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2022年9月 5日 (月)

生きている意味

 NHKの『モモさんと七人のパパゲーノ』というドラマを少し前に録画していたのでそれを見た。予想していたものとは全く違うものだった。パパゲーノとは「死にたい気持ちを抱えながら、その人なりの理由や考え方から死ぬ以外の生き方を選択している人」ということだそうで、自殺願望の人がそういう人の生き方を知ることは自殺を思いとどまらせる効果があるそうだ。このドラマの放映にはそういう狙いも含まれている。

 

 人に語れるほどの「生きがい」を持って生きている人というのは、それほど多くないのかもしれない。いったいおれは、私はどうして生きているのだろう、生きている意味は何だろう、生きている値打ちって何だと内心に思っている人は案外多いのかもしれない。そういう心の隙間に自殺願望は入り込むのだろう。絆、などとことさらに言い立てるのは、絆が失われているからに他ならない。個人の絶対化によって、家族の崩壊、地域社会、会社社会の崩壊が進んでいる。特に都会では甚だしい。少子化は、経済よりもそちらの方が主な原因かもしれないとさえ思う。

 

 結婚や子育てなんて、私の楽しみや気楽さを、つまり「自由」を侵害するものでしかないから、個人にとって煩わしさそのものだと考える若者が増えている気がする。そうしてふと気がつくと、自分は何のために生きているのかわからなくなる。生まれてきたのだから生きていくのは当たり前だ、ということが本当かどうかわからなくなる。して善いことと悪いことの違いも見えなくなる。悪くすると自分の命を軽んじるようになり、自分の命が軽いくらいなら、他者の命などさらに軽く見えたりするかもしれない。

 

 ドラマでは生きることに意味を見いだして元気よく一歩踏み出す、というような展開はないが、世の中には心を配るべき他者がいるということに気がつくというささやかな進展はある。ドラマを見た人が、自分だけではないのだ、という思いを持つ可能性はあるだろう。モモさんの旅は他者を見つける旅である。その他者が自分のひとり旅に介入しかけたとき、彼女は相手を傷つけるような言葉を発する。そのことを深く後悔する。相手に謝罪する。彼女はこうして他者を発見した。現実には他者は常に存在しているが、それが認識できなければ存在しないのと一緒である。そして他者の存在しない自分の世界というのはそもそも世界ではない。ただの原点だけがある空虚に近い世界だ。他者との関係で世界は構成されているからだ。「人間は精神である。しかし、精神とは何であるか?精神とは自己である。自己とは、ひとつの関係、その関係それ自身に関係する関係である。」というキルケゴールの言葉は私の世界認識の基準で、ここにも真理が見えている。

 

 私は本気で死にたいと思ったことはないが、歳とともに、生きることと死ぬこととの境目がそれほど分厚く遠いものでもないらしいと感じ始めている。ついにはそれが薄っぺらくなって、らくらくと踏み越えられるようになれば、生死を超越してますます生きやすく、だからこそ死にやすくなるような気がしている。

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