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2022年8月

2022年8月31日 (水)

無事帰着

 宿のチェックアウトはゆっくり(12時まで)なので、のんびりしようと思ったのだが、早く帰りたくなった。欅平で、たかだか30メートルほどの階段を登ったり降りたりしただけで、左膝と腰が痛くなった。段差の大きな階段で無理をしたのが響いたらしい。まことに身体がポンコツになったのを実感させられている。昨日より今朝の方が痛みがひどい。だからどこかに立ち寄るという気も起きない。

 

 夜明け前に朝風呂に入ろうと思ったら、廊下で大声でしゃべっているおじいさんたちがうるさくて(その辺りにエレベーターがある)、そのおじいさんたちも風呂に行くのかと思ったら行きそびれてしまった。まだ暗いうちの静寂の中の人声はとても響くのだが、そのことに思いが至らないのだろう。

 

 朝食後少しゆっくりして九時過ぎにはもう出発した。黒部インターまで、のんびり走る軽トラックの後ろを走る。私の後ろにも長い車の列ができたが、たぶん軽トラのおじいさんかおばあさんは後ろなど気にしないのだろう。

 

 黒部インターから北陸道に乗り、魚津の近くの有磯海のサービスエリアで何か土産でも買おうと思っていたのだが、よらずにそのまま通過した。急いでいるわけではないのだが、土産はいいや、と思ったのだ。富山を過ぎて小矢部ジャンクションで東海北陸道に移る。なんとなく山に雲がどんよりとかかり、いつ雨が降ってもおかしくない気配だ。今朝の予報ではところどころ強い雨が降ると言っていた。

 

 白川郷を過ぎて、分水嶺にあたる松ノ木峠(1050m)を越えればあとは下りである。飛騨清見からは二車線になるので、アクセルをやんわり踏むだけですいすい走る。郡上白鳥のあたりから大粒の雨がフロントガラスに打ち付けるようになり、ついにはワイパーが利きにくくなるほど雨が強くなった。車が洗車機の中にいるようだ。おかげできれいになっただろう。さいわい岐阜に近くなったら雨は上がり、晴れてきた。宇奈月を出発するときの外気温は23℃だったが、岐阜では34℃、帰ってきたなあと思う。

 

 帰ってすぐに洗濯。資源ゴミの日なので用意していたもの(空き瓶空き缶多し)を出す。晴れていて風があるけれど蒸し暑い。明日は雨らしい。

 

 無事帰着できたことは幸いであるが、危惧された天気もまずまずだったこともありがたかった。宿は古いホテルで、格安ではない部屋を予約していたら特別料金なしで、特別室をあてがってくれたという。広いし静かなのがありがたい。ただ、風呂や食事処から遠いのである。もらった館内の案内図をよくよく見てようやく配置がわかった。ただ館内の案内の看板はあんがい丁寧で、見当さえつけばあとは迷わずいける。それでもボケはじめたら危ういかもしれない。

 

 食事はバイキング。若い人も多いので、結構脂っこいものが多い。酒は有料なので、飲み放題をを頼む。むかしは宿に申し訳ないほど飲んだものだが、今は借りをお返ししているところだ。いちいち頼むより楽で良い。食べる方もむかしの半分以下。こういう人がいて全体で帳尻が合う。それにしても細身のおばさんたちの健啖なことは驚くほどで、脱帽した。どうして普通の日にこどもがいるのかと思ったら、まだ夏休みであった。宿題は済んだのか。

トロッコ列車(2)

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水道橋。現役らしい。

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トロッコ列車は11月末までしか運行しない。雪が深いのである。このコンクリートの壁の中はトンネルになっていて、ダムや鉄道のメンテナンスの人はこの中を歩いて通う。欅平まで六時間歩くのだという。途中屈んで歩かなければならないところもあり、たいへんらしい。この写真にはないが、ところどころ空気穴がある。

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放水中のダム。ダムは途中にいくつもある。

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こういう景色も好いと思う。

 

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単線なので駅で交換する。案外頻繁に交換がある。

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トロッコ列車はこういう風になっている。

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駅の看板には必ず標高が書かれている。宇奈月がたしか224m、欅平駅は599mだった。後半に勾配が急になる。

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山がさらに深くなっていく。水の色が変わる。

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これが鐘釣山だと思うのだけれど・・・。

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鐘釣駅。もう欅平は近い。

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若いころなら、こんなところで何日かのんびりするのも良いのだが。

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もうすぐ欅平。この下あたりに川床を掘ると露天風呂になるところがあるはず。

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欅平に到着。結構たくさん乗っていたのだ。さあ周辺を歩こう。

トロッコ列車(1)

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宇奈月駅の壁のレリーフ。トロッコ列車は電気機関車が牽引する。

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今回は機関車二両、客車十三両の編成。機関車は一両で7台まで牽引できるそうだ。前が一号車、私は二号車。屋根はあるが窓はない。ドアもないので跨いで乗る。最近、寝ながらではあるが、もも上げをしているので躓かずに乗ることができた。

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出発。前日撮った写真はまさにここを通過したあたりのもの。左手の黒い部分からこちらを撮った。下の鉄橋はむかしのもので、今は人が通れるらしい。

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最初のダム湖とそこにかかる赤いアーチ橋。黒部川の特徴はこの青色の水。花崗岩の岩盤の上を流れていることによるらしい。

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とても美しい。前回来たときもこの青色に感激した。列車は最高時速25キロ、平均16キロほどでガタゴトと進む。ナローゲージという狭い線路で、新幹線のちょうど半分なのだそうだ。

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牽引する二台の機関車が見える。山はどんよりと暗い雲におおわれている。降らなければ良いが。

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サルが両岸を渡るための橋。サルは平気で往き来するそうだが、幅は狭いし手すりもないから人間には無理だ。

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トンネルが多い。トンネルのなかは20℃以下と思われ、風が冷たい。

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黒薙(くろなぎ)に到着。看板にあるようにここが宇奈月温泉の源泉で、パイプで送られている。湯は無色透明。

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黒薙駅のすぐ先にある青い鉄橋の後曳橋。あまりの高さにダム工事の工夫たちが尻込みしたことからつけられたという。じつは私の部屋の名前がここから採った後曳なのだ。

写真をたくさん撮ったので、まだ続く。

2022年8月30日 (火)

宇奈月散策

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宇奈月の観光案内所前。ホテルから宇奈月の駅まで五分あまり。左後ろに踏切があって、その向こうが駅である。

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宇奈月温泉駅。富山の駅から電鉄富山が走っている。ここが終点。

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温泉噴水。手は入れてみなかった。熱いかもしれないから。

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電車の向こうから撮影。富山から少しずつ登りながら田園の中を走る電車と記憶している。

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トロッコ列車の駅は電鉄の宇奈月温泉駅から五分あまりのところにある。途中に足湯があった。

右手奥に見えているのがトロッコ列車。

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黒部峡谷鉄道。通称トロッコ列車。さらに駅の向こうまで足をのばして黒部川が見えるところまで行く。

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おお、黒部川だ。水が澄んできれいだ。温泉地特有の色をしている。トロッコ列車の鉄橋と、電鉄富山の鉄橋がならんでいる。・・・後でトロッコ列車に乗ったときに聞いたら、手前の鉄橋は電鉄富山のものではなく、今は使われていないトロッコ列車の鉄橋なのだそうだ。

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少しアップにしてみる。

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そうこうしているうちにトロッコ列車が通過していった。

このあと黒部峡谷鉄道の歴史などを見せてくれる建物に行き、トロッコ列車に乗っているような体験のできるビデオを見せてもらった。ようやく時間が潰せたので、ホテルにチェックインした。

これは昨日の話で、今日は実際にトロッコ列車に乗る。天気は曇りで雨が降りそうだ。出かける前の朝にこれを書いている。予報では午後までは持つというのだが・・・。前に乗ったときも途中から雨になって欅平で冷たい雨の中を歩くことになった。

一流国とは何か?

 昨日、「一流国って何でしょうか?」という質問に「何流国か」というブログで考えを書いたつもりだが、答えになっていない、というコメントをいただいた。

 

 観念的にいえば、信用できる国であること、信頼できる国であること、敬意を表される国であること、それらが総合的に評価の高い国が一流国である、と私は考えている。それらのことが具体的なそれぞれの国についてどうであるか、何を指標にするかによって、違うだろうと思うから、私は相対的だろうと書いた。さらにいえば矜持のあることかと思うが、国際関係は矜持などというものを全く軽んじているから、指標になりにくいかもしれない。ただ、どこの国が矜持がない、ということは言えるかもしれない。いろいろ考えていると、そもそも一流国なんてあるのかどうかわからなくなってきた。質問はそういう意味なのかもしれない。それを気づかせようとしてくれたのか。

 

 私は安倍首相の時代に、それ以前(尖閣問題での民主党の対応など)よりも明らかに日本の国のそれらの評価が高まり、そしてそれが再び失墜しつつあるように感じたから、それが安倍首相の功績だと考えた。もともとのブログはそういうことを書いたつもりなのだが、そう思わない人もいることもとうぜん承知している。

 

 ただ、私が自分を一流だと思っているのだろう、などといわれると、困惑するしかない。一流の人とはたくさんの人からリスペクトされる人のことだ、と考えているので、私は誰かにリスペクトされているはずだ、などという思い上がりこそ、誰からもリスペクトされないと承知しているつもりなのだが、残念だ。それほど私は至らない人間なのだろう。評価は他者がするものであるし、だからこそ、自分が一流だというような人間は二流以下だと念を押したのだが・・・。

日石寺のつづき

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夫婦岩から坂を下り三重塔に向かう。日石寺の上に戻ったのだ。

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木組みがよくわかる。こういうものを建てる人を尊敬する。

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よく見ると壁がない。構造がよくわかる。

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本堂。後ろが崖になっていて、大きな磨崖仏がある。行基上人が彫ったものだという。撮らせてもらえるなら写真にしたいけれど、拝観の人もいるので遠慮した。代わりに椅子に座ってじっくりと眺めさせてもらった。岩は凝灰岩だそうだ。凝灰岩は火山の噴出物が堆積してできた岩で、彫りやすいのだそうだ。ただし風化もしやすい。建物が護っていることになるわけだ。そんな説明を若い人にしている人がいた。

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多くはないが参詣の人は切れることなくいる。

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鐘楼の下に小さな洞穴がある。

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狭い。屈んで入らなければならない。若い女性二人がいつまでも陣取っていて、身動きがとれないのでそうそうに中から出た。厄除けの御利益があるらしいが。

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それより苔むしてなんだかわからない形になっている狛犬だか、唐獅子らしきものや

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なんとなく生きているように見えるこの石などの方に神秘的なものを感じたりした。

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寺の周辺にはこのようなお店がいくつかあり、賑わうこともあるらしいように思った。

歩き疲れたし汗も掻いたので車に戻り、まだ早いのだが宇奈月へ向かった。

一度北陸道へ戻り、有磯海のサービスエリアで焼き鯖鮨を購入。腹一杯になった。そこから魚津を過ぎて降り口の黒部インターはすぐである。

2022年8月29日 (月)

日石寺

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宇奈月温泉の宿に二時前に到着してしまった。三時にならないと部屋のキーは渡せないというので、一時間ほど時間つぶしに温泉周辺を散策した。日差しは強いし、蒸し暑いので汗が流れる。

鉄橋の写真を撮っていたら、タイミング良くトロッコ列車が通った。あしたこれに乗るのだ。

その宇奈月の報告の前に、昼に立ち寄ったお寺、日石寺(にっせきじ)の写真を見ていただく。

日石寺は真言密宗の大本山だそうだ。行基が彫ったという磨崖仏で有名である。

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ナビに案内された駐車場は以前とは全く違うところで、観音堂の下にあたる狭いところだった。もっとずっと広い駐車場があるのだ。その数台しかおけない駐車場の前に滝がある。

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階段を登り観音堂内を拝観する。

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ぐるりと回ると観音様の座像がある。

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近くに仏像がたくさんならんでいて、中央が不動明王。

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こちらは滝行用の滝。

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夏なら涼しくていいだろうとおもうが、今日は誰も滝に打たれていなかった。

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さらに奥に行くと愛染堂があり、右手を登ると夫婦岩に行ける。階段と坂にちょっとうんざりする。前に来たとき(十数年前)はすいすいいけたのに。

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夫婦岩前。このがけが二つに割れていて、階段を登ってあいだを通り抜けることができる。

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どうということはない。抜けてもその先は崖で行き止まり。絵馬が架かっている。

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上から見下ろす。

このあと三重塔を見に行く。つづきはあしたとする。

富山に行く

 これから二泊三日で富山に行く。宇奈月温泉で二泊し、あいだの日にトロッコ列車に乗る予定である。心配なのは天気だけ。雨ならせっかくのトロッコ列車も写真が撮れない。今日は一カ所、以前行ったことのある、堂内に磨崖仏のあるお寺に立ち寄るつもり。真っ暗だし、撮影禁止なので磨崖仏の写真は撮れないが、全体が良い雰囲気のお寺だ。夕方、宿に着いたらその報告ができると思う。

 

 では行ってきます。

2022年8月28日 (日)

永井荷風と佐藤春夫

 スカスカのざる頭なので、いったい誰の本で読んだのか定かではないが、永井荷風が死んだ後、『三田文学』で追悼評論の代表をどれにしようか、と評議されたとき、佐藤春夫はてっきり自分だと思ったら、選ばれたのはまだ当時若手だった江藤淳の『永井荷風論』だった。佐藤春夫にとって一番弟子だと思っていたのに屈辱だったようだが、それには理由が山ほどあった。それを自覚していなかったのは佐藤春夫本人だけだった。一説には佐藤春夫に反対したのは相弟子の久保田万太郎だったとも言われている。

 

 『三田文学』を創始したのは永井荷風であるし、佐藤春夫と久保田万太郎は一時期慶応の教授だった永井荷風から直接教えを受けている。しかし性格があまりに違い、後に永井荷風は佐藤春夫を毛嫌いしている。その一端を臼井吉見集の『蛙のうた』の中で取り上げていた。荷風の『断腸亭日乗』引用である。

 

 (昭和)十八年十一月十二日
「佐藤春夫右翼壮士の如き服装をなし人の集まるところに出で来り、皇道文学とやらを喧伝する由。風聞あり。」

 

 永井荷風の最も嫌悪する、文士としてあるまじき姿に見えたのだろう。

 

 別の評伝には、荷風の言葉として

 

(戦時中コーヒー豆がなくなって喫茶店でコーヒー豆によるコーヒーが飲めなくなった話から、)

 

「そのあとは黒豆やあずきのコーヒーになっちまいましたぜ。それでも軍人だけは飲んでいたんですよ。だから日本は負けてしまったんですよ。軍人が政治に口を出したり、文学者が政治家のような口をきく世の中なんて、あれは乱世です。ぼくはいちばんきらいな世の中をあのころ経験した。書こうと思う小説だってああいう風潮のときは書く気がしなくなったものですよ。」

 

 そういう荷風は終戦間近にその頃はもう禁止されていた浅草レビューが舞台の『踊子』という小説を書き上げており、もちろん戦時中は発表できずに、戦後いち早く、臼井吉見が編集していた筑摩書房の雑誌『展望』に掲載された。

 

 『三田文学』といえば、わが敬愛する奥野信太郎がいるし、安岡正太郎もいる。井伏鱒二、丹羽文雄、柴田錬三郎、石坂洋次郎、遠藤周作など(あえて名を挙げたのは愛読したことのある人だけ)多士済々、名を挙げていけばきりがないほどの文士たちを輩出している。

 

 佐藤春夫は後、『小説永井荷風伝』(既読)をものしている。『小説』というのが意味深ではないか。

何流国か

  昨日書いた「逆風」という拙ブログに、「一流国ってなんでしょうか?」というコメントをいただいた。私なりのお答えをしたつもりだが、答えになっていないと思われたかもしれないので少し考えてみた。

 

 その国が一流か二流か三流か、はたまたそれ以下かというのは、そもそもその国の人が決めるものではないのかもしれない。自分で一流だ、という人間は二流以下であることが多いものである。

 

 日本が何流かと問えば、北朝鮮や中国ならよくて二流、たいてい三流以下だと答えるかもしれない。それほど海外へ行ったわけではないし、こちらは観光で行くから向こうは歓迎の意味で持ち上げてくれるから、割り引いて考えなければならないとはいえ、日本の評価は思っている以上に高いのを感じる。一流か、一流並み、程度には評価してくれているように思う。

 

 日本人が日本を何流と考えるかは、甚だしく違うようだ。たいていの国は自国にプライドがあるもので、自国をあしざまに言うひとは少ないものだが、不思議なことに日本ではあしざまに言うのが正義だと信じるのが流行のようだ。日本が差別だらけの国だ、とか、政治は間違いだらけで庶民は苦しめられている、とか、自分が弱者であると標榜するのが流行(はやり)のようである。

 

 なにごとも相対的なものであり、格差の甚だしい国と較べれば日本は平和で暮らしやすい国だし、問題点を列記していけば問題だらけの暮らしにくい国に見えるのだろう。見解の相違が甚だしいようで、と私はコメントに書いたが、基準をどこに置くかで全く異なることを改めて感じた次第である。

 

