私もやったことがある
『鏡花随筆集』(岩波文庫)の中から、『野宿』全文。
六部巡礼など、諸国をめぐるもの、また宿なしの野宿するものなどが語るよし。行暮れて、夜更けに唯木の葉の下に露を凌ぎて宿するに、一寸聞きては不気味なるべき、火葬場、墓原、寺の境内などは少しも凄からず。夜一夜、森として快く眠り得れども、宮、社などは殊の外心置かれて恐し。怪しきものの眼に見ゆるといふにはあらねど、水の音、風の声の他に、何ともなく物音するが、不思議に耳につきて易からず思ふものとよ。火葬場まではなかなかに大儀なり。宮は間近なればその不気味さ加減を試みむとて、月のあかかりしに、高き石段をのぼりて、暗き森の中を潜り出で、やがて社縁にのぼりぬ。額はあれど見えず。狐格子の奥は限なく遙かにて、身に染む思ひありしが、斯くてもひるまず、欄干につきて左の縁に曲がらむとして、一目見て、ゾッとして立竦みぬ。朽ちたる縁の上に、ちぎれちぎなる蓆(むしろ)ありて、その上に、椀と、皿と置きたる、皿は一所欠けて白く、椀の剥げたる色の赤きさへ、月あかりにあかるく認めたるなり。これにこそ。
若いころ、酩酊して、夜中に街はずれの神社にふらふらと入ってみたことがある。鳥居から短い参道を入ったとたん、世界が一変した。鳥居の外に出ればすぐ近くに人家のあかりがあるものを、周辺を囲む大きな木々の間に立って空を見上げれば、この世に今自分ひとりしかいないという思いがのしかかってくる。拝殿の前に立ち、身動きできなくなった。逃げ出すのがいやだと思う気持ちとともに、背を見せたとたんに何かが背後から迫るような気持ちもした。しばらくそうして立っていた。
夜の闇の世界は昼の世界とは違うことを実感した。
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