遺骨
先日島田陽子が亡くなった。そしてその島田陽子の遺骨の引き取り手がないというニュースを見た。アメリカのドラマに出たりして、一時期は世界的女優、などともてはやされたが、どこか危ういところがあるように感じていた。表舞台に出なくなったには、それなりの理由があったのだろうと思う。晩年の闘病の中で、島田陽子は自分の人生をどう考えていただろうか。人生の幸せをどう思っていただろうか。
自分の人生の評価は最期の時に定まるという。「まあそこそこだったなあ」とか、「こんなもんだろう」と思えれば、私はそれでいいと思っている。欲望が強ければそれを達成するために努力して得られるものも多いけれど、欲望が強いほど満足感は得られにくいのではないか。怠け者の私などは、努力しないから得られたものはわずかだったけれど、さいわい欲望がそれほどではないから、こうすればよかった、ああすればよかったと、あまり強く思わずにすんでいる。
島田陽子がそういう意味で欲望が強かったかどうか知らないけれど、私が危うさを感じた、というのはそういうものを感じたということで、現実の島田陽子ではなく、私に見えていた島田陽子をイメージしてのことである。そうして自分自身の最期というものを想像したのである。
しあわせとは何だろうか。
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OKCHANさん
女優島田陽子さん遺骨にもなっていません。
遺体のまま安置してあるようです。
お墓があっても遺骨にならないと入れません。
親族間トラブルで、ゆっくり眠ることもできないなんて
かわいそうです。
ご冥福をお祈りします合掌
投稿: ちかよ | 2022年8月 9日 (火) 13時32分
ちかよ様
冷たいようですが、死んだ本人は自分の亡骸についてはなにも言いようもしようもありません。
係争をしている身内の人たちは、自分自身の醜さに気づいていないのでしょう。
そういう人たちをしばしば目にしてきました。
亡くなった人の冥福を陰なから祈るしかありませんね。
投稿: OKCHAN | 2022年8月 9日 (火) 13時44分