« 映画の記憶 | トップページ | 秋モードへ »

2022年9月26日 (月)

作家と作品

 臼井吉見の『蛙のうた』の中の『作家と作品』という文章を読んでいる。彼が戦後、『展望』という雑誌の編集者として出会った作家達の話が語られている。それがエピソードを越えてすぐれた作家論になっているのは彼の他の文章と同様である。

 

 その中の斎藤茂吉と高村光太郎の部分について、特に感じるところがあった。二人が疎開していたのが東北であったというところにその理由があるかもしれない。斎藤茂吉はもともと山形県の生まれである。臼井吉見が訪ねたのは、実家ではなく、大石田というところに近い、へんぴな村の、みすぼらしいあばら屋だった。病後でもあり、戦時中の意気軒昂とした様子とは打って変わって、背を丸めて老いて見える姿だった。つぎはぎだらけの浴衣姿に、そのときの斎藤茂吉の心境を想像している。斎藤茂吉が最上川について詠んだ歌を何首か紹介しているが、和歌のわからない私にも多少はその感興がわかる。

 

 むかしはこの大石田から尾花沢に鉄道が走っていた。終点の尾花沢からバスに乗って銀山温泉へ行く。私が学生のときにはまだその鉄道はあって、友人と銀山温泉に行って泊まった。銀山温泉は私の両親の新婚旅行で滞在したところである。それだけのことだけれど、大石田、と言う地名を見るとつい思い入れがわく。このあたりは芭蕉の『奥の細道』にも出てくる。

 

 高村光太郎は、戦意高揚の戦争詩人とまで呼ばれた戦時中を悔やんで、岩手県の花巻の山中の山小屋に隠棲した。臼井吉見は戦後すぐにここを訪ねている。そのときの暮らしの様子は臼井吉見の文章に詳しい。現在高村光太郎の山荘(高村山荘)は当時の様子のまま残されていて、私は花巻の台温泉などにたびたび泊まったので、二度ほどその山荘や彼の記念館を訪ねている。

Dsc_3930_20220926140401高村山荘入り口

Dsc_3934_20220926140401山荘はこの板葺きの小屋だが、それを建物でおおっている。

Dsc_3933_20220926140401独居する光太郎の脳裏に去来したものはなんだったのだろう。

Dsc_3931_20220926140401囲炉裏の廻りのものなど、生活用品やその暮らしぶりについては臼井吉見の文章に詳しい。

 彼を頼ってきた宮沢賢治に対してのつれないあしらいについては、以前ブログに書いた。のちにそれを後悔して、宮沢賢治の素晴らしさを世に広めることに努めたことは有名だ。花巻は宮沢賢治の生まれ故郷であり、拠点であった。東京生まれで東京育ちの高村光太郎が、どうして隠棲の場所を花巻にしたのか、宮沢賢治とは無関係に思えない。

« 映画の記憶 | トップページ | 秋モードへ »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 映画の記憶 | トップページ | 秋モードへ »

2022年12月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

カテゴリー

  • アニメ・コミック
  • ウェブログ・ココログ関連
  • グルメ・クッキング
  • スポーツ
  • ニュース
  • パソコン・インターネット
  • 住まい・インテリア
  • 心と体
  • 携帯・デジカメ
  • 文化・芸術
  • 旅行・地域
  • 日記・コラム・つぶやき
  • 映画・テレビ
  • 書籍・雑誌
  • 経済・政治・国際
  • 芸能・アイドル
  • 趣味
  • 音楽
無料ブログはココログ

ウェブページ