 私は生活に困っていない。たぶんめぐまれているから脳天気なのだ、と見られるだろうし、それはそれで仕方がないことだ。

 

 問題は格差にあり、それを解消するのが正義の味方の目指す正しい政治、ということなのだろうが、みんなが豊かになれた時代は望んでももう来ないと思うので、つまりみんなが貧しくなることを目指すことになる気がする。私は食べていけさえすれば、それならそれで別にかまわない。

 

 安倍政権の成果を批判して糺弾している立憲民主党が政権をとったら、そのような国を目指すことになるだろうから、世の中が今より生活が良くなることはまずないだろうと確信はしている。今の岸田政権であっても、その不定見さが危うく思えてならないのに・・・。今のままでも日本は自他共に評価が三流国以下になってしまうようで心配だ。つまり日本はますます貧しくなっていくだろうということだ。今までのところ、貧しくても評価の高い一流国、というのは見たことがない。

 

 そんな日本がアフリカに四兆円を投資するというのだから、岸田さんも中国と張り合って大ばくちを打ったものだ。その金がどこの誰に流れ込み、どう使われたか、ちゃんと把握できるのだろうか。やってしまう金ではないのだ、という言い訳はあるだろうが、はて、貸したとしても還ってくる当てはあるのか。食糧確保のためだというが、半分でも食糧自給の方策に回したらどうかと思うのだが。

 岸田さんも一流国の一流指導者のつもりなのであろう。

過剰を呑み込む

 開高健(1930-1989)に出会ったのは高校生のときだった。全集で読んだ彼の一冊には、『パニック』や、『流亡記』、『裸の王様』が収められていた。『裸の王様』で芥川賞受賞。『日本三文オペラ』はしばらく後になって読んだ。どれも忘れられないほどの強烈な印象を与えられた。衝撃だった。戦後作家の作品で最も感銘を受けた。思えば彼を起点として、谷沢栄一、向井敏を知り、山口瞳や安岡正太郎へとひろがっていった。

 

 その開高健の全ノンフィクション・全五冊は私の宝物である。二段組で四百から七百ページほどもあり、どれも分厚くて一気に読めるような代物ではない。ときどき引っ張り出しては少しずつ繰り返し読んでいて、読んだものとまだ読んでいないものが斑になっているが、常に新鮮な印象をもらう。今は第五巻にあたる『言葉ある曠野』という本を読み直している。ここにあるのは、彼そのものである豊穣であり、過剰な言葉である。

 

たとえば映画と読書について

 

 その厖大な時間のあいだ、切れぎれにではあるけれど、私は戸外の白日光の中での現実から遊離し、自身を瞶める過酷な視線からのがれ、孤独の穴からでていることができたのだから、考えてみればありがたいわけであった。書物は孤独に読まれるが映画も孤独に見られる。孤独を忘れるための孤独ということでは感触がよく似ている。それは仮死の時間であり、慈悲でもある。墜落と同じくらいに上昇でもある。

 

 彼は膨大な数の映画を観、そして厖大な書物を読んだ。そしてその厖大さに押しつぶされることなくそれを呑み込み、咀嚼し、自分の言葉に変えて文章を紡ぎ出した。怪力の人であったけれど、その怪力が彼自身をも拉いでしまった。

 ちなみに開高健は「かいこうたけし」が正しい読みだが、本人は「かいこうけん」と読まれることを否定していない。私は当初「かいこうけん」と読んで、そのままいまも「かいこうけん」である。

2022年8月27日 (土)

保護色

 保護色というものがある。自らを護るために周囲に同化し、目立たないようにして危険を避ける方法だ。危険とは自らを襲うおそれのあるものの存在のことで、自然界では捕食者のことを指す。

 

 人間界では、捕食者はしばしばマスコミであり、マスコミに扇動された、一般庶民と言われる洗脳されやすい人びとのことだ。一度ターゲットにされるとあることないことが、針小棒大に取り上げられて叩きのめされるから恐ろしい。何しろ攻撃する大義は正義なのだから。

 

 そういうわけで、それが危険だと感知できる人間は保護色の中に身を潜め、ひたすら目立たないように努めるしかない。しかし、世の中には目立ちたい人というのが少なからずいて、騒がれることを快感と感じることの出来るものがいる。そうしてその中の一部がときどき捕食者の餌食になることで世の中は治まっている。うまく出来ているのである。

 ところで保護色を打ち消してしまう装置がフル活動しているのが中国で、あらゆる監視装置を駆使して保護色を無効化している。もちろんここでの捕食者は中国政府である。だから私は大嫌いだけれど大好きな中国にあれだけたびたび行っていたけれど、いまは危険を感じて二度と中国に行くのはやめようと決めている。あれだけ自由に独りでほっつき歩けたことが思えば懐かしい。

逆風

 毎日新聞の記事がネットで取り上げられていた。見出しは「誤算だった国葬への『逆風』 政府、世論恐れ弔意表明要請できず」。

 

 私などは、まさにマッチポンプだなあ、としか感じないがどうなのだろう。「国葬」を非難しつづけて、国民の国葬反対へ導いておいて、世論は「国葬」に批判的だ、などと報じているようにしか見えない。

 

 それにしてもこんな事態になっているのは岸田内閣の世論迎合姿勢をマスコミが利用しているからに他ならない。「聞くこと」を大事にする、と表明している岸田首相としては、世論に迎合するしか道はないなるのだろうか。違うだろう。自分の信念、それに基づく方針を確固として持っていて、その上で意見や批判を聞き、必要なら修正する、というのが「聞く」ということだろう。

 

 新型コロナ感染の全数調査を見直す、と表明したときの言葉に「各地方自治体の意向に任せて」と語ったのを聞いて唖然とした。つまり責任は各自治体に丸投げすると言ったのと同じではないか。つまり岸田首相という人は、「聞く」ことで、相手がそう言ったからこうした、という姿勢の人なのである。自分でなく相手に責任を預けてしまう、預けるだけならまだいいが、責任を負わせてしまう人ではないかと感じてしまう。

 

 それなら岸田政権を担う閣僚たちは、常に決定の責任を負わされると思うから、安倍首相時代よりはるかに事なかれ主義になる。官僚もそうだろう。松野官房長官の、国葬についての説明も、説明になっていない。どうして安倍元首相の功績を列記しないのか。最初に長期政権だったことをことさら重く語るのは、批判を呼び込むようなものでしかない。長ければ良いというものではないのは反論の真っ先に来るだろう。

 

 功績を功績として認めないような反論は山のようにあるだろう。しかし、それをちゃんと認める人もいる。たぶんマスコミで国葬に批判的な言葉を語る人たちが想像するよりはるかに多くの人がいる。私もその一人で、何より安倍元首相の功績は、世界の中で、日本が三流国、四流国の地位に落ち込みつつあったものを一流かまたは二流という位置に辛くも取り戻すことに功があった。それがいかに日本にとって、なおかつ世界にとって価値のあることだったのか、それを語れない岸田政権というのは愚かにしか思えない。たぶん日本はまた三流国に、そしてすぐに四流国になってしまうだろう。

 

 別にそれでもかまわないというならそれでいい。それは即ち、暮らしも四流国の貧しい暮らしを受け入れるということなのだから。

 

 何が「逆風」か。逆風は国民が吹かしているのではなく、マスコミが吹かせているだけではないか。

惟喬親王御陵

永源寺から国道421号線(桑名へと通じる通称八風街道)を北上する。永源寺から先はところどころ道が狭い。道が狭いのに大型トラックがたくさん走っていて、急カーブのところで超大型のトレーラートラックとダンプが鉢合わせとなり、互いに行き違えずに立ち往生した。ダンプのうしろの、私の前の乗用車がバックしてダンプを下げてやるしかないのに動かない。しばらくたって、ようやく気がついてバックしてなんとか行き違うことが出来るようになった。私はこうなることを見越してずっと手前で停まって待っていた。

その八風街道から途中で県道34号線方向に左折する。センターラインもない狭い山道だ。大半がすれ違いの出来ないほど狭い。筒井峠を越える道である。ずいぶん走ったのに木地師資料館も惟喬親王陵もない。こういう道はだいぶ走ったつもりでもさほど進めないものだ。何しろ標識など何もない。

ようやく木地師資料館を発見。残念ながら予約なしでは見学できなかったのは既報通り。さらに山路をどんどん登っていく。突然開けたところに出た。そこが惟喬親王御陵であった。

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御陵の入り口。

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入ってすぐ左手に親王の大きな座像が鎮座している。

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出家しているので僧の姿である。

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座像の少し高台に惟喬親王御霊という石碑がある。

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暗い山路を登ってみる。

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こんな場所があった。惟喬親王幽棲の跡とある。何かを再建しようとしたのか、セレモニーでもあったのか。

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奥の社。何も説明するものがないのでなんだかわからない。

さらに御陵らしいものがないか山を登ってみたのだが、途中で行き止まり。

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行き止まりになったところから振り返る。横手にも何かが祀られている。

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惟喬親王の係累の人のものか、よくわからない。

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惟喬親王奉賛会趣意書という看板があった。

目的を果たしたので県道34号線を戻り、国道421号の道の駅「奥永源寺 清流の里」で地酒と二つ三つ土産を買って帰路についた。帰りは三重県へ抜ける。石榑トンネルという長いトンネルを抜けると鈴鹿山脈を越えて三重県である。道は広くなり快適に走れた。新名神、東名阪道を辿って無事我が家に到着した。異界から現世に戻った気持ちがした。

2022年8月26日 (金)

惟喬親王陵への序曲

 鈴鹿山系を源流として琵琶湖へ注ぐ愛知川(えちがわ)を遡上して、どうして永源寺や惟喬(これたか)親王陵を訪ねようと思ったのか、少し説明をしておきたい。そもそも惟喬親王とはいったいどういう人物なのか、知る人はあまりいないと思う。あとでその説明もする。

 

 出発点はまず梨木香歩の『冬虫夏草』という本である。この本の主人公が、愛犬(というより友犬か)の行方を尋ねて琵琶湖畔の八日市から愛知川を遡上するのである。時代は明治、今はこの上流部にダムができて、この物語で訪ね歩いた村々の多くは水没しているものと思われる。『冬虫夏草』は『家守綺譚』の続編で、この不思議な物語は異界と現実とを自由に往き来するところがあって、この愛知川沿いに遡行することでその一端に触れられれば楽しいと思ったのである。

 

 それで地図を眺めて物語で主人公の辿った道を歩いてみたら、そこで見つけたのが惟喬親王陵という表示だった。調べてみたら、実在ではあるが伝説の人物で、木地師の祖であるといわれているらしい。木地師といえば民俗学的にサンカのなす技でもある。いわゆる異人である。まさに異界の住民ではないか。それがどうしてこんな山中に陵があるというのだろうか。不思議ではないか。

 

 話は替わるが、しばらく前に『ブラタモリ』で京都の大原を訪ね歩いていた。三千院、寂光院、化野(あだしの)など、私もあの辺りを歩いたことがあって懐かしかった。そのときにチラリと惟喬親王陵という看板が出ていたのである。番組では訪ねなかったが、惟喬親王の陵は一つではないと知った。どうして別々のところに陵があるのか。

 

 ついでのついでとして、寂光院といえば思い出されるのは建礼門院(高倉天皇皇后・平徳子)で、安徳天皇の母である。こどもだった安徳天皇とともに壇ノ浦で海に身を投じたが天皇は死に、彼女は助かってしまった。『平家物語』では『大原詣で』で右京太夫が寂光院に建礼門院を訪ねている。また、『大原行幸』として、後白河法皇が建礼門院の元を訪れたともされている。こちらはいささか生臭い気配を感じる。今人形劇の『新・平家物語』が再放送されていて、第二部が清盛の死で終わったところだ。第三部は九月末からで、これから平家が滅びることになる。

 

閑話休題

 

 惟喬親王(844-897)は文徳天皇の長子で、次の天皇の予定だったが、藤原良房の娘の生んだ第四子の惟仁親王が継いだ。弱小氏族出身の母のため出自が劣ること、良房の権力を忖度したためとも言われる。『伊勢物語』には、出家して比叡山山麓の小野に閑居したとあるために、大原の小野の地と、近江の地との二カ所の説が生じたらしいが、近江の場所については明確な証拠がないようだ。在原業平は惟喬親王のわび住まいを訪ねたことになっている。

 

 もともと近江国の永源寺あたりの地は小野篁(おののたかむら)の出身地で、木地師も多く暮らしていた。小野-木地師-惟喬親王という想像線がつながったものと思われる。これは木地師から発した想像線かもしれない。小野篁といえば冥界と現世を往き来したということで知られる人物で・・・。きりがないからやめておく。

 

 ということで、実際に訪ねた惟喬親王陵については次回に。

永源寺

永源寺は室町時代の初めに創建されたが、戦国時代にたびたびの戦災により当初のものはほとんど焼亡した。江戸初期に再建が始められ、後水尾天皇や彦根藩主の後援で現在の伽藍が完成した。

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山門。入って左手に案内所があり、小さな地図入りのパンフレットをもらえる。

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内側から山門を見上げる。

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永源寺山門由緒。

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モミジが多いようだから、秋に来たら紅葉が美しいだろう。

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方丈(本堂)。靴を脱いで拝観することが出来る。葭簀葺き。

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方丈にあった襖絵。暗くて目ではよく見えない。

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仏様は撮ることを控えたが、襖絵は撮らせてもらった。

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神道の社のように見える。

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庭の草木がとても美しい。気持ちが落ち着く。

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芭蕉の句碑。

 こんにゃくの さしみもすこし 梅の花

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緑と、少し色づいた紅葉が美しい。雨のあとの、カンカン照りでないことが植物をしっとりと見せてくれた。

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方丈前のなで仏にご挨拶して永源寺をあとにした。帰り道は下りだから楽だ。

識盧の滝が近いはずだが、道がとても狭そうだ。坂道を上り下りしたあとなので、無滝へ行くのはやめることにした。ひと息入れて惟喬親王御陵に向かう。

永源寺参道

臨済宗永源寺は、室町時代はじめに近江の鎮守佐々木氏によって創建された。永源寺派の本山である。

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愛知川の川音を聞きながら参道を行く。

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上流側。山は鈴鹿山系である。このときは今にも雨が降りそうなどんよりと暗い空だった。

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売店前を過ぎて坂を登り始めたら薄日が差してきた。つくつく法師の鳴き声が降りしきる。

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ほんのちょっと登れば山門だろうと思ったら、延々と上り階段が続く。汗が噴き出す。

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途中にちょっと珍しい眼鏡をかけたお地蔵さんがお出迎え。もう少しだから頑張って、といわれたような気がした。

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十六羅漢が崖の上に散在している。

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苔におおわれて泣いているような羅漢さんもいた。

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ようやく山門が見えたと思ったが、これは入り口の小さな門であった。この門の先に拝観チケットの売り場がある。

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ずいぶん登ったので、愛知川が下の方に見える。

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まだ山門はずっと先の方にある。

2022年8月25日 (木)

馳星周『暗手』(角川書店)

 『夜光虫』の続編にあたる。前作が台湾が舞台の野球賭博の話だったが、こちらはイタリアが舞台のサッカー賭博の話である。

 

プロローグに

 

欲望に身を任せた。
嘘をつき、それを糊塗するためにさらに嘘をついた。
糊塗しきれなくなると、殺した。
嘘をついてまで手に入れたかった女に愛想を尽かされた。家族に捨てられた。
さらに殺した。
顔を変えた。名前を変えた。
そして殺した。
殺した。殺した。殺した。
殺しすぎて台湾にいられなくなった。
そしておれは今、イタリアにいる。

 

すべての感情を失い、味覚を失い、欲望を失い、生きる意味を失った主人公が仕掛けるサッカー賭博の罠。しかしある女性に出会うことで主人公の中で業火が目覚める。中国人民解放軍特殊部隊出身の凄腕の殺し屋か迫る。暗黒街の男たちとの暗闘の末に再び殺戮の嵐が吹き荒れる。

 

 死と隣り合わせでないと生きる実感の持てない男の、全能力がスパークする。殺し屋との奇妙な心の交流、だまし合いの果てに生き残るのは誰か。読みかけで本を閉じることは出来ない。

源義朝公廟所

今回が知多行の最後。野間大坊というところに立ち寄った。ここには源頼朝、義経兄弟の父親である源義朝の廟所がある。

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こんな看板は今までなかったから、大河ドラマ『鎌倉殿の十三人』を受けてのものだろう。

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野間大坊本堂。

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源頼朝がこの野間大坊に五重塔を寄進したらしいが、焼亡して今はない。

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廟所の前の石碑。

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看板にあるとおり、源義朝は平治の乱で平清盛に敗れ、東国へ落ち延びようとする。途中立ち寄ったこの野間の地を治める家臣の長田氏を頼ったが、裏切りにあって暗殺される。

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これが源義朝の墓。

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墓に奉納され積み上げられているのは小太刀を模した板きれ。義朝は風呂に入っているところを襲われた。「もし木刀でもあれば、むざむざ討たれなかったのに」と怨みの言葉を残しているので、それを慰めるために小太刀を奉納するのである。

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廟所にはいくつかの塚がある。その一つがこれ。

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池禅尼の塚。平清盛の義母で、殺されようとする頼朝や義経の命を助けた。頼朝がその供養にこの塚を建てたという。他に一緒に殺された忠臣や、織田信孝の塚もある。

