柳条溝事件
一九三一年、九月十八日、撫順と奉天の中間地、柳条溝で満鉄線路が爆破され、それをきっかけに満州事変が勃発した。
『黒竜江への旅』の中で高野悦子が書いている。
「鉄道線路が破壊されたという時間のあと、急行列車が無事通過しているから、爆破は小さかったのであろうが、理由づけには充分であった。現場は、ジャリ、枕木、レールが飛び散り、近くに中国人の兵隊三人の死体が並べられ、関東軍の、さわらぬようにという立札が立っていた。その死体は白骨になるまで野ざらしにされていた。
その立札を見て父は、まるで日本版「此地無銀三百両」だなと思った。それは、馬鹿な地主が、金を盗まれることを恐れ、土の中に埋める。それでも心配で「ここに三百両はありません」と立札をした。そのためかえって三百両があることがわかってしまったという中国の昔話である。
鉄道線路爆破のあと、奉天ではすぐ日本軍による北大営襲撃が行われる。しかし大砲や鉄砲の撃ちあいを、奉天に住む一般の日本人たちは、まさか日本軍が戦争を始めるとは思いもよらず、演習だとばかり思っていた。「今夜の演習は大がかりだな」という程度で誰も騒がず、静かな夜だったという。
満州事変により、満州を軍力で抑えた翌三二年三月、日本は満州国の建国宣言を行う。現在、中国では日本の中国侵略の第一歩となった九月十八日を「屈辱の日」と呼んでいる。」
日本人は忘れたり知らされていないけれど、中国人は決して忘れない。もうすぐまたその日が来る。
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