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2022年7月25日 (月)

内田百閒『贋作吾輩は猫である』(旺文社文庫)

 内田百閒(1889-1971)は岡山生まれで夏目漱石門下。他の門下生との交遊は少なかったが、芥川竜之介とは同じ陸軍士官学校の教授(芥川竜之介の紹介らしい)でもあったから親しかったようだ。のち法政大学のドイツ語の教授となる。黒澤明の映画『まあだだよ』の中に出てくる教え子たちはこのときの学生達である。しかし(私にとって)あの映画は観るに堪えない駄作であった。思い出しても寒気がする。黒澤明はなにをとち狂ってあんな映画を作ったのだろう。観ているこちらが恥ずかしかった。

 

 この小説はもちろん夏目漱石の『吾輩は猫である』の本歌取り(和歌ではないけれど)である。ビールに酩酊して烏の勘公の行水する大きな水瓶にはまってあえなく最期を遂げた吾輩が、どういうわけか数十年後(『吾輩が猫である』が発表されたのは明治38年、『贋作・・・』は昭和24年である)にその水瓶から辛くも這い上がって生還する。苦沙弥先生の家はすでになく、居着いたのは五沙彌先生のところである。ここには吾輩を目の敵にする下女は居らず、五沙彌の他には可愛がってくれる小さな神さんしかいない。

 

 もちろん五沙彌先生は、苦沙弥先生が夏目漱石であるように、内田百閒自身。ここに出入りするさまざまの人物との会話、猫社会での様ざまな出来事など、ほとんど原作に似せながらも、内田百閒自身のオリジナルとなっている。読んでいて、つい声を出して笑うことが何度もあった。声を出して笑うなどというのはしばらくぶりだ。登場人物のモデルのいくつかは見当がつくが、解説の平山三郎は全部を明らかにしてくれない。ちなみに若い飛騨里風呂君は平山三郎らしい。左ぶろ・・・さぶろうということだ。かなりひねられている。平山三郎は『阿房列車』シリーズではヒラヤマ山系と呼ばれているのは内田百閒の読者ならご承知の通り。

 

 是非興味があれば夏目漱石の『猫』共々読んでいただきたいところだが、今この本が簡単に手にはいるかどうかわからない(旺文社文庫はすでにないし、福武文庫もない。調べたらちくま文庫の内田百閒集成にあるようだ)。それに多少のしゃれを理解する知性が必要だが、このブログを読んで興味を持つくらいの人なら大丈夫だろう。特に猫好きなら読まないのはもったいないくらいの楽しい本だ。

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