年譜を読む
暑いとものを考える力が衰えるようで、だから暑いのは苦手である。苦手でも夏はますます暑くなるし、エネルギー不足はとうぶん解消する見込みはなさそうだし、今年はなんとかしのげても、来年、再来年と状況が改善するかどうかわからない。悪化すると思っておいた方がいいかもしれない。人類は繁栄を謳歌しすぎてその絶頂期をすでに終えたのではないか、などと悲観的な気持ちになる。
本はぼちぼちながら読んでいるから、ブログに書きたいこと、書いておきたいことはそれなりにあるのだが、書くためにはものを考える必要があり、その考える力が暑さで衰えているので、まとまらない。
江藤淳という評論家の書いたものを読むのが好きで、繰り返し読む。さまざまな評論家の本を読むと、比較のために引っ張り出すので、繰り返し読むことになるのだ。今は臼井吉見の評論集を読んでいるのだが、ついまた江藤淳の『昭和の文人』を読み、そこに取り上げられている堀辰雄の『幼年時代』の批評を読み、そうして同じ題名の江藤淳の絶筆、『幼年時代』を読み直したりしている。
江藤淳の『幼年時代』には巻末に詳細な年譜が添えられていて、江藤淳の人生を反芻した。同時に江藤淳が嘘八百だ、と批判した堀辰雄の『幼年時代』に関連して、全集に収められた堀辰雄の年譜を読んだ。年譜というものがどこまで真実なのか、詳しく知るとその作家の本質にまで至る、ということを江藤淳は教えてくれる。
ついでに同じ全集に収められているなかから、何人かの年譜を読んだ。織田作之助、尾崎士郎、武田麟太郎、火野葦平、阿部知二、中山義秀など。尾崎士郎は『人生劇場』の青成瓢吉が尾崎士郎自身がモデルであることは承知していたが、年譜で最初に同棲し、結婚したのが、宇野千代だったことを初めて知った。また火野葦平の『花と龍』の主人公の玉井金五郎とその妻マンは、彼の両親がモデルであったことも有名だ。火野葦平自身も後にあとを継ぎ、玉井組を率いていた時代もあった。彼の『糞尿譚』という傑作を高校時代に読んで、強烈な印象をうけたことを思い出した。中山義秀は若いころ、時代小説作家として読んでいたことがある。
年譜を読むといろいろなことが連想されたり、交友関係も興味深い。そういえば、江藤淳夫婦の媒酌人が奥野信太郎だったことに初めて気がついた。
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