宗教に似たもの
アメリカ・ワイオミング州の下院予備選挙で、現職の議員がトランプ元大統領の弾劾に賛成したことを共和党支持者に咎められて落選の可能性が高いという。共和党はそのチェイニー議員を支持せずにトランプが支持する刺客候補を立てている。・・・結局チェイニー氏は敗れたと報道されていた。
そのこと自体は別にどちらでもいいが、トランプ支持の共和党員のインタビューでの様子が、まるでトランプに批判や反対をすることは、あってはならない許されるべからざることのように語っていたことが気になった。まるでトランプを信じることが絶対的な教祖を拝むがごとくに見えたからだ。
チェイニー議員はトランプ絶対反対ではなく、是々非々で、あの国会議場侵入は賛成できることではなく、弾劾に価すると考えたのである。まっとうだと思うのが普通だろう。とはいえそのチェイニー議員を支持する共和党員は極めて少数だったという。報じられている事実を自分の頭で考えて判断するのではなく、信じるものに反対するのは悪者だ、という思考様式は宗教に似ていないか。
宗教といえば、日本では連日旧統一教会がらみの報道でやかましい。普通に見ていると、安倍元首相が凶弾に倒れた途端に旧統一教会の問題か噴出したかのようだ。しかし旧統一教会の問題は二十年も三十年も前からずっと続いていた問題で、普通の国民と違って、マスコミはもちろんそのことをよく知っていた。知っていていまのように報じなかった。こういう問題に目を塞いでいて、おっかなびっくりどこかが報じたら、我も我もとしまって置いた引き出しからあることないこと一斉に報じ始めた。いまは殺されたにはそれなりの理由があるといわんばかりである。
マスコミは、功罪あるとしても、日本の国に功績があったと海外でも認める安倍元首相をおとしめることが正義だと勘違いでもしているのだろうか。国葬に私は最初から賛成しているし、実際に国葬が行われたら、参列する人、弔意を示す人はマスコミや野党が考えるよりもはるかに多いと私は信じている。弔意を示したくない人に弔意を示せと強制など誰もしないはずで、それはそれで勝手にすればいい。自分が示したくないから弔意を示す人を非難したり妨害するようなことはして欲しくない。
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