005_20220702143701小泉八雲記念館

Dsc_0036_20220702143701松江城

Dsc_3538_20220702143701出雲大社

Dsc_0060日御碕神社

Dsc_0053_20220702143701日御碕夕景

Dsc_4421_20220702143601津和野にて

Dsc_4438津和野にて

映画『X-ミッション』

 人間がこんなことまで出来るとは・・・と驚嘆するようなシーンの連続である。エクストリームスポーツというらしい。私はどれひとつチャレンジしようとは思わない。限界を超越する、ある意味では修行といっていい八つのチャレンジと犯罪とが結びついていて、そのチームに新人のFBI捜査官が潜入する。

 

 実はこの映画は『ハートブルー』という映画のリメイクである。『ハートブルー』(1991)は私の映画ベストテンに必ず入れる映画で、パトリック・スウェイジとキアヌ・リーヴスが共演している。私は髪がむさ苦しく長い男というのが嫌いである。例外がこのパトリック・スウェイジとカート・ラッセルで、パトリック・スウェイジを知ったのはこの映画である。残念ながら若くして亡くなってしまった。もちろん普通の人は『ゴースト ニューヨークの幻』でパトリック・スウェイジを記憶しているだろう。私はそれよりも『シティ・オブ・ジョイ』という映画が忘れられない。私が劇場で観たときは『歓喜の街』という邦題だったような気がするのだが。

 

 潜入捜査官が潜入先の面々に感情移入していき、任務と友情に引き裂かれていくというテーマは同じだが、映画の見所はずいぶん違う。リメイクではあるがこちらの映画もすばらしい。見応え満点なので、見つけたら是非鑑賞をお勧めする。

アラメ御飯

 アラメという海藻があって、むかし釣り宿から船釣りに出て、釣果が少ないときなどに手土産にもらったりした。食べ方を教わって、アラメ御飯を作った。関西風にいえば、かやく御飯である。

 

 先月、温泉宿で舞茸御飯を供され、とても美味かったので自分でも二度ほど作ってみた。そこそこ上手く出来た。そこでアラメ御飯を思い出した。ところがスーパーでアラメを探しても見当たらない。ネットで調べたら伊勢のアラメが見つかった。想像以上に高い。

 

 そういえば、私の生まれ育った九十九里では、雑煮は海藻をふんだんに振りかけて食べる。具はそれだけ。ハバ(という海藻)、青海苔などを板状にしたものをあぶり、鰹節を削ったものを大量に加えて皿に盛って、手づかみで、すまし汁の餅の上にたっぷりかける。そのヒビなど、いまは板状のものが一枚数百円から千円もするというから驚く。採れないのか採る人がいないのか知らない。食べる人もいないのだろう。アラメもそうなりつつあるのかもしれない。さっそく取り寄せた。

 

 そのアラメを水で戻しておき、油揚、細かく刻んだニンジンとともに油で炒めて、酒、醤油、砂糖、みりんなどを加えて炒め煮して水分を飛ばしていく。少し濃いめの味付けが良い。

 

 これを炊き上がった御飯に混ぜるだけである。これだけで美味しい。海藻は身体に良いらしいから、ときどき作ろう。

2022年7月 1日 (金)

うわの空

 快晴猛暑の日々が続いていたが、来週は一転、雨交じりらしい。これだけ急に予報が変わるのだから、そのときにならないとわからないが、矢張り来週も猛暑という可能性もある。雨なら出かけようか、などと臍曲がりは考えたりしている。温泉はすいているし、雨なら部屋でゴロゴロすることに迷いはないではないか。

 

 自分ではなにごとも真剣に考え、見てきたつもりだが、作家の随筆集をいろいろ読んでいると、見る集中度、真剣度がまるで違うことを思い知らされる。それから見れば、私などほとんど全てをうわの空で眺めてきたに過ぎない。そのことは海外、国内の旅行から帰って、撮った写真を眺めたときに気がつかされることが多かった。写真には写っているけれど、自分は見ていないもののなんと多かったことか。

 

