三度泣く
昨晩は二度ほど喉が渇いて目が覚めたが、寝られなかったというわけでもないのに、残りの野菜スープと天ぷらの朝食を食べたあと、やたらに眠くて昼までうつらうつらしていた。身体がコロナワクチンに適応するためにガンバっているのかもしれない。
うつらうつらしながら弟夫婦の夢を見た。六十を過ぎても仲のよい二人がにこにこしているという、どうということのない夢だった。もうすぐ母の命日で、例年なら実家にあたる弟夫婦の家に行って、二三日酒を酌み交わしたりして歓談するのだが、今年はコロナ禍で行くのを取りやめにしたので、代わりに夢で会ったのだ。
弟は父に似てショウユ顔で、いい男だったから高校時代からモテた。弟夫婦は大学時代からの付き合いでそのまま結婚した。いまでもときどき弟の嫁さんは自分の亭主を嬉しそうに眺めていたりする。同い年だが、弟は姉さん女房のように嫁さんに頼り切っている。弟は旅行に行っても嫁さんの写真ばかり撮りまくる。
私は母譲りの四角い、顎の張った顔で、モテたことがあまりない(まったくないわけではない)。母の四角い顔は祖父譲りだ。祖父は明治生まれの頑固親父で、私はしつけの半分以上を祖父母に受けた。だから煙たい存在だったけれど大好きだった。その祖父が言っていた言葉「男は一生に三度泣けばよい」。いつ泣くのか訊いたら、「生まれた時と親が死んだ時だ」という。それなら二回ではないか、と言ったら「バカ者、親は二人いるだろう!」、なるほど。
私は涙もろくて、映画やドラマの泣かせるシーンではつい涙が出る。本を読んで泣くこともある。それなのに父や母が死んだ時にはちっとも涙が出なかった。祖父母のときもそうだった。罰当たりなのだ。でも、もう会うことが出来ないのだという、当たり前のことに思い至って愕然とすることはときどきある。私の場合、喪失感と涙は連動していないようだ。
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