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こんな木っ端が五百円とは法外な・・・。まあ気持ちの問題なのだろうが。

これにて知多行報告はおわり。

日本の兵馬俑

知多半島の話に戻る。岩屋寺のすぐ近くに、ちょっとめぼしいものがあることを知ったので、そこへ行こうと思ったがどこにもそれらしき場所がない。しばらくうろうろした。

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通称たぬき寺。しかしたぬきの置物を見に行くのではない。

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なんだこれは・・・。というようなリアルな兵隊の像。

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こんなの見たことがない。

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顔はすべて違う。

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人よんで日本の兵馬俑、などというらしいが、確かに兵の人型だから兵馬俑だと言えないことはない。実物の兵馬俑は焼き物だが、こちらはコンクリート製らしい。

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ただ兵馬俑は等身大だが、こちらは一メートルほどで小ぶりである。実際に西安の兵馬俑の実物を三度も見に行っているので、スケールの違いはおおうべくもないが、リアルさはある。夜見たらちょっと不気味かもしれない。

2022年8月24日 (水)

愛知川遡上

永源寺、木地師資料館、惟喬親王御陵を訪ねるのを愛知川遡上を前提に考えたので、名神高速を八日市インターまで行って国道421号線を西に行くルートを選ぶことになったが、実はナビは名阪高速からのルートを指示していた。そちらの方が近かったのだが、帰りはそのルートにしてそのことを実感した。

一宮インターから名神を西へ。木曽川、長良川、揖斐川の木曽三川を次々にこえて大垣を過ぎればかすかに伊吹山が遠望される。米原、彦根を過ぎ、八日市インターを降りる。左へ行けば琵琶湖、右へ行けば目的地方向である(ぐるりと回るので進行方向と反対となる)。

まだ知多の写真が残っているのでそちらを優先したいが、今日の分の予告編だけしておく。

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愛知川。向こう岸を国道421号線が走っている。左手が上流。橋を渡ったこちら側が永源寺。永源寺は思った以上に大きくて立派なお寺だった。

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参道の坂道の途中にあった十六羅漢の一つ。

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惟喬親王座像。

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木地師資料館。完全予約制とのことで、誰も居らず入ることかなわず。四日以上前に電話予約必須だと張り紙が出ていた。駐車場もない。残念でした。

結局惟喬親王陵と永源寺だけしか立ち寄らなかったが、それぞれ見応えがあったので満足した。後ほど詳しく報告予定。

岩屋寺奥の院

岩屋寺の本院から十分足らず歩いて木々が覆い被さるように繁茂して暗い場所にある奥の院にいたる。

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奥の院へ向かう坂道手前で地蔵がお迎えしてくれた。

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雰囲気は深山幽谷である。いささか涼しく感じる。

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お大師様がどこかで見ているような気がする。

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赤色が緑に映える三重塔。その横を登ると奥の院にいたる。

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奥の院から三重塔を見下ろす。

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奥の院の裏手に回るとお札が貼られた像があった。実際は真っ暗に近くてよくわからない。

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ずいぶん古そうなお墓である。この奥の院には檀家の墓がたくさんあった。

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このように閼伽桶も置かれている。誰もいない。死んでお墓に葬られるのは仕方がないが、墓場で死後を送るのはずいぶん寂しいような気がする。寂しいのも寂しいし、夜はこわいなあ。

この奥の院が行き止まりでこの先はない。本院へ戻り、もう一カ所尋ねたいところがあるのだが、なかなか見つからずうろうろした。それは次回に。

どん姫の顔を見る

 昨日、弟から千葉の梨が送られてきた。幸水の大玉ぎっしりのひと箱はとても食べきれない。梨が大好きな娘のどん姫に連絡したら、旦那の車でやってきた。旦那は、いま職場で新型コロナ感染者が出ているからといって上がらず、娘だけ部屋に上がって紅茶を飲みながらしばらく話をした。互いの消息交換である。

 

 娘と話をすることがどうしてこんなに嬉しいのか不思議なくらい嬉しい。こどもはさっさと親離れするけれど、親はいつまでも子離れできない。親バカである。その娘のどん姫もずいぶんおとなになった。当たり前だけれど・・・。

 今朝は快晴。予定通り近江の南、愛知川沿いに遡行する。訪問予定は永源寺、木地師資料館、惟喬親王陵。もし足場が良くて近ければ、識盧の滝にも立ち寄る。

 では出かけてきます。


 

2022年8月23日 (火)

岩屋寺五百羅漢

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岩屋寺の背後には鬱蒼とした木々におおわれた山が迫っている。その崖にたくさんの、それこそ無数の石仏が立ち並んでいる。

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入り口近くの石仏たち。

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それぞれ個性的な顔が並んでいて、丁寧に見ているときりがない。

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ちょっといかつい顔。

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優しそうな顔もある。

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首だけになって転がっているのもあった。

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このように崖にもずらりと列んでいる。

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崖の中腹まで登ってひと息つく。ここから先はかなり暗い山道になっていくが、そちらにもたくさんありそうだ。でも暗くて気味が悪い。何かが潜んでいるように感じてしまう。

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小ぶりのものもこうして崖にたくさん置かれている。とてもごひゃくどころではないだろう。

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何を観想しているのだろうか。

蒸し暑くて汗が止まらない。下まで降りて、とにかく奥の院へ行ってみることにする。

知多・岩屋寺

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知多・岩屋寺には初めて行った。知多の戦端師崎から西海岸に回り込み、豊浜というところから山への細い道を走る。寺の前に道路を挟んで広い駐車場がある。

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参門を潜って左手に本堂がある。尾張高野山岩屋寺とある。本堂で金ぴかの観音様などに参拝した。

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百日紅がいい背景になっている。右奥の崖に五百羅漢が見えている。あとで見に行く。

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立派な一切経堂。

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鐘楼前のこの坂を下りて細い道を一キロ弱行くと奥の院がある。後で行く。

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崖横の細い階段を登って一切経堂を見下ろす。左手にたくさんの小さな石像が見えると思う。次回はそれらの様子をいくつか紹介する。

雨なので

 今日は七月に訪ね歩いた湖東三山に続いて近江の南、八日市から愛知川を遡上して永源寺や木地師資料館などを訪ねるつもりでいたが、朝起きたら外は雨である。出かけるのは中止。地図を眺めていたら、湖南三山というのもあるらしい。少し調べて面白そうならそこも行って見ようと思う。近江は天台宗の寺が本当に多い。

 

 明日は天気がまあまあらしい。そのあとはずっと雨。明日を外すと出かけられなくなってしまう。必ず行くと心に決める。昨日午後から読みかけの馳星周の『暗手』を読み始めて、夜中に読了した。睡眠不足になるほど遅くなったわけではないが、ちょっと頭はぼんやりしている。こういう本は勢いがつくと止まらなくなるが、むかしと違って読後の疲れが結構残る。目の疲労が理由だろう。目がますますかすむから目薬が欠かせない。

 

 来週は久しぶりに二泊での遠出をするつもりで宿の予約をした。月曜は雨だがそのあとはどうだろうか。心配だ。

 ところで昨日バスの火災事故のあった名古屋高速の豊山インターは我が家からすぐ近くである。豊山町はいまは地方空港になった名古屋空港のあるところで、ここはイチローの出身地である。昨日もそこからインターに乗って知多へ行った。事故の少し前のことであるが、私の走ったのは反対方向である。ニアミスがあったといえばあったので、他人事には感じられない。運転には気をつけよう。かすかにでも心配した人がいるかもしれないが、無事である。

2022年8月22日 (月)

有料だらけ

 夜半にそこそこ雨が降り、朝もまだ小雨が続いていた。今日は知多半島まで行って海を見ようと思っていたのにやらずの雨か・・・。

 

 それでも九時前には雨も上がり、空が明るくなってきた。ちょうど朝の通勤時間も過ぎたところだ。出かけそびれるといつまでも出かけられない。支度はしてあったので、すぐ出発した。

 

 名古屋環状から知多道路へ向かう道はいつも以上に混んでいる。まさか海へ向かう人がまだ多いのだろうか。混むのはかなわない。阿久比、名古屋空港への半田インターを過ぎたらどんどん半島を南下する車の量が減って来たのでほっとした。終点まで知多道路を行き、左折して知多半島の東側の海へ向かう。むかし防波堤釣りをよくした場所を目指す。

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 朝、家族連れがここで釣りを楽しんで、引き上げるところらしい。釣果はどうだったのだろう。私が来ていた頃は小サバや小アジ、春にはタナゴなどが良く釣れたものだが、周囲がどんどんコンクリートで固められてからは魚がよらなくなってしまったはずだ。

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ここに車を置いて岸壁に向かった。右手の駐車場は、むかしは開いた小魚の干し場だったのだが・・・。

その手前には割烹旅館があった。いまは

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なんと老人ホームになっていた。

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目の前の海の向こうには日間賀島が見える。以前は浮桟橋もあったので、海上タクシーならこのあたりにおろしてくれた。

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このテトラの上をあちこち釣り歩いたものだ。むかしは身軽だった。いまは足元が危ういからとても無理だ。

今回の知多行では海の写真はこれだけである。この新師崎の先、師崎にはフェリー乗り場のある羽豆岬があるが、それが知多の南端で、それを過ぎれば西側の海岸になる。その西側のどこかの浜から写真を撮ろうと思っていたのだが、車を駐められる場所はすべて有料になっている。みごとなものである。金を払ってまで駐めたいと思わなかったので海は撮らなかった。

次の目的地は、岩屋寺というところで初めて行く。それは次回に。

サル

 サルにはいろいろな種類がある。日本語ではゴリラもオナガザルもニホンザルもみんなサルと呼ぶが、英語ではエイプ、ギボン、モンキーと区別する。動物園が好きで、ときどき行く。サル園を見て回るのが好きだ。犬山のモンキーセンターにも二三年に一度くらい行く。小さな珍しいサルを見るのが好きで見飽きない。ああいう小さなサルが人間のご先祖に近いらしい。ところで見飽きないのはサルが擬人的だからだ。サルは擬人的になろうとなどしていないが、勝手にこちらがそう見てしまう。

 

 いろいろな種類のサルを見たり、その仕草を見ていると、ああ、あの人に似ているな、などと思うこともある。そのサルがその人に似ているということだから別にかまわないようなものだが、これがテレビに出ているあの人はあのサル園のなんとかいうサルに似ているなどと言うのは、決して口にしてはならない。もし聞かれたら大変なことになるだろう。

 

 それにしてもテングザルに似ていたり、マントヒヒに似ていたり、ついそう思ってしまうことが多いので困っている。

電波探知器処理法

 臼井吉見が記憶にもとづいて再現した、「米軍陣地における電波探知器処理法」という指示命令書。日本軍は南の島々で、敵陣地への突撃に際し、電波探知器のおかげで、散々な苦戦を重ねている。これを見つけて処理しないことには、敵陣地の奪取は至難である。将校は以下の要領をよくよく会得し、すべての兵をして、その処理法に習熟せしむるよう訓練の精到を期するを要する。という序言の後に、以下の要領が続く。

 

「下士官ヲ長トスル九名ヲ以テ処理班ヲ編成スル。長ハ先頭ニアッテ、方向ヲ維持シ、兵ハ四名ズツ二列扇状ニ散開シ、匍匐前進スル。左列ノ兵ハ左側ヲ、右列ノ兵ハ左側ヲ警戒スル。第一ノ兵ハ樹木ノ梢ノアタリ、第二ノ兵ハ右ノ中ホド、第三ノ兵ハ根モト。第四ノ兵ハモッパラぼさ(やぶのこと)ヲ警戒シ、電線ラシキモノノ発見ニ努ムルモノトスル、ヨク両眼ヲ働カセツツ、右手ニ円匙(状況ニヨリ竹べらヲ可トスルコトアリ)ヲ握リ、地ニ深クサシコミツツ前進シ、秘匿サレアル電線ノ発見ニ任ズルモノトスル。」

 

 これがすらすらと思い出されたから、たぶん原文に近いと思う、と臼井吉見は書いている。

 

 よくよく読んで、日本軍というものがどんな指揮命令のもとにあった軍隊だったのか、参考にして欲しい。

2022年8月21日 (日)

一度滅びた

 8月18日の終戦記念日に関連した番組で、誰かが日本は太平洋戦争の敗戦で一度滅びたのだ、と語っていた。他国に支配され、主権を一時的にせよ失ったのだから、確かにそうであったと改めて思った。それを忘れてしまうから、敗戦という事実も風化してしまうのかもしれない。風化は戦争があったことそのものを忘れてしまうという形で現れている。ただの「ご破算で願いましては」のリセットになってしまっている。だからウクライナの戦争も台湾問題も他人事なのだろう。

 

 『臼井吉見集2』の中の『蛙のうた』という文章を読んでいる。若い時に単行本として読んでずいぶん感銘した覚えがあるが、内容はほとんど忘れていた。読み返しながらどうして自分が感銘したのかよくわかった。七つの文章から構成されていて、一つ目が『八月十五日』という表題の70ページあまりの文章だ。これについては全部読み終わってから言及したいと思っている。いま読んでいるのが二番目の『隣は何をする人ぞ』という文章。

 

 彼が米軍上陸を迎え撃つために九十九里の八日市場に陣地の構築を指揮して、そこで終戦を迎えたあと、自分のふるさとであり、妻子が疎開していた信州へ向かったのは九月半ばであった。

 

「復員列車が上野駅を通るとき見かけたのは、構内には乞食ともなんとも見分けのつかない群がうごめいていて、いたるところ、小便のたれ流しという光景だった。ジープで乗りつけたアメリカ兵が、キャラメルをばらまき、それにむらがる同胞のすがたも目撃した。そんな現象は、日に日にひろがりつつあるらしかった。それでも、なお、僕の気持ちは明るくはずんでいた。」

 

 戦争で死ぬということがなくなったこと、自分の生き方を自分で決めることが出来るということが何よりも嬉しかったのだろう。

 

「無条件降伏の八月十五日、昼過ぎには早くも部隊本部から連絡があって、軍関係の書類、印刷物、記録などすべて焼き捨てるようにとのことであった。その種のものは、いつのまにか、ずいぶんたまっていた。僕はそれを本堂の庭の大きな榎の下へ持ち出して、一枚一枚、ひきちぎっては燃やした。さまざまの、消しがたい思いのまつわりついていないものはなかった。改めてそれをはっきり思い浮かべ、それらの記憶そのものを焼くつもりで、ゆっくりと燃やしていった。なぜ、それらのうちの二、三を残さなかったのか、千載の恨事とはこのことだろう。子々孫々に残さなくてはならぬ、驚嘆すべき貴重な資料を、なんだって、無制限に焼いたのか。よほど興奮していたとしか考えられない。」

 

 この記録や資料を焼くという行為については、私もどうしても不可解でならない。戦争のさなかでそれらが敵を利するおそれがある情報であるというのならいざ知らず、すでに戦争が終わったのである。戦争の推移を見直し、何が問題だったのかを考えるための貴重な記録をなくすというのは、ただ、戦争の責任をうやむやにするためと思われても致し方ないのではないか。

 

 この日本の組織の不思議な心性に基づく行動が、いまの官庁などにしっかりと継続されていることは、ニュースを見ていればよくよく感じられるところだろう。こうして責任はうやむやにされ、何も改善されない。

 

 どんな資料が燃やされたのか、参考のために臼井吉見が記憶をもとに再現した資料が引用されているが、長くなったので紹介は次回にする。

性が強い

 香草は性が強い。特にバジルは一度種を蒔いたら毎年勝手にどんどん生えてくる。間引きして鉢に一二本にしてもどんどん繁って使い切れない。二鉢ほどのバジルが、七月から花が咲き始め、また種がたくさん出来ている。花が咲いた枝の葉は使えないことはないが香りが少し違うような気もする。種はほんの少し採れればいいので一本だけ残して残りを切り取って片付けた。切ったものを入れたゴミ袋はいい香りがする。

 

 あとで根を取り除き、腐葉土を足して細ネギの種でも蒔いておこうかと思う。こちらも一度穂が出れば切っても切っても新しい茎が出てくるから重宝する。ニラもジャングルになっていて、使い切れない。ニラは嫌いではないが、毎食ニラを使った料理というわけにも行かない。

 

 紫蘇はアブラムシがついてかなわないが、バジルやニラは虫が来ないからありがたい。小さな鉢に一つだけ種を蒔いた朝顔が毎日咲いて、結構一夏楽しませてくれた。来年も蒔こうと思う。以前茄子を蒔いたら結構とれたけれど、遠出をしてしばらく水をやらなかったら、あとは実が固くなって食べられなかった。やはり植物は生き物で、日々の手入れが必要だ。だから独り暮らしで不在のことのある暮らしだと植物でも機嫌を悪くするので、ペットを飼うことは出来ない。

 

 性の強い植物くらいがいまの暮らしには適しているようだ。

馳星周『夜光虫』(角川文庫)

 夜明け前に読了。むかしから見たらずいぶん読むスピードが落ちているのは歳のせいだから仕方がない。勢いで続編の『暗手』を読み出したが、さすがにすこし読んだところで寝落ち。

 

