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2022年9月 9日 (金)

書かれた言葉

 作家の金井美恵子が谷崎潤一郎の『細雪』について講演した講演録を読んでいると、これはこれで素晴らしいのだが、語り出しに

 

「すくなくとも、物を書く人間に限ってのことですが、「声」よりも、「書かれた言葉」のほうが美しいという、もうほとんど根拠のない思い込みがあるせいで、講演というものは、聴くのも自分がやるのも、苦手というか、もう少しはっきり言うと、薄っすらとした退屈さと居心地の悪さがつきまとうような気がしてなりません。」

 

とあっておもしろく感じた。面白いというよりも共感するものを感じたのはそこでいろいろ連想したからだ。

 

 私は「物を書く人間」ではないが、「声」よりも「書かれた言葉」のほうを美しいと思っているところがある。わかいころ、運転中は本が読めないから、朗読のテープをいくつか買ったことがある。幸田露伴の『五重塔』、新田次郎の『強力伝』、『論語』などを聴いた。それはそれで悪くはなかったのだが、やはり感じたのは、「声」よりも「書かれた言葉」のほうが好いなあということだった。とくに『論語』は漢字が頭に浮かぶ前に言葉が先に進んでしまうので、困った。これは記憶したものを反芻するためのものだと思ったりした。

 

 Amazonから「本を聴き」ませんか、などと勧めてくるけれど、試してみようと思う気持ちが全くないのは、そういう経験と考え方による。ただし、寝たきりになって読みたい本も読めない状態になったとき、イヤホンで「本を聴く」というのはあるかもしれない。そのときは「美しくないけれど我慢して」のことになるだろう。

 

 「漢字」を見るのは好きである。漢和辞典を普通の人よりはよく引く方だと思う。読めなくても意味はおぼろげにわかる。それでよいのかどうか確認する。それほど間違っていることが少ないのは、漢字にはそれなりの法則性があるからだと思う。表意文字というのはそれ自体がイメージとつながっているということで、いま読んでいる漢字と同時にその前に読んだ漢字や、これから読む漢字も同時に視界に入っていて、それがハーモニーとなって文章が認識されているような気がする。だから「書かれた言葉」を美しいと思うのだろう。漢字で書かれたものだからこそかもしれない。

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