『藤村随筆集』(岩波文庫)をまだ読み出したばかり。テーマ別にいくつかの章立てになっており、最初は言葉について書かれたものが収められている。冒頭が『言葉の術』という、短文を重ねたもので、それを読んでさまざまなことを連想した。
「詩を新しくすることは、私に取っては言葉を新しくすると同じ意味であった」から始まる。思えば藤村は作家ではなく詩人として出発した。「言葉がすり減らされもてあそばれているうちに、本質に対する感じを新鮮に伝えることが出来なくなっている」、という。「蕉門(芭蕉とその一門)が、旧い言葉を脱却するためにどれほどの思いをしたか見よ」、と語る。
そして「旧い言葉を壊そうとするのは無駄な骨折だ。ほんとうに自分らの言葉を新しくすることが出来れば、旧い言葉はすでに壊れている」と断じる。さらに「言葉というものに重きを置けば置くほど、私は言葉の力なさ、不自由さを感じる」。しかし、「どんな形式でものを書こうと、筆執るものとしての私たちは結局言葉の力をかりて、それをあらわすの他はない」。
そこから、ロダン、世阿弥などを引用して、さらにフローベールの「一つの事、一つの物を言いあらわそうとするには、一つの名詞、一つの動詞、一つの形容詞しかない」という言葉について考察する。転じて長谷川二葉亭(二葉亭四迷)の言文一致にについて自分の考えを述べていく。
そのあと江戸時代前期の俳人、上島鬼貫の文章をいくつか引用しているが、そのひとつ
「いつはりを除きて、まことをのみ言ひ述べんと、力を入れて案じ侍るは、いつはりを言ふにはまさりたれど、これも亦まことを作りたる細工の句にて侍り(後略)」
これらから藤村が詩というもの、そして歌や俳句についての自分の考えを深めていく。
ここにあるのは明治の文人たちが、新しい時代の新しい言葉、文体、文章というものを産み出すために格闘したことの一端が見えて、そのことを深く思ったのである。ただし、これは昭和五年に発表された文章のようで、私が考えた意味のつもりで藤村が書いているのかどうかは確かではない。
辞書を引けば、言葉には多様な意味があることが分かる。フローベールのいうように、そして藤村がそれに共感したようには言葉は厳密ではない。そして西洋では言葉をより明確に意味づけようとするが、そもそも日本の言葉は和紙に墨が滲みこむようにひろがって、言葉の縁があいまいである。俳句はもともと連歌の発句から成立しているように、言葉の連想を味わうものだ。墨の滲みが消えかかるその先をつなげていく詩であるからこそ、これだけ短い文章で広がりのある世界を謳うことが出来るものなのだろう。
そして鬼貫の「いつはりを除きて、まことをのみ言ひ述べんと」という言葉からは、正岡子規の写生主義が思い浮かぶ。藤村がそれを意識していないはずはないと思う。それは「これも亦まことを作りたる細工の句にて侍り」ではないのか、などと私は考えたりした。
明治の文人が自分の言葉を生み出すためにもがいた結果がたくさん残されていて、それを少し苦労して読むことの面白さは、彼らが他人の真似ではなく、オリジナルを作っていくしかなかったからだと思う。
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