プロ野球の投手としてノーヒットノーランまで成し遂げたことのある主人公加倉が、肩を壊して引退を余儀なくされ、台湾で第二の野球人生を送ることになる。再起をかけたその志は次第に失われ、転落の人生へと変わっていく。

 

 台湾マフィアが彼に接触してくる。巧妙な罠によって、彼は抜き差しならぬ状態に落ち込まれていく。物語は。すでに八百長試合にどっぷりとはまってしまっている加倉の現在から始められる。彼の過去は物語の進行とともに次第に明かされていくことになる。彼の人生の背景がいかに凄絶なものであったのか、そして日本人選手は八百長に関わらないという不文律が彼に限ってどうして冒されたのか、その理由が明らかになるにつれ、物語はヒートアップしていく。

 

 彼を愚直に信じ続けて彼を慕う若いチームメイト、その若妻を加倉は密かに恋い焦がれる。その弟分というべき男がかたくなにこだわった正義の行動が警察の介入する事態になり、八百長に関わる選手たち、そして加倉を窮地に追い込む。これでもか、という事態が次々に彼を襲い、追い詰められていくうちに彼の内なる暴力が目覚めていく。その行動は連鎖的にエスカレートして行き、波紋を拡げていく。やがてもともとの発端が、彼をただ八百長に惹きこむだけの目的で仕組まれたものではないことが明らかになるにつれて、彼の家族とのかかわり、彼自身の存在そのもののまわりに渦を巻く狂気が明らかになっていく。

 

 暗黒街の顔役達の抗争、その背景にある政治との癒着、それらがエネルギーの渦となって彼に注ぎ込まれていく。全てを殺しつくさなければおさまらない、すさまじい暴力の発現は、こういう小説を読み慣れない人には刺激が強すぎるかもしれない。『不夜城』シリーズのクールで計算されつくした主人公とは正反対に、狂気の熱気が自分自身を焼き尽くして変貌していく新しい主人公を誕生させた。この物語はある意味での変身譚と言えるかもしれない。

2022年8月20日 (土)

コーヒーが出来ても気がつかない

 昼食後、馳星周の『夜光虫』という本を読み始めた。実は去年『暗手』という、やはり馳星周の単行本を買ったのだが、これは『夜光虫』の続編だと知って、あとで取りせたものだ。馳星周といえば、『不夜城』、『鎮魂歌』、『長恨歌』の三部作が有名で、映画にもなっている。『夜光虫』もその一連のものに関係していてすでに読んだものと勘違いしていたのだ。

 

 馳星周の本は新作が出ると文庫になる前に単行本で読むことにしていた。待ちきれないのだ。しかしこの『夜光虫』はすでに文庫化している。文庫とは言え、なんと800ページもある。このブログを書いているいま、300ページほど読み進めたところだが、徹夜で読み切るか、途中で眠くて討ち死にするか、どちらかだろう。

 

 ひと息入れるためにコーヒーメーカーでコーヒーを淹れていたのだが、出来たのに気がつかずに夢中で読んでいた。さいわいポットに入っているコーヒーは冷たくなるほどのことはなかった。とにかくしばらくはなにも手につかないものと思われる。

だんだんよくなる舞茸ご飯

 尾瀬の近くの片品で食べたマイタケご飯がおいしかったので、ときどき自己流の舞茸ご飯を作る。いまの時期は、つい麺類ばかり食べることが多くなるので、舞茸ご飯やアラメご飯を作って米の飯を食べるように心がけている。何度か作るうちにだんだん味が調ってきた。舞茸を2パック、ざく切りにする、にんじんをマッチ棒の短いくらいに細切りにし、油揚も細かく切る。油揚とにんじんを多めの油で炒めていく。にんじんがしんなりしてきたら舞茸を加えて油になじませ、舞茸から水分が出るまで炒めたら酒と砂糖を加える。さらに醤油を入れて味を調える。味は濃いめにするほど、つまり醤油も砂糖も多めに入れる方がおいしい。

 

 以上を三合の炊き上がったご飯に加えて混ぜるだけ。炊き上がりのタイミングに合わせて炒めあげるようにする。混ぜご飯は普通のご飯よりも傷みやすいので注意が必要である。使い切れなかった油揚は冷蔵庫に入れておいても傷んでいくので、冷凍しておくとよい。

 

 今朝はとりわけ美味しくできた。すべてご飯茶碗やどんぶりに取り分けて、粗熱を取ったら冷蔵、または冷凍しておく。あまり長持ちしないと思った方がいい。キノコ類は安いし、油揚やにんじんも高いものではない。おかずは適当なものでよくなるし、食費の低減に大いに貢献してありがたい。さあ、昼も舞茸ご飯だ。おかずにニラ入りの卵焼きでも作ろうか。

『魯迅文集2』(筑摩書房)

 魯迅文集は全六巻。ちくま文庫になっているが、ネットで取り寄せて揃えたとき、どういうわけか第二巻だけが大判の単行本を取り寄せてしまった。だから本棚ではちぐはぐになっている。

 

 魯迅(ろじん 1881-1936)は浙江省紹興生まれの作家。本名は周樹人。弟に作家の周作人がいる。彼の生家の跡に建っている記念館を訪ねたことがある。

 

 魯迅は日本に留学して、仙台の医専に入学した。現在の東北大学医学部である。しかし学半ばで帰国、啓蒙的作家活動に入る。中国人の覚醒を促す『狂人日記』や『阿Q正伝』が代表作。これは全集の第一巻(小説集)に収められている。

 

 この第二巻には散文詩的な『野草』、自伝的回想の『朝花夕拾』、そして神話・伝説・古代史を題材にした『故事新編』が収められている。全六巻を読了していないが、たぶんこの巻が最も読み応えがあると予感していた。

 

 『朝歌夕拾』に収められている『藤野先生』という短文は仙台医専時代の恩師のことを書いたもので、特に知られている。いつの時代にも、どこにも必ず藤野先生のようなこころある人がいる。そのことがこの世の救いである。

 

 『故事新編』は苦みの強い寓意に満ちた短編集だが、神話らしい神話がないという中国の神話について、学生時代に『中国史』の講座を受講してレポートしたことがあって、懐かしい。伊藤清司『中国の神話・伝説』(東方書店)という本を脇に置いて参考にしながら楽しんだ。

 

 期待通りのいい本であった。また読み直したい本だ。

2022年8月19日 (金)

科学的

 北朝鮮の金与正氏が議会で演説した。その肉声を初めて聞いた。いろいろなことを語っていたが、特に記憶に残ったのが、北朝鮮がコロナ禍を克服したという宣言の中で繰り返し科学的という言葉が発せられていたことだ。その説明は私から見れば非科学的そのもので、まあそんなものだろうとも思う。なにしろ金正恩の献身的な努力により、「奇跡的に」ウイルスを退治することができたのだというのが科学的事実らしいのだから。

 

 その熱弁を議場で聞いていた全員が目を潤ませ、感動に打ち震えて激しく拍手していた。非科学的、非知性的光景そのものだ。それを北朝鮮の専門家というどこかの教授が、同様に感動していたのが印象的だった。そこまで感情移入しないと北朝鮮の分析はできないらしい。「全員本気で感動して拍手しているのでしょうか」と問われて、ちょっと逡巡してから「それはそうでしょう、そうだと思います」と答えていたが、あそこで拍手していた連中はみな現政権の恩恵を受けているからそうなのだろうなあ。でも体制が変わったら、真っ先に金政権を罵倒するのも彼らだと思う。

騒ぎ立てるのは

 床屋に行ってさっぱりした。普通の日なのにバカに客が多かった。

 

 どうも床屋へ行くことを毎回ブログに書いている気がする。それほど私にとっては床屋に行くことがこどもの時からおおごとなのである。現役時代は毎月、または三か月に二回は床屋に行った。髪も多かったし、よく伸びたし、営業という仕事だったから身だしなみには多少は気を使った。リタイアしたら、できることなら一生床屋に行かずに暮らしたいほど床屋に行くのが億劫である。

 

 いまは隣町の格安の床屋に行く。格安もありがたいが、とにかく早く終わる(約30分)のが何よりありがたい。それだけぞんざいではあるが、思い切り刈り上げてもらえば頭が軽くなるし、次までしばらく時間が稼げる。そういえば単身赴任していた金沢でもずっと格安の床屋だった。

 

 コロナ禍で唯一好いことは、床屋で話しかけられなくなったことである。話が嫌いではないが、床屋のお兄ちゃんの語りかけてくる言葉であまり楽しい会話になったことがない。黙ってぼんやりしている方が居心地がいい。

増えるのは当然として

 第七波が収束しないうちにお盆休みに入り、人の移動、そして接触の機会が増えたのだから、それに応じて感染者数が増えるのは当然のことで、東京へ行く人よりも東京から地方へ行く人の多いことも例年のことであり、地方が増えて東京がそれほどではないのは自然の成り行きだろう。

 

 自明のことを阻止しなかったのは、もはや止めても止めようがないという判断であろうし、その判断に同意せざるを得ない人の方が多いと思われる。しからばお盆がすぎてしばらくすれば、収束するかどうかはべつにして減少に転ずると期待している。

 

 だいぶ前から襟足がぼさぼさに伸び放題になって、我ながら見苦しく感じていた。しかしながら床屋へ行くのはいささかリスクがあるように思って先延ばしし続けていた。そろそろむさくるしさの嫌気のほうが勝りだしたので、今日は床屋へ行こうと思う。今まではスーパーへの買い物や通院以外は人に会うことがなかったが、来週以降は少し出かける予定を立てているので人にも会うから床屋へ行かなければならないという理由づけになる。

 

 さっぱりしたら、午後は妻の病院に行く予定。 

2022年8月18日 (木)

受け売りではあるが

 本を読んでいて、ちょっといいな、と思うところがある。私は本に線を引く、などの本への書き込みが嫌いなので、付箋を貼ることにしている。しかし読むのに夢中になっていると付箋を貼るのを忘れることの方が多い。

 

 会田雄次の本を読んでいて付箋を貼ったところをもとにまとめてみる。

モンテーニュ(フランスの思想家)の引用
「自説に固執し、夢中になることは、愚鈍さの最も確かな証拠である」

ラシュフーコー(フランスのモラリスト)の引用
「率直とは、心をむき出しにすることである。このように率直な人はいくらもいない。普通、世間で見いだされる率直は、他人に信用されようとする巧妙ないつわりに過ぎない」

 

 会田雄次は、自分で自分を正直者だ、という人間は信用できないと言い切る。全く同感だ。選挙の時の候補者はみな自分は正直だといっているではないか。

 

つづけて「ところがいまの日本の問題は、自分のような真面目人間が損をして、悪い人が得をしている。それは世の中が間違っているからだとか、正直者が損をする世の中です、などという言葉を自分のこととしていう言葉が政治家だけでなく一般社会にまであふれていることだ」と嘆いている。

 

 受け売りだが、私もそう思う。何しろ私は真面目であると公言できるような人間ではないし、正直者とは恥ずかしくて言えないから、世の中をあしざまに言わなければならないほど恨んではいない。正義の味方が嘘くさくて嫌いなのはその故だろう。

 

 ところで、石川啄木の『一握の砂』の中の有名な歌、
「働けど働けど 猶わが生活(くらし)楽にならざり ぢっと手を見る」

 

を急に思い出した。「ぢっと見た」啄木の手は労働でゴツゴツしていただろうか。多分華奢できれいな手をしていただろうと思う。だからどうというわけではないが。

レーダー照射の新事実

 自衛隊哨戒機に対して韓国艦艇がレーダー照射をした事件があった。いわゆるロックオンであり、いつでも撃墜するぞという意思表示で、非常に危険な行為である。当初、韓国政府はそんな事実はない、日本の言いがかりだと抗弁した。日本側が証拠の映像を公開すると、それを加工して日本側が異常接近という挑発的で危険な行為をしたからだ、と言い立てた。それならなぜ最初にそんなことはしていないと言い訳したのか。日本から見れば、事実は明らかに見えた。

 

 このことは水掛け論のままであるが、今回韓国の中央日報が新事実を報じていた。青瓦台(旧大統領府)が韓国軍に出した行動指針に、現場の指揮官の権限でレーダー照射を認めていたというのだ。そしてその指針は日本に対してだけのもので、同様の指針は、領空侵犯をしているロシアや中国の空軍機には出されていなかったのだという。文在寅元大統領政権というのがどれほど異常な政権だったのか、また一つ明らかになった。

 

 日本はそういう危険なことをされても絶対に攻撃してこない、と高をくくっていたこと、そして現場の指揮官にそのような権限を与えていたという事実が明らかになった。韓国にとって、文在寅政権にとって、日本は中国やロシア以上に敵国だったのだ。

 

 ただ、そのまま受け取れない面もあるかもしれない。そもそも誰がどんな権限でレーダー照射を許可したのか、というのが重大問題だった。まさか文在寅自身ではないとは思うが・・・あり得ないことではないとも思われていた、今回、現場の判断だったらしいとされているのは、逆に文在寅には責任がないという言い訳にもつながる。しかし大統領府の指針によるものだとすれば、明らかに間接的に指示したことにはなるのだが。

青のサマルカンド

NHKの「世界ふれあい街歩き」という番組をよく観る。自分の行ったところなら再放送でも欠かさず観る。自分が再びまたそこを訪ねたような気分になる。

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ウズベキスタンには2018年に行った。今回観た「世界ふれあい街歩き」はそのウズベキスタンのサマルカンドだった。青の街サマルカンドは憧れの地だった。自分がその地に立つことなど想像もしていなかった。番組を観ていて、自分がそこに立ったのだと、震えるような感動を実際に行った時以上に覚えた。

思えばシルクロードに憧れ、西安、敦煌を歩き回り、このウズベキスタン、そしてトルコと、皆シルクロード上の地なのである。文明の交錯するところは魅力的だねえ、と若い時にいろいろ教えをいただいた上司のKさんは言った。そのことを思う。

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夜のレギスタン広場の美しさはたとえようもない。

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夢の国にいるようだった。それなのに腹具合が悪くてトイレを探して駆けずり回った思い出もよみがえった。

2022年8月17日 (水)

宗教に似たもの

 アメリカ・ワイオミング州の下院予備選挙で、現職の議員がトランプ元大統領の弾劾に賛成したことを共和党支持者に咎められて落選の可能性が高いという。共和党はそのチェイニー議員を支持せずにトランプが支持する刺客候補を立てている。・・・結局チェイニー氏は敗れたと報道されていた。

 

 そのこと自体は別にどちらでもいいが、トランプ支持の共和党員のインタビューでの様子が、まるでトランプに批判や反対をすることは、あってはならない許されるべからざることのように語っていたことが気になった。まるでトランプを信じることが絶対的な教祖を拝むがごとくに見えたからだ。

 

 チェイニー議員はトランプ絶対反対ではなく、是々非々で、あの国会議場侵入は賛成できることではなく、弾劾に価すると考えたのである。まっとうだと思うのが普通だろう。とはいえそのチェイニー議員を支持する共和党員は極めて少数だったという。報じられている事実を自分の頭で考えて判断するのではなく、信じるものに反対するのは悪者だ、という思考様式は宗教に似ていないか。

 

 宗教といえば、日本では連日旧統一教会がらみの報道でやかましい。普通に見ていると、安倍元首相が凶弾に倒れた途端に旧統一教会の問題か噴出したかのようだ。しかし旧統一教会の問題は二十年も三十年も前からずっと続いていた問題で、普通の国民と違って、マスコミはもちろんそのことをよく知っていた。知っていていまのように報じなかった。こういう問題に目を塞いでいて、おっかなびっくりどこかが報じたら、我も我もとしまって置いた引き出しからあることないこと一斉に報じ始めた。いまは殺されたにはそれなりの理由があるといわんばかりである。

 

 マスコミは、功罪あるとしても、日本の国に功績があったと海外でも認める安倍元首相をおとしめることが正義だと勘違いでもしているのだろうか。国葬に私は最初から賛成しているし、実際に国葬が行われたら、参列する人、弔意を示す人はマスコミや野党が考えるよりもはるかに多いと私は信じている。弔意を示したくない人に弔意を示せと強制など誰もしないはずで、それはそれで勝手にすればいい。自分が示したくないから弔意を示す人を非難したり妨害するようなことはして欲しくない。

文化を残せない国

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ホーチミン市の市外を歩けば、しゃれた店が並んでいる。このTOMBOなんて、知る人は知っている。こういう下が店舗で上が住宅、という場所を確保するというのが若い人の憧れの出発点である。若い夫婦で必死に金を貯めてこういう店を買い、さらに金を貯めてのし上がるというのかサクセスストーリーなのである。必死で働く所以である。そしてその店舗はフランス風のものか多いそうだ。確かにしゃれている。

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芸術もそれなりに評価され、絵画店も案外多い。文化がちょっと見えるではないか。ベトナムにはフランスパンとフランス風の建物がたくさん残されている。

ところでアメリカ風の何かがどこかに残っているか?

