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2022年9月26日 (月)

映画の記憶

 作家の金井美恵子は映画雑誌にコラムや批評を書くなど、映画評論家でもある。彼女の書評集を読んでいたら、『成瀬巳喜男の設計 美術監督は回想する』中古智・蓮實重彦(筑摩書房)という本の書評で、

 

「十歳にもみたない子供が、成瀬巳喜男の映画の画面をなぜ、記憶にとどめておくことが出来たのか。それもまるで、親類の家か母親の友人の家に連れられて行って、そこで半日を過ごし、ひどくこみ入って複雑な大人の話を小耳にはさみながら退屈した午後の日差しの差し込む家の中をウロウロしていたような感覚として記憶していたのか、ということが、時々、姉との話の中で出て来て、それはもちろん、それが映画だからだ、と言ってしまえばそれですむことだったのかもしれない」

 

この感覚はとてもよくわかる。というよりさすがに作家らしい、そう、その通り、と思わせてくれる。

 

 私の父は教師で、当時は生徒が許可なく映画館にはいることは許されず、補導の対象であった。時々補導のために映画館に行くようにと、ときどき無料パスを支給されたのだが、父は映画が好きではないし、そういう補導を積極的にするつもりもなかったらしく、映画の好きだった母がその無料パスで映画を観た。そのとき、まだ幼稚園生か小学校低学年だった私を連れて行った。

 

 あとで聞いたところによれば、母が観たのは小津安二郎や成瀬巳喜男の映画だったようだ。私は静かに映画を観ていたらしい。その後弟を連れて行くようになったら、弟は暗がりがきらいで映画館で泣きわめき、観ていられなくなって、母の映画鑑賞もなくなったようだ。無料パスの支給もなくなったのだろう。

 

 後年私が小津安二郎の映画などを観て、妙な懐かしさを感じたのを不思議に感じた。画面に記憶があるのだ。映画の記憶は表層よりももっと深いところに残されている気がした。そのことが、金井美恵子の文章で思い出されたのだ。

 

 蓮實重彦については説明するまでもないが、中古智は成瀬巳喜男の映画の美術監督である。書評で紹介されている中古智のエピソードはなかなか好い。映画に関連して、映画が観たくなる、というのは、書評を読んでその本を読みたくなるのと同様、すぐれた紹介の仕方だと思う。私のように「面白い」と言っているだけではなかなか人を動かさないのだろう。

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