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2022年8月 6日 (土)

時代を超えて

 『臼井吉見集1』を読んでいて、大事なことは時代を超えていると感じた。例えば、彼が三代文豪展を見て感じたこと。

 

 僕は明治の文学者と今日の文学者との間に横たわる越えることのできない間隙を見た。
 明治の文学者は、自己を変質させるために、苦しい格闘をつづけた。おおざっぱにいえば、西洋との格闘であった。そこに骨を噛む孤独と不安があった。かくて、どのようにまがりなりにしろ、自己の表現を獲得した人たちである。個性などというたわいもないものを越えた、人間性としての自己表現であった。

 

 こんなことを考えると、こんにちの文学について何を語る気になれるだろうか。まして年末だからとて今年度の文学について、何を語る気になれるだろうか。おおかたは衣装だけの話ではないか。舶来の衣装が身についたか、つかぬだけの話ではないか。自分の骨格や感受性を転化しようにも、かんじんの骨格が見つからぬではないか。感受性といったところで、どのような感受性も持ち合わせているというのか。われわれに、一片の骨格もなく、一片の感受性すら失いつくしたことを嘆いた太宰治の訴えを嗤えるものがどこにいるだろうか。

 

 これが書かれたのは1950年の末である。明治、大正、昭和の文豪たちの本を読み散らしている私には、いま書かれたように読める。

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コメント

かつて直木賞・芥川賞が決まる度に一喜一憂して、時には本屋へ走り読んだものだった。現代は興味すら薄れ、平仮名とカタカナの多い文章に辟易し、各賞の審査員にも落胆する今日この頃である。
明治・大正・昭和の文豪達レベルに追いつけない現代作家の哀れさを痛感する。

虹の囁き様
直木賞の作品は少し前まで読むことがありました。
読むに価するものもあると思います。
芥川賞受賞作はいまは食指が動きません。
それなりのものもあるのかもしれないとは思っています。
ただ、もう新しいものにはついて行きにくくなりました。
歌と同じですね。

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