アメリカが一時的に支配した国で、アメリカの文化が残っているところがどこにあるというのか。

そもそもアメリカに残せるような文化かあるといえるのか。キューバを見て、ベトナムを見て、見ていないフィリピンを思って、たぶんアメリカが関与した多くの国のことを考えて、アメリカがその国になにかを残したということがいったいあるのかどうか、ということを考えた。アメリカにははたして文化というものがあるのだろうか。それこそがアメリカの本質的な問題ではないのか。

スイッチが入ったので

 いろいろ悶々としていたら、それが積もり積もってしまい、来週から少し動き回ろうと思った。近場を走り回り、月末には遠出を考えている。そのあとどうするか、成り行きで行くつもりだ。久しぶりにワクワクしている。

 

 天候がどうなるのか、それが尻を押してくれるか、引き留めるのか。

 

 地図を眺めながら、果てしなく思いは展開する。スイッチが入ると止めどがないのである。そもそも止めどは他者ではなく、自分自身が設定しているもので、自分で外せるのだ。来週から出かけた話を出来ればいいなあと思っている。

 

 雑用をできるだけ片付けておこう。

2022年8月16日 (火)

パワフルベトナム

中国や東南アジアに行くと、人びとのエネルギッシュであることに驚く。そういえば私のこどものころは日本人も元気だった。東南アジアではベトナムに二回、タイ、シンガポール、インドネシアを歩いた。猥雑なところもあるが、生命感にあふれていた。それは中国も同様で、とにかく皆元気で健啖だ。食べ物はたいてい美味しく感じた。若い人が多い。

ベトナムについては同時に向上心と知性も感じた。出会った人たちからは勤勉さを強く印象づけられた。昼の仕事のほかに、夜にも別の仕事を持って働くのが当たり前だと思っているようだった。

Dsc_0285緑と水が豊か

私が南ベトナムへ行った2009年はホーチミン市は古い建物が壊されて新しいビルが建ちつつあり、古い道路が整備されて拡げられていた。

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市場の近くに行くと人が多い。

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特に印象に残ったのは、電線の束である。そこら中にたくさんの電線が走り、なにがどこにつながっているのか見当もつかない。

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狭い路地を行くのに、この三輪車に乗った。前に人が座り、後の人が漕ぐ。視界を遮るものがないから快適であった。ディープなところを走り回ったのか忘れられない。いまもあるのだろうか。

裸の王様

 裸の王様は裸だということになっている。王様は自分が裸に見えるが、自分が裸だというと、他の人に見えているものが見えないと思われてはいけないから、「自分は裸ではないか」と問うことができないことになっている。家来たちも王様が裸に見えるが、他の人には豪華な服を着ているように見えるのなら自分がおかしいと思われるから、あたかもその服が見えるように振る舞う。国民も・・・以下同文。こどもは見たままをいうから、「王様は裸だ」と叫んで、皆にかかっていた呪縛か解けるというのがこの話の結末だ。

 

 いま私には、世界は裸の王様だらけに見えるが、問題は、王様にも家来にも国民の多くにも王様の豪華な服が見えているということだ。王様の裸が見えず、豪華な衣装が見えている人がたくさんいるということだ。裸ではない方が都合がいい人には豪華な衣装が見えてしまうということだ。

 

 そこで「王様は裸だ」と叫んでも、「なにを馬鹿な、お前にはあれが見えないのか」といわれてしまう。豪華な衣装か見えるのか見えないのか。それが問題だ。

 

 そういう裸の王様たちが、自分の豪華な衣装を較べ合っている。こどもはゲームに忙しいから、王様なんかにかまっていられない。ありがたいことに、マスコミはその衣装について詳細に報道してくれている。

 こんなことを書いていても何の意味もないが、魯迅の、皮肉のキツい、寓意に満ちた文章を読んでいたら思いつきでこんなものを書いてしまった。

いかばかりの悲しみか

 NHKの解説委員だった岩田明子氏が七月末に退職したと、しばらく前に知った。阿部元首相に可愛がられ、首相訪米の際などには随行して、的確な報告をしていた。確認した事実と、自分の考えとを明確に区別して語ることの出来るジャーナリストは案外少ない。

 

 極めて理知的でありながら優しさを感じさせる彼女には、以前から好感を持っていた。誰よりも親しかった安倍元首相が凶弾に倒れたとき、最も語る言葉を持つはずの彼女は、しかし不思議なことにほとんどテレビの画面に登場しなかった。NHKに思惑があって登場させなかった、などとは思えないので、彼女がテレビに語れる状態ではないのではないのかと感じていた。そこにいないことで彼女の悲しみがいかばかりかと推察していた。

 

 先日、夕方の番組でいつもの穏やかな様子を久しぶりに観て、安心した。ようやく衝撃から立ち直ったのだろう。そのときにはすでにNHKを退職していたという事になる。引き続きNHKの解説は適宜つづけるとのことなので、引き続き彼女の解説を聞く機会があるということである。

 

 知性的な女性の魅力をこれからも手本として見せてもらいたいものだ。

2022年8月15日 (月)

大沢在昌『冬の狩人』(幻冬舎)

 日本のハードボイルド作家といえば、わたしは北方謙三、大沢在昌、馳星周の三人を代表として挙げたい。大方は賛同するはずだ。もちろんその前にもいるし、そのあとに続く者もいる。この三人の本をずいぶん読んできた。店頭で見かけるとつい買ってしまったものだ。最近は本屋に行かないから、未読の本が少しだけ残っている状態だ。

 

 その一冊が今回読んだこの本で、『北の狩人』、『砂の狩人』、『黒の狩人』に続くシリーズの新作だ。大沢在昌といえば『新宿鮫』シリーズが有名だか、この『冬の狩人』にチラリと鮫島の行きつけだったバーがでてくる。こちらの主人公の佐江警部補も新宿署だから、ニアミスがあってもおかしくはないのだ。ファンを喜ばせてくれるではないか。

 

 三年前、地方都市で起きた殺人事件で行方をくらましたままだった女性から、出頭の意思を示す電話か入る。ただしそれには条件かあり、新宿署の佐江の同行を求めたのだ。佐江には全く心当たりがなく、その理由がわからない。その女性に翻弄される警察、その目的はなにか。その地方都市にある巨大企業をめぐるさまざまな暗黒面が浮かび上がり、ヤクザ組織とのつながりが明らかになる。さらにその企業を買収しようとする中国の会社の関与が判明して、三つ巴の様相となる。そもそもの殺人事件の動機はなにか、そして犯人は誰なのか。

 

 今回もクールな佐江警部補の活躍を大いに楽しむことが出来た。それにしても六百ページ近くあるので読了するのにまた半ば徹夜になってしまった。次に読むつもりなのは『夜光虫』という台湾が舞台の馳星周の本だが、こちらは文庫本とはいえ八百ページを超える。そうそう徹夜も出来ないから、ちょっと間隔を置くことにしようかな。

今年は無理だが

 今日は終戦記念日。戦争の惨禍を思い、戦火に倒れた人を悼み、自ら戦争を引き起こすような国にならないことを国民が改めて心に期す日だ。私も正午には黙祷をするつもりである。

 

 戦争をしないと誓っても、敵が攻めてくれば戦わないわけにはいかない。そんなことにはならないと思っていたが、そんなことになることをロシアは示したし、そんなことになりそうな行動を中国は示している。それなら攻められたらどうするか考えるしかない。戦争をしないと誓ったから考えてはならないというわけにもいかない。

 

 各地の水害、とくに北東北の水害に心が痛む。北東北には数回行った。名古屋から車で行くから、一週間から十日は走り回ることになる。今年はマンションの役をしているのと、自分の定期検診や、妻の病院へ行くのとがあってそこまでまとまって出かけることが難しい。そういつまでも車で走り回れるわけではないから、マンションの役割がはずれる来年には行くつもりでいる。出来れば下北半島から北海道へフェリーで渡って北海道も回りたいと思っているが、それが叶うかどうか。

Dsc_0812_20220815063201下北半島仏ヶ浦

 いまは日本中どこを走っても人のいるところは似たような景色だが、地方にはまだそこしか見られないものを見ることが出来るところがある。北東北は特にそういうところだらけだ。印象に残ったところが水害に遭っているのを見るのはつらいが、来年には復旧しているだろう。久しぶりに下北半島を廻り、恐山や薬研温泉に行きたいと思っている。

慰安婦の日

 昨日の14日、韓国は『慰安婦の日』で式典があったそうだ。尹大統領は出席しなかったという。他国のことだからその是非はいいたくないが、いささか思うところはある。6日、そして9日の広島、長崎の原爆記念日には、多少なりとも自省的な面がある。原爆を投下したのはアメリカなのは紛れもない事実だ。このような大量殺人、しかも一般市民を大量に殺すという行為は戦争行為の一環としても許すべからざるものだ。しかし、あの戦争を引き起こし、ハワイを攻撃したのは日本である。その戦果に国民は大いに沸いたのである。戦意は高揚したのである。多くが軍部を支持した。そのことを自覚しているから、追悼する人たちは、一方的にアメリカを非難するだけではなく、戦争を起こしたことの反省もしている。

 

 韓国の『慰安婦の日』の韓国国民の気持ちが韓国人ではない私にはわかるわけはないが、いろいろ報じられてきた事実を総合すれば、全ては日本の悪行であり、日本は絶対悪だとみなしているように見える。式典でもそのように言い立てていたことであろう。それを批判したり、違う事実を申し立てるのは、日本に与する悪行とされるようだ。

 

 韓国は慰安婦の象徴として少女の像をシンボルにしている。数万、甚だしくは二十万の女性達が慰安婦として連行されたのだと言い立てている。私は、そのとき韓国の男たちは何をしていたのだろうと思う。自分の街の、自分の村の娘たちが連行されるのを震えながら見ていたというのだろうか。どこの国でそんなことを黙ってみていたという事実を記念する式典を毎年行っているだろうか。慰安婦連行に抵抗して多くの韓国の男性が殺されたという事実はいままで聞いたことはない。そのことを恥じる気配もないことに私は呆れるのである。

 韓国駐留米軍のアメリカ兵が少女を暴行したといって激昂し、大々的なデモをしているのを見たことがある。韓国は熱い国だと思う。許すべからざることを黙ってみている国民ではないと思う。では慰安婦の連行のときはどうして黙っていたのか。騒ぎがあれば報道され、日本の軍部も自粛に動いただろう。論理的にそのような軍部による大々的な連行などなかったと思うのが自然だろう。

 連行したという吉田証言、それを検証もせずに言い立てた朝日新聞は、朝鮮民族を、韓国を侮辱していたのだと私は思っている。

2022年8月14日 (日)

想像力

 同じようなことを何度も書いていて気が引けるが、人は誰も悩みや不幸を抱えているもので、見た目だけではそのことはわからない。それでもたまたま不幸も悩みもなく、順風満帆の人生を送る人もいる。それが幸せな人生といえるかどうか、私は疑問に思っている。

 

 悩みを抱え、それをなんとかしのいで生きたきた人は、他人の悩みにも共感することが出来るが、順風満帆の人は他人の痛みを実感することができないから、しばしば正論を平然と言い、相手を傷つけることがある。そしてそのことに気がつくことが出来ない。そういう人が幸せかどうか、疑問だと思う。

 

 その人の人生感の深さは、浮き沈みの経験が大きく作用する。追い詰められて逃げ出したくなるような経験を重ねないと、自分で考えることができるようにならない。正論とはしばしば他人の受け売りであることが多い。自分で考えるということは、自分の経験をもとに想像力を働かせることにほかならず、経験のないことには想像力も働かないものだ。

 

 そういう、幸せで春風満帆の人に二度ほどこころない仕打ちを受けた経験がある。もちろん別々の人である。大いに人生勉強をさせてもらった。自分ではどうしようもない苦難の経験があることで、多少は想像力も働く。そのことをいまはありがたいことだと心の底から思っている。

サイゴン川

南ベトナムに行ったときに泊まったホテルはサイゴン川に面していて、部屋の窓から見下ろすことが出来た。

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こちら側は都会だが、対岸はあまり豊かでない人たちが暮らす住宅街のようである。

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朝、間断なく向こう岸からこちらへフェリーが往き来する。

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バイクやスクーターの人がつぎつぎにフェリーから吐き出されていく。フェリーは前と後が同じ形をしていて、向きを変える必要がない。窓にスモークがかかっているので色が少しかぶってしまう。

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夜、朝と同じ場所の風景がすっかり変わって見える。

誉田哲也『フェイク フィクション』(集英社)

 昨日読み始めて400ページほどのこの本を一気に読了した。眠い。

 

 誉田哲也の小説はバイオレンスアクションというジャンルに属するといえようか。このはなしはカルト教団がテーマだが、残念ながらそのカルト教団のおぞましさは詳しく語られているものの、どうしてそれがそれだけ狂信的な信者たちを集められたのか納得しがたく、教祖を取り巻く顔ぶれとその行動から考えると無理があるような気がする。

 

 まあそれはそれとして、冒頭に発見された首なし死体の謎を巡り、警察の捜査が進められていく過程は作者お手の物の展開で、その捜査に次第に微妙な思惑が見えていく。さらに教団に愛する人を奪われてその復讐を狙う者たち、教団に囚われている女性を救おうという元キックボクサー、さらに教団の中枢に密着するヤクザの中堅幹部とその手先の暗殺者などが入り乱れて物語は展開していく。

 

 途中で想像できないような結末は、この物語をいちおう好い気分で読み終えさせてくれる。バイオレンスアクション好きならいいが、本格ミステリーではないのでそのつもりで。

 

 旧統一教会とは無関係の話だが、タイムリーではある。

2022年8月13日 (土)

降らないじゃないか

 夜半にパラついた痕跡はあったが、暗雲で閉ざされた空も朝のうちに消え去り、青空となり快晴である。降る、降るといいながら降らないじゃないか、と怒るほどのこともない。天気はいいけれど出かける気にはならないし、映画鑑賞や読書の意欲も湧かない。今日はシャンソンを聴きながら画集や写真集を眺めている。

 

 エディット・ピアフなんかがアンニュイな気分によく合う。むかし買ったCDをデジタル化して取り込んだのが三枚分あって、すっかり堪能した。聴き終わってから今度は二枚組のミレーユ・マチューを聴いたが、ちょっと元気がありすぎる歌声なので、久しぶりにシュミレーションゲームを始めた。キャンペーン型のウォーゲームは二十年くらいやり続けているもので、ほとんどパターンは解っていて、勝つか負けるかよりも、いかに徹底して勝ちきるかという戦いをしている。少しでも味方部隊が損耗をすると腹が立つのである。

 

 途中で疲れたので今度は囲碁ソフトでパソコンと勝負する。五回に一度しか勝てなかったのが三回に一度くらい勝てるようになってきた。自分が強くなったというよりも、相手のパターン、弱点のようなものが少し見えてきたというところか。とても好戦的な相手なので、たいてい殺し合いになる。だから勝負は大勝ちか大負けになることが多く、寄せのギリギリ読み合いになるのだが、そこをいいかげんにするからボロボロにされていたのだ。

 

 それにも飽きて、久しぶりに娯楽小説、誉田哲也の『フェイク・フィクション』という本を読み始めた。いきなり首のない死体が出てきたり、カルト教団が関係しているからちょっと面白い。この人の本は不思議とすいすいと読めてしまう。あしたくらいには読み切れるだろうか。

美しい街

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ベトナムのホーチミン(旧サイゴン)の街は緑か豊かで草花が咲き乱れ、手入れもよくされていて美しい。

私が南ベトナムを歩いたのは2009年の秋だった。当時はまだスクラップアンドビルドの真っ最中だったけれど、いまはずいぶん整備が進んだだろう。都市が自然を圧迫しない美しさをたたえていた街が、自然を侵食する街に変わっていなければいいけれどなあ、などと思っている。

自分でするしかない

 降る、降るといいながら、お湿り程度の雨しか降らない。気温はひところほどではないが、蒸し暑い。台風は静岡方面に向かっているようで、愛知県は東側では雨風が強くなるかもしれないが、私のいる尾張地区、つまり愛知西部は多少降る程度のようだ。

 

 気がつけば、ひと月近く車を動かしていない。月に一度、20日までに妻の病院へ支払いと様子の確認に行くことになっている。厭でも車を動かすことになる。病院では、この数ヶ月、二度ほどクラスターが発生したらしく面会は出来ない。相談員といって病院と患者の家族をなかだちをする役割の人がいるのだが、その人がコロナに感染し、しかも強い後遺症が出ているらしく(はっきり言ってくれないのでよくわからないところがある)、いま病欠中のため、どうしても連絡したいときは看護師に連絡することになっているが、どうしても連絡したいほどのことはない。

 

 どちらにしても支払期限でもあるから、盆が明けた来週末に病院に行こうかと思っている。その前に一度知多半島にでも出かけて、海風でも浴びようと思ったが、いまはどこも道路が混んでいるだろうと思うと腰があがらない。なんだか毎日気怠い。ひきこもっているということは、こういう状態に心身が落ち込んでしまうものなのだと感じている。

 

 あちこちが雑然としてきて気分が悪いが、なにもする気が起きず、ぼんやりしている。シンクの汚くなっているのも不快だ。誰もしてくれないから自分で片付け、掃除をするしかないのはわかっているのだけれど。

2022年8月12日 (金)

過ち

「人間は全て過つものである。ただ過失を固守するのが愚かものである(キケロ)」

 

「若し間違わない人がいたらこれほど世の中で厭な奴はあるまい(山本有三)」

 

「世の中にはなに一つまともなことを企てないがゆえに、過つことも全然ない人びとがいる(ゲーテ)」

 

