自分はどちらか
寒いのはむかしはちっとも苦にならなかった。最近は多少つらい。それより暑いのはずっと苦手だ。エアコンがある生活を送れる幸せを心からありがたいと思っている。海外のニュースやドキュメントを観ていると、気温が40℃超えなどというのはざらて、45℃超えや50℃を超える国などというのがある。しかもそういうところでエアコンなどない生活をしている。自分がそういうところで生きていく、などということを想像すると気が遠くなる。
偉そうに金などそれほどたくさん必要ないなどといったりしていても、それはそういう過酷なところに住んでいる人から見れば、しっかり金があるから言えるのだと反感を買われるだろう。
會田雄次(1916-1997京都生まれ、京都大学名誉教授)の本を拾い読みしていたら、
「富を軽蔑するように見せる人間をあまり信ずるな。富を得ることに絶望した人間が富を軽蔑するのだ(ベーコン)」
などという引用があった。
金持ちに対する妬みが異常に強い人がいる。そういう人は、実は富に対する執着が強いけれど、それを得ることが叶わなかったりそのための努力を怠けている自分に絶望しているということかもしれない。
また、
「富を欲するか。恥を忍べ、傾絶せよ。故旧を絶ちて、義と背け(荀子)」
なんてのもある。こちらはちょっとわかりにくい。恥を忍べというのは恥なんて気にするな、恥知らずになれということだろう。傾絶せよというのは、たぶんルールなど無視しろ、どんなことでもやってのけろ、ということ。故旧というのは友だちのことだから、友人などとは縁を切れということだし、義と背けは義理人情など気にするなということだろう。
こう極端に二つにわけられても困る。まあそうまでしてまで富を得たいとは思わないから、世のなかと上手くやりながら、そこそこ快適に暮らせるだけの金さえあれば、それ以上は望みません、というのが私のスタンスで、さいわいそれが叶っているのをありがたいことだと感謝しているのだ。だから金に執着している人を見ると眉は顰(ひそ)めるけれど、それだけのことで、大金持ちを見てもそんなに激しい嫉妬や反感は感じない。
そういえば、
「物の値打ちは、それがないときにいちばんよくわかる(イギリスの諺)」
なんてのもあった。金も最低限必要なくらいはなければどれほどつらいかと思うけれど、その人にわけて上げるほどのものの持ち合わせがないことに安心感を感じている。わけられるのにわけない気持ちの負担を感じないでいられるのも幸せというものだ。
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