『藤村随筆集』(岩波文庫)
島崎藤村(1872-1943)は晩年に「簡素」という言葉を好んでいたという(夏目漱石の「則天去私」みたいなものか)。島崎藤村はどちらかと言えば油っ気の多い人物であって、そのことは本人自身が最も強く自覚していたからこその「簡素」という言葉へのこだわりだったのだろう。もともとさっぱりしてこだわりのない人間であったなら、彼の小説や詩は生まれなかったかもしれないし、少なくとも違った作品を産み出したような気がする。
随筆もずいぶん書いたようで、この岩波文庫に収められた随筆集はそこから選ばれたほんの一部のようだ。あまり長文のものはなく、意外なことにたいへん読みやすい。意外というのは、私は彼の小説がなかなかすらすらと読めないからだ。肌合いがあまり合わないような気がする。それはどうしてかよくわからない。ただ、彼の詩は好きで、おなじく岩波文庫に収められている「藤村詩抄」をときどき開いて朗読する(発語障害防止のためであることは以前書いた。なにしろ独り暮らしのためにふだん誰とも会話しないので、発声が皆無の日々なのである)。
名古屋で暮らすようになって、木曽路には何度も行った。妻籠や馬籠を歩いたことは数え切れないほどだ。行けば必ず思い出すのはこの地で生まれ育った島崎藤村のことだ。彼の随筆に繰り返し出てくるふるさとの思い出の景色は、だからかなりリアルな映像を伴っている。
彼の交友は幅広く、この随筆集には北村透谷、二葉亭四迷、田山花袋をはじめ、たくさんの人との交友、そして別れが記されていて、そこに去来する彼の思いも素直に読み取ることができる。とくに、ともに日本の自然主義文学の旗手たらんとした友人、田山花袋との別れには、さまざまな思いがこめられていて胸を打つ。島崎藤村は若いころ、フランスに三年間滞在した。この随筆集にもしばしばその思い出が語られている。だからこそフランス発祥のゾラたちの自然主義文学を日本にも取り入れようとしたのだろう。永井荷風もフランスにいたから、ともに自然主義的な小説を書いた。しかし日本では根付かず、プロレタリア文学に形を変えていった。
その島崎藤村は1943年(昭和18年)に死去。戦時中であることで、文豪としては寂しい死ではなかったか、などと勝手に想像している。まだ三分の一しか読めていない『夜明け前』をどうしようか。
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