江藤淳『昭和の文人』(新潮文庫)
手元にあるものを探す。ふとなにを探しているのかわからない自分に驚く。または探すものはわかっているのだけれど、目の前にあるのに気がつかない自分に驚く。若い時にもこういうことはたまにあった。そんなことを気にしたりしなかった。いまそれを老化の表れだと気に病むことこそが老化なのだろう。
江藤淳の評論、『昭和の文人』に主に取り上げられているのは、評論家の平野謙、作家の中野重治、堀辰雄の三人である。私の好きな開高健や、安岡正太郎などを始めたとした多くの作家が取り上げられているわけではない。ではどうしてその三人が選ばれ、詳細にその生き方、そしてその作品が評論されているのか。
それは昭和という時代を、どう自分の問題として受け止め、解釈し、それを作品に反映させたのか、またはさせることが出来なかったのか、それを検証することで、全ての作家、そして昭和を生きた日本人にその生き方を問うものとなっているのである。もちろん最も大きな出来事としての日中戦争、そして太平洋戦争があった。思想的に闘いを挑み、しかし挫折したり、または引きこもり、または直面せずに夢の世界に生きたりした。
取り上げられた三人がどう批評されているか。その批評は巷間の評価とはたぶんかなり異なるものとなっていて、それが却ってドラマチックに読める。
中野重治と言えば、夫人は女優の原泉だったことを年譜を読んで思い出した。女優と言っても奥目で四角い顔の、肩の張ったおっかないおばあさん役で私などは記憶している。覚えているのはよほど年配の人だけだろう。関係ないけれど、たまたまNHKの山内泉アナウンサーの名前から原泉を思い出したところだった。女性的柔らかさのない人だったけれど、嫌いではなかったのだ。
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