片付けるためには
片付けなければならないことは無限にあるわけではないから、一つずつ地道に片付けていればみんな片付いていくはずである。ときどきせっせと、ときどきほったらかしながらもそれなりに片付けているのに、片付かないものが増えていくのが不思議だ。
気がつけば、片付けたしりからそれ以上に片付けなければいけないものを増やしているのは自分なのであった。私が片付いてしまわないようにしているらしい。私は片付いてしまうことをおそれているのだろうか。それなら完璧に片付けるためにはまず自分を片付けなければならないようだ。
ただし、自分を片付けたりすると、片付けきれなかったものを息子や娘が片付けなければならない。生きているということはそういうことか、などと真理を発見したような気持ちでいる。そんなことをぼんやり考えているから、片付けは終わらないどころか、ますます収拾がつかなくなっていくばかりだ。生きてるなあ。
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