初めて正宗白鳥を読む
明治時代の末期に文壇の主流をなした自然主義文学は、大正に入るとともに主流ではなくなった。当初加わっていた永井荷風はすぐたもとを分かち、もともと反発していた幸田露伴、そもそも最初から独自の道を行く夏目漱石、森鴎外は、自然主義とは相容れなかった。
永井荷風はべつにして、日本の自然主義といえば、田山花袋(1871-1930)、島崎藤村(1872-1943)、徳田秋声(1971-1943)、正宗白鳥(1879-1962)が主な作家で、私は島崎藤村の『破戒』以外はほとんど自然主義の著作を読んでいない。二三年前に、一度読んだはずだがよく内容に記憶のない田山花袋の『蒲団』を丁寧に読んだ。こんなものかと思った。
田山花袋は昭和5年に死んでいる。島崎藤村はつかず離れずで次第に自然主義作家と言えない作家になった。その島崎藤村と金沢出身の徳田秋声は昭和18年、つまり戦時中になくなっている。そして正宗白鳥は名前だけは知るっていたが、その著作を読んだことは全くなかった。
小学館の『昭和文学全集』に正宗白鳥の作品も収められているので、今回初めて読んだ。読んだのは『今年の春』と『今年の初夏』という小品である。『今年の春』は旧家の老人の死の様子が第三者の眼で語られている。そして『今年の初夏』では、八年後のその老人の妻の死が、長男である著者の目を通して語られている。
「家」というもの、「家族」というもの、「村落」の人間関係などが淡々と語られるなかで、自分とそれらとの関係の意味をどう捉えるのか、著者を通して読者にも問われているような気がする。
さらに『今年の秋』、『戦災者の悲しみ』その他読みやすそうな小品を読み続けてみようと思っている。こんなに読みやすい作家だとは思わなかった。自然主義はやがてプロレタタリア文学に流れを変えて全く違うものになってしまったけれど、正宗白鳥だけは一人自然主義文学にこだわって作品を書き続け、昭和37年まで生きた。
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