文豪に関する谷崎潤一郎のこぼれ話
谷崎潤一郎は硯友社の面々のうち、何人かと面識があったが、御本体の尾崎紅葉とは会う機会がなかった。硯友社に加わり、後に自然主義文学に走って硯友社を離れた徳田秋声が、谷崎潤一郎に対し、「君なら紅葉山人に可愛がられただろうなあ」と言った。谷崎潤一郎はよく考えてみたら、似ているところもあるけれど違いもあるので結局うまくいかなかっただろうと思ったそうだ。
硯友社では泉鏡花がことのほか尾崎紅葉を崇拝していたという。もともと徳田秋声は幸田露伴が好きだったが、露伴はこわそうなので紅葉門下になったというから、硯友社の集まりのときに「紅葉なんてそんなに偉いことはない」と本音を言ったとたん、泉鏡花が激昂して徳田秋声を殴りつけたという。徳田秋声の身体の大きさは知らないが、泉鏡花は小柄で痩身である。私も泉鏡花がそんな熱血漢とは知らなかった。ちなみに泉鏡花も徳田秋声も金沢出身で、同郷である。
夏目漱石について、谷崎潤一郎はこう書いている。
漱石が一高の英語を教えていた時分、英法科に籍を置いていた私は廊下や校庭で行き違うたびにお時儀(ママ)をした覚えがあるが、漱石は私の級を受け持ってくれなかったので、残念ながら謦咳に接する折がなかった。私が帝大生であった時分、電車は本郷三丁目の角、「かねやす」の所までしか行かなかったので、漱石はあすこからいつも人力車に乗っていたが、リュウとした対の大嶋の和服で、青木堂の前で俥を止めて葉巻などを買っていた姿が、今も私の眼底にある。まだ漱石が朝日新聞に入社する前で、大学の先生にしては贅沢なものだと、よくそう思い思いした。
谷崎潤一郎が泉鏡花と鶏鍋をつついた時の話も面白い。健啖で食べるのも速い谷崎潤一郎だが、泉鏡花はよく煮えてからしか食べない人で、鶏を鍋に入れると次から次に谷崎潤一郎が食べてしまい、いつまでも泉鏡花は食べることが出来ない。しまいには、「この鶏肉は俺のだからな」、と泉鏡花が指さしてじっと待っているのに、それにも手をつけると「あっ、それは」と言って、なんとも情けない困った顔をしたそうだ。谷崎潤一郎の悪ふざけだが、私がやられたら許さないだろうなあ。
島崎藤村についても書いている。彼を嫌っていた作家として、永井荷風、芥川竜之介、辰野隆(ゆたか)の名をあげている。漱石は公然とではないがかなり嫌っていたようだという。そういうことを書いているくらいだから、もちろん谷崎潤一郎は島崎藤村を嫌っていた。
文豪、文筆家たちのこのようなエピソードが大好きです。
一癖もふた癖もある文豪たちの、幼児のような相手の嫌い方、笑ってしまいます。
投稿: おキヨ | 2022年7月25日 (月) 09時26分
おキヨ様
楽しんでいただいてありがとうございます。
もっとヒンシュクを買うような逸話もありますが、あまり気持ちの好いものではなかったので省きました。
みんな自己主張が強いですから、さがせば山のように逸話があるだろうと思います。
投稿: OKCHAN | 2022年7月25日 (月) 10時03分
こんにちは
泉鏡花の潔癖症について聞いたことがある話ですが、彼は豆腐の腐という文字を嫌がり豆府と言ったそうですし、エビを「土左衛門を食べているから嫌だ」と食べなかったそうですね。またお酒もグラグラ煮てから飲んでいたそうです。そんな彼ですがタバコはやめられなかったらしく恐らくそれが原因でしょうか、肺がんで亡くなったそうですね。
では、
shinzei拝
投稿: shinzei | 2022年7月25日 (月) 16時08分
shinzei様
確かに泉鏡花の随筆では、豆腐は豆府と書かれています。
そうして尾崎紅葉のように江戸っ子であろうとして江戸趣味に飾りますが、それこそが最も江戸っ子らしくないことをたぶん紅葉は見抜いていたのではないでしょうか。
そうしてそのコンプレックスを鏡花自身も自覚していたでしょう。
それらも含めて泉鏡花が好きです。
投稿: OKCHAN | 2022年7月25日 (月) 16時31分