問答無用
五・一五事件のとき、首相官邸を襲った青年将校たちに対して、犬養毅が「話せばわかる」と語りかけたが、問答無用と射殺された。それが戦前の政党政治の終わりを告げた事件であったことをNHKの歴史ドキュメントで改めて思い知らされた。
軍人が武器を持たない人間を取り囲み、正義のために射殺するという行為は歴史を変えてしまった。もちろん歴史を変えようとして青年将校たちは決起したのである。それは正義だったのか。
安倍元首相を山上という男は後ろから射殺した。安倍元首相は「話せばわかる」ということも出来なかった。後から人を撃つ、しかも相手は武器も持たず抵抗できない。それを射殺するという行為にどういう情状酌量の余地があるというのか。
私は新興宗教、とくに全てを因果にこじつけて勧誘し、金品を強要し、信者を増やすような新興宗教を嫌悪する。そのことにたいへんな被害を受けている人がいることは痛ましいことだと思うが、どんな宗教を信じるのかは本人の自由であることも憲法で保障されていることである。そのような団体に参加するのは愚かだと思うが、責任は当人にある。
そのような宗教団体を助長してきた罪は重いと思うし、強く批判するのはとうぜんで、いままでそれが取り上げられてこなかったそのことのなかにマスコミの問題点があるとさえ思う。オウム真理教のときにも強く感じたことだが、警察もマスコミも宗教団体には及び腰である。見て見ぬふりをしてきた。今回その反動でことさら強いバッシングになっていることに私はとくに反対するつもりはない。
ただ、そのことが安倍元首相を射殺した犯人の罪の重さを軽くするようなことにつながることだけは許してはならないと思っている。殺すには殺す理由があったのだ、とか、自業自得な面があった、などと言う風潮を生むとしたら、それこそ戦争へなだれ込んだ戦前の流れを辿ることになりはしないかと危惧する。絶対に安倍元首相射殺事件を正義の行為にしてはならない。
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