 いま身の回りを見渡しても、祖父母の米寿のお祝いに贈り物をしたお返しとしてもらった堆朱の壺でも、ただそこに置かれているけれど、よくよく見ればその彫り物の絵には物語があることがわかる。そんなこと気づきもしなかった。そのとなりには鳴子で買った現代風のこけしがある。そのこけしの本当の愛らしさを初めて知ったりする。

 

 一度読んだ本を読み直して、初めてそこに心打たれることが書かれていることに気づくことが何度あったかしれない。自分がどれほどうわの空で生きてきたか、なんだか気が遠くなるほどの無駄を続けてきたのだといまさら気がついて愕然とする。目を覚まさないと行けない。

映画『デューン 砂の惑星』

 2021年のアメリカSF映画。私は傑作だと思う。

 

 何度も書いてきたが、私は同世代の多くの少年同様SF少年だった。他の人と違うのは、たいていの人が成長とともにSFから離れていったのに、ずいぶん長くSFおとなでもあり続けたことだ。中学校のころ早川書房から創刊されたSFマガジンを夢中で読み、バックナンバーを揃えていた。いまも持っていたら貴重品だが、失って久しいのが残念だ。海外のSFはもちろん、日本の小松左京、筒井康隆、眉村卓、光瀬龍などの小説をリアルタイムで読むことが出来たのはしあわせなことだった。私のイチ押しは、光瀬龍の『百億の昼と千億の夜』。こう書いているとまた読みたくなってしまう。

 

 そんななかでこのSFマガジンで、アメリカのフランク・ハーバードの『デューン 砂の惑星』という小説が素晴らしいと推奨されていた。翻訳されたものを読んだのは大学生のころだった。重くて暗いSFだなあという印象だった。推奨されていなければ最後まで読み切れなかったかもしれない。物語を頭の中で映像化しきれずに、消化不良のままだった。デヴィット・リンチが1984年に映画化して、その映画を観た。こんな物語だったかなあ、という思いがした。

 

 今回、この映画を観て初めてこの物語の壮大さ、過去、現在、未来にまたがる世界観のようなものが初めて理解出来た気がしている。『スター・ウオーズ』のように全てを描いてしまうのではなく、ある期間の叙事詩を語ることで歴史の流れを語っている。SFの苦手な人には最もわかりにくいだろうこの物語を、この映画なら理解できるのではないだろうか。無理かなあ。面白いけれどなあ。ただし、とても長い映画だからそのつもりで。

反中世論

 少し前に、韓国では反日世論が下火になって、いまは反中だと韓国メディアが報じていたのを目にした。ただ、韓国ではマスコミの報じ方、政府の動向によっていつまたコロリと反日が煽り立てられ、たちまち反日一色にならないとはかぎらない。そういう国なのだ、といまは多くの日本人もようやく理解したから、反日が和らいだ、と報じられても、「だから?」という程度の受け取り方で、「良かった」だの「嬉しい」などとは簡単に思わないと思う。

 

 ところで最近の世論調査によると、韓国の八割が反中だそうだ。アメリカでは82%、日本では87%、オーストラリア86%、スウェーデン83%、ドイツとカナダでは74%だったという。どこの国も過去最高であるという。親中の国でも反中比率が上がっているらしいが、そういう国ばかりの数字が報じられているというのでなければ、中国はずいぶん嫌われたものだ。

 

 ただし、この数字は中国で報じられることはまずないだろうなあ、と想像する。アフリカや南米ではまだ親中が多いだろうから、そのことだけが伝えられていることだろう。中国には自国に都合の悪いことは国民に知らせないという厳格なルールがあり、世界のルールや他国のルールも自国に不都合なら守らないというルールが適用される国である。ルールの上にルールがあるということだ。

 

 嫌われながらのさばる国、のさばるからますます嫌われる国、というのもなんだか哀れだけれど、哀れんでばかりはいられないから恐ろしい。ところで反中世論という文字を見て、「半中世」を論じるとはどういうことか、と一瞬考えてしまった。

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