「過ちだらけの人生を送ったかもしれないが、はっきり間違っていたと自覚したものはほんのわずかだった(OKCHAN)」

 

そもそも間違いか間違いではないかなど、そう単純に判断出来ないのがこの世の中だと思っている。過ちだと思ったことが、長い目で見たら正しかったことなどいくらでもあるし、逆のこともある。

 

 未来などわからない。ただ、ゲーテのいうことはよくわかる。試行錯誤というではないか。過たないためにチャレンジしなければ、確かに過ちを犯さずに済むかもしれないが、そんなに右顧左眄して安全第一で生きる生き方には、喜びもあまりないような気がする。

 

 ひたすら相手の過ちを探すことに汲々としている一部の人たちがいる。人の過ちを指摘すると自分の正しさが証明出来ると勘違いしている人たちだ。たぶんそういう人たちは過ちを決して犯さない人なのだろう。自分も間違いを犯す人間だという自覚と謙虚さが見えれば多少の救いはあるのだか・・・。

 書くことがなくなってきたのでこんなものを引っ張り出してきた。

ホーチミンの郵便局

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ベトナムには二回行った。南ベトナムと北ベトナムの二回だ。出来れば中部ベトナム(昔王朝だった古都がある)にも行きたかった。写真は南ベトナムのホーチミン市の郵便局。ホーチミン市はアメリカが支配していたときはサイゴンといった。正面にはホーおじさんと呼ばれたホーチミンの肖像が掲げられている。

たぶんこの建物はフランス統治時代に建てられたものだろう。ホーチミン市はフランス風のしゃれた建物が多くて美しい。フランスパンは本場仕込みの本物だ。この郵便局の床は特に美しい。天井も高い。

ところで独裁者の国や強権の国はどうして公的な建物の天井が必要以上に高いのだろうか。日本ではあまり見ることが少ないから、異様に感じる。こけおどしか。この郵便局ではそういう嫌みは感じなかった。

自分はどちらか

 寒いのはむかしはちっとも苦にならなかった。最近は多少つらい。それより暑いのはずっと苦手だ。エアコンがある生活を送れる幸せを心からありがたいと思っている。海外のニュースやドキュメントを観ていると、気温が40℃超えなどというのはざらて、45℃超えや50℃を超える国などというのがある。しかもそういうところでエアコンなどない生活をしている。自分がそういうところで生きていく、などということを想像すると気が遠くなる。

 

 偉そうに金などそれほどたくさん必要ないなどといったりしていても、それはそういう過酷なところに住んでいる人から見れば、しっかり金があるから言えるのだと反感を買われるだろう。

 

 會田雄次(1916-1997京都生まれ、京都大学名誉教授)の本を拾い読みしていたら、

 

「富を軽蔑するように見せる人間をあまり信ずるな。富を得ることに絶望した人間が富を軽蔑するのだ(ベーコン)」

 

などという引用があった。

 

 金持ちに対する妬みが異常に強い人がいる。そういう人は、実は富に対する執着が強いけれど、それを得ることが叶わなかったりそのための努力を怠けている自分に絶望しているということかもしれない。

 

また、

 

「富を欲するか。恥を忍べ、傾絶せよ。故旧を絶ちて、義と背け(荀子)」

 

なんてのもある。こちらはちょっとわかりにくい。恥を忍べというのは恥なんて気にするな、恥知らずになれということだろう。傾絶せよというのは、たぶんルールなど無視しろ、どんなことでもやってのけろ、ということ。故旧というのは友だちのことだから、友人などとは縁を切れということだし、義と背けは義理人情など気にするなということだろう。

 

 こう極端に二つにわけられても困る。まあそうまでしてまで富を得たいとは思わないから、世のなかと上手くやりながら、そこそこ快適に暮らせるだけの金さえあれば、それ以上は望みません、というのが私のスタンスで、さいわいそれが叶っているのをありがたいことだと感謝しているのだ。だから金に執着している人を見ると眉は顰(ひそ)めるけれど、それだけのことで、大金持ちを見てもそんなに激しい嫉妬や反感は感じない。
 
そういえば、

 

「物の値打ちは、それがないときにいちばんよくわかる(イギリスの諺)」

 

なんてのもあった。金も最低限必要なくらいはなければどれほどつらいかと思うけれど、その人にわけて上げるほどのものの持ち合わせがないことに安心感を感じている。わけられるのにわけない気持ちの負担を感じないでいられるのも幸せというものだ。

2022年8月11日 (木)

ご苦労様

 今日は「山の日」という祝日だそうで、今日から盆明けまで連休の人もいるらしい。毎日が休日なので知らなかった。テレビでは渋滞する高速道路や新幹線に乗る家族連れなどが報じられていた。久しぶりに田舎に帰る人も多いようだ。これで新型コロナの感染が増えても、もう仕方がないというところなのだう。

 

 なんだかなにもする気がしないので、ぼんやりテレビを観ているが、ろくな番組がない。スポーツが好きなら高校野球でも見るところだが、あいにく最近は興味がなくなった。なにかを応援する、という気持ちが失われてしまったのはどういうわけだろう。

 

 WOWOWを契約しているので、ひところは月に二十本も三十本も録画したが、なかなかそんなに観るものではない。せいぜい月十本がいいところなので、それ以上録画しないように絞っている。ようやく録画したものの消化が進み出した。でも観たものをわざわざブログに紹介するのも面倒でずっとサボっている。

 

 暑さのせいか食慾も低下していて、料理も手抜きしている。ただ生きるために適当につくっている状態だ。下手にまとめてつくるとすぐ傷んでしまう。麺類を食べることが多くなる。御飯よりも麺類の方が多い。早く暑さとコロナ禍が峠を越さないかなあと思う。

 

 その暑さのなか、人混みの中へ出ていき、帰省したり移動したりしている人たちを見て、ご苦労様とつぶやいている。少し前までは、誰よりも出かけるのが好きだったのに、変われば変わるものだ。

問答無用

 五・一五事件のとき、首相官邸を襲った青年将校たちに対して、犬養毅が「話せばわかる」と語りかけたが、問答無用と射殺された。それが戦前の政党政治の終わりを告げた事件であったことをNHKの歴史ドキュメントで改めて思い知らされた。

 

 軍人が武器を持たない人間を取り囲み、正義のために射殺するという行為は歴史を変えてしまった。もちろん歴史を変えようとして青年将校たちは決起したのである。それは正義だったのか。

 

 安倍元首相を山上という男は後ろから射殺した。安倍元首相は「話せばわかる」ということも出来なかった。後から人を撃つ、しかも相手は武器も持たず抵抗できない。それを射殺するという行為にどういう情状酌量の余地があるというのか。

 

 私は新興宗教、とくに全てを因果にこじつけて勧誘し、金品を強要し、信者を増やすような新興宗教を嫌悪する。そのことにたいへんな被害を受けている人がいることは痛ましいことだと思うが、どんな宗教を信じるのかは本人の自由であることも憲法で保障されていることである。そのような団体に参加するのは愚かだと思うが、責任は当人にある。

 

 そのような宗教団体を助長してきた罪は重いと思うし、強く批判するのはとうぜんで、いままでそれが取り上げられてこなかったそのことのなかにマスコミの問題点があるとさえ思う。オウム真理教のときにも強く感じたことだが、警察もマスコミも宗教団体には及び腰である。見て見ぬふりをしてきた。今回その反動でことさら強いバッシングになっていることに私はとくに反対するつもりはない。

 

 ただ、そのことが安倍元首相を射殺した犯人の罪の重さを軽くするようなことにつながることだけは許してはならないと思っている。殺すには殺す理由があったのだ、とか、自業自得な面があった、などと言う風潮を生むとしたら、それこそ戦争へなだれ込んだ戦前の流れを辿ることになりはしないかと危惧する。絶対に安倍元首相射殺事件を正義の行為にしてはならない。

まだ増えている

 昨日の愛知県の新型コロナ新規感染者はまた新記録の18800人超えであった。病床使用率も危機的状況だし、重症者も死者も増えている。医療が危機的状況で、愛知県知事は全ての医療機関に協力を呼びかけているが、医療機関からは戸惑いの反応しかないという。高齢者で基礎疾患(糖尿病)を持っている身としては、いま新型コロナに罹患したとしても、適切な治療が受けられないかもしれないという不安のなかにいる。

 

 若い人たちは重症化する率が低く、一度罹患すると免疫が強化されるらしい。こうなると社会を回しながら、社会活動を担っている人々のあいだで一通り感染が行き渡ったあとでしか、いまのような感染爆発状態はおさまらないのではないかと思っている。どちらにしても防衛的な対策はすでに破綻している。

 

 みんなが罹ってしまって、免疫が出来たあとでしかこの病気は終息しないような気がする。そして高齢者、基礎疾患のある人だけはずっと予防をつづけるしかないということなのだろう。そういう弱者はこのウイルスによって社会から切り離されることになるのだろう。とんだ姥捨て山の時代が来てしまったものだ。

 

 権力者は高齢者であり、中国のウイルス研究所が密かに高齢者の粛清抹殺をこのウイルスをもって成し遂げようとしたのなら、大成功しつつあるということだろう・・・だから権力者はゼロコロナにこだわっているに違いない・・・もちろん冗談だが、このウイルスについての弱者側に立つものとして、そんな嫌みな空想をしたくなろうというものだ。

2022年8月10日 (水)

『小川洋子の陶酔短編箱』

 小川洋子が選び、それぞれに彼女の短いエッセイを添付した、奇妙な味わいの短編集。森鴎外や梶井基次郎があり、小池真理子や川上弘美がある。娯楽小説に集中できなくなっているが、こういうものならどんどん読める。『小川洋子の偏愛短編箱』に続くものらしいが、そちらは未読。

 

 小川洋子は1962年、岡山県生まれの芥川賞受賞作家。彼女の原作をもとにした『博士の愛した数式』という映画で彼女のことを知り、いくつか短編を読んだことはあるが、まとめて読んだことはない。

 

 川上弘美の『河童玉』、武田泰淳の『雀』などが特に印象に残った。井伏鱒二の『鯉』はかねがね安岡章太郎が絶賛していて一度読んだことがあるが、著者が改稿を繰り返しているという。少し短い気がしたので、最後のものかもしれない。

 

 起承転結が短編小説の基本だが、そんな基本を外したものも多い。ただ、どれも読んだ後に奇妙な後味を残すものばかりだ。

平家物語

 昨日から、NHKで人形劇の「平家物語」の再放送が始まった。むかし断片的に観たことかあるが、全部見たかったものだ。人形劇というのは実物の俳優によるものやアニメ以上にとラマを面白く見せてくれるのでわたしは好きである。早朝に一日二回、先ほど四回分をつづけて観た。面白いし、知らなかったことを教えてくれもするのでありがたい。ただし、これは吉川英治の原作だから、そのへんは多少知っておく必要はある。

 

 源氏物語を古典の全集で求めてわざわざ読もうと思うほどのことはないが、それよりも「太平記」は一度チャレンジしたいと思っている。よくその時代のことを知らないのだ。あの「ときに范蠡なきにしもあらず」の部分を読んでみたいのだ。

信じられない

 コーヒーメーカーでコーヒーを入れたつもりでポットから注いだら、お湯しか出ない。まだ二年ほどしか使っていないのに、早くも壊れてしまったのかとむっとした。しかしお湯が出るということは、どこかが詰まっているわけではないことになる。よくよく見たら、フィルターはセットしたのに粉を入れていなかった。ほかのことをやりながら片手間にしていたとはいえ、ちょっと考えられないお粗末さで、自分が信じられない。

 

 コーヒーの粉を入れたらちゃんといつものコーヒーを入れることができた。壊れたと思ってすまぬことであった。壊れているのはこちらであったのだ。

 

 スーパーに行くとしばしば買い忘れをする。その日に作ろうと思った料理に最も必要なものだったりするから、自分が情けなくなる。どうでもいいものは二つも三つも買ってしまうのに・・・。メモ持参が必須になってきた。スーパーはごく近いからいいのだけれど。

2022年8月 9日 (火)

秋の七草

 岡本かの子(1889-1939 小説家・歌人 岡本太郎の母)の『秋の七草に添える』という短いエッセイを読んだ。春の七草は言えるけれど、秋の七草はちゃんと知らない。このエッセイでは、萩、刈萱、葛、撫子、女郎花、藤袴、朝顔となっている。
これは、万葉集の山上憶良の

 

秋の野に咲きたる花を指折りかき数ふれば七種の花
萩の花尾花葛花なでしこの女郎花また藤袴朝顔の花

 

の二首から言いならされているという。

 

 ここでいう朝顔は、いま普通に見る朝顔だけではなく、木槿や桔梗も含めていうそうだ。そういえばみなラッパ型で似ているところがある。刈萱はもちろん尾花、つまりススキのことだ。

 

 女郎花が黄色い花、と書かれていて、あれっと思った。女郎花を彼岸花と勘違いしていたのだ。草花の歳時記の写真を見て、自分の間違いに気がついて。萩も女郎花も山野を歩くとよく目につく花ではないか。

 

 萩といえば、毛越寺の山門前にたくさん咲き乱れているのを見て、きれいだなあと思ったことがある。名前を知っているかどうかで、その花への思いもずいぶん違う。俳句や和歌をたしなむ人は花鳥風月に明るい。若いときから少しなじんでいればよかったと、このエッセイを読みながら思ったけれど、少々手遅れだ。

遺骨

 先日島田陽子が亡くなった。そしてその島田陽子の遺骨の引き取り手がないというニュースを見た。アメリカのドラマに出たりして、一時期は世界的女優、などともてはやされたが、どこか危ういところがあるように感じていた。表舞台に出なくなったには、それなりの理由があったのだろうと思う。晩年の闘病の中で、島田陽子は自分の人生をどう考えていただろうか。人生の幸せをどう思っていただろうか。

 

 自分の人生の評価は最期の時に定まるという。「まあそこそこだったなあ」とか、「こんなもんだろう」と思えれば、私はそれでいいと思っている。欲望が強ければそれを達成するために努力して得られるものも多いけれど、欲望が強いほど満足感は得られにくいのではないか。怠け者の私などは、努力しないから得られたものはわずかだったけれど、さいわい欲望がそれほどではないから、こうすればよかった、ああすればよかったと、あまり強く思わずにすんでいる。

 

 島田陽子がそういう意味で欲望が強かったかどうか知らないけれど、私が危うさを感じた、というのはそういうものを感じたということで、現実の島田陽子ではなく、私に見えていた島田陽子をイメージしてのことである。そうして自分自身の最期というものを想像したのである。

 

 しあわせとは何だろうか。

母の命日

 今日は母の祥月命日。毎年その頃には弟の家に行き、墓参りも兼ねてしばらく滞在するのだが、コロナ禍でそれもかなわない。昨年は七回忌だったので、弟夫婦、妹夫婦と私だけでお寺に行って法事をした。今年は弟夫婦だけお寺に行ってお墓の掃除などしていると思う。妹の旦那も昨年末に倒れて病院にいる。当たり前だったことが当たり前ではなくなっていく。

 

 父が震災の年に死んで、そのあと母は発語障害になり、意思の疎通が困難になった。最後の二年間は寝たきりになってしまったが、弟夫婦は最後まで在宅で介護をした。私も時間があるから毎月千葉まで行き、月に一週間から十日は介護の手伝いをした。母の下(しも)の世話もした。いい経験をさせてもらった。私がいることが弟の嫁さんの負担になっただろうと思うが、一度もそんな雰囲気を感じなかった。ありがたいことだった。

 

 母の介護ベッドの脇で見守ることしかできなかったけれど、時々思い出話などを話しかけた。ごくたまにかすかに微笑んだりすると、とてもうれしいものだった。もっと優しくすればよかったと思う。介護というのはなかなか優しくばかりはしていられないものなのだ。

 

 母は介護ベッドに寝ながら何を思っていただろうか。私のことをどう思っていただろうか。

2022年8月 8日 (月)

ずぶ濡れになる

 午前中の糖尿病検診はいつもより遅くの予約にしてもらったはずなのに、どういうわけかいつも以上に早く(予定より一時間早く)呼ばれてしまった。おかげで十時前にすんでしまい、一度家に帰ることにした。昨晩よく眠れなくて早起きしてしまい、眠くもあった。途中で雨が降り出し、次第に雨脚が強くなる。急ぎ足で帰宅。もちろん折りたたみの傘は持っていたから大丈夫で、家について外を見たら降り方が激しくなった。洗濯物を干してあったから帰ったのは正解であった。

 

 空腹を満たしてうたた寝をする。午後は二時の予約だからゆとりがある。雨は三十分ほどで上がっていて、強烈に蒸し暑い中を再び病院へ行く。午後の泌尿器科の先生は少し遅れます、と案内があって、結局予定より一時間遅くなった。薬局で処方薬を受け取るのを待っていたら、また雲行きが怪しげである。ぽつりぽつりと来た中を傘を開いて急ぎ足で帰路につく。次第に雨脚が強くなる。雨粒はとんでもなく大きくて、傘に激しく打ち付ける。風が横殴りに吹き出し、恐ろしげな雷鳴が鳴り響く。

 

