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2022年9月 9日 (金)

日本人のメンタリティと検閲制度

 戦時中、日本は厳しい検閲制度を敷いていた。そして敗戦後、占領軍は同様に日本の言論に厳しい検閲を行った。その徹底的であること、そしてはるかに占領軍によるものが巧妙であったことを江藤淳が名著『閉ざされた言語空間 占領軍の検閲と戦後日本』で詳細に徹底的に論じている。「詳細に徹底的に」というのは、現状分析の積み重ねだけではなく、アメリカでの厖大な資料を渉猟してのものだからだ。

 

 臼井吉見の本を読んでいたら、『二つの検閲』という文章があった。実際に当時『展望』という雑誌の編集者であった立場から戦後の占領軍の検閲について書いている部分が興味深く、そして考えさせられた。

 

「(略)事前検閲は、やがて事後検閲に切り替えられた。(略)明らかに、アメリカ側における日本人研究の成果を示すものと思わないわけにはいかなかった。新しく出してきた事後検閲は、おそらく彼らの予想をはるかに越えて、めきめきと効果を発揮したものと僕は見ている。
 事前検閲の時期でさえ、占領者の腹のうちを読んで、ともすれば、卑屈な心情をちらつかせた編集者がなかったとはいえないだろう。(略)日本の革命が、すぐそこに迫っているかのような、金切り声を上げているような雑誌にかぎって・・・・これは言いすぎだが、そんな雑誌がとかく見せがちな卑屈さには我慢のならないものがあった。
(中略)とにかく事前検閲は気が楽だった。
 事後検閲となると、そうはいかない。検閲は一応こっちにまかされた格好になるからだ。雑誌は出たが、追っかけて発禁を食ってはたまらない。そんなことが、二、三度つづこうものなら、元も子もなくならざるをえない。いよいよ、相手の腹を読まずにはいられないことになる。
 事後検閲への切り替えを界にして、すくなくとも雑誌の上でいえば、言論が、にわかに精彩を失った。おそらくは相手が期待もしていない地点まで後退をはじめる。たがいに顔を見合い、暗黙のうちにうなずいて、翌月はさらに後退する。それが目に見えるようであった。
 権力者の腹を読んでは、次々に道をゆずるという卑屈な振舞いは、かつて軍部に対するものだったが、いまはまた占領権力に対して、同じことをくりかえしている。そういう国民のメンタリティが、言論の責任者である編集者のしぐさの上に、露骨に示されるのだった。」

 

 私が、ここに書かれていることに深く感じるものがあるのは、その時代というものを考えるからではない。それは「日本人のメンタリティ」という言葉の意味である。江藤淳も臼井吉見も、ある時代の、権力による圧力というもののことだけを言っているのではないことはわかってもらえると思う。自己規制という言葉狩りにまでつながっていく日本のジャーナリズム全体のメンタリティ、それはジャーナリズムだけではない日本人のメンタリティによるものだ、という指摘は、自覚しなければならない大事なことだと思う。

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