« 併合 | トップページ | 謝罪だけですむことなのか »

2022年9月29日 (木)

認識の大きな隔たり

 日中国交正常化50周年を記念したニュースの中で、野田元首相のインタビューを観た。尖閣国有化断行により、中国との関係を紛糾させたことについての彼の考えが語られていた。胡錦濤政権末期の尖閣国有化である。この国有化は胡錦濤にとって、自分へのダメージが大きいことを危惧して強く国有化をやめて欲しいという懇請があったことは(前後の報道を見る限り)事実である。なんの国際会議のあとだったか忘れたが、野田首相に取りすがるようにしていた胡錦濤の姿を目にした記憶がある。

 

 しかし野田首相はそれを拒否して国有化を断行した。インタビューでは「強権の習近平では反撥が強すぎると判断した。政権末期の胡錦濤時代にしておく方が反撥が少ないと判断したのだ」と誇らしげに語っていた。

 

 習近平が強権であることはその時点では明らかではなかった。野田元首相は説明に現在を基準にして言い訳しているようにしか思えない。話は原因と結果を逆にしているとすら私には思える。歴代の中国のトップは、政権を退いても次代に影響力を残すことに腐心する。そうでないと自分の身が危ういからだ。政権末期に尖閣国有化を日本に許したことは胡錦濤の責任として共産党内部で激しく糺弾された。結果的に全く次代に、つまり習近平政権に影響を残すことが出来なかった。

 

 政権交代前後、二月近く習近平は姿を殆ど見せなかった。権力抗争で最後の反撃に遭うという身の危険を感じたのだ。結局、軍も行政もすべてを政権発足当初から習近平が掌握することになった。胡錦濤の影響を払拭することに成功したのだ。

 

 野田首相はある意味で「強い習近平」を産み出すことに貢献し、現在の中国の横暴を産み出す功労者になったのだ、と言うのが私の見立てで、ことほど左様にものの見方、認識というのはちがうものだなあ、と感じた次第である。

« 併合 | トップページ | 謝罪だけですむことなのか »

映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 併合 | トップページ | 謝罪だけですむことなのか »

2022年12月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

カテゴリー

  • アニメ・コミック
  • ウェブログ・ココログ関連
  • グルメ・クッキング
  • スポーツ
  • ニュース
  • パソコン・インターネット
  • 住まい・インテリア
  • 心と体
  • 携帯・デジカメ
  • 文化・芸術
  • 旅行・地域
  • 日記・コラム・つぶやき
  • 映画・テレビ
  • 書籍・雑誌
  • 経済・政治・国際
  • 芸能・アイドル
  • 趣味
  • 音楽
無料ブログはココログ

ウェブページ