 傘がほとんど役に立たない猛烈な降り方で、周囲が水煙で霞んでいる。折りたたみだけれど骨が一六本という特別頑丈な傘(ただし重い)だから風に耐えてくれている。途中に雨宿りするところがない道なのである。他人の家に入るわけにも行かない。ただひたすら家に向かうしかない。靴の中は水たまりになっていて、下半身は中までずぶ濡れ、片道二十分の大半が激しい雨の中だった。帰って着替えてようやく一息ついた。このブログを書いているうちに雨がやんだ。泌尿器科の先生が遅れずに予定通りだったら濡れずにすんだのになあ。

 

 ところで血糖値は大幅に改善していて、女医先生はにっこりしてくれた。さらに尿酸値が低いまま(基準以下) なので、もう一種類薬を減らしてもらえることになった。通風はもう心配いらないでしょうという。そうして、次回も血糖値がこの調子で改善されていれば、血糖値を下げる薬も一つ減らしましょうという。糖尿内科の処方する薬は前々回までは八種類あったのが、これで六種類になり、さらに一つ減れば五種類になる。

 

 喜びのあまり、晩に休酒解禁の祝杯を盛大に挙げようと思ったが、気を取り直してほどほどにすることにした。

いまさら、なのだが

 本日は午前中に糖尿病、午後は泌尿器科の定期検診がある。久しぶりに重なった。一日仕事である。途中一度家に帰るかどうかまだ決めていない。昨夕食事をしてから水とお茶しか飲んでいない。空腹時の血糖値を測るため朝食抜きなのである。空腹だから家で食事したいが、暑い中の往復はつらい。病院に売店があるからおにぎりかサンドイッチくらいは食べることができる。どうしよう。待ち時間は読書していればいいからそれほど苦にはならない。

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上の写真をデスクトップの壁紙にしている。2019年にトルコ旅行に行ったときにトルコ南西部のエフェス(世界遺産)で撮ったケルスス図書館の写真である。現役時代から友人たちと三人で毎年一度海外旅行に行った。思えばこのトルコ旅行に行ったのが最後になってしまった。何より2020年にいつも一緒に行くF君を失ったことが残念である。この旅行の時も闘病中であったが意気軒昂で、来年もう一度来て、二人でイスタンブールに居続けて毎日飲んだくれましょう、と約束していたのである。

 

 そんなことを思いながら一枚の写真をじっと眺めていると、様々なことが去来し、一体自分は何を見、何を感じ、何を考えていたのだ、と今更ながらぼんやり生きてきたことをもったいないことだと思ったりした。

2022年8月 7日 (日)

いつもの休酒と減量

 明日が定期検診で、いつものように一週間前から休酒している。併せて間食を厳禁し、食事の量も控えめにして体重を落とすように心がけている。

 

 それでは検診の意味がないではないか、というご批判はあろうかと思うが、もう数年来そうしているので、その検診結果が比較のできる私の定常状態である。

 

 そういう努力をしてもあまり数値的に改善がないのは残念なことであるが、事実であるから仕方がないし、体調に特にそれによる不調はない。

 

 体重は今のところわずかしか減っていない。いつもと違って、今回この一月ほど暴飲暴食をほとんどしていないので、血糖値・hA1cは下がっているはずだと期待しているのだが・・・。

 

 それと、そろそろこの休酒減量努力を断続的ではなく定常的に行うことこそそろそろ必須だなあと思っている。

寝床でもがく

 身体の可動性が著しく低下している。同じ姿勢をとっていて、ふと背伸びをすると腰骨がバリバリ鳴る。座椅子や椅子に座ったままで長時間いると身体にひずみがたまるようだ。

 

 寝床のマットレスを外し、薄い敷き布団の上に仰向けになって思い切り背伸びをする。腰や肩や首が痛くてミシミシいうが、そのまましばらくすると全体が調和して痛みが治まってくる。とても身体が楽になってくる。

 

 その後、様々にストレッチをしたり腹筋ともいえないような負荷を自分流に身体の様子を聴きながらかけていく。傍から見たらトドみたいなじいさんがただ横になってもがいているようにしか見えないだろうと思うとおかしい。

 

 今のところ朝晩だけもがいている。身体の筋が少しずつ伸びて可動域がちょっとでも回復すれば幸いである。これをやると不思議と眠りにつきやすくなる。

最近なので

 高校生、大学生の時代には、文芸雑誌や、世界や日本の文学全集を読み散らしていたが、とてもじっくり読んだとはいえない。就職して現役時代は、それなりに一生懸命仕事をしたから、読むのはミステリーや時代小説などの娯楽小説が多かった。五十を過ぎて子供にも手がかからなくなり(事情があって男手一つで子供二人を育てた)、中国に関連する歴史書や古典を読むようになった。併せてまとまった時間があるときには一人で中国に行ったりした。子供たちと三人で行ったことも二度ほどある。

 

 六十でリタイアし、しばらくは中国関連の書籍を読むことが多かったが、この七八年、古本屋でかき集めた近代の小説や文芸評論を読むことが増えている。そういうわけで文芸評論についてはかじり始めたばかりであるが、思ったより面白い。近代小説の読み方が多少進化したように自負している。わかることが増えるとさらに新しいことを知ることができるという楽しみを楽しんでいる。

2022年8月 6日 (土)

夢中になれる日もある

 娯楽本(時代小説やミステリー)の文庫本なら最低でも一時間に百ページ、単行本でも八十ページは読めたものだが、いまは集中力が続かないし、目が霞んできて字が読めなくなってしまう。それにいまは娯楽本そのものを読む楽しさが以前ほど感じられなくなって、評論本や近代文学、古典を読むことが多いから、下手をすると一時間に二十ページから三十ページしか読めない。別に誰かと競争しているわけではないからそれでいいのだけれど、脇に積み上げてとっかえひっかえ読んでいる本がいつまでも変わらないのは少し残念だ。

 

 それでも久しぶりに夢中で本を読むことができた。少しずつ読み進めていた『臼井吉見集1』を半ば過ぎまで読み進めたら、興が乗ってほかの本へ切り替えることなく一気に読了した。

 

 臼井吉見(1905-1987)は長野県安曇野出身。筑摩書房を創業した吉田晁とは松本中学の同級生。戦後招集解除の後、筑摩書房の雑誌『展望』の編集長となる。 代表作として、大河小説『安曇野』がある。

 

 この『『臼井吉見集1』は雑誌『展望』の戦後すぐの創刊以来、連載していた彼の文章を集めたものである。若い頃、彼の『蛙の歌』という本を読んで評論というものの面白さを教えられた。それは第二巻に収められている。ものの見方、考え方に共感するところが多く、だから読みやすい。

 

作品を読めばいいので、作家について知らなくてもかまわないという考え方もある。しかし文学作品の場合、どうしてその本を書いたのかその背景を知ることでより深く知ることができることが多い。そのための橋頭堡を提示してくれるのが優れた評論である。橋頭堡をもとに次第に関係が見えてくる。時代が見えてくる。作家のその作品を書いた必然性が見えてくる。現代はどうか知らない。昭和まではそういう読み方をしないと全体が把握できず、独りよがりの読み方になってしまう。そのことを今頃気がついている。

門外漢ながら

 与謝野鉄幹の『人を恋うる歌』という詩があって、歌にもなっている。「妻をめとらば才たけて 見目麗しく情けあり 友を選ばば書を読みて 六分の侠気 四分の熱」という歌だからたいていの人が知っている。その中に
「ああわれコレッジの鬼才なく バイロンハイネの熱もなきも 石を抱きて野に歌う 芭蕉のさびをよろこばず」という部分がある。
私は
「われにダンテの鬼才なく・・・」として記憶していて、これは森繁久弥の歌った歌詞なので、コレッジは知られていないからダンテにアレンジしたのかもしれない。鉄幹与謝野寛は与謝野晶子の夫である。 

 

 この「芭蕉のさびをよろこばず」の部分に、私はいつもなんとなく反発を覚えていた。それは正岡子規が「写生主義」を主張して、「歌よみに与ふる書」によって、古今、新古今を否定し、万葉集を称揚したことと並行し、与謝蕪村を「発見」して芭蕉と同等かそれ以上であるとしたことが背景にあるのではないかと思っているからである。

 

 蕪村については敬愛する森本哲郎が『詩人 与謝蕪村の世界』で詳細に論じているように、素晴らしい俳人であることは私も承知している。そして森本哲郎はもちろん芭蕉にも心から傾倒している。

 

 以前から時折歩いていたが、昨年、芭蕉が『奥の細道』でたどった道を、注釈本を片手にいつもより丁寧に何カ所か訪ね歩いた。そうして多少なりとも芭蕉の素晴らしさ奥深さを感じることができた。与謝野鉄幹の詩のような芭蕉の位置づけは浅薄にすぎるような気がしてしまうのである。正岡子規の影響を感じてしまうのである。

 

 明治時代、旧弊たる日本を脱皮して西洋化するのだという思いがありはしなかったのか。もちろんそれが強くあったことは間違いないことだが、それが衣装の問題でしかないところがありはしないかと思うのだ。詩の多くの部分がまさに日本古来の美意識を基底にしているように思えるではないか。これを取り入れたらこれを吐き出す、という姿勢はどうも安直に感じるのだ。

時代を超えて

 『臼井吉見集1』を読んでいて、大事なことは時代を超えていると感じた。例えば、彼が三代文豪展を見て感じたこと。

 

 僕は明治の文学者と今日の文学者との間に横たわる越えることのできない間隙を見た。
 明治の文学者は、自己を変質させるために、苦しい格闘をつづけた。おおざっぱにいえば、西洋との格闘であった。そこに骨を噛む孤独と不安があった。かくて、どのようにまがりなりにしろ、自己の表現を獲得した人たちである。個性などというたわいもないものを越えた、人間性としての自己表現であった。

 

 こんなことを考えると、こんにちの文学について何を語る気になれるだろうか。まして年末だからとて今年度の文学について、何を語る気になれるだろうか。おおかたは衣装だけの話ではないか。舶来の衣装が身についたか、つかぬだけの話ではないか。自分の骨格や感受性を転化しようにも、かんじんの骨格が見つからぬではないか。感受性といったところで、どのような感受性も持ち合わせているというのか。われわれに、一片の骨格もなく、一片の感受性すら失いつくしたことを嘆いた太宰治の訴えを嗤えるものがどこにいるだろうか。

 

 これが書かれたのは1950年の末である。明治、大正、昭和の文豪たちの本を読み散らしている私には、いま書かれたように読める。

2022年8月 5日 (金)

内田樹『知に働けば蔵が建つ』(文春文庫)

 あたまのネジが緩み始めると、内田樹を読む。そのレトリックに富んだ文章は、慣れると快感である。もともと彼がブログに書いたものをまとめたりそれを元にして書き直したりしたものが多いから、読み手との距離も近くて、しかもさいわい私の思考とリズムが合うのもありがたい。

 

 気がついたら文庫から新書、ハードカバーを併せて百冊前後の本が溜まっている。そのうち少なくとも三分の一は再読した。この本も再読で、政治的なスタンスには違いがあるものの、人に読むことを勧めてもいいと思う本だ。とにかくものを考えるのには多少テクニックも必要で、受けた情報を鵜呑みにしていてはオリジナルな思考は出来ない。内田樹は意外な切り口で物事を解釈して見せてくれる。知的な楽しみを味あわせてくれる。彼の本には少し読みにくい本や政治的な本もあるから、それさえ選ばなければたいてい知的楽しみを楽しめるはずだ。

 

 ところで、メインで使用しているノートパソコンのキーがおかしくなってしまい困っている。キーボードにコーヒーや牛乳やジュースや味噌汁を飲ませた覚えはない。公私にわたって長年ずいぶんたくさんのパソコンを使ってきたけれどこんな道化たキー動作を初めて体験した。

 

 ときどきキーを二度打ちしたみたいに「と」と打つと「とと」とか「ぬ」と打つと「ぬぬ」とかなる。とくに濁音キーがひどい。たとえば、「だ゛゛くおんきーがひど゛い」と打ち込まれる。その都度訂正しなければならないからわずらわしいことおびただしい。最近は濁音キーを押したのに濁音にならなかったりして、ストレスになっている。ご推察の通り、私はカナ入力である。

 

 NECもパソコン部隊に中国資本か入ったせいか(そう聞いた記憶かあるが詳しいことは知らない)、東芝のダイナブックやDELL並みにお粗末になったようだ。そのダイナブックだってDELLだって、しばしば不具合はあったがキーボードはまともだった。入力装置がまともでなければパソコンは使いようがない。

 

 そろそろ外付けのキーボード(手持ちあり)を使うしかなさそうである。なんでこんな目に遭うのか、無性に腹が立つ。大事なものが入っているから修理に出すわけにはいかないのだ。

泉鏡花の『露宿』、『十六夜』

 いささか読み難い『鏡花随筆集』を少しずつ読み進めている。『露宿』は大正12年9月1日の関東大震災のときのことを書いた文章である。露宿は野宿のことだ。地震の後の大火に逃げ惑う様子が、鏡花自身の眼で見たとおりに書いてある。他人の話は他人から聞いたこととして書き、けっして推察や憶測は書いていない。だからこそリアリティがある。

 

 高台にあった彼の家は運良く焼け残った。延焼の火が近づいたり遠のいたりするのを恐怖の目で見続けて夜を明かす。余震がこわくて家では寝られず外にいたのである。翌日、翌々日には次々に近くから、そして遠方からの見舞客がやってくる。自分の家は焼けたのに見舞いにくる人もいるのである。それに素直に感激する鏡花。この岩波文庫版は註釈がくどいほどなのだが、どういうわけかやってきた客の名前が万さんとか滝さんとか書かれているのにそれに註釈かないからわからない。万さんは久保田万太郎であるのは明らかだからいいが、滝さんは水上滝太郎なのかどうか知りたいところだ。他にも知りたい人がたくさんでて来るのに不親切だ。

 

 『十六夜』はその震災のあとの話で、まだ不自由な生活を強いられているなかに台風がやってきたことが記されている。震災のあとの台風のことは知らなかった。焼け出されたひとたちは、たいへんな思いをしただろうと想像される。なけなしのろうそくに浮かび上がる夜の闇は不安を煽る。バラック建てのトタンが凶器になって飛び交う様子などすさまじい。そうして台風のあと、ススキを飾り、月見の団子を供える。冴え冴えとした秋の月の光を私も見たような心地がした。

差別

 差別の基準は時代とともに変わる。むかしの人には当たり前だったことが、今の人には許すべからざる差別のように見えることも多い。過去に遡って文句を言いに行くわけには行かないが、正義のひとはできればそうしたいことであろう。言われた方はびっくりするにちがいないが。

 

 大正生まれの両親、そしてそれ以上に明治生まれの祖父母にしつけと価値観を刷り込まれて育ったので、私の差別の基準は古い。しかし両親も祖父母も、弱者に対する差別を嫌悪していたことだけは念のために言っておきたい。私が刷り込まれた価値観が今の基準から見れば古いことを私はさまざまな情報からよく承知しているつもりである。それでも性差について、同性愛について、等々あまりにも急激に価値観の変更を求められて、内心ではそれについて行けないところがある。

 

 本音を言うのは自分にとって損だから黙っている。黙って認めているような顔をしていれば世の中は平和らしいから、そうしている。次第にそれが世の中の基準になってみんなが受け入れるようになっていくのだろう。それに反対を唱えるつもりは全くない。ときに逆差別が弱者の権利という名の権力になるのも不愉快だけれど、衆寡敵せずなので見て見ぬふりをしている。

2022年8月 4日 (木)

不正選挙

 僅差で敗れた元大統領のトランプは、大統領選挙が不正だったと主張し、精査の結果そのような不正の事実はなかったことが確認された後の現在も、その主張を取り下げていない。不正ではなかった選挙を不正だと言い張るのであれは、彼にとって公正な選挙とはどんな選挙か。彼が勝つ選挙である。負けた選挙は不正である。そして共和党の支持者の多くが彼の主張に賛同している。これではそもそも選挙そのものに意味が認められなくなってしまい、民主主義そのものが崩壊しかねない。そうなればアメリカは民主主義国家ではなくなっていく。

 

 中国、ロシア、ベラルーシ、ミャンマーその他たくさんの国々が、選挙の体裁だけで、公正な選挙など行われていない。それこそ茶番、恐ろしい茶番が平然と行われている。そしてアメリカもそのような国になろうとしているのだろうか。共和党は勝つために、トランプに頼り、支持を得るために民主主義を棄てるつもりらしい。

 

 ところで話は替わるが、中国の王毅外相の言葉遣いがどんどん北朝鮮的に下品下劣になっている。この人は頭はいいようだが、習近平に阿(おもね)ることで出世して、もう引っ込みがつかなくなっているようだ。それはロシアのラブロフ外相とうり二つで、見ていて強い軽蔑を感じさせてくれる。品位とか敬意という言葉を失った世界に未来はないとおもうが、そんなもの最初から持たない人ばかりが世の中を動かしているらしい。あると思ったことは勘違いだったのだろう。

ツエツエ蠅

 朝食後、本を読み始めたら数行読むごとに眠りに落ちる状態で、とても読んでいられないので横になったら、そのまま眠り込んだ。目が覚めたら昼になっていた。夜寝苦しかったとはいえ、ちゃんと寝たはずなのにどうしたことか。こんなことは普通ない。ツエツエ蠅にでも刺されたのか。あれっ、ツエツエ蠅は噛むのか刺すのかどっちだろう。

 

 念のため測った体温は、平熱。室温は29℃前後で快適である。北側に黒い雲が次々に通りすぎるのに、雨はなかなか降り出さない。雨が降るはずだからベランダの鉢には水をあげていない。大丈夫だろうか。

 

 山形県の南部や新潟県の村上市あたりが記録的な大雨でたいへんな被害が出ているようだ。学生時代を米沢で暮らし、あの一帯はよく知っているので他人事ではない。米沢といえば最上川の支流である松川が流れていて、その河原が芋煮会の場所でもある。今は大変なことになっているのであろう。また米沢から山越えして新潟に向かう米坂線は渓谷沿いに走るから、被害がなければよいが。また、瀬波温泉(村上)にはよく泊まるし、鮭の遡上する三面川のあたりの景色は美しい。そこが濁流になっているようだ。 

 

 さらに石川県や福井県も大雨が降っているようだ。あのあたりも金沢在籍時代に走り回っていたところで、もともと日本海に注ぐ川は急流だから、ひとたび大水が出ればその勢いを止めようがないだろう。

 

 自然が牙をむいているように思える。そういえば猿や熊が人間に対する警戒心を失って、人間や家畜を襲い始めている。人間は自らの罪を自然に問われているかのようだ。

あたまの程度

 「問題を出された以上は、かしこまって答案をつくるよりほか仕方ないわけですが、不勉強で生意気な学生にかぎって、ともすれば、出された問題によって、逆に教師のあたまの程度を忖度するもので・・・」

 

 これは臼井吉見文集のなかの1フレーズで、思わずニヤリとしてしまう。うまいことを言うものだ。テレビを観ていると、答える側のあたまの程度はもちろん、質問を発する方のあたまの程度のお粗末さ具合がうかがわれるものが多くてうんざりする。質問するには、質問に答えるよりも知性と教養が必要なこともあるのだということを、もう少し自覚してほしいと思う。

 

 問うべきでない人(応える能力がないと明らかな人)に質問したり、無意味な質問(「いつウクライナ戦争は終わりますか」などという、占い師でも答えようのないもの)をする質問者は、あたまの程度が忖度されることになる。

 

 質問には答えが期待されるのであって、その答えをある程度質問者は想定できなければならない。そうでないと次へ話が展開できないから会話にならない。シラケるのである。想定外の回答を得て盛り上がる、というのが一番望ましいのだが、めったにお目にかかれない。

2022年8月 3日 (水)

『温泉百話 西の旅』(ちくま文庫)

 種村季弘、池内紀編集による、東の旅50編、西の旅50編の盛りだくさんな本をようやく読了した。大いに楽しませてもらった。数年後にまた読み直して楽しもうと思う。こういう本を読むと温泉に行きたくなるのはもちろんである。

 

 この西の旅には文豪の文章がたくさん収められている。主なところでは、森鴎外、島崎藤村、斎藤茂吉、有島武郎、志賀直哉、田山花袋、永井龍男、織田作之助、中里介山がいる。また、島尾敏雄、野坂昭如、田中小実昌、吉行淳之介、城山三郎、有吉佐和子、田辺聖子がいる。これでもたくさん書き漏らしているのである。さすがに皆文章が達者で、濃度が高い。

 

 選びようがないところを選べば、やはり大好きな志賀直哉の、『豊年虫』、森鴎外の『みちの記』、田山花袋の『水郷日田』なんかが特によかった。豊年虫とはカゲロウのことで、舞台は戸倉上山田温泉。この文章は全集で一度読んだことがあるが、志賀直哉のその描写は神業である。『水郷日田』には行きたいと思っていたところ(通過したことはある)でもあるし、特に思い入れを持って読んだ。それに田山花袋は小説以上に紀行文の名手でもある。

 

 鴎外の『みちの記』は碓氷峠を越えて軽井沢、そこから志賀高原の山田温泉まで行くという、当時としてはたいへんな旅をしたときの紀行で、私も今年の春その山田温泉に二度目の温泉行をしたばかりなので、情景がよく目に浮かんで懐かしかった。この凝縮された鴎外の文語文は素晴らしい。

 

 行きたい、そして、また行きたい温泉がたくさんあって、目がくらむ。

怨み節

 世界で一番信用できない国はどこか、と問われれば、私はアメリカと答える。もちろん世界中どこの国も信用なんか出来ないし、アメリカよりも信用できない国の方がたくさんあると承知の上で、あえてアメリカと答えるには理由がある。信用できない国はたいてい自国が信用されていないことを承知しているし、信用されないだけの理由も多少は認識している。唯一自国が信用に足る国であると信じている国がアメリカで、他国がアメリカをなぜ信用しないのか理解することが出来ない国がアメリカだからである。

 

 自分の間違いが自覚できないものは、自ら間違いをただすことが出来ない。独善的な国を信用することができるわけがない。世界で最もアメリカを信用しているのが日本らしい。だから日本は海外から内心では愚か者として馬鹿にされている(と思う)。日本は戦後どれだけアメリカに煮え湯を飲まされつづけてきたことか。日米貿易交渉の歴史を繙けば、いじめつづけられ、ボロボロにされてきた日本の企業のうめきと呪いが浮かび上がってくるようだ。

 

 繊維、自動車、半導体・・・、理不尽な言いがかりと譲歩の強要の歴史だったではないか。日本を牽引していた企業が萎縮し、意欲を失うようなことの繰り返しが、日本の衰退を招いてきたこと、失われた三十年の原因であることを国民は知らなすぎる。

 

 アメリカに正義などないことは明らかで、しかし、そのアメリカに追随せざるを得ないという現実におかれている日本の悲哀をもう少し自覚しないと行けない。安倍元首相にはまだその自覚があったように見えた。岸田首相には残念ながらそれが見えない。

 

 むかし梶芽衣子が『怨み節』という歌を歌った。映画『女囚サソリ』シリーズの主題歌を、主演した梶芽衣子が歌っていたのだ。映画もたぶん全て観た。テレビドラマなどでヒロイン役の松原智恵子などの引き立て役をやらされていた時から、梶芽衣子は好きな女優だったのだ。

 

 その『怨み節』をアメリカにぶつけるわけにも行かないけれど、不景気を嘆いている日本人には是非聴いてもらいたいところだ。

「花よきれいとおだてられ、咲いてみせればすぐ散らされて・・・」

俗な見方で

 中国もロシアもアメリカの足元を見ている。とくにバイデンの理念だけで信念も決断力もないのを見切ったつもりで嘗めきっている。つい数日前の習近平とバイデンの電話会談は、電話会談としては長時間だったようだが、憶測するに老齢のバイデンは疲れ果て、習近平は言いたい放題だったようだ。

 

 ペロシ下院議長は台湾訪問をギリギリまで決定しなかったが、その電話会談の様子を見て台湾を訪問したのではないか。バイデンが嘗められたら自分が代わりに意地を見せようというのだろう。

 

 中国では面子が重んじられるから、面子を潰された習近平は激怒しているだろうが、ではなにが出来るか。彼は経済のことに疎いらしいから、中国進出企業に対する嫌がらせをするのは間違いないだろう。金に執着する中国は、アメリカが一ばん嫌がるのは経済制裁だと判断するだろうからだトランプと一緒だ。結果として中国のカントリーリスクは増大し、進出企業の撤退が加速する。そのことが中国の経済回復を遅れさせ、場合によって経済危機が加速する。

 

 バイデンも仕方なく中国への経済制裁を継続するしかなくなるわけで、対中国強硬派のペロシ氏の思惑通りとなる。三期目を狙う習近平にはダメージだっただろう。

 

 習近平政権の第三期目をすんなり認めてしまうのは、世界にとっていいことではないと思う。世界が今以上にゆがんで、日本にとって居心地が悪くなるるばかりだ。

 

 だからといってアメリカが信用できるかといえば、けっしてそんなことはない。そのことについては次回に。

2022年8月 2日 (火)

多木浩二『雑学者の夢』(岩波書店)

 「シリーズ・グーテンベルグの森」という、「書物の森からお届けする、書き下ろし読書エッセイ」と称する叢書の一冊である。多木浩二は建築、美術、都市、写真などを哲学的に考察した文章を書いている。私はこの本で初めて知った。この叢書には山内昌之の『司馬遷・キケロ・鬼平』(おもしろかった)という一冊で出会い、他にどんなものがあるかと思ってこの本を選んで取り寄せたのだ。他に佐藤文隆や馬場あき子、柳田邦男、河合隼雄などの面白そうな本があるけれど、とても手が回らない。

 

 正直のところ、書いてあることの半分くらいしかわからなかった。ある程度フランスを中心とした現代哲学についての知識がないと自明のこととして書かれていることが自明ではないのである。ベンヤミン(1892-1940 ユダヤ系ドイツ人)のパサージュ論が主題として都市論が展開されていく。歴史とはなにかを都市を起点において論じているらしいが、おぼろげにしかわからない。パサージュとは天蓋のあるアーケードのことで、ガラス天井のアーケードだと思えばよい。

 

 こういう読書と思索をする人が「雑学者」なのか、と雑学者はるか以前の私は思った。

 

 この本をちゃんと読んで理解するためにはフーコーなどを読まなければならず、そのフーコーも、むかし書店でページをめくって歯が立ちそうもないとあきらめた私ではあるが、いろいろと橋頭堡を積み上げていけばもしかしたらいつかわかるかもしれないと希望を持たせてもらった。そのための時間が絶対的に足らないのが残念である。私が悪いのではない。理解するための時間がないだけなのだ。

夏祭り中止

 週末に行うはずだったマンションの夏祭りの中止が決まった。私も今年は回り番の組長で、いろいろの役回り、準備を引き受けることになっていた。先日、意見を聞かれたので、中止の方がいいと答えていたら、正式に中止の決定の連絡があった。もちろん面倒だから中止がいいと言ったのではなく、コロナ禍が猛威をふるいピークを過ぎていないなかで、東海三県は独自の規制案を打ちだそうという情勢であるから、やめるのがいいと思っただけである。娘も、熱中症も併せて心配してくれていた。

 

 せいぜいコロナ禍が治まり涼しくなるまでは、海か山へ日帰りでドライブに行く程度にとどめて、遠出は避けておとなしくしていようと思う。暑くても働いている人たちがいるのだ。自宅で過ごせることのありがたさを感謝しなければならない。汗を掻いて脱水症状みたいになって友人と飲む夕方の生ビールの美味さは、働いていたからこそのご褒美だった。なにもせず、ゴロゴロして過ごしたあとのビールは、昔のような美味ではない。

冷却期間を設ける方がいい

 国際的なイベントがビジネスであるのは仕方がないのかもしれないが、今回の東京オリンピックに関するスキャンダルは、当初思われていたよりもはるかに巨額で奥深い、本質的なものだったらしいことが見えてきた。

 

 今問題になっている高橋元委員のような、ダーティな人間の人脈などの力に頼らなければならないイベントは、私などにはない方がよいとさえ思える。最近のスポーツなどのビッグイベントを観る気がしないのは、私にはそれが感じられてしまうからでもある。

 

 イベントに群がる金の亡者が、うじゃうじゃいるのが見えてしまうのである。そういう思いが拭えない限り、札幌オリンピックも、サッカーのワールドカップも、巨額の金が動くイベントはしばらく日本に招致しないのがいいと思う。設備その他の経費を、イベントで懐の潤う人が負担することはまずないのだから。東京オリンピック後の金銭的な尻拭いは東京都民と、そして国民が負担するのである。国民にゆとりのない時代である。食いものにされてたまるか。いいかげん電通などに食いものににされないように、国民はもっと怒らないといけない。

2022年8月 1日 (月)

江藤淳『幼年時代』(文藝春秋)

 江藤淳(1932-1999)は評論家。この本は彼の自死により絶筆となった。だから未完である。というより書き始めの部分しかない。プロローグとして、前年病死した最愛の妻の鏡台の布の覆いの話から始められている。この布は母の形見の和服から作られていた。この本は、彼が幼いころ若くして死んだ母の思い出を語りながら、彼自身の生い立ちを再構成していくものとなったと思われるが、同時にそれは、ある意味で彼の第二の母とも言うべき愛妻についての思いを語るものになるはずだったと思う。

 

 薄いこの本の前半分が本文で、福田和也、吉本隆明、石原慎太郎の追悼文がつづき、そして詳細な年譜が収められている。福田和也も文芸評論家で、弟子を取らないはずの江藤淳の押しかけ弟子である。葬儀を取り仕切った。

 

 江藤淳の自死は、彼を知る人たちにとっては衝撃で、私も彼を敬愛して多くの本を読んできたので大きな衝撃を受けた。妻の看病で心身共に疲れ果て、その疲労が元で前立腺炎が悪化して排尿困難となり、緊急入院して手術を受けた。そうしてようやく危機を脱してリハビリ中に脳梗塞で再び倒れ、その精神の衰えを悲観して発作的に自死したと思われる。

 

 私事だが、私も前立腺炎が持病で定期的に通院している。炎症が悪化すると高熱を発し、排尿困難になる。排尿時には脂汗を流しながら、痛みに耐えながらタラタラとしか出ない排尿に苦しむ。私は痛風も経験している。痛みだけで言えば痛風の方が痛いが、命に別状を感じることはない。ところが前立腺炎の発作は高熱を発するので、命に関わる不安を伴う。心身に対するダメージはずっと大きい。

 

 江藤淳夫婦にはこどもがいない。母でもあった愛妻を失って、その喪失感が大きかった彼を病苦が次々に襲い、明晰だった精神まで脳梗塞でダメージを受けたとなれば、彼が絶望したのもわかる気がする。それに、彼なりに残すべきものは残した、という思いもあったのではないか。悔いよりは満足感があったと私は思いたい。

暑くて妄想が暴走する

 朝、窓を開け放っても室温は30℃を超えていた。今日の最高気温予報は36℃、明日は37℃だ。ベランダの鉢に水をやる。隅の小さな鉢の朝顔は水をやってもすぐ乾いてしまうのに、毎朝健気にいくつも小さな花を咲かせてくれる。これは湯村温泉の夢千代館でいただいたものだ。

 

 水分をせっせと摂り、ときどきは汗を掻くように心がけている。汗を掻いたら着替える。独り暮らしでも洗濯物はすぐ溜まる。毎日好天だからいつでも干せるのはありがたい。

 

 残りはまだあるけれど、予備のために買おうと思ったら、昨日は天ぷらに使う油がスーパーの棚になかった。たぶん今日から値上げなのだろう。当たり前だったことが少しずつ変わりつつある気配を強く感じる。

 

 世界は戦争の惨禍を歴史から学ぶことを忘れ、愚かな指導者たちが再び世界を混迷に向かわせている。金正恩のような人物をどうにも出来ない国連という存在は、なにごとにも対応できないことを世界に露呈した。

 

 戦争が悲惨なものだということを声高に叫べば戦争がなくなるという幻想は打ち砕かれた。どうしたら戦争が起きないようにするか、そのことを考えることを怠ってきたことを、いまだに気がつかない平和ボケの人々がいる。戦争を考えなければ戦争は起きないと信じる人の脳天気さ。

 

 あってはならないことでも起こるのだ。二度と起こってはならないと誰もが考えることでも二度、三度と起こるのだ。二度とあってはならない、などと決まり文句を言う人間の無責任そうなしたり顔にむなしさを感じる。

 

 起こらないための方策を考えるのはもちろんだが、個人が出来ることは限られている。起こった時に自分はどう対処するのか、その被害を少しでも受けないためにどうするのか、出来ればその危険を回避できないか、そのことを自分で考えるしかない。なにごとも誰かの責任だ、と考えることに馴れすぎて、誰かがなんとかしてくれると思っていると、なんともならなくなる。誰かを非難したからといって誰も助けてくれないのが世のなかだ。

 

 権力を批判することに終始する人々こそ権力を下支えしているのではないか、などと感じてしまう。マスコミや野党や市民運動家はそれで生活を成り立たせているように見えてしまう。だから安倍元首相の殺人者に減刑署名運動が起こったりするのだろう。安倍元首相が元統一教会を主導して犯人の家族を路頭に迷わせた加害者であるがごとき報道ではないか。誰がこんなゆがんだ見立てへ導いているのだろうか。正義の味方の権力批判の必然的な結果なのか。暑いから妄想が暴走していく。

時間がないから急がない

 紀行番組が好きでよく観る。そうして私も行ったことのあるところなら、自分が行った時の写真を見直したりする。そこで思うのは、自分はどこまで真剣に見ていたのかということだ。写真を撮ることにウエイトを置きすぎていなかったかということだ。見逃したらまたもう一度来れば良いと内心思っていなかったか、ということだ。

 

 これは本を読む時もそうだ。本を読む時にはリズムがあるから、あまり細部にこだわると読む気が減退するということはある。それにしても最近再読して思うのは、今よくわからなくてもまた読めばいいや、と思っていたということだ。

 

 若い時は時間がいくらでもあると思っていたから、またあそこへ行く、またあの本を読む、ということが出来るつもりでいた。いまは時間がないことがわかっている。日々思い知らされている。もう一度はないかもしれない。ないつもりでいないとならない。時間がないからこそ、もう一度がないつもりで急がずに、なるべく見落としのないようにしないといけないと思う。一度一度を大事にしなければ